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今日は珍しく、平日だけど仕事が休みだった。なんだかとっても良い一日だった。「良い一日」といっても、大したことをしたわけじゃない。クリーニングを出しにいったり、美容室に昼真っから行ったり、洗濯をしたり、台所を片付けたり、夕食を作ったり・・・。他の人に言わせると、「なんだ、普通の日じゃん」と思われるかもしれないけど、私にとってはなんだか「ゆとりのある一日」だった。今日の私の「ゆとりある行動」の第一位は、何と言っても、自分の家に飾る花を買いに行った事だったと思う。花屋で自分の為に花を買ったのなんて、たぶん初めて。うちには結構植物があるのだけど、それはぜ~んぶダンナが買ってきたもの。私は家に植物があればあったで良いと思うけど、無くても何とも思わない人。でも今日初めて自分で花を買って飾ってみると、やっぱり部屋に花があるのはいいな、なんて思った。実はこの「部屋に花を飾る」という行為は、この間日本に帰ってる間に居候させてもらったYちゃんの影響。彼女の部屋にはお花が沢山飾ってあって、すごく綺麗だったし、なんだか花を眺める余裕があるなんていいな~と思った。それでカナダに帰ってきて即行で花瓶を買いに行ったという、結構単純な私なのでした。11月は職場で休暇を取る人が少ないため、シニョリティーの底辺の私のシフトは必然的に少なくなる時期。今のところ11月の月曜日は全部休みだし、午前中だけ出勤の日も何日かある。最初は給料が減るから嫌だと思ったけど、でも今日みたいな日を過ごすと、なんだかあくせく働くより、少し余裕のある生活をするほうが良いような気もしてきた。人生は基本的に短いと思う。でももしかしたら、自分が思っているよりも、もっともっと短くなるかもしれない。最近本当にそう思う。お金が少し減ってでも、一日一日の生活をもう少し余裕のあるものにして、色んなことに目を向ける時間を作ったほうが、人生充実したものになるのではないか、と最近思う私なのだった。
2005.10.31
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今日の午前2時にDaylight saving time(日本語で言うと”夏時間”?)が終わり、時計の針を一時間戻した。午前2時なのが一時間戻って午前1時になる為、睡眠時間が自動的に一時間増える何とも嬉しい日。特に私は今日は朝7時半から仕事だったので、ラッキーだった。「夏時間」といえば、カナダに来た最初の年、どうやって国民全員(一部の州を除く)が一斉に時計の針を戻すのを覚えているのか不思議でならなかった。一年目の秋にさしかかったくらいに、ダンナにこの「夏時間」はいつ終わるのかと聞いてみた。ところがうちのダンナは、いつ夏時間が終わるのか知らないという。は~?三十何年間もカナダ人やってんでしょ?知らないわけないじゃん、っていっても、はっきりと覚えてないという。その時ちょうどレストランで食事中だったので、レストランのウェイターに、夏時間はいつ終わるのか聞いてみた。そのウェイターも「よく覚えてない」という。彼が一緒に働いてるウェイターたちに聞きにいってくれたものの、返ってきた答えは「ハローウィンくらいじゃなかったっけ?」という、曖昧な答えだった。当時日本から来て間もなかった私は、「何月何日の何時に時間が変わる」って決まりがないのに、どうしてみんな一斉に時間を変えられるのだ!?と不思議で仕方なかった。カナダ人たちはみんな口をそろえて「その時になったら、誰かから情報が回ってくるから大丈夫」なんて、結構いい加減。当時は「日本じゃ考えられないよな」なんて思ってた。でも実際生活していると、本当にどこからか情報が入ってきて、きちんと時計の針を戻す(春には進める)のを覚えているもなのだ。今年も、実は私は昨日の午後まで今日が夏時間の終わりだって事を忘れてた。たまたま買い物に行く途中に車のラジオで聞いたので、「お~、忘れてた。あぶない、あぶない。」って感じ。思えば今年の春に時間を変えたときも、職場の人が夜に家に「明日仕事に遅れないようにね」って電話してきてくれて、ギリギリで思い出した。でも確かに毎回なんとかなっている。ちなみに、この夏時間と標準時間を変えるのにはきちんとルールがある。標準時間→夏時間は4月の最初の日曜日の午前2時。夏時間→標準時間は10月の最後の日曜日の午前2時。どちらも日曜日の早朝に時間が変わるので、月~金で働いてる人たちには、時間を変えるのを忘れても、仕事までには一日猶予がある。月曜日の朝までに、時間が変わったのに気付けば、仕事に遅れることはないのだ。実際、時間が変わったばかりの日曜日には、時間が変わった事に気付いてない人も結構いる。特に私の働いてるクリニックの患者さんなんか、あまり時間を気にせずに生活してる人たちが多いので、時間を間違ってくる人たちだらけだ。でもどうやら、アメリカが近い将来夏時間を延長して、11月に入っても夏時間を続けるようになったらしい。それに伴って、カナダでもアメリカに合わせて延長するという話だ。カナダの方が緯度が高いので、アメリカの時間に合わせて11月も夏時間にしてしまうと、11月はいつまでたっても夜が明けないのではないか・・・と心配になってしまう。でもアメリカとの時間がズレてしまうと、フライトの情報やら、そのたもろもろにすごい影響がでてしまうので、カナダも変えざるを得ないようだ。それにしても、一日しか経ってないのに、日が暮れるのが一時間も早くなったのは、一気に冬になったみたいでなんだか寂しい。
2005.10.30
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昨日の日記で、みなさんに「それ、ヤバイよ~」というご意見を沢山(?)頂きましたので、今日仕事に行ってから発覚した事実を報告したいと思います。仕事に行って、一つ思いついたパスワードを入れてみる私。でもログオンは見事に失敗!や、やばい・・・。どうしていいか分からないので、恥ずかしながら隣のコンピューターに座っていた同僚に、「PCにログオンするパスワードを休暇中に忘れてしまったんだよね。これって、どうすればいいんだろう?」と聞いてみる。同僚:「あれ?でも昨日メールチェックしてなかったっけ?」私:「うん。メールチェックするパスワードは覚えてるけど、PCにログオンするパスワードが思い出せないの」同僚:「・・・・・。メールチェックとPCログオンのパスワードは一緒だよ。」私:「!!!!!」そう、私はメールチェックをするパスワードはちゃんと覚えていた。でもPCにログオンするには、別のパスワードがあると思い込んでいたから思い出せなかったのだ。っていうか、存在しないんだから思い出せるわけが無い。つまり、「パスワードを覚えていなかった」のではなく、「パスワードが存在しないことを覚えてなかった」のだ。はっはっは~。ちょっと安心した。・・・・って、「それこそヤバイんじゃ・・・」と思っている方へ、ちょっと言い訳。私のもう一箇所の職場は、本当にメールチェックのパスワードとログオンのパスワードが別々に存在するのだ。だから2箇所の職場でのことが、ちょっとごっちゃになってただけなんだよね。(って、言い訳になる??)でも今回のことで少し思った。昔はパスワードといえば、銀行の口座くらいだったけど、今は何でもコンピューター化されているから、パスワードが多すぎる!特に職場のパスワードは、セキュリティー上、約一ヶ月半ごとに変えないといけない。私は2箇所の職場で合計3つのパスワードをもっているので、いつどのパスワードを何に変えたのか、覚えておくのはなかなか大変だ。3つのパスワードを同じ日に同じものに変えれれば楽なんだろうけど、そういうわけにもいかない。3つのパスワードの条件も違う。(数字が入らないといけないとか、大文字が一つ入らないといけないとか、何文字以上じゃないといけないとか・・・)もちろん職場のパスワードだけじゃなく、個人の生活上のパスワードっていうのも数えるときりが無い。なるべく同じパスワードにしようと思っていても、長年それを使っていると、途中で変えないといけないときが来たりして、どれも微妙にちがうパスワードになってきたりしてる。こんなに覚える事が多いと、やっぱり脳も飽和状態になって、必要無い情報から忘れていくんだろうな、と妙に納得してしまう私。私の場合、脳が「必要な順番」というのをよく把握してないのが少し問題なんだけどね。昔の出来事を事細かに覚えているそこのあなた!脳が新しい事をあまり吸収してないのかもよ。(←と、逆手にとってみる)
2005.10.28
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私は自慢にもならないが、記憶力が異常に悪い。物を覚えるのは人一倍早いと自分でも思うのだが、忘れるのも誰よりも早いのだ。この間日本に帰った時に、久しぶりに会った友達と思い出話に花を咲かせたのだが・・・私、覚えてない事が多すぎ!!!「クラスメートだった○○君が~」と話をされても、その人物が全く思い出せない。卒業アルバムを持ってきて、顔を見せられても、思い出せない。本当にその人物が私の記憶には無いのだ。「あの時こういう事があったよね~」と話をされても、覚えてない事が本当に多い。私の記憶から完全に抹消されている出来事や人物が多すぎるのだ。そして今日、自分の記憶力の悪さに唖然とした出来事があった。今日は日本から帰ってきて初めての出勤だったのだが、なんと私は仕事場のコンピューターに自分の名前でログ・インするときの、暗証番号を忘れてしまってたのだ!ありえない!たった1ヶ月しか経ってないのに!!ず~と考えてみるものの・・・本当に覚えてない!!一回「これだったかな・・・」という暗証番号を入れてみるものの、成功せず。失敗は2回までしか許されないので(3回失敗すると、コンピューターから締め出される)、もう少し考えてからまたトライすることにした。結局今日は思い出せなかったので、明日また思い出せるかもしれないと、かすかな期待を寄せながら家に帰ってきた。実はこういう事が起こったのは初めてではない。昔、PharmacyTechの学校に通ってた頃、3週間の実習が終わって、また学校に戻ってきたとき、学校の自分のロッカーの鍵のコンビネーション(ダイヤル式の鍵だった)が思い出せず、結局一日中ロッカーに置いてた物が取り出せず、家に帰って鍵の番号が控えてある紙を探し出さないといけない羽目になったことがある。6ヶ月間毎日使ったロッカーの番号も、3週間使わなかっただけで、私は忘れてしまうのだ。それよりも今回のコンピューターのパスワードは、毎日ではないが9ヶ月も使っていたのに、たった1ヶ月使わなかっただけで思い出せなくなっていたのだ。友だちが言うには、覚える事が毎日多い人は、古くなった必要ない記憶からどんどん忘れていくらしい。そうでないと、脳が飽和状態になるから。それは昔のクラスメートや出来事を覚えてない説明にはなるけど・・・。仕事上の大事なパスワードを忘れる理由にはならないよな・・・。今、思い当たるパスワードが一つ思い浮かんだので、明日それをトライしてみるつもり。もしそのパスワードが違ったら・・・・本当にヤバイかも。っていうか、私、ヤバイですかね?
2005.10.27
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少し前の日記で、バンクーバー・香港間の飛行機でシートベルトが無かった話を書いたけど、その同じ飛行機の中でもう一つ忘れられない出来事があったので、遅ればせながら今日書くことにした。約14時間というその長いフライトで、私の横に座っていたのは、アジア系のおばあさんだった。多分年は75歳か、もう80歳近かったと思う。離陸して2~3時間経った頃だったか、そのおばさんが私に話しかけてきた。そのおばあさんは、アメリカに移民した中国人らしく、たった10年前にかなり歳をとってからアメリカに移住したらしい。その割にはとても綺麗な英語を話す人だった。どうも話を聞く限りでは、このおばあさんはとっても敬虔なクリスチャンらしく、機内の中でも聖書を読んでいて、見ず知らずの私とYちゃんに、「あなた達はクリスチャンか?」と聞いてきた。2人とも「違う」と答えると、このおばあさん、ここぞとばかりに布教活動をはじめた。私は普段、色々な人の違った意見を聞くのは大好きだ。いつもだったらその人の「宗教観」みたいな話は興味がある。でも今回は少し違った。彼女の話があまりにも極端すぎて、少しすると、私はだんだん彼女の話を聞くのが億劫になってきた。彼女の話を要約すると・・・*世界中の人間が平和に暮らす唯一の道は、イエス・キリストを信じることだけだ。(イエス・キリストを信じない者たちは平和にはなり得ないというニュアンスが強く含まれていた)*世界中のキリスト教以外の全ての宗教は人間が作り出したものだ。でもキリスト教だけは神が作り出したものだ。(イエス・キリスト以外の神は神では無いということも言ってたと思う。)といった感じだった。その他にも色々言ってたと思うけど、あまり覚えていない。彼女は「自分の信じてること」が「世界中全ての人が信じるべきこと」だと強く思っているようだった。彼女の話には「柔軟性」やら「寛容」やらという言葉は見られなかった。別に彼女が何をどう信じようと私には関係ないが、彼女の「だからあなたたちもイエス・キリストを信じるべきなのだ!!」という、強い主張にちょっと不快感を覚えてしまった。「イエス・キリストを信じるべきなのだ」という内容が書かれた文章を渡され、半強制的に読まされたのも、なんだか嫌だった。余談だが、私の通った大学はキリスト教系で、キリスト教学は必須科目だったし、母親はクリスチャンなので、キリスト教の教えに全く無知なわけではない。Yちゃんもキリスト教系の学校を出ているので、その教えについては私なんかよりよっぽど詳しい。だから、キリスト教に理解を示していないというわけでは決して無い。この人が若者だったなら、絶対私の疑問に思う点をぶちまけていたと思うけど、なにしろ相手はおばあちゃんだったので、私もYちゃんも何も言わず、黙って聞いていた。そして極めつけ。このおばあさんはどうやらニューオリーンズ在住者らしく、その頃まだ記憶に新しかった、ハリケーン・カトリーナの事を話始めた。おばあさん:「カトリーナが来る2日前、ニューオリーンズで何があったと思う?」私たち:「さあ?」おばあさん:「なんとゲイパレードがあったのよ!だから神が怒ってカトリーナを呼び起こしたのよ!!」(注:敬虔なクリスチャンたちは、同姓愛は神の教えに背くといって認めていない)・・・・・。私とYちゃん、失笑。「私の住んでるバンクーバーでは毎年ゲイパレードはあってるど・・・。」という、私のつぶやきは聞こえてなかったらしく、同性愛者たちがパレードをしたせいで、あのニューオリーンズが壊滅的な状況になったと、彼女は本気で信じているようだった。その後(Yちゃんの質問もあって)、そのおばあさんは中国の文化大革命時代の話を少ししてくれた。キリスト教信者というだけで、強制労働に何十年も入れられ、かなり辛い人生を送ってきた人のようだった。そいういう辛い思いをしてきたからこそ、彼女のキリスト教に対する思いは強まっていったのかもしれない。今では「宗教の自由」があるアメリカに住めて、とても幸せだと言っていた。私たちが普段当たり前だと思っている「宗教の自由」というものを、晩年にして手にいれた彼女。飛行機の中だろうが誰だろうが自由に布教できるというのを、実は楽しんでいたのかもしれない。10数時間後、飛行機を降りていく彼女が最後に私たちにくれた言葉も「いい?覚えておいて。イエス・キリストだけなのよ。イエス・キリストを信じるしかないのよ。」だった。
2005.10.25
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今日3週間ぶりに無事にバンクーバーに戻ってきました。飛行機はまた福岡→台北→香港→バンクーバーで、しかも今回は1人だったから余計長く感じたなぁ。福岡を発つ時はYちゃんが一緒に空港まで来てくれた。でも、Yちゃんに別れを告げ、1人になった瞬間すごく淋しくなった。また家族や親しい友だちと離れて暮らす生活に戻る。「今から家(バンクーバー)に帰る」のに「今から家(福岡)を離れる」という、何とも複雑な気持ちだった。今回日本に帰って、ものすごく日本でまた生活がしたくなった。親しい友だちや、家族のそばで生活できたらどんなにいいだろう・・・と何度も思った。でも現実問題として、私のダンナが日本でどんな仕事ができるのかも分からないし、私自身、今カナダで稼いでるのと同じだけの給料を、日本で稼げるとは思えない。やっぱりずっとカナダで暮らしていくのかな、と思うと、なんだかすごく淋しくなる。今日は日本から帰ってきたばかりで、少し落ち込んでるのかも。ダンナに久しぶりに会ったのはすごく嬉しかったけど、でも今は嬉しい気持ちよりも淋しい気持ちの方が大きいかな。今晩はダンナは用があって出かけていったので、家に1人でいるとなんだか淋しさも倍増。なので友だちに電話をかけまくった。今日電話した友だちの1人で、日系カナダ人のリナ(両親が日本から移民してきた)曰く、彼女のお母さんも、日本に帰省してカナダに戻ってくるたびに淋しがって落ち込むらしい。こういう気持ちって、海外に移住している人には共通の気持ちなのかな。(よっぽど日本が嫌いで海外に行った人以外は。)もっと頻繁に帰れれば、そんなに淋しくないのかもしれないけど。今回、私の為に時間を作ってくれてドライブしたり、飲み会したり、泊めてくれたり、お茶したり、家に寄ったりしてくれたみなさん、本当にどうもありがとう。会えてすごく嬉しかったです。それから、居候の身でありながら部屋を散らかし放題だった私に、すごく良くしてくれたYちゃん、本当にどうもありがとう。もっと一緒にいたかった気もするけど・・・またカナダで会いましょう。香港楽しかったよ。
2005.10.24
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バンクーバーを出てから早一週間!これはバンクーバーから香港に向かう飛行機に乗り込んだときの話。Yちゃんと一緒に飛行機に乗り込み、自分の席を見つけた私たち。私が席に座ろうとしたら、一足先に座ったYちゃんが何やらゴソゴソしている」。Yちゃん「これはshimaちゃんのだよね・・・。」私「どうしたの?」Yちゃん「いや・・・私のシートベルトがないんだけどさ。」ぷぷっ。そんなはずないじゃん。と、私も一緒に探してみる。2人でゴソゴソやってみるけど、本当にYちゃんの席のシートベルトがない。いや、正確に言うと、左側はあるのだけど、右半分がない。シートベルトは皆さん知ってのとおり、左と右からベルトが出てて、真ん中でカチッとする。でもその右のベルトがないのだ。これはやばいんじゃないの?と思い、客室乗務員のお兄さんにそのことを伝えた。でもどうやら、私たちのフライトはすでに20分くらい遅れていたせいか、乗務員たちは本当にバタバタしていて、私たちは今乗り込んで座ったばかりだったのに、もう上の荷物だなを閉めたりして、出発の準備が慌しくされていた。客室乗務員のお兄さんは私たちがシートベルトの事を伝えると「分かった。すぐに戻ってくるから」と言い残し、どこかへ行ってしまった。飛行機は満席で、周りを見ても空いてる席なんてなさそう。まあ、どうにかしてくれるだろうと思って、お兄さんが帰ってくるのを待った。ところが!それから2~3分もしないうちに飛行機はなんともう滑走路に向けて動きだしたのだ。もちろんYちゃんのシートベルトは片方無いまま。シートベルトなしで離陸するなんてありえない!さっきの客室乗務員のお兄さんは、非常時のデモンストレーションのビデオに合わせて非常口を指差したりするのに忙しそう。まさか私たちのこと忘れてないよね・・・。と不安になる私たち。「シートベルト無しで離陸なんかしたら訴えてやる~」と言いつつ、客室乗務員のデモンストレーションが終わった後に、もう一度お兄さんを呼んでみた。飛行機は滑走路に向けてどんどん進んでいたので、他の客室乗務員もそろそろ席に座った頃だったと思うけど、そのお兄さんはその場でYちゃんと通路側の人を立たせ、Yちゃんの座ってた椅子のシートをはがし、右半分を取り付ける作業を始めた。時間が無い事もあってか、そのお兄さんの動きは早かった!飛行機が滑走路に入る前にシートベルトの半分を取り付けてくれ、椅子のシートを元に戻し、Yちゃんは無事に席に座ってシートベルトを着用することができた。シートベルトがきちんと取り付けられるまでは飛行機がすでに動いていた事もあってかなりハラハラしてたんだけど、実際にちゃんとシートベルトをして席に座ったら、なんだか可笑しくなってきた。「飛行機に乗ったらシートベルトが無かったなんて、どれくらいの確率で起きるんだろうね」なんて言いつつ、私たちの旅は始まったのでした。このバンクーバー→香港間の飛行機の中で、他にも可笑しいことがあったので、それはまたこの次の日記で。
2005.10.10
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夜中3時20分にバンクーバー空港を飛び立つ飛行機に乗る私たち。今12時50分。あと10分で空港へ向かう予定。っていうか、夜中の飛行機って、待つ時間が長すぎる・・・。ねむいよ~。ところで、さっき、夜中にバンクーバーを経つ飛行機がどれくらいあるのか調べてみた。(かなり暇でしょ?)夜中の12時から朝6時の間にバンクーバーから飛び立つ飛行機はなんと2便だけ!夜中の1時50分に台湾に向けて飛び立つ便と、3時20分に飛び立つ私たちの乗る香港行きの2便だけなのだ。ってことは、このたった2便だけの為に空港を夜中開けておくの??なんだかとっても非合理的だね。でも2時すぎになると、空港は私たちの乗る便の乗客だけの貸切状態になるのか・・・。そんなにガラガラな空港を見るチャンスもあまりないかも。あ、そろそろ空港へ向かう時間だ。それじゃ、いってきま~す。
2005.10.03
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現在10月2日の夜10時。いよいよ出発の時間が迫ってきました~。私たちの飛行機は夜中の3時にバンクーバーを出発する便なので、(何故そんな時間に・・・と思ってしまうけど)あと5時間後には飛行機の中かな?バンクーバーから香港へ飛び、香港で3泊した後、10月7日の夜に福岡到着予定です。ダンナ無しで1人で帰国するのは約6年ぶりくらいかな~。今は「日本に帰れて嬉しい」という気持ちよりも、ダンナを置いていく寂しさの方が大きいかも。「一旦飛行機に乗ってしまえば、またエキサイティングするよ。」ってダンナは言ってくれてるけど。日本滞在中はどれくらい日記更新できるか分からないけど、でも出来る限り更新したいと思います。なので、みなさん見捨てないでね♪
2005.10.02
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Yちゃんが、カナダでのJのお葬式&その他もろもろを終え、日本帰国の為に土曜日の午前にバンクーバー入りした。私たちの飛行機は、日曜日の夜(正確には月曜日の夜中)に経つ予定。その前に、少し時間があるので、バンクーバーから北へ2時間ほどのウィスラーへ1泊2日で行く事にした。今回のメンバーは私、ダンナ、Yちゃん、そしてダンナの友だちでJの義理の親戚にもあたるRの4人。ウィスラーに4人とも知ってる、共通の友だちがいるので、その人の所に泊めてもらうことにしていた。このウィスラーの友だち(以下JM)は、亡くなったJの友だちでもある。予定時間の4時にウィスラーに到着。到着する少し前にJMに電話してみるものの、電話が通じない。おかしいな~なんて思いながら、待ち合わせ予定のテニスクラブへ。このテニスクラブの屋内コートを、JMが4時~6時の間予約してくれてたので、まあテニスコートに現れるだろうと思っていた。結局JMはきちんとテニスコートは予約してくれてたものの、その場には現れなかった。仕方ないので、JM抜きでテニス。その後、テニスクラブ内のレストランで飲みながらJMを待つものの現れず。携帯に何度電話してもつながらず。しかもJMはちょうど引っ越したばかりだったので、家の電話はまだつながってなかった。大丈夫かな~と心配になってきた。JMの新しい引越し先に行ってみるものの、誰も居ない様子で、JMがよく出没するという飲み屋に行ってみるものの、今日は来てないとのこと。結局10時過ぎまでウィスラー内でJMの行きそうな所をあたってみるものの、彼を見つけることはできなかった。待ち合わせ時間から、もう6時間も経っている。何かあったんじゃ・・・・となんだかとっても心配になってきた私たち。とにかく遅くなってきたし、JMが見つからなかったら泊まる所がないので、私たちはホテルを探す事に。結局私たちが泊まる事になったのは、4人部屋のドミトリーがある宿だった。ドミトリーに泊まるなんて、5年前くらいにバックパックで旅行したとき以来。4人一緒の部屋に泊まれたし、ドミトリーの2段ベッドに寝るなんて久しぶりで、それはそれですごく楽しかった。でもJMのことが心配な私たち。いったいどうしちゃったんだろう・・・。次の日、また昼間にJMの携帯に電話してみるけど、やっぱりつながらない。とりあえず、ウィスラーでの用事を済ませ、私たちはバンクーバーに戻ってきた。夕方になってもまだJMとは連絡とれない。JMまさか死んでないよね・・・・なんて、頭をかすめ始めた頃、電話が鳴った。JMだった。ウィスラーでの待ち合わせ時間から、26時間くらい経っていたと思う。とりあえず、彼が生きていたのでホッとした私たち。私たちとの約束をすっぽかして、私たちをウィスラーの路頭に迷わせるなんて、どういうこと!?と事情を聞くと・・・・<JMの言い訳>金曜の夜のアイスホッケーの練習の後、携帯をホッケー場のロッカーに忘れてきてしまい、次の日取りに行くものの、その日はホッケー場が閉まってて取りに行く事ができず、結局今まで電話が手元になかった。<JMの主張>私たちがウィスラーに来る前に、もう一度確認の電話を入れる予定になっていたのに、電話がなかったから、もう来ないものだと思っていた。・・・・って、おいっ!?私たちは電話したぞっ!でも電話通じなかったんだもん。しかも最後に話したのはたった2日前。っていうか、2日前に私たち行くっていったじゃん。しかも、しっかりテニスコートの予約はしてくれてたってことは、私たちが来る事分かってたんじゃ・・・?と、疑問が残るものの、とにかく彼が無事に生きてたということで、ヨシとすることにした。いい歳して、友達に心配かけるなよ、と思ったけどね。みなさん、携帯が無くとも、家の電話が無くとも、世の中には公衆電話というものがあることを覚えておきましょうね☆
2005.10.01
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