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ここの所、下の 目次
に 「ルチャ・リブロ」キューレーター
と紹介している 青木真兵
という人と、彼のパートナーである 青木海青子
という方の著書にはまっています。
「なに?撤退って?」まあ、そういう興味で、こっちの本を読みました。
こんな書き出しです。撤退とは、下野することと見つけたり。もともと、人間の社会は二つの原理によって成り立っていました。社会の内と外、此岸と彼岸、文明と自然、常識と非常識などなど、でも現代社会を生きるぼくたちは、前者の原理に取り込まれ、身動きが取れなくなっています。すべてを交換可能な商品にしてしまう、資本の原理によって世の中が動いているからです。二つの原理で生きていくためには、この資本による包摂から常に逃げ続ける必要があります。どちらか一つだけに所属するのではなく、二つの原理を行ったり来たりすることで、問題を「なんとなく」暫定的に解決する。これが地に足をつけることであり、ぼくは土着と呼んでいます。(P114)
ここで、彼が言っている 「答え」があるという考え方 は、ボクなんかも取りつかれていた発想ですが、還暦をこえるあたりで、ようやく気づくんです。そもそも、ぼくたちの社会の問題点とは何なのでしょうか。それは現代日本人が信じ込んでしまっている、どこかに標準があるはずだという信仰です。この標準信仰の問題点は、どうやったらこの難局を乗り越えることができるか、という「手段」をまず考えてしまうことです。つまり、標準という「答え」があることを前提に話を進めてしまうことで、なぜこのような事態に陥っているのか、そもそもどういう事態なのかを問い直す機会が与えられないのです。事態がよって立つ前提を疑うことは、前例のない時代において不可欠な態度であるにもかかわらず、です。(P118)
「人生」に答なんてない。 先に紹介した パラダイム という用語を使うなら、平均すると80年余りの人生を 「生きる」 ということの パラダイム変換 を、人は、ある年齢によって迫られるんじゃないでしょうか。
【目次】まえがき 内田樹(1950) (合気道・哲学「ためらい倫理学」角川文庫)1 歴史の分岐点で撤退は知性の証である──撤退学の試み 堀田新五郎(1965) 奈良県立大・法学・「撤退学」主唱者撤退のための二つのシナリオ 内田樹撤退戦としてのコミュニズム 斎藤幸平(1987) 経済学「人新世の「資本論」」集英社新書民主主義からの撤退が不可能だとするならば 白井聡(1977) 政治思想史「永続敗戦論」講談社α文庫撤退戦と敗戦処理 中田考(1960) イスラム学
2 撤退の諸相撤退という考え方──ある感染症屋のノート 岩田健太郎(1971) 医学・神大医学部下野の倫理とエンパワメント 青木真兵(1983) 「ルチャ・リブロ」キューレーター音楽の新しさはドレミの外側にだって広がっている 後藤正文(1976) ミュージシャン文明の時間から撤退し、自然の時間を生きる 想田和弘(1970) 映画監督撤退のマーチ 渡邉格(1971) 鳥取のパン屋さん撤退女子奮闘記 渡邉麻里子(1978) パン屋さん「菌の声を聴け」ミシマ社
3 パラダイム転換へ『桜の園』の国から 平田オリザ(1962) 「劇団青年団」主宰ある理系研究者の経験的撤退論 仲野徹(1957) 生命科学「エピジェネティクス』岩波新書」Withdrawalについて──最も根っこのところからの撤退 三砂ちづる(1958) 疫学「オニババ化する女たち」光文社新書個人の選択肢を増やす「プランB」とは何か 兪炳匡(1967) 医学「日本再生のためのプランB」集英社新書極私的撤退論 平川克美(1960) 喫茶店店主「隣町珈琲」
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