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行く先が決まらぬまま、早朝のファミレスで、カフェオレを飲んでいた。大学二年の冬二月、前夜バイト先であるほねつぎ屋のおっさんに連れて行ってもらった寿司屋で、日本酒を飲みすぎて二度ほどリバースしてしまい、めったに食えない高級な寿司を、ほとんど消化吸収できなかった自分に憤りを感じつつ、やや二日酔い気味の頭で、集合場所のそのファミレスで、いつものカフェオレを飲んでいた。五分遅れでポストマン、十分遅れでサガワが現れた。当初は、当日持ち寄った行き先から選抜し、張り切って今年一発目のツーリングに行こう!いう計画だったが、ダレ気味の三人は、誰一人として行き先など考えておらず、「とりあえず,集まっただけでよしとしよか?」と、なんの脈絡もなく奈良を目指して走り出すことになったんだ。くらがり峠を越えて、奈良に入る。だけど、風はまだまだ冬のそれで、体の冷え切った僕たちは、温かいコーヒーを求めて街中のスーパーに立ち寄った。「どうせやったら、鍋のほうが温まるんやけどなぁー!」ポストマンの視線の先には、コンロにかけるだけでOKという、アルミの鍋付きうどんすきセットが、並んでいた。都合のいいことに、その頃の僕のディーパックには、なぜかしらガスストーブが、常時ほり込まれており、結果黄色のお買い物カゴの中に、うどんすきセットやら、追加するうどん玉やら、ごぼ天やら、椎茸やら、三人分の昼食とコーヒーが、景気よく投入された。今は登山道として使われている、竹之内街道の旧道に入り込み、三人はおもむろに道の真ん中で店を広げた。時折通る登山者に頭を下げつつ、地べたにへたり込んで鍋をつついていた。そうしていると、いつの間にか僕たちの上に粉雪が舞い降りる。アルコールも入らんのに、雪見うどんの宴は三人三様に盛り上がっていったのだった。その日は、奈良と大阪のハザマをのた打ち回るだけの、とてもツーリングと呼べたシロモノではなかったけど、これはこれで結構ありかな?と、二十歳の僕は、粉雪舞い散る空を見上げたあと、ドリップ式のコーヒー、二杯目の出がらしをゴクリと飲み干した。
2005.08.31
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ある日の夕暮れ、マサちゃんアリちゃんコンビは父鬼の山中を彷徨っていた。奴らの友人、当時精肉店に勤めるチャリーが、とっておきの肉を調達してきたので、せっかくだから星空の下でバーベQだ!と、三人組は旅立ったそうだ。マサちゃんとチャーリーは、荷物を詰め込みジムニー号で、アリちゃんだけは翌日仕事が控えており、晩飯だけ食べて帰るために一人単車で自走。以前から徘徊していた父鬼山中の林道をひた走る二台、しだいに日は暮れ、あたりを闇がおおいつくす。川沿いの林道をズンズン進んできたが、どうやら行き止まりまで来てしまった三人は、しばし車を降りて話し合い、手前にあった広場を野宿ポイントと決めて、少しだけ引き返すことにした。ところがそこでアリちゃんが、単車の始動に手間取った。横目で見ていたマサちゃんは、ちょっと奴をビビらしてやろうと思い、早々にジムニーを発進させアリちゃんを一人置いてけぼりにする。何をかくそうアリちゃんは怖がりなのだ。都会の夜に慣れてしまった人には想像できないかもしれないけれど、山の中の夜は、そりゃぁもう圧倒的な存在感で人間を包み込む闇なんだ!一人取り残されたアリちゃんは、その闇の中、必死になってキックペダルを蹴り続けた。ところが暗闇だけでも怖いのに、何かしら自分以外の気配を感じたアリちゃん。ひ汗タラタラ、心臓バクバクで、やっとの思いでエンジンをかけたが、単車のライトに照らし出されたモノを見てさらにアリちゃんは凍りつく。冷静になって見たならば、ウェットスーツを着込み、銛で魚を突いていた夜釣りのおっちゃんが、突然川から現れるの図なのだが、冷静さを欠いていたアリちゃんの目に映ったのは、黒光りした体で、武器を手に持った異形の生命体、地球人を連れ去ると云うカノ宇宙人の姿以外のナニモノでもなっかった。間の悪いことに数日前に見たテレビの特番では、牛の内臓だけを持ち去る宇宙人と、ストーンサークルが取り上げられていたんだ。ら、ら、拉致られるー!な、な、内臓奪われるー!パニクったアリちゃんは、実力をはるかに上回るスピードで暗闇の林道を突っ走った。まんが日本昔ばなしの「三枚のお札」でヤマンバに追っかけられる小僧さんよりも早く走ったさ。程なくジムニーに追いつくと、アリちゃんは半泣きの顔でマサちゃんに抱きついたと言う。「お、お、俺だけほって、い、行くなよなぁー!」アリちゃんはすでに、二三滴ちびっていた。
2005.08.30
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「とにかく、スゴイモノができました!」後輩コンビのマサちゃんアリちゃんが、いつに無く興奮した様子で僕を誘いに来たのは、土曜日の夜。見ると、ポストマンも既に捕まっており、ジェミニの後ろでうなだれている。「とにかく、そりゃぁーもう、えらいことになってます!大変です!」一向に釈然としない説明を受け、何処に連れて行かれるのかと思いきや、到着したのはなんのこと無い毎度おなじみ緑地公園だった。「そういえばこのエリアは、長いこと建設中で幕がかかっていたっけ。」新しくできた遊戯スペースを覗き込んだ僕の目に飛び込んできたのは、なんとも挑戦的にそびえ立つ要塞のようなすべり台だった。なんだ、すべり台ごときで大げさに書きやがって!と、思ったあなた!、あなたは残念ながら本物のすべり台にまだ出会っていない。それは、横幅10mあまり、高さも10mはあるだろうか、傾斜角にいたっては、八方尾根のウサギ平を髣髴させる、もはやそれは、単に「すべり台」という言葉一つで片付けることなどできない神々しさを身にまとって、我々の前に立ち塞がる壁だった。それからの僕たちは、まるで取り付かれたようにすべり台にのめり込んだんだ。トレーニングも兼ねていたが、実に数ヶ月間通い続けた覚えがある。二十歳を超えた大の男が四人、土曜の夜となれば集まって、注意書されている禁止行為、後ろ向き、腕を組んで等の初級編は、早々に卒業し、回転しながら落ちるだとか、頭の方から滑るだとか、いよいよ上級編に突入し、さらに新しい遊びを開発しては興じていた。中でも斜面をプールに見立て、競泳のターンの要領で片方の側面を力いっぱい蹴り、どうにかして対面まで泳ぎきるという競技には、燃えた!普通に滑ったなら、力なく放物線を描いてたどり着くことなく落下してしまうのだ。誰もが新泳法を考案したが、中でもアリちゃんの泳ぎは、特にすばらしかった。時にはアシカのように、時には飛び魚のように、また時には高速の平泳ぎで力いっぱい空を掻き、万有引力に挑戦状をたたきつけていた。夜な夜ないい年こいた僕たちが、すべり台でほたえていると聞きつけたK先輩が心配して、ある夜彼女を連れて、偵察に来たことがあった。せっかくだから一緒に滑りませんか?と勧めたが、さすがに観戦だけにしとくとの答えが帰ってきたので、それなら取って置きをご覧に入れますと、技のデパートアリちゃんが、当時の集大成を披露した。あの頃のアリちゃんの滑りは、既にエンターテーメントの域に達していた。その夜、ベルトのバックルから火花を散らしつつ滑るアリちゃんの姿を見て先輩の彼女は、目に涙をため、おなかを抱えて笑い転げた後に、ポツリと一言呟いた。「あぁー、生きててよかった!」
2005.08.29
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始めての林道ツーリングは、高野山だった。中免を取得し、オフ車は買ったものの、アスファルトの上しか走ったことの無かった丘サーファーのような僕を、単車屋の社長が、毎年ゴールデンウィーク恒例になっているその催しに誘っくれたのだ。早朝、手ごねハンバーグ BigBoyの駐車場に集まったのは、完全武装の男達約十人、その中にあって一人ジーパンに借り物のオフロードブーツを履いたトーシローの僕が居た。 先頭を行くのは、ほねつぎやのおっさん、当時三十代なかば、高野山あたりの林道には、いたって明るい。ダートに突入するやいなや、社長とモトクロ組の先輩達は、公道レースさながらに砂塵巻上げ走り去っていった、残りの人たちも各々のペースで駆けていく。そして僕、取り残された僕、分岐で待ってるからゆっくりおいで!と言われたものの、なにしろ未舗装路初体験。おっかなびっくり進むものの、グリップしない路面、ガードレールの無い崖、思い通りに走ってくれない単車、すべてのことが歯がゆくって悔しくって、数えるのが嫌になるくらいコケて、それでも何とか一つ目の分岐までたどり着いたら、「遅かったなぁ、ほな行こか!」十分に休憩し、タバコも二本は吸い終えた一団は、やおらメットをかぶりエンジンを始動する。丸一日が、そんなペースで進んでいった。夕方には疲れきり、ボロボロになったけれど、それでも僕はこのツーリングで林道の魅力に取り付かれてしまったんだ。午後、護摩壇山のパーキングから入り込んだ先に、尾根づたいに伸びる一本道がひろがっているのが見えた。そこにたどり着いた時僕は、純粋に感動を覚えてしまった。この風景を知らずに、今まで生きていたことを、もったいないとさえ思った。体中から噴き出した汗が、少しずつ乾くのを感じながら、十九の僕は、時間を忘れてその風景を眺めていた。
2005.08.28
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正月二日から、河内長野のコースで単車を走らせていた年もあった。エンデューロに肩まで浸かっていた時代。単車屋さんの社長の一言、「おまえらど~せ、正月言うたかて行くとこ無いやろ! 朝から走って、昼から新年会でもしよか?」もちろん行くとこ無かった僕たちは、渡りに船でワサワサ集まった。走り初めである。初夢でも、書初めでも、事始めでも、姫始めでも、とにかくその年初めてってのはいいもんである。単車浸りな僕たちにとっちゃ初詣みたいなもの、ほどほどに汗をかき、宴会にそなえ午前の部は軽めに終了した。練習を終え、いったん家に帰った僕たちは、鍋をするぞ!と言われていたので、それぞれ正月で物資豊富な各家の冷蔵庫から、目ぼしい食材を持ち寄り、ビール片手に単車屋さんの二階へと集まった。スタートは午後一時だった。さすがに昼から始めたらそこそこの時間に終わるだろうとの当初の甘い考えは予想通り裏切られ、正月で暇をもてあましていた僕たちの深夜に及ぶ耐久12時間を越える宴会の幕が切っておとされたわけだ。十二時間という長さは、飲みすぎてつぶれた人間が、再度復活して2ラウンドめに突入しさらにつぶれる事を可能とする長さである。そこらじゅうで討ち死にしていたはずの人間が、突然ガバッと起き出しては、入れ替わり立ち代り宴会に復帰する。中小企業の慰安旅行さながらに、明日のことを考えないでいい状況に置かれ、参加者全員のタガは外れ、防波堤は決壊した。中でも、伝説の男先輩Hさんは、この宴会の途中でトイレに行った時に、「ションベンしている自分をなぁ、上から見ている自分がおってん!」と、幽体離脱に成功したとを発表し、とうとうHさんはホモサピエンスの壁を突き抜けた!と、酔っ払い達から絶大なる賞賛をうけていた。
2005.08.27
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今年の免許更新で、念願のゴールドを手に入れた僕だが、過去には何枚もの違反キップを頂戴している。たとえばネズミ捕り。それにしてもきゃつらは、何故にあそこまで陰湿に、道路わきで待ち構えているのだろう。十六のイタイケな僕は、原付で車の流れに乗って走っていただけなのにワサワサ出てきた警官達に取り囲まれてしまった。海岸沿いのスカイラインでは、あまりにゆっくり走られている車が居たので、前後左右の安全確認怠り無く、黄色いラインを跨いで追い越したら、白バイの兄ちゃんが、声をかけてきた。金融機関の外回りの時には、ヤマハメイトを得意先の病院の前の歩道に乗り上げただけで呼び止められた。「すいません、すいません、歩道はエンジン切らとあきませんね!」仕事中でもあるし、満面の笑顔で会釈して、無罪放免と思いきや、「解かっててやったんなら、確信犯やな!」有無を言わさず青いキップを切られたコトもあった。結婚前の話、ある日フクロウ課長代理が、今晩彼女借りるぞ!と言ってきた。代理は当時、二日をあけず僕を飲みに連れて行ってくれる先輩で、また付き合い始めた僕らのキューピト的な存在でもあった。その晩は、僚友店とのいたって健全な飲み会があり、女の子を一人同伴が条件になっているらしく、当時の嫁さんに白羽の矢を立て、事前に報告をしてくれたわけだ。煮るなと焼くなとお好きにどうぞと送り出し、自宅に帰った真夜中一時、眠りを破る電話のベルが鳴る。「おぉー! 雷蔵か?俺や!フクロウや!タクシーつかまらんから迎えに来てくれ!三十分だけ待ったる、プランタンの前やぞ!」ご機嫌のフクロウさん、相当酔ってらっしゃる。当時、まだバブルの余韻が残っていたミナミの街は、今じゃ信じられないけど、終電過ぎるとタクシーをつかまえるのは一苦労だった。しかもその日は遅くから雨が降り出したらしく、乗り場は行列ができていたと言う。日ごろ世話になっている先輩の頼みであり、しかも嫁さんまで一緒に居るとなると行くしかない、僕は飛び起きて車を走らせた。ご機嫌の二人を拾い、まずは先輩を送り届けるため阪神高速に乗る。尼崎に近づき降りた一般道は片側四車線の国道43号線、高速の流れのまま70キロ程度で走っていると、オービスの真っ赤なフラッシュが、目の前で不意に焚かれた。信じられないことだが、この広い国道の制限速度は40キロだったんだ!地元では有名らしい。後日警察に呼び出され、赤キップを頂いた時に見せられた写真には、言い逃れできないくらいハッキリと、驚いた顔の僕と酔った二人が映し出されていた。あまりにもよく撮れていたので、免停の記念に一枚頂きたいと言ったけど、事務的に断られてしまった。
2005.08.26
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ある日、夕飯を食べ終わってゴロ寝を決め込んでいると、ポストマンのスプリンターに乗って後輩コンビがやってきた。「雷蔵さん、ちょっと風呂でも行きません?タオルと下着だけ持ってきてくださいよ!」勘のいい僕は、それだけですべてを察知した。というのも、奴らは以前から、うどんを食べに四国に渡ろうだとか、風呂につかりにふらっと下呂温泉なんて計画をしばしば口にしていたんだ。いよいよ来たか、と思い「下呂温泉でも連れて行くつもりやろ!」とカマをかけたら、あっさり「バレましたか!」とアリちゃん。しかしそんなノリがまんざら嫌いでもない僕は、五人目の男サガワ拉致のため加害者側に寝返った。「おーい、サガワ、みんなで風呂行くから、タオルだけ持って車に乗った乗った!」市内にいい健康ランドができたから、着いたら起こしてやる!とサガワを眠らせ、車はすかさず高速に飛び乗る。眠り続けるサガワを横目に、走るよ走る車は走る、小休止したのは真夜中の名古屋城。「サガワ、着いたぞ大阪城や、休憩するぞ!」普通の人なら気がつくけれど、どっこいサガワは大丈夫、重度の方向音痴のうえに根っからの天然である。その昔、夜の堺港から見える神戸の灯を見て、岡山だ!、山口だ!と素っ頓狂なコトを言ったくらい。そして一服した僕達は、再度車に乗り込み、下呂を目指す。夜は更けゆく車は走る、その頃になると、さすがのサガワも何か変だと気付き始め、「ちょっと待て!俺を何処へ連れて行くつもりや!明日は予定が・・・」と騒ぎ出した奴の口を、わかったわかった明日中には、釈放してやると約束して黙らせた。大阪から下呂温泉、チョットした小旅行。ハイテンションの男が五人、夜明けに向かって走っていた。特に、ナチュラルハイを通り越したアリちゃんは、まったく意味など無いけれど、語呂と響きだけが気に入ったフレーズを大声で叫ぶ。「ゲロォー・マイ・キャデェラック!」残りの四人もつられて叫ぶ。「おぉー! ゲロォー・マイ・キャデェラック!」早朝の温泉街で、一般客の入浴時間を待つため、しばしの仮眠を取り、ひとっ風呂浴びたら観光もせずに、とっとと大阪へトンボ返り。徹夜明け独特のケダルサをもろともせず、次は瀬戸大橋を渡るぞ!と二十代の僕達は懲りもせずに雄たけびを上げていた。
2005.08.25
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夏休みが佳境に入ってきた。いつの時代も、読書感想文と工作は、お父ちゃんの担当と決まっているようで、我が家でも、小学校に通う長女が、「どうするの? なに作る?」人ごとのように尋ねてくる。まったくもう!感想文は、できたさ。自慢じゃないが、父ちゃんは、小学校のときから度々クラス代表や学校代表に選ばれた、読書感想文の自称セミプロなんだからさ。高校生の時、家庭教師してた中学生にも感想文の書き方を尋ねられ、丸写しはせぬよう言い渡して書いた下書きを、結局彼が丸写しして提出したため、学校代表に選ばれてしまったってコトもあったくらいだ。工作もまた得意科目なんだ。ノッポさんにもワクワクさんにも引けを取らない。昨年も、力を入れすぎて作った貯金箱が、学校代表に選ばれてしまい、郵便局に展示された後小学校の玄関横のショウケースに場所を移し、いまだに家に戻ってこない。今年はチョット手を抜かなくては! もしくはディフェディングチャンピョンを目指してみるか。だから夏休みは父ちゃんのポイントを上げる絶好のチャンス。宿題なんてまったく苦にはならない。だけどいかんせんお父ちゃんの自由時間、ブログの時間が削られてしまう。それだけが難点。そんな訳で、単車のブログのくせに、只の雑文になってしまった言い訳を長々と書き綴ったところで、本日はどうかお許し頂きたい!
2005.08.24
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「たまには、単車を降りて、歩いて野宿に行きましょう!」と、元山岳部の後輩アリちゃんが言ったので、いつだったかのゴールデンウィーク、僕らは金剛山系の岩湧山に足を踏み入れた。岩湧山は、ルートによっては小学生でも登れるハイキングコースだ。リュックを背負った楽しげな家族連れが歩く中を、北アルプス縦走でもするのか?てなイデタチの、馬鹿でかいアタックザック背負った場違いな四人組は、岩湧山へアタックを開始した。僕らのザックは、いつもの単車にくくり付ける感覚で、多くの用品が押し込まれたため無駄に重く、ズッシリ四人の肩に食い込んでいた。後輩マサちゃんなどは、はたして何処でつかうのか、大振りのナタまでさげている始末。それでもパワフル後輩コンビは、余裕の欽ちゃん走りで駆けて行く、旧友ポストマンは、ややだれ気味で後に続く。昼、頂上付近で弁当を広げ、さらに記念写真をパチリ、そのあたりまでは、まだまだ序の口余裕があった、ところがギッチョンチョン、午後の部に突入したとたん、我等四人のおなじみの迷走が始まる。普通のコースを行っても面白くないですよと、山岳地図とコンパス片手に、マサちゃんアリちゃんコンビが、指差す先は、尾根づたいに遥か向こうまで続く道。「大丈夫、大丈夫、地図と磁石さえあれば、勝ったも同然ですよ!」根拠のない自信に満ち溢れたセリフに後押しされ、尾根づたいの道に踏み入れたが、勝ったも同然だった僕達四人は、おおかたの予想通り道に迷う。街中なら大人の迷子で済むけれど、山の中なら遭難である。僕たちが迷い込んだのはどうやら、関西電力が、鉄塔を整備点検するために使っている関電道と呼ばれる道であることが、しだいに判ってきた。なるほど、遥か向こうに鉄塔が見える。しかし、だからといって事態は好転しない、遥かかなたに続く一本道を、僕らは進むしかないのだ。膝が笑い出し、最初に音をあげたのは、ポストマンだった。「金なら払う! 頼むからタクシー呼んでくれ!」夕方が近づいても、相変わらず僕らは彷徨っていた、無駄に重いザックがただ恨めしかった。初めから野宿は想定していたが、尾根づたいの道には、川はおろか沢も無く、水を補給するタイミングを逸した四人はとにかく歩いていた。日も暮れかかるころ、水の乾いた沢づたいに降りていくと、足元に申し訳程度の水がチョロチョロ流れている場所があり、さすがに疲れていた僕たちは、そこでの野宿を決め、コッヘルで水をすくった。翌朝、今日もあとどれくらい歩くんだろう?と考えていると、隣でポストマンが後輩をいじめている「アリちゃん、タクシーはまだけぇーへんのか!」「無理です、四駆でも不可能です。」キッパリしかし、この迷走の結末には、マンガのような落ちが待っていた。まだまだ山奥深くに居るつもりだった僕らは、覚悟を決めて野営地を後にしたが、沢づたいを五分も歩かないうちに、急に視界が開けたと思ったら、アスファルトのバス道に出た。腰砕けになった僕ら、すかさずポストマンが大声で叫ぶ「頼む、今度こそタクシーつかまえてくれ!」
2005.08.23
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一目惚れと、衝動買いの人生を送ってきた。道具でも単車でも、一目見たとたんに恋に落ちてしまう。まさに、パンチDEデート状態。ウエストバッグにほり込みっぱなしの折りたたみナイフは、東急ハンズでショウケース越しに出会ってしまい、離れられなくなっちまった。嫁さんの用事で出向いた眼鏡屋では、四つ折りにできるレイバンのグラサンと目が合った瞬間に恋が芽生えた。また人は、高価なものほど、衝動買いしてしまうらしく、つまらない衣服だとか靴だとかは、散々迷った挙句にケッキョク買わなかった、てなことが多いのに、家や車や単車を買う時にはあっけないほどアッサリと、ファースト・インスピレーションでもって、ほぼ決まってしまうから不思議。単車屋さんで実物を見たとたんに購入を決意したセローに始まり、雑誌のインプレを読んだだけで発売前に注文したKDX、TLに至っては総合カタログの小さな写真を見ただけで存在を知ったその日に注文してしまった、これってやっぱり恋?だけど、嫁さんに初めて会った日の印象だけは、どうしても思い出せない。
2005.08.22
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21才の秋、高校時代の友人である師匠が、限定解除を受けたいから一緒についてきてくれ!と電話してきた。当時僕は、恥ずかしいことに、限定解除受かるぞ!宣言をしながらも、一度挫折した人間だったので、できることなら光明池の試験センターには近づきたくなかったのだけれど、師匠の交換条件である王将のタダ券の束に釣られて、しぶしぶ一度だけ付き合うことにしたんだ。試験センターでは、相変わらずメガネをかけた小太りの試験官が、「お前らなんか受からしてたまるか!」オーラを発しながら、無表情な顔で僕らをにらみつけていた。相変わらず大半の兄ちゃんたちは、単車に跨ったとたん呼び戻されており、師匠は驚いていたが、どっこいコチラは経験済み、不思議と緊張はしなかった。その日の結果が散々だったので、結局師匠は限定解除を断念し、付き添いで火がついてしまった僕の方が、そこから試験を受け続けて、しばらくして後に念願の限定解除を手に入れることとなった。あの日、初めて後半コースを走り終え、単車を降り、最後に鼻水をポタリと落とした時に起こった周りの喚声は、今でも僕の耳に残っている。少し待つと、係りのおっちゃんが、免許書の裏側に「自動二輪は、限定解除」という判子をポンとおしてくれた。人間の器が小さな僕は、このあとは誰も限定解除受かるな!、小太りの試験官の機嫌よもっと悪くなれ!と思ったりしたもんだ。アメリカさんの圧力で、今では教習所で、大型免許が取れるようになった。僕も少しは大人になって、みんながんばって大型取ってくれと思える心の余裕ができたけど、渋滞の時に平気で歩道を走る大型バイクが増えるのだけは、どうかと思う。奴等を見る度に、破れ奉行じゃないけれど、「てめぇら、たたっ斬ってやる!」と思わず車の中から叫んでしまう、僕なのだ。
2005.08.21
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大人の旅に必要不可欠なものは、旨い酒と、美味しい食べ物である。がぁ、しかし、若い頃から少ないお金で、いかに長く徘徊するかというのが旅の第一条件だった僕達は、そこそこいい年になったにもかかわらず、ツーリングともなれば、朝はインスタントコーヒーにヤマザキのスペシャルサンド、昼は小汚い国道沿いの食堂でラーメンライス、夜は自炊でちょっと贅沢してマトンの焼肉モヤシ入り、黄桃の缶詰付けて豪華版どうよ!ってな食事をしぶとく続けていた。だめだぁー!このままじゃ駄目だ!と、二十代のある日、旧友ポストマンが雄叫びを上げた。俺たちそろそろ旅先で旨いもの食べても、バチの当たらない、いい歳になったんじゃなかろうか?て、言うか、ミナミや翁橋のスナックにはいちょ前にボトルキープしてるし、ヒルトンホテルのロビーで待ち合わせしたことだってある、一回きりだけど・・これってオトナじゃん!、それなのになぜに旅先では貧相極まりない食生活から脱却できないのか!そんなわけで、二人の粗食さよならツーリングが敢行された。単車を走らせた先は飛騨高山、駅近くのビジネスホテルに到着し、夜を待つ。伝統ある高山の街を徘徊し、とある一軒の縄のれんをくぐる、うーん大人の旅。カウンターに腰掛け、女将に冗談の一つも言いながら、お勧めの料理に舌鼓を打ち、自慢のニゴリ酒をゴクリと一口。程よく朴葉の上で焼かれた味噌の香りが、鼻をくすぐり、さらに酒が進む。その日はホンマに気持ちよく酔った。たいした贅沢じゃなかったけど、いつになくオトナな僕達は、ほろ酔いの顔を高山の夜風に吹かれて満足していた。余談になるが、その夜食べた朴葉味噌があまりに美味しくて、大阪に帰ってからも居酒屋や取り寄せで見つけては、たびたび口にするのだけれど、あの日の味を超える朴葉味噌には、いまだお目にかかっていない。
2005.08.20
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冬の四国を走っていた。徳島港に上陸して、剣山スーパー林道へと続く、前哨戦のいくつかの林道を、家財道具を満載させた単車が三台、意気揚揚と走っていた。舗装路では、しんがりを勤めていた僕は、ダートに突入したとたん先頭を譲ってもらい、いい気になってとばしていた。しかし暫らくして、突然のアクシデントに見舞われる、そうまさに突然・・・山陰になっていたコーナーを曲がるために倒しこんだ僕のセローは、全くグリップしない路面の上を、面白いように滑べって行き、崖側のガードレールにぶち当たった。路面が、凍結していたのだ。スケートリンクのカーブを、運動靴でもって曲がろうとしてる自分を想像していただきたい、その時の恐ろしさが少しは解かっていただけると思う。右ひざを強打し、愛車に押しつぶされた僕は、凍結した路面の上で、ひしゃげたカエルのような格好で、しばらくの間ウンウン唸っていた。それ以降は、さすがに三人ペースダウンしたが、それでもまだまだ能天気さは衰えず、徐々に現れる路肩の雪を見ては、はしゃいでいた。スーパー林道に来る際のご用達、玄関口である神山町の町役場前の食堂兼雑貨屋で、いつものように玉丼と肉入りラーメンを胃袋に流し込み、水の補給も済ませていよいよ突入。ゲートには、通行禁止の文字が見えたが、ヤメロと言われたら、尚更やらずにいられない僕たち。周りの景色は、しだいに冬へと変わっていく。最初の頃こそは、雪をバックにポーズなど決めていたが、時にはタイヤの半分が埋まる、本格的な雪道走行が続きだすと、さすがにカメラさえ取り出す余裕が無くなり、残念なことに、一番思い出深い場面の写真を今は見ることができない。そして、三時を回った頃、必死のパッチで雪の進軍を続ける僕らの前に立ち塞がった最大の敵は、林道を分断する二つのがけ崩れだった。日のあるウチにふもとへ引き返すにも時間が足りず、何より慣れぬ雪道で僕らは体力を使い過ぎていたんだ。三者会談は、開かれ、林道脇での野宿が、決行されることとなった。日が落ちると、一気に温度の下がる剣山中で、焚き火もそこそこに早々にテントにもぐり込んだ能天気三人組は、三人三様に、不安な一夜を過ごした。だけど、いつものように、朝はやって来る。朝は、気持ちをリセットさせてくれるから不思議だ。昨日の進軍を逆戻りし、僕らは一路高松を目指す、当初の予定を変更して、知人宅へ単車を走らせたのだ。一気に軟弱路線に変更しやがって!根性なしめ!と、誰かが笑う声が聞こえてきそうだったけど、さすがに気持ちが折れていたし、何より昨日痛めた僕の右ひざが、パンパンに腫れていた。高松で接骨院を営むNさんと奥さんのピースサイインに迎えられ、風呂で凍えた体を解凍し、夜は夜で本場讃岐うどんの海におぼれ、僕等のやや無謀であった冬の林道ツーリングは、幕を閉じた。
2005.08.19
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酒を飲みに行くとする。女性の方はそんな時たいてい、せっかくだから美味しいモノを食べようと、そう言えば雑誌に載っていたアノ店、なんて言ったっけ一口餃子が評判の・・それともトモコ(誰かは知らない)が言ってたエチオピア料理にしようかしら、てなぐあいに、あれこれ悩んだりするらしい。しかし男は悩まない、「焼き鳥なみちゃん、七時でいいか?」これだけでおしまい、簡単なもんである。馴染みの店というのに、あこがれていた。キャビン・ライアルの有名冒険小説の題名を店名に頂いているその居酒屋は、十五年モノのエアクリをとっぱらったSRに乗っているひとつ年上のマスターが、六時頃になると店を開ける。カウンターメインのその店は、何を頼んでもハズレがなく、十時を過ぎると少し灯りを落として、いよいよ男のカクレガ的なたたずまいとなる。実際僕は、この店と、あと美味しい焼き鳥屋が一軒あれば、それで十分ことが足りるんだ。だって、面倒な新規開拓なんて、やりたくないから。ところで最近は、可愛いおねえちゃんを見ても同じようなことがいえる。お近づきになって仲良くなろうとか、一緒に飲みに言って、スキあらばどないかしてやろうとか、年甲斐もなく王様ゲームをやって若返ろうだとか、その手のことを考えなくなった。新規開拓は疲れるのだ。だから、若いおねえちゃんに傾けるエネルギーがあるなら、嫁さんに挑みかかるようにしている。べつに恐妻家じゃないんだけど。だけど、人から、今一番欲しい物は何かと聞かれたら、決まって「トキメキ!」と、答えてしまう僕。 これって矛盾してますか?
2005.08.18
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後輩マサちゃんと、初めて野宿ツーリングに出かけたのは、三月の剣山だった。フェリー乗り場にたどり着くまでに、暴走族との接近遭遇を果し(7月7日の日記参照)、波乱を予感させた旅は、なかなかどうして、一筋縄ではいかなかった。そもそも僕たちは、冬の剣山をなめていたんだ。三月になりゃぁぼちぼち林道も走れるだろうと。しかし、後で知ったことだが、剣山のどこやらにあるスキー場では、その時まだタートル着込んだスキーヤーが、楽しげにシュプールを描いていたという。僕と旧友ポストマン、それにマサちゃんの能天気三人組は、酒を飲むたびに語り草となる過酷なツーリングに突入する訳だが、その中にあって、唯一救いだったのは、当時トヨタの整備士を経て単車屋さんで助手をしていたマサちゃんの一言、「まかせて下さい、単車バラせるだけの工具は持ってきました! 崖崩れでも何でも、バラして乗り越えましょう!」僕とポストマンは、百万の味方を手に入れた気がした。
2005.08.17
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今では、某運送会社に勤め、事故や交通違反を起こすと、即刻丸刈りにされてしまうため、模範的な法令順守、安全運転一直線男になってしまったサガワだが、過去には、歴史的な交通標語を残している。ある日、奴の車に乗っていた。クマのステッカーが全面に貼られたライトエースのワゴン。バンではないのに、後部座席をすべて折りたたんで、奴は単車のトランポとしてそれを使っていた。何処へ向かう途中だったのかは憶えていない。何かしら重要な用件が、僕等を待っていたのは確かだ。だけど約束の時間はもう既に回っており、とにかく僕らは先を急いでいたのだ。いけない事とは知りながら、黄色に変わりかけの信号を、何度か強引に通過した時、サガワ操るライトエースの目前に、今度はどう考えてもタイミングアウトの信号機が立ちふさがった。交差点に入る遥か前方でもう既に、黄色の点滅を始めた信号機。さすがに今度は止まるだろうと思った僕の考えを尻目に、サガワは突然かの標語を大声で叫びながら、さらにアクセルを踏み込み、交差点に突入していった。「青は進め! 黄色は注意! 赤は・・勝負!」
2005.08.16
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一人で移動する時は、必ず単車に乗っている。好きな音楽を聴きながら、クーラーのかかった車で快適に移動するのも、決して嫌いではない、いやむしろ、文明人ならそうあるべきだと思う。だけど、小雨程度なら、躊躇なく単車のキーを握り締めて玄関を出る。単車に乗ったことの無いヒトは、よくこう言って懐に入り込もうとする。「兄ちゃん、オートバイ乗ったら気持ちいいやろ!風を切って走ったら、スカッとするやろ!」ばか者め!と言いたい、夏は車から発せられる熱気をまともに浴び、冬は指先を凍らし鼻水をたらし、解ったような口を利く奴は、排気ガスだらけの臨海線でもいっぺん後ろにくくりつけて走ったろか!と思う。単車乗りに対しても、言いたいことはある。春になったら思い出したようにワサワサ出てきやがって、冬の間は何処で冬眠していたのだ!君達は山ねずみロッキーチャックか!このにわかライダーめ!凍結した道を、スパイク打ってまで走れとは言わないが、ファションで単車に乗る奴なんてだいっ嫌いだ!雨にぬれ、汗でぼとぼとになり、鼻水をたらした先にある心地よさを求めて、嫁に自虐的だと言われながらも、今日も僕は単車に跨る。
2005.08.15
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この世には、「アメオトコ」ってのが存在する。狼男やねずみ男は、どうだか知らないけど、アメオトコだけは、間違いなく存在する。単車に乗り出して、遠出をするようになり、振り返ってみると、不思議と雨に降られていることが多かった。雨の多い日本に住んでいるのだから、頻繁に出かけていると、そりゃぁ降られることもある。しかしだ! それにしても僕達は、あまりにも雨空に好かれ過ぎているのではないだろうかと、ある時誰かが言い出した。そして皆で、今迄のツーリングなどの顔ぶれ、組み合わせを、洗い出した結果、あくまでも確立の問題ではあるのだが、限りなくクロに近い容疑者が約一名、捜査線上に浮かび上がった。奴の名は、サガワ(仮名)、究極のアメオトコ。その後も検証を行っているが、やはり奴は、度々雨空を引き連れて僕らの催しに参加し続けている。調子が良ければ台風を連れてくるし、本調子じゃなくても、にわか雨程度なら苦もなく降らすことができる。最近では、仕事場の慰安旅行で沖縄へ行った時、台風銀座の沖縄でもそうそう無い規模の大型台風を呼び込んでしまい、遊ぶこともできず、そのうえ飛行機が運航しているので予定日に帰ることもできず、実費で足止めくらっていたと言う。仲間でいった夏のキャンプも、ひどかった。後発だった奴が来たとたんに雲行きが怪しくなり、夜半には大雨のおかげで、昼間水遊びしていた清流が、怒涛渦巻く濁流となって襲いかかり、川に冷やしていたスイカとビールは、砕け散った。サイレンの音で、慌てて僕等、川原のテントを撤収して堤防の上に避難したので、何とか事なきを得たが。決定的だったのが、チーム大半で練習をしていた時。レースを翌週に控えて、その日はなかなか気合の入った走りこみを皆が行っていた。天気は良かった、とてもウララカな春の日だったと思う。お昼前、一服して先輩達と語らっていると、見上げた空、北の空に不穏なねずみ色の雲が一つ見えた。先輩が、恐る恐る僕に尋ねる。「今日は、サガワは練習来るの?」「奴は運送屋なんで、たぶん今日は、仕事でしょう、あえて連絡はしてないんですけど。」僕が答える。しかしねずみ色の雲は、更に成長し、しかも不思議なことには、一直線にこの河内長野のコースを目指しているように思えた。そこで誰もが、「まさか?、いやいや、いかに奴といえども、こんなタイミングでやって来ることなど・・ いや、でもまさか?」頭の中に?マークを飛ばしているマサにその時、品の無いフャクトリーベアーのステッカーが貼られたヘルメットをかぶって、DT操る奴が、能天気に入り口の坂道を上がってくるのが見えた。愕然と天を仰ぐ僕達の顔に、奴の登場を待っていたかのように降り始めた雨が、無情に打ちつける。
2005.08.14
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単車乗りには、大きく分けると二つのタイプがある。一方が、理詰めで走るタイプ、もう一方が、感性で走るタイプだ。前者のライダーは、まずマシンのセッティングを行う。キャブを調整し、サスを調節し、スプロケの歯を落としてみたり、タイヤを履き替えてみたり、そのたびコースを走り、データーを取り、自分にぴったりのマシンを少しづつ仕上げていく。その上でコースを走り込み、ポイントポイントでのミッションまで頭にインプットしていく。 たいしたもんである。かたや後者のライダーは、あまり物事を深く考えない。とりあえず単車に跨り、ダァーっと行って、コンコンコンて落として、バタッとたおしこんで、グッと食いついたら、ガバッとアクセル開けて・・・やたら擬音が多い。単車も人並みにいじるけど、どちらかと言うと体の方を単車に合わせてしまい、コースも何もかも、結局のところ体におぼえさせる。つまりコレ、自分のことです。二つ年上のモトクロス組の先輩二人組みは、とてもいいコンビだった。まさに理詰めで走るタイプのMさん、感性の男Hさん、いつも二人は仲良く連れ立って、生駒やタイチにYZを積んだ軽トラを走らせていた。単車の腕前は、チーム内でMさんが、群を抜いていた。その日はいつになく単車に乗れていたMさんは、普段は二連しか跳ばないジャンプを、今日はなんだか三連まで跳べるような気がしていた。だけど、理詰めのMさんは決して急いで試したりはしない。まずHさんに近づき、メット越しにに耳打ちする。「H、おまえ今日乗れてるでぇー、今日のおまえやったら三連跳べるって、跳んでみぃ!」石橋を叩いたうえに誰かを先に渡らせるMさん。一方、感性の男は、その気にさせると木に登る。いけるでぇーと言われたHさん操るYZは、おおかたの予想を裏切り、みごと三連ジャンプをクリアーしたのだ。そして、それを確認したMさんは、うんうんと頷いた後に、いよいよYZのアクセルを開けて、三連ジャンプに向かうのだった。
2005.08.13
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後輩アリちゃんの話をしよう。単車屋さんつながりの、後輩アリちゃんは、イイ男である。先輩思いのナイス・ガイだし、東南アジア系のハンサム・ボーイである、いずれも死語だけど・・・そしてなかなかに、ドラマティックな人生を送ってきた。ある日彼は、愛車SRのリアシートに彼女を乗せて、堺港にやってきた。堺港はテトラポットとフナムシだけの海だったけれども、ねっちょりとした潮風を求めて、恋人達はよくその堤防にやってきた。アリちゃんもまた彼女と堤防に腰かけ語らっていたが、向こうから、絵にかいたようなチンピラがやってきて、二人に難癖をつけた。当時『北斗の拳』を愛読していたアリちゃんは、ココでいいとこ見せようと立ち上がったが、たった一発のチンピラパンチで、ドドメ色の海に落とされた。異臭を放ちながら、なんとか這い上がってくると、そこには彼女もチンピラもすでに消えうせ、SRだけが忠犬ハチ公のようにたたずんでいたという。またある日は、親友マサちゃんと二人深夜の緑地公園、スクーターの中坊に囲まれた。敵は六人、それでも当時『修羅の門』を愛読していた二人は、おぼえたての無空波などを使ってなんとか六人までは、叩きのめした。しかしその直後、呼び出しをうけて、わさわさ集まってきた助っ人軍団にフクロにされて、形が変わるほどに顔を腫らした。翌朝、僕が見たのはマサちゃんの方だが、マンガ以外であそこまで顔をボコボコにされた人間を見たことが無かった僕は、不謹慎にも感動すらおぼえてしまった。アリちゃんは、かつて、豆腐屋に勤めていたことがあった。豆腐屋は、過酷な労働条件で、同期入社の奴らは長続きしなかった。社員がどんどん辞めるなかで、最初配達要員だったアリちゃんは、気が付けば厚揚げまで揚げていて、五時間あった睡眠時間は、いつしか二時間程になっていた。睡眠不足のアリちゃん操る配達用の豆腐4号車は、ひんぱんに小さな事故を起こしたけれど、車なんてへこんでもいいから、どうか辞めないでくれと、社長はけっして怒りはしなかった。 アリちゃん無しでは、仕事は回らなくなっていたのだ。ある早朝、二時間程の仮眠をとり、ありちゃんは愛車ジェミニで職場に向かっていた。しかしアリちゃんの疲労はピークに達していた。急に跳び出した子犬をよけるために切ったハンドルで、アリちゃん操るいすゞジェミニは、当時流れていたテレビCMさながらに、片輪走行ののち横向きになり、道路沿いのお宅の門柱と門柱の間をきれいにクリアーして玄関につこんだ。さすが、『街の遊撃手 いすゞジェミニ』!横向きで停まったジェミニのドアを、潜水艦のハッチのように開けてアリちゃんは脱出した。そして立ち尽くすアリちゃんの足元では、先ほどの子犬が目に涙をためながら、すまなそうに摺り寄っていたという。
2005.08.12
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ハンドルを握ると人格が変わる人って、たまにいらっしゃる。抜かれたら抜きかえさなくっちゃいられない人ってのもよくいらっしゃる。僕の場合、車のハンドルを握っているぶんには、なんの問題もない。だって、車は只の移動手段だもの。雨風しのげて家族と荷物を運ぶだけのもの、そういう認識。ところが、単車のアクセルを握ってしまうと少し違ってくる。と言っても、きゅうに目が三角になったり、鼻息が荒くなるわけではない。普段は車の流れに乗って、よっぽど急ぐことがなければすり抜けもせず、追い越しもせず、単車乗りの地位向上を願って、いたってオトナシク走っている。ところがだ! 車に乗っている人間は、どうも単車を同格には見ていないようで、車の流れに乗って走っていると、反対に邪魔者扱いするきらいがある。先日なども、後ろを走っていた軽自動車の若いねーちゃんが、あろうことか意味の無い追い越し幅寄せをしかけて、なかば無理やり僕の前に割り込んできた。きゃつめは、単車をなんだと思っているのか! いかに仏の雷蔵さんも、さすがにキレて、アップライトでケツにぴったり付け、二十分ほど追い回したあげくに、抜き返してやった。本音を言うと、単車でも車でも、僕を追い抜くのはかまわない、別に抜かれることが嫌いなわけじゃないんだ。ただ、抜いた以上は、とっとと走り去って、僕の視界から消えてくれ!と言いたい。抜いたくせに、目の前でチンタラ走られるのだけは、好きじゃないんだ。頼むからキビキビ走ってくれ!それができなきゃ、単車なんか乗るな!と言いたい、ハァハァ。スキがあったらかかって来い!勝負してやる!コンニャロメ、こちとら単車だけは、腕に覚えがあるんだ!、ハァハァハァ・・・アクセルを握ったからといって、熱くなるのは考えものです。
2005.08.11
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今は昔、流星群が、やって来るという。いつも行きなれた緑地公園の双子山ではなく、今回は少し山の方へでも行ってみようとか!と僕らは、生石高原を目指すことにした。いつものようにゴロ寝して、朝を迎えてもよかったのだが、準備に向かったホームセンターで、ドームテント3980円也を発見し、意気揚々と買い込んだ。アウトドアーブームがやってくる遥か前、そいつはホームセンターの片隅で、僕達を待っていたのだ。それまで僕の認識の中でのテントは、いわゆる三角テントで、ペグを打ち、ポールを立て、苦心惨憺して出来上がるやっかいなものだた。それがなんという!!ドームだという、広げてポールを十字に通すだけだでいいという、しかもお手ごろ価格だという。まさに革命的な商品だった。日本の夜明けが黒船の来襲なら、野宿の夜明けはドームテントといっても過言ではない!そんなわけで、僕達買い込んだテントと寝袋かついで、いざ旅立った。だけど僕達はしょせん野宿ど素人軍団で、その時はまだ、大きな過ちを犯していることに誰もが気づかずにいた。参加者は四人、うち重量級二人、買ったテントは四人用。四人なら四人用でちょうどやな!っと何の疑いもなく購入したのだ。焼肉屋に四人で行って、ハラミ四人前だけで済むはずも無いことくらいは知っているのに、テントは四人用で十分だと思っていた浅はかさよ。満員電車のようなテント内は、翌朝地獄絵図のような様相をていしていた。やや傾いた地面に立ててしまった上に、一番低い方をくじ引いてしまった僕は、ずり下がってくる三人に押され、朝霜で濡れたテントに顔面を押し付けられて、危なく窒息させられるところだった。もっとも真ん中で寝ていたポストマンも、一晩中動きの取れない体勢で、整地しそこねた木の根っこから急所を攻撃され続け、アウッアウッ!と言いながら、のた打ち回っていたという。それでもその後、ダンロップの山岳三季用を買うまでは、かの共同出資のドームテントはよく活躍してくれた。十分元は取らしてもらった。ただ、初回以降は、定員は三名までと皆が固く誓いあい、間違えても大の男四人が一度に寝ることは決してなかった。
2005.08.10
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なにか一つ楽器が弾けたらと、常々思っていた。ブルースハーモニカなんて素敵だ、アコースティックにギターを爪弾いてみるのも憧れちゃう。ピアノが弾ける人ってのも尊敬できるけども、悲しいかなグランドピアノをかついで単車には乗れないので、パスする。単車や野宿にもっとも似合うのは、やはりギターだろう。昔懐かしキカイダーの二郎も、背中にギターを抱えてサイドカーを乗り回していたし、小林旭だってギターを抱いて、渡り鳥していたくらいだ、乗っていたのは、馬だけど。十年ほど前、得意先のにぃーちゃんにギターを譲ってもらった。少し小振りの琵琶のようなデザイン、マーチン社製のかわいい奴。落ち着いたら独学で、練習しようと思い、入門書まで買い込み、弦まで張り替えて用意したのはいいけれど、一向に始めないまま早ウン年。重い腰はいまだ上がることなく、結局たんすの肥やしが一つ増えただけ。このままでは、嫁さんのフリマに出展される日も近い。
2005.08.09
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缶詰にはずいぶん助けていただいた。日は落ちてきたのに、しつこく走っている。やっと見つけた野営地は、人里はなれた山の中、近くに食料品を確保できそうな店などあろうはずも無く、手持ちの物資を思い出す。「米は、あるよな、あとカップスープに永谷園のあさげ、問題は・・主品となる缶詰まだ残ってたっけ?」カバンを開けると、『マトンの焼肉』がコロリと一缶、「こいつは以前百円均一で買いこんだ・・」僕の手の中で神々しく輝いている。缶詰を語りだすと、これがじつに、各々こだわりがありまして、悪友クマなどは『サバの水煮』に深い愛情を注いでいた。後輩アリちゃんは、『サンマの蒲焼』をこよなく愛していたし、『牛肉の大和煮』を信仰していた奴も、確かいたはずだ。僕はというと、横綱がマトン、大関が『マグロのステーキ』で、関脇がほていの『焼き鳥』と、このあたりで勝負してきた。異種格闘技部門では、きんどーちゃんが大好きな『シーチキン』も決して嫌いではないのだけれど、こいつはチョット野宿には適していない。それでも男には、シーチキン一つで勝負しなければいけない夜もあった。ところがだ! いざ飯を食べようと思って、再度缶詰を確認したとき、そこで男は重大な過ちに気づくのだ!シーチキンだと信じて疑わなかったかの缶詰が、実はいなばの『ライトツナ・カル』であることに・・・落胆の大きさは計り知れず、男は、箸を落とす。
2005.08.08
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XLXの崖下墜落で始まった紀伊半島ツーリングは、救世主林業のおっちゃんの出現で、事なきを得た。しかしオフロード車とはホンマ丈夫にできている。崖を落ち、木に引っかかり、その後ロープで無理やり引っ張り上げられても、フロントタイヤがチョイトいがんだくらい、両足で挟んでクックッとすればたちまち元どーり、ツーリングは再開された。マイナーな林道ばかりを走っていた。しばらくすると、林道が開けたところにパンク修理している三人組を発見。右手を軽く上げて挨拶し走り去ろうとしたら、救援を求めている。単車を止めて近づくと、パッチはあるのにゴムノリが無いと言う、しかも驚いたことにそのうちの一人が、高校時代の先輩だった。ミナミで飲んでて隣のテーブルで同僚がタコワサを食べていたことはあったが、しかしなんという偶然。僕の知り合いだとわかるとおっさんは、「ノリが無いんやったら自家発電して出せばいい、男三人おったら十分や!」などと下ネタにはしるしまつ、結局僕の予備のチューブを提供して別れた。夕方、野営地探し、小さな集落の橋の上で停まると、下の川原で子供が泳いでいた。「この辺でどこかテント張れるとこない?」って聞くと、子供らは今泳いでいる川原を勧めてくれた。きれいに使うわな!と言って子供らに礼を言い野宿の準備にとりかかる。そこは、とても水が澄んでいて、ほどよい深みもあり、それもそのはず、村の学校指定の遊泳場だった。気持ちの良いところだった。おっさんは、ともすればその日の反省会などしそうだったので、まあ飲んで飲んでと、酒を進めていたが、最終的に酔っ払ったおっさんは、何を思ったか、突然全裸で泳ぎだした。とても気持ちよさげに泳ぐおっさんのケツが、月の光に照らし出されていた。
2005.08.07
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学生の頃、バイト先のほねつぎ屋のおっさんと時折ツーリングに出かけた。おっさんは、ちょうど一回り年上だったが、仕事を離れると同じ趣味を持つ、いたって気のいいおっさんだった。気候が良かったから春か秋だろう。新しくバイトにやってきた後輩が、オフ車を中古で購入したと言うので、それじゃあ一丁林道にでも行くかと、二泊三日の紀伊半島秘境ツーリングが企画された。ロードには乗っていたが、ダートデビューだった後輩H君のXLXを真ん中に挟んで僕らは走った。先頭のおっさんは、さすが年の功で、基本に忠実なポジション、理想的なライン取りでひっぱる。始め緊張していたH君も次第にダートに慣れてきたが、しかし・・この後、僕の視界からXLXは、突然消滅する。ガードレールの無い林道でH君はずるりとコケたのだ!単車はみごと崖下へ、ただ幸運だったのは、H君が落ちずに済んだこと、しかも幸運だったのは、偶然にもXLXが一本だけぽつんと生えていた木に引っかかり、更に幸運だったのは、そこに林業を営むおちゃん二人組みが軽トラで通りかかって、あっ!という間にロープでもって引き上げてくれたことだ。幸運も、ここまで続けば気色が悪い。そのあと、おっさんは、H君を厳しく叱責していたけれど、僕は知っている。更に十年ほど前、おっさんもまた高野山の林道で、崖から落ちて、足を骨折したことを。そして、救急車で運ばれた先の病院で手当てを受けたあと、先生から「シップ出しとくから、あと松葉杖ひつようですね。」との質問に、「シップも松葉杖もあるから結構です、接骨院開業してますので・・」と答えて笑われたことも。 武士の情けで、その場では、言わずにおいていてやった。
2005.08.06
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「まぁーまぁーまぁーじぃれんじゃぁーちゃぁーちゃぁーちゃぁーれんじゃぁー」日曜の朝は、娘らの歌声で目が覚める。幼稚園に通う次女は、女だてらに戦隊物が大好きなのだ。今やってるのが『魔法戦隊マジレンジャー』個人的には、前作『デカレンジャー』の主題歌が、なかなか気に入っていた。「ワン・エマージェンシー ツー・デカレンジャー スリー・アクション フォー・ジャジメント」これがなかなかシャウトできるのだ、カラオケで何度か歌わされた。ところでいまどきの特撮ヒーロー達は、あまり単車には乗らないようだ。マジレンジヤーも魔法使いだけあって、なにやら箒のようなマシンに乗っているし、ライダーを自称する仮面ライダーシリーズでさえ、あやしげな森の中でバチをふりまわしているしまつ。採石場でアクセルターンを無意味にきめるような、武骨なヒーローは、何処へ行ったのだろう?そういえば、子供の頃、男兄弟のいる家には、たいていライダーベルトやボップがあった。うちは、結局買ってもらえずじまいだったので、くやしまぎれに僕は、自転車に乗って砂利道を走り、後ろのタイヤだけを思いっきりロックさせて、ブレーキターンもどきをしては、そこらじゅうに砂埃をまき散らしていた。
2005.08.05
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小学校の時のスーパーカー消しゴムや、牛乳瓶のフタのように、エンデューロをやっていた頃、仲間内で爆発的にはやったものが、いくつかある。たとえば、トロイリーのバイザーがはやったのは、正月に行った鈴鹿サーキットで安売りしていたのを誰もが買い込んだからだ。レンサルのハンドルもまた、誰もがつけていた時期があった。もっとも純正ハンドルは、結構弱くて派手にコケるとすぐに曲がってしまったので、カッコだけでなく丈夫だったレンサルに交換するのが妥当だった訳だ。もう一つ、忘れてならないのが、ブッシュガード。ある日誰かが、アルミ製のブッシュガードを何処からともなく仕入れてきた。まだまだそれ自体、知名度が低い頃だった。使ってみるとなかなかいいぞ!ってなことになり、チームのみんながそろって購入することとなった。アチャルビスあたりの大手メーカーも目をつけていない時期だったし、それ自体アルミを曲げただけの代物だったので、それならいっそ知り合いのトコロに造らすか?と社長が言い出した。そんなわけで出来上がったブッシュガード通称『象の耳』は、当時チームほとんどの単車に装着された。ショートに替えなくてもレバーの折れることが少なくなり、突き出た枝や岩肌で手の甲をケガすることも少なくなり、象の耳はホンマによく役に立ってくれた。仲間内で留めておかず、売り出していたら、一儲けできたかもしれない。
2005.08.04
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憧れの単車は数あれど、僕等世代の野郎ども誰もが欲しがった単車の一つにベスパがある。言わずと知れた『探偵物語』。松田優作演じる工藤ちゃんが、黒のスーツに赤いシャツ、プラスチックのバット片手に純白のベスパに跨り、颯爽と走る姿には、誰もが胸をときめかしたものだ。しかし最近は、ベスパのデザインも変わってきたようで、ウィンカーがハンドルの先に付いたりと、どうも工藤ちゃんが乗っていたタイプは既に販売していないようだ。そもそもベスパは、そうそう簡単に乗りこなせる単車ではない!まず第一に2ストである、そのうえご存知だろうがミッションも付いている。たとえば工藤ちゃんが時折、ふかし気味につないで、ウィリーしていたのが記憶に残っていることと思う。そして一番厄介なのは、オイルが混合であること。ガソリン給油時に、2ストオイルを必要量はかってガソリンに混ぜこまなくてはならない。 コレ結構たいへんです。工藤ちゃんも、あの黒いスーツの内ポッケトにカストロRSあたりを常時しのばせていたのだろうか?
2005.08.03
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シャリー85を友人から譲ってもらい、気に入って乗り回していた時期があった。カブ系エンジンを積んだこのファミリーバイクは、見栄えはよろしくないが、どっこい力強く、燃費もよく、二人乗りができる上にコンパクトと、申し分の無い単車だった。何と言ってもカブ系エンジンのすばらしさよ。長らく仕事でヤマハのメイトに乗っていたが、同じロータリーの変速でも、ヤマハさんのは、トップで走行中に間違えて蹴ってしまうと、ニュートラルに抜けるのだ。それに引き換え世界のカブは、同じ間違いをしても、走行中は、抜けないようになっている。あれは、すばらしいですねぇ。カブの盗難だけは相次ぎ、アジア各国でカブが、引く手あまたなのもナルホドうなずける話だ。そして、シャリー85もまた、ホンマよく走ってくれた。時には、五十キロ台の僕と、八十キロ近いポストマン二人を乗せて、それでも文句の一つも言わず、サスだけは思いっきり沈み込みながらも、コンビニに、パチンコ屋に、定食屋にと、二人を連れて運んでくれたものだ。いまさらながら、頭をなぜて、二重丸をあげたくなる、そんな単車だった。
2005.08.02
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うどんと蕎麦とラーメンを愛している。うどんは、昨年も仲間達と瀬戸大橋を渡り、四国松山に日帰りうどんツアーを敢行したほどだ。あのうどんは、美味かった!ラーメンもひんぱんに食べているが、ふと立ち寄った食堂の中華そばなんかが、けっこういけたりする。旧友ポストマンと信州あたりをツーリングしていたのは二十年前、ふと目に留まった看板があった。『こんにゃく蕎麦たべ放題五百円!』貧乏旅行やった僕達は、これや!と叫び店に突入した。そこは、地元の観光団体が経営している、特産物販売店の片隅で、愛想のいいおばちゃん軍団が待ち構えていた。注文したこんにゃく蕎麦とは、ざる蕎麦のスタイルで、ネギとのりが少し付いているだけなので、そうそうたくさん食べられたものでもなかったけれど、たべ放題と勝負を挑まれた以上は、コチラとしても負ける訳にはいかない。ポストマンと僕は、しばらく蕎麦の顔を見るのが嫌になるくらい大量の蕎麦を、次々胃袋に流し込み、こちら側の勝利は確定した。店の外に出ると、こんにゃく田楽が売られていた。味噌を塗られた田楽が、これまた美味しそうで僕達を誘っていたけれど、残念ながら食道までせりあがってきているこんにゃく蕎麦を消化するには、今しばらく時間が必要だった。
2005.08.01
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