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大晦日が近づくと繰り返される、熱い男達の戦い・・・「に、二上山ですか?」後輩コンビが聞き返すと、ポストマンはチーカマを咥えながら、自信に満ち溢れた態度で話を続けた。「ここ何年も敵さんは、間違いなく二上山から現れる、歓迎されるつもりで気を抜いてるからな、まさか俺らに待ち伏せされてるとは夢にも思ってないわけよ!、だから付け入る隙はあるっちゅーわけや!」年内にやり残したコトがてんこ盛りの奴は、どうあってもこのまま新年を迎える訳にはいかないと言うのだ!「分りました!」とアリちゃん、僕も年賀状まだ出せてませんし、協力は惜しみません!と乗ってくる。「それじゃぁ元日の早朝に、二上山の中腹にて来年の初日の出を阻止するべく迎え撃つから・・・二三日足止めできたらもうコッチのもんやからな!」すっかり盛り上がっているキャツラ。「あのな、無理やで、アラレちゃんでも連れてこんとできへんで!」僕が水を指す。「お前かて、年越されへんって騒いでたやないか!」とポストマンが吠える。「何かと出費が重なったもんやから、モチ代も捻出できへんと思ってたけど、今年は奥の手出すことに決めたから・・・」ここだけの話にしといてな、と言ってぼくは続けた「ホントは菅笠の方がいいらしいけど、ビニール傘を八つほど仕入れてきてな、大晦日の日に近所の地蔵さんにプレゼントして回るんよ、そうするとな、行く年来る年が始まる頃に、玄関先が騒がしくなってな、現代風にアレンジされたプレゼントが届くって寸法やねん、日本ってこういう有り難い風習がいまだに残ってるのが嬉しいよなぁ、多用はできへんけど・・・」「あのな、けーへんで、その制度は昭和60年で廃止された!」ポストマンが水を差す。しかしマサちゃんだけは、目を輝かせて一言「雷蔵さん、イケノウラの地蔵さんだけは、置いといてくださいね!」さりとて、愚かな男達のたわ言などまったく意に介せず、新年は毎年キッチリ律儀にやって来る。来年もきっといい年です!どうか、楽しい新年を迎えてください!
2005.12.31
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雨の日のボーリング場は、混み合っていた。誰も考えることは同じと見えて、一時間待ちの札が下がっていたが、まぁ何処へ行っても同じだろうと待たされるのは覚悟し、僕らは下のゲームコーナーへ移動した。そこには、僕らと同じ時間待ちの家族連れやカップルが見受けられたが、その中に一組孫娘とおばあちゃんが連れ添って、UFOキャッヤーの前で、なにやらごそごそしているのが見えた。それはどうも、欲しい人形があるのに、おばあちゃんが上手く取れない!ってな感じであった。偶然とはいえ通りかかってしまった僕たち、案の定アリちゃんが声をかける「人形取れませんか?ちょっと代わってもらってもいいですか?」何を隠そう彼はプロのUFOキャチッャー職人である。創世記のアンパンマンシリーズを皮切りに、常に戦いを挑み続け、勝利してきた男である!かくゆう僕をはじめ、他の面々も、コトUFOキャチッャーについては腕にはチョット自信があったのだ。しかしその日のウサギは強敵だった、というのも機械自体の、景品を掴む部分のパワーがあまりにも弱過ぎたのだ。いかにイイ角度ではいっても、次の瞬間へなへなと放してしまう。小銭を使い果たしたアリちゃんに「チョット代わろ!アリちゃん腕なまってんのとちゃう?」と僕が登場。しかしあざ笑うかのように、体をくねらすだけのウサギ。さらに両替した硬貨を持ってアリちゃん再登場、小銭の尽きた僕と変わる。先ほどから心配そうに後ろの方で見ていたおばあちゃんが、「もう結構ですから、ご迷惑おかけしました・・・」とおっしゃったが、アリちゃん「ご心配なく、もう既にこれは、僕たちとコイツとの戦いです、大船に乗ったつもりで見ててください!」と、ゲームを続行する。少しづつ移動させ、どんぴしゃのタイミングで挟まれたウサギはさすがに観念した様子で、その後見事に女の子にプレゼントされた。四人がかり総額四、五千円が投入され勝負はついた。おばあちゃんは、少し顔を引きつらせ、「すいませんでした」と、千円札を二枚ほど差し出したけど「それにはおよびません!」と、やんわり辞退し女の子とバイバイした。多分に、ありがた迷惑な男たちだったろうな!と自分でも思う。その後アリちゃんは、証拠にも無く別のマシンで、妙に触り心地のいい実物大のバナナのオモチャを早々に手に入れ、大騒ぎしていた。
2005.12.30
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年末が近づくと、悪友クマは、決まって単車屋さんに現れた。高校以来の付き合いになるクマは、目つきといい態度といい、一見悪ぶって見えるが、そのくせ実は几帳面で気のチッサイとこもあり、中坊のツッパリ兄ィちゃんみたいに、自ら悪ぶって見せている節が多分にある男だった。高校の頃「雷蔵、映画の日って知ってるか?今度の一日映画の料金半額らしいぞ!」二人して、銀座道りのパチンコやの裏の階段を上り、胸トキメかして初めて突入した日活ロマンポルノは、どっこい、ガックリ肩を落とすほどおそまつな内容だった。二十歳の頃には、よくミナミで酒を飲んだ。その日は酔った勢いで、二人して怪しい呼び込みのにーちゃんに捕まり、スケベ心半分興味半分で突入したのだが・・・真横に座った人間の顔も見えないくらい薄暗い店内で、わけも分らぬままに財布の中の紙幣をすべて巻上げられ、追い出された。しかし二人悔しがるでもなく「やっぱりそうくるか!」と暫く盛り上がり、その日はクマが得意先でもらったと言うタダ券で千日前のオールナイトの映画館にもぐりこみ始発を待った。単車については悔しいけどセンスがあり、練習以前に一枚も二枚も上手だった。ある日、松屋町のバイク通りで安く買ったDT125の調子が悪くなったとかで、「雷蔵の行ってる単車屋ってヤマハのショップやんなぁ?」と、それなら紹介してくれと言ってきた。「ええで!」と僕は、単車屋さんに連れていったのだが、気づけばいつの間にか大きな顔をして、いかにも古株って雰囲気で入り浸っていた。あの頃、単車屋さんのカウンターで、夕方から宴会になだれ込むことが、時折あったのだが、不思議なことに95%以上の確率で奴は現れた。長いこと姿を見せない時でも、何故かしらアルコールの匂いに吸い寄せられるように、クマは突然現れるのだ!そんな恐ろしい嗅覚を持っていた。そうしてこの先クマは、僕ら同様すっかり単車屋さんのお世話になっていくのだが・・・奴のすごいトコロは、正確には単車屋さんの度量が広いだけなんですが。カウンターの上にクマ用のノートが一冊ありまして、来店するとクマは、必要な部品番号をせっせと書き込み、注文するんです。普通は、注文だけして取りに来ないお客さんもいるので料金は前払いとなっているのですが、クマの場合は年二回ボーナス時まとめ払いで許してもらっていたようです。エンデューロ最盛期は、タイヤやパットやオイルやレバーやその他諸々、結構な立替になっていたと思うのに・・・飲み屋のツケとちゃう!ちゅうねん。そんなわけでクマは、年末が近づくと賞与袋を提げて単車屋さんに顔を出しておりました。
2005.12.29
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朋友Tさんの帰郷の噂を聞いたのは、奴が関東に旅立って二年目の夏だっただろうか?むこうで購入したCR250のお披露目を兼ねて、トランポ陸路で大阪に帰ってきたのだというのだ。しかも、早々にモトクロ組の先輩たちをつかまえて、信太山の練習場に出かけて行っちゃったというのだ!連絡くらい入れろよな!と思った。しかししかし、昼頃、練習から戻ったTさんはびっこを引いている。「どないしたん?」と聞くと、練習に行って一周目で早々に大ゴケしたのだという。しかもすぐに医者に行かず、先輩たちの練習を待っていたのだという。例によって骨接ぎ屋のおっさん登場。しかし、「あかんなぁ、これは折れてるわ、しかも複雑に!」接骨院の領域を遥かに超える怪我だった。最終的には埼玉に帰ってから治療するってことになり、とりあえず固定され松葉杖を借りて釈放された。それから二日くらいは、まだ大阪にいただろうか。肉が食いたい!といえば、相方ポストマンに車を出してもらい神戸屋へと走ったりした。しかし、いよいよ埼玉に戻らねばならない日がやってきた。車に乗って来ている以上、コイツに乗って帰らなけりゃいけないのだが、奴は現状ミション車を運転できる状況に無い。周りを見渡せば、かろうじて学生だった僕くらいしか暇な人間は見当たらなかったので、いいカッコして片道の運転手を買って出た。翌日のアルバイトだけ休暇をもらい、夜中の方がすいてるだろうと、夜の九時過ぎ、奴のおばちゃんに見送られながら堺を発った。ひたすら高速一直線の、何の問題も無い旅であったが、実のところ僕は、当時普通免許は持っていたが普段車に乗らない、ましてやミッションなんて教習所以来って腕前であった。単車一筋だったんです。未明に首都高を越え、早朝に無事埼玉県は行田市に到着したものの、横に乗ってたTさんは、一晩中相当びびっていたらしい。運転していた本人の方がびびっていたとは、最後まで言い出せなかった。その後、少し仮眠した後、食事をご馳走になり、奴の計らいで新幹線にて大阪へ戻ったぼく。しばらくして、奴の膝に、ボルトやら鉄板が投入されたと連絡が入った。しかし、いまだに現役で走り続けている・・・はず・・だよね?
2005.12.28
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あれは、長女チロリンが二歳の頃、仕事を終えて家に帰り二人で風呂に入っていた時のこと。ひとしきりはしゃいで、しっかり温もり、そろそろ出るかと湯船で立ち上がって、チロリンと両手をつなぎオラウータンのような格好で引っ張りあげようとしたのだが。力の入れ加減を失敗した。どうやら右手を脱臼したようで、チロリン火の出るように泣き出した。時間は夜の九時、僕はためらわず旧知の骨接ぎ屋のおっさんに電話をかけたのだが、電話に出たのは高校生の長男で「父さんは今日もお酒を飲みに行きました!」と言う。次は僕も行きつけのその居酒屋に電話し、「マスター、おっさんおるやろ!、チョットの間、酒は与えんといて!」とお願いし、駅上の高層だった我が家を飛び出し、二つ向こうの駅前にある居酒屋へと急いだ。チロリン肩の辺りは触れないので、おしっこスタイルとでも言うのか、前向きにお尻を抱え込んで抱きしめ走った走った。余談になりますが、金城一紀さんの小説に「フライ・ダディー・フライ」ってのがありまして、その中で主人公の鈴木一郎さん、病気になった娘を抱えて走った時の自分が今までで一番輝いていたんだ!っていうクダリがあるんですが、それを読むたびに僕は、自分までリンクして涙しちゃうんです。この小説はホンマお勧め、映画にもなりましたが、断然小説の方がぶっちぎりで面白い。居酒屋では少し酔っ払った骨接ぎ屋のおっさんが、キッチリ待ってくれていた。店の前の路上で、泣き続けていたチロリンを立たすと「う~ん、ただの脱臼やな!」と言って、右手をゆっくり動かし整復動作を一回、すると娘はとたんに泣き止んだ。酔っ払いでもさすがプロ!鮮やかなもんである。その後、よくがんばった!と、反対に近くの洋菓子屋でチョコレートケーキまで買っていただき、そいつをひざに乗せてニコニコで帰りの電車に揺られていた。とっても寒い冬の日でした。
2005.12.27
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アラジンのブルーフレームっていうストーブをご存知だろうか?遥か昔からスタイルを変えず、安定の良さと燃費に定評があり、インテリアとしてもなかなか、いまだに人気のある暖房器具である。だるま型とでもいうのか、丸い窓から覗く青い炎がなんとも趣きがあって、僕はすっかり惚れ込んでいる。十年前、嫁さんと結婚した時、これだけは譲れない!と、駄々をこねて買ってもらった。石油ファンヒーターなんかの方が、遥かに安かったけど、やっぱりこれだけは譲れない!と言ってウムを言わさず注文してしまった。だって、このストーブなしに、僕は冬を越すことができないから。というのも、冬場は餅を食べるのがなによりの幸せっていう人生を長らく送ってきた僕。その餅を焼くための調理器具として、どうしてもこのストーブが必要になってくる訳なんです。餅を焼く基本は、遠火の直火。一度この味を覚えたら、もう、トースターや魚焼き器や電子レンジなんぞで調理した餅は食べれなくなります。ストーブの蓋を外し、網をのせ、ころころとマメにひっくり返してエエ感じに膨れてきたら、醤油やみりん醤油をまぶし、再度網の上に、醤油の焼けるなんともいえん匂いがしてきたら、おもむろに味付け海苔を巻いて頬張る頬張る!嗚呼、至福の時。
2005.12.26
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子供の頃、サンタさんに手紙を書いた。「僕が欲しいのはラジコンカーです、それからサンタさんの名前を教えて下さい。」鉛筆を添えて、枕もとの柱に貼り付けておいた。朝目覚めると、巨大な包装紙に包まれたプレゼントが枕元にあった。やった!願いは聞き入れられたのだ、サンタさんはちゃんとラジコンをおいていってくれたんだ!と、喜びいさんで開けたら、あらわれたのは巨大なタヌキのぬいぐるみだった。立ち直るのに、しばらく時間がいった。柱の手紙の空欄には、たどたどしい字で「サンタクロース」と書いてあった。小学校二年になる長女が、夕飯のときに口を尖らせながら「今日学校でショージがな・・・」ショージは長女のクラスで一番の悪ガキである「サンタなんか居るわけないやろ!あんなんオトンが夜中に置いてるだけや!って言うねんでー!」なぁおとうちゃんホント?って尋ねるわけです。「サンタさんはな、信じてる子供の所にしかやって来ぇーへんねん、ショージのトコロには信じてないからサンタさん来ないんやわ!だからお父さんが代わりにプレゼントしてるんとちゃうか?」そんな説明でなんとか納得してくれたみたいやけど、うちの子らははたしていくつまで夢をもち続けてくれるのやら。幼稚園児の次女は、以前トリビアでやっていたらしい、悪い子のトコロにやってきて、牛の内臓を置いて帰るという黒いサンタに心底びびっている。だけどワルサは一行にやめる気配が無い。
2005.12.25
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昭和が平成に変わった頃のクリスマスといったら、一流ホテルのスイートが、半年前から予約でいっぱい!恋人たちは、しゃれたフランス料理なんかをつついた後、とんでもなく高価なプレゼントを交換しあい、そのままホテルになだれ込む。この日だけは、スケベ全開な気持ちもサンタさんがオブラートに包んでくれる、そんな風潮があった。世の中がロマンチック一色に変わっても、あいも変わらず僕たちは単車に乗っていた。クリスマスイブの24日だと言うのに、粉雪舞い散るクソ寒い天候だと言うのに、その年最終戦のイーグルカップが河内長野で開催されたのだ。その日も、年間通してのシリーズチャンピョン制が導入されたこともあり、よっぽどひま人が多いのか、単車好きが多いのか、驚くほどの参加者が集まっていた。我がチーム内では唯一、マサちゃんが一時間125クラスでそれまでの五戦、二位の方とデットヒートを繰り広げており、まさに最終戦で決着がつくこととなっていた。そして結果、見事に一位で締めくくり、年間チャンピョンを手にいれたのだ。その年の走り収めでもあったため、それぞれエントリーしたレースを走りきり、無事大会は終了した。表彰式では、主催者側がおつなことに参加者全員にショートケーキを用意してくれていた。なかなかしょぼいケーキだったが、クラブハウスで仕入れてきたオデンと一緒にいただいた。おでんとケーキの組み合わせが、うすら侘しかったけど、あれはあれで、なかなかどうして、楽しいクリスマスだったなぁと、今となっては思うのだ。
2005.12.24
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近藤真彦を最近テレビでよく見かける。片岡鶴太郎じゃなくって、本物のマッチである。たのきん世代の僕は、彼の歌なら空で歌う自信があるのさ。素人でも勢いだけで歌えるように、実に上手く仕上がってるからねジャニーズは、その昔、さんざんカラオケで歌いたおしました。もちろんトシちゃんだって大丈夫だし、ちょっとマニアックにザ・グッバイだってレパートリーに入っている。「ニクめないのニクいのさ」とかね。社会人一年目の慰安旅行、食事がおおかた出つくして、ほどよく酔っ払った大広間での宴会、「新人、一曲歌え!」と、声がかかったので、歌詞カードをめくってみたけれど、あの当時のこのての宴会場のカラオケって、恐ろしく曲が古いのね。そりゃ歌えって言われりゃ「夜の銀ぎつね」でも「涙の操」でも歌っちゃいますよ。しかし、もうちょっとマシなのないか?と探してみたら、見つけましたツイストは「銃爪」!これや!と思って、浴衣の前をはだけてガニマタで「今夜こそぉ~お前をぉ~お・と・し・てみせぇ~る♪」って振りつきで歌ったら、結構うけた、特に女の子に。年配の方と歌いに行く機会も多かった。そんなときは無難なところで、「東京砂漠」か「遠くで汽笛をききながら」、受け狙いなら「自動車ショー歌」で勝負した。いっとき、一番よく飲みに連れてってくれた先輩は、中村雅敏とRCサクセションとスーパースリー(古いアメリカ漫画)の主題歌が好きだった。最終電車に乗り遅れたミナミのスナックで、二人開き直ってよく「ラリホ~ラリホ~ラリルレロ♪」って雄叫びをあげていたっけ。歌が上手いわけじゃないのに、騒ぐのが好きで付き合いのいい僕は、ほんまカラオケにはお世話になった。そんな僕は今、無性に「ヨコハマチーク」が歌いてい!
2005.12.23
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正月はスキーに行くぞ!と悪友クマが言った。当時、某大阪工業大学の学生だったクマは、大学所有の白馬の民宿を年末から年始にかけてキッチリ押さえたのだと言うのだ。これは、快挙であり君たちは僕を褒め称えたうえで、喜んでこのツアーに参加するのだ!という空気を身にまとって、クマは大威張りで計画をズンズン進めていった。まったく初心者の僕は、クマに言われるがままに安モンの道具を一そろい購入し、当日に望んだ。そして、先輩や後輩や友達の友達や総勢男ばっかり八名の、むさ苦しいスキーツアーの幕が開けたのだが・・・深夜バスを降りると、痛いほどの冷たい空気が鼻の中に飛び込んできた。夜明けを待って僕たちは、ゲレンデに向かった。しかしだ、その時点で僕は板も付けたことなけりゃ、リフトも乗ったことないド素人だったんだ。きっと誰かが優しく教えてくれるものだとばかり思っていたのだが、ゲレンデに来てしまうと一刻も早く滑りたい面々はリフトに向かい、連れて来た手前責任のあるクマも、初心者コースでちんたら滑る気はさらさら無く、「こういうのは、最初が肝心やから!」と、「いけるいける!」と言って僕の腕を持ちリフトに乗せ、ウサギ平まで連れて行きやがった!雪の上にまっすぐ立てない男を上級者コースに置き去りにして、奴らは行ってしまった。ゆっくり降りたらええから!って降りれるか!半日かけて立てるようになった、さらに半日かけて、リフト一個分だけずり落ちた。夕方、じきリフトが止まるというので屈辱的ではあるが、下りのリフトを乗り継いでふもとまで降りた。スパルタにもほどがあると思った。しかし夜には元気になった。大晦日、白馬の街、ディスコもどきに繰り出して、カウントダウンを終えた。しかしいかんせん男ばっかり八人である、これでは華がないと、女の子捕獲作戦に打って出た。真夜中の白馬の大通りで、おもむろに女の子のグループを取り囲み「なぁなぁウノせえねん?」といってポケットから取り出したウノのカードを、躊躇無く雪上で配り始める。一巡くらいゲームを始めたところで、「やっぱり寒いから、ウチの宿で続きせ~へん?」と、ここまで付き合ってくれるノリのいい娘だと、たいていOKである。そこから場所を移し、酒を飲みながら遅くまでウノやってました。ワルサはしてません。かくして僕は、この冬以降、どっぷりスキーにはまって行く事になる。
2005.12.22
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単車浸りの二十代だった。それゆえ、周りを見渡しても、比較的オンナッケの無い淋しい日常を過ごす仲間たちが多い中、不思議と常に彼女をこさえては隠密行動を楽しむヤカラが約一名いた。誰あろう、旧友サガワ!可愛気はあるが、決して容姿端麗ではでは無い。体格は良いがモコミチには遥か及ばない。それなのに何故?奴が度々、彼女をつくっては、一人明るい青春を爆走したのか?それはひとえに、奴のマメさにある。遠距離恋愛をしていた頃などは、壊れかけのカリーナマイロードを新車のローレルに買い替え、月に二度三度、東京まで遠征に行っていた奴。SMAPの木村君や妻夫木聡ならいざしらず、男はマメでないとそうそう彼女をゲットできないもんだと、奴に教えられた僕でした。不思議なのは、奴が昔付き合っていた女の子って言うのが、たいてい可愛い可愛いタイプであったと聞いているのだが・・・一度だけエンデューロレースに連れて来た、イエローキャブばりの、オッパイどんどんの女の子を境に、いつしか引っ張ってくれるタイプに鞍替えしてしまった。好みのタイプって変わるのね!現在嫁さんのP子ちゃんにもやや尻にしかれ気味。そんなサガワは、昔から、とても分りやすい男であった。ある日を境に、僕たちの前から姿を消す、電話すらかかってこない。半年だったり一年だったりもっと長かったり、それがある日突然に「雷蔵、今度の金曜、酒飲みに行けへん?」一本の電話がかかってき、はいはいと僕は、奴のためにセレクトした、失恋スペシャルテープとアルコールを用意するのだった。そしていつも、次の恋をみつけるまでの間、僕らの馬鹿騒ぎに参加するサガワでありました。
2005.12.21
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若い頃って、何故にあんなに沢山の食べ物が、胃袋に収まったんだろう?ホント、破滅に向かって食べているっちゅう感じでした。あれは、数年前にあの世へ旅立った祖母の喜寿の祝いの昼食会。親戚一同が集まり、堺じゃマトモな中華を食べさすので有名な「風林閣」って店で、テーブルの真ん中が回る店です、久しぶりにご馳走にありついた。一通りのコースは終わり、杏仁豆腐あたりで終了し場はお開きとなった。そこから僕はいつもの面々と合流したわけなのだが、アリちゃんが「いいとこ見つけちゃったんですよ!」と、喜々として車で向かった先は、なんのことない地元のダイエー。しかしその食堂街は、全てのメニューが百円で客が好きな店で買い求め空いたテーブルを利用するって方式に変わっていた。バブルの頃って、ダイエー系列のショッピングセンターってやたらこの形が多かった。とりあえず、黙ってついて行ってた僕だが、さすがに怪しい雲行きを察知して「悪いけど親戚との食事会で、たった今、高級中華を食べてきたとこなんよ!」っと逃げにかかったのだが、「雷蔵さんは中華がご所望ですね!」とアリちゃんは立ち上がったと思ったら、ラーメンを四つトレーに乗せて帰ってきた。駄目だ逃げられない!と思った。四人が食べ終わる頃には次はマサちゃんが静かに席を立ったかと思ったらカレーライスを四つ持って帰ってきやがった。こうなればもう、腹をくくるしかない。既に胃袋の中では先程のフカヒレと安モンのラーメンがミックスされてしまっている。死なばもろとも、ハンディーは大きいが攻め方によったらまだ勝算はある。その後、うどんやハンバーガーやお好み焼あたりがきっちり四つずつ買い足され、みんなの胃袋もそろそろ膨らみかけた頃、デザート部門で反撃に出た。十勝おやき(どら焼き)がなかなか強力だった、甘いもの関係が得意な僕は、その方面でがんがん攻めてみた。これはなかなか効いたようだったが、しかし、その後アリちゃんが仕入れてきたバナナとチョコが巻かれたクレープで、僕はあえなく撃沈した。めったに食べられない高級中華の余韻は消え去り、ゲップと胸焼けに変わった。そして僕は、絶対次はハンディーなしで闘ってやる!とリベンジを心に決めて、しばらくベンチに横たわっていた。
2005.12.20
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ただいま戻りました!突然の休筆、数少ない当ブログファンの皆様にはご心配おかけしましたことを、心よりお詫びいたします。日常から非日常へ滑落するってことが、この世の中にゃままありまして・・・例えば、人を殴る!理由はどうあれ手を出して、あれよあれよと言ってる間に傷害罪で逮捕、訳も分らぬまま拘置され期間いっぱい出してもらえず浦島太郎。飲酒で接触事故なんてのもこれに近いなぁ・・・または、勤め先が新聞沙汰になるような不祥事を起こし、ある日を境に殺人的な勤務体系に変わる。最終電車に飛び乗り疲れ果てて家路に着き、泥のように眠って早朝飛び出すパターンが一ヶ月以上続く。あるいはまた、ぶっ倒れる、病院に出向けば即入院だという。いやいやあの仕事が・・・っていっても聞き入れてもらえず、気がつきゃオジイ、オバアに囲まれてベッドの上の人となっていた、とかね。まあとにかく、昨日までのおそらくは平穏だった日々が、ある日を境に一変するなんてことは、そう珍しいことじゃないんですね。しかしまあ、人生なんて、何が災いするかわかりません。禍福はあざなえる縄の如しのことわざ通り、自分のちっさな物差しで計ってみたところで全ては見えてこない!というわけで、全然釈然としない理由を書き連ねてきましたが、本日より雷蔵復帰いたします・・・たぶん。ネタ切れで逃走していたわけではありません・・・たぶん。おいおい明らかにしていく所存です・・・おそらく。重ね重ねもご心配をおかけしましたワンワン。
2005.12.19
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