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例によって、某番組を見て即決。深夜の一般道を飛ばして、夜明け前に現地入り。朝方は凪いでおり、サーファーの姿はない。とりあえず、7号5本針の競技用仕掛けで第1投。ブルンブルンと小気味良いアタリでピンギス1匹。2投目までで3匹と順調...に思えた。その後、アタリはぷっつりと途絶え、食って来るのはフグとカニのみ。近くの2人組だけが順調に上げるが、周りは皆不調の様子。訊ねてみると、5号の狐針での自作仕掛けらしいので、4号のサビキ仕掛けを改造し、即席で仕掛けを作り挑戦するも、時既に遅し。波と共にサーファーも出て来たんで、不満を残しつつもマリーナシティ方面に移動。こちらは、連れてない置き竿でのキスと大波止でのサビキで小サバ(10cm余り)程度。風も強くなって来て、夕方まで待つまでもないんで、情報収集だけして帰宅。青岸の一部ポイントのみで「肘叩き」が上がっているのと、片男波でもポイントが狭いこと、雑賀崎に豆アジが回って来ているらしいことを聞き、次回のプランを検討中。爆釣報告出来るのはいつの日か...(自爆)
May 28, 2004
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四国は死国である...とかいう書き出しでおどろおどろしく書くことも出来るし、『美味いもん巡り』的な紀行文にも出来るんやけど、どういてもたろかいな(笑)一回り振りの四国旅行。前回は、四国九州7泊8日間で四国では高松、大歩危、高知の3泊。今回は『気合と勢い』の日帰り(笑)前回は、瀬戸大橋で四国入りし、フェリーで九州入り、関門橋での本州帰還。今回は、明石海峡大橋と大鳴門橋を使っての往復。(↑『回』5連!(笑))深夜(早朝?)、3:00頃出発。深夜なんで、通行料節約を兼ね、神戸までは一般道を行く。大阪市内→神戸市内と市街地を行くんやけど、これが妙に空いてるんで...(自粛)垂水JCから神戸淡路鳴門自動車道へ入り、ここから高松自動車道の善通寺ICまでずっと高速。結構長いトンネルを抜け、明石海峡大橋を渡り、淡路島を縦(横)断し、大鳴門橋を渡る。高速での道中は、橋以外は変わり映えせぇへん山ん中の景色ばっかし...高松道での出口案内に八十八ヶ所の寺院名が載ってるのが印象に残ってるぐらい(笑)善通寺ICを下りたのが8:00。折角なんで、八十八ヶ所の75番、真言宗善通寺派の総本山、五岳山善通寺に立寄る。弘法大師生誕の地とされ、高野山金剛峰寺、京都の東寺と並ぶ弘法大師3大霊場の一つ。本尊は薬師如来(胎内に空海作の薬師瑠璃光如来土偶を納める)と瞬目大師(入唐前の空海自画像)。東院の五重塔が美しい寺院で、西院の御影堂には長野の善光寺同様、戒壇巡りが出来る。本堂には本尊以外にかなり大きな五鈷杵や30cm程の布団で休まれてる大師像などがある。真言宗寺院やけど、何かの記念事業で五百羅漢像の奉納募集してたし、(真言宗系の禅宗もあったけど、五百羅漢っていうと曹洞宗のイメージが...)境内に注連縄の張られた大きな楠が2本あって、1本には朱い鳥居と祠があるし...で、移動して今回のメイン、金刀比羅宮へ。近くの土産物屋に車を駐車し、いざ、785段に挑む。この時点では、奥社(巌魂神社)への道が工事中とは知らんかったんやけど、1368段に挑み、岩に刻まれた天狗の顔を拝むつもりはなかったりする(自爆)バブル崩壊直後の前回と違い、今回は土産物屋もかなり減り、石段籠も殆ど客がいない。大門を潜ると、五人百姓の飴屋の周りに何故かうじゃうじゃ居てる猫。(代参するのは犬と相場が決まってるのに...(謎笑))近年の運動不足が影響するかと思えば、筋疲労は案外平気♪(カメラやらの重い荷物持って、鈴鹿で歩き回ってる成果が顕れた?)けど、直前の睡眠不足が影響し、呼吸は乱れる(自爆)途中にいた国内最高齢の神馬(確か29歳)に勇気づけられ?只管御本宮を目指す。参道には幾つかの建物があるけど、中でも目を引くのが、金毘羅大権現時代の金堂で、神仏分離令によって、祭神が天照大御神になった重要文化財の旭社。ここは、参道の左側にあるため、先に参ると『左前』(死装束)になるんで、帰りに参るのが正解。息も絶え絶え(笑)に、漸く到着した御本宮。檜皮葺の社殿には、大国主神の和魂である大物主神と崇徳天皇が祀られており、海運安全が有名で、五穀豊穣、病気治癒などのご利益もあるらしいけど、かの清水次郎長はお蝶への不義理の輩を討つ際に、その成功を祈願したわけで...(笑)(成功したお礼参りに、その刀と奉金持参で代参した森の石松を描いたのが、例の有名な場面)最近、コレクション化してる御守ステッカーやけど、マイカーは海運とは直接関わらんし、1枚¥3000と、相場(?)の倍の価格なんで購入断念(笑)奥社へは行けても行かへんから、行けるんかどうか未確認やったけど、無理やった様子。従って、崇徳上皇と待賢門院を祀った白峰神社へも行かず。11:00過ぎに下山、駐車した所と別の土産物屋(直営店)で『灸まん』と『丸金醤油』購入。朝食を抜いてたんで、空腹に襲われ、昼食のためにうどん屋に向かう。走行中、田圃の中にあるような店で行列を見つけたけど、初めて聞く名前の為、安全策をとって、『どうでしょう班』(謎)のおすすめ店の一つやったか何かで知ってて、現在地から最も近い店、善通寺『山下』へ。『ぶっかけ』がメインやけど、暑かったんで『ざる大盛』と稲荷寿司を注文。テーブルにはぶっかけ用のつゆが徳利に入って置かれ、生姜&下し金もある。麺は、腰はあるが硬過ぎず、つゆも美味い。稲荷もあっさりで、うどんの味に影響しない。田楽らしきもんもあったけど、今回は見送る。お帰りの際の支払いは、伝票がなく、口頭で申告し支払う。かなりのボリュームで、計¥550也。大泉君が八十八ヶ所巡りを未達にしてまで(謎)、行った本陣『山田屋』も行きたかったし、完全セルフの『なかむら』や『山越』の釜玉やらに未練はあったけど、ここも中々の満足。続いて、栗林公園に移動。前回は、季節外れに夕方からの無料入園で、日本庭園の良さがよく解らんかったんで、「今回こそは」と気合を入れたんやけど、金毘羅疲れ&眠気&昼の直射日光で...(自爆)大きな鷺や丸々とした鯉、妙に多い糸蜻蛉、樹齢100年以上のヒマヤラ杉、そして、かなり創り込まれた松・松・松。75万平方メートルの敷地は、広すぎて...早々に栗林公園を後にし、続いて古戦場屋島へ。屋島ドライブウェイの途中で車を停め、壇ノ浦を見下ろし、源平の合戦に思いを馳せる。(但し、今は単なる漁港と住宅街にしか見えへんねんけど...)山上からは、八十八ヶ所の84番、屋島寺と屋島山上水族館へ行けるけど、今回は見送り、展望台へ。先程の車を停めて見た景色を更に上から見る。遥か27km先には瀬戸大橋も見えるけど、インパクトに欠ける展望台。展望台背後にはリゾート施設か店舗の廃墟があるし、駐車場周辺にも閉鎖された施設が見られ、八十八ヶ所巡り以外の儲け口を摸索し、歴史ロマンを当て込んだけど、見込みの甘い観光開発のツケが回って来たって感じで...(苦笑)後味が良くない観光の口直しに、美味しい醤油を求め、『かめびし』へ。(琴平で『丸金醤油』を買ったのに...)JAF Mateの5月号にも取り上げられた店で、日本で唯一、『筵麹』の製法で、国産大豆&小麦、天日干し自然塩を使った醤油造りをしてる店。国の有形文化財でもある店は、弁柄(紅殻)模様が目にも鮮やかではあるけど、場所はナビなしでは行き着けない程、入り組んだ漁村のような所にあったりする。醤油うどんの食せる時間は過ぎてしもてたけど、味見をしながら3種の醤油を購入。当初の目的はほぼ達したってことで、帰宅。帰りは、R11→神戸淡路鳴門自動車道(大鳴門橋と明石海峡大橋だけで間はR28)→→第二神明道路→阪神高速(西線→東線)→R1のコース。道中、干し若布と手作り竹輪を購入し、渋滞にも会わず、帰宅は21:00過ぎ。総走行距離580km程の日帰りドライブは、疲れと眠さをお持ち帰りしたことを除けば、そこそこ楽しいものになった気がするし、もう少し足を伸ばすことも可能かと思える。次回(があれば)は、淡路か香川で釣行を兼ねるか、徳島&高知もありかも...
May 24, 2004
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『呪い』を書き間違えてるのではなく、『祝い』で合ってたりする。若きファラオ、『ツタンカーメン』のことでもなく、『妙な豆』の話やったりする。昨日、いつものJA直営店まで買出しに行き、他の野菜と共に数種の豆を購入(笑)そら豆、絹サヤ、スナップえんどう(『スナック・・・』てのは『スナップ・・・』の一品種らしい)、そして、うすいえんどう(所謂グリンピースね)の一種で『ツタンカーメン』って品種。この豆は、生の状態ではうっすら紫がかった鞘で粒は普通のえんどう豆と区別がつかない。それが、乾燥すると濃い紫になる。(大豆に対する黒豆の感じかな...)そして、豆ごはんにすると、炊き上がった直後は普通の豆ごはんやねんけど、暫く時間をおくと、何処からともなく豆の色素が染み出して来て、何時の間にやら、まるで赤飯みたいになるっちゅう、不思議な豆。(せやから、『祝い』ってことで...)で、『ツタンカーメン』っちゅう、たいそうな名前の由来を調べてみると、なんかすごい。英国の考古学者、カナー・B・カーターがツタンカーメン王陵を発掘した際、副葬品の中から、当時のえんどう豆が見つかった。このえんどう豆は、当時のエジプトで食用に栽培されていたものと考えられる。(古代エジプト第18王朝ツタンカーメン王の統治は紀元前1358~1349年)カーターによって、発掘されたえんどう豆の栽培が成功し、その一部が米国に渡り栽培される。1956年、V・イレーヌフアシスワース婦人から日本の大町武雄さんへ、このえんどう豆が数粒送られる。(この大町武雄さんは、所属する「世界友の会・水戸支部」の活動として、米国にサクラ・イチョウなどの日本固有種を送っっており、そのお礼として譲り受ける)これが、1960年代より知人を通じるなどして寄贈される形で、茨城→千葉→群馬の小中学校を経て、1997年、群馬県立自然史博物館で群馬県内の小学校で栽培されたえんどう苗が配布される。これが更に全国に広まったものやから、『ツタンカーメン』らしい。小中学校から、どういうルートで農協の種苗販売ルートに乗ったのかは不明やし、そもそも、本当にこの種から来てるんか、エジプト近辺の現存種から来てんのかは不明(笑)ま、種の由来は不明でも、話の種にはなるんで、一度食してみては?(爆逃)
May 14, 2004
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