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ファルーカアガサ・クリスティが『ナイルに死す』を執筆し、その舞台となったことで知られる名門ホテル「オールド・カタラクト」美しいナイル川こんばんは!ルミルミです今週から新しい会社に出社していますやはり大企業は福利厚生が充実していて社員食堂では10種類の料理が100円で食べられますデザートもサラダバー、コーヒー・紅茶もついています昼・晩を社員食堂で食べると食費は安くすみますよねただブタになるのは確実ですがそれと出産祝金が一人100万双子だと200万らしいです又売り上げ目標を達成するとグアム旅行に行けるそうです去年も行けたそうですがあくまで自社ホテルのあるグアムだけだそうです今週は会社独自のCADの研修でした新しいCADはナカナカ難しくて同じ日に入った男性と一緒で冷や汗のかきどうしでした慣れるまで頑張らないといけませんね土日はお休みなのでとっても嬉しいです連休はクラブメッド石垣島に行く予定ですただ人気のホテルでキャンセル待ちなので行けるかなアスワンから砂漠を観光ポリスの護衛警察に守られて4時間かかってアブシンベルへ砂漠の向こうに川らしく見えるのは蜃気楼アブシンベル宮殿砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿である。建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。 大神殿は太陽神ラーを、小神殿はハトホル女神を祭神としている(小神殿は最愛の王妃ネフェルタリのために建造されたものでもある)ちなみにラムセス2世は平均寿命40歳の時代に92歳まで生きて王妃40人子供100人というつわもの建設後、長い年月の内に砂に埋もれていたが、1813年にスイスの東洋学者ヨハン・ルートヴィヒ・ブルクハルトによって小壁の一部が発見され、1817年にブルクハルトの知人であったイタリア人探検家ジョヴァンニ・バッティスタ・ベルツォーニによって出入り口が発掘された。アブシンベル大神殿 左から少年期・青年期・中年期・老年期のラムセス2世の像小神殿人造湖ナセル湖1960年代、ナイル川にアスワン・ハイ・ダムの建設計画により、水没の危機にあったが、ユネスコによって、国際的な救済活動が行われた。1964年から1968年の間に、正確に分割されて、約60m上方の丘に移築された。このことが、世界遺産の創設のきっかけとなった。アブ・シンベル神殿は世界遺産の象徴的な遺跡で、世界文化遺産に登録されている。この神殿では、年に2回神殿の奥まで日の光が届き、神殿の奥の4神を明るく照らす。これを、一目見ようと多くの観光客がその日に訪れる(場所を移した際にもともとの日から、1日ずれてしまったが)。ラムセス2世の生まれた日と、王に即位した日にこの現象が起こる。このことからも、古代エジプト文明の優れた技術が分かる。アスワン・ハイ・ダムの建設によってできた人造湖のナセル湖のほとりにたたずんでいる右から3体は年に2回、60m以上離れた神殿の小さな入り口から一直線に入る朝日に照らされるように設計されている。プタハ神だけは闇の神なので光は当らない。
2008年04月26日
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豊かなるナイル川~エジプトはほとんど雨が降らないが南アフリカからの恩恵のエジプト命の川(しかし、たまに氾濫することもある)安く配給されるパンを買う為並ぶ人々最近はあまりにも安いので家畜のえさにする人も出てきたので家族あたりの枚数が決められるらしい王家の墓~西岸の岩山の間に、ピラミッドは目立ちすぎる為盗掘を免れるために作られたファラオたちの墓がある。全部で62発見されているが、普段は10数基ほどしか公開されていない。中は撮影禁止ツタンカーメンの墓1922年にイギリスの考古学者、ハワード・カーターが発見。彼は全財産をつぎ込んで墓を見つけたが急遽エジプト政府がエジプトで発掘されたものは政府のものと法律を定めた為に彼は後年気が狂ったらしい。この墓はほとんど盗掘されていなかったため、埋葬されたときのままに豪華な副葬品が残っていた。黄金のマスクや副葬品はカイロ博物館に、石棺とミイラ型棺は墓の中に置かれている。アッサーラーム!ルミルミです実はエジプト旅行に行けたのは転職したからでした旅行に行きたいから転職したみたいな~なんせ1日たりとも休めない会社でしたから(病気になっても会社に来てから病院に行けと言われるぐらい)来週から新しい職場で働きます今度の会社は7000人規模の誰でも知っている会社ですただ全国どこでもあるので転勤になったらどうしようその時はその時ですね問題は今度もマンションの設計なのですが現場には車を運転しなくてはいけない事ですほとんどペーパードライバーの私毎日練習していますが車庫入れがチョー下手どうにかなるでしょうか~ではではエジプト旅行記の続きです~ルクソールからアスワンへルクソールからアスワンへ観光客が自動車で移動するには、観光ポリスの護衛が必要となる。そのため、朝8時までに決められた場所に、観光客を乗せた沢山の観光バスやワゴン車が終結する。そこから、前後に警察の車がついて、20台あまりの観光バスやワゴン車が列をなして移動する。さながら観光キャラバン隊である。ホルス神殿~高さ36mの巨大な塔門が見えて、まずこれに圧倒されます。重厚な門をぬけると広い中庭にでます。塔門は裏も表も壁画をきれいに見ることが出来ます。 正面第1塔門前にあるホルス神の像高さはおよそ3mオシリス神とイシス神の子供最古の神のひとつ列柱の上部には、パピルス、ロータス(蓮の花)をモチーフにした美しい装飾があり、列柱を際立たせていました永遠の命をあらわすアンク(♀のような形)と健康を表す(名前を忘れたました)様々な神殿で彫られている。 エドフのホルス神殿 アスワンへの途中エドフのホルス神殿による。ハヤブサの形をした天空の神・ホルス神に捧げられた神殿で、紀元前237年に着工してから、約2世紀をかけて完成した壮大なもので、エジプト国内でも最も保存状態の良い遺跡の一つである天井には色が残っている。わにのミイラ☆ コム・オンボ神殿 ホルス神とワニの神・ソベク神のために、プトレマイオス六世が建てたコム・オンボ神殿は、ナイルを見下ろす「金の丘」(コム・オンボ)の上に建っている。神殿北側の小さな礼拝堂にはワニのミイラが安置されている。 境内には、古代、税金徴収の基準となったナイル川の水位を計る「ナイルメーター」の跡が残っている。
2008年04月19日
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カルナック神殿 スフィンクス参道 牡羊の頭のスフィンクスが両脇3KMに並ぶカルナック神殿 2000年かけて大増築エジプト最大級の神殿真中が王様の部屋左が女王右が子供の部屋134本もの巨大な石柱が並ぶ 開花式の柱頭の上には50人もの人が乗れるほど大きい 天井もあったが残っていない壁面はせべて派手に彩色されていたが長い年月ですっかり剥げてしまっているアッサラーム!ルミルミです遠いエジプト旅行から帰ってきましたルクソール~アスワン~アブシンベル~カイロを廻るハードな旅行で大変疲れましたでも参加者は大学生3人以外は年配の人ばかりでこの旅行についてこれたのは凄い元気だと思いますよそれに南のルクソールは真夏で暑いしホテルは見た目は豪華に見えるけど中はボロボロお風呂の排水は溢れるし備え付けのドライヤーは使用不可玄関ドアは木製でガタガタ、サッシもガタガタでなぜか玄関のドアチェーンがついているそして一番困るのがエジプトと言えどもここはアフリカ~顔にハエがたかるのです店屋ではぼったくられるし、タクシーは交渉しないと乗れないお土産以外にはブランドも売ってないし、欲しいものは全然ないですそれでもピラミッド等の実物は圧巻それらを差し引いても見る価値はあります説明を聞くだけで考古学者になれますところで日本でも外人には声かけられる私ですがここでも愛してる!結婚してください!とツアーにもかかわらず好色なエジプト人に追いかけられましたうちの父親にも結婚させてくださいとひつこかったです運転手も舌なめずりして寄ってくるしアラブ人は本当に女好きです昔東京に住んでいたときもアラブの貿易商に気に入られて結婚をせまられた事がありましたねではでは旅行記の始まりです~始めはカイロから乗り継いでルクソールへここで砂嵐に会い飛行機の離陸が遅れました「ルクソール」と聞いてピンと来なくとも、「ツタンカーメンの墓がある王家の谷」と言えば、誰もがどこかで耳にしたことがあるでしょう。カイロから南に約600キロ。ルクソールは、かつて古代エジプトの都「テーベ」(ギリシャ名)として知られていました。紀元前2000年頃、メンチュヘテプ2世によってここに都が建てられ、新王国時代(B.C.16C~B.C.11C)に繁栄。ラムセス2世、ハトシェプスト女王、トトメス3世など、古代エジプトの歴史上の有名人が、入れ替わり現れた時代です。今の「ルクソール」という名前は、アラビア語の「エル・ウクスール」(「城塞」の意味)から来ています。ローマ時代に大きな要塞があったことから、こう呼ばれるようになったらしい。現代のルクソールでは、ナイル川東岸が市民の暮らしの中心。西岸は神殿や王墓の点在する一大観光地になっているが、遺跡の間には閑静な地元民の村がある。必見の遺跡は東岸のカルナック神殿、ルクソール神殿、西岸の王家の谷、ハトシェプスト葬祭殿など。今のエジプト人は、イスラム教を信仰するアラブ人。陽気で人なつっこい一方、観光客に高い料金をふっかけると悪評も高いが、ルクソールの街では、日本とはまったく違う現代アラブの暮らしぶりを見ることができます。ルクソール神殿 かつて門前には6体のラムセス2世像があった中庭から大列柱廊を望む巨大な開花式パピルス柱が2列14本立ち並ぶかつてテロ惨殺事件のあったハトシェプト女王葬祭殿お供え物の絵 かつてはすべて彩色されていた
2008年04月14日
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露天風呂こんばんは!ルミルミです昨日は熱海の温泉に行ってきました昔会社の研修旅行で行ったきりで2回目の訪問です温泉も気持ち良かったですし、伊勢海老、鯛しゃぶ、金目鯛の煮付け等とっても美味しかったですよお昼は禁断のステーキも食べてしまいました朝日今日は熱海城の方へ~桜が満開でとっても綺麗でした遊覧船に乗りに行ったのですが70人乗りに乗客は私達だけなので運転も経験させていただきました車の運転より簡単~船乗りに転職しようかなと思いましたいよいよ日曜日からエジプト旅行ですただ母親が温泉旅行だけでも疲れるみたいなのでキャンセルすることとなり父親と2人で行ってきますたくさん写真を撮ってきますので楽しみにしてくださいねSOUL ROOMしばらく前、考えていたことがあります。なぜ生き続けなければ成らないのか?という疑問です。もちろんこの生き続けるというのは、今生のことではありません。生命(いのち)に終わりが無いということは延々と何かをし続けなければ成らないわけで、それはそれこそ永遠にということです。多くの場合100年に満たないの一回の人生だけでは当然短すぎるのですが、それが百回、千回となり、その後でもまだ別な世界があって、それこそ地球時間で何億年以上も生き続けることに少々の抵抗感とその意味について考えていたのです。私の今の人生では、喜びを感じていられます。確かにそれはすばらしいものだとは思うのですが、それが何億年も続いたらいつまで喜びとして感じていられるのかという疑問もあったのです。答えを書きますが、ちょっと概念的な部分から「相対性の世界」というのが私たちの活動エリヤです。(本当は場所などは無いのですけど、それは置いといて) その相対性という言葉の解釈にその答えがあったのです。私たちのよくある思考パターンで言うと、相対性とは、どっちが長いとか、高いとか、あるいは賢いとか、あるいは成長しているとか、とかく二つのものを比べることだと考えてしまいます。もちろんこの相対性というのも間違いではないのですが、もう少し視点を変えると別な相対性も出てくるのです。まず比較のために、前者を「比較相対性」と勝手に言葉を使って説明します。この相対性は文字通り両者を比較することの相対性です。ここで重要なのはある種の物差しを使ってそれを比べるということです。もちろんこれは物差しという物理的なものがあるということではなく、概念的ではあってもそれなりの基準に当てはめてそれを評価するのです。ここで大事なことは「物差しが在ること」と「評価する」ということです。これが私たちの一般的な相対性なのです。一方もうひとつの相対性は「成長相対性」あるいは「無限相対性」とでも言いましょう。この場合には特定の物差しは必要ではありません。この言葉の意味は「成長には限界が無いよ」という意味なのです。ここで比較するのは両者ではありません。「今の自分」と「以前の自分」など同じものの比較なのです。なかなか言葉で説明するのは大変です、フィーリングで理解して欲しいのですが、前より高く、前より賢く、など成長の相対性です。これは同時に以前より良くなると言うことの繰り返しを意味していて、「無限」という意味でもあるのです。私たちの成長は決して後戻りすることはありません。これは重要なポイントです。なぜなら一見後戻りしているように見えることがあっても、それは次の飛躍のための準備であり、決して無駄なものではないのですから。なにをしていようが無駄ではないもの(経験)が貯まっていくのですから、後戻りするということは無いのです。くどいですが、それは「無限」という意味でもあるのです。言い方を変えると、「成長することの喜びは無限に味わうことが出来るよ。」という意味になるのです。それこそ無限の喜びなのです。(もちろんこの言葉の意味は別なものもあると思いますが) もうひとつ、すごく大事なことなのですが、「成長相対性」の場合は他者とくらべて評価するようなことはしません。対象はあくまで、自分であり、本人なのですから、そこに評価というものは存在しないのです。そのかわりそこにあるのは、自分の喜びであり、他者からの祝福なのです。他者を評価することは、他者を決め付けることになり、それは他者の自由を束縛することになります。これは「愛」の姿勢ではないのです。いっぽう成長の喜びを感じること、他者の成長を祝福すること、これはまぎれも無く「愛」の姿勢なのです。ついでに書いておくと、「比較相対性」はべき論につながります。「成長相対性」は自由につながるのです。
2008年04月04日
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