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こんばんは!ルミルミです先週の3連休には両親を連れて2泊3日の東京見学に行ってきました1日目は渋谷に行って遠い親戚が経営している中華料理店に行ったのですがなぜかお店が変わっていて移転したのか閉店したのかわかりませんでした残念せっかく渋谷に来たので渋谷109で高校生に混じってお洋服をゲット、妹の分もそしてうな重を食べました~とっても美味しかったホテルでチェックインして親も疲れているので部屋でゆっくりしました~夕食はホテルのイタメシただ暇なので有料映画でジャックニコルソンとモーガンフリーマンの最高の人生の生き方を見ました人生を楽しく生きるために遅すぎることは決してないという感動的なストーリーでした余命6ヶ月と宣告された2人が自分達が棺おけに入る前にやりたいこと見たいもの、体験したいことをすべて書き出した~棺おけリスト~にそって最後の旅行に出かけるのです70歳の俳優2人が主役で、癌で死んでいく話なのに、みんながニコニコする明るい映画を作れるのはハリウッド伝統の技かもしれないですね2日目は東京のお友達が車で浅草・赤坂サカス・上野に連れて行ってくれました両親はだいぶ足が弱っているのでとっても助かりました~ありがとうございます感謝感謝ですお昼はしゃぶしゃぶ夜は北海道料理を食べものまねショーパブにでかけ松田 聖子のそっくりさんと撮影したりしました3日目はお台場に行ってメキシコ料理を食べたりと楽しみましたよ来月はマタマタ東京へクリスマスモードのディズニーランドに行ってきますSOUL ROOM~戦争について2~戦争についての学びや体験に関係した意味はもうすでに書きました。又カルマと言う観点からも説明することが出来ます。イラクが湾岸戦争でクウェートに侵略戦争をおこしました。イラクはその行動の責任を取らなければ成りません。またクルド人に対して行った虐殺行為の責任もあります。一方アメリカ側では、今回は(石油の利権からみの)完全なる侵略戦争です。当然近いうちにその償いが求められることになります。それがどのような形で現れるかは今後の歴史が教えてくれるでしょう。というのがカルマ的な解釈です。 さてもう少し視点を広げて見ましょう。人類はその成長の過程で今までも何回も戦争を繰り返してきました。そしてそのたびに少しずつ戦争の愚かさに気づく人が増えてきています。それこそ戦争が悪いことだと多くの人が考えるようになったのは最近のことなのです。何度も似たようなことを書くことになるのですが、人類が戦争の愚かさを見にしみて感じるまで戦争がおこるのです。そしてある意味今回の戦争ですくわれるのは、個人個人の反戦運動の盛り上がりに加えて、他の国家からの反対の意思表示があったりしました。それなりに人類は進歩してきているとも言えるのです。それにはマスコミなども一役かっていることも事実なのです。 アメリカも戦争反対の世界的な世論があるので、あまり非人道的なことは出来なくなっています。30年ほど前のベトナムでは、一つの村を皆殺しというようなことまでアメリカはやっていたのですから。世界中がアメリカの起こす戦争を監視しているわけで、それは平和への重要な一歩であることは間違いありません。 なぜブッシュが戦争を起こしたのでしょうか? もうすこしわかりやすくいうと、ブッシュの父親が大統領のときに湾岸戦争がありました。その息子が大統領になって今回の戦争を起こしたのは偶然だと思いますか?なぜブッシュの側近に石油産業で稼いでいる人たちが多いのでしょうか? なぜ、911事件がブッシュが大統領になってからおこったのでしょうか、それによってアメリカの反アラブの意識が盛り上がってきてしまいました。 偶然だと思いますか?世の中に本当の意味での偶然などは無いのです。あえて言ってしまえば、運命という意図によりブッシュは戦争を始めるように誘導されてしまっていたのです。おそらくブッシュの身の回りでは全てのことが開戦にむけて事態が進んでいたのです。とくに父子の問題までここに絡んでくるというのはちょっとやりすぎだと言いたいところです。父子でもって大統領をやっていて、息子は親を超えようと思うかもしれません。また親の汚名を返上したいと思っているのかもしれません。ただでさえ親のブッシュがやった湾岸戦争の評価が分かれているところで、息子のブッシュは何を考えるでしょうか? 実は父子の間の感情的な問題は多くの場合非常に複雑で根の深いものがあります。息子ブッシュにとって何が本当に正しいことなのかなどと考えるのでもなく、父子の感情的な問題に流されてしまうのはある意味当たり前のことなのです。 じゃいったい何がブッシュを戦争に導いたのでしょうか? 摂理という答えも出来るかも知れません。地球人の集合意識ともいえます。アメリカ人の集合意識とも言えます。私としては断言できませんが、カルマというものの問題と同じところにこの意志決定者がいるのだという気がして成らないのです。荒っぽい言い方で確信を持っていえるわけではないのですが、この戦争はおこるべくしておこるように仕組まれたものなのです。どうしたら戦争をなくせるのか?まず良くないエネルギーのところで説明したように、私たちの日ごろの考え方にも責任があるのです。とは言ってもこれにはそれなりの魂の成長が必要なことなのですぐに出来るわけではありませんが、少なくとも日ごろから霊性を上げるように心がけて少なくとも自分からはその様なエネルギーを出さないということが大切です。 それからもう一つ大事な、しかも有効な方法があります。それは「祈り」です。祈りというものはものすごいパワーを持っています。それも人の為に祈るとき、多くの見えない意識体がおおぜい協力してくれます。祈りというものは自分自身に関してのものは自分の成長に関係あるものしか力を発揮しません。しかし自分以外の人の為に祈ることは本人が思っている以上にパワーが発揮されます。それに祈っている人の霊性の向上にも役立つのです。 単に世界の平和について祈るのも良いのですが、今の状態だと戦争で苦しんでいる人たちのために祈ることが良いと思います。とくに亡くなってしまった人がその死を素直に受け入れるように、そして被害者になった人たちが、怒りや憎しみを出来るだけ持たないように祈ってあげるのが良いと思います。その様な祈りは霊界側から人間を手助けしてくれようとしている多くの善意の意識体に力を与えることになります。それはより多くの人の気づきにつながるし、そして汚れた見えない大気を浄化する働きも期待できるのです。 もちろん現世的には反戦運動に参加してみるのも大事なことであるのは間違いありません。 わたしも改めてここで、出来るだけ多くの人が気づきを得られるように祈ります。本当は戦争などという体験をしないで、争うことの愚かさを知るのが一番良いことなのですが、、、
2008年11月29日
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アトランティス伝説の島サントリーニ島世界一美しいと言われる夕日こんばんは!ルミルミです最近仕事の方は近い大阪支店で広いし人も多いし昼ごはんも美味しいし最高です~ところで旅行大好きな私は又海外に行きたいと思っていたのですがいつも一緒に行く母親が血栓症になってしまって長旅・・特に飛行機はダメでしかたないのでお金と暇のある公務員のお友達とお正月休みに一緒にギリシャに行くことになりました本当は冬のギリシャより常夏のフィジー島とかタヒチ・ニューカレドニヤ島とかに行きたいのですが・・お友達はギリシャのサントリーニ島かオーストラリアのエアーズロックに行きたいというので・・ギリシャのサントリーニ島は2年前ぐらいにブログに書いた程行きたくてお友達に熱い思いを語ったのがあだになりましたエアーズロックの方は現在関空にカンタス航空が撤退した為に本数が少なくお正月旅行の売り出しでもすぐ満杯で取れる状況ではなかったですしかたないのでギリシャにしましたが・・冬の日本海みたいかな~でもアトランティス伝説をもつロマンティックな島でエーゲ海の青い海と夕日(世界一美しいらしい)が織りなすコントラストの素晴らしい絶景をバックに新鮮なシーフードを食べるのが楽しみです~あとはエジプト旅行に続くアテネのアクアポリス遺跡めぐりですね旅行目指してお仕事頑張ります~SOUL ROOM~戦争について~なぜ戦争が無くならないのか・・それは「まだまだ人類が未熟だから」と言うことになります。幼稚園児が何人かで遊んでいると、時たま喧嘩をします。それと同じことをおとなは戦争という形で表現しているのです。人類を幼稚園児と同じだと私が書くと心外かも知れませんが、じっさいのところ人類の成長レベルは残念ながら幼稚園なみでしかないのです。 もう少し砕いて書いてみます。喧嘩をした幼稚園児になぜ喧嘩したのかと聞くと、「だって○○ちゃんが、こんなことしたんだよ。」とか、「だって、○○ちゃんずるい」とか、「こんなこといったよ」などなどいろいろな理由が出てくるでしょう。いったい今の戦争とどこが違うのでしょうか。始末が悪いのは、おとなは武器を持っていることです。武器という危ない玩具を手放すこともできません。そんなことは無い、おとなには良識と言うものがある。と反論する人もいるかも知れませんが、本当に良識を持っているのでしょうか?その良識と思っているものもまだまだ底が薄いと言うのが残念ながら実情なのです。 人類は長いこと戦争を繰り返してきて、ようやく約半数の人が戦争はいけないことだと気が付いてきました。しかしまだまだその気づきはたりません。その説明をしましょう。実は戦争だけでなく争いごと全てが本当は良いことではないのです。人と人が争って本当の平安があるのでしょうか。これは今の社会全体に潜在している問題です。たとえば学歴偏重も立派な争いをうみます。資本主義経済で、お金を持った人間が社会をコントロールして何が悪いんだ、と、考えていること自体、もっている金の量で争っているのです。優劣を競うということ自体にその問題があります。 まあ要するに、人類の未熟さが戦争と言う形で表に出て来たの言うのに過ぎないのですが、しかしもうちょっと霊的な意味で補足をしましょう。地球の(霊的な)大気の中に人類が日々争うことで、決して好ましくないエネルギーが発散されています。これは地球上のほとんどの人が知らず知らずに作り出してしまっているのですが、その原因は上に書いたような社会的な未熟さが原因なのです。そのエネルギーはさながらスモッグのように地球の表面を取り巻いているのです。その好ましくないエネルギーはどこかで燃やしてしまわないとたまる一方で地球はもっと悲惨な状況になってしまいます。というかある程度以上の濃度になるとどこかで燃え出すと言う方が正しいのです。この観点でいうと戦争は人類の好ましくない思念エネルギーの捌け口になっても居るのです。 わかりやすく言い直します。地球上のどこかで起こる戦争や紛争は、全て地球人が日々作り出している好ましくない闘争的なエネルギーが燃料となっているのです。このエネルギーにより戦争がおこるというのはある意味しかたないことで、摂理にかなったことなのです。ここで大事なことを確認しておきましょう。戦争の本当の責任は、当事者であるアメリカ、イギリス、イラクにだけあるのではありません。言ってみれば人類全てがその戦争のおおもとの原因を作り出しているのです。このことを多くの人間が理解しないと戦争はなくならないということなのです。皆、誰でも「戦争」はいやだと思っています。正しい事だとは思っていないでしょう。なのに何故起きるのでしょうか。 残念ながら、戦争を正しいことだと考えている人たちがまだまだおおぜいいます。目的が正しければ戦争は許されると考えている人たちです。911の連続テロ事件もアメリカの学びの為であるという側面も間違いなくあるのです。 調和が進めば戦争など考えることも出来ないレベルになります。それよりも個人どうして争うことも全くなくなります。争いというものの無意味さを全ての人が理解しているのですから。しかしその段階までにはまだまだ気の遠くなるような道程が必要になります。今はその調和に至るまでの間に体験しなければならないことの一つとして戦争があるのです。 言い方を変えると、成長(真の調和)の為に戦争の体験が必要だから、戦争が起こっているのです。戦争がなくなるのは人類がある程度のレベルまで成長すれば自然となくなります。とりあえず大規模な戦争が起こらなくなるくらいのことはそんなに遠いことではないかも知れません。それも人類の成長の度合いに掛かっています。戦争は人間に何をもたらすのでしょう。 戦争はやはり非常に愚かな行為で、決して歓迎できるものではありません。それには重大な欠点があります。 戦争の意味には様々な側面があると書きました。これは様々なメリットもあるということでもあります。すでにいくつかのメリットを書いていますが、それらは人類的、国家的規模はもとより、それに関係する人、関心を持つ人すべてにとって意味のあることなのです。きわめて大雑把にいえば、全て成長の為のチャンスなのです。 ごく初歩的なことなのですが、確認しておきます。命にとって肉体的な死というものはそれほど意味のあることではありません。死んでしまってもまだまだ道は長いのですから、大勢の人が戦争の犠牲になり尊い命を落とすというのは、現世的な感覚であって、本当の意味では被害者はいないのです。ちょっと乱暴に聞こえると思いますが、ある意味戦争というものは学びのためのデパートのような意味合いもあったりするのです。 全てのメリットを挙げることは出来ないのでいくつか思いつくまま書いてみます。 戦争に限らず親しい人の死というものはその人の成長にとってとても重要なきっかけになることが多いのです。非常に悲しい思いもするでしょう。しかしそれによって生命(せいめい)というものを考えざるをえません。その人の魂の目覚めの為に必要なきっかけにもなるのです。 なぜこのことを最初に書いたのかもう少し詳しく説明しましょう。残念なことに多くの人間が魂の存在について気が付いていません。それは自分が誰であるのかも気が付いていないということです。その場合は命はまだ種というか、卵子とでもいうのでしょうか、まだ完全に目覚めて精神的な活動を開始していないのです。この状態ではまだ本格的な魂の成長が始まっていないのです。もちろんすでに魂が目覚めていて、表の意識がそれを認識していない場合もあるのですが、そういうのではなく魂自体がまだ眠ってしまっているのです。これはいくら永遠の生命(いのち)であるといってもある意味ではまだ生まれていないのと同じことなのです。親しい人の死や場合によっては自分自身の死によって始めて自分の本質が生命(いのち)であることに気が付くのです。いってみればそこは魂の誕生の場でもあるのです。(少々大げさかもしれないけど) ドラマは死別以外にもいろいろと起こりえます。勝利の喜びを体験できる人もいるでしょう。逆に敗北を味わう人もいるでしょう。大きな不安のあとで、大きな安心を感じる人も考えられます。別離も、そして再会のドラマもあります。危機の中で、家族に対しての愛を再確認することもあるでしょう。使命の為に命を投げ出すというドラマもおこります。そして大事なことは争うことの無意味さを、許すことの大切さを理解する人もいるでしょう。実に様々な体験のドラマが内在されているのです。 ちなみに勝利の喜びなどは争いが無ければ体験することは出来ません。ある意味原始的な世界でのみ体験できることなのです。このようなことを考えると現在の地球もまんざら捨てたものでは無いのです。私が地球が素晴らしいところであると感じる要素の一つでもあります。 反戦運動を頑張っている人たちも大勢います。もちろんこのような人たちの中でもドラマがおこります。そしてそれはより霊性の高い理解へとつながっていくのです。また戦争を悪と考えない人に対して教師の役割もしているのです。反戦運動も大いに頑張って欲しいものです。 さて、デメリットについても書かないとあまりにも片手落ちになります戦争の一番の問題点は「苦しみ」をもたらすことです。悲しみは成長につながることがあるのですが、苦しみは何も生み出しません。苦しみにより魂までもが傷ついてしまうのです。この傷は何らかの方法で癒される必要があるのです。また「怒り」などの感情をおこします。怒りなどはいつでも体験できることですか必要以上に怒りの感情がおこることは望ましいことではありません。そして恐怖という人々を愛から遠ざけてしまうものもそこには存在することになるのです。 また予期せぬ突然の死を迎える人が出てくる為、死にたいしての準備が出来ないうちにあの世に旅立たなければならないこともおこります。その様な場合、本人が死というものを自覚して、あの世に適合するまでに時間がかかったりするのです・・次回に続く
2008年11月03日
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