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本当に3ヶ月ぶりくらいになるだろうか、久しぶりに郵便物の整理をした。このかんとどいていた郵便物はほとんど見ていなかったのだ。するとこれまで来ていなかった、個人事業税というのが一期1万円くらいの支払いをせねばならないらしい。この9月頃からの請求書、督促状が何通も届いている。それにこの間一期3万ほど払っていた健康保険税の内訳は単に健康保険だけではなく、介護など高齢者の必要から来る保険のようなものが2万あり、新ちゃんの分も1万あることに気づいた。税金お支払いがこれほどまでにあると、少し気が重いが、何とかやれているのだから、じぶんでも本当によくやっているのだと思う。梅きりが何とかうまくいって、ある程度まとまった売上になれば良いが。ともあれ今年の12月は、余り他のものには手を出さず榊と梅と桐くらいに絞ってゆこうと思う。それでどれくらいになるか試してみよう。
2009.11.30
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2009.11.30
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2009.11.30
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昨夜は少し変な夢を見たホ・オポノポノの本など読んだせいかもしれない。大事な財布を落として困っている夢もみた気がする。ところで、「みんなが幸せになるホ・オポノポノ」を再読していて私にはとても疑問に感じるところが多くでてくる感じで、そうおいそれとはその世界に近づきたくない感じがしている。「ホ・オポノポノで大切なのは、誰にどんなことが起きようと、100パーセント自分の責任だということです。」(p41) こういう言葉がある。これはどういう言葉なのだろう。 私がこの言葉を受け入れられるとしたら、 この私とはこの個人としての私ではなく、大いなる存在、この全体と一つであるということを自覚して生きている、その現実を生きている人としてというのなら、少しは分かる。そしてこの本を深読みすればそのように考えるしかない。ところがヒューレン氏はそのような言い方はせず、言葉の流れとしてはこの個人としての私のことのように言う。そこから分かりにくさが生まれているように私は感じる。 前にも書いたけど、このような言い方をすれば、アフガンやイラク、チベット、北朝鮮、あるいは日本のどこかで、人が殺されていたり、とてつもない苦しみが生まれていても、皆それは私個人の中の記憶の性であり、すべて私の責任である、みたいな言い方になる。ホ・オポノポノノにかかわっている人はそのような疑問は感じないのだろうか。敬子さんにも聞いてみたい。こういうことをどう理解すれば良いのか。 あるいは私が犯した事件に関し、ヒューレン氏が私に近づいてきて、それは私の責任である、みたいなことをいい、彼の中の記憶を消すことで、私がそうしたことから自由になるようにしてくれるとしても、私はそのような関わられ方は拒否したい。余計なおせっかいである。私は私が行ったことに関し、自分で出来るかぎりの責任をとって行きたいし、それが誰かほかの人によって負われることなどあるはずがないとしか感じない。 ただし私の責任の量と深さについて、厳密に推し量ることは難しい面もある。私が私の犯した罪とそこに至る生き方、人間関係、その過ちに目覚め、そこから立ち直ってくる過程で犯した誤りとその見つめ直しなどから得た結論は、私が犯した誤りは、私がその主体的責任を負う必要のあることだけど、すべて私の責任で、私を囲む、あるいは私が属するこの社会、世界には何の責任もない、というわけでもないことにも気づいたからだ。 私が日本の過去と現在の侵略・差別などに悲しみや怒りW感じ、それを何とか是正しようとした動機に中には、現実にそのような侵略と差別、それに苦しむ人たちがいたし、そのことに無責任な言動を繰りかえす、政府や多くの人々もいた。さらには私がそのような方向に歩むのを間接的に支えた事柄の中にはこういうものもある。社会のあり方、教育のあり方、天理教のあり方、不仲だった父母、そのような父母を作りだした父母の周りの人々、その時代の軍国主義など。そうした様々なことが間接的に絡み合ったなかで私の犯罪が起こった。それを行った私の主体的責任は、けして見逃されてはいけないけど、私が犯したような誤りが繰り返されないためにも、そうした私の犯罪にかかわりのある事柄も是正される必要があり、そのことについてきちんと言っていくのも私の責任なのだ、ということなどもある。。 そういう考え方から私は刑務所服役中も、受刑者の再犯性を高めるような非人間的な扱い方、対し方はやめてくれるよう働きかけを続けた。それが罪の責任を取るあり方であり、そのようにすることで早期出所はありえず、満期出所しかないことも覚悟の上でそうした。 もうあまり書かないけど、そういう私の犯した過ちと、それを見つめなおしてきた過程からして、かりに誰かが私が犯した罪に関し、いや私に責任があるのよ、などといってきたら、とても受け入れられない。また私だけに責任があるといわれることも受け入れられない。ホ・オポノポに関わる人たちは、こういう私にどのような言葉をかけてくるのだろうか。 それとこの本でヒューレン氏が引用している、彼に学んで良いことが起こったとされるマリア・I・グエレロさんお書いている言葉の中にもごまかしを感じる。彼女は自分の上司がひどい人だと感じていたのだが、ホ・オポノポノを始めてからクリーニングし続け、彼に本当に感謝できるようになりましたと書きつつ、彼が転任すると聞いたとき、真っ黒な雲の合間から、さっと光が差し込んだような気分でした、とある。(P48) この言葉から感じられるのは、それまで彼に感謝しているといいつつ、現実には彼女がいかに彼を嫌っていたか、いやに思っていたかということだ 。真っ黒な雲という言葉がそれをさして余りある。彼が自分を見つめる機会を与えてくれたと本当に感じていれば、真っ黒な雲などというような形容はけしてでてこないだろう。このような言葉は、いわばほ・おぽのぽの繰り返しすべての責任は私にあるなどと、繰り返し自分にいい続けることで、いわば洗脳状態にある人から出てくる感覚なのではないだろうか。ヒューレン氏も、そのような表現の偽者性に気がつかなかったのだろうか。 いろいろな疑問はあるけど、今日はとりあえずこれで。ホ・オポノポノ関係者がこのような私の疑問に応えてくれれば嬉しい。
2009.11.29
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事務室を機能させるために、あれこれ整理、持ち込みなどしていて、こんなものに気づいた。これは1977年頃爆薬の量を計るために使っていたものだ。東京地検に押収されていたものを返されたとき、家に送っていたのを、かなりまえにみつけて、山菜などの量を計るのに使っていた。かなりまえ。
2009.11.29
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榊は日当たりの良いところでは、こんな風に葉がいろづく。きれいなものもあるが、たいていは汚れた感じになり、売り物にはならない。
2009.11.28
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もう正月用の苔の付いた梅木の枝を切り始めている、。今年は幸運なことに、近くの梅並木のようなところを、かなり自由に切らせてもらえることになった。とりあえず妹の連れ合いのYさんとしんちゃんに切らせて、暇を見て私が荷造りする形。二人のまとまった仕事もできて良かった。
2009.11.27
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2009.11.26
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2009.11.26
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2009.11.26
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2009.11.26
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2009.11.26
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やっと机を入れた。二階は私の個室
2009.11.21
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ここ3ヶ月ほどだか妹が通い始めている可児市の早稲田クリニッツクに私もドクターととはなしたかったこともあり妹とともに行く。彼女が疲れやすいこともあり、一人で車を運転してよくのが難しい感じでもあったからだけど。妹がそうしたところで当り障りのない話しか出来ないようなこともあり、私が家族として私から見た妹の状態を、医師に伝えることもいい気がしたこともある。ともあれ、妹と共に診察室に入り最初は妹と医師の話のやり取りを聞いていたけど、薬の出し方などについての話がつづいたので、私のほうから関連したことだけど話題を変える形でいろいろ妹の状態について話をしていった。その結果、次回は心理テストを受けてどういう問題が、傾向があるのか検査すること、また石との間では長い時間を取ることが出来ないので、カウンセラーに話しを聞いてもらったりする時間を作ること、そういう方向に話が進んだ。カウンセリングは、1回1時間千円だということも聞いた。カウンセリングをする人の力量の問題もあるからどうなるかは分からないけど、これまで川辺のクリニッツクで、10分も話せればいいほうだったことなどからすれば、いい方向への進展ではある気がする。妹が自立支援法の関係の申請をしていてその手続きも行われ、次回から費用が3分の1になることになった。それもよかったと思う。私自身も妹に対する関係のあり方のなかにある問題をもう少し深く見つめる必要、自分の態度変容の必要も感じた。
2009.11.21
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2009.11.19
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2009.11.19
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ここ数日間このキジのメスは、野の花社の裏の畑付近でよく見かける。私たちが近づいても、あまり逃げない。なぜか、次の写真で少し分かる。
2009.11.18
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かなり近づいたら足環をしているのに気が付いた。誰か飼い主がいるのかもしれないと思い、少し追って捕まえて、その足環をみたら岐阜21-473とか印が入っていた。で七宗町の役場に電話をかけて問い合わせたところきじの生態を調べるために放鳥したものだろう、捕まえないで逃がしてほしいということだった。メガテンがいるので、やられはしないかと気になるがここ数日間うろうろしているところからして、少し大きすぎてメガテンも捕まえるまでには至らないのだろう。ためしにメガテンと顔を合わさせたところ、メガテンは、獲物がいるという感じの独特の鳴き声をして追い始めた。途中でメガテンを叩いて、警告をしておいたけどこれからどうなるかは、成り行きに任せるしかない。
2009.11.18
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ここ数日間このキジのメスは、野の花社の裏の畑付近でよく見かける。私たちが近づいても、あまり逃げない。なぜか、次の写真で少し分かる。
2009.11.18
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2009.11.18
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2009.11.18
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2009.11.17
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今日は風が強くて木の上は寒かった
2009.11.15
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2009.11.15
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愛と心理療法、スコット・ペックの著書の中で彼はタイトルのようなことを書いていた。今の私にはこういう態度が必要だ。それは今の状況から来る困難を私が背負い苦しむというようなことではない。この状況を、自分自身の成長、より深い気づきのために使うということだ。他の家族、共同生活者のためではなく私自身のために徹底して使うということだ。そういう言葉を知ること自体が、私の中にある決断や、そこから来る心地よさを生み出すのを感じる。言葉の背後にある実質、真実が私の何かを呼び覚ますのだ。
2009.11.14
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本は余り読まなくなっているのだけど久しぶりにこの本はじっくり読んだ。彼の文体、感性、認知が私にはなじみやすいものだということもあり久しぶりの何か全体的な、というか単に心理療法だけではなく、もっと広く人間のあり方に関する何か根源的なことを触発される感じだった。本を読むことを忘れてしまっているような最近の私が、あらためて本を読むことの喜びを知らされたような。たとえば以下のような言葉が心に響く。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここでいう「奇跡的なもの」は、例外的な現象だけをさすものではなく、ありふれたものを含む。というのは、どんなことでも、十分に厳密な注意を払えば、この特別な意識を呼び覚ますことができるからである。知覚が先入見や個人的興味の枠から解放されると、あるがままの世界を経験し、それに固有な荘厳さを自由に見ることができる、、、。奇跡的なものに気づくには、信仰も仮説もいらない。生命を与えられているもの、つまり、いつもあるので大抵はあたりまえのものと片付けられているものを、じっくりと観察するだけでよいのである。この世の新の奇跡はどこにでも見出せる。われわれの体のほんの小さな部分にも、宇宙の果てしない広がりの中にも、これらのものすべてが深く相互につながっていることの中にも、、、。我々は見事にバランスのとれた生態系の一部であり、そこでは相互依存と個性化が共存している。我々は個人であるとともにより大きな全体の一部であり、、筆舌に尽くしがたいほど広く美しい何かのなかで、一体となっている。奇跡に気づくとは、自己実現の主観的な本質であり、人間の最も気高い特性と経験の育っていく根源である。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー同上書p247 以上引用終わりこういうことが淡々と語られているのがいい。ともかくここはそうでもないかもしれないが、全体的に非常に地に足の付いた、おだやかな語り口、高ぶるところがない、真に謙虚な語り口がいい。
2009.11.13
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2009.11.12
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下腹にも白い腹当て?があり、メガテンは神様の贈り物
2009.11.12
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コスモスが枯れたので切取ったら、その石垣沿いに植えていたアゲラタムの花がいい感じで並んでいるのに気が付いた。来年はコスモスなどそこには植えず、アゲラタムをもっといっぱい植えたい。コスモスはもっと花壇の、庭の奥に植えるとか庭の美しさも表現したいそんな気持ちになった。
2009.11.12
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2009.11.10
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大きくなったぞ
2009.11.10
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2009.11.10
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おだやかな朝からだは少し疲れのようなものが残っている暖かくて、ひざしが柔らかく朝露の降りた野の花社の裏の畑を歩くいろいろなことが起こり続けどうしたら良いのか良くは分からない流れに任せつついまできることを続けできないことを保留しやりたくないことはやらずこの地の底にある暖かいもののことを思いつつうねうねとあるって行く兄が2日ほど前に岐阜のアパートに帰った生活保護費を岐阜市から支給されている関係で、もう野の花社にいることは限界にきていたこともある少し元気になり、何とか生活できるかなという思いもあったのか兄のほうからそうするといってきて岐阜の兄のアパトに兄を送っていったその後、兄とともに岐阜市役所に行き生活保護の担当の人と話し合いもした当面生活保護を打ち切られることはなくなった兄は主治医の勧めてくれた岐阜市の障害者に関わる幾つかのかいなどに顔を出し兄に合うところに出来るだけ出かけるなどして何とか岐阜で自立して生活できるようにすることができればいい一応兄としてはそういう方向で、努力してみるということだった兄がそんな方向へ、何とか1歩でも歩んでくれるればと祈るような気持ちがある長い病院生活の後、野の花社での長い休暇?ののち兄にさちあれ兄にさちあれ長い困難の中を生きてきた兄に人としてのさちあれ
2009.11.09
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荒っぽく植えただけのニンニクが芽を出した。
2009.11.07
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11月3日の関の福祉会館だかでの岡部明美さんの講演会に出たのはよかったけど、野の花社に帰ってくるとまたいつもの生活が始まり、少し気分がローになり、体の疲れが溜まっているのを感じる。やはり今のここの状況を重たく感じる。それと市場の人から依頼された仕事のの選択の難しさも感じている。かなり前に山ゴケの注文があり、数がたくさんだからとりあえずサンプルを取ってきてほしいということで、3ケースほど取ってきたのだけど、その仕事の正式の依頼があり、5ケースとってきてほしいということだった。20ケースぐらいの注文がないと、仕事として割に合わないのだけど、と言うのはその苔があるところが遠くそのコケ以外にあまり取るものもないからだが受けてしまった以上、やるしかない。そのほか新ちゃんや他の人の仕事も考えて、ヤマシダと言う、乾燥気味の山によく生えているシダの大量の注文を受けたのだけど取るのに手間がかかりそうで、他の仕事がしにくくなりいろいろ仕事に手詰まりが来て、結局それを補うために、私がハードに働く以外にない気がしてきて少し気が重くなっている。なんとなく体調が今ひとつの感じもある。でもこれを機会に、ディヤンの言う如く、市場の人たちに対してもこころを鬼にして、マイペースでやること、なるべく注文は受けないことを基本線にしてゆきたい。ともかく注文が多く、それに応えているとつい働きすぎになってしまう。ここら辺も、私の生活の変革の、大切な点だ。もう12時になってしまう。風呂に入って寝よう。余り心も体もすっきりしていなかった今日だけどその私を変わりなく支えてくれている私の身体と、命のエネルギイ、不可思議な存在の働きに少しは心を傾け、形だけでも手を合わせて、今日を終えることにする。
2009.11.05
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美しい実のなるツルリンドウが群生しているのを見つけ、採ってきて、今朝植え込む。
2009.11.04
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2009.11.04
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2009.11.04
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一昨日妹とその連れ合いとしんちゃんと私の四人でここの紅葉を見に行った。
2009.11.02
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町民税プラス国保税105000円を毎月のように払うのは、かなり大変な気がする。税理士かなにかに相談してみたい。
2009.11.01
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今日は高山のほうにアジサイを切りに行った。200本近くを切ったし、近くの山で注文の小さな松も8本ほど楽に切れた。松は土砂置き場にようになっている、山すその荒地に生えているものだから、許可を得ていないけど、負い目のようなものはない。懸命に生きて、生えていた、松には申し訳ないけど。その位の、余り疲れるような労働ではなかったのだけど、野の花社に帰ってきても嫌に疲れを感じ夕食後蔵の自分の部屋に入りすぐ寝てしまった。12時頃目が醒めたけど、体の疲れが激しいのを感じ、ひとまず熱いシャワーを浴びてから、背中に気持ちのよいマッサージ用の?ライフプラスのワンダージェルを塗ることにする。これは今のところこうしたときの私の愛用品で、即席にだけど身体をすごく気持ちよくしてくれる。でやっと、少し気持ちよくなってパソコンに。疲れは、一昨日夕方になって新ちゃんに頼んでいた近所の人の畑の、荒れ果てた梅ノ木のせん手を、新ちゃんのやり方では日にちがかかりすぎ、1時間500円払うとしていた私の計算が狂うので、自分で大まかに2時間ほどで、その梅畑の梅の大きな枝だけは手で切ってしまったことから来るようだ。がんがん力をこめて、ばっさばっさ切り落とした。おかげで次の日1日、新ちゃんがその枝を少し整理する形で細かくしてその仕事はきりを就けられたのだけど私は少し無理をしたようだ。昨日今日と、身体が疲れているのを感じる。もちろんこれは、それまでの疲れの蓄積もあるのだろうけど。最近野の花社の裏の山すそのにアジサイを植えるべくそこにあるヒノキなどの枝打ちを山仕事をして帰ってきてから1,2時関していたこともある。仕事のやりすぎである。明日は、もう今日のことかそして明後日は、体力を要する仕事はしないことにしよう。ノンベンダらりんとしよう。身体を休めよう、身体に休息を上げよう。本当によく働いてくれている、この私の大切な、愛する身体に。
2009.11.01
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