2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
2011
2010
2009
2008
2007
2006
2005
2004
2003
2002
1月
2月
3月
4月
5月
6月
7月
8月
9月
10月
11月
12月
全1件 (1件中 1-1件目)
1
紅葉の季節がやってきた。早春の梅と若葉、春の桜と菜の花、ツツジと新緑の五月、紫陽花の6月、夏の向日葵と朝顔、そして紅葉の10月、11月。肌寒い秋の訪れと共に、私は過ぎし1年の振り返りをはじめる。そんな時に、いつも読み返す詩がある。それは、「京都の紅の秋」青年時代からご縁があって、ずっと温かく見守ってくれた人生の大先輩が7、8年前に贈ってくれた詩。今はすでに、齢80を過ぎている方だが、その頃、ぼけ防止にとパソコンでいろんな文章を綺麗に打って、いろんな人にカードで贈っておられた。その時に頂いた詩である。左は、昨年箱根に行ったときの紅葉、右は丹沢の紅葉 元の詩の抜粋の、そのまた抜粋であるが紹介したい。 「京都の紅の秋」 「燃えて生きよ」と告げていた 「ひた紅に生きてみよ」と歌っていた 華よりも華やかに、金襴の錦よりも豪華に、京の愁色は 柔らかな炎を噴きあげていた 紅葉は葉の熟年であり、老年といえる 「もみじ」は本来、「もみづ」(もみいづる)という動詞だという 秋の風や時雨がひと葉ひと葉の中から、それぞれの色を「揉み出し」 ていく。人も年齢とともに、よきにつけ悪しきにつけ、心の底のもの が表に出てくるように 左は奈良公園、右は修善寺公園の紅葉 秋が暮れると、葉の中の葉緑素は壊れて、緑は消える。すると、緑に隠れて 見えなかった黄色の色素が表に出てくる。これが黄金(きん)の葉となる 紅い色素は、葉の中の糖分が変化したもの。日光による光合成で出来た糖だ いわば、「自分の体に貯えた太陽」を燃やしているのが紅葉なのである 蛍がわが命の中の光を振り絞り、吐き出し尽くして逝くように 左は霊峰御嶽山、右は安芸の宮島、紅葉谷公園 秋という蒔絵を彩(いろど)る木の葉の朱も金箔も、生涯の最終章を飾る渾身の光だ 千葉が舞い、万葉が謡う、生の最後の祭りなのだ。紅葉は自らの姿で語っている 「人よ、あなたよ、炎(も)えて生きよ。死ぬほど生きよ。ひた紅に生きてみよ 生命に貯えた人生の春を燃やし、夏を燃やし、悩みを燃やし、惑いも焼き切り、 希望を燃やし、全知全能を燃やし尽くして生きてみよ いのちある限り、前へ前へ、年とともに、いよいよ華やげ。最後の最後のその日まで 鮮烈に、前のめりに、死を焼き滅ぼすくらいに激しく生きよ その炎が、古き後悔も傷も、過(あやま)ちさえも浄化する。その聖火こそが 次の世まで照らしゆく光となる。夕焼けの荘厳が、明日の晴天を約束するように」と 紅葉は木々の夕映えなのだ 左は茨城袋田の滝、右は長瀞ライン下り 色葉匂えど、ちりぬるを。水を染めて浮かぶ紅。水の底に沈む紅。水に影を映す紅。 三重の絵重ねが、流れに揺れては砕けた。 身を一部朽ちさせた葉もあった。しかし、病めるとも負けずに燃えていた。病は死とは 違う。病は生の一部なのだ。だから人生、病む日もある。病と心と、どっちが勝つかの 競争だ。 がんの告知をされて、ある女性は宣言した 「私の本当の人生が、きょう始まりました」と 私は思う。苦しみ、耐えぬき、乗り越え、格好わるく、もがきながらも、気取りも 小さなプライドも捨てて、すさまじく命を燃やし切る。 そこにこそ、人間の尊厳があり、喝采を贈るべき勝利があると。 左は宮城蔵王、右は佐世保天然大橋 夕べには青年文化祭。古都に新しい力が燃えていた。「この炎を君よ生涯」と 祈らずにいられなかった。 楓は「心を変えで」の樹とも詠まれた。誓いを深く胸に染め、「変わらぬ心」の 象徴でもあったのだ。 無常の人生だからこそ、「変わらぬ心」で、ひた紅(くれない)に生きる。 そこに京都の美があり、日本の美の真髄があろうか。 その心を今、誰よりも真実に生きているのが、わが友であると信ずる。 人々の幸福のため、身の平安も省みず、軽侮の時雨にも耐え、そしりの霜にも耐え、 誇り高く燃え生きてきた、あなたたち。 ただひたすらに、「きょうもまた、あすもまた」と。「きょうもまた、あすもまた」と。 その真紅の人間絵巻こそ、いかなる紅林にもまさる絢爛の錦である。 [池田名誉会長の写真紀行]聖教99.11.28抜粋
2008年10月12日
コメント(2)