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今年もサボテンが花を咲かせた。数日分まとめて・・・一瞬秋らしくなって、そのあと蒸し暑い日が続いたけれど、一服の清涼剤だった。
September 16, 2011
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昨日に引き続き被災地での活動。今日は七ヶ浜町での作業だ。宿からバスに乗って多賀城市をぬけて七ヶ浜町ボランティアセンターに向かう。途中の多賀城市も津波の被害がひどかった場所の一つだ。いまだにビルの一階が破壊されたまま放置されている建物も多く見られる。七ヶ浜のボランティアセンターは、もともとはスポーツ公園のような施設なのだろうか?周囲にグラウンドや土俵まである。そして駐車場からすぐ先は仮設住宅がならんでいた。この仮設住宅が被災地で唯一の多くの人が暮らしているという生活の空気を感じられる場所だった。ボランティアセンターで受付をして、今日の作業内容が知らされる。今日、名古屋の大学の人たちと共同で民家の瓦礫の片付けだ。再度バスに乗り込んでボランティアセンターの人と共に現地に向かう。現地で作業の説明を受けて、作業開始。重機で大きなものは除いてあるようだが、とにかく瓦礫だらけ。運んでも運んでも瓦礫がある。ガラスの破片も多くてかなり危険だ。汗まみれで、土埃だらけになりながらも黙々と作業を続ける。土嚢袋が積み上がる。でもまだまだ瓦礫はなくならない。昼休みはボランティアセンターに戻り、弁当を食べる。揚げ物が多くて汗をかいた後にはちょっと重い・・・。でも食中毒予防の観点からすれば正しいのだが。ボランティアセンターでスイカを配っていたのでありがたくいただくことにした。午後の作業、午前中と変わらずまた黙々と瓦礫を運ぶ。一部の区画は土をならすところまでできたが、まだまだ瓦礫は残る。作業終了まであとわずかとなってからは、とにかく瓦礫を除去した区画にガラス片が残らないようにガラス拾いをする。まだ、1/3くらいの部分は手付かずで終わってしまった。今日は総勢40名を超える人で一日作業をしたのに、民家一つ分の瓦礫も片付けられなかった。作業が終わり、ボランティアセンターに戻る。手と顔を洗いうがいをして、帰る準備に入る。携帯をみるとI 師範から「多賀城の近くにいるなら同じ道場にいたN さんに連絡をとってみてください」というメールが入っていた。N さんは以前同じ道場で稽古していて、仕事の関係で一旦静岡にもどり、その後多賀城市に来ていて被災したのだ。連絡して良いものかわからなかったので、連絡していなかったのだけれど、電話をかけてみた。けれど、でなかったのでメールを送ることにした。ボランティアセンターを歩いていると、さっき一緒に作業していた名古屋の学生が小学生位の子供とサッカーで遊んでいた。仮設住宅の子供だろうか?少し、様子をみてから「俺も入れて!」と言って仲間に入れてもらって遊んだが、10分も経たないうちに学生から「出発ですよ!」との声がかかってしまった。サッカーをやめにして、バスに乗り込み新潟への帰路に着く。途中、多賀城市のスーパー銭湯極楽湯によって汗や土埃を洗い流す。銭湯の入り口ですれ違った人から「新潟〇〇大学ですよね?古津にある」といきなり声をかけられた。話を聞いてみると、以前新潟に住んでいた人だったらしく懐かしくて声をかけてくれたそうだ。新潟への帰り道、バスが高速道路を走行中N さんからメールの返事があったので、それを学生に紹介した。私たちの活動への御礼の言葉が述べられていて、最後はこう結ばれていた。「本当にありがとうございます。また学生の皆さんの力は今後の日本をひっぱってくれることでしょう」私も、今回の活動に参加して同じことを思った。二回にわたり、長文で私の初めてのボランティア活動を書きましたが、今回は民家の瓦礫の片付けということでかなり写真なども注意をはらいながら掲載したつもりですが、被災者の皆様や他のボランティアの皆様に不愉快な思いをさせるような内容などがありましたらご一報をお願いいたします。今回も被災地がどうなっているのか、私が見た範囲でだけでも伝えたい、そういう気持ちで書きました。
September 4, 2011
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3月の震災から半年が過ぎたところで被災地に赴く。かなり遅くなってからの参加なので少し心苦しいが、私の職場の学生が学友会(と主に隣の学部のA さんという先輩教員)主催で被災地の片付けのボランティアをするのでそこに参加者として加えてもらった。前日の夕方最終説明があり、午前3時の集合までは自由時間。仕事を終わらせ、一旦家に帰り、出発の準備をする。準備が終わり、仮眠をとろうとするも、眠れない。ボランティア活動は初めてのことなのでいろいろ考えてしまう。寝過ごして遅刻しないか?体力切れして周りに迷惑かけないか?痛めた膝は今は動くけれど活動中に悪化しないか?など眠るときには考えてはいけないことばかり考えてしまう。午前3時 集合今回は新潟の震災・水害の時に結成された新潟恩返し隊が中心となり、新潟交通のバスを使ってのボランティアツアー。私の職場からは37名(学生34、職員1、教員2)が参加。このメンバーが後で新潟恩返し隊本隊と合流して作業をする。向かうのは石巻の雄勝。途中のサービスエリアで新潟恩返し隊の本隊と合流し、現地へ向かう。合流後に本隊のバスから私たちのバスに移ってきた新潟恩返し隊のT さんから雄勝地区の補足説明があった。今回の雄勝地区は津波の被害が酷かったうえに、行政の手が回らずにいるところとのことだった。旧雄勝町から石巻市の一部になったことが生んだ不運だった。石巻市雄勝総合支所郵便ポストは傾きながらも、自分の仕事を全うしている。張り紙には「このポストはご利用になれます」。今日の作業は側溝掃除新潟恩返し隊本隊の後ろに私の職場の学生たちが続く。瓦礫の上にはランドセル、手毬、写真には写っていないけれど特産品の硯が。どんな小学生がこのランドセルを使っていたのだろう?この町がどんな町並みだったのか?その町を歩いて行く小学生の姿を頭に浮かべようとしても、想像もできないくらい建物がなくなってしまっている。この通りの入り口の街灯には「雄勝町商店会」と書かれていたので、ここは商店街だったのだろうけれど。時々雨の降る中で側溝を掃除する。私も学生も不慣れなので時間がかかる。側溝からは泥や小石、時々コンクリートの破片やガラス片も出てくる。学生は学校とはなにか違う表情で作業をしている。雄勝総合支所で昼食のカレーを食べて、午後の作業。午前中にどけることのできなかった側溝の詰まりをどけて、側溝から海に水が流れるようにする。午後の作業終了時間までには水を流したい。きっと学生はそんな思いで作業をしていたのだろう。そして、その目標は達成された。それでもまだ今回作業した地区のわずかな部分しかできていない。当然のように学生の中から「明日もここで作業したい」という意見もでたそうだ。けれども、この場は次の団体に任せて、私たちは明日は七ヶ浜で活動することになっている。そのことを素直に受け入れられる自分が年をとったと感じさせられた。道具を洗い、バスに乗り込む。バスで雄勝の公民館を見学する。ここで津波の恐ろしさを垣間見ることができる。ネット上の画像で有名だそうだが、公民館の上に津波でバスが乗り上げているのだ。自然の恐ろしさがわかる。天然・自然は人にやさしくないのは知っていたけれど、ここまで・・・。その後、児童の7割が亡くなるか行方不明となった、大川小学校を遠くからみて、全員で黙祷を捧げた。帰り道、薄曇りの陽が北上川の川面に映ってやけにきれいだった。同じ場所でこんな災害が起こったことが信じられなくなるくらいに。バスは宿に向かい私の初ボランティアの一日目が終わった。追記この日、私はつまらないミスがあった。雨の中で作業をするために厚手のゴム引きのポンチョを持っていった。このポンチョはアウトドア用のもので、自衛隊もポンチョを使ってるので作業しやすいだろうと思っていたのだけれど、それを着ての作業は「暑い」「動きにくい」「重い」だった。おまけに持ち歩いても重い、そして買うと高い。仕方なくポンチョを脱いで雨具なしでの作業を続けたのだけれど本当なら雨具なしの作業はするべきでない。次からは100均の雨具を用意するべきみたいだ。今回は写真を使うべきか判断するときに迷いました。ただ、現地に行った者として、作業をするだけでなく現地のことを伝えることも役目であると思って出来る限り被災者の方の迷惑にならないと思われる写真を選んで掲載しました。もし、不愉快な思いをされた方がおられましたらコメント欄にお願いいたします。
September 3, 2011
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