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この間、「手術日程、決まりました」 というご報告が立て続けに届いていると書きましたけど、その中のお一人、患者さんご本人から明るいメールが届きました術後1週間でです。この患者さんは30代の女性です。まだ術後間もないと言うのに、私のブログをご覧になっているようで、ごく最近のネタから、よくまぁご存知。同じ病気の患者さんが近くにいること、その患者さんがお元気なこと、とっても励みになりますとありました。最近では、あの「でぇくさん」の話。励みになるんですって。この 「でぇくさん」 自身は、虫垂癌で術後4年を迎え、この冬には、家族でスキーに行ったカズコさんが励みになるって言うし、誰かが、誰かに支えられているというか、自分でも知らないうちに、誰かの支えになっているというか。。。で、今回メールをくれた彼女は 私は、でぇくさんみたいに 笑えるネタは提供できないかもですが、 私のことも書いてくださいって言うんです。いえいえ、あの 「でぇくさん」 だって、敢て笑いネタを提供している訳じゃなくて、私が勝手に、笑えるネタに変換しちゃっただけなんですがこれが、当の本人にウケちゃいまして、この路線で決定したんですけどね。今回、ご紹介するこの患者さんの経過はですね、虫垂癌ではよくありがちなんですが、当初は虫垂炎です。虫垂癌の患者さんの多くが、初めは虫垂炎と診断され、その後の病理で実は虫垂癌の判定が下され、改めて癌の手術が施行されています。虫垂癌の手術と、虫垂炎の手術の違いは一言で言うならば、リンパ節の切除があるか、無いかってとこ。癌の場合は、転移を考慮してリンパのカクセイが行われます。この患者さんの場合、虫垂炎の診断は変わらなかったものの、切除した虫垂が、ボロボロになっていて原型を留めていなかったんです。それで、腹膜炎を起こしてました。これが2010年10月のこと。それが2012年3月、腹部に激痛。右卵巣が腫れてました。翌月、右卵巣を切除するも、変異細胞は見つからず。ですが病理の結果、虫垂の尾部に悪性腫瘍が判明します。8月になると、切除した虫垂付近に大きな腫瘍が見つかり、腹水も少量ながら認められ、卵巣転移の大腸癌との診断となったのです。ステージ4です。虫垂癌も大腸癌の一種だから、大腸癌は確かですが虫垂癌の再発と推測されます。地元で抗癌剤治療を受けながら、米村先生の元へご相談に来られ、その3ヶ月後に手術となりました腫瘍マーカーの数値を気にしながら、手術のタイミング待ちでした。で、ついこの間、手術となり無事に終わりました。まだ、痛い痛いと泣いている頃だろうとメールを遠慮してましたけど、当のご本人から、明るいメールが届いたというわけです。多分、無理はしているだろうけど、大きな山を一つ乗り越えたという実感が伝わって参りましたまた、これからも宜しくです、アッコさんシリーズ化を予定して、題目に 「1」 を付けておきましたよ~
2013年03月30日
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朝、起きると、既に母が起きていて雨戸を開けたり、ゴミを出していてくれたり・・・の日常が戻って来ました。この 「仕事」は、取らずに母の仕事にしておきますところで今日は2月16日に書いた、まいちゃんの話です。まいちゃんから 「お守り」 が届いてから、それまでの経過が嘘のように後戻りすることなく順調に回復し、退院に至りましたからね。母が退院してから、直ぐ、まいちゃんのママに報告メールを入れました。まいちゃんのお守りのお陰で、退院できましたってね。そしたらね、まいちゃんがね お守りもきいたかもしれんけど、 ひろりんさんのお母さんが、 パパみたいにがんばってお薬を飲んだり、 ちりょうをしたから帰れるようになったんでぇ ひろりんさんのお母さん、がんばったなぁって。。。。。まいちゃんって、時々、大人がハッとするようなコト言う子なんですよ。パパがスキルス胃癌で闘病していたのは、まいちゃんが2歳~4歳の時です。まいちゃんの中では、8歳になってもパパの闘病の記憶は、感覚として残っているようです。母にこのまま伝えたら、涙目ですよ苦労と言う意味じゃ、まいちゃんの苦労には叶いません。でもこんなまいちゃん、きっと自分の中では、ものすっごく無理もしているんだと思います。ママがね、こんな話を教えてくれました。ママ、この冬、2回インフルエンザにかかったんですって。 AもBもやりましたで、まいちゃんのママ、寝込んだら心細くなったらしいです。パパが死んで、爺ちゃんも死んで、婆ちゃんも死んでしまった・・・次は私こんなこと、考えてしまったんですって。インフルエンザだから、まいちゃんはその間、ママのお母さん、もう一人のお婆ちゃんと寝たそうです。同じ家の中で、違う部屋で2日だけ寝ただけなのに、まいちゃん、毎晩大泣き。可哀相になるほど、泣きまくりだったそうです。まいちゃんにすれば、それこそママまで死んじゃうんじゃないか一人ぼっちになるんじゃないかって・・・怖くて、怖くて仕方なかったんじゃないでしょうか。幼心についた傷は、時々、凄く痛むようです。ママね、 まだまだ、まいは不安なんだなぁ。。。って思ったんですって。次は私なんて、バカなこと考えちゃいけない、まいの為にも元気でいなくちゃって、また、まいちゃんに教えられたみたいです。自分は辛くて大泣きしたけど、 ひろりんさんのお母さん、良かったなぁ って言ってくれる、まいちゃんです
2013年03月28日
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今年の2月7日の日記に書いた、虫垂癌の患者さん(40代・女性)のご主人から 嬉しいご報告ですとメールが届きました。(2月7日の日記を読んで頂くと、この患者さんの経過がざっくりわかります)この患者さん、今や米村先生の外来は一人で車飛ばして行ってます。外来に行くと言っても、半年に1度の割合ですけどね。高速飛ばして3~4時間かな。癌という病気になると、大抵が外来は家族付きです。よほどの病状じゃない限り、他の病気なら一人で行くものでしょ、病院って。だから、一人で出向くこと自体がびっくり一人で受診した外来の後、ご主人に電話で報告があったようです。術後4年経ち、初めて米村先生は患者さんご本人にPCデータを見せて、 貴女の癌は、悪性でとても進行していたと詳しく説明したんだそうな。今だから言えるけど・・・って言いながらね。とても厳しい状態だったのだと、正直にご本人に告げたようです。そして。。。術後4年経ち、米村先生ご自身が嬉しい驚きなのだと本音を打ち明けたそうな。今回の受診でも何ら問題はなく、次の外来は1年後となったこともご主人に電話で報告があったようです。これは本当に 「嬉しいご報告」 でしょだけど私への 「嬉しいご報告」 というのはこれだけじゃありませんでした。奥さんから、 ありがとうとの言葉があったと。これは初めてのこと。家族には照れもあって、なかなか素直に言えない言葉です。これまでの経緯を思いおこせばですね喧嘩もし、愚痴もこぼし、病状の辛さから当たりもし、機嫌の悪さからご主人はタジタジにもなり・・・オ・ト・コって辛いですよね、言い訳せず、真実を告げず、ただ 頼む、今回だけは俺の言うことを聞いてくれ 遠いけど、大阪まで手術を受けに行ってくれって騙し騙し、大阪まで連れて行ったんですから。多分、ご主人は相当、嬉しかったはずです、この 「ありがとう」 はねあれ、今、気が付いたんだけど、今回の報告メールって、ひょっとして ノロケも入ってましたかしらん
2013年03月25日
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気が付けば、1週間更新してませんでしたねぇこのところ、ろくにPCに向かう時間も作れない忙しさでした。ケータイの方には、緊急連絡もちょくちょく届いておりまして、そちらの対応は即、しております昨日、母は無事に退院しました母が4ヶ月ぶりに家に帰って来るにあたり、階段に手摺を作り、1階にセットしていた電動ベッドを2階の母の部屋に組み立て直し・・・博士は汗だくです本人は病院から帰ってくるや、まずは美容院へ。美容院から帰って来た途端、ご近所に挨拶に歩き回り・・・今も、一人でご近所めぐりしておりますわ丸々、2ヶ月寝たきり老人だったんですけどねぇ。。。長々とご心配、そしてご迷惑をおかけしました。ところで、先日書いた虫垂癌の患者さん(30代・男性)から、職場復帰の報告が届きました。この患者さん、職場復帰と言っても事務職じゃないですよ。でぇくさんです。術後の抗癌剤治療も始まりました。ね、凄いでしょ思えば、ここまでに至るまで色々とありました。ちょっと変わっているんですよ。先ず、腹膜播種とわかってからセカンドオピニオンを薦めてくれたのが、病院のナースだったこと。それでご自身で色々と探した先が、このブログであり、米村先生だったのでした。セカンドオピニオンを具体的に考え始めた頃、ご家族が一番、疑問に思ったのが、「ひろりん」 の存在でね。何か怪しい。。。って思ったのかもネットの世界ですしね。まんま信用せいって言う方が無理ってものです。 なんで、この方は米村先生と懇意なので、私のこれまでの経緯をご説明しても良いのですが、と言うより、それがスジってものでしょうけども、正直、面倒くさいいい加減なヤツなんでございますよ、私はだから、全て米村先生にぶん投げちゃいました 米村先生にお会いすれば、私のことは保証してくれますからってね。でも当の米村先生が あんな煩いヤツ、知らんと言う可能性は否定できません。思い当たるフシ、あり過ぎてますからでも、この心配はなく無事、セカンドオピニオン完了。そして今に至ります。術後こそは、闘志撃沈でしたけどね大口叩いちゃったもんだから、立場なく。。。でしたけど、今、やっと社会復帰です。術後の治療は、地元の病院が快く請け負ってくれましてね。ゼロックスやってます。この治療も甘くはないですよ、抗癌剤治療ですからね。吐き気止めせずに、オキザリプラチン投与したら途中で吐いてしまったようです。マジ、きついっす。。。ってな感じ。でもゼローダの方は、これならやれそうってな手ごたえのようです。家族サービスもし、仕事も再開し、体も良い感じになり今や、ようやく希望(手術)が未来という時間となって具体的に見え始めたところですそうそうこの患者さんの話ですけどね、前回書いた後、当のご本人から「面白ろおかしく書いてください」ってメールが来てますだからこの患者さんとは、末永~く皆さんに笑いを振りまこうかと思ってますだからネタ、宜しくです、でぇくさん
2013年03月23日
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昨年の11月26日から入院していた母ですが、今度の金曜に退院となりました。寝たきりの要介護状態で帰って来るのだろうと半ば思っていて、病院の帰りの車中で、涙した日もあったんですよねぇ。年老いた親の現状を受け止めるというのは、やはりグッと来るものがあります。現実問題、これからどう面倒をみていかねばならなくなるのか・・・ところが、今、母は普通に院内を歩いているんですよねぇ。。。杖も不要。すっかり心身共に元気になっていて、私の方が目がテンです介護を基本に考えて早々に購入した電動ベッド・・・要らんやんここ最近、続け様に4人の方から手術日程決定のご報告が届いてます。スキルス胃癌の患者さんが多いですけど、大腸癌の患者さんもおられます。新たなそして、大きな第1歩が直ぐそこです。この手術ですけども、現代の医療技術をもってしても事前検査で判明できることには限界があります。米村先生でも、開いてみないとわからないことが多いです。これまでも、お腹を開いてはみたけれど手が付けられなかった状態の患者さんもおられました。残念ながら、そのまま閉じたり、切除は試みても癌が取りきれなかったりということも。そもそもが手術不能と診断を受けた患者さんばかりですからね。手術が出来ないというより、手術しても意味がないと診断を受けた方ばかりです。開いてみないとわからない、やってみないとわからない。先日も、どうにも食事が喉を通らなくなって在宅で高カロリー輸液の点滴をしているスキルス胃癌の患者さん(30代・女性)本人から手術に臨むメールが届きました。 今のままでは辛すぎるので、頑張って来ますってね。やってみたからこそ、今、生きている患者さんがいます。驚くほど元気に命を延ばした患者さんがいます。これは歴然とした事実です。だけど、手術を後悔した患者さんも、実際にはいます。手術して欲しくて欲しくて、それが叶わず未練を残したまま旅立った患者さんもいます。手術はしたけれど、長く生きられなかった患者さんでも、本人が望んだのだからと、ご家族に後悔を残させなかった患者さんもいます。これも、事実。この10年、良いも悪いも沢山の現実をみてきました。それで尚、これから手術に臨む方々に幸あれ、未来あれと心から願っています。
2013年03月16日
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既にシリーズ化している患者さんの近況です。直近では、2012年6月26日に書いてます。原発不明の患者さん(70代後半・女性)の話です。2009年6月 10cmもの大きな腫瘍、腹水4Lの状態で癌が判明 開腹するも、あまりにも大きな腫瘍から手遅れとの診断 腫瘍の大きさから、下手に切除すると出血多量で死亡する恐れありその後、国内屈指の癌専門病院へ飛び込むも、ここでも手遅れとの診断ごり押しして、何とか抗癌剤治療を受けるも、効果なし余命数ヶ月、治療の段階ではなく看取りを考える段階だと言われる余談ですが、この病院での治療費、2泊3日の治療費が約20万円也この頃、患者さんの息子さんからメールで相談を受けましたが、時、同じくして娘さんも私を探し出したようです。2009年10月 米村先生を受診今だから言えるけど、当時、米村先生は、ろくに治療も受けていないまま医者から緩和ケアだの、看取りだのと言われたこの患者さんを気の毒に思ったようです。ダメかもしれないけど、未だやってみな患者さんも家族も納得できるわけないってね。自分が断れば、目の前の患者さんはもう行き場をなくすと思った米村先生。だから、治療を引き受けたのでした。勝ち目など考えた訳ではなかったんです。だから手術なんて、その先のことなんて、思ってもなかった。当の米村先生ご自身がね。それが、それが、想像以上に治療が上手くいったんです。 腹腔内化学療法(シスプラチン+タキソテールを直接、腹腔内に投与)と全身化学療法(TS-1服用)の併用療法施行あれほどあった腹水が消え、溜まらない。それでも、そのうちまた溜まるのが腹水ってヤツです。だから、しばらく様子を見てました。患者さんの年齢もありますからね。でも、いくら待っても腹水は溜まらない。こうなると手術してみようか・・・と米村先生ったら思うようになり、実際に手術。2010年2月 手術 腹膜切除及び、術中温熱療法施行この年齢の患者さんに腹膜切除を施行した例は、この患者さんがお初だったと思います。術後も抗癌剤治療施行 TJ療法ですが、実に元気な時間を取り戻すも、2011年5月 肝臓に再発が認められるさすがにもうダメかと、半ば覚悟するも、患者さんに体力があることから2011年9月 肝臓部分切除の手術そして現在、2013年3月・・・・・これがまぁ、ナント、普通にお元気でねぇ。。。昨日も娘さんから近況が届いていますけども、丁度、今日が米村先生の受診日だとか。 うちの母、今、美容院で毛染めしてますって。タキソールを使用していた頃は、頭髪がすっかり抜け落ちちゃいましたけど、今は、タキソールは卒業していて、念のため、TS-1 服用中なのですが、頭髪は戻ってきましたからねぇ。これってもしかして、米村先生と久しぶりに会う為のオシャレかしらんだって、女性ですものね
2013年03月14日
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ご存知の方も多いかと思いますが、米村豊医師は、腹膜播種センターを大阪・岸和田徳州会病院内にて設立させました。腹膜播種を制するのが、米村豊医師の長年の夢ですからね。私からみると、米村先生は永遠の青年で、夢見る夢男君ですけど、患者さんにとっては、どんな病状でも諦めない姿勢こそが医師に求める姿ですからね。ちなみに私は夢見る現実子ちゃんで、うちの博士は現実しか見ない現実男君って感じです。この夢男君と現実男君、実に気が合うから不思議。で以下の状況は、今朝、米村先生より電話があって知りましたのでここでもお伝えしておきます。つきましては、腹膜播種センター設立にあたり、現在、岸和田徳州会病院で医師を募集しております。 ・外科医 ・内科医 ・婦人科医年齢不問、初期研修を終えた医師、癌治療に関心がある医師を求めています。岸和田徳州会病院のHP診療科のご案内(左上にある)センターのご案内はこちら腹膜播種センターをクリックhttp://www.kishiwada.tokushukai.or.jp/link/html/sinryouka/sinryouka22.htmlコピペにてご覧下さいませ尚、私は岸和田徳州会病院のまわしものじゃないですよんこれが、患者さんの利益に繋がると願ってます
2013年03月12日
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鴨川シーワールドの帰りに寄った、東京ドイツ村です。有名なイルミネーション夕方に行くと入場料無料で、駐車料金(1500円)のみで入れました。車に何人乗っていても料金は同じだから。大勢で行くとお徳ところで先日、本当に久しぶりの方からメールが届きました。ご主人が虫垂癌(40代)で、その奥さんから。この方の話は過去にも書いた記憶があります。2012年4月に虫垂炎の手術をしました。この時に切除した虫垂から、癌が見つかったので虫垂癌と診断。1ヵ月後に今度は虫垂癌の手術となりました。虫垂炎なら、虫垂だけ切除すれば良いのですが、これが虫垂癌となると、リンパをカクセイするのがセオリーです。リンパを24個取ったけど、腸管や回網も調べたけど癌は見つからない。洗浄細胞診も陰性なので、他に転移もないことからステージ2という診断が下りました。ですから、虫垂癌と言っても初期レベル。だけどこの患者さんの奥さん、もの凄く心配されましてね。と言うのも、切除した虫垂に穴が空いていたんです。この穴から、癌細胞がどこかに零れ落ちているかもしれない、もしかしたら調べていない箇所に癌がいるかもしれない。手術はしたけど、再発しちゃうかも。。。一番怪しいのは腹膜。ここに癌があったらどうしよう。。。とまぁ心配のあまり、腹膜播種と言われた訳でもないのに 米村先生に診て頂こうと強く思うようになり、米村先生が勤務される病院を調べ、電話を入れてみたそうな。だけど、腹膜播種じゃない初期の虫垂癌でしょう。事務の方に断られちゃったんですって。(まぁ、そりゃしゃ~ないわな、腹膜播種じゃないんだから 患者さん、溢れかえっているし)それでも諦めきれないこの方、私にメールを送って来られました。 どーしても、米村先生に診て頂きたいんです ダメですかん~・・・病院が断った患者さんだしなぁ。。。アタシが出る幕じゃなさそうだけどなぁ。。。とは思いましたけど、まぁ、これだけ言われるのだから、当のご本人、米村先生に聞いてみっか。私が聞いた時点で、NOと言う訳はないと思いましたけども。これまで私の頼みを断ったことって無いですから。米村先生にお願いしてみると いいですよんと、想像通りの軽~いノリで2012年7月に大阪まで来て頂いて、セカンドオピニオンとなりました。今後も定期的に診て欲しいとの強いご希望で、半年毎に受診の予定です。で、先日2度目の受診となり、結果良好、問題なしとの報告メールが届いたんですけどね、診察の感想も届きました。沢山の患者さんが遠方から来られている様を見て 私達同様、米村先生を頼りに 各地から来られているのを実感しました 1人、1人の診察で米村先生も相当お疲れでしょうに にこやかに迎えて下さって、話もきちんと聞いて下さって なんだか涙出そうに感激してしまいました って何だかよくわからないけど、これもご縁なのでしょう。ステージ2の患者さんって米村先生にとっては、まずいませんからねぇ。これからも末永く、お付き合いの程、宜しくお願い致します
2013年03月08日
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昨日は、母から「お休み」を貰って、千葉へ行って来ました今は歩行器を使用して歩いています。と言っても、必ずナースの付き添い付きが条件ですが。今月中には、退院できそうです。もう春ですねぇ、菜の花が綺麗に咲いてました南房総にある鴨川シーワールドのしゃち。ご機嫌悪かったようで、ショーが始まらず。。。その代り帰り際になって、トレーニングを見せてくれました。毛づくろいに夢中のラッコ1月10日に書いた、「難病2つ」の患者さんから近況が届いています。偽粘液腫と、関節性乾癬の病気をもつ患者さん(40代・女性)です。過去のブログに書いていますけども、母子家庭で高校生の娘さんとの2人暮らし。卵巣や卵管、虫垂を切除しましたが、これは正常。ですが、ゼリー状の腫瘍が飛び散っていて、腫瘍が取りきれずその後、米村先生の元へ駆け込んで来られました。2012年5月に手術を受けましたが、その前後のことを過去に書いてます。米村先生の手術日程が定まらないことから、仕事をクビになってしまいましてねぇ。。。米村先生としても、早く手術してあげたいところでしたけど、何せ、手術待ち患者さんは沢山います。病状から言えば、もっと大変な患者さんが、これまた沢山いるので偽粘液腫の患者さんにおかれましては、どうしても、お待ち頂くことが多いんです。わかってはいますが、この患者さんの場合、関節性の乾癬のせいで、関節の痛みが酷く日常生活にまで支障が出てました。痛くて痛くて、コップも握れないというんです。両手でやっと支えて水を飲むのだとか。尚且つ仕事はクビ、次の仕事を探す為にも手術しなければ話が始まらない。そもそも、こんな体で仕事なんか出来るのだろうか日常生活だってままならない状態なのにそんな状態でしたけど、2012年5月に手術を受けた後、乾癬の治療が開始され、今は、あの痛みが嘘のように楽になったそうです。気力、体力も回復、仕事も見つけ、今は働いています。無事、社会復帰しました1年も仕事もせずにいたのと、病気になってしまったのと、手術したのと・・・で体は、なまりまくりのようで・・・届いたメールの最後には もう疲れて、眠くて、バタンキューですぅ。。ってありましたお仕事、お疲れ様
2013年03月07日
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明るい話題ばかりを書きたいところですが。。。このブログの読者の方々も、良い話題を探して辿りつく方も多いと思いますが。。。人生、良いことばかりじゃなく、治療が上手くいく方ばかりじゃないです。そもそも、「治療の成功」 とか、「可能性」 とか、何を基準にしているのかわからない。どんな難病を乗り越えても、完治のお墨付きを貰っても、生まれた以上、例外なく、誰もが何時の日か死んでいくのです。そんな中で何を目標に置くのか、望むのか・・・生きる時間なのか、QOLなのか、それともそれらの可能性が低くても、無いに等しいような可能性でも、何もしないよりはマシレベルでも「希望」 を望むのか・・・先日も、ある進行した癌患者さんの娘さんが 可能性があるのなら、米村先生の治療を受けさせたいと言われました。相当進行していて、残念ながら末期と言える状態。この状況での治療は、患者さんには過酷と言わざるを得ないけど、何もしなくては、もう直ぐそこに見えてしまう局面があります。治療が上手くいったとしても、望める時間は長いとは言えません。そもそも、「長い」「短い」 の概念もわからないですけどね。1ヶ月を長いと思う場合もあり、半年では短か過ぎると思う場合もあり、1年じゃ物足りないと思う場合もり・・・人は、どんなレベルであろうとも 「希望」 を求めます。ですが、この現状で 「希望」を望むには、大きなリスクが伴います。そのリスクの話を正直に話しました。それでも望まれるならご意志を尊重し、力添えしますと。その後の選択をどうされたのかは、わかりません。過去に6回に渡り書いている患者さんの訃報が届きました。2011年12月11日~15日と、2012年1月7日、同年4月9日に書いてます。手術を待ち侘びて、やっと手術となった小腸癌の患者さん(70代後半・女性)です。2011年の12月には、もう地元の大学病院では末期の扱いでした。「こんな体で手術なんて、とんでもない」と、大反対を受けました。手術を受けて帰って来ても、ここでは面倒をみませんよとまで言われました。帰るところがなくなる不安から、一時は手術を諦めた患者さんでしたが、心底、手術を望んでいました。その後、何がどうして気が変わったのか手術に大反対だったこの病院が、術後のケアを引き受けますと言い出しました。系列病院に・・・でしたが、病院は近くなったので大助かりでした。それで、手術となったのでした。どれほどご本人が手術を待ち望んでおられたか・・・これは過去に書いています。そして2011年12月に手術となり、2012年の春にはお元気な時間を過ごしました。ところが。。。今年に入ってから、血液検査でCRPのの高値が判明。CTを撮ると、肝臓や腎臓に癌が幾つも認められましてね。明らかなる再発、これに加え、一気に癌の進行となりました。わずか2週間の入院で、あっと言う間に旅立ってしまいました。思い出せば・・・この旅立ちの1年前に、旅立っていても不思議ではない状態だったんですよね。大きな手術で、回復に時間を要しましたけど、元気な時間は得ることが出来ました。小腸癌の再発から始まったお付き合いでした。この患者さんの病気は、孫娘さんの人生に大きな影響を与えました。孫娘さん、お婆ちゃんの病気と向き合ってから看護師さんになる決意をしましてね。この春、大学に入って勉強を始めるそうです。娘さんも母親の病気と付き合って過ごした時間はとても貴重だと言われました。特に、米村先生の元へ行ってからの時間はかけがえの無いものになりましたと。手術により得た時間が、この患者さんの場合、長いのか短いのかはわかりません。どれほどの価値に値するのかも、ご本人である患者さんにしかわかりません。この患者さんのご家族にしかわかりません。この1年という時間の価値は、誰にも決められません。たかが1年、されど1年。ただ、後悔の言葉は何もなかったです。
2013年03月04日
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はい、先日の続きです。手術は無事、終了。腹膜部分切除、及び、術中温熱療法。他、癌は全て切除。退院は、当初の予定通りの2週間後。もちろん早く帰りたい、入院していたい訳じゃない。だけどだけど、当初の意気込みはどこへやら もうずごじぃ、おいでぐだざぁいと、本当に言ったかどうかは知りませんけども、こんな感じ。実に甘かった、こんなに辛いとは、キツイとは・・・熱も出るし、眠れないし、辛い、辛い・・・泣きがバンバン入る有様。それでも、米村先生を補佐する医師と日々 「はよ退院せい」 「もう少し待ってください」 「何甘えとる、男ならしっかりせい」 「そこを何とかぁ・・・」という泣きあり、笑いありの攻防を繰り広げた・・・らしいそれで、退院となりました。この患者さん、 あの先生、おもろい人ですねって後で言うてましたから、笑いの方が多かったのかも。あの大阪観光計画はどこへやら~、やっとこさ関東の我が家へ帰って来ました。もう完全に白旗ですで、退院後3週間目に予定されていた外来も、 無理、無理、絶対無理、行けないとこれも白旗。やむなく翌月の外来となり、奥さんと共に出向くも途中離脱。下痢に襲われ、 妻よ、すまない、俺の代わりに行って来てくれ~とこれも白旗。奥さんに今後の治療の話を聞きに行って貰うも、本人の検査が必要となり、再度、翌月外来となり・・・でようやく、2月下旬の外来には行く事が出来ました今回は、白旗あげることなく、余裕かましました術後3ヶ月、やっと回復です。1月の頃は、もう回復しないんじゃないか、ずっとこのままなんじゃないか、直ぐそこのコンビニにも行けないままじゃないか・・・と真剣に思っていたようですけどね。やっと気持ちが上向きました今後の治療内容は、ゼロックスです。ゼローダにオキサリプラチンを併用したもの。オキサリプラチンは別名、エルプラットです。だけどねぇ。。。この患者さんにはこれから先、辛い副作用が待っているんですよねぇ。。。あっ、抗癌剤じゃないですよ。実はねぇ、手術前にねぇ、この患者さんねぇ、スピード違反で捕まっているんですよねぇ。これねぇ、免許の更新の時にねぇ、副作用が出るんですよねぇ。5年有効免許が貰えないとか、5年有効免許でもゴールドじゃなくてブルーだとか・・・更新料も高いしねぇ。。。これ、後でくるちょいガッカリの辛い副作用ですよ。精神的に耐えられるかしらん、この患者さん
2013年03月02日
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今日は、ある虫垂癌の患者さん(30代・男性)の話を。虫垂癌が判明したのは、2011年の夏。手術を受けその後、FOLFOX を12回受けました。ですが2012年2月には、腫瘍マーカーが上昇しCA19-9 が600台となってしまいましたこの腫瘍マーカーの上がり方が、本当に急でしてね。皆さんご承知のように、腫瘍マーカーは健康保険の規定で月に1回の測定となっています。ですから、癌患者さんの多くが毎月の測定となり、その推移を見守っている訳です。この患者さんの場合、CEAは標準値なれど、CA19-9 が8.5という標準値から突如、100台、その翌月には600台という跳ね上がり方でした。それで PET CT 検査となり、腹膜に癌が見つかったのでした。で、2012年夏、初回手術から丁度1年後に、米村先生のセカンドオピニオンを受診。そう言えばぁ、この頃の話を、書いた記憶があるなぁ。。。私、今期、自治会の役割を仰せ付かっておりまして、ご近所の不幸事で、お手伝いに借り出されていて、葬儀の真っ只中に、患者さん本人から電話があったんでしたっけ。ぼぞぼそと小さな声で対応したような気が・・・なんか懐かしい。話は本筋に戻りまして・・・その後も地元で抗癌剤治療を続けながら、腫瘍マーカーを計りながら手術のタイミング待ちとなりました。治療内容は、これまでのFOLFOX にアバスチンを加えたもの。手術前には、このアバスチンは実は不向きなんです。と言うのも、出血が止まりにくくなる、消化管穿孔を起こしやすくなる等の実例があるからなんです。でもまぁ、少しくらいなら・・・というので米村先生はOK出して見守り体制となりました。毎月計測する腫瘍マーカーの数値連絡は、私の元に届きました。良い感じで腫瘍マーカーが下がっていきましたが80台止まり。600台を思えばねぇ、凄い下がり方ですけどね。手術前にアバスチンを長く使用したくないので、腫瘍マーカーが下がったのを機に、2012年11月に手術となりました。手術までの時間、体力があるうちに、食べられるうちにと、美味しい物を食べ、小さなお子さんをTDLに連れて行き、ここぞとばかりに家族サービス、出血大サービスあっ、この時のTDLの写真、お子さんとのツーショットで届きましたよ(この患者さん、なかなかイイ男)本人、手術への気合満タン、家族への愛情満タンで、つい調子に乗って 手術終わって、退院したら大阪観光して帰ろうとまで言い出す。。。さてさて、この勢いがどうなったかと言いますとぉ。。。長くなったので次回に。
2013年03月01日
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