2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全4件 (4件中 1-4件目)
1
先日、心配していた関節の痛みは、昨日、整形外科に行って、一応解決した。 私は、母の従妹にリウマチの人がいるので、てっきりそうではないかと恐れていた。 だが、採血やレントゲンなどの精密検査の結果、リウマチ反応は陰性だった。 「じゃ、この関節の痛みは......?」 「軽い神経痛ですね」 ということで、一応安心。神経痛も、局所的に針で刺すような痛みが起こるのらしい。 病院から、心配して留守番している息子にすぐ「リウマチじゃないって。検査で異常ないんだって」と電話した。 それで、昨日は一安心ということと、私の誕生日祝いも兼ねて、ケーキとお寿司で盛り上がった♪ 食事の最中、息子が学校の英語の授業の話をした。 息子のクラスの担任は、英語のO先生で、物静かなお人柄からは想像できないような、楽しい教材を用意してくれる。 よく、英語の60~70年代のポップスを聴かせてくれるらしい。 カーペンターズのTop of the WorldやビートルズのLet It Be、マイケル・ジャクソンのWe are the Worldなどなど。 こういった歌は、まだ中1には難しい単語や文法はあるけれども、中学3年間、英語をきちんとやれば、とてもシンプルな単語で、とってもいいことを歌っている。 O先生は、英語の歌詞に、全部カタカナで読み方を自筆で書いて、裏には日本語訳も印刷してくれる。 「優しいいい先生じゃない、ねえ」 「うん。でも先生もプリント見ながら歌うんだけど、すんごい真面目な顔で口ずさんでる......」 「え?あの先生が歌うの?歌う時、笑顔にならずに?」 「あまり笑わない先生だから。口元が時々、笑った形になるけどさ~、目が笑ってねぇ~目が終わってるw」 懇談で何回かお話したことあるので、先生には申し訳ないが、その様子が分かる気がして、私も笑ってしまった。 「あの先生、すんごい静かよね......いつもお通夜みたいにシ~ン......そういえば、目が微笑んでないなぁ」 「(爆)そうそう。でも、あの先生、今日の授業で、Let It Be 歌ったよ、ギター弾きながら♪」 「えっ!ギター弾けるの?うまいの?」 「ウン、うまいよ。ジャンジャン弾いて、歌ってた」♪ 本当に生真面目そうで、物静かで、あまり表情がない人だな、と私はいつもO先生に対して、そういう印象を持っていたのだが、いろいろと芸達者な人なのだ。 人は見た目じゃ分からない。でも、私は、学級通信や、英語の人称代名詞のプリントに添え書きされたイラストなどから、優しい温かい人柄が伝わるなぁ、と思ってもいた。 人称代名詞、いわゆる I, my, me, mine の類であるが、その一覧表の下に、懐かしい「ゲゲゲの鬼太郎」のイラストが可愛く上手に描かれてあって、台詞のふきだしの中に、先生の手書きで、「カンタンだね!」と書いてあった。 それで、「これはきっと、イラストはO先生が描いたんだろうね」と言って、ほのぼのとした気分になった。 先生の配ったビートルズのLet It Be には、こういう歌詞が書いてある。 When I find myself in times of trouble Mother Mary comes to me Speaking words of wisdom, let it be. And in my hour of darkness She is standing right in front of me Speaking words of wisdom, let it be. And when the broken hearted people Living in the world agree, There will be an answer, let it be..... (試訳)僕が苦しい時 マリア様がやって来て 「それでいいの」と救いの言葉を語ってくれる 僕の心が暗闇の中にあっても マリア様が僕の前に立ち 「それでいいのよ」と救いの言葉を与えてくれる 世界中打ちひしがれた心の人々が皆で苦しんでいても 「そのままでいい」 その言葉がある...... 私は、このように読み、「英語のロックやポップスは心が慰められることを歌っているものだ」と感心した。 O先生は、これらの歌詞を、大体標準語(私の住む県は近畿地方だが、案外東京弁の人も多い)で説明してくれたのだろう。 でも、そのプリントの裏に書いてある日本語訳を見て、笑ってしまった。 大阪弁と言っても、あまりきつくないものから、南部のコテコテの「難波言葉」まで、まぁ色々ある。 そのLet It Be の歌詞は、「大阪のおばチャン」みたいな超コッテコテの大阪弁で訳されていた。 わてが何やらゴタゴタに巻き込まれとる時 マリアさんがわてのとこに来やはって ええ事言うてくれはりまんねん それでええがな...て... わてがしょうみドツボはまっとる時 マリアさんはわての前に立たはって ええ事言うてくれはりまんえん それでええがな...て... しょうみテンパッとる人らが世界中にはおるけど その人らへの救いの言葉がありまんねん それでええがな...て... これは、O先生が訳したのではなくて、誰か別の人が訳したものらしい。 「なに~これー?笑っちゃう~^^; みんなもこれ、読んで笑ったでしょ?」 「別に。だって、みんなは大阪弁で普通話してるから」 ......なのだそうだ。 私は激しくコテコテの難波弁のLet It Be の和訳に笑ってしまったが、東京弁の「それでいいんだよ」というよりも、「それでええがな...て...ええ事言うてくれはりまんなあ」という難波弁には、独特の和みがあるようにも感じた。 ちょうど、教科書で、Lets(アポストロフィーが表示できませんが^^;)「~しよう」というのを習っているので、そのLet を使った歌を、O先生は紹介したのかもしれない。 私は、Let というと、あのダイアナ妃が交通事故で亡くなる前の最後の言葉、Let me alone......(私を独りにして)というのを思い出すが...... それにしても、Let It Be というのは、ホッとする言葉だ。 「何も焦らないでいいんだよ。自然なままで、自分に正直に、そのままの自分でいいんだよ」 人間、生きていると苦しいことが多々あるのだ。 息子にも、「学校の授業はいいんだけど、休み時間に嫌がらせの言葉を浴びせられるのが辛い」と、人間関係の悩みがある。 けれども、人間ひとりひとり、個性が異なり、皆が皆、同じようにならなくてもいいのだ。 悪い言葉や悪戯が流行っていて、そのグループに入らないと、つまり真面目でいると、「陰気な奴」と言われる。 だが、そんな辛い時に、Let It Be という救いの言葉があるのだ。 ビートルズのメッセージは今も生きているんだよ、と英語のO先生は教えたかったのかも知れない。
January 30, 2008
コメント(1)
今年は8日が始業式で、しかもいきなり実力テスト。 始業式に実力テストだなんて、お正月、楽しめないじゃないですかぁ? おかげで、「6日には初詣ね」と言っていたのが、社会の試験勉強で、おじゃんになりました。 歴史の試験範囲が、「最初~室町時代」なんて、めちゃくちゃ。 いつも歴史などで特にしくじるし、と思って、息子と必死になっていた。 そして8日の始業式。 この日は、息子の13歳の誕生日。 お祝いはしたけれど、最近「胸焼けがする」というので、ケーキは買わずに、お寿司。 お寿司だと、お誕生日のムードがイマイチ盛り上がらなかった感じがする。 (誕生日のことは後日、書きます。私の誕生日も、もうすぐなんで.....汗) 13になったといっても、まだ12歳の続きのよう。 本人も、まだ「13歳という実感が湧かない」と言っている。 8日、9日と試験で、大変だったし、また10日、11日は胃の調子を崩して休み。 子供がよく学校休むと、ハラハラする。 17,18日は鼻炎でまた休み。 そんな折、「勉強が遅れるのでは」という、同居中の母の過激な?心配と、「成績はいいから、普通に学校に行けるようになってほしいだけ」という、私の心配が重なり、「パソコンが余計なのよねえ」という、母の愚痴に集約されそうになった。 それで、パソコンを仕事に使っていた私は、「これがあると、息子はつい気晴らしに、ゲームの通信をしてしまうのかも」と気を揉んだ...... (結局は、後で「学習の後に、気晴らしのパソコンならいいよ」という事で、PCはまたリビングに鎮座している) あれこれ気を揉むと、普通の人は「気疲れ」で終わるのだが、私は、長年、いろんなストレスが体に降り積もって来ている。 それで、こうした家族内の些細な揉め事が、やはりストレスとなり、体に異変をもたらすようなのだ。 今月の10日頃から、朝起きると左手指の関節が痛むようになった。 最初は、左目が眼精疲労で疲れやすいので、そのせいかと思っていた。 でも、18日にパソコン騒動があってから、19~21日まで、今度は右手指が、朝、目覚め時に激痛を感じ、曲がりにくい。 現在は、この目覚め時の痛みは、両手とも軽減しているが、ピアノなどを弾いた後は、手首がやや痛み、両手指関節がやや強張っている感じがする。 特に、左手は、グーの形にしにくい。 こんなことから、「関節の痛み?リウマチ?」と心配になってきた。 今週は凄い雪で、道路が凍結している。 でも、来週には、何とか、関節のことを病院に行って、診察してもらわないといけない。 いや~、初詣に行かなかった罰かしらん、などと感じるのは、年に似合わず、迷信臭いと言われる私なのだが、こんな時は、初詣のシーズンを過ぎていても、何だか、神社仏閣に手を合わせておきたい気分になる。 年明け早々、誕生日間近に、新たな病気の心配事が起こるとは思わなかった...... どうか大丈夫でありますように^^;)
January 25, 2008
コメント(1)
え~今日はまだ新年2日目。 なぜか松の内は1日1日がゆっくり流れる感じ。 改めて、自分のHP を見ていると、反省することばかり。 「英語学習記事&解説と日記」のHP にするつもりだったのに、何で、こう小説中心になっているんだろう? 以前、企画した内容も、途中でぶつ切れになったので、削除したりして...... 何だか、自分でも情けないというか...... 今は、とにかく小説書くのが面白いので、日記&小説中心のサイトになってますね~ 私はイラストも去年から臆面もなく掲載してるので、日記&小説&イラストの「ブログ」になってますね★ どこにも「英語学習」ないじゃありませ~んか...... そう思うと、恥ずかしい限り。 いや、英語記事、掲載したいんですが、目が疲れるとかいう理由で停止中な訳ですよね。 (その割には小説は書いてるんだよねー)^^; 私のHP は、英語の詩と、イラストと、小説の更新情報がまずメインに来ていて、その後、日記が下の方に来ているので、あまり「ブログ」らしくない感じ。 私は、「ブログ」というと、まずトップページの上部に日記が来る、そういうスタイルを連想します。 そう言う意味では、私の場合は「ブログ」じゃないですね。 単なるHP なのかな。 世間の人は、blog に日記や、掲載したい情報を書き込むことをメインにしています。 私の日記も、自分が感じたことを書いたり、情報発信の体裁にはなっているのですが、その日記の位置が下の方、と目立たないので、あまりblogっぽくない気がする。 だんだん、自分の趣味の方面(イラスト&小説)に突っ走っている感じで...... それで、HP のタイトルを、「English」を後回しにし、「Novel & English Box」とした訳です。 英語には相変わらず愛着がもちろんあるんです。 でもどうしても「小説の続きや日記書きたい~」となってしまう...... しかしですよ。 今の小説、書き終わったら、とても寂しいだろうなぁ、と思うので、必ず小説の英訳は実行したいと思います♪ それでもって、次の小説も、今から徐々に構想を練ったりしているわけで......**; どうも、言い訳めいた日記になりましたが、英語とはいろんな方面から今後も付き合って行きたいものです。
January 2, 2008
コメント(1)
ついに2008年となりました★ 平成20年なんですね~ いやぁ、私は元号が「平成」となった時や、消費税が導入された時を覚えてますんで、あれから20年か......と思うと、「なんで20年がこんなに早く過ぎちゃうの?」と不思議でたまりません。 この20年、いろいろあり過ぎた~という感想でいっぱい。 まずは大学に勤め始めた。 しばらくしてmarriage なり(笑) 「永遠の幸福」なんて誓ったのが間違いでした(笑) それでもって、史上初の超可愛い~い坊や誕生♪ その後、大学に勤めながら、育児、その他、すったもんだあって、その大学も2つとも辞め(1箇所は勝手に契約切られた)、在宅ミディとなった...... という感じです。 人生の2度目の節目となった歳から、神経系の病気になり、(あ、これはきっとオタフク風邪が原因ですね)眼精疲労などに悩まされるようになりました。 去年は、「息子ももう中学生なのに、私が病気ばかりしていていいのか」と、焦りましたが、焦っても病気はなかなか治ってくれません。 それで、仕方ないので、在宅でぼちぼちできる仕事、ということで、翻訳とイラストレーターの仕事を発掘した訳でして...... まだ人生半ば。何とか前向きに、過ごしていかねばと決意する年の初めです。 ところで、元旦ということで、息子に手作りのお雑煮(母として当たり前のことですが)♪ 結構、喜ばれました。今まで、体がしんどいので、息子が物心ついても、料理は好きでも、なかなか実践できずにいたので、やっぱり母親の手料理を子供が喜んでくれると嬉しいですね^^ 元日は、親子ともども、昼頃のこのこ起きて、遅くて優雅なお雑煮ブランチ♪ってな訳ですが、最近の世論調査によると、「元日に家族揃って、お雑煮、オセチ」なんて家庭はもう少ないそうですね。 朝勝手に、めいめいの時間に起きて、元旦なのに、「アンパン、菓子パン、ジュース、牛乳」なんかで済ます人が多いそうです。 これってつまんないでしょ? やっぱり日本のお正月は、お雑煮、年賀状ですよ~ 年賀状も、ケータイで済ます人が多くなって来た一方、今年の年賀状は、去年より多かったとか。 やっぱ、日本人の心、忘れちゃいけないよね。 ところで、元旦なのに、テレビはホントにつまんないものばかり。 息子は「ドラえもんしかいいのがない」と、ドラえもん特集を見たりしてました。 私は、元旦の夜、なぜか、急に『デス・ノート』の単行本の12巻目が気になり、目を通してしまいました。 この頃になって、息子が主人公、夜神ライトの死に様を話すようになってからです。 「ふーん、どういう風に終わるのかな」 やっぱり気になって、ざっと読んでしまいました。 23歳になったライトは、エルの後を継ぐ少年ニアにより、ある倉庫で顔合わせをすることになり、そこで「デス・ノートに細工をした」と告げられます。 それでも自分の勝利を信じて疑わないライトは、自分の手下となり、自分を「神」と崇める男、魅上(みかみ)に、倉庫に集まったニアの特捜班SPKと、自分と共に「キラ」の正体を追って来た日本警察特捜部全員の名を書かせます。 だが魅上の書き込んだノートは、ニアがいつの間にかすりかえた、ただのノート。 死神の目を持つ魅上は、ライト以外の人間の名をノートに書き込み、倉庫に入ってきます。 しかし、ニアは「そのノートに書かれていない人物の名前、その人物こそがキラです」と言い、SPKは魅上を素早く取り押さえます。 ライトは、魅上がノートに自分以外の人間の名を、倉庫の外で書いていることは計算済み。 そこで、賢く慎重なライトらしからぬことを口走ります。 「ニア、もう僕の勝ちだ」 けれども、魅上がノートに、「削除」したい人間の名を書いて40秒経っても、誰も死なない。 また、ライトと共に「キラ」を捜査してきた相沢という刑事が、「ライト君、君はさっき、『僕の勝ちだ』と言った。あれは、自白と同じことだ」と言い、彼に手錠をはめようとします。 その後のライトの這いずるような逃げ方が、それまでクールに「新世界を創り、神となる」などと言っていた彼らしからぬ無様さで、警察や逮捕される恐怖から逃れようとする様子が、見事なまでの迫力で描かれています。 彼は、倉庫の壁際に逃げ、銃をつきつけられている中、自分の説をとくとくと説いてみせます。 「そうだ、僕がキラだー僕がキラとなり、この腐った世の中を変える、そう決心しなければ、今のように犯罪者が激減することもなかっただろう。僕はあくまでも正義であり、この世を善に変える新世界の神となる男なんだ」 この言葉に、ライトと共に「キラ」を捜査してきた相沢や松田などの刑事は衝撃を受けますが、ニアはあくまでも冷静に(エルとよく似た雰囲気で)言い切ります。 「いいえ。あなたが正しいと信じ、その道を人々に歩ませようとしたところで、皆が幸福に平和になるわけではありません。なぜならあなたは神でもなんでもない。ただのクレイジーな大量殺人犯です。そして、このノートは、史上稀に見る恐るべき殺人兵器です」 ライトは、こういうニアをとことん憎み、皆の隙を狙い、「絶対にニアを消してやる。ほんの数秒の隙があればできる。僕には必ずできる」と思い、腕時計に仕組んだデス・ノートを素早く引き出し、ニアの本名Nate Riverをペンで書きこもうとします。 皆が、「殺人ノートだ!」と叫んだ途端、ライトは右手首を松田により撃たれます。 松田は、涙を流しながら、倒れてうめいているライトに更に銃を突きつけます。 「何だったんだ......局長......君のお父さんは何のために死んだんだ」 それを聞いても、ライトの自信は揺るがず、実に自己中心的な暴言を吐きます。 「局長?ああ、父か?夜神総一郎のことか?そうだ、ああいう糞真面目な人間が、結局は馬鹿を見て死ぬことになるんだーこんな腐った社会のために!そういう真面目な奴が馬鹿を見ない世の中にするために僕のような人間が必要だと、そう言っているんだ......!分からないのか!」 「キラ事件のために命を落とした父親......君のお父さんが死んだことを、話をすりかえるのか!馬鹿を見たで終わらせるのか!」 「そうだ、松田、こんな腐った世の中を変えるには、あんな父のような人間ではなく、僕が必要なんだ!」 こういう自分が常に頂点に立たねばすまないという性格から、主人公のライトは、「腐った人間はこの世に不要。まともな人間だけの住む優しい社会を創世し、僕がその世界に君臨する」という超過激な思想を抱いてきたのです。 17歳の時から、実に6年間に渡る間、彼は成績優秀で他に並ぶ者のないエリートでした。 彼の考えることは、常に理論的で緻密である意味で正確であり、その推理は卓越したものでした。 日本警察は、少年時代から非常に賢明で優秀な頭脳を持った夜神ライトという人物を、キラ捜査班局長の息子である「顔見知りの優れた人材」として、常に信頼し、その優れた知性に敬意さえ払っていたのです。 ライトは、自分の知性に対する皆の崇拝に近い感情を利用し、最も身近な人々、肉親や捜査当局の人々を裏切り続けたと言えます。 けれども、そういった「エリート思想」が、DEATH NOTE などという危険極まりない道具を手にした途端、極端な暴力的な思想の極限にまで達してしまうのです。 結局、彼は「いつも捜査本部の中では平凡で冴えない刑事」松田に撃たれ、最後の頼みの綱である死神リュークに名前をノートに書かれ、息絶えてしまう。 こういう結末でした。 いや~正月から、物騒な話を読んだみたいですが、こういう作品のテーマに感動もしました。 「自分がこの世で一番賢く、選ばれた人間であり、そして腐った人間は消えた方がいい。その方が、世の中のためになる」 こういうライトの思想に、私は『罪と罰』のラスコーリニコフとよく似通ったものを発見しました。 もしかしたら、「デス・ノート」は、こういう古い文学からも、発想を得たのかも知れませんね。(違っていたら、すみません)^^; こう考えると、「デス・ノート」は立派な文学作品と言えると思います。 「文学とは何か」ということも、私の人生に常に追究したいテーマであり、今年も(眼精疲労のため)あまり本は読めませんが、ネットなどを利用して、文学的なものに触れて行きたいと思います。
January 1, 2008
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1
![]()

