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12日に整形外科に行った。レントゲンの結果、びっくりした。 「右肩を覆う、腱板(けんばん)という筋肉が外れている」 3週間前に転んだ時、そんな状態になってるとは全く分からなかった。単に「転んだから、痛いんだな」なんて、タカをくくっていたのだった。 昔、ハイヒールで電車に間に合うよう、やはりダッシュで走っていた時、駅の手前ですごい勢いで転んだ。 でも、すぐに起き上がって、ホームに駆け上がり、バイト先に出かけた。 夕方、2月だったので、電車の座席の足元から暖房の熱が伝わってきた。そうなると、「あ~足首が疼く、いたたたた」となった。 翌日、総合病院の外科に行くと、「左足首の靭帯が切れている」...... エ~!であった。医者も仰天していた。 「よくまあ、派手に転んだんやなぁ。治るのは2カ月、かかるでー」 全く、怪我は侮れない。激しい痛みが来たら、もう病院!なのだ。 アメリカの博物館に保存されている「自由の女神像」は、右手に松明を握り、高々と掲げている。 今、この日記を全て左手でタイプしている私は、彼女が羨ましい。 しかし、怪我や病気をすると、ふと、子供の頃愛読していた『幸せの少女パレアナ』の言葉を思い出す。 パレアナは、体が不自由だが、物事の良い面を見出す才能がある。 「私の右足は動かないけれど、そういう時は、『左足が元気で良かった』って、そう思うの。病気は辛いけれど、治った時の嬉しさを考えるの。そうしたら、どんな時でも、希望が持てて、幸せでいられるのよ」 確かそんな内容のことを言っていた。 要するに、物事を悲観しないことが、生きる上で大事だということだ。この話に、子供時代、感動していたのに、大人になると、なんやかんやで忘れてしまった。 パレアナの言葉を大事に、養生せねばなぁ。
January 14, 2010
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ルネサンス時代のミケランジェロは、システィーナ礼拝堂の天井画を数年間、描き続けた。 完成したのはいいが、いつも上を見て、朝から晩まで仕事をしていたので、首の筋肉や骨が痛むようになり、下を向くことができなくなったらしい。 560年前の人と言えど、筋肉痛、関節痛に悩んだんだと思うと、親しみが湧くものだ。 私は、去年12月22日に、バス停に停車しているバスを追いかけて、猛ダッシュで走った。 普段、走ることはあまり、ない。 それが、全速力でマッハ9(嘘だろ)ぐらい、自分では最高速度で走ったんである。 「ああ、限界だ」 そう思った瞬間、体が宙に浮き、次には全身が地面に叩きつけられていた。 前向きに転んだのだ。それでも、最初は痛みは分からない。というか、そう痛くも感じない。 それで、バスは行ってしまい、次のバスに乗った。 考えてみれば、あんなにバスに急ぐ必要はなかった。ただ、病院の予約時間に間に合わせようというだけで、あんなに走ることはなかったはず。 打撲というのは不思議だ。 最初はそんなに痛くないので、翌日は息子とショッピングセンターに行き、外食し、帰宅してピアノを弾いた。 その2日後は、電車に乗って、『のだめカンタービレ』を観に行った。 その時は、映画館で食べる軽食のトレイを持つのがやや痛いので、息子に持ってもらった。それに、財布から小銭を取り出すのが「取り辛い」と感じた。 年末には、年賀状に文字を書くのが、疲れやすくなった。文字を肉筆で書くというのは、案外、肩の関節を使うらしく、右肩を痛めた私には辛かった。 年末年始は、息子が風邪をひき、私もうつり、辛さは打撲よりも風邪の方に注意が集中した。 風邪がやや良くなったのは、1月4日頃で、風邪の調子がいいので、初詣に行ったのだった。 だが、その頃から、打撲の痛みが復活。というか、痛みが広がる感じである。 最初は右肩、右手首、肘。 それがだんだん、右肩、右手首、肘、右膝、左腿、首の後ろ、肩甲骨、背骨の上部へと、痛い部分が増えていく。 パソコンのキーも、手元に引き寄せないと、右肩が痛い。食事も、右腕をちょっとテーブルに乗せるだけで、「痛っ!」となるし、何よりも辛いのは、着替えの時となった。 とにかく右肩の関節が酷く痛い。 電子辞書の「家庭医学辞典」で「打撲」を引くと、「打撲は通常、1週間で治ります。それ以上痛みが続き、熱を帯びた様子なら、早急に整形外科に診てもらいましょう」とあった。 今週の火曜で、転んでから3週間目。治ればいいけどなあ。治らないと、今にピアノも弾けないし、絵も描けなくなるし... パソコンのキーまで打てなくなったらおしまいだ。 今年は私は、初詣では「末吉」。これを母に言うと、「そんなの迷信よ、古いのねぇ」と笑われる。 案外、私は運勢云々に弱い。俗っぽい。 それは別として、打撲の凄まじさに、今更ながら敬服している昨今である。
January 10, 2010
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今日は息子の15歳の誕生日。彼は1995年の生まれで、生後10日目、私の実家で寝ている時に、あの恐ろしい阪神大震災に遭った。 1月17日の午前3時頃まで、お乳を欲しがり泣いていた。私は眠れないまま、仕方なく、授乳後、生後10日の息子の写真を撮ったりした。 それから寝たのが4時近く。寝入ってすぐ、という感じで激しい揺れで飛び起きた。 あの時は、「普通の地震じゃない」と直感できた。私と子供は、家で一番暖かいが狭い仏間に寝ていたのだが、すぐさま枕のそばの書棚の上に置いた段ボールなどが、4,5個、私の肩や背中にぶつかって落ちた。 その直後、赤ん坊の枕元(頭の上)にある仏壇が、ぐらりぐらりと揺れているのに気が付き、慌てて子供を抱きかかえて、隣室の居間に逃れた。 その後、揺れはひとまず止まった。幸いなことに、私も子供も何も外傷は受けなかった。父が、「皆、無事か!」と私や母の所に駆け寄った。我が家は、食器が幾つか割れた程度の損害で済んだ。 あの時のほんの数秒の地震で、「神戸が消えた」との報道に衝撃を受けた。今でも当時の記憶は鮮明である。 あれは、平成7年のことだった。それが、もう平成22年なのだ。息子も15になるはずだ。 私は、一人息子に、毎年、大したことをしていない。彼の一番の虚しさは、「あちこち旅行をしたことがあまりない」ということだ。これは、私が、子供を出産後、色々なストレスから、喘息気味となり、おたふく風邪となり、眼精疲労となった中で、ずっと、通勤時間が往復6時間もかかる大学に勤務していたため、実現しなかったのだ。 今思うと、せっかくの大学の長い休暇中に、もっといろんな近場に連れ出して、思い出を作ってやれば良かったと残念なのだが、それさえもできないほど、休み中は体が悲鳴を上げていたのだ。 だから、私が息子にできることは、誕生日ごとに、クリスマスごとに、手作りのカードを作り、プレゼントもその年2回だけ、ということが続いてきた。 市販のカードに、広告や通販のパンフレットなどから、きれいな装飾の部分を切り取り、貼り付ける。または、光るシールなどを、その年齢にあった数字の形になるよう連ねて貼る。 時には、自分で装飾部分を手描きのイラストで埋める。 小学生の頃は、そうしたシールやイラストが、カードの大半を占めていたが、思春期を迎えると、装飾部分は限られ、メッセージの文章が多くなった。 まだ子供なのだが、子供扱いされたくない、大人に一歩近づいた、という意識が強いのが思春期の少年である。だから、そうした年頃に合うようなメッセージを私は書く。 今年はいよいよ15ということで、病院でも「小児科」とはさようなら。パブロンも2錠から3錠でOK。異性への興味も(良い意味で)湧いてきた。 まさに青春の入口に立ったばかりの15歳。 そこで、私は、1840年に生まれ、1924年に亡くなった、米国のユダヤ人詩人、サムエル・ウルマン (Samuel Ullman) の詩を引用した。Whether sixty or sixteen, there is in everyhuman being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of the game of living.60歳であろうと16歳であろうと、あらゆる人の胸には驚異に魅了される心、おさな児のような未知への探求心、人生に対する興味と喜びがある。ー そして、息子に宛てて、このように書いた。 「15歳のお誕生日おめでとう。あなたの人生は肥沃な大地、希望と光に溢れています。その大地に種をまき、美しい花を育てていきましょう。人生の主人公は自分なのだ、と感じながら...」 こうしたカードのメッセージ以外に、封筒にも装飾を凝らしたりして、約2時間半、時間を費やした。 先月の22日(2週間と3日前)に、バスを猛ダッシュで追いかけた挙句、私はバーン!と前のめりに倒れ、いやというほど体を打撲した。まだ右肩の関節が痛い。 パソコンのキーは打てるが、肉筆の文字を書くのは、日々痛みが増すので、結構辛いものである。それでも、年賀状や、子供へのお誕生カードなどは、1年に1度のことなので、何とか頑張った。 まだ15歳になったばかりと言っても、息子には、いじめを受けて、中学に満足に通えなかった、という、何か自分の人生に空洞を作ってしまったような悔恨の想いがあるようだ。 昨日、フリースクールで書いた作文にも、自分が「言葉によるいじめを受け、学校に行けなくなった。体調不良となり、その中で一番ひどかったのは吐き気で、それが朝から晩まで続く。不眠となり、体重は激減し、心配した母は、私を心療内科に連れて行った...」 このように、辛かった2年間を振り返っている。 だから、「まだ人生はこれから。前途洋洋とした若い心の芽を、青春の只中で、どうぞ花開かせて」との想いを私は、彼のバースデーカードに託した。 サムエル・ウルマンは、南北戦争に出兵した後、金物事業を始め、地元の教育審議委員や教会のラビ(ユダヤ教の指導者)、銀行の取締役などの職を歴任した。 同時に詩人であり、心理学者である。 彼が「青春」ーYouthーの詩を書いたのは、多分、初々しい20歳の時ではなく、様々な人生経験を経た50代から60代の間ではないだろうか。 「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。...年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時、初めて人は老いる」Youth is not a time of life; it is a state of mind...Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by deserting our ideals. こういう心境で、このような言葉を書けるのは、「肉体的に老いつつある」時である。これは、決して老人の皮肉ではなく、人間の本質を語っている。 肉体は物質的に老いるものだが、魂は単なる物質的なものではない。心というものが、脳という肉体を司る物質的な部分の働きにより、左右されている事実があっても、人の心や魂というものは、物質的次元で語られるべき以上の存在であるー そう感じられるからこそ、詩人はこの詩を書いたのではないだろうか。 ネットやゲームで日々を物質的満足感で過ごす若者には、人生への熱い理想や希望が失われがちではないか。そんなネット上でさえ、検索すれば「サムエル・ウルマン」は出てくるのである。 人生は、毎日の積み重ね。その毎日に、「希望と理想」という信条の光を注ぐか否かで、人生はがらりと変わってくる、とウルマンは教えているのである。
January 8, 2010
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1月4日は初詣を果たした。なぜ「果たした」となるのかというと、毎年、初詣が10日頃と遅くなるからだった。 今年は息子が高校受験なので、初めて「絵馬」なるものをお寺で買い求めた(500円でした)。それには「合格祈願・祈願成就」と赤い文字で書いてある。 裏にお寺のボールペンで、願い事を書く。息子に書かせようとしたが、なぜか「いい。めんどくさい」と言うので、「何か、受験が近くてプレッシャーかな」と思って、私が書いた。 「無事に志望校に合格できますように。2010年1月4日」 その後で、息子には「自分の名前は自分で書いて」と書かせた。息子は書いた後、「自分の本名書いて、ここに吊るすのって、個人情報暴露だよね」などと言った。 それもそうだ。「合格祈願」がほとんどだが、中には「健康になれますように」といったお願いもあり、本名だけでなくて、住所や志望校まで書かれてあるんだから。 いつから絵馬は、合格祈願を担うようになったんだろう。馬は「飛躍」を意味するのかな。 松の内は今日まで。後、4日と5日は、バンクーバー冬季オリンピックに向けての、フィギュアスケートの日本代表選手権大会をしっかり観た。 よく思うのは「どうして、ああ毎年、良い選手が輩出するのかな。『あ~も、もうここ10年、ひとっりも良い選手、いないじゃないっすか』って状況にならんのね」ということ。 必ず優れた選手が出てくる。今一番注目されているのは、浅田真央さん(19歳)なのだ。 昔は、村主章枝(すぐり・ふみえ)さんが世界の注目を浴びる日本代表だったのにね。村主さんは、この大会ではもう28歳で、7位だった。 去年、足を怪我したというためか、浅田真央さんの後に演技する村主さんは、何だか遠慮がちで動きが小さい。 「あ~、可哀想。あーんな、浅田真央の後に演技ってさあ、すごいプレッシャーなんじゃないの?ほら、何だか弱弱しく滑ってない?」 こう言うと、情報通の息子が「違うよ。あれは単に怪我のため。あのね、各選手は、皆、他の人の演技を見ないようにしてるんだよ。プレッシャーを感じないように」 「あ、そうなの?へ~知らなかった。なるほどね、精神的なケアを大事にしてるわけなのか」「そうそう」 それから私は言った。 「よく思うけどさ、何度も言ったけどさ、どーしてフィギュアって、お尻ドテ~ンが多いんだろ、ねえ?」 息子は事も無げに答える。 「そりゃ、スケートってのは、滑りすぎないようにコントロールして演技してるんじゃない。つるつるの氷の上で滑ってんだから、ちょっと失敗してぐらついたり、お尻つくのは当たり前だよ」 そして、彼はこう付け加えた。 「フィギュアスケートはさ、滑るスピードを利用して演技するんだから」 息子の名回答に私は開眼させられた。 「フィギュアは、滑り過ぎないように滑ってる」 「フィギュアは、滑るスピードを利用して演技する」なんて、考えたこともなかったのだ。しかし考えたら当たり前のことだった。 「え?考えたことなかったの?ただ、すご~いって、見てただけ?当り前なのに気づかなかったの?」 「...(笑)そうなんだよねぇ」 負うた子に教えられているんである。 息子は、浅田真央さんのことを、「あいつは『滑るロボット』だからなぁ。絶対失敗しないんだ。言ってみれば『スケート廃人』じゃないの」などと酷評する。 「え?『スケート廃人』はないでしょ。ああして、練習して、人前に出て演技披露できるって、やっぱりすごいことよ」 私が驚くと息子は「『廃人』ってのは冗談だよ」と笑う。 しかし、浅田真央さんには全く驚くなあ。私は以前、彼女の演技は「かたいな」と思っていた。何となく、体がまだ子供で、動きに柔らかみがないのだった。 でも彼女も19歳。長い手足をダイナミックに動かして、ラフマニノフの『鐘』に合わせて、細かな動きを取り入れつつ、大胆に美しく舞い、滑る。そことなく女らしさも漂うようになった。 「あんなことができるってのは、やっぱ凄いことなのね。普通は、というか、私は、氷の上で歩くことも滑ることもできなかったよね。あんなにザーッと滑ったら、『誰か誰か止めて―っ』となるんじゃないの?それを、ピタッと止められるんだからなあ、もう」 浅田真央さんが、バンクーバーでフィギュアの女王の座を占めたら、それこそ心から祝福したい。彼女のスケートは本物なのだ。 浅田さんに次ぐ2位は、鈴木明子さんで、この人の滑りはすごく楽しい。浮き浮きしたダンシングが上手い。表情が生き生きして、チャーミングだ。 「昔のオリンピック選手は、日本人と言えば、無表情で、体つきもごつくて短足で太くて、恥ずかしかったのに...平成か昭和終わり生まれは違って来たな、国際的で」 私は鈴木明子さんの Westside Story をテーマにした楽しそうなスケートが大好きになった。彼女がダンスは得意の欧米勢の中で、もし1位となったら、世界の日本人への目も変わるはず。 有名な安藤美姫さんは、上位の2人に比べると、「クレオパトラ」をメインのBGM にしているものの、元気度が足りないなあ~神秘的で熟女的魅力はあるけれども。 彼女は随分痩せて、頬がこけてしまっている。鼻が高く、目が大きい美人タイプ。これは息子の好きなタイプ(らしい)。 しかし、衣装は「豹柄」。これを見た息子は、「あんな衣装、見てて恥ずかしい。裸に、墨で模様を描いたのかと思った、一瞬」などと、これまた大胆な発言をした。 「えっ?裸に?(笑)...墨で模様?...『耳なし芳一』みたいじゃないの、それって」 そんなこんなで、とにかくフィギュアが楽しみなオリンピックが2月、その後3月は息子の受験。人生山あり谷ありなのだ。^^;)
January 7, 2010
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ついに2010年の新年となりました。 皆様、明けましておめでとうございます。 今年もこの「隙間風」サイトをどうぞ宜しくお願いします。 えっ?「隙間風」なんて自虐的?そーですね。新年から、何すねてんの。いえいえ、これは、息子の真似です。 息子は自分のサイト(結構その「業界」では海外でも有名である?)の新年の挨拶に、「今年もこの過疎サイトをどうぞよろしく」と書いたのだった。 それはMPH (メトロイド・プライム・ハンターズ)のサイトなのだが、今、そのゲームは「過疎」ってる。現在、10代から中年?まで幅広く人気があるのはMHP2ndG(Monster Hunter Second G) の方で、海外でもPSPは大人気。 彼は、自分でplay した動画を映画監督並に11分以内に編集し、画質の向上をチェックし、著作権に触れない曲をつけて、もうこれで17作も動画を作品として創り、YouTubeにupload している。 これがもうすぐ15歳になる平成ハイテク少年の趣味であるが、ただゲームをするのではなくて、効果音や、playのテクニックの巧みさ、字幕を考えてつけたり、音楽を効果的に活用するなど、だんだん、「創作活動」に近づいてきた。 よく考えると、その完璧度を目指す凝り様は、私が15歳の頃、人気漫画家のイラストの似顔絵を細かく描いて、水彩で色を奇麗に塗り上げて、「一つの作品」として仕上げていた、その凝り方と同一である。 親と子はこうまで似るのか~と驚いた。 彼は、字幕や、動画作品の紹介などに、英語を用いたがるのだが、その英語好きな点も、私によく似ている。 だんだん、ただ「ゲームを遊ぶ」だけじゃなくなって、自分の世界というものを自覚して、その幅を広げていっていることは、感受性が豊かになっている証拠なので、良いことだと思っている。 ところで、新年、元旦は、書き残した年賀状の続きをぼちぼち書いていた。毎年、元旦は静かに過ぎるなぁ。 『のだめカンタービレ』のアニメがあってて、らっきーでした♪ 『のだめ』に関しては、もうメロメロだが、原作アニメでは千秋(ちあき)先輩よりも、のだめちゃんの方が素敵に感じた。 このアニメの間に、先日のクリスマスで観た映画が「只今絶賛上映中!」とコマーシャルで流れると、千秋を演じた玉木君の凛々しさが目に眩しい...ああ、元旦だなぁ♪ 大晦日は、『たけしのアンビリバボー!』を息子と観ていた。『紅白』よりこっちが面白い、と彼が言う。確かに面白いし、感動もした。 事故の衝撃映像等は、生々しくて痛々しいが、UFO などの話や、氷漬け人間ギネス世界一などは面白かった。 NASAの宇宙飛行士が遭遇した、宇宙人と思しき遺体が火星?などに残っており、その一部を持ち帰って分析すると、宇宙人の遺伝子因子は、なぜか、モンゴロイドであり、しかも、中国人でも韓国人でもなく、日本人しか持ち得ない遺伝子因子と同一だったとか!? 宇宙人って、日本人の兄弟だったのかなぁ? それに、話は飛ぶが、ミイラの話もあった。ミイラと言えば、古代エジプト。でも、現代に至るまで、ミイラが作られている国がある。 それは『God Father』で有名なシチリア島。 ある修道院の地下堂には、何百体ものミイラが服を着せられてずらーっと立てられている。その風景は...... 圧巻、というより、ハッキリ言って、怖かった。 しかもミイラを作る技術まで進歩しているので、生前(息を引き取った直後)の面影まで、そっくりに保存されており、顔の表情や髪までそのままである。 しかし、肌の様子、更に、やはり生きてはいないのだから、息をしていない、その姿は、「変わり果てた」としか言いようがなく、遺族の人は、これで本当に喜んでいるのかなぁ、と疑問に思う。 実際、「世界一美しいミイラ」として保存されているのがあり、それは、80年前に亡くなった2歳の金髪の幼女の遺体であった。 美しいブロンドやカールした愛らしい髪型、金色のリボンもつけられて、目はやや半開きで、愛らしい服を着せられて横たわっている。 ちょっと見たら、小さな女の子が眠っているだけに見える。「娘をミイラにして下さい」と、ミイラ技術専門の医師に、その父親は依頼したそうだ。 でも、念願叶って、娘は白骨化せず、生前の姿を永遠に留めることとなったものの、その父親は、娘に会いに来る足は、だんだん遠ざかり、ついには修道院の地下に来なくなった、という。 「そりゃそうだなぁ。愛する子供が、目の前に居るけれど、やはりほっぺは固く、硬直した体、返事をしてくれない様子なんかを見ていたら、『やっぱりこの子は死んだんだな』って悲しみが増すだけよね」 私はこんなことを思った。 そんなで、夜の11時45分には、恒例の「行く年来る年」で除夜の鐘を聞かないと、大晦日って感じが来ない。 無事101回、鐘が鳴り、煩悩は消えないまま、新年を迎えてしまった。 私は今年は「年女」です。あ、何回目の?なんて、聞かないようにしましょうね。^^;) それにしても、年賀状に、つい、「2010年おめでとう」じゃなくって、「2001年おめでとう」と書いてしまいそうになるのは、私だけでしょうか?
January 1, 2010
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