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2026.03.10
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カテゴリ: 静岡県
戦国時代に駿河の守護大名であった今川氏が、朝比奈泰煕に命じて築かせた城(平山城)。日本100名城に選定されており、掛川城御殿は国指定重要文化財に指定されている。

室町時代の文明年間に守護大名の今川義忠が、重臣である朝比奈泰煕に命じて子角山に掛川古城を築城したのが始まりと言われている。 1513年(永正10年)に子角山南西の龍頭山に移された。以後は朝比奈氏が城主となる。 1568年(永禄11年)に朝比奈氏の主君である今川氏真が武田信玄、徳川家康の両大名から攻められ、駿府城を捨てて掛川城へと立てこもる。その後、徳川家康が掛川城へと攻め入ったがなかなか落城せず、長い攻防の末に和解によって掛川城が開城されることになった。 朝比奈氏と今川氏は相模国(現神奈川県)の小田原城へと退去し、以後は家康の重臣である石川氏が城主を務め、武田氏侵攻に対する防御の拠点となった。1590年(天正18年)に豊臣秀吉が天下統一を成し遂げると家康が関東に移封され、掛川城に秀吉の直臣であった山内一豊が入った。 山内氏の時代に大規模な城域の拡張と近代城郭としての整備が行われ、石垣や天守が造られた。 その後は松平氏、太田氏など徳川譜代の大名の居城となった。1854年(安政元年)に安政東海大地震が発生し、天守を含む大半が損壊。二ノ丸御殿、太鼓櫓蕗の門などは再建されたが、1869年(明治2年)に廃城となった。 1994年(平成6)年に天守が再建され、翌年に大手門が木造復元された。

現在は城跡が掛川城公園として整備されており、天守・掛川城御殿が見学できるようになっている他、二の丸跡には日本庭園を持つ茶室があり、竹の丸跡には松本家邸宅を利用したカフェがある。 周辺にはソメイヨシノ、シキザクラ、シダレザクラが約130本植えられており、春は 桜 の名所にもなっている。

入館料は掛川城天守(掛川城御殿との共通券)が一般410円、小・中学生150円(団体割引有)、二の丸茶室が一般510円、小・中学生250円(団体割引有)、竹の丸が一般100円、小・中学生50円(団体割引有)。


掛川城大手門。 城内に入る最初の門で、掛川城の門の中では最も大きい。 間口は12.7m、奥行きは5.4m、棟までの高さは11.6m。山内一豊が設けた最初の門は安政東海大地震で倒壊し、1858年(安政5年)に再建。掛川城が廃城になると民間に払い下げられ、火災に遭い焼失。 1995年(平成7年)に門があった場所の50m北側に復元された 門をくぐった先には大手門番所があり、こちらは再建当時のもので市指定文化財に指定されている。


松尾池跡。掛川城の構図が描かれた正保城絵図がある。


三の丸広場。四足門のすぐ目の前、三の丸があった場所に作られた広場。


掛川城公園の碑。


三日月堀。 本丸門の前面に配置された三日月状の堀。 深さは8mあったという。


四足門。 本丸に通じる重要な門で、門の内側には番所が設けられていた。 発掘調査では門の跡が見つからず、正保城絵図を元に復元された。


掛川城主要部模型。 正保城絵図と発掘調査結果を資料として製作された、150分の1スケールの模型。 模型の素材には耐久性の高い有田製磁器が用いられている。


十露盤堀。 本丸を囲んでいた重要な堀。 現在は一部を残すのみとなっている。


かつて城の時間を知らせる為の大太鼓が納められていた櫓。 石垣の上にあり、外観のみの見学となっている。


本丸広場。 城の主要部だった本丸があった場所で、かつては藩主の住居であった本丸御殿があった。 現在は花広場となっている。


腰櫓台跡。 城の外を監視する櫓があった場所。


霧吹き井戸。 1569年(永禄12年)に徳川家康が掛川城に攻め入った時、この井戸から立ち込めた霧が城を包み込み、徳川軍の攻撃から守ったという伝説が残っている。




天守閣は1590年(天正18年)に建てられたが、1604年(慶長9年)の大地震で倒壊。その後再建されるも、1854年(安政元年)に発生した安政東海大地震によって再び倒壊。それから程なくして掛川城が廃城となったため再建はされず、長らく天守台などの遺構が残るだけとなっていた 。 1994年(平成6年)に地元住民や企業から募金が集まり天守閣が木造復元され、140年ぶりにその姿を取り戻した。




石落とし。 天守の床の一部を石垣の上に張り出させ、敵が石垣を上ってきた時に床板を開けてそこから石を落とし、敵を攻撃するもの。


狭間。 城の建物や城壁などに設けられている、内側から鉄砲や弓で攻撃するための穴。 掛川城天守には1階に9ヶ所、2階に14ヶ所ある。


鯱。 掛川城天守の上部に造られた鯱の原寸大複製。 油山寺の山門の鯱を参考に、高知城天守の鯱にならって青銅で造られている。


天守4階から見た掛川の街並み。


城壁に設けられた狭間。


掛川城御殿。国指定重要文化財に指定されている。 藩の公的式典の場、藩政の中心となる役所、城主の公邸が連結した建物。 書院造。現在の建物は1861年(文久元年)に再建されたもの。掛川城廃城後は学校や市庁舎として活用されていた。 現存する城郭の御殿は全国でも数ヵ所しかなく、大変貴重な建造物とされており、1972年(昭和47年)から3年間にわたって保存修理が行われ、1980年(昭和55年)に国指定重要文化財に指定された。


掛川城御殿の玄関屋根と蕪懸魚。




御書院上の間(大書院)。城主が藩政を行う時に使われた部屋。


長囲炉裏の間。城主が使用していた部屋。甲冑が展示されている。


長囲炉裏の間の天井にある、太田氏正紋の桔梗紋と替紋の鏑矢紋。


二の丸美術館。掛川城天守の復元に感激した実業家の木下満男氏が美術工芸品を寄贈し、1998年(平成10年)に開館した美術館。 木下氏が寄贈したたばこ道具をはじめとした美術工芸品「木下コレクション」や、掛川ゆかりの作品を収蔵している。 入場料は大人500円、小・中学生無料(団体割引有)。


二の丸茶室。掛川城公園内にある茶室。 掛川茶の煎茶や抹茶がいただける他、茶室の貸し出しも行われている。 入館料は一般510円、小・中学生250円(団体割引有)。


ステンドグラス美術館。掛川市の医師である鈴木政昭氏が自身の集めたステンドグラスを寄贈し、2015年(平成27年)に開館。 鈴木氏が集めたイギリス、フランスの美しいステンドグラスが展示されており、ステンドグラス作り体験やコンサートなど様々なイベントも開催されている。 入場料は一般500円、小・中学生無料(団体割引有)。


竹の丸。市指定有形文化財に指定されている。竹の丸は重臣の屋敷地だった場所。 現在残っている建物は江戸時代に城下町で問屋を営んでいた松本義一郎が、1903年(明治36年)に建築した邸宅 。 内部や庭園が見学できるようになっている他、和紅茶やスイーツが楽しめるカフェもある。 入館料は一般100円、小・中学生50円(団体割引有)。



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最終更新日  2026.03.10 22:00:02
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