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「人と言葉」(これは2004年に書いたものから引用したものです。)「致知」稲盛和夫さんの言葉より致知出版社「致知」9月号 巻頭の言葉『人生の目的―心を高めるために―』京セラ名誉会長稲盛和夫さんの言葉を引用させていただきたい。私たち人間が生きている意味、人生の目的はどこにあるのでしょうか。もっとも根源的ともいえるその問いかけに、私は真正面から、それは「心を高める」こと、「魂を磨く」ことにあると答えたいと思います。―中略―俗世間に生き、さまざま苦楽を味わい、幸不幸の波に洗われながらも、やがて息絶えるその日まで、倦まず弛まず一生懸命生きていく。そのプロセスを磨き砂として、自分の人間性を高め、精神を修養し、この世にやってきたときよりも少しでも高い次元の魂を持ってこの世を去っていく。私はこのことよりほかに、人間が生きる目的はないと思うのです。―中略―生きていくということは、えてして苦しいことのほうが多いものです。ときに、なぜ自分だけがこんな苦労をするのかと、神や仏をうらみたくなることもあるでしょう。しかしそのような苦しき人生だからこそ、その苦は「魂」を磨くための試練だと考える必要があるのです。人生における労苦とは、己の人間性を鍛えるための絶好のチャンスなのです。試練を、そのように絶好の成長の機会としてとらえることができる人、またさらには、人生とは心を高めるために与えられた期間であり、魂を磨くための修養の場であると考えられる人、そういう人こそが、自らの限りのある人生を、豊かで実り多いものとすることができるのみならず、その周囲にも素晴らしい幸福をもたらすことができるのです。致知出版社「致知」9月号 巻頭の言葉『人生の目的―心を高めるために―』京セラ名誉会長稲盛和夫さんの言葉より。私は高校時代、なぜこの世に自分は生まれてきたのか、生きている価値はあるのか、自分のことを必要としてくれている人はいるのか、自分を愛してくれている人はいるのか、いったい俺は何なんだと、深く思い悩んでいた時期があった。子供の頃から周囲と信頼関係ができなかった私は、この世に遠慮があった。安心できる居場所が無かったのである。しかし、長じるにしたがい、居場所は与えられるものではなく、自ら創りだすものと知り、視野が広まったのである。周囲との信頼関係も同様である。また、愛されるということは、愛したいという思いからしか生まれないことも知り、人よりも時間はかかったけれど、周囲に溶け込める自分ができてきたのである。しかし、年代や置かれた立場で悩みは変わるものである。人は、その人の生きてきた環境や、それまでに培われた心によって、受け取り方、考え方が当然ながら違うものだ。こちらが良かれと思ってしたことが、人によっては感謝となり、逆に憎まれもするのである。また、同じ相手でありながらも場面が変わった瞬間に、天使から悪魔に豹変することもある。人は多面的な生き物であり、矛盾の塊でもある。どこの面を叩くのか、それによって、幸せや不幸せのスイッチがオンになったりもするのである。ただ確かなことは、悪魔の顔を見せたとき、それまでの人間関係は憎しみに変わるということだ。言葉は相手の心に突き刺さり、傷つける道具となってしまう。その逆であれば、言葉は人を生かし、活かすものであり、未来までも創りだせるものなのである。いま、以前のように自分の存在理由を思うことはなくなった、しかし、社会、もっと以前に、人とは何だろう、人生における出会いとは、縁とは何かと考えることが多くなった。答えを見つけたいと思っていた。しかし、複雑化した人間関係にこれだという処方箋は無い。いまは只、稲盛和夫さんの言葉に、真正面から向き合いたいと思っている。そして、心に響かせたいと思っている。2004年12月の日記より……。今朝起き抜けに思い出した。もう一度記しておきたいと思う。2008年7月31日
2008年07月31日
他人の目や評価を気にするよりも、一生懸命にやること、そのプロセスそのものが尊いのだと思います。生きることに価値があると信じ、前向きに生きる人には、美しく輝く未来があると信じます。けっして投げるな、投げちゃだめ。自分を信じて、未来を信じて進みましょう。まずは勇気の一歩から。
2008年07月30日
占いで「がんばるな!」とありましたので、くどいようですが書いておきます。わたし頑張っておりません。さて、先日歴史ライターの分野へ挑戦しているとこの日記に書いた。原稿そのものは不採用、しかしある程度の評価は頂けたようだ。正直とても嬉しかった。この世界、ダメなものはダメだと冷徹な断を下されるので、可能性は残ったと見ていいと思う。しかしながら、ある程度ではダメだ。この未熟者!(私が)「千日の稽古をもって鍛とし、万日の稽古をもって錬とする」宮本武蔵「五輪書」より。まずはインプット。溢れる思いが爆発するまでインプットすること。この夏、秋に発刊する本の準備も進めているが、アタマ切り替えて超インプット。でも頑張らない。淡々とこなすレベルを一気にあげるとしよう。これもチャレンジのひとつだ。ではでは。
2008年07月30日
占いを見たら8月はがんばるな!と書かれていた。頑張るなと言われると妙に落ち着く。8月は頑張らず慎重にすること、すると9月以降よくなるとあった。んじゃということで…、ちょっとさぼりたい。寝たいけど、寝てもいられない。頑張らないけど、やらなきゃいけないことがいっぱい。はぁ~がんばらないけど、やりますか。ホットに淡々とね。この夏はがんばらずに乗り切りるとしましょ。よし!ではでは。
2008年07月29日
仕事の話をしていて、今の自分の行き詰まりを感じた。本当は以前から感じていて、どうにかしなきゃと思っていた、けれどその気持ちに蓋を閉めてここまで来ていた。事故なのか、必然なのか、どちらでもよいが、痛い目にも続けてあった。まだクリアしていない。この夏どうにかしたいが、この夏には難しい。贅肉は落としてきたつもりだけど、もっと落とさなきゃ。シンプルに、シンプルに、最後に残ったやつを大事に。と書いてはみたが、今はやる仕事ができてシアワセだよ。感謝。
2008年07月28日
取材で日本ラグビー協会へ行き、その帰りに久しぶりに会社に立ち寄ってみた。(外苑前と渋谷なので近いんです)シーン……。みんな夏休みかと思ったほど静かだった。オフィス内には二人しかいない、でも私の机の上は山のように賑やか。請求書関係を整理して会社をあとにした。今日はどこまで歩くかな?と考えながら歩いていると、恵比寿、目黒を越えて、大鳥様にお参りして、結局地元まで歩き通してしまった。暑かったからスローペースで2時間の旅。大汗かいたあとはフロへ一直線。で、いま日記を書いている。これから取材したものをまとめる作業に入る。先週からほぼ毎日睡眠時間が2時間~3時間というハードスケジュールになっているので気をつけないとまずいね。暑さと寝不足は人間の大敵だから。外の風は涼しくなってきたけど、工房内はまだ暑い。ではでは。
2008年07月28日

土曜日はボスに同行し茨城の常総学院の合宿へ向かった。午前練習のあと、行った先は農協と「ダチョウ王国」。これがそのダチョウ。そんでもって、これが恐竜から進化したことを窺わせる足。すんごいんですよ、この足が。やっぱり恐竜は絶滅なんかしてなかった。
2008年07月27日
いま20時です。外はけっこう風があるのですが、私の工房内の温度は35度です。汗びっしょりです。いまひとつ原稿を書き終えて送ったところなのでブログ書いてゆっくりしてますが、一日中忙しかった。これから夕食、その後もPCに向かいます。そんでもって明日は取材のため、朝5時過ぎの電車で出かけます。熱い夏ですね。明日も、明後日も気合で頑張ります!
2008年07月25日
恩返しをしたい方がいます。とっても苦しいときに励ましてくださった方です。実はとても若い頃からお世話になっています。いつかご恩返しがしたいと思いつつなかなかできずにここまで来てしまいました。本が出たらこちらからご連絡しようと思っています。受けたご恩はおかえしできませんが、それでも一つのきっかけとして頑張っていますという形として、横浜で飲みたいと思っています。よっしゃ!中華街。気合だぜ、それを目指して夏をかっとべ!!!追伸暑苦しい親父と思うなかれ、暑い夏は熱く過ごそう。まずは気持ちから熱く。自分の方が熱くなれば暑さなんかこわくない。私の人生はいつも自陣ゴール前マイボールスクラム。
2008年07月24日
つい先日のこと少々荒っぽいことをして、手首を傷めてしまった。すぐ治ると思っていたところ、これが違和感バリバリ、自己主張のカタマリになってきた。仕事柄キーボードを打つ時間が長いのだが、いたい……。今ありがたいことにとてつもないスピードで仕上げねばならない原稿が山積みになっている。嬉しいやら痛いやら、生きてるって実感。やりたいことやれて、忙しくて、あとは食えるようになれればいいだけだ(笑)。湿布でも貼ってがんばろう。みなさん、熱中症には気をつけてくださいね。ではでは。
2008年07月24日
夏休み小学校の校庭でやっているラジオ体操に行った。下の息子と毎年夏休みに参加するので、また夏が来たという感じがする。そこで中学時代の同級生に会った。彼女の息子と私の息子は同級生、それも同じクラスだ。お互いにおじさん、おばさんになったなぁと思う反面、一生懸命子育ている健気さが伝わってきてなんとも言葉にしようもないがとても尊いもの感じる。中学生の頃に、私たちが小学校の校庭で息子たちのラジオ体操で会うなんて想像もできなかった(笑)。それ自体はなんら他愛も無いものだが、人生ってなんて素晴らしいんだろう。奥行きがあって、幅があって、温もりがある。明日も「ラジオ体操だいいち~」で熱くなろう。話は飛ぶが、犯罪を犯した少年や少女たち、人生の素晴らしさを知る前に、人が人としての喜びを知る前に……。その場の怒りでとりかえしのつかないことを。それは時代が不幸にしたんではない。自らその道を選んだのである。そこから目を背けては何も生まれない。やりなおせる、などど無責任なことは言わない。それに「誰でもよかった……」などと言う大人になりきれない、幼稚な心の33歳のおっさんよ。誰でもよいのなら、まずは自分をその選択肢に入れろ。そして自分を捨てちまえ。もっとも自分を捨てられれば、人を殺めることはない。それができないから、誰でもと言いながら罪のないそれも自分よりも力が弱い相手に目が行くんだろう。偉そうなことは言えないが、こんな社会に胸が痛い。
2008年07月23日
昨日の夜も暖か(!?)でしたが、今夜はもっとのようです。窓開けて短パンで仕事してますが、汗が止まりません。いったい昼間からどんだけ汗かいてるんでしょう。さて、秋に出す書籍の件、今日の打ち合わせで大筋イメージができてまいりました。これから急ぎ作業に入ります。今年の夏も忙しくなりそうです。仕事が無かった(無理やり作っていた)頃もありますので、何かが動き出すことの喜びはひとしおです。シアワセ、シアワセ。いつか、行動量と実りが比例するようになりたいと思っています。さて、明日は道場へ行こうと思っています。急な用事が入りませんように。
2008年07月22日
これからボスと書籍の打ち合わせがあるのでお台場のフジテレビへ。なんだか普通の会社へ行くのと違ってちょっとワクワク。はは、わたしはミーハーだね。で思い出した。もう20年も前になるが、毎月3~4日間はNHKに行っていた。10時くらいから17時まで、えらく疲れる仕事だった。でもそのお陰で何人もの有名人に会った。(見掛けただけです。)20歳半ばだった私はひどく興奮したもんだ。で思い出した。NHKとはまったく関係ないが、あ~あの頃には戻りたくない。思い出したくもない。普通は時間がたてば楽しい思い出に変わったりするが、あの1点だけは苦いままだ。一番苦しい時だったなぁ。でも楽しいこともあって、お世話になった方々が大勢いる。人生には大いにプラス。ありがたい。感謝。ずいぶん話が飛んでしまった。さて、今日もがんばる
2008年07月22日
梅雨があけ全国的に夏到来。たまらん季節がやってきましたね。さてさて、さっそくですが、来ましたよ、カナブンが!夏になると必ず飛んでまいります。今年はちと早いかな、梅雨明けと聞いて気が急いたのでしょうか。未熟者め(笑)。近所の友人に聞いてみても「そんなん見ないよ」と言いますが、うちには毎年やってきます。夏の間に数回は私の工房に入ってきます。なので友達感覚です。今朝は曇り空ですが、夏なんだなと感じさせてくれました。皆さまにとって良い夏になることを祈っています。ではでは。
2008年07月21日
出版に向けた打ち合わせを終え、嬉しくて意気揚々と歩いている時、私の前に手を繋いで信号待ちをしている若いお母さんと幼稚園くらいの娘さんがいた。二人のすごく楽しそうな様子にこちらまでが楽しくなってきた。そこへ、左右をキョロキョロしながら赤信号を無視して自転車に乗ったじいさんが。その直後、そのじいさんを見習ってか、ばあさんが信号無視。その後さらに続くばあさんの波。おいおい、信号は赤だよ。私の目の前にいた子はじいさん、ばあさんの顔見るよね。「どうしておじいちゃん、おばあちゃんはいいの?」ってね。このお母さんはいったい子どもに何と声を掛けてあげれば良いのか。注:ちなみに、こんな人たちでなかったら「じいさん」「ばあさん」などという言葉はけっして使わない。以前、信号無視する人たちをその場でとっ捕まえて注意したことがある。「せめて小学生の前ではルールは守れ」と。それは小学生たちが信号待ちしている交差点だったからだ。私と息子が信号待ちしている交差点でも注意したこともある。その時は走って逃げられた。少しオシャレ心のありそうな、いい歳の人だった。でもキリが無い。疲れて今はもうやめた。「今の若い奴らは……」という人たちがいるが、今の若い人たちが育った社会を作ったのは大人たちだ。(私も含めて)きっとそんな言い方をする人たちは、自分のことなど微塵も反省するつもりがない人たちだろう。もっと激烈な言葉を使いたいがここは止めておこう。私は超がつくほどの凡夫だが、いい社会を築きたいと願っている。まずは信号待ちのルールからしっかり守ろうじゃありませんか。これだけでも事故が減りますよ、だって今老人の事故が多いんです。子どもたちにルールを示せるし、事故も減る。いいことばかり。難しいことは言わない、けれどできることから始める勇気が大切なんだと思います。追伸思い出した。高校1年の頃、自転車に乗って信号無視したところを警察官に見つかり、「ピー!ピッピッピッ!」と呼び止められた。見るからにスポーツ学生だった私たちは、交番の前で「青信号は?」「進めです!」「黄色は?」「注意です!」「じゃ赤信号は?」「止まれです!」「おまえらわかってんじゃないか!だったらちゃんと守れ!」とこっぴどく叱られ、腕立て伏せと腹筋で絞られた。腕立て50回くらいやったあとに、上の質問があって、止めた状態で答えてから、もう一度……。夏の早朝、第2京浜の某交番前での出来事。これでこ1時間ほど絞られた。今でも笑える思い出です。
2008年07月17日
以前に書いたものだが、今日の日記に再度引用したい。<2007年5月17日の日記から>―「道」 英治― いま私は尊敬する吉川英治さんが書かれた道の色紙を見ています。さりげなく書かれておりますが、なぜこれが「道」なのかを考えるとき、吉川英治の持つ人として、作家としての力を思い知らされます。私は高校一年生の春先に「宮本武蔵」(吉川英治)に出合いました。当時の私は強豪ラグビー部に所属し、「何のために、こんなつらい練習を毎日しなくちゃならないのだ」と日々葛藤しておりました。しかし、吉川―武蔵に出合って、物語が進むうちに、心の霧が晴れていくようでした。そして最終章です。「およぎ上手に雑魚は唄い雑魚は踊る。 けれど誰が知ろう、百尺下の水の心を水の深さを」多少の記憶違いはあろうかと思いますが、概ねこの文章で幕を閉じます。最後のシーンは巌流島で佐々木小次郎を破り、それ以上の無用の殺戮を避けるため、逃げるように島を脱した武蔵を語ったものです。武蔵の心を知らない人々を雑魚に、百尺下の水を武蔵に例えております。このくだりを読み終えたときは、昭和54年12月31日でした。本をとじ、しばらく声がありませんでした。武蔵17歳、関が原から始まった物語が巌流島で幕を閉じる。その間、武蔵が出会う人々はさまざまです。逆恨みのおばばから、幼馴染のお通さん、沢庵和尚、柳生、宝蔵院、伊織、光悦、吉野太夫などなど、多彩です、人生の縮図のようです。まるで私が実際に出会ったように鮮明で、温もりさえ感じることができました。彼らのおかげで私までもがいっしょに成長させて頂いたように思えました。高校生にはそのときの感動を言葉にすることができません。ただ、ただ胸が震えたことを憶えております。涙が流れました。私のそんな様子に家族は誰ひとり声を掛けることが出来なかったようです。だって、そのときの私は「ソリ」を入れてズンドーはいてる高校生なのですから。しばらく声もなくじっとしていると、心は自然、「道」という言葉にぶつかりました。吉川―武蔵に貫かれた「道」です。わかるようで、わからないもの、あるようで、ない。そうなんです、道路はあっても、ここでいう「道」は、どこを探しても見当たりません。そのときから、私は明らかに変わりました。人間が変わったのです。そのときまで、これほど影響を受けたものはありませんでした。「なぜこんなにつらい練習をしなくちゃならないんだ」という葛藤も薄らぎ(まったく無くなりはしませんでした。実際に苦しいので)「道」を探し、「道」を欲しました。あれから随分時が流れました。いまだ「道」を探しております。私の中に確固としたものがない証でしょう。でも言葉にはできるようになったつもりです。「道」 すべての道は人を活かすことに通じることなり。口だけでは無い人間になりたいと思っています。こんなことを書いています。私は2003年に会社員を辞め、一念発起し物書きを目指しました。柱はスポーツと教育です。しかし長年温めてきた思いが溢れ、現在歴史ものに挑戦しています。もともとスポーツの前に歴史分野を目指していたこともあるのでけっしてブレたわけではありません。これでスポーツ、教育、歴史と3本柱を作って高みを目指します。凡夫大元ですが、生きた証を残したい。1000年残る文章が書けるようになりたいと思います。
2008年07月17日
私の文章は湿っぽいと言われる。ドライだと言われるよりは遥かに嬉しい。ストイックだと言われることもある。ずいぶん以前ある親子から「今の世の中ドライじゃなきゃ受けないよ」と言われたことがあるが、誰がそんなこと決めたんだ。したり顔の彼、みんながドライで彼もドライか。それじゃみんないっしょで面白く無かろうに(笑)。それが落ち着いているのかもしれないが、他人に言うことじゃない。大きなお世話だ。まずは自分を確立すること。
2008年07月16日
半月ほど前、ひょんなことで右手首を痛めた。すぐ治るだろうと思っていたところこれが案外長い。そのうえ痛くて気になってきた。そしたら今日、逆の手首も傷めてしまった。最近、ウエイトトレーニングの成果か肩がずれることがなくなった。しかし今度は手首か……。昔からどこかしら故障している私だが、今更ながらアホみたいだ。ではでは。
2008年07月16日
フジテレビ「ラグビーナビゲート」が100回を迎えた。原稿用紙に換算して(ボスと私を合わせて)およそ1200枚。カテゴリーはジャパンがダントツに多くて、次はマイクロソフトカップを含めたトップリーグ関連。あとは大学から高校、中学、ラグビースクールまで幅広い中から話題を探してきた。これからもそうなるだろう。で、今回は100回記念号としてマッチ形式から対談形式に変えて原稿を進めている。久しぶりに対談原稿を書くことになった。さて、この100年記念は3回ほど続けるが、この原稿が仕上がったら「角」で一杯お祝いをしたい。独りで。自慢のバカラを壊してしまったのがなんとも残念だが、ごっごつの氷を入れてロックで一杯やりたい。お祝いか、本が出たらもう一杯やろう。
2008年07月15日
チャンスをいただきました。感謝感激です。昨日は某歴史編集部さんへ訪問し私の思いを語ってまいりました。川中島の八幡原で単騎武田軍本陣を衝いた謙信の心境です。そしてチャンスをいただけることになりました。もちろんテストです。私の得意分野であります戦国時代。それも上杉謙信で勝負です。まだ仕事段階ではありません。合格ラインを超えなければなりません。私の「川中島」いま始まる。
2008年07月15日
今日(日曜日)の午前中は下の息子と小学校の校庭でテニスをした。低学年なのでホワホワのかなりソフトなボールを使ってやる。でも息子が上手い(?)のでこちらはあっちへ走りこっちへ走り汗だらだらになった。でもよく笑った。昔はもっと校庭で遊んでる子が多かったが今は少ない。それに来ている子達はみんなサッカーだ。サッカーが悪いと言うつもりはないが、子どもたちの遊びに想像力がなくなっている。同じ校庭でも想像力によって日々違う校庭に変わるのが小学校の校庭というものじゃなかったか。そんな気がする。外で遊んでいる子達はサッカーかゲームだ。もちろんほかの遊びもあるのだろうが、なかなか見かけることはない。薄ら寒い日本の風景である。夜は少し早いが上の息子の誕生会。6年生なので小さい頃のようには喜ばないが、それでもそれなりに楽しそうだった。彼が小学校に通いはじめて6年目、私が通っていた頃とはずいぶん変わった。私は自分の6年間にトラウマがあるが、息子の6年間によってそれが解消されつつある。私にとってはもう一度小学時代を過ごす疑似体験のような期間だったのかもしれない。なんだか最近卒業したこの小学校が大好きになっている。本当は好きになりたかったんだよな、俺。
2008年07月13日
明日は某歴史雑誌編集部さんを訪問する予定。私からPRしたものだが、ご縁があることを願っている。私は17歳で吉川英治氏の「宮本武蔵」を読んでからというもの、歴史小説にのめり込んでしまった。あれから30年近くが経ち、歴史ものを書きたいという思いが強くなった。もう10年近く前になるが「不敗の神話」というタイトルで上杉謙信ものの歴史小説を書いたことがある。(発表はしていない)それ以来歴史ものは書いたことがないが、いまどうしても書きたい思いを抑え切れないでいる。ラグビーへの思いとは別次元、また別人格でもあるが、歴史ものがどうしても書きたい。これぞ天職だと思っている。ここに教育とスポーツの柱を持っていれば、私がブレることはない。ラグビーの方はライフワークだ。私の人格はラグビーによって土台が作られ、歴史によって練り上げられた。きっとこの二つが両輪になって私が動いている。だから物書きの道もこの二つ。いや、正確には二つじゃない。私の中では完全に一つになって、マグマのように燃え盛り飛び出す機会を待ってる。ご縁があることを祈っています。神様、私に道を。
2008年07月13日
ラグビーライターならトップチームを追いかけ、合宿先に取材をしに行かなければならない。私もそんなことがしてみたい。けれど足は遠いなぁ。今週は某県の中学生たちに会いに行く。大事な友情であり、見方を変えれば取材になっている。その後は菅平に行き、8月には八幡平の某チームの合宿に参加する。これらは中学生、高校生のチームばかり。だからトップチームからは足が遠のいてしまうのである。教育とスポーツが私のライターとしてテーマだから自然追いかける対象は違ってくる。今年の夏は楽しみだ。書籍のこともあるので忙しくなりそうだしうれしくなってきた。
2008年07月12日
気温は夏、けれどこの風、まだ夏じゃない。暑いだけじゃ夏じゃない。まだなり切れていないって感じかな。奥行き感が物足りない。あそこにも、ここにも夏がない。まだ少し先かな。でも朝の5時頃にベランダに出てみると、むか~し小学生や中学生の頃に好きだったあの頃の夏の朝を感じるようになってきた。とてもいい感じに心が躍ってくる。もうすぐ夏。今年は家族にとってどんな夏になるのだろう。息子たちに良い思い出ができることを願っている。
2008年07月12日
今回のPC不具合は復旧までにとんでもない時間が掛かってしまった。その間、D社、B社、N社の電話によるサポートを受けたが、これがまた面白かった。丁寧で実直な人間性のD社窓口の方。この方、先ほどフォロー電話まで下さった。感謝です。完全にファンとなってしまった(笑)。そういえば以前、AM1時くらいからAM6時半まで対応してくださり、復旧までこぎ着けたことがあったが、あの時の方も丁寧で、その上、集中力が抜群だった。何度も、何人もの方からサポートを受けたがいつもすばらしい対応だ。けっして言葉が乱れることの無い方たち。ナイスなD社。プロ集団!。最高の満足度。またここから買いたい。続いてB社の窓口の方。敬語だが言葉には当然ながら心が出る。弊社には関係ない。なんで掛けてくるの?のような印象を受け、えらい気分が悪くなった。関係あるかないかは掛けてみなければわからないことだ。故障を抱えている者はナーバスになっている。あの態度は絶対に悪印象しか与えない。私はアタマがいいです。と言いたいのかな(笑)。もう2度と電話したくない。続いてN社の窓口の方。この方がまたいい。言葉を選び対応するというよりも、内容で勝負派か。一生懸命さが溢れている。要は洗練されていないということ。しかし、昨日と今日4回くらいサポートしていただいたが、一環してハートフル。この人には「おつかれさん」と言って居酒屋で一杯おごりたくなった。そんなタイプだった。そして最後にN社から人が派遣された。これがまたいい人だった。痒いところに手が届く。お客様に毎日接してしるからか、故障を抱えるユーザーの気持ちをよく理解している様子に安堵感を覚えた。やはりプロだ。いろいろな質問やら相談やら、アドバイスを受けた。最後に私に安心感というおみやげを残し帰って行かれた。私が女だったら好きになるタイプかもしれない。ただ女になったことがないのでわからない。長い不具合だったがいろいろな人に接し、感じ学んだことも多かった。B社の窓口さんも反面教師。あなたもがんばれ、私もがんばる。感謝します!
2008年07月11日
2006年10月23日に始まったフジテレビスポーツコラム「ラグビーナビゲート」が本日更新分で100回を迎えました。シーズン中と今のような時期では異なりますが、アクセス数は伸びているようです。ボス(上田昭夫編集長)のスピードに着いていくのがやっとですが、なんとかここまでやってまいりました。私は15歳から32歳までラグビー部におりましたが、ライターとしては別の分野を書いておりました。ですが、この「ラグビーナビゲート」と「ラグビー魂」でラグビーのライターに転向したのです。こんな形でラグビーに戻れるなんてありがたいですね。今度は一本目を目指します。(今のところ3本目くらいでしょうか)来週から3回ほど、前半(私)、後半(上田昭夫さん)のマッチ形式のコラムではなく、対談形式でジャパンやトップリーグ、大学にも触れたいと思います。なお、毎週金曜日更新なのですが、こんなものも用意しております。よろしければご登録ください。めるまが「ラグビーナビゲート」(BIGLOBE)メルマガ「ラグビーナビゲート」(まぐまぐ)内容は同じです。皆様、今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
2008年07月11日
やっちゃった。消しちゃった。ぜ~んぶ。今書いたばかりだってのに。がっかり。いったいどこのボタンを押したんだ俺は。写真を撮りに行くかなぁと思ったけどやめた。今夜から、がんばる。次なる作品の構成を作ろう。今度はどこの出版社さんとご縁があるのでしょう?楽しみですね。よし、渾身の力で取り組みましょう。
2008年07月09日
息子が全国大会に出場することになった。今まではどうやったら泳力がアップするか?なんて考えてもいなかったのに、昨夜夕飯のときに突然私に聞いてきた。私は相手がいる競技、彼は水が相手の競技だ。トレーニング方法が違う。けれど飛び込みやターンなど直接パワーを必要とする局面もあるので、そこだけアドバイスした。今、彼はスイミングに行っているが、帰ってくれば二人でまたトレーニングをする。もちろん暴走はしていない(笑)。全国大会ってのは、一番早い子を決める大会なんだ。一番になれ、とは言わなかった。けれどチャンスは出場するみんなにある。と言った。そう、おまえにもあると言う意味だ。彼は学校が面白くないと言う。しかし、面白くないものを面白く変えるのは自分だ。何がやりたいのかも、何が面白いかもわからんと思うが、ただ時間が過ぎる中にいるだけでは余計に面白くない。だから今は目の前のことだけをがむしゃらにやってみればいい。小学生は小学生なりに何かを掴むはずだ。狂ったようにやってみろと言うつもりだ。この夏、君が何を掴むか楽しみにしている。言っておくが、親父は一足先に狂ってるからな(笑)。
2008年07月09日
今月に入り、浮き沈みが激しくなった。しかし、沈みの質が今までとは違っているようだ。生まれるために失うような、とでも言えばよいのか。とにかく希望がある。来週も一件うれしい面談が決まった。スポーツ以外の新たな分野。これで可能性が広がってくる。とにかくうれしい。人生は挑戦と創造だ。想像から創造だ。豊かな想像力が人生に深みを与える。
2008年07月08日
ざぁーざぁーとよく振りますねぇ。シャンプーでもしたくなる勢いです。で、思い出した。大学時代、もちろん1年生の頃だが、部屋の外でざぁーざぁー振りの中でアタマを洗わされたことがある。短パンいっちょうで。2階や別棟の野球部からは笑われ、3階の陸上部からは「ラグビー部って大変だなぁ、俺、陸上でよかった」と笑われた。(おまえらバカばっかり、という響きが感じられた。でも現にそう)この時、部屋にいた先輩たちから後日、「おい、川に洗濯に行くぞ」(この時代になんで川に洗濯なの?)と誘われ、直後に毛穴が開くほど嫌な予感がした。着いたところは入間川(埼玉県)。当時、夏場でもあるし、お世辞にも綺麗とは言えない水面だった。車を河原へ横付けにして、バケツを持たされた。「手前は濁っているから真ん中からな」(ぎぇ!きた~。)ここでも短パンいっちょうで川の中へ。川幅はけっこう広い。透き通っていないからなんとも気持ちが悪い。で、真ん中からバケツに水を汲んでくるとザバァーと一瞬で終わった。洗濯とは車のことだった。(真ん中まで行って汲んで着たのに……)断れるほど体育会は甘くない。私は何度川の真ん中を往復したことか。ちなみに真ん中の深さは胸まであった。(とほほ……)帰りは汚いからと危うくトランクに詰め込まれそうになった。でも確か寮まで走って帰ったと記憶している。それってどちらが良かったか?当時は先輩たちから開放されるほうがいいに決まっているよね。その先輩たちの一人は、卒業後は某強豪チームに入社し、日本選抜にもなった。ライオンみたいな走り方だった。先日、偶然関東大会でお会いした。懐かしかった。雨の中、そんなことを思い出しました。時間ってすばらしいですね、全てをいい思い出に変えてくれるのですから。
2008年07月08日
昨夜行なわれた「早稲田大vsフランス大学選抜」の試合を観た。まずはセットプレー。両ロックの身長差から、ラインアウトではかなり苦しい展開が予想された。しかしナイスキャッチの連続。これで試合は締まる。スクラムでは耐えられないほど押し込まれるシーンもあったが、低いタックルと組織力で実力差を埋めた。フランス大学選抜は早稲田の低いタックルに戸惑っただろう。大きな武器となっていた。ただ試合は荒れた。後半17分と38分にイエロー、ノーサイド直前にレッドカードが飛び出した。これ全て早稲田側。どうも後味の悪さを残しながら国立を後にした。
2008年07月07日
室温33度。またこの季節がやってきた。午前中は約2時間ほどのウォーキング。暖かかった(はぁ?うそ)けど気持ちが良かった。朝からいったい何リットルの汗をかいているのか?とにかくべらぼーな量だ。工房で仕事をしていても汗は流れ落ちる。瞼が痛い、Tシャツには塩が浮き出るほどだ。今年もこの季節がきたか。夏らしい季節にしたいなぁ。最近、PC周りが壊れたり調子が悪いので、このブログも短め目に。ではでは。
2008年07月05日
まずは想像する。こうありたいという姿を想像することから始まる。その後、どうすればなれるのか考える。ここから分かれる。一方は環境やら状況が悪い、困難であると諦める。それは「やらない」ことを「できない」ことに置き換える作業に似ている。それに対して、もう一方はそれでもなりたいともっと真剣に願い、考え、工夫する。そして行動を起こす。どちらが痛い思いをするかは明らかだ。後者である。正解は無い。困難、無理、無謀と判断するのはすべて思っているだけのことだ。その答えを変えるのは勇気だ。強い想像力だ。狂おしいほどの夢だ。アタマでっかちになって、わかったような顔して諦めるな。信念とは言い換えれば狂気だ。私は思う。狂こそが現状を打破する力だと。狂えよ狂え、そして夢を追え。
2008年07月04日
PCが壊れ「これじゃ仕事ができないじゃん」これ幸いとばかりにブックオフへ走り105円均一のミステリーものを数冊買い込んだ。以前は秋の夜しか、それも休日前夜しかミステリーは読まなかった。(注:季節を問わず出張時はミステリーが7割、歴史物が3割り)今では思いつきで走ることにしている。読み出すともう止まれない。さて、今宵はどんな事件が待ち構えているのでしょうか。ワクワクしますね。では、また。ギィギィ~(扉の閉まる音です)
2008年07月03日
はぁ~機械ってのはわからんもの。つい先日、仕事用で使っているメインのPCが壊れた。5年も使っているので寿命かな、よくがんばった。と思っていたところ、昨年壊れた外付けハードディスクが蘇った。「?」このハードディスクは昨年夏にPCが壊れた時に同時にイカれたものだ。バックアップ用のPCに繋いでみたがやはり動かなかった。その後PCのみが復旧、ハードディスクは動かないままだった。それが今回再びPCが壊れたことによって、ハードディスクが動き出した。ほんと?なんで?こんなことってあるの?俺ボケた?わけわからん、私のアタマのような機械たち。まぁ動くようになったのだから良かった良かった。ということだろう。
2008年07月02日
いまだ復旧せず……、運が悪くハード面とソフト面が同時にぶっ壊れたらしい。昨年はOfficeがイカれて、その上外付けハードディスクもイカレテ、毎年夏場、夏前になると私の周囲は壊れる物が出てくる。それで区切りがついたように次へ進むことが多い。今回もきっとそうだろう。虫の脱皮みたいなもんだから、執着はしない。さっぱりしよう。良いことが起こる前触れだからな。
2008年07月01日
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