全29件 (29件中 1-29件目)
1
今週から、特に今夜から超忙しい日が続くことになりそうだ。「ラグビー魂」さん、仕掛中の書籍の仕上げなどなど。10月中旬までは爽やかな朝を迎える毎日かもしれない(笑)。ボスから大分国体行くか、とお誘いを受けたが、残念……、時間に追われるだけで管理できない状態なので、お断りせざるを得なくなった。とにかく今は狂えよ、狂え。突っ走れ。去年は夏にダウンして、その後失速しているが、今年は負けるわけにはいかない。ボロボロになっても、書きたいぜ。
2008年09月30日
今日はNECグリーンロケッツ宮本誉久(ミヤモト タカヒサ)選手の取材のため、天王台にあるNECクラブハウスに伺った。取材時間は1時間15分。長めのインタビューだったが、あっという間に時間が流れた感覚だった。飾りのないストイックな性格は高校時代に土台が作られたようだ。とても魅力溢れる人柄に惹かれた。宮本選手のポジションはフランカー。NECはバックローの選手層が厚い。そして屈強揃いだ。チーム内のポジション争いは熾烈を極めているはずだ。でもきっと、あの直向なプレーがファンを魅了する日が来るだろう。楽しみにしていよう。ちょっと寄り道。私が進めていた「ジャパンへの道」が壁にぶつかり、にっちもさっちも行かない状況にあるので心苦しい。厳しい環境、厳しい市場。なんともいえない閉塞感に先が見えない。それに現実は想像以上に障害があった。信じられない現実に出合ってしまった。泣き言は言うまい。ただ書くだけ。
2008年09月30日
今日はラグビートップリーグの強豪チームでありますNECの取材で我孫子Gに参ります。元々ラグビーライターになろうとしたキッカケはこのNECのファンになったからだとも言えます。熱くて直向きなチームです。新戦力の加入によって戦力アップしたNEC.今シーズンはどこまで勝ち上がるか、とても楽しみです。
2008年09月30日
えらいこっちゃ!昨夜「ちょっと横になる1時間で起こして」と言って横になったら、気がついたら朝になっていました。焦っているのに、アタマ停止状態。眠すぎます。久しぶりに寝たなぁ~。(でもまだ足りない)昨日はよく歩きましたからね、めじろ台駅から法政大Gまでは1時間。その往復プラス帰宅途中、JRを途中下車しててくてくと。歩いている時はスッキリさわやか、絶好調なんです。考えもまとまりますよ。さて、焦っているときは逆にゆっくりするものです。じゃないと、ペースを狂わされ、焦りに不覚を取ります。まずはゆっくり、朝ごはんでも食べますか。ではでは。
2008年09月29日
息子たちとK-1を見ていた。V4を狙うセーム・シュルトに果敢に挑む暴君ピーター・アーツ。試合前はシュルトが圧倒的優位だと思っていた。ところがどっこい。アーツが前に出るわ、打ちにいくわ。サイズの差なんて闘志でカバー。親父も息子も「いけーアーツ!」の大歓声。結果は判定でアーツの勝利。親父はアーツの背中を借りて人生を語った。いいか、でっかい相手にだって折れない心で前に出続ければ、必ず勝機はあるという好例だ。サイズの無さは闘志でカバーしろ。とにかく前へ!俺を含めてアーツを見習え。いい夜だった。アーツありがと。でも自分の背中で語れるようになりたいものだ。
2008年09月27日
明日はリーグ戦グループの「法政vs日大」(法政グラウンド)を観に行こうと思っています。駅から少し遠いんですがもちろん歩くつもり。たしか45~50分くらい歩いたような記憶が……。起伏もあったね、ありました。でもね、独り歩くっていいんですよ。この「独り」って「一人」よりも感じ伝わるでしょ。孤独ってことじゃありませんからね。ほんと歩きは皆さんにオススメします。これが私のリフレッシュ、元気の元になります。明日はリーグ戦なので渋いゲームになると思います。でも玄人好みのいいゲームのはずです。毎年、秋になると「今週末はどこに行こうか?」とよく調べたり悩んだりしましたが、昨シーズンから私のなかでは秋が変わりました。でも今週末はいつもの秋に戻ります。ではでは。
2008年09月27日
なんだか、成果もなし、結果も曖昧だとどうしようもない虚無感に襲われる。何かをやった時には達成感があるものだが、先週から今週にかけての作業には、そんなものは感じられない。きっと普通であれば、ふざけるなと帰ってしまうか、はじめから引き受けないだろうなぁ(笑)。この費やした10時間を取り戻そう。う~明後日の取材は流すか……
2008年09月26日
よっしゃ!今週末を気持ちよく迎えるために気合で乗り切ろう。なぜか、ウキウキ、ソワソワ。なんだか嬉しくてたまらない週だ。今週末はどこに取材に行こうか?毎年秋にあると「今週はどこに行こうかな?」と当日の朝まで考えながら、玄関で「決めた!」とおにぎりを持って家を出る。それが週末の私だった。でもいまはFM放送の役割をいただいたので、まずは秩父宮が優先順位の第一位。でも今週末のように試合がないと、放送がないと、こうして以前のように考えられる。で今週末の土曜日はトップイースト、日曜日はリーグ戦かな?という感じで考えている。その前に土曜には尾中哲夫さんの個展に行こう。青山いい感じのところで開催されています。ではでは。
2008年09月24日

尾中哲夫さんの個展「スクラムの男達」へ行ってきました。そんでもって、ワインをご馳走になってほろ酔いになって尾中さんとラグビーファンの方も交えて三角パス。<個展概要>「FRONT ROW スクラムの男達」 尾中哲夫9月22日(月)~10月1日(水)11:00~19:00(最終日17:00)日曜休廊107-0062 東京都港区南青山3-4-11SPACE YUI スペースユイそのあと、尾中さんとTトップレフリーと表参道近くで食事して、帰りの渋谷で一杯やって歩いて帰宅。その日はAMから高校生2回戦「武蔵野東vs八王子」を観て、その後秩父宮「東海vs流通経済」「慶應vs筑波」を観ているので長い長い一日となりました。帰りは気分よく歩きました。
2008年09月24日
今日AM東京都2回戦、「武蔵野東vs八王子」が、葛西工業グラウンドで行なわれる。私と武蔵野東の関係は何度かフジテレビスポーツコラム「ラグビーナビゲート」で触れているので省くが、とにかく母校の試合よりも力が入る。1回戦は前半からとてもいいペースで試合を運んだ。今日も全員で戦うラグビーを見せてほしい。3年生は最後の秋だからね。泥んこになって、磨かれて、でっかい人になれ!その試合が終われば、きっと脱力。(武蔵野東の試合のあとはいつもそうなる)とぼとぼと秩父宮へ向かうだろう。こちらのカードは、「東海vs流通経済」 「慶應vs筑波」の2試合。ナイスカード!昨シーズン慶應は痛い黒星を喫した相手。また関東学院がナイススタートを切った相手にライバル東海がどんな試合をするか?どちらも面白いはず。その後は、尾中哲夫さんの個展に寄って、シビレル絵画を見せていただく予定。今回のテーマはフロントローだから、さらに期待大だ。<個展概要>「FRONT ROW スクラムの男達」 尾中哲夫9月22日(月)~10月1日(水)11:00~19:00(最終日17:00)日曜休廊107-0062 東京都港区南青山3-4-11SPACE YUI スペースユイこんな感じの一日になる。さぁわたしも気合で参りましょう!尾中さんに会えるのがとても嬉しい。あの日の神戸以来だ。そのまえに原稿に向かいましょう。
2008年09月23日
先日のこと、大先輩から「おいプロップ祭りをやるぞ」と。卒業して数十年。スクラムハーフもウイングも今ではみんなプロップになっている。ちっとも変わっていないのはフロントロウだけ。ある意味美しい。だからみんなでプロップ祭りなのかな?とにかく、同門の先輩後輩と会うのは楽しい。プロップ祭りか、ネーミングが素晴らしくいい。
2008年09月22日
嬉しいね、今週からまた忙しくなる。仕掛中の原稿が戻ってきて、それに加筆修正して、再度戻す。目指すは11月下旬の出版。それにOB会通信も今週作業し発信して終わらせる。これは初仕事なので最後まで関わりたい。今週のラグビーナビゲートは、何をテーマに書こうかな?先週の秩父宮FMの内容はかなり気に入っている。ディレクターの邨田さんの話題。元ラガーマン。スタンドオフ。熱いのはフィールドだけじゃない。いろいろな人の思いや手が加わって感動が生まれている。縁の下の力持ちがカッコイイんだ。尾中哲夫さんの個展も青山で開催されている。何回通えるかな、尾中さんは人生の先輩。奥が深いひと。私からみると沢庵和尚のような。(そりゃ風貌か)今週はまだまだいっぱい。かなり過密なスケジュールで動きそうだ。嬉しいね。まずは明日の秩父宮だね。
2008年09月22日
どうもです!本日開催 「FRONT ROW スクラムの男達」尾中哲夫展明日は秩父宮で試合がありますので必ず参りますが、今日なんですよ。いまスケジュール調整してるところです。行けるといいのですが、原稿抱えてどうしましょ?という感じです。ちなみに、修行僧のような人がいたら、それは尾中さんですからね。尾中さんですが、月刊ゴルフダイジェストの表紙画でお馴染みですね。スポーツイラストレーターの第一人者と呼ばれている方です。ご自身もラガーマンです。250キロも走ってしまうウルトラマラソンランナーでもあります。<個展概要>「FRONT ROW スクラムの男達」 尾中哲夫9月22日(月)~10月1日(水)11:00~19:00(最終日17:00)日曜休廊107-0062 東京都港区南青山3-4-11SPACE YUI スペースユイ明日は秩父宮でリーグ、対抗2試合があってそのあとに必ず寄ります。あ~やっぱり今日お花持って行こうかな。まずは時間調整しなきゃです。ではでは。
2008年09月22日
一灯を下げて暗夜を行く、暗夜を憂うることなかれ、ただ一灯を頼め儒学者佐藤一斎の言葉です。この言葉はかなり以前からよく使っておりましたが、この方の言葉とは知りませんでした。ここでいう一灯とは、自分の信念や理想とするものです。今がどんなに辛くて、苦しくて、暗くても胸に燃える夢や志を信じてそのまま真直ぐに進むべしと解釈しています。この5年間、この言葉を自分に言い聞かせてやってきました。鼓舞しないと、し続けないと挫けそうになるのです。もう先のことじゃない。そんな余裕はない。いま立っているだけ目の前のことだけとにかくまっぐに行こう。
2008年09月20日
ラグビーを愛するみなさまへ、月刊ゴルフダイジェストの表紙画でお馴染みのスポーツイラストレーター尾中哲夫さんが、東京・青山で個展を開きます。テーマはラグビー、それもフロントロウにスポットを当てています。石山、藤田、洞口……涙ものですね。開催概要は以下の通りです。みなさま、ぜひぜひ、お越し下さい!!!<個展概要>「FRONT ROW スクラムの男達」 尾中哲夫9月22日(月)~10月1日(水)11:00~19:00(最終日17:00)日曜休廊107-0062 東京都港区南青山3-4-11SPACE YUI スペースユイ
2008年09月20日
気持ちよい青空かと思っていたら、どっこい雲が!アッタマくるな、洗足池まで歩こうかと思っていたのに。話は変わる。10月10日発売!「8人のキーマンが語るジャパンラグビー革命」(アスペクト社)大元は影が薄いと言われますが、しっかり書いています(笑)。ご期待ください。
2008年09月20日
長い長い一日だった。いや、正確にいうと二日間だ。完全に繋がっている。でも、なぜか、虚しい。とても虚しい。
2008年09月19日
秋本番が始まったなと感じます。先週はまず12日に「NECvs横河武蔵野」(秩父宮)、翌13日は「日本IBMvs神戸製鋼」(三ツ沢)、14日AMは東京都の全国大会予選1回戦「武蔵野東vs葛西工業」(葛西工業)その後横浜へ移動し「関東学院vs流通経済」(三ツ沢)15日は息子の記録会へ。まずは公式戦に戻ってきた関東学院。苦しい忍耐の日々だったと想像します。毎日当たり前にラグビーができると思っていたのに、それができなくなった経験を私も持っています。あの時は苦しかった。一月で5キロ体重が減ってしまいました。古いはなしです。さて、武蔵野東、1回戦突破おめでとう!!!カッコイイ試合を見せていただきました。夏合宿には3日間朝から晩まで取材させていただきました。その時に比べ格段に大人のチームに変わったと感じました。高校生の伸びは違いますね。約3週間の夏合宿を乗り越えて強くなったのでしょう。2回戦が楽しみです。また気合の入った試合を期待しています。3年生は最後のシーズンですからね、最後の最後まで熱く激しく楽しんで欲しいと願っています。 がんばれ!武蔵野東!!!<尾中哲夫さん個展のお知らせです!>「FRONT ROW スクラムの男達」 尾中哲夫9月22日(月)~10月1日(水)11:00~19:00(最終日17:00)日曜休廊107-0062 東京都港区南青山3-4-11「SPACE YUI スペースユイ」尾中さんといえば、月刊ゴルフダイジェストの表紙画でお馴染みのスポーツイラストレーターです。外苑前駅(秩父宮最寄駅)から歩いて数分のところです。涙ものの往年の名選手たちの絵画が登場することでしょう。尾中さん自身が今でも現役ラガーマンです。(ちなみに私よりも歳上です)ラグビーを愛する皆様、どうぞお立ち寄りください。心よりお待ち申し上げております。
2008年09月16日
順調にいけば10月10日発売の予定だそうです。タイトルは「8人のキーマンが語るジャパンラグビー革命」(アスペクト刊)上田昭夫さんとの共著です。かなりタイトなスケジュールで進みました。6月下旬から資料整理等の下準備が始まり、(出版社さん決定)7月下旬から実際のインタビューが始まりました。今年の夏の思い出は「ひたすら書いたこと」です。横になってもかなり、うなされていたようです。きっと忘れることができない夏になりそうです。順調に進みますように。祈っています。追伸もう一つの仕掛中の書籍「ONE BIG先生の挑戦(仮題)」は今週末に原稿が戻るので再度執筆を進めます。どうか進みますように、ひたすら祈っています。
2008年09月16日
尾中哲夫個展「FRONT ROW スクラムの男達」開催!尾中さんといえば、月刊ゴルフダイジェストの表紙画でお馴染みのスポーツイラストレーターです。関西や沖縄で開かれることが多いのですが、この秋は東京にやってきます。それもラグビーのメッカ青山に!外苑前駅(秩父宮最寄駅)から歩いて数分のところです。涙ものの往年の名選手たちの絵画が登場することでしょう。尾中さん自身が今でも現役ラガーマンです。(ちなみに私よりも歳上です)<個展概要>「FRONT ROW スクラムの男達」 尾中哲夫9月22日(月)~10月1日(水)11:00~19:00(最終日17:00)日曜休廊107-0062 東京都港区南青山3-4-11SPACE YUI スペースユイ楽しみですね。皆様、ぜひぜひお越し下さい!!!
2008年09月15日
ちょっとひと休みがしたいなぁ。時間の管理が下手なせいか、まるで休みが無い。今朝の睡眠時間は1時間だったか?もうクタクタ。クタクタだぁ~(笑)
2008年09月11日
1561年9月10日信州川中島において日本史上未曾有の合戦が行なわれた。上杉謙信vs武田信玄の川中島合戦である。今の暦であれば10月である。落ち込んだ大元は遠く戦国に思いを馳せることによって復活する。今夜は戦国時代にタイムトラベル。どうか全部読んでみてください。<9月9日合戦前夜>永禄4年(1561)9月9日夕刻。信州川中島、武田領深く妻女山に陣を張る越後の総帥上杉謙信は異変を感じ取った……。同年8月半ば謙信率いる1万3千の上杉軍は信越国境を越え川中島へと駒を進めた。武田方の北信濃計略の重要拠点である海津城を眼前に、紺地日の丸と毘字旗を悠々とはためかせ敵地をゆく上杉軍。城方の兵などまるで眼中に無いもののような振る舞いである。謙信の涼しげな眼差しには決戦を挑む猛々しさは少しもなかった。その目に映ずるものは秋風に澄んだ広大無辺な天地のみか。途中省略標高540メートル、謙信の本陣からは海津城を一望することができた。「死地」ながら敵の情勢をいち早く得るため、また高所から見下ろすことによって精神的なプレッシャーを軽減し、敵勢を「呑む」という心理的効果も狙っていた。だが、それだけではなかった。謙信自ら「死地」に拠ることによって信玄を目の前に引きずり出すことが最大の目的だったのである。謙信の狙いは領土にあらず、信玄の利に走る野心に対し、秩序回復のための義戦を挑むためであり、応仁以来乱れた世に破邪顕正の采配を振るうためである。陣場平に立った謙信は、広大な天地に気の満ちて来るのを感じていた。「信玄は動く!それも今宵」肌で感じた異変を確かめようと、闇に包まれた川中島に目を凝らした。否、もう目などというものではない。謙信の全細胞は秋風のなか一点の濁りもなく研ぎ澄まされていた。途中省略着陣して一カ月近くが経ったが、武田方から見るに上杉軍の士気は衰えてはいなかった。物見の報告を聞く度に信玄の「智」の理解を超えていったのである。彼の焦燥は募っていった。そして緒戦の心理的劣勢を挽回しようと信玄の心は動いたのである。その城内から発せられる気を謙信は見逃さなかった。その夜、海津城からは常になく多くの炊煙が立ち昇っていた。炊煙とは人の営みにはつきものだが、ここに「多くの」が加わればそれは大掛かりな軍事行動の前触れともなる。この時の信玄は自分が機先を制す意図で下知している。海津城方の「炊煙」は武田軍の油断に他ならなかった。仕掛けるのは自分、主導権は握ったという優越感から出たものか。油断とはまさに主将信玄の「智」より生まれた油断そのものである。途中省略<第4次川中島合戦>第4回川中島合戦の両軍の作戦を記そう。仕掛けたのは武田方。後世軍師山本勘助の名前ともに名高い「キツツキの戦法」である。海津城に篭る武田方2万のうち、高坂昌信率いる1万2千を別働隊として夜半妻女山の背後に迂回させ、夜明けとともに奇襲を掛ける。残りの8千は信玄を擁し川中島に陣取り、妻女山を降り千曲川を渡って敗走する越後勢を待ち受け殲滅させる。という大構想である。対して武田の変に応じた上杉軍は、屈強の兵士数百を残し、あたかも軍がそこにあるかのようにかがり火、みせかけの旗を残し下山。川中島で待ち受けるであろう信玄に乾坤一擲の大勝負を仕掛ける。というものであった。上杉軍は人馬もろとも気配を殺し未明に妻女山を降った。雨宮の渡しから千曲川を渡った上杉軍は、天地無き闇の中を八幡原へと向かった。この時期、晴天が続けば、川中島一帯は早朝から数メートル先さえも見えない濃霧に包まれる。戦闘態勢を整え終えた頃、上杉軍をミルク色の川霧が覆い尽くした。神のみぞ知る、このとき信玄率いる武田軍本隊も八幡原に集結していたのである。途中省略永禄4年(1561)9月10日、午前6時(卯の刻)。ほぼ同時だった。両軍ともに霧の晴れ間に敵勢を発見。動揺したのは「鶴翼の陣」を布き待ち受ける武田軍であった。この信玄率いる本隊は、妻女山から敗走する上杉軍を攻撃するために布陣していた。この瞬間まで先手を取っていると信じていた信玄だが、目の前に現れた上杉軍によって、この作戦が「智」に走った信玄による一人相撲だったことを悟ったのではないだろうか。「甲陽軍鑑」には突如表れた上杉軍について、“天より降り、地より湧き、まことに天魔の所業なり”とある。謙信にとってもこれほど間近に武田軍がいるとは思っていなかったはずだ。まさに遭遇戦となった。上杉軍8千対武田軍8千。武田軍の「キツツキの戦法」に対し、上杉軍がとった戦法を「車懸りの陣」と呼ぶ。毘字旗と共に越後軍に翻るは龍字旗。この「懸り乱れ龍」あるところ越後勢に後退はない。柿崎影家を先陣に上杉軍は武田軍本隊に猛撃を加えた。予期せぬ上杉軍との遭遇により動揺は大きかった。しかし信玄は遅れを悟り、すぐに「鶴翼」から守りに強い「魚鱗」12段の陣形に変え本陣を固めさせた。しかしその12段の備えも時間の経過とともに次々に上杉軍に突破されていった。戦国最強と謳われた両軍の白兵戦である。このような中では小手先の技や知恵などは何一つ通用しない。勝つために必要なことは狂気じみた闘志で死の恐怖を超えること、そして渾身の力で身体ごと前に進むことである。武田方は上杉軍の力を阻めず組織的な機能を失いつつあった。そして副将武田信繁はじめ諸角豊後、軍師山本勘助ら多数の有力武将が討ち死にした。機先を制した上杉軍が圧倒的な勢いで信玄の本陣に迫っていった。午前6時(卯の刻)に始まった合戦は、午前10時(巳の刻)までに武田12段のうち9段までもが突き崩され武田軍は壊滅的な打撃を受けた。しかし巳の刻を過ぎ高坂昌信率いる別働隊1万2千が、上杉軍のいない妻女山を駆け下り八幡原に到着した。途中千曲川岸に陣取った越後の勇将甘糟景持の鉄砲、弓隊に渡河を阻まれたが、武田は1万2千、対する甘糟は1千。防ぎきれるものではなかった。ここへ来てようやく武田軍が反撃に転じた。今度は腹背に敵兵を受け上杉軍が追い詰められる番となった。八幡原はさらに凄惨な地獄絵となった。謙信は焦り信玄本陣を探った。自らを毘沙門天の化身と称して憚らない謙信である。破邪顕正の剣を信玄の頭上にかざしたかったはずだ。だがこれ以上時間を掛ければ兵の損害は大きくなる一方と判断。謙信の采配と越後の戦は見せつけた。謙信は全軍に退却を命じた。越後軍の戦死者3400人、甲斐軍の戦死者4600人。日本史上未曾有の合戦は夥しい犠牲を払いながらも物別れとなった。省略「構えなき戦略~義の心が生まれた背景~」上杉謙信、旧姓を長尾影虎。長尾家は越後守護代の家柄。1507年、謙信の父長尾為景は越後守護上杉房能を自害に追い込み、養嗣子上杉定実を擁立し越後の実権を握ろうと企てた。だが房能の兄である関東管領上杉顕定が弟の弔い合戦のため越後へ攻め入り、いったん為景は越中へ敗走。しかし機を見て反撃に転じ、関東管領上杉顕定さえも討ち滅ぼした。謙信の父為景は主君の兄弟を殺し越後を手にいれた。下克上を体現した武将である。この後、為景に従う者、刃向かう者たちによって、越後国内は群雄割拠の様相を呈していった。1530年、謙信は越後守護代長尾家の末っ子として、反乱と闘争の宿命を背負って生まれてきた。謙信の筋目を重んじ義を貫く精神の背景には、父為景の主殺しに端を発する国内の騒乱がある。権謀術数渦巻く越後。その騒乱の中心とも言うべき春日山城内で謙信は生まれ育った。利発だった謙信は、国内の騒乱の元がどこにあるのか感覚的に理解していた。そして父の所業を恨み、父への反発心から頑ななまでに人の道を求めるようになっていった。また信仰心の篤い母虎御前のもと、謙信は人の道を仏教に学ぶ土壌も培っていった。さらに7歳から長尾家の菩提寺林泉寺にて学んだ仏道が謙信の生涯を貫く背骨となっている。長じて越後守護代となった謙信は、関東管領上杉憲政、北信濃の名門村上義清らの要請によって、関東は北条氏康、北信濃は武田信玄という強大な敵を向こうに回し戦場を疾駆することになる。利に走らず、義に生きた謙信の深層には、主家殺しをした父の所業への償いがあったのではないだろうか。ただ謙信は歳を重ね、幾多の合戦を経るうちに宿命や因縁を超えて、乱れ切った戦国の世を正すための降魔の軍として、自らは毘沙門天の化身として、欲望を捨て時代に献身した。上杉謙信の生き様は欲望渦巻く現代社会にも深い意味を持ったメッセージとなっている。以上。かなり省略してありますがこの文章は「構えなき戦略―今に蘇る義心のメッセージ」と題して執筆したものです。元々は10年ほど前に「不敗の神話」という上杉謙信を主人公に書いた小説から引用したものです。途切れ途切れの記憶を頼りにもう一度書いたものなのです。今日は9月10日ということなので、遠く447年前に飛んでみました。ではでは。
2008年09月10日
涼しくなって体調も整うはず、ラグビーシーズンも開幕した。秋を待っていた。ほんとうに待っていた。でもこの秋は少し違う。いつもと違う。昨夜から落ち込みが激しい。実はこの夏から、気持ちの落差に参っている。時折壊れかけか、と思うことがある。狂って走って、確か去年の秋も、そうだ、あの時もこうして壊れていった。秋が深まる頃にはコントロールが利かなくなった。そんな反省を踏まえて年明けから気持ちを変えた。でも知らずに元に戻っていた。本来秋が一番好きだ。でもいま少しだけ苦手感を持っている。わからない、いまなぜだか虚しい。
2008年09月10日
バタバタと出版に関する作業が進むなか、やっと先が見えてきたところで新たな難問に直面した。出版そのものには直接関係ないが、どうも重たい。動こうにも時間が無さ過ぎて、にっちもさっちも行かなくなった。そのうえ、仕掛中の原稿が今日戻ってくる予定だ。えらい週になってしまった。えらいことに。
2008年09月10日
つい先日までの生活サイクルから、普通に戻そうとするが、どうも身体が違った反応を示す。昼夜の逆転ではなく、もっと小刻みなわけわからんサイクルで眠くなったりハイになったり。どうしたもんか、今夜も打ち合わせでこれから外出。きっと早くは寝られないだろうなぁ。体調を整えなきゃ。
2008年09月09日
金曜日にトップリーグが開幕し、土曜日には関東大学ラグビーが開幕した。初戦の慶應は三ツ沢で日体大との試合、けれど2年連続痛い黒星発進となった。言い方は良くないが実力的に下と思われているチームが勝利した瞬間って美しいものだ。日体大の頑張りに拍手。慶應には魂のタックルを期待する。なんか、慶應が上品になりすぎているような気がする。元々泥臭いチームだったはずだ。さて、金曜日は試合の後取材がって、そのあと打ち合わせをして帰りが深夜になった。翌日の三ツ沢でも同様に遅くなった。夏バテかな、身体がつらい。昨夜というか今朝も原稿戻りの修正をして遅くなってしまった。早く一段落したいのだが、なかなか終わらない。こういうの精神的にきっつい。そろそろ次の仕事にかかりたい。
2008年09月08日
ラグビートップリーグが今夜から開幕する。明日からは関東の対抗戦、リーグ戦も開幕。待ちに待ったシーズンがやってきた。まずは、トップリーグの開幕第一節から。9月5日(金)「サントリーvs三洋電機」(秩父宮19:30キックオフ)9月6日(土)「近鉄vs横河武蔵野」(長居17:00) 「神戸製鋼vsNEC」(長居19:00) 「福岡サニックスvs日本IBM」(福岡・レベルファイブ17:00) 「九州電力vsコカ・コーラウエスト」(福岡・レベルファイブ19:00) 「トヨタvs東芝」(瑞穂18:00キックオフ)9月7日(日)「ヤマハvsクボタ」(石川西部緑地17:00)まだ確定ではないかもしれないけど、9~10月は「秩父宮FM」(メインパーソナリティは上田昭夫さん)に入ることになりそうだ。まずは今夜の開幕戦からがんばる。さて、第一節はどこも好カード揃い。エキサイティングなゲームばかり。特に東京・秩父宮のサントリーvs三洋電機は昨年度のチャンピオン同士のゲームなので激しくなることは間違いなし。また、瑞穂の「トヨタvs東芝」これは絶対に凄いゲームになる。痛い、激しい、なんとも形容しがたいゲームになるだろう。長居の「近鉄vs横河武蔵野」は昇格同士の対戦、とはいえ伝統あるチーム同士の対戦なのでこれは面白い。とにかくトップリーグの開幕カードは毎年面白い。そして明日6日からは関東の大学が開幕する。関東大学対抗戦、「慶應対日体」15:00・ニッパツ三ツ沢関東大学リーグ戦、「東海対日本」17:00・上柚木 「中央対拓殖」19:00・上柚木長居にも行きたかった。明日はスケジュールが確定していないなぁ……。開幕戦は独特の雰囲気がある。チームも観客もそわそわした感覚だ。なんかお正月が来るみたいな気持ちかな(笑)。とにかくこれから2月までは熱く激しく、そして美しく行こうじゃありませんか。ではでは。
2008年09月05日

書きたいよ~、仕掛中の仕事が峠を越えた。あとは淡々と一つ一つクリアしていくだけ、体力的には完全燃焼、だけど心は不完全、もう少し、あと少し、ほんの少し時間が欲しかった。さて、一息つくと次なる山が欲しくなってきた。はやり忙しい毎日が大好きだ。険しくて、頂上が見えないような山が欲しい。書きたいよ、書きたいよ、書きたいよ。もっといっぱい書きたいよ。神さま、書きたいです。どうか私にもっともっとチャンスをください。お願いします。本が書きたい。
2008年09月01日

昨日はお台場へ。と言っても冒険王ではない。ボスとの打ち合わせのためフジテレビへ伺った。23階からお台場方面を見る景色がとてもいい感じ。夏の終りというなんともせつなさが漂っていた。さて、帰り道にいったんPCを工房に置いてから歩いた。まずは大井町へ行って山田電気でDVD買ってから、てくてくといい加減あるいて、多摩川へ。丸子橋を川崎方面に渡って、サイクリングコースをさらにてくてくと。第3京浜を潜り、二子新地方面へ。その後、二子玉川から急坂を登り上野毛へ、その後目黒通りを目指しててくてくと。そして地元までてくてくと。途中雨に見舞われるも、てくてくと。歩いた。しめて5時間30分。靴のかかとが壊れた。カミさんに叱られた。富士吉田、八幡平、菅平、茨城(地名失念)……、それぞれにシーンがある。夏は過ぎ、記憶の中に綴られていく。夏の雲、昨日の多摩川で写したものです。
2008年09月01日
全29件 (29件中 1-29件目)
1


![]()