2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全7件 (7件中 1-7件目)
1
もらったばかりの新しい帯を締めて、稽古をしました。正直言って、本当は今日稽古に行くのも怖かったのです。審査会で注意されまくりだった私、先生にどんな顔して会えばいいのだろう、と不安で不安でならなかったのです。でも、稽古に行けば、先生からも、出稽古に来ていた女の先輩からも、その他の先輩方からも「おめでとう」の言葉をいただいたことで、ひとまずはホッとしました。(ちなみに注意されたことについては、先生いわく「減点になるほどの大きな指摘ではない」とのことでした)道衣に着替えて鏡を見ると、やっぱり白帯に比べて黄帯を締めた自分はカッコイイ。ところがその「カッコイイ」は、稽古を始めた途端、「カッコワルイ」に変わったのです。白帯から黄帯に変わっても、中身の私は何にも変わったわけではありません。基本稽古でも下手くそのまま、組手なんてしたら、やっぱりまともに受けができなくて、黒帯の先輩からみぞおちに痛いパンチをいくつももらうわ、男の先輩から横腹に回し蹴りを食らうわ、先生と組手をすれば「右ストレートが当たってない」と言われるわで、稽古後本当に凹みました。やるべきことがたくさん見えてきたので、本当は居残り稽古で受けの練習を徹底的にやるつもりだったのですが、稽古が終わった途端何だか気分が悪くなってきたので、稽古後さっさと着替えて帰りました。ま、今日は組手中心の中級クラスだったので、私は皆から親切に良いところをほめてもらったり、いろいろ教えてもらいましたが、明日の初級クラスでは、もう甘えてはいられないことに気づいたのです。今日、稽古が終わって初めて、もう自分のことだけを考えていい時期は過ぎたんだと実感しました。黄帯はまだまだ空手をやっていくにはヒヨッコとはいえ、白帯の時のように甘え放題ではない、と、頭では分かっていたはずなのですが。。。もっとも、私が10代や20代で空手を始めたのなら、「強い選手になるために」自分のことだけを考えても仕方がないかも知れません(武道である以上礼儀も重んじますので、「自分が強ければいい」の態度は感心しませんが)。22,3歳で空手を始めたパートナーの場合は、30代半ばになる現在も未だに選手として強くなる道を探っています。しかし、太陽仮面のように30代以降から空手を始めた場合、余程の素質がないかぎり選手として強くなることは諦めざるを得ません(もちろん、これは「試合には出ない」ことではありませんよ。空手やってる絶対数が少ない女性にはありませんが、男性だと、「シニア大会」「壮年の部」などもあったりしますし、そうでなくても試合に出るということ、試合に向けて稽古をすることだけでも何かの勉強になるのではないかなと思います)。その代わり、「楽しみながら強くなる」とか、「皆で強くなる」とか、選手として強くなるのとは別の、皆の協力なしにはできない役割が求められているんだと思っています。ともあれ、これからもっともっと頑張って、本当に「強く正しく美しく、そしてカッコイイ」拳士になるぞぉ。
2005年05月31日
コメント(2)
今日は、空手の初級審査会でした。ここ1ヶ月は、審査のための稽古を中心にやってきた太陽仮面。審査直前を除いては(稽古しすぎて疲労がたまり、腰痛になったり風邪を引いて倒れてしまうのを防ぐためです)、ほぼ毎日道場に稽古に通っていました。審査の何日か前から、パートナーのアドバイスにより、体のために大好きな酒も断ちました。しかし稽古を重ねてもどうにもならなかったのが、精神的なこと。太陽仮面は、小心者で緊張しやすいのです。人前で話をするのも、人前で何かするのもとっても苦手です。先生は「稽古を重ねると自信がついて、必要以上に緊張しなくなる」とおっしゃいましたが、私のあがり症、稽古を重ねたとか、ちょっとイメージトレーニングしたくらいでよくなるような代物ではありません。事実、基本審査が始まったときから、足が震えているのが自分でもよく分かりました。基本審査でも実戦型でも、死にものぐるいでやってても、周りの黒帯の先生方にたくさん注意されるし(特に、「肩の力を抜いて」という注意が多かった…物心ついたときから肩に力入れて生きてきた私がもちろん肩の力を抜けるわけない)、おまけに審査員の先生から、みんなの前で指名されて「そんな受けをしていては、自分が痛い思いをするだけ」とか、「蹴上げの方向が違うので、足があがりにくい」とか、注意されまくりです(もっともきちんと「なぜそうしてはいかんのか」の説明付きなので、勉強にはなるのですが)。審査会という場で、冷静な口調で自分の悪いところ指摘されただけに、正直いって凹みましたね。基本稽古が終わったとき、パートナーや道場仲間が励ましようのないほど、私は落ち込んでいました。パートナーは「致命的な指摘じゃない。これからの稽古で、注意したところを直してゆけばいいだけ」といってくれたんだけど、当然私にはパートナーの優しさは受け取れず、「そんなの気休めに言ってくれるだけ、太陽仮面なら大丈夫って言わずに休憩中の練習でもう直しようのない細かいことを注意するのは私がダメなんだと思ってるんでしょ」としか思えません。当然いくら「気持ちを切り替えよう」と言われて気持ちを切り替える気にもなれず、もう、私は不合格なのかなぁ、あれだけ一所懸命稽古したのに(一所懸命稽古すりゃぁいいってものではないことは頭で分かってたんですけどね)。。。懇切丁寧に教えてくださった先生は肩身が狭いだろうなぁ、と、ネガティブな気持ちでいっぱいになっていたのでした。今思えば、自分の殻に閉じこもって「不合格だったらどうしよう」とうじうじしているのが実はどんなに傲慢なことなのか分かるのですが、正直言ってその時はもういっぱいいっぱいで、「ありがたい言葉を自分のバネにしよう」という謙虚な気持ちはわいてきませんでした。実戦型が終わったら、もう私はがっくりとうなだれる気力さえ残ってませんでした。でもまだ審査は終わるまで分からない。まだあきらめるのは早い。私には、ずっと見守ってくれているパートナーがいる。これからの審査で私が唯一できること、「気合いを入れる」だけに集中して、残りの約束組み手を行ったのです。約束組み手では、幸い、私が組んだ相手がよかったのか、稽古と違ってサポーターつけず素手素足で組み手をしてもそれほど痛い目に遭うことはありませんでしたし、特に指摘されることはありませんでしたし、最後の拳立て&ジャンピングスクワットでは、なぜか普段より体が軽いように思えました。でも、本当の辛い時間は、審査が終わってからでした。着替えを終えて道場で発表を待つ間が、一番緊張してしんどい時間でした。しかも今回、合格判定に長い時間かかったらしいとはいえ発表の予定時間よりも20分長く待たされるのも、じつは「裏審査」としてこっちの忍耐強さを試しているのか?それともこれは稽古の一つなのか?と思うほど忍耐を要求されました。審査を受けた他の人たちとともに道場で座っているとき、自分のベストを尽くしたのだから、判定は審査する人に任せようよ、だからどんな結果が出ても笑っていようという気持ちと、不合格だったら、どんな顔して教えてもらっている先生に会えばいいのだろう、という気持ちが代わる代わるやってきて、はっきりいって心理学のワークでもここまでハードなものは経験しませんでした。やっと発表の時になりました。合格者の名前が次々に呼ばれ、合格した人は(昇級の)認定書と帯をもらってゆきます。何人か不合格者の番号がとばされてゆくのを聞き、不合格者がうなだれているのを見るのもとっても怖かったです。そのうちだんだん私の番が近づいてきます。私の前の人が呼ばれたときが緊張の頂点でした。そしてとうとう…。私の番号と名前が呼ばれ、前に行って、認定書と黄色い帯を手渡されたときは、「やったぁ!」というより、ほっとした気分でした。さらに、太陽仮面が普段行っている道場からは他に4人が審査を受けたのですが、全員合格したことも、嬉しいというよりほっとした出来事でした。で、晴れて黄帯をもらいましたが、自分でも決して納得のいく結果ではなく、それでも昇級を認められると言うことは、それだけ上手になる(→白帯さんのお手本になる、肉体的にも精神的にも強くなるだけでなく礼儀においてもそうですね)責任が人一倍伴うと言うことでしょうから、白帯の時以上に謙虚な気持ちで稽古に励みたいと思います。で、最終的には、自分の名前が刺繍された黒帯締めて、空手をするぞー!!
2005年05月29日
コメント(2)
今日は太陽仮面の○○歳の誕生日です。誕生日は、いくつになっても嬉しいものですね。今年も、たくさんの人が私の誕生日を祝ってくれました。私の欲しい本をくれたパートナー。私に食事をご馳走してくれ、手作りパンまでくれた私の両親に妹。私にお酒をプレゼントしてくれた彼ママ。何人かの友人からの「お誕生日おめでとうメール」。「誕生日は、産んで(というより、育てて、だろとひねくれ者の太陽仮面は訂正したくなります)くれた両親に感謝する日」という立派な考え方もあるようですが、立派になれない私は、私が生まれたことを祝ってくれたみんなにここでいいたいです。私の誕生日を祝ってくれて、本当にありがとう!
2005年05月19日
コメント(6)
太陽仮面の通っている道場には、時々ある黒帯の女の先輩が他の道場から出稽古にやってきます。彼女は子供の頃から入門し、もう10年近くも空手をやっています。小柄で華奢で可愛らしい顔をした彼女、普段は普通の女の子で、稽古中も私に何かを教えてくれるときもとっても親切なのですが、いざ組手となると人格が変わります。相手が白帯の私でも容赦なく痛いローキックやパンチが来ます。私がへとへとになっても攻撃はやみません。(もちろん、それでも思いきり加減をしてくれていることは分かります)彼女の凄さは私の入門当時から実感していましたが、今日、まだまだ知らなかった彼女の恐怖を知った気がしました。(ついでに稽古の最後にしたローキックの練習で、痛いローキックを何発ももらい両ももがパンパンになりました)で、私、帰りに凹みました。私に対しても時々真剣に攻撃をしてくれるのはとっても嬉しいし、彼女が来てくれて、技はもちろん気合いの入れようも私にとっては毎回大変勉強になるのですが、(彼女に限らず、他の道場から来てくれる先輩方皆から学ばせてもらえるのですが)私は未だ白帯の上に皆より下手なので、せっかく来られたのに私が相手で学ぶことが何もないのじゃないかと申し訳なく思います。しかも今日は最後に回し崩しと足刀の稽古にとことんつきあってくれたし。。。私も、早くもう少しましに空手ができるように頑張らなきゃ。
2005年05月10日
コメント(2)
今日は、私は痛い目に遭いました。午前中仕事を休んで職場の近くの病院で血液検査をしてもらいました。採血の時に悲劇が起こったのです。看護師さんが私の腕の血管に針を刺して検査用の試験管を刺したとき、血液があまり試験管に入らないので、私は何となくいやぁな予感がしました。採血が終わって職場に向かうとき、何だか採血した場所に鈍い痛みを感じます。おそるおそる袖をめくって採血場所を見たとき、自分の腕がむくっと腫れ上っていました。まぁ、これだけ聞くと、大したことないことかもしれません。皆さんの中でも、腕の血管が細い方は、日常茶飯事だと思います。でも私の腕の血管(いつも献血するほう)は太いのが2本、ゴムで縛らなくても透けて見えるので、たいてい健康診断や献血の時になると、腕を進んで出して、「お好きなところから採血して下さい」状態です。もちろん健康診断でも献血でも、失敗されたことはありません。それなのに、そんな私で採血失敗なんて、「下手くそ! おばちゃん、あんた、その下手さで何年看護婦やってられんねん!もう一回、練習し直したほうがええんとちゃうの?」と言いたい気分でした。(採血をした看護師さん、結構ベテランさんのようだったしなぁ)で、その腫れはすぐに引いたので、再び病院に行かずに夜、空手の稽古に行ったら、基本稽古したらもう採血した腕が痛みます。内出血の跡もはっきり見えています。稽古で受ける痛みと違って、この痛みは結構心もげんなりします。というわけでこの日は遅くまで残る気力もなく、稽古が終わって早めに家に帰りました。まぁ、でも、それにも懲りず、「そろそろ献血したい」と思う私です。
2005年05月06日
コメント(0)
ワークが終わった翌日、久し振りに言い様もない眠さを感じました。一応仕事には出たのですが、眠くて眠くて仕事になりません。というわけで、仕事を早めに切り上げて少し用事を済ませ、家に帰ったらすぐに布団に潜り込んで寝てしまいました。
2005年05月02日
コメント(2)
この3日間は、毎月恒例のワークショップでした。いつもは3日間のワークショップなら3日間、パートナーと一緒にワークに参加するのですが、今回は初日は彼が仕事だったので、最初は私一人でのワークの参加でした。彼がいなくて、その時は思ったよりも寂しいとは感じませんでした。ただ、1人で車を運転してきてたので、帰りにお酒を飲めなかったのがかなり辛かったかな。2日目、3日目は彼がいたので、いればずいぶんと自分の心が安定はしてました。ま、そんなことはどうでもいい話なのですが。。。今回、私は実質上グループをまとめる役でした。いつもは悩むときといえば音響操作で何か失敗したときだけなのですが、今回はそれに加え新たに悩むことが出てきました。グループをまとめるとなると、人間はテレパシーが使えない、理解できない以上全部言葉で何かを伝えないといけません。でも、私は昔から3人以上に何かを言葉で説明することや約1m以上離れている相手に何か言うときや初対面の人と会話をするのがと~っても苦手で(近くの1人に向かって短い言葉で何かをいうのは無問題)、つい「グループをまとめなきゃ全員をグループに溶け込ませなきゃ」と思えば思うほど、言葉が出ないのでした。ええ、事前に何を言うかは頭の中でシミュレーションはしますよ。頭の中ではグループをまとめるのは完璧です。でもリアルにグループのみんなの顔があると、もうアウトです。(あ、みんな待っているのに、私の言動いかんでグループの状態が決まるのに、このままじゃグループがバラバラの状態でワークが終わってしまうじゃないか)そう思えば思うほど、「…」と、私はフリーズしてしまいます。こうやってグループがまとまらないままワークが終わるのイヤだと焦っていたとき、私はフォーカスパーソン(その人がトレーナーに問題をシェアすることで、参加者のマインドが映しだされます)に当たってしまいました。早速「言葉が出ない、声が小さい問題」を言ったところ、まず、「言葉が出ないのは言葉を発するとき、自分の感情と繋がっていないのではないか」ということを言われました。そうなのです、言葉以上に私が問題なのは「自分の感情、そして人と繋がりきれない」ということだったのです。前にも書いたと思いますが生まれたときから1人のような感じがしてました。今も大好きな彼や友達とも、どこか自分から距離を置いてしまっている。で、今回はまず「自分の感情と繋がりながら言葉を誰かに伝える」飲み会や普段では大好きな友達に(身体接触やアイコンタクトを交えながら)言葉で愛を伝えること(あるいは毒を吐くこと)は全然平気なのですが、みんなの前で同じようにするのは、思った以上に緊張します。ま、それ以上に難しかったのは、参加者全員に愛を伝えたかったのに、愛を伝える人の人数がとても限られていて人を選ばないといけないことでしたが。その次に「声が小さい」問題についてですが、「声が小さいというのは、声が届くところに相手をおきたい(つまり親密感を感じたい)」ということだそうで、パートナーを前に親密感を感じるワークをしました。正直言ってこれはみんなに愛を伝える以上に難しいのです。特に一番自分と距離が近い人が相手だと、言葉でなく体に触ったりハグをしたりと、言葉なしで愛情を伝えたくなります。彼に近付くとき、ダッシュして一気に抱きつきたい衝動を抑えるのに必死でした。やっと言葉を言えたときも、もう緊張しまくりでした。ワークを終えて、みんなと一緒に絶叫したり、グループのみんなと繋がることに関しては、かなり抵抗が減ったように思います。まだ絶叫するときにノドのつまりを感じたり、しゃべるときにかんだりつまったりはしますが、それはこれから少しずつ練習をしていけばいいだけのことです。で、当初悩んでいたグループのみんなが一体感を感じることについては引き続きこれからの課題のままですが、グループ全員を大好きになることはできたのでグループ全員で何かを感じられることも遠からず実現しそうな気はします。以上、今回はみんなに何かを与えるというより、自分1人の癒しのワークになってしまいましたが、たまにはそんなことがあってもいいことにしましょ。
2005年05月01日
コメント(0)
全7件 (7件中 1-7件目)
1
![]()
![]()
![]()