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この土日、岩手にある彼(の父親の実家に彼と2人で行っていた太陽仮面です。太陽仮面、実は東北には初めて行くのです。(正確には初めてではありませんが、いわき市は東北という感じがしなかったなぁ)彼から「親父の親戚はものすごい強烈やぞぉ」と聞かされていたので、「いったい何がものすごい強烈なのだろうか?」と、半分どきどき、半分わくわくの気持ちで行く旅でもありました。で、やっぱり、関西とはたくさんの違いにびっくりでしたね。いわゆる「田舎」というところで、親戚が次々と家にやってきます。しかも、彼も全く知らない隣の家のおじさんに、「○○さん(彼の父親)の息子さんですか?」と、声をかけられ近所づきあいの濃厚さにも少しびっくりでした。(ちなみに義父は15年くらい前に他界しています)まぁ、ここまでは、私の実家からそう遠くない私の父の両親の実家とあまり変わらないような気がします。祖父が10年以上前に亡くなり祖母も今は施設暮らしだし、今は諸般の事情もあり私たちはそこには顔を出しませんが、お盆くらいに祖父母の田舎にいくと親戚中が集まって盆踊りだのカラオケ大会だのやっていた思い出があります。そして東北といえば「東北弁」。お年寄りの言葉は、英語を聴くようでした。だいたい言わんとすることはなんとな~く分かるのですが、それで私たちにも分かるような言葉に訳せと言われれば困ってしまいます。(ちなみに義母は、岩手にいるとき義父に通訳をしてもらっていたようです)でも、以上のことは私にとってはそれほど強烈とも思いませんでした。何よりもものすごいのは、「過剰なほどの食のおもてなし」でした。「東北の料理は味が塩辛い」とよく聞く話ですが、今回はそれほど強烈な塩味の料理はなかったです(もっとも梅干しは関西の感覚で一つまるまる口に入れると酸っぱさと言うよりしょっぱさでえらい目に遭いましたが)。私が圧倒されたのは、その量です。私は女性にしてはわりとよく食べる方だと思うのですが、それでも出される料理の量に目が点状態でした。大盛りのそばを盛られて食べた後で、「お代わりは?」と訊かれ、「(お椀に)3分の1くらい」と答えてお椀を出したら、次の瞬間大盛りのそばが。「これのどこが3分の1やねんっっっ!!!こんなに食えるわけないやろ~」と、心の中でつっこんで、結局そばは残してしまいました。次の晩ご飯も朝ご飯も、お腹が空かない間に大量にやってきたのでした。元々大家族ということもあって、おかずの品数、量ともに見ただけでお腹いっぱいになりそうです。その大ご馳走はお客さんが来たときだけかも知れませんし、そうでないなら農業等肉体労働でエネルギーがいるからなのかも知れませんが、そんなに客扱いもしてもらいたくなく肉体労働者でない私は、「気持ちだけ受け取って帰ります」という気分でした。夜にも驚かされ感動する出来事がありました。いろいろなきれいな石が好きと結婚式の時に言ったことを覚えていた彼の伯父さんが、近所の知り合いのところに私たちを連れて行ってくれたのです。何よりも、その人の多趣味に驚かされました。経営している工場(工作機械がたくさん並んでましたので、多分金属などを加工する工場だと思います)の一部を工房にし、鉱山から集めてきた水晶だの、昆虫標本だの、その人が自分で作った(しかもどこかから廃物を拾ってきて加工したらしい)金属製品だの、駅の忘れ物の傘と金網で作ったオブジェだの、所狭しと並んでいました。圧巻は、工房の内壁上部にぐるりと張り巡らされた、岩手山始め周りに見える山々に似た石を集めて作った景色でした。それらを見て、私もそれほどに打ち込めなおかつ人に夢を与えられるものを持とうと決心したのでした。1日目はそのように怒濤のように過ぎたせいかすぐに疲れ果て、2日目はやはり死にそうなほどの朝食を取った後(2つ折りのケータイほどの大きさのあん餅が「デザート」だった。。。)、しばらく2人だけで、中尊寺や、毛越寺に行ってきましたがその行き帰りの電車で、ほとんど寝ていたような気がします。(あ、中尊寺金色堂や毛越寺はなかなかよかったですよ。もう少し時期が遅いと紅葉も見られるようです)もっとも、基本的には親戚はみんないい人なので、空港までも優しいおもてなしを受けた上に持つのがやっとのおみやげを持たされながら、疲れながら私たちは帰路についたのでした。飛行機に乗ったときは解放された気持ちになったのですが、電球をちりばめたような大阪の街が空から見え、ものすごいスピードで新大阪の駅の上を過ぎたとたん、ほっとすると同時にとっても寂しい感情が私の中にわいてきたのでした。彼らと直接の親族であるパートナーは「もう行きたくない」とのたまってましたが、南部鉄の鋳物を作っている工房の熱や南部せんべいの焼けるにおい、花巻空港の屋上にやる気なさそうに展示されていた飛行機の部品を思い出すと、私は何年か後にまた行きたいなぁ、と、心の中で密かに思っています。
2005年10月16日
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この頃、法事が続いてた太陽仮面です。 この日は父方の祖父と父の弟の法事がありました。 といっても、お寺でお経を聞いているときも、その後の会食でも、あまり「法事」という実感はありませんでした。 祖父については私が幼い頃一緒に暮らしていたこともあるのに一緒に何かした思い出もなく、しかももう十七回忌。 さらに、父の弟については私も私の母も何も知りません。 今から五十年近くも前、父が中学生の頃に亡くなったのですから。 でも、彼らのおかげで、久しぶりに家族親戚が楽しく過ごせたのです。 そういえば、7月に亡くなった母方の祖母の葬儀や法事の時も、普段滅多に会えない従兄弟たちに会えて酒食をともにしながら馬鹿話ができたことが楽しくて、その時は祖母の話は出なかったのですが家に帰った後で「おばあちゃん、あなたの肉体はもうこの世にはないけど、私たちの中で生きていてくれてありがとう」という気持ちになったのでした。 ですので私にとって法事は故人をしのぶと言うよりは、生きている家族や親族に久しぶりに会い、おいしい食事やお酒を楽しみながら楽しく時を過ごすものだったりします。 死んだ人たちは肉体は滅びても、残された私たちをつなぐために魂だけで生き続けるのかもしれません。 実際、今回の法事でも、もうこの世にいない祖父や私の会ったことのない叔父が、私たちの絆を、よりいっそう深めてくれました。 というより、もしかしたら、普段滅多に会えない残された人同士で、死んだ人の存在を使って「法事」という行事を行い、それぞれの楽しいひとときを作ろうとしているのかもしれません。(ちなみにうちの一族だけかもしれませんが、法事だけでなく親族の結婚式でも親族同士で馬鹿話するのが目的だったりして、独身の従弟は「親戚同士が会う機会を作るために」結婚しろ、といわれてました) さすがに、自分の愛する人が亡くなるときは、どんなに天寿を全うしてみんなに見守られながら幸せに死なれても、別れる悲しみが先に立って、とても残されたもの同士で楽しむ気持ちになる自信はありませんが、その場合でもいつか、去っていった人のことを、短い時間でもともに過ごせた、あるいは今生きている人同士を結びつきを深めてくれることに感謝できたら素敵だな、と思います。
2005年10月10日
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