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最近は世間によく知られるようになりました、脳出血、世間でよく言われる脳卒中になり、体が自由になり、7年になります退院できた頃は精神も不安定で、ブログを投稿することで、救われた部分もたくさんありました。また、ブログの更新を思いたったのは、病気は人により、軽度、重度と差があります病状、進行を記録できるのも、誰かの参考になればと思い再度、更新をすることにしました。毎日は無理と思いますが、極力更新するようにしたいです脳卒中、脳梗塞は対岸の火事ではありません、いつ自分にくるかは、誰にもわかりません。体験を交えて、思いだしながら、記録していきますご興味があるので、あれば、見て下さい、なければ、無視して下さい。よろしくお願いします。
2010.02.11

パールハーバーです、新婚旅行にてまたまた。久しぶりにブログを書きます。早いもので、脳出血になり、左半身がマヒして、普通の生活ができなくなり、この4年はリハビリ中心の生活でした退院したころは車いすの生活でしたが序序に補助杖を使いながら、歩くことからはじめ、今では、何に頼ることもなく、歩くことができるまでに回復しました。普通のようには、ムリですが、より近い生活ができるようになるまでは、努力でナンとかなると、見込みがたつようになりました。ブログを書きはじめは、リハビリの目標を決めて達成できるようにしてきました。言葉に残す事は、目標達成の大きなささえになります。第一段階の歩く事の目標は達成できたので、第二段階はもう一度ハワイの地を践むことです。不自由になった足でハワイの海岸を女房と歩きたいと、目標を決めました。このことが達成できると、晴れて、社会復帰できたと思います。このことにかんしては、入院時の身内からの心ない言葉が原因です。死ぬまで忘れることができません忘れる為にも第二段階の目標を達成する必要がありますそのためにまた、ログすることにしました。
2007.08.06
ひさしぶりに日記を書こうと、ログインしてみると、随分管理画面が変わってしまいました。脳出血という病気で、入院、退院して、4年がすぎるんですが、退院したときは思うように体が動くことができずに、一時は、どうなるかと、悩みましたが、リハビリも順調に進み今では、補助具、杖も使わずに歩くことができるようになりました。退院時の車いすもことを考えれば、よくやったと、自分をほめたいです。女房の協力も大きいです。退院してからは、週に1回、スーパーに出かけていたのが、回復の大きな要因です。とかく、脳出血とか、脳梗塞は、体が不自由になるので、外出はしなくなりますが、これは、自分にとっては、大きなマイナスです。特に、脳の中にダメージを受けるので、新鮮なことにふれたり、対人関係を保つことは、脳の活性化につながります。体に不自由は残ったままですが、生活は、健康的になり、悪かった、糖尿も改善しました。しかし以前。肝機能のγGTPが130と高めですが、内科の先生は、問題はないと言います考えれば、脳出血の前は、ガンマGTPは、2400と信じられん数値だったので、これでよしと、します。この調子を落とさないように、健康生活を邁進します。
2007.02.12

久々の更新です、脳出血という病で倒れ、入院4ヶ月を経て、退院できたのが、2003年の12月10日でした、月が変わると、やがて、退院3週年になります。3周年が、めでたいわけでもありませんが、退院後、再発もなく、内臓の調子も戻り、順調に回復している感じがします。今日というより、今月から、週に1回のみ、介護施設に通うことにしました。理由は、リハビリの制限がないためです、病院だと、したくない、箇所のリハビリをしないと、いけません、保険の改正の関係ですが、そのために、あまり、行きたくない、施設に行くことにしました。介護施設といいますが、老人ホームです、今日も隣のばあさんが、あの人、杖もなしで歩く事もできるし、達者なのに、何で、介護の認定がおりるのか聞くので、話の仕方でどうにでもなると、説明してあげました。介護保険などは、いいかげんなもので、本当に必要な人に正当に認可されていないのが、現状です。文句いっても、どうにもならないので、自分でできること、やりたいことを決めて、後、3年をかけて、リハビリを続けたいと思います。体調も戻り、昼食のカロリー制限1600キロカロリーがなくなりました。
2006.11.25

病院での、入院生活から、退院をして、一時は、どうなるか、不安な日々を過ごしてきましたが、退院後は、健康に気をつけて、生活を過ごしてきました、退院したときは、家の中を車いすに乗り移動していましたが、あまりにも不便で、これではいけないと思い、3年間リハビリに通いました。その甲斐もあり、今では、家の中では、杖にたよることは、なくなりました。退院当時を思うと、夢みたいです。退院してすぐに、たばこが吸いたくて、販売機まで、200メートルあるんですが、とてつもなく、遠く感じました。杖をつきながら、息を切らして買いに行っていましたが、今は、何も頼らずにいけるまでになりました。後は、3年間杖を、使用していたので、その癖をなくす事です。もうひとつは、表で、転ぶことです。歩蹴るようになったといっても、左の足は、頼りなく、少しのことでも、転倒します。けんかと同じで、殴られることを知っていなければけんかはできません、転ぶのが平気になれば、どこを歩くのも、怖くなくなります。後3年ひと踏ん張りして、今の倍の距離を苦もなく歩けるようになり、女房と、旅行にでも行きたいと思っています。行きたいと思って、信念を持ち続けると、人間必ず、成就するものです。それを目標に、長い、リハビリと、健康生活に転換をしていきます。ヒルトンから、望む、ダイアモンドヘッドと、ワイキキビーチです。
2006.11.14

はやいもので、脳出血になり、3年が過ぎ、リハビリも、3年間通いましたが、リハビリ生活も長いと、目的がぼやけてきます。脳出血、脳梗塞になり、半身が麻痺すると、歩く為の訓練、手を動かす為の訓練が必要になりますそう先生にいわれて、暇があれば、広い場所に、歩く為にいきますが、お陰でそこそこ、歩くこともできるようになり、以前ほど、不自由は感じなくなりました。おそらく、同じ病気で不自由になった人と比べると5倍は、多く、出かけていると思います。こんな病気になると一人では何もできなくなります。家族の協力なくては進歩しません。病気をしてから、私の周りには、身内と呼べるものはいなくなりましたが、女房がいつもつきあってくれます。出かけるのが、結構好きなので、助かります。いつだったか、実の姉が、あんたたち、そんな体、でよく、出かけるなと、非常に、心を傷つけることを言われましたが、そんなのにはめげず、せっせと出かけました。お陰で今日の元気になった自分があると、女房に、感謝しています。昨日も、最近できたSCにいきました。新しくてめずらしいので、うろうろしましたので歩く距離が伸びました。次のリハビリの目標は、スピードのアップです。歩く速度をあげたい、今は普通の人の50%しかありません。、家の近所もいきたいが、坂が多くていけません左足が、駄目になると、膝が、まがりません、故にクッションの役を膝がしないので、凸凹とか、坂、階段の登り降りが、できにくくなります。日、友人から、久しぶりに電話がありました。病気してから、友人とのつきあいは、いやでも、少なくなります、何をするにも、気を遣わせるので、どうしても、少なくなります、昔仕事で、お世話になった人が、肺ガンで、2.3日がヤマと知らせてくれたこの人は、以前体調が悪くて、近所の病院に行っていましたが、治療中の、ウイルス感染で、脳神経が駄目になり、左手足が、動かなくなり、介護施設で会うようになりました。病院は、よく、選ぶ事です。かくいう私も、倒れる前は、町医者に、行っていました、専介護施設にお世話になる身になりましたが、病院は、説明しないし、責任を認めません門病院に行けば、今日のような事態にはならなかったかもしれません人は、別れ道があるのかもしれません 決断が、人生を左右させるです選定が大事です右に行けば助かるのに、左に行ったばかりに、人生が、終わることもあります。選択が重要です後悔になりますが、あのときに、体の不調を再三、感じていたのに、何故ちゃんと、調べなかったか、悔いは、残ります。ただ、腹が立つのは、近所の医者に、再三通い、体の不調も訴えて、肝機能も低下していて、γGTPが、2000を超えていたので、入院を、お願いいしましたが、あっさり、断られました。医者選びの大切さはここです。医者を、間違ったばかりに、苦しいリハビリの道になりました。
2006.11.07

脳出血後の、暮らしとリハビリ日記脳出血になり、3年をすぎたが、後遺症の症状は、あいかわらず、同じである、不思議なもので、不自由もなれると、いけるものである、リハビリはそれでも、筋肉の拘縮を防ぐために、10年は必要と思う。リハビリは、週に2回、病院の送迎つきで、通いますが、今月は、半分は休みました。3年もすると、効果、変化はでません、目に見える、改善が、でないために、どうしても、やる気がなくなってきます。この病気のリハビリは、自分自身で、ここまでなりたいと思う気持ちがでないと、よい方向にいきません。だから、年配の方がなると回復が遅いです、、年齢もあり、戻りたいと思う意欲が、すくないからです。最近は、生活も、体も落ち着き、精神的に安定した、生活が、送れています。落ち着くと、入院の時とか、退院の時のことを、思い出します、脳出血、脳梗塞の入院は、何故か、3ヶ月と、期限が、決められています理由は、だいたいの人は、半身麻痺になりますが、神経の回復は、リハビリを始めて、3ヶ月以内に動くようにならないと、回復は、困難と、判断されてしまいます。私も、転院して、1ヶ月で、言われました。ショックでした。それでも、リハビリは、続けないといけません、10月10日に転院して、12月10日に退院できましたが、退院日は、決まっていませんでしたが、3ヶ月を基本にしていたので、12月10日と、決め込み看護婦に言っていると、嘘みたいに決まりました。この病気は、退院にも、制約があります。退院1ヶ月前には、一時帰宅という、制度があり、一度自宅に帰り、不自由な体で生活ができるか、確認する必要があります、生活が、やりにくいのであれば、自宅の改造をしなくてはいけません、一つは、家の中の段差をなくする、トイレに手すりをつける、風呂にも、つけるですが、このころは、風呂にまで、入れる状態ではないので、介護施設で入浴していました。やがて、動くことにも慣れてくるので、自宅の風呂に入れるようになります。退院時は、家でも車いすでしたので、生活は、大変でした。1ヶ月で、車いすを返しました。これには、車いすには、乗らない、自力で歩く強い意志が必要です、現に、介護施設にいくと、2,3年同じ車いすの人をみかけます。この人たちは、歩くことができないのでなく、自力で、歩く気持ちがないからです、 年齢と言えばそれまでですが、リハビリは、自分の気持ちひとつです。3年間、家族との確執など、いろんなことがありましたが、2人で、乗り越えてきました。10年後に、もっと、元気に動けるように、リハビリを続けます。
2006.11.01

出血、いわば、脳卒中になり、3年の月日が、流れました、脳出血を発症すると、頭痛、めまい、嘔吐、意識障害、失禁が認められます。重症の場合には、昏睡となり、死亡することもあります。半身まひ、言語障害、感覚まひなども起こります。高血圧、脳動脈瘤、脳動静脈奇形、などが脳出血の原因となります。高血圧が続くと、動脈硬化が進み血管がもろくなり、内側から外側に強い血圧がかかり血管が破れやすくなります。寒冷時、興奮時などに脳出血が起こります。半身麻痺は、あいかわらず、なおりませんが、リハビリは、根気よく、3年間続けていますが、人間は贅沢なもので、ある程度、回復すると、苦しい時を忘れがちになります。それをしないために、ブログに記録してきました。最近は、リハビリに通うのが、面倒くさくなってきています。リハビリも長くなると、目に見える、効果が出ませんそのために、どうしても、モチベーションがさがります。継続は、力なりで、ブログも続けることで、リハビリの継続と、気持ちを奮起させるように、やります。 脳出血から3年、再発もなく、出血から、3年がすぎました、おそれていた、再発もなく、血糖値も、ほぼ、正常になり、肝臓の、γGTPもほぼ正常と、内科の先生に言われました、リハビリも、最初に、描いていた、目標に、ほぼ、近づくことができた、後は、杖をつかわないようにする、そのためには、凸凹と逆道を、苦もなく、歩くことができるように、訓練しないといけませんほぼ、テーマのように、達成できたと思っています。玄米食が、3年続きましたがおかげで、血糖値が下がったのではないかと、もう一つは、酒を、完全に、やめたことです。禁煙は、できないと、思っています。 脳出血後の毎日 退院してからの毎日は、仕事ができるはずもなく、週2回の病院通いを除けば、毎日、家に、いるのが、日課です、楽しみといえば、女房とスーパーに行き安価のDVDを買ってみることです、最近は、洋画が、690円から1500円で、買えるので、よく買います。このあいだ、トムクルーズの宇宙戦争をみましたが、内容は、今いちでした、若干、感動するのは、デイアフタートモローです、父親愛がいいと思います。ディープインパクトは、映画館で見て、女房と、二人で、感動して、泣いている人がいたなと、話していたんですが、家で見ると、感動は半分以下でした。B級でまずまずは、ドラゴンハート、980円ですが、ドラゴンと、騎士のやりとりがおもしろいと思います。こんな感じで、リハビリをしながら、元気になりたい、もうすこし、よく動けるようになりたいと、努力しています、最近は、万歩計をつけて、5000歩を目標に、今日もスーパに行ってきたんですが、2700歩と、半分の結果に終わりました。何ごとも同じですが、高い、目標を立てて、それが、80%でも、継続させると、力になると信じて、リハビリに励みます。病気になり、つい、落ち込み、ふさぎがちになりますが、前向きに、元気にできる範囲で、楽しみたい、悔いが一つあります。病気になる、一年前に、生命保険を解約していたことです。 家族、兄弟との軋轢、病気になり、親兄弟と、疎遠になりました。理由は、わかりませんが。リハビリは、たちどまり、躊躇していると、どんどん遅れます。病気も同じで、よいとおもったら、迷わず進むことが大事かと思います。今日も、病院では、噂話というよりは、今年の4月に、医療制度が、改革され、同じ、患部のリハビリが、150日で、打ち切られるので、老人達が、どうしようと、大騒ぎしていました。脳障害は、対象外ですが、主に、老人の、痛い、動かないのを、対象にしているみたいです。はやいもので、病気で、倒れて、3年が来ますが、いろいろありました。一退院後は、家族のあきれた行動言葉、態度に、寝れない夜が、何度かありました。こんなことがありました。鬼母が、隣のばあさんに、私が、介護施設に行くのは、女房が、楽をしようと、行かせてるといいます。ケアマネが、月1回様子を見にくるんですが、ある日来た時、後を追いかけて、施設で、どれくらい、金を使っているか、聞いてやろうと思ったと言っているんです。最後の言葉がはがゆいです。隣の部屋で、女房といたんですが、話が、まる聞こえなんです。その時の気持ちは、言葉にできませんこれが、我が母かと思うと、悲しい、情けないの気持ちでした。こうなると、今まで、家、親に何もしていないと思われますが、私には、実兄がいます。私が、17歳の時に家にいるのが嫌ででてしまい40年になります。私は、寂しいだろうと、ひたすら、家に残り、やむなく、家の跡をとりました。それが、完全に、裏目にでました。家を出た兄の借金で一時は、私の稼ぎも随分、送られました。それが、今日の仕打ちです。目もあてられません退院して、3日ほどして、鬼姉、もとい、バカ姉がきました。その時、真顔で、女房と、ずっと、一緒にいるのか聞きます。腹の中で、こいつはバカかと思い、別れるはずがないだろうといいました。体さえもう少し動くことができれば、金属バットでもふりまわします。退院してしばらくは色々あり、精神が不安定でした。鬼母、バカ姉語録はまだ、あります、病気の試練と、思っています。 毎日、たいしたことしてないなということを、実感します。ほとんどが、リハビリがメインですが、このあいだ、女房と、買い物に行って、買い物カートの後を普通についていけるようになっているんですね、退院当時は、歩くのに必死で、せめて、ついていけるようにならんとなと思いました。また、買い物くらい、一緒にできないのかと、嘆いたものでした。あれから、2年半、我ながら、酒もやめて、よく頑張ったなと思います。あれほど、好きな酒が絶てたのは、2度と、出血させないという気持ちと、今度、右をやられると、生きていけないという強い気持ちがあったからです。もう一度、アルコール依存を考えます。当時は、完全なアル中でした。そもそも、初めて、酒というより、ビールですが、12歳の誕生日に、死んだ、親父が、冗談半分にのませてくれたのが始まりでした。その時の感想は、気持ちがいいでした。しかし、それが、間違いの始まりでした。親父も、無類の酒好きで、家には、いつも酒がありました。中学生になると、酒の盗みのみを覚えました。当時は、サントリーレッドという、安物のウイスキーがいつも、おいてありました。それを、家族のいないときに、飲む訳です。すぐに、飲まないと、見つかるので、グラスに一杯、ストレートで、一気に飲んでいました。すぐに、水を、ガブのみします。そして、しばらく酔いの余韻に浸っていました。そのころから、酒に強い体質がつくられた気がします。その後は、ばれないように、ウイスキーの中に、水を、たして、元に、もどしていました。子供だったんですね原点は、そこにあるような気がします。お陰で、リハビリ生活になりました。もし、このブログを見られる方がいたら、酒は、そこそこで、やめておきましょう我が身のためです。酒ははじめはなんとなく飲んでいても、続けると、知らぬまに、アルコールじ依存する、体ができあがります。そもそも、アルコール依存、別名、アル中の定義はアル中という言葉には「のべつ酒を飲んでいて、仕事をせず、乱暴を振るう人」といったイメージがありました。アル中とは現在ではアルコール依存症(以下ア症)と呼ばれます。ネクタイアル中とは、ネクタイという言葉に象徴されるように、仕事はしていて、外見的に生活破綻をきたしているようには見えないという、現代に多いア症者のことです。ア症者の表現型がここ2、30年の間に変わってきたということだと思います。
2006.10.28

出血、いわば、脳卒中になり、3年の月日が、流れました、脳出血を発症すると、頭痛、めまい、嘔吐、意識障害、失禁が認められます。重症の場合には、昏睡となり、死亡することもあります。半身まひ、言語障害、感覚まひなども起こります。高血圧、脳動脈瘤、脳動静脈奇形、などが脳出血の原因となります。高血圧が続くと、動脈硬化が進み血管がもろくなり、内側から外側に強い血圧がかかり血管が破れやすくなります。寒冷時、興奮時などに脳出血が起こります。半身麻痺は、あいかわらず、なおりませんが、リハビリは、根気よく、3年間続けていますが、人間は贅沢なもので、ある程度、回復すると、苦しい時を忘れがちになります。それをしないために、ブログに記録してきました。最近は、リハビリに通うのが、面倒くさくなってきています。リハビリも長くなると、目に見える、効果が出ませんそのために、どうしても、モチベーションがさがります。継続は、力なりで、ブログも続けることで、リハビリの継続と、気持ちを奮起させるように、やります。、おそれていた、再発もなく、血糖値も、ほぼ、正常になり、肝臓の、γGTPもほぼ正常と、内科の先生に言われました、リハビリも、最初に、描いていた、目標に、ほぼ、近づくことができた、後は、杖をつかわないようにする、そのためには、凸凹と逆道を、苦もなく、歩くことができるように、訓練しないといけませんほぼ、テーマのように、達成できたと思っています。玄米食が、3年続きましたがおかげで、血糖値が下がったのではないかと、もう一つは、酒を、完全に、やめたことです。禁煙は、できないと、思っています。でも、最近は、甘い物に、めざめましたので、糖尿病に、気をつけていきます。
2006.10.20

脳出血、脳梗塞で、半身麻痺の後遺症が、残ると、一人で、生活するのは、困難になります、年齢が、若いと、対応したり、順応できますが、年齢が、高いと、困難です、まず、食事の準備ができません、片手では、困難です、細かいことですが、服は、どうにか、着れても、自分の手の爪さえ切れなくなります、風呂も、入ることはできますが、体が、洗えません、そんな、部分を、補うために、介護施設があります。就職難の、昨今ですが、介護士は、引っ張りだこです、がこの仕事は、中途半端な気持ちでは、つとまりません、大変な、仕事です、私も、退院後は、10ヶ月ほど、通いましたが、挫折しました、あまりにも、時間をもてあましました、最近になって考えると、当時は、施設で、5時間ほど、何もしないで、座っているだけでした、久しぶりに、介護施設に行く羽目になりそうなので、今度は、時間を有効に使い、リハビリに励み、杖にたよることのない、歩行ができるように目標を設定します。最近、医療保険の改正があり、長期のリハビリができなくなりました、介護保険なら、継続できるので、変更します。介護施設には、決まりが、あり、介護認定を、市町村に申請をして、認可を受けます、介護度という、等級、があり、等級により、支払い金額が決まります、これにより、利用できる、サービスが、変わります、例えば、私は、以前、ラクータという、電動スクータをレンタルしていましたが、今は、できません、元気になったので、介護の等級が下がり、支給額が減ったのが、原因です、人によれば、電動ベットがレンタルできなくなり、困っている人が、今回増えました。医療改正は、悪法ですしかし、末端で、文句をいっても、解決はしません、前向きに、生きる以外ありません。脳出血などで、五体不満足になると、必然と、卑屈になりがちですが、前向きに、楽しんで、生きることを、目標にしましょう。最近は、更新が、とぎれがちですが、次回より、久しぶりに、介護施設の一日を、紹介したいと思います。ハワイ、ダイアモンドヘッドの中の、広場です。真珠湾
2006.10.15

真珠湾ですが、ここは、嫌でした。脳出血から、3年、禁酒して、3年脳出血から、3年がすぎました、これは、とにもかくも、アルコール依存という病気も克服できたと、いうことです、最近は、あのときはどうだったと、考える余裕もでて、きました。今日の状況に、なったのは、ほぼ、酒が、原因といっても、間違いありません、しばらくは、アルコール依存症、について、ひらたくいえばアル中です、酒が、体に与える、影響、精神的なものを、実体験を、ふまえて、3年前の反省をしたいと、思います。アルコール依存症は、最近では、病気として、認められています、私自身もそうでしたが、どうにか、健康であると、自覚できません。アルコールは麻薬や覚醒剤と同じドラッグの一種です。世界の歴史を見れば、ドラッグの合法・非合法の区別はまったくまちまちであることがわかります。法律がどうあろうと、ドラッグは脳とからだを破壊していきます。アルコールというドラッグは、現代の日本でたまたま合法化されているにすぎません。ドラッグは、いったん習慣性がつくと、なかなかやめることができません。これは、脳の中にドラッグを求める回路ができてしまうためです。この回路は人をあやつり、いかなる犠牲を払ってもドラッグを取らせるようにしむけます。アルコール依存症の人がお酒をやめられないのは、意志や道徳の問題ではなく、脳内にできたアルコール回路の作用によるのです。だからこそ、依存「症」という病名がついているのです。アルコール依存症は病気、それも進行性の病気です。お酒を飲み続けることによって、脳のアルコール回路は強化されます。同時に、アルコールというドラッグはからだもむしばんでいきます。破壊されるのは肝臓だけではありません。アルコールは発がん物質でもあり、特に食道や大腸のがんのおもな原因はアルコールです。入院したときに、アルコール性肝炎、糖尿病、脳内出血と、3病名を告知されました。すべて、酒が、原因でした。アルコール依存の兆候は、次のようなときです、1. 飲酒量を減らさなければならないと感じたことがありますか2. 他人があなたの飲酒を非難するので気にさわったことがありますか。3. 自分の飲酒について悪いとか申し訳ないと感じたことがありますか4.神経を落ち着かせたり、二日酔いを治すために、「迎え酒」をしたことがありますか。 気持ちをおちつかせるために、酒1合を、2,3秒で、のみ、何もないような顔をして、いきます。隠れ飲みにあたります、思い出せば、とんでもない、飲み方をしていました。たまたま、今回、酒をやめれたのは、病気になったのが、要因です、なければ、おそらく、死ぬところまで、いったと思います。人間何が、幸いするかわかりません、体が、不自由になっても、生きていることに、感謝しないと、いけません。
2006.10.09

世間は、連休です、私の場合は、年中連休です、心ない人は、いいですねといいますが、本人にとっては、苦痛なんです、体は、まともに、動かすことはできない、仕事はできない、いいはずが、ないです。脳出血から、退院ができて、健康にも気をつけて、3年間、がんばってきました。おかげで、痛みもなくなり、寝るのも、仰向きで、寝れるように、なりました。あとは、うつぶせと、左側をしたに、横臥できるようになれば、寝返りができます。はかない望みですが、次の目標にして、3年、また、がんばります。
2006.10.08

脳出血、いわば、脳卒中になり、3年の月日が、流れました、脳出血を発症すると、頭痛、めまい、嘔吐、意識障害、失禁が認められます。重症の場合には、昏睡となり、死亡することもあります。半身まひ、言語障害、感覚まひなども起こります。 高血圧、脳動脈瘤、脳動静脈奇形、などが脳出血の原因となります。高血圧が続くと、動脈硬化が進み血管がもろくなり、内側から外側に強い血圧がかかり血管が破れやすくなります。寒冷時、興奮時などに脳出血が起こります。半身麻痺は、あいかわらず、なおりませんが、リハビリは、根気よく、3年間続けていますが、人間は贅沢なもので、ある程度、回復すると、苦しい時を忘れがちになります。それをしないために、ブログに記録してきました。最近は、リハビリに通うのが、面倒くさくなってきています。リハビリも長くなると、目に見える、効果が出ませんそのために、どうしても、モチベーションがさがります。継続は、力なりで、ブログも続けることで、リハビリの継続と、気持ちを奮起させるように、やります。タイトル、蒼い海
2006.09.30

脳出血から、3年がすぎました、おそれていた、再発もなく、血糖値も、ほぼ、正常になり、肝臓の、γGTPもほぼ正常と、内科の先生に言われました、リハビリも、最初に、描いていた、目標に、ほぼ、近づくことができた、後は、杖をつかわないようにする、そのためには、凸凹と逆道を、苦もなく、歩くことができるように、訓練しないといけませんほぼ、テーマのように、達成できたと思っています。玄米食が、3年続きましたがおかげで、血糖値が下がったのではないかと、もう一つは、酒を、完全に、やめたことです。禁煙は、できないと、思っています。ホノルル空港です、次の目標は、再びここに、立つことです。
2006.09.26

あれから、3年-2です、はやいもので、あっという間に、3年がきました。当時を思いだすと、部屋のなかで、すわったまま、身動きできなくなり、声もでず、たちあがることもできなくなった、目の前の携帯電話を使うこともできずによこたわったまま、夜の7時まで、時間にして、6時間くらいですか、ひたすら、女房が帰るのを待っていました、しかし、そのときも、頭の中には、痛みなどは全然ありませんでした。普通意識が、なくなるといいますが、失禁して、床がぬれていたのと、エアコンが、強すぎて、寒くて寒くて、意識を、失うことはできませんでした、うつろな状態で、長い時間を過ごしました、やがて、夜の7時に女房が帰ってきました、いつもより、2時間はやかったです、あとは、大騒ぎの中、救急車がきて、乗せられて、大学病院の、集中治療室に入りました。後は、ベットに横になり、意識は、あるが、何が、起こっているのか理解はできませんでした。その後1週間は、ICUの中でしたが、その間の記憶はありません、その後、普通病棟に、移動して初めて、左手足が動かないことを告げられました。そのときは、まだ、頭の中も鈍くて、現実を、きちんと受け止めていたかは、わかりません人によりますが、パニックをおこす人もあるそうです。幸い、女房も、心配そうでしたが、落ち着いていたので、冷静でいることができました。しかし、体が動かない、現実は、日々押しよせてきます、不便の連続なはじまりですあれから3年-3病棟のベットの中で、自分の体が動かないことを実感したのは、上半身をおこすことができない、トイレに行こうにも、いけません、男性器の先に、違和感があります。小用に、ビニールのパイプをさしこまれていました。のどの筋肉もやられている可能性があり、食べ物が食べれません。嚥下症というやつです。仕方がないので、点滴を受けます。人間、正気になると、今度は、排泄の生理現象が起きてきます。すると、看護婦が、ちいさな、おまるをもってきて、仰向けに寝ている尻の下にひきしてください。本音は、したいが、できるか、ぼけでした。しばらく、しないでいると、今度は、パンパースをもってきました。ベットに寝たまま、おむつにしろです。これで、できますか、3年3に続きます。リハビリも、一生懸命、がんばったおかげで、不便では、ありますが、どうにか、普通に、生活が、できるように、なりました、後は、健康に気をつけて、体力を、取りもどし、もう一度、ハワイの地を踏んでみたいぼが、今後の、目標です。ハワイ島の、火山の近くの景色です。
2006.09.22

ハワイ島にオプショナルツアーで、いきました。印象は、眠くてハードだったです。ハワイは、別にして、病気から、めでたく、3年がすぎました。3年前のことです。あれから、3年-2です、なぜいまさらとの感じですが、妻と話しをして脳出血になったとき、状態がわからなかったので、想像が、つかなかった、何をしていいのか、わからなかった、故に、脳出血になったときの状態を正確に思い出し、記録すれば、多少は、参考になると思います、事実、体が動くことができず、何をしていいか、ほんにんが、一番わかりませんでした。部屋なかで、すわったまま、身動きできなくなり、声もでず、たちあがることもできなくなった、目の前の携帯電話を使うこともできずによこたわったまま、夜の7時まで、時間にして、6時間くらいですか、ひたすら、女房が帰るのを待っていました、しかし、そのときも、頭の中には、痛みなどは全然ありませんでした。普通意識が、なくなるといいますが、失禁して、床がぬれていたのと、エアコンが、強すぎて、寒くて寒くて、意識を、失うことはできませんでした、うつろな状態で、長い時間を過ごしました、やがて、夜の7時に女房が帰ってきました、いつもより、2時間はやかったです、あとは、大騒ぎの中、救急車がきて、乗せられて、大学病院の、集中治療室に入りました。はっきりしない、頭と、目に映るのは、ぼんやり見える、白いものだけでした、そのときも、頭の痛みなどはありません、そこまで、感じる状態でなかったのかもしれません うつろな、意識の中で、何がおこなわれているのかもわからずに、集中治療室で、10日間治療しました。その間の記憶は一切ありません意識はあったみたいで、頭の切開手術はできませんでした。状況が、わかりはじめたのは、10日ごに、普通病棟に、移ってからです。3年-3に
2006.09.20

>2003.9.18脳出血から、ちょうど3年になります、昨日、妻と話していて、脳出血になった時、ネットで、検索して調べまくったという話になり、どうこうなるとあっても、実際の本人の状況は、わからんという話になったので、実際に、脳出血になると、どんな状態になるかが、知りたいとのことだったので、3年を節目に、出血したときの状況、半身が麻痺して、動かない、手足の状態など、痛みの状態などを思い出し、まとめたいと、思います。脳出血は、突然やってきました、その日は、友人に呼びだされ、朝の10時30分には、話をしながら、コーヒーを1時間ほど、のみました。前日の夜は、朝の5時まで、飲んでいました。寝る間もなく、呼び出されいきました。1時間ほど、して、帰ろうと思い、ライターを撮ろうと、手をのばしたんですが、距離感がなく、つかめませんでした。そのとき、いつもと違うと思ったのですが、深くも、考えずに、車に乗り、自宅に帰りました。ライターが、つかめなかったときに、脳の中で、出血していたんですまだ、手足まで、影響がありませんでした、自宅に帰り、2階にあがると、残暑で暑かったので、エアコンを最強にして、すわりこみ、酎ハイの500をのみました。そのころから、出血の影響が出始めていました。酒を飲んで、いつもと、酔いかたが違いました、除除に体が、動かなくなっていました、目の前に、携帯電話がありましたが、使えませんでした。よく思いだすと、目があまり見えなかったように、思います。声もでなかったと思います。1階に母親がいたんですが、呼ぶことはできませんでした、時間がたつにつれ、状態は悪くなっていきます
2006.09.18

病気から、3年もくると、人というものは、あれだけ苦しかったのに、はやわすれようとしているリハビリも、はじめは、全然動くことができないので、少しの変化にも、感動が、あり、嬉しかったが、月日がすぎると、感動も薄れてくる、今月も、あきらめの気持ちが強く、病院のリハビリを、4回も休んでいる、リハビリしても、たいして変化がない心境である。ブログをはじめたのも、ややすれば、くじけそうになる、自分を、叱咤激励の意味で、記録することで、励みになると、新たな目標を記録して、達成していく、今残っているのは、1.杖に頼らない、歩行、ができるようになること、 2.エスカレーターに乗れるようになること、3年以上乗っていません 3.補強装具をつけずに歩けるようになる、そうすれば、また、スニーカーを穿いて女房と、一緒に、ハワイにいくこと、そのためには、マネーが不可欠3年間は、大殺界だったので、そろそろ、抜け出すころである、なんて、勝手に思いこんでいるしかし、人生は、いい方向に考えないと、つまらない。
2006.09.17

ホノルル空港ですが、このときは、えらい、二日酔いでしたハワイは、二日酔いの思い出ばかりです、2003年9月18日に、脳出血を患い、3年がきますここで、もう一度、苦い経験を、忘れないために、そのときの状態、麻痺が、残った、体の状態、リハビリの、進捗状況と変化などをまとめてみます、そもそも、脳出血とは、何なのか、私の、経験からいうと、血圧が、関係しているように、思います、また、年齢、発症が、50歳でした、年齢とともに、血管も、弱くなっていました、それに、食生活です、最近は、血液さらさら、という、表現をします、食べ物が関係します私生活の乱れも、関係しています。ある理由で、1年前に、退職しました、生活のリズムが完全に狂いました、以前より、血糖が、異常に高いといわれていました血糖値、240血圧180と、普通であれば、入院ですが、医者が、重要視しなかったのも悪いと思います、それと、専門医に見てもらわなかった、事前に前兆はありました、突然、左足が、痛み、膝から、下ですが、筋肉のけいれんとは、違います、10分くらいで、おさまります右手の指も、何もしないのに、痺れますたまに、左の胸と後ろ側が、痛くなりました、今考えると、心筋梗塞の、前兆だったかもしれませんそうなると、痛くて動くことができませんでした、それが、心臓にでず、脳の出血になったのかもしれません血液の流れがわるくなったり、つまりかけると、訳のわからない、痛みがでるように、思います医者にも、症状は、何度もいいましたが、気がつきませんでした、専門医でないと、駄目ということです、もう一度、脳出血については、こうです。脳の血管が破れて出血し、脳内に血腫(血の塊)を形成したものを脳出血と呼びます。脳出血の多くは高血圧が原因となります。誰しも、自分、また、周囲の人間が、脳障害を発症するとは、思いませんが、予備知識があると、事前にふせげると、今では、後悔しています。
2006.09.15

アラモアナの前の入り江か、アロハタワーの横のいずれか、ど忘れです。2003年の9月18日に自宅の2階で、突然、脳出血になり、命を拾い、はや3年がきます2度と、なりたくない、なんとか歩けるようになりたいと思いリハビリに、励み、3年の月日が流れようとしています、思いだしたくないが、現実は、左片麻痺の後遺症が、残り、いやでも、思いだしますできることは、同じ、失敗をしないように、健康に気をつけることです。今思えばよく、ここまで、回復できたと、感謝しないといけません、脳出血について、おさらいします、予備知識があれば、いざというときに、対応ができます、私の場合は、全然なかった。 脳の血管が破れて出血し、脳内に血腫(血の塊)を形成したものを脳出血と呼びます。脳出血の多くは高血圧が原因となります。脳出血の場所は大脳が85%、小脳が10%、脳橋が5%の割合です。脳の表面にある軟膜とクモ膜の間に出血をおこした場合をクモ膜下出血と呼びます 頭痛、めまい、嘔吐、意識障害、失禁が認められます。重症の場合には、昏睡となり、死亡することもあります。半身まひ、言語障害、感覚まひなども起こります。出血が軽度の場合は、内科的に治療します。薬物療法として止血剤、降圧剤、抗脳浮腫剤を投与します。すなわち、厳重な血圧管理とマンニトール、グリセオールなどの高張利尿剤による頭蓋内圧の降下を行います。出血が中等度~高度の場合で、意識障害、運動障害が認められる時には、手術で血腫を除去します 生活習慣を改善しましょう。塩分を控え(1日に10g以内)、ナトリウムの排泄を促す食品であるりんご、枝豆、バナナ、カボチャなどの摂取しましょう。動物性脂肪やコレステロールを多く含む食品を控えましょう。アジやサバ、イワシなどの青魚を食べ、EPA(エイコサペンタエン酸)、DHA(ドコサヘキサエン酸)などの不飽和脂肪酸を摂取しましょう。適度な運動で肥満を防止します。十分な睡眠と休養でストレスを解消しましょう。禁煙や節酒を励行しましょう。
2006.09.14

ハワイに初めていった時に、サブマリンツアーに参加しましたが、ヒルトンハワイアンビレッジの前に、ボートの発着場があり、女房と、期待しながら、のりましたが、期待はずれでした。海の中には、魚はほとんど見えず、50人ほどの観光客は、ほとんどが、日本人でした。唯一、韓国が、3人いましたツアーが終わって、2度とは、乗るのはやめようと、確認しました。2度、3度と、いっているのは、ホノルル動物園です滞在中は、必ず2回はいきます。ワイキキビーチの横にあり、入場料も、5ドルと安いです。ちなみに、サブマリンは、100ドルちかくかかります。一番いいのは、やしの木の下にすわり、気候と、風を楽しむのが、一番かもしれません、次回は、買い物事情についてです。
2006.09.14

今日は、リハビリの通院日です。医療費の削減で、弱者にもろに、負担が、きています。保険料とか、税金は、しっかり、徴収されますが、反映されていないのが、実情です。今日も家に帰ると、介護の会社から、ベットのレンタルが変わるのと、ラクータという、電動自動車の、レンタルの、補助が、なくなるので、買い取りになると、いってきました。これは、楽するためでなく、ゴミだしに必要です。300米先の神社に、集積場があるために、ないと、ゴミ出しができません。役場に、文句言っても対応しません、社会の、不平等がここにでてきています。同じ税金で、なぜ、平等の、行政サービスが、うけれないのか、疑問です。テーマをかえました。ハワイも久しく、いっていませんが、体の回復とともに、もう一度いくという目標を設定します。どこか忘れましたが、きれいなので、写しました。
2006.09.13

この木何の木です。何度目か、忘れましたが、はりこんで、リムジンをチャーターして、オアフ1周しました、恥ずかしかったですでも。リムジンは、ゆったりして、快適でした。このころは、ハワイもなれて、カラカウアベニューのあたりまでは、道を覚えていつも、歩きでした、今は、とてもできませんもう一度、そのときの元気になるために、リハビリをして、再度、いってみたいと、夢を見ていますが、現実にするためには、努力が必要です。
2006.09.12

久しぶりに投稿してみたら、失敗の連続です。8月16日以来でした。3年目になりますので、病気のことは、片隅において、思い出に、浸ってみたいと思い、テーマに、ハワイ、大好きを選んでみました。初めていったのは、新婚旅行でした。海外は、2度目なので、よくわからずに、不安だらけでした一番心配したのは、言葉です、SFで、えらい目にあっています。昼飯を食べにいって、言葉が通じず、困りました。そんな訳で、ハワイで、はじめていったのが、ワイキキの、通りにある、藪そばでした。初日、ハワイくんだりで、ざるそばを、食べてしまいました。初めてなので、オーシャンビユーとかの意味も知らずに、ハーバービユーの部屋を予約しましたが、ヒルトンレインボータワーのハーバービューは、夕日がきれいでしたが、なぜか写真を撮っていません。昼は、ざるそば、夜は、またしても、ヒルトンの中にある、日本食の店にいきました。初めての感想は、気候がいいことです、湿気がないので、快適です。リピーターが多い訳がわかります。それと、言葉に不自由しないことですね1ヒルトンレインボータワーより、ワイキキ、ダイアモンドヘッドの眺望です。
2006.09.11

1ヶ月ぶりに更新をしていて、うっかり画面の移動をしたら、原稿が消えたものすごいショックです。2003年9月18日に突然、脳出血になり、左片麻痺の後遺症が残り、体が不自由になり、3年がきます3年間は、病院への、リハビリの往復でした。入院時に一生車いすの生活になるといわれ、何くそと思い、必死で、リハビリをしました。退院したときは、家の中で、車いすの生活でしたが、いまでは、杖も使わず生活ができるようになりました。後は、外出時に、杖を不要にすることです、やればできますが、普通の人より、動きが鈍いので、持つことで、譲ってもらえると思う、甘い期待があるので、外出は、杖を使っています。早く、なくしたいものです。テーマを変えて、ブログの更新を再開します。ハワイオアフのヒルトンハワイアンビレッジ、レインボウタワー25階より、サブマリンの発着場の眺望です、新婚旅行で、女房が気にいり、毎年いっていました。元気な頃がなつかしいです。ここまで、戻れたのも、女房のおかげです。病気の場合は、精神の支えが、重要です。
2006.09.11

今日、リハビリにいくと、医療制度の変更で、脳出血、脳梗塞などの、リハビリの治療が、発症から、180日しか、治療できなくなったといわれた。半年で、何ができるか、疑問に思う。1年過ぎた頃に、痛みが消えて、リハビリで、動く、動作ができる、それまでは、痛くて、リハビリどころでないのが、現実である。そのくせ、保険料は、しっかり、請求がくる。今は、仕事をしていないので、故人払いであるが、何故こんな、保険料になるのか、疑問が多い、日本人はおとなしい、外国であれば、無駄な税金などを使うと、暴動が、起こる介護保険も同じである、とれるところから、徴収しようという魂胆が、みえみえである。会社勤めしているときは、あまり考えなかったが、税金の面でもしらないと、損をすることが多い、しばらくは、保険、税金についての、知識の向上、勉強をしてみたい
2006.08.19

久しぶりに、ブログの更新をします。ある時より、ネタ切れで、何かテーマがないか探してみたんですが、なかなかありません、病気、リハビリをメインに、140日は、続けてみました。一応春先の目標は達成しつつあります。リハビリの先生に、あーするこーすると、約束して、一つ一つ、達成しました。病気以来、腹筋がなくなっていたんですが、8月までに、20回はできるようにすると言っていました。今日20かいほどして、50回くらいならできる、確信がもてました。後は、杖を使わずに、歩行することですが、今の状態では、不安があるので、別の方向で、普通に歩けるようにしたいと思います。この期限は、年内、12月までに、あせらずにやりたいと思います。また、しばらく、つまらんブログの更新を続けます何かないかと、考えついたのが、今はいけない、旅行の思い出です。人間体も不自由になると、よいころをよく思い出します。今日は、お盆ですが、来客もなく、女房は、仕事で、一人寂しく、パソコンと遊んでいますこんなに寂しい盆は、ひさしぶりです退院して、2年になりますが、体のほうも大分よくなると、人間は、雑念が増えます。こんな時は、未練がましいと、思われますが、良いときを思い出して生きる元気にしたいと思います。まーしかし、病気をして、身体障害者のレッテルを貼られると、世間が変わります。特に、血縁者が多い、とか、考えながら、盆を過ごしています海外旅行はに、初めて行ったのは、39歳の時でした。会社の、永年勤続で、サンフランシスコに、初めていきました。驚きの連続でした。はじめに驚いたのは、スーパーのファーストフードに入って頼んだ、サンドイッチです、もちろん、英語は、チンプンカンプンで、注文もできません仕方ないので、英語のメニューを指でさして、これくれといいました。通じてはいませんが、なんとか、理解して、でてきました。しかし、でてきて、また、びっくり、サンドイッチのおおきさが、日本のお盆くらいあります。思わず日本語で、こんなでかいの、くえるかと言ってしまいました。結局、2口くらいで、捨てましたが、後で、腹が減ってたいへんでした。当日は、軽くジャブ程度に市内を回り、ホテルに入りましたが、これがまた、えらい、立派なホテルで、びっくりしました。入り口のドアは木製で、右のパンチ一発で、破れそうです。出発直前に、治安が悪いと、散々、脅されていたので、気がきでなかったです。初めての場合は、不安の連続と、驚きの連続でした。続きは、パート2にて
2006.08.16

今日は、全国的に。天気もよく、気温は、33度くらいです。元気な時は、こんな日は、友人達と、川遊びにいき、バーベキューをよくしました。悲しいかなそれもできなくなり、晴れた空を眺めては、考えています。来月で、発症して、3年になるので、思い出して、考えてみました。早いものでで、脳出血で、入院、退院して2年と、11ヶ月が来ます。退院時から、週に2回、病院へ、リハビリに、通いました。さすがに、最近では、だるくなってきました。機能を、うしなった、左、手足の回復は、望めません、発症から、3ヶ月以内に、回復の兆しがなければ、機能は、戻らないと、症例にあります、何故、何年も、するかというと、現状維持が、目的だそうです。脳梗塞、脳出血などは、見た目に特徴が有ります。脳梗塞の後遺症からの回復には、残された脳の再学習が必須です。ですから本人の学習意欲は無視できません。病院などの面接による評価で、今後の見通しを家族でつけル必要があります 本人が回復することに対して意欲を無くしている場合、特に高齢者の脳神経疾患の場合、下肢の作業療法となる歩行訓練は、希望というよりも拷問になり、余生を苦しめる場合もあります。家族も大変ですし、意欲に乏しければ、回復は困難です。家族ともども安らかに余生を過ごせる環境を用意するため、脳梗塞の看護を受けられる施設への入所が必要な場合もあります。 頻繁に通院する必要があるので、ご近所で、良心的に効果ある対応をしてくれる医療関係者がいる、評判が良い所を探して活用してください特に、発症時は、何もわからず、医者に、言われるままに、動きがちですが、苦しくても、自分にあった、治療、リハビリ先を見つけることが、回復の早道です。でも、現実は。なかなかできませんそこまで、考える、余裕はありませんしかし、強い、意欲と意思は、必要です。それと、自分一人では、何もできなくなりますが、できないからといって、何でもかまうのは、間違いです、できないからと。何でもかまい、世話を焼くと、他人依存型になり、自分ですることをしなくなります普通Tシャツ着るののは、1分くらいです、でも、5分かかるから、手助けする人が大勢いますが、これが、間違いです。時間がかかっても、自分でやること、さすことが大事です。私も、リハビリ開始時は、服を着るのが大変でした、年配の方は、すぐに、看護婦を呼んでいましたが、一切、他人はあてにしませんでした。それで、何とか、身の周りのことはこなせるようになり、退院しましたが、家に帰ると、暮らしていけるか、毎日が不安で、不安で、たまらない、日が、続きました。何とか、暮らしていけるかと思いだしたのが、退院して、1年くらいたったころです。しかし、波瀾万丈でした。困ったのが、生活費です、仕事を退職していたので、保証が何もありませんでした、また、運の悪いことに、1年前に、生命保険を解約していたので、入院費にも、困りました。家族の援助は一切なし、原因は、嫁と、舅、小姑のいさかいが原因でした。その為に、人はたよらないと、思う気持ちが、沸きあがってきました。女房とは、絆が、深まりましたが、我が、肉親とは、縁が切れてしまいました。病気をする、体の自由を失うことは、親、兄弟も失うということを思い知った歳月でした。
2006.08.06

退院してからの毎日は、仕事ができるはずもなく、週2回の病院通いを除けば、毎日、家に、居るのが、日課です、楽しみといえば、女房とスーパーに行き安価のDVDを買ってみることです、最近は、洋画が、690円から1500円で、買えるので、よく買います。このあいだ、トムの宇宙戦争をみましたが、内容は、今いちでした、若干、感動するのは、デイアフタートモローです、父親愛がいいと思います。ディープインパクトは、映画館で見て、女房と、二人で、感動して、泣いている人がいたなと、話していたんですが、家で見ると、感動は半分以下でした。B級でまずまずは、ドラゴンハート、980円ですが、ドラゴンと、騎士のやりとりがおもしろいと思います。こんな感じで、リハビリをしながら、元気になりたい、もうすこし、よく動けるようになりたいと、努力しています、最近は、万歩計をつけて、5000歩を目標に、今日もスーパに行ってきたんですが、2700歩と、半分の結果に終わりました。何ごとも同じですが、高い、目標を立てて、それが、80%でも、継続させると、力になると信じて、リハビリに励みます。病気になり、つい、落ち込み、ふさぎがちになりますが、前向きに、元気にできる範囲で、楽しみたい、悔いが一つあります。病気になる、一年前に、生命保険を解約していたことです。
2006.08.03

今日は、リハビリの日です。大腸ガンの検査があったので、提出しました。なくなった父親が、大腸ガンだったので、そく検査を受けるように、しました。この数日前から、想いあたる症状があったので、気になっていました。(勘違いと思いますが。) このうえガンなんかになったら、目も当てれませんが、脳障害よりはいいかもしれません訳もわからないまま、動くことができなくなるわけでないですから、生きてるものに、できるだけのことをしてやれるので、脳出血の時は、何もしてやれなかったですから、来週には、結果がわかるので、安心して、くらさせたいと想います。リハビリもやはり、自己努力と向上心が大事だそうで、万歩計も、4200歩までが、一杯みたいで、少し行動パターン、行く店を変える必要があります。今まで、うつぶせができなかったんですが、今日やると、楽になり、姿勢もよくなったと、言われました。少しずつ普通の体制、動きができるように、頑張って行きます。
2006.07.29

今日は、リハビリは休みで、自己リハビリで、スーパーにいきました。前回に万歩計を買って、5000歩を目標にしましたが、4230歩でした、5000歩は、結構、色々と歩かないと、達成しませんいつもスーパーの中の行動パターンは決まっているので、変えないと5000に到達しないと思います。少し、パターンを考えたいと思います。いつものパターンは、車をスーパーの一番奥に止める反対側の食品の売り場に行く。夜の食品の調達。雑貨の物色,本屋はDVDの物色、最近は、古いのが、安値ででているので、よく飼います、今は50本ほどになって居ます。脳卒中になって間もない頃には、関節拘縮を作らない、すなわち関節がこわばったままにならないように他の人が動かしておいてあげることが重要です。まずは動くことが大事です、特に、閉鎖的になり、人前に出るのが、嫌いになる人が多いです。私の場合は特殊かもしれませんが、家族の協力がなければできません、女房が、出かけるのが好きなので、助かっています。おそらく、同じ境遇の人の5倍は出かけています、そういえば、退院したころ、よく出かけていたら、実姉が、あんたたち、そんなので、よくでていくなと言われました、これは、裏を返すと、そんな体で、みっともないので、出かけるなということでした。近所の体裁ばかりを考えています。そんな、兄弟達とも、縁がきれて、気持ちも軽いです。
2006.07.27

最近は、更新をさぼっているので、1週間ぶりに更新します。ブログも、リハビリも同じで、たちどまり、躊躇していると、どんどん遅れます。病気も同じで、よいとおもったら、迷わず進むことが大事かと思います。今日も、病院では、噂話というよりは、今年の4月に、医療制度が、改革され、同じ、患部のリハビリが、150日で、打ち切られるので、老人達が、どうしようと、大騒ぎしていました。脳障害は、対象外ですが、主に、老人の、痛い、動かないのを、対象にしているみたいです。はやいもので、病気で、倒れて、3年が来ますが、いろいろありました。一部を紹介します。退院後は、家族のあきれた行動言葉、態度に、寝れない夜が、何度かありました。こんなことがありました。鬼母が、隣のばあさんに、私が、介護施設に行くのは、女房が、楽をしようと、行かせてるといいます。ケアマネが、月1回様子を見にくるんですが、ある日来た時、後を追いかけて、施設で、どれくらい、金を使っているか、聞いてやろうと思ったと言っているんです。最後の言葉がはがゆいです。隣の部屋で、女房といたんですが、話が、まる聞こえなんです。その時の気持ちは、言葉にできませんこれが、我が母かと思うと、悲しい、情けないの気持ちでした。こうなると、今まで、家、親に何もしていないと思われますが、私には、実兄が居ます。私が、17歳の時に家にいるのが嫌ででてしまい40年になります。私は、寂しいだろうと、ひたすら、家に残り、やむなく、家の跡をとりました。それが、完全に、裏目にでました。家を出た兄の借金で一時は、私の稼ぎも随分、送られました。それが、今日の仕打ちです。目もあてられません退院して、3日ほどして、鬼姉、もとい、バカ姉がきました。その時、真顔で、女房と、ずっと、一緒にいるのか聞きます。腹の中で、こいつはバカかと思い、別れるはずがないだろうといいました。体さえもう少し動くことができれば、金属バットでもふりまわします。退院してしばらくは色々あり、精神が不安定でした。鬼母、バカ姉語録はまだ、ありますが、続きは次回に
2006.07.26

テーマを変えようと、したんですが、毎日、たいしたことしてないなということを、実感します。ほとんどが、リハビリがメインですが、このあいだ、女房と、買い物に行って、買い物カートの後を普通についていけるようになっているんですね、退院当時は、歩くのに必死で、せめて、ついていけるようにならんとなと思いました。また、買い物くらい、一緒にできないのかと、嘆いたものでした。あれから、2年半、我ながら、酒もやめて、よく頑張ったなと思います。あれほど、好きな酒が絶てたのは、2度と、出血させないという気持ちと、今度、右をやられると、生きていけないという強い気持ちがあったからです。もう一度、アルコール依存を考えます。当時は、完全なアル中でした。そもそも、初めて、酒というより、ビールですが、12歳の誕生日に、死んだ、親父が、冗談半分にのませてくれたのが始まりでした。その時の感想は、気持ちがいいでした。しかし、それが、間違いの始まりでした。親父も、無類の酒好きで、家には、いつも酒がありました。中学生になると、酒の盗みのみを覚えました。当時は、サントリーレッドという、安物のウイスキーがいつも、おいてありました。それを、家族のいないときに、飲む訳です。すぐに、飲まないと、見つかるので、グラスに一杯、ストレートで、一気に飲んでいました。すぐに、水を、ガブのみします。そして、しばらく酔いの余韻に浸っていました。そのころから、酒に強い体質がつくられた気がします。その後は、ばれないように、ウイスキーの中に、水を、たして、元に、もどしていました。子供だったんですね原点は、そこにあるような気がします。お陰で、リハビリ生活になりました。もし、このブログを見られる方がいたら、酒は、そこそこで、やめておきましょう我が身のためです。酒ははじめはなんとなく飲んでいても、続けると、知らぬまに、アルコールじ依存する、体ができあがります。そもそも、アルコール依存、別名、アル中の定義はアル中という言葉には「のべつ酒を飲んでいて、仕事をせず、乱暴を振るう人」といったイメージがありました。アル中とは現在ではアルコール依存症(以下ア症)と呼ばれます。ネクタイアル中とは、ネクタイという言葉に象徴されるように、仕事はしていて、外見的に生活破綻をきたしているようには見えないという、現代に多いア症者のことです。ア症者の表現型がここ2、30年の間に変わってきたということだと思います。
2006.07.21

昨日は、リハビリ通院でした、いつもと同じですが、ある、文献をみていたら、セカンド、なんとかがあり、読んでいるうちに、もっともだと思いました。当初から、医者のいうがままに、リハビリを含むすべてを、任せきりで、自分で、考えたことがない、合うあわないはあると思うので、リハビリに限らず、セカンドオピニオンは日本でも徐々に普及してきています。診断や治療方針に関する主治医以外の医師の意見(を求めること)です。卒中の運動とリハビリでは、その病気の種類(脳梗塞とか、脳出血とか、くも膜下出血とか)に関わらず、いくつかの共通した症状、例えば片麻痺とかに対する方法を知ることが大切です。 脳卒中になって間もない頃には、関節拘縮を作らない、すなわち関節がこわばったままにならないように他の人が動かしておいてあげることが重要です。 主治医から自分での運動を始めて良いと言われた後は、背もたれベッドで起きあがるようにします。そして、ベッド脇に足を垂らして背もたれなしで座るようにします。次に手すりなどにつかまって立つ練習をします。麻痺していない側の手足をよく使うようにします。麻痺していない足の膝を伸ばすことや、あおむけに寝て足を伸ばしたまま持ち上げる練習をして筋力増強を計ります。 麻痺が重いときは、麻痺回復のための練習を療法士とともにします。麻痺の回復は発症から3ヶ月以内が主なので、麻痺が十分治らないと思われる場合、足に装具をつけたりします。装具には膝下の短下肢装具や膝上まである長下肢装具があります。 歩行練習としては、必要ならば上記の装具をつけ、平行棒の中で始めます。次に平行棒の外に出て、四点杖やT字杖を用いて行います。体重のかけ方などを療法士に指導して貰います。利き手が麻痺してしまっていて、実用に足りない場合には、利き手交換といって(動かしたい手)最近は左の手が動かないのが、平気になり、動かす、努力をしていないなんでも、同じだが、あきらめると、そこで、終わってしまう足のほうは、歩きたい、動きたい気持ちが強かったので、今日まで、まずまずの成果がでていると自覚しています。知人の友人で、脳梗塞になり、左手麻痺の人がいたんですが、これが、剣玉大好きで、これをしたさに、一年で、動くようになりました。やはりこうなりたい、したいの目標が大事です。痺が重いときは、麻痺回復のための練習を療法士とともにします。麻痺の回復は発症から3ヶ月以内が主なので、麻痺が十分治らないと思われる場合、足に装具をつけたりします。装具には膝下の短下肢装具や膝上まである長下肢装具があります。 歩行練習としては、必要ならば上記の装具をつけ、平行棒の中で始めます。次に平行棒の外に出て、四点杖やT字杖を用いて行います。体重のかけ方などを療法士に指導して貰います。利き手が麻痺してしまっていて、実用に足りない場合には、利き手交換といって非利き手を使う練習をします。
2006.07.16

今日は、病院のリハビリは、休みました。女房が休みなので、一緒にスーパーに行き歩きましたが、食品カートを押す、女房の後を何とか、ついて、歩けるようになりました、退院して、はじめて、スーパーにいって、歩くのが精一杯で、とても、ついていけず、なんとも、情けない、体になったと、思ったのを、思いだしました。その時、買い物くらい、ついていけるように、なりたいと思い、ひたすら、歩いて、足の強化をしてきました。なんとか、当初の、目的を、達成できたと、健康なら、考えもしない、ちいさな、喜びの日でした。昨日、万歩計を買い、早速、つけて、はかりました。3840歩でした。もっと、うろうろすれば、5000はいくと思いました。なんとか、10000万歩を目標に、日々、リハビリの強化をして行きます。脳障害の、半身麻痺の、機能回復は、よくなりたいと思う本人の、強い意思が必要です、老人になり、発症すると、回復リハビリは、拷問になりうる場合があります。普段より、健康に、気をつけることと思います。病気は、ノックして来てくれません病気になると、家族に負担をかけます私の場合は、家族は、もう、女房だけです。
2006.07.12

今日は、体調維持のためにスーパーに、女房といった。2日前に、こむらがえりになって、右のふくらはぎが痛くて、一日満足に歩くことができなかった。普段は、家の中では、杖をつかわないんだが、退院以来、ひさしぶりにつかった。右足を痛め、また、歩けなくなる、恐怖に襲われた2度と歩くことのできない生活は、ごめんだその為に、普段より、節制をしているのだが、昨日より、体の調子が悪い、普段どうしても、運動量が少ないのが、原因かと思う、せめて、歩くかと、万歩計を買いましたが、信用度は今一です。一万歩を目標に、がんばります。明日は、病院のリハビリなので、内科の受診もできますが、数日前に、血液検査で、異常なしと出ているので、いけません医者は、相談しやすい人を選ぶべきですね。最近は、便秘気味で、大腸ガンの心配をしています。ガンの知識はないですが、亡くなった親父もそうでした。DNAが遺伝しないか、心配です。今度、大腸ガンの検査があるので、受けます。以前だと、絶対受けません、病気で、性格が変わりました。よい方向に、変わっているので、よしとします。明日は、女房と、スーパーに、万歩計をつけて、どれくらい、歩いているか、調べます。一度病気をすると、どうしても、気弱になりますが、気合いをいれて、健康に暮らせるように、するのが、女房孝行と思い、気を取り直します。
2006.07.11

今朝。ひさしぶりにこむらがえりをおこした、数日前から、右足が、つかれているのは感じていたが、マッサージにもいかず、ほっておいたのが原因です、左手が動かないで困るのは、こんな時両手で、マッサージができない、他には、かゆいところがかけない、孫の手は、必需品、入院の時から、3年、手放すことができない。他は、ドリンクのキャップが回せない、シャツのそでが通しにくい、色々不便です。ふくらはぎの筋肉がぴーんと突っ張って、飛び上がるくらい痛いこむらがえり。あまりの苦痛に動けなくなった経験を持っている方もおられると思います。こむらがえりは、一般に普段使っていないふくらはぎの筋肉の運動神経が何かの拍子に急激に高ぶるためにおきる現象で、運動を長時間続けて疲れていたり体力が落ちていたりするとき、あるいは運動不足のときなどにおこりやすいようです。 こむらがえりを起こしたときは、1.足の力を抜いて、片手で痙攣している足の膝を押さえる。 2.もう一方の手で足の5本指全部を上体に向かってゆっくり曲げます。3.ふくらはぎの筋がジワッと伸びていることを確認します。 以上のようにおこなえば、ふくらはぎの痙攣は比較的早くおさまるはずです。 また筋肉が緊張しやすくて、こむらがえりを頻繁におこしやすい人には、ツボ刺激が効果的です。
2006.07.10

会社時代、初めて海外に、いきました。サンフランシスコ、金門橋湿度0で、快適でした,最近4月に、医療制度の改革がありました。、改革といっても、患者の負担を増やしているだけの、悪法です。、噂ですが、病院の、送迎制度が、経費の関連で、8月に無くなる話があります。そうなると、病院の患者も半減します。リハビリも、8月で、3年になります。ちょうどいい区切りかと思い、一時、休憩しようと思っています。ブログも、訳のわからぬことを、書き続けましたが、8月を、区切りにしたいと思っています。今日は、内科の、検査結果を聞きにいきました。懸念の糖尿は、正常の方向に、中性脂肪も、正常に戻っていました。肝機能のγGTPは138 通常は、90前後なので、いいそうですが、若干高めです。以前肝炎の時に2450の驚異的数値まで、あがったので、その為に、高いのだろうと、しかし、問題はないとの話でした。ヘモグロビン、血しょう板数は、正常、酒をやめると、すべてが、いい方向に進んだように思います。ここまで、頑張ってきたので、更に、摂生して、女房を、安心させてやりたいと思います。、リハビリも、やり方を見直します。
2006.07.05

写真はパクリです最近は、きれいな空に、めぐりあわないのでえらそうに、7月1日から、禁煙すると、宣言したんですが、どこふく風か、1日になっても、禁煙の時間は、10分もありませんでした。普通は、3時間5時間くらい、禁煙して、やっぱり、ダメだったとなるんですが、そんな様子は、全然なし、我ながら、情けないと、思います。おそらく、ある日突然、訳もなく、やめると思います。今から、ニコチンの毒を体から出す努力をしていきたいと思います。禁煙の道もこの1本をがまんすることの積み重ねです。またついこの1本でもシンデレラのかぼちゃの馬車のようにたちまちに元の喫煙者に戻ってしまいますね。恐いですね皆さん。煙も一日では達成出来ません日々の積み重ねが重要かと思います。ローマは一日にして成らず、一日止めてもまだまだ禁煙とは言えません。実績あるのみ、我慢我慢 (本人はあまり、我慢する気がないから、始末が悪い)煙ガムにはニコチンが含まれていて、ニコチンの禁断症状を緩和します いわゆるニコチン置換療法というのはニコチンガムやニコチンパッチを利用してある程度ニコチンの血中濃度を維持することにより、禁断症状を緩和して禁煙を容易にするものです。もちろんニコチン自体は劇薬ですが、タバコに含まれる有害成分はニコチンだけではありません。@禁煙ガムはおかしのガムのようにはおいしくありません ニコチンガムはおかしのガムのようには味がありません。おいしくもなくニコチンによる多少ピリピリした刺激があります。口腔粘膜からニコチンが吸収されて、場合によっては吐き気がすることもありますが、タバコを吸いたい気持ちを緩和します。30分以上かけてゆっくりと咬んでください。禁煙をするには、普段からの意識付けがひつようかと思います。普段に、たばこをやめることを、脳に、教え込む一種の暗示です。途中で、挫折すると、気持ちがすっきりしないので、日時は、決めずに再挑戦します。リハビリの方は、目標に近く、無くなった腹筋も回復してきていて、今は、20回程度、8月には、50回を達成できそうです。杖は、家では、全然つかわないので、後は、出かけた時だけです。これには、女房の協力が、必須です。ころんだときに、助けてもらわないといけません脳梗塞、脳出血の回復には、家族の協力無くしてできません本人の、よくなってやるぞという強い意思も必要です。すべてにおいて、重要かと思います。病気をして、強く、感じることです。
2006.07.03

今日は、通院リハビリの日です、3ヶ月に、1回の、診断と、方向性を決める日です。病院側から、どのような、状態まで、なりたいか、個人的な目標を決めます。今回は、有りませんでした。続きは、あとになります。たばこの害については、以下です。タバコの煙はガス(気相)約92%と粒子(粒子相)約8%から成り立っています。タバコの煙を顕微鏡で見ると、直径が0.2から0.5ミクロン(1mmの1万分の2~5)程度の粒子が無数に集まっているという。この粒子の集まったものが、いわゆるヤニです。ヤニから水分とニコチンを除いたものをタールと呼びます。タールには数千種の化学物質が含まれていて、200種以上の有毒物質、40種以上の発がん物質が確認されています。有名なものとしては、ベンツピレン、ニトロソ化合物などがあります。この粒子は、タバコのフィルターや、分煙器で一部吸着されるが、気相は全く吸着されません。気相の中には、一酸化炭素、アンモニア、ホルムアルデヒドなどのおなじみの有毒物質のみならず、シアン化水素やダイオキシンなどの猛毒も含まれています。
2006.07.01

この、2.3日、悩み、迷いました。別に、これといった、理由もなく、話の流れから、禁煙をすることに、なってしまいました。時代の流れですかね、たばこすう人は、税金で、貢献していると思いますが、ニコチン中毒について、研究してみて、参考に、禁煙をしてみます。しかし、今回ほど、自信のないことは、有りません、信念が、ないからです。ちなみに、今は、一日に、30~40本です。今回、値上げに対する、ささやかな、抵抗もしてみたい、気もします。禁煙は、よほどの強い、意志がないと、一人では、できないと思い、あちら、こちらに、禁煙宣言したら、女房に、どこにでも、いわれんと、釘を指されました。やめると、思っていないのかもしれません、今回は、私もどこか、うわの空みたいな気がします。でも、言い出した事は、実行しないと、いけません、7月1日より、禁煙にはいります。明日より、リハビリ、禁煙日記にかわります。タバコとお金 TOP いったい、タバコにはいくらくらいお金がかかるのでしょうか?1日1箱吸うと、年間約10万円がタバコ代です。40年吸えば、それだけで400万円か。日本はタバコが非常に安いのでこれくらいで済みます。イギリスでは、1箱4.5ポンドだから約800円。年間30万円で、40年では1200万円!イギリスの成人の喫煙率は20%以下というのもうなずけますね。しかし日本人も400万円で済むはずがありません。衣服を焦がして余分に服飾費が要る、カーテンがヤニで汚れて余分に住居費が要る、運が悪いと寝タバコで自宅を全焼して2000万円かかる、子供が喘息になって医療費がかかる、自分も50歳で狭心症になってしょっちゅう病院にかかる、生命保険も割高(?)・・・。結局平均すると 一生に1000万円くらいかかると言われています。 このように個人の財布をはたいて、『それでも税金を払っているんだから、文句いうな』という捨て台詞をはく愛煙家がいます。しかしこれも怪しいのです。確かにタバコによる税収入は年間約2兆円で、それに加えて約8千億円のプラスの経済効果があるといわれています。しかしタバコのせいでお金がかかることも多いのです。山火事を始め多くの火災がタバコの不始末で起きています。吸い殻の清掃には多大な労力が費やされています。そして、上でも書いたタバコ関連疾患の医療費。これらのマイナスを合わせると、年間5兆6千億円と試算されています。やはりタバコは個人のみならず公共のお金も無駄遣いしているというのが正しいようです。 明日は、ニコチン依存、アルコール依存について、みてみます。明日は、リハビリです、みんなに、たばこやめたといわれそうです。たばこは、動脈硬化のもと、心筋梗塞の原因になるそうです、一度、脳の血管がさけているので、別に何も思わないのがいけないのかもしれません
2006.06.30

先週は事情があり、リハビリを2回、やめました。今日久しぶりにいくと、はや、筋肉が、堅くなっていました。めんどうくさいと思い、休むのは厳禁です。家に、帰ると、ためしてがってんで、脳卒中の特集をしていました。興味が有るので、見ていたら、ぎもんが溶けました。脳梗塞、脳出血、くも膜下出血をくるめて、脳卒中と呼ぶそうです。脳の病気が、ふえて、名称が、ふえているんですね脳卒中の、おおよそ10%の患者さんが、くも膜下出血を発症します。毎年10万人あたり10人強の方がくも膜下出血になる勘定です(外傷性くも膜下出血は除く)。くも膜下出血の原因は、若年者に多い脳動静脈奇形、頭部外傷等ほかにもありますが、ここでは一番怖くてもっとも頻度の高い脳動脈瘤破裂によるくも膜下出血を取り上げます。脳動脈瘤破裂の好発年齢は他の脳卒中より若く、50代が最多年齢層となっています。そして、くも膜下出血の原因の85%前後が脳動脈瘤破裂によるもので、さらにその約1/3の方が死亡するという現在でも最も怖い病気の1つです。くも膜下出血症例は微増傾向にありますが、2001年の厚生労働省の指標では死亡率は緩やかに低下しています。 脳出血とは、脳の中の細い血管が破れて出血し、神経細胞が死んでしまうタイプ。高血圧や、年をとって脳の血管が弱くなり、血管が破れることが原因となる場合が多い。日中、活動しているときに、頭痛やめまい、半身マヒ、意識障害などが起こる。脳卒中死亡の約25%。昔、脳出血が多かったのは、高血圧の治療がよくできなくてひどい高血圧の人が多く、栄養が不良で血管が弱くて破れやすかったからだね。今は高脂血症や糖尿病などが増えたために、血管が詰まる脳梗塞が起こりやすい。美濃田の淵、吉野川中流
2006.06.28
今だにわからない、カテゴリーと、タイトルの違い、最近は、カテゴリーというか、テーマになるのか、アルコール依存について、ログしましたが、実体験のほうが、説得力があると、思い私の、あきれた、酒遍歴を、ブログに書きます。今日に、至ったのは、すべて、酒が原因かと、そもそも、初めて、酒というより、ビールですが、12歳の誕生日に、死んだ、親父が、冗談半分にのませてくれたのが始まりでした。その時の感想は、気持ちがいいでした。しかし、それが、間違いの始まりでした。親父も、無類の酒好きで、家には、いつも酒がありました。中学生になると、酒の盗みのみを覚えました。当時は、サントリーレッドという、安物のウイスキーがいつも、おいてありました。それを、家族のいないときに、飲む訳です。すぐに、飲まないと、見つかるので、グラスに一杯、ストレートで、一気に飲んでいました。すぐに、水を、ガブのみします。そして、しばらく酔いの余韻に浸っていました。そのころから、酒に強い体質がつくられた気がします。その後は、ばれないように、ウイスキーの中に、水を、たして、元に、もどしていました。子供だったんですね原点は、そこにあるような気がします。お陰で、リハビリ生活になりました。もし、このブログを見られる方がいたら、酒は、そこそこで、やめておきましょう我が身のためです。
2006.06.26

今日は、アルコール依存について、そもそも、今日の状況に、なったのは、酒が原因です。しらないうちに、アルコール依存症になっていました。どれくらい、飲んでいたかというと、朝の9時から、昼の1時までに、焼酎を、1800ミリリットル、夕方4時までに、さらに、1本、飲み足らず、5時から、繁華街に、飲みにでて、量はわかりません、翌朝の5時まで、飲みます。この時点では、のんでも、酔わない、状態が続いていました。まさに、依存の典型です。アルコール依存とは理学の立場からは中毒とは,毒物または薬物を生体の受容能力を越えて過大量摂取されておこる全身障害とされている。 中毒は急性中毒と慢性中毒に区別され,その障害の現われ方や症状も当然のことながらちがっている。 中毒には自分で求めた結果としておこるものと,全く本人の意志に反して予期せずおこるものとがある。コール依存も自分で求めながら,まさか自分が依存症になるとは予想していない点ではフグ中毒に似ているように思われる。はじめての飲酒(初期体験)によって、アルコールの作用はさまざまであり,好ましい味覚と快感が得られた場合(報酬効果),嫌悪すべきものとしての効果であった場合(罰効果),そのどららでもなかった場合い(中性効果)とに区分される。一般に前者は明るい陽気な酒飲みであるが後者は現在の苦痛や苦悩が解消されない限り,連続的,反復飲酒になりやすい危険性をはらんでいるといえる。 そこで,連続的な飲酒がひきおこすであろう種々の障害を認め予測しながら飲酒欲求を抑制し,反復飲酒を自制する能力が問題となる。アルコール依存が形成されると,もはや自力では抑制し難い飲酒欲求と強迫的飲酒がくり返されることになる。 飲酒量を減少したり,断酒することの努力は精神的,身体的に耐え難い苦痛をひき起す結果となる。 そのために,さらに飲酒量の増加をまねくことになり,大量のアルコールに依存せねばならない状態に陥る。 諸々の状況から、高血圧を引き起こし、高血圧性、脳出血を引きおこしたと、考えられる。病気で、体が不自由になり、酒を断つことができましたが、なければ、酒で、命を、なくしたと、今なら、推測できる。依存症は、気がつかない場合が多いので、チェックを進めます。リハビリとは、関係ないですが、リハビリの元について、考えました。今は、たばこもすいますが、6月で、やめます。 、
2006.06.25

ひさしぶりに、しまったと思った日でした。今日は、病院に、リハビリに行く日でしたが、いつもなら、7時に起きて、準備するのですが、何を思ったのか、8時すぎても目が覚めず、病院の。お迎えがくるまで、寝てしまいました。急いだので、はじめて、足に装具もつけず、裸足で、玄関まで、いきました。以前だと、とてもいけません、普段の、歩行訓練が身を結んで、来ています。歩行訓練は、やっていても、目に見える、成果はでませんが、見えないところで、改善していると思いました。継続は力なり、あきらめずに、続けることだと、思いました。病気は、完治のメドは見えなくても、完治のために、治療の継続が必要と思います。私も、リハビリは、続けますが、走ることは、あきらめています。子供でないですが、もう一度。走りまわってみたい、気がします。昨日から、アルコール依存症について考えています。今日、身体障害者になってしまった。原因は、飲酒がすべてです。該当する方も多いと思います。酒による失敗談も、思いだします。しかし、一番の失敗は、現在の状態です。アルコール依存症の定義は、日本の国は、妙に、やさしくなりました。言葉でごまかそうとしています。身体障害者、子供の時は、かたわといわれていました。ルコール依存も自分で求めながら,まさか自分が依存症になるとは予想していない点ではフグ中毒に似ているように思われる。はじめての飲酒(初期体験)によって、アルコールの作用はさまざまであり,好ましい味覚と快感が得られた場合(報酬効果),嫌悪すべきものとしての効果であった場合(罰効果),そのどららでもなかった場合い(中性効果)とに区分される。一般に前者は明るい陽気な酒飲みであるが後者は現在の苦痛や苦悩が解消されない限り,連続的,反復飲酒になりやすい危険性をはらんでいるといえる。 そこで,連続的な飲酒がひきおこすであろう種々の障害を認め予測しながら飲酒欲求を抑制し,反復飲酒を自制する能力が問題となる。アル中の定義、
2006.06.24

今日のできごとでなく、昨日の出来事です。リハビリ通院も休みなので、女房と、近所の、大きなスーパーに、いきました。今は、2キロを歩けるようになることが、目標です。2キロを、難なく、歩くことができれば、杖なし歩行ができると自分なりの考えです。昨日は、何故か、とんこつラーメンがたべたくて、フードコートにいきましたが、女房が、大変、不機嫌で帰ってきました。理由は、店員の接客が悪いのひとことでした。そして、2度とあの店にはいかんでした。自分が、客商売をしているので、許せんのかな、と思いながら帰りました。昨日はそれが原因ではないのですが、ブログに、アフイリエイトの広告のペースト作業を朝までやり、徹夜でした。その為、3時まで、昼寝でした。そんな中で、このようなことになったかを、考えると、やはり、アルコールが原因でした。そこでブログのテーマを変えることを思いつきました。テーマは、アルコール依存症。(克服)で、やろうかと思います。種なしのし梅
2006.06.23

今日は、病院のリハビリの日でしたが、さぼちゃいました。病院のリハビリの内容は、時間は、20分、まず、動かぬひだり腕のストレッチ、左足のストレッチ、ほとんどが、柔軟運動です。パターンが決まっているので、変化はありません後は、口の、柔軟体操、若い、職員と、よけいな、しゃべりをするだけです。本当のリハビリはすこしでも、歩くことですが、待ち時間の間に、歩く人はいません、私もおなじです。病院のリハビリを休むのは、今年は2回目です、1回は葬儀が理由です。ほとんど、皆勤です。今日は女房が、休みなので、例のごとく、スーパーにいきました。現在の目標は、2キロを歩くことですが、距離がわかりませんでしたが、家に帰ると、バテバテ、でしたので、相当歩けたと思います。普段は、1本杖をつかいますが、8月には、杖をつかわないで歩けるようになる、目標があるので、歩ける距離を少しでも、のばしたいので、本来杖は、ロフストランドスクラッチという、肘まではいる、頑丈なのを使いますが、私の場合は、腕力があるので、たよりない、1本杖で、ことが足ります。それのためか、歩くのに、杖を頼らず、麻痺した、左足に、負荷がかかり、足の力が強くなり、杖をつかないでも、なんとか、歩けるようになりました。あとは、持久力と距離です。ころんでも、自力で起きる訓練は、してきたので、なんとかなります。明日も、女房は休みなので、頑張ってスーパーに、歩きにいきます。
2006.06.21

パソコンのばかやろうです。昨日の夜は、パソコンの、調子が、悪くなり、結局、気がつくと、外は、明るくなっていました。久しぶりの夜更かしです。原因は、ウインドウズの自動更新で、悪意のある、ソフトの、スキャンの実行がでて、スキャンすること、1時間あまり、スキャンファイル、298455、警告ファイル、15で自動削除まではよかったんですが、今、ウイルスソフト、アンインストールしていたので、急遽、ノートンソフトの、再インストールを実行、これが、まずい、エラー表示、ノートンの指示に従い、削除ツールをダウンロードして実行すると、正常に、作動せず、再起動を繰り返すこと、1時間半らちもなく、繰り返し、時間は、朝の4時、このままでは、起動しないと思い、ソフトを削除して、何とか、起動したのが、6時過ぎ、お陰で、朝から、2時まで、昼寝することになりました。リハビリのため歩きもできませんが、こんな日もあっていいかと思いました。今日の出来事は、ひたすら、寝るでした。明日は、リハビリ、ゆっくり頑張るぞ、です。
2006.06.20

脳出血の発症が、2003年の9月でしたので、かれこれ3年が来ようとしています。リハビリも、3年を迎え、最近は、中だるみを感じるようになっていますが、色々と、アドバイスなどを頂き、もう一度、初心に戻り、やるぞという気になって来ています。考えたら、3年前に、医者に、見放されてから、今日まで、元気、一部を除いてですが、やっていることに、感謝をしないと、いけません、昨日も、テレビで、若年認知症の特集をしていて、直る見込みがないといっていました。それをおもえば、リハビリはある程度の回復のメドがあります。後は、自分自身の気持ちの持ち方一つです。治療も長いと、つかれてきます。根気よくつきあうのが、最善かと、思う今日の一日でした。今日は天気もよかったので、近所で、夕焼けをうつしましたが、どこが、夕焼けだの気分です。
2006.06.19

今日は、日曜日、リハビリは休みです。最近は、リハビリが必要なのか、疑問に思っていました。たいいんして、ある期間リハビリをすると、やめられるひとが多いとききます。私も、最近、よく思っていましたが、昨日ブログを書いて、コメントを頂きました。その中に、朝起きて、着替えて、病院に行くのも、リハビリと、コメントを頂きました。言われてみればそうだと納得しました。かんがえれば、思う以上の結果を求めすぎているなと、思いました。ゆっくり、のんびりと、リハビリにつきあおうと、反省した日でした。ブログもお陰で、100日を更新しました。病気の話でおもしろくないので、アクセスは少ないですが、今週には、5000をこえると思います。女房が後からはじめたんですが、私より、1500アクセス多いのが、不満ですが、アクセス頂いた方ありがとうございました。
2006.06.18
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