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詩人よ!愚か者の罵りや嘲笑を耳にするとも、わが志を、厳然と、そして平然と掲げよ!汝は王者。ただ一人、征け!自由の大道を、自在なる英知をもって進みゆけ!―プーシキン働きなさい!働きなさい!青年よ!これが一番、大切なことである。―プーシキン誠実な魂には動揺がない。―ゴーリキー知らないということは、発展しない、前進しないというに等しい。―ゴーリキー真の賢者は、つねに喜々としている。―トルストイ:悪意に満ちた邪義・言論を鋭く断ち切り、正義を護る力を!四恩に報いるための力を!そのために学ぼう!!
2008.03.31
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:Reading the Wisdom of the Lotus Sutra Vol.6(Sワイド文庫)小さい頃、Tarsha's papa & mama が買ってくれた仏教説話の漫画の中に、美しい妃(Pure Virtue)と2人の聡明な王子(Pure Storehouse and Pure Eye)が、王(Wonderful Adornment)を正しい道に導くという物語があった。妻と息子によって正しい道に目覚めた王は、Buddha にこう誓う。'From this day on I will no longer follow the whims of my own mind, nor will I give way to heretical views or to arrogance, anger, or other evil states of mind.'(The Lotus Sutra 27: The Former Deeds of King Wonderous Splender) 「我今日より、復自ら心行に随わず。邪見、驕慢、瞋恚、諸悪の心を生ぜじ」(「今日よりは二度と、自分の心の言いなりにはなりません。二度と邪見、驕慢、瞋り、諸悪の心を起こしません」):おぉ・・・すごいな!私もこう思えたら、自分の弱い心に負けないんだろうな。この説話は王の一家のお話だが、夫婦、親と子どものより良き関係を築くための知恵を得ることができる。My mentor の講義から、学ぶこと多々。自分の faith を深める。強くする。これが一切の根本です。・・・強盛な faith というのは、勇ましい格好のことではない。相手の立場を思いやれる境涯のことです。ちょっとした配慮のなかに、きらりと光るものだ。(p192):そうなのか・・・つい「勇ましい」方を想像してしまうけれど、違うんだ。これはすごく大事なことだ。一口に actual proof といい、human revolution と言っても、並大抵のことではない。faith をしている人は多くても、「本物の faith 」をしている人は少ない。生半可な、惰性の faith では、attaining the Buddhahood はできません。自分勝手な、わがままな Buddhist training などない。それでは「如説修行」ではなく「我説修行」だ。WNDの仰せのとおりに、「kofu 一筋に」faith し抜いてこそ宿命転換できる。(p203):むむむ、確かに・・・!「全部、自分が attaining Buddhahood in this lifetime するための勉強なんだ」と思えたら、すべては解決する。人のせいにする愚痴の心がある分だけ、宿命転換は遅れる。「自分の宿命だ。自分の人生だ。まず自分が人間革命していこう」と決めて、苦しくとも、悲しくとも、gohonzon に祈りきっていけば、必ず道は開ける。(p208):そうだ、どんなにうまくいかないことがあっても、きつくとも、そう捉えていけばいい。目標を達成するのに、きつくない道などあるだろうか?「幸福」の裏づけには「忍耐」が要るのです。忍耐のない幸福を夢見る人が多い。しかし、それは夢です。夢はどこまでいっても夢であり、おとぎの世界です。幼稚な、安易な人生です。・・・淡々と「一緒に建設しよう」という努力。「一緒に進んでいこう」という忍耐。それがあって、本当の愛情になっていくのです。本当の愛情は「永遠に一緒に生きたい」ということです。結婚して、二十五年たって、より以上に深い愛情をもてるのが、本当の結婚です。愛情は「深まる」ものです。深まらない愛情は、単なる「好き嫌い」の次元なのです。(p224):おぉ・・・本当の「愛情」とはそういうことなのですね!「永遠に一緒に生きたい」・・・how romantic and how wodnerful!「幸福」には「忍耐」がいるということ・・・本当に大事な点だ。けれど、私たちはそれを忘れることが多いんだな。途中でどんなことがあっても最後に幸せになるためには、風雪の日を忍耐することが大事なんだ。大学の方も学期末のテスト期間が終わり、キャンパスが少しずつ静かになってきた。留学生はすでにほとんど帰国。私のルームメイト2人も、とっくに帰った。彼女のお母さんが部屋まで来て色々と支度を手伝って、車で帰っていった。彼女たちはこれから、ヴァケーションだ。:いぃ・・・な・・・ターシャも、そう思うときだってある・・・Yes, I'm also missing my family...seeing that my roommate is together with her mother and enjoying a rather comfortable life...心の叫び:あぁ、日本のおいしい料理をたらふく食べたいよーコイヤン(地元のおいしいラーメン屋さん)とK温泉、行きたいよーはやくジャパンに帰りたいよーそこで思い出した my mentor の言葉・・・他人をうらやんで生きるのは爾前の生き方です。「自分はこれで行くんだ」と決めて生きるのが Lotus Sutra です。虚像ではなく、実像の自分で勝負していくのが faith です。それが Wonderlous Adornment の意義なのです。:マイペース、マイペース・・・such a loooong way, but also a happy path, isn't it? 自信を持って。感謝を忘れないで。うらやましいと思う気持ちさえ、他者への配慮に変えましょう。持たない人の痛みを知るなら。自分の道を見つめましょう。
2008.03.30
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藤村の『破戒』を、あと少しで読み終わる。ノートにまとめながら読み進めているので、やはり時間がかかる。来月中旬の一時帰国(予定)までに、論文で扱う9つすべての作品のノートまとめをできればいいのだが・・・果たしてできるか猪子蓮太郎が政敵によって暗殺され、その亡骸に丑松が頬を当てて泣くシーンでは、ちょっと涙が出そうになった。猪子の死によって、丑松は、「自らの素性の告白=社会からの放逐」を恐れず、新しい人生を歩む勇気を得る。この作品は、過去に数回読んでいる。けれど、その読みはなんと不注意でずさんだっただろうか、と今思う。学部時代のゼミ旅行で、藤村が教師として生活した、長野の小諸を訪れたことを思い出した。藤村記念館にも行った。そこには、藤村が作詞したという明治学院大学・校歌の歌詞もあって、その歌詞に感動したことも思い出した・・・ :今調べて、コピー&ペイストしました。人の世の若き生命(いのち)のあさぼらけ学院の鐘は響きてわれひとの胸うつところ白金の丘に根深く記念樹の立てるを見よや 緑葉は香ひあふれて青年(わかもの)の思ひを伝ふ心せよ学びの友よ新しき時代(ときよ)は待てりもろともに遠く望みておのがじし道を開かむ霄あらば霄を窮めむ壌(つち)あらば壌(つち)にも活きむ ああ行けたたかへ雄雄しかれ眼さめよ起てよ畏るるなかれ藤村は、日本文学の研究者たちからは嫌われているという。自分の姪との過失のせいだろうか?あるいはその推し量りがたい、打ち解けない性格のため? あるいは、自分の作品完成のために、家族に貧窮の思いをさせ、娘の死という犠牲を出したせい?:藤村の人生も波乱万丈だった。でも、彼は自殺しなかった。漱石も。死を選ぶ日本人作家が多い中で。ままならぬ現実の中で、己の業もしくは運命の重圧を感じながら、そこで「生き抜いた」という、彼らの姿勢が好きだ。
2008.03.28
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時間が経つのは早い。大事なのは、時間の「量」ではなくて「質」だけど、今の自分にとっては、勉強が仕事であり、my mission だ。つまり、戦い。一歩でも前へ。過ぎ行く時間を惜しんで。学部時代、やらなかったこと、やれなかったこと、そのすべて?とはいわなくとも、関連領域のすべてを今、やっている気がする。今になって・・・! でも、私の論文のテーマが全部、それにタッチするから、自然、見ていかないわけにはいかない。文学とは何か、勉強するとはどういうことか、学部時代は知らなかった・・・ でも、ずっと、何だろうと考えていた。けれど、分からなかった。勉強の仕方も分かっていなかった。当然、その内容は物足りなかった。今は、楽しい。苦しい時もあるけれど。時間の早さに比して、進むスピードはゆっくり・・・ だから、時間の「量」が必要だ。新しい視界が開ける時。これまで見えていなかった世界の「意味」と「連帯」が、新しく眼前に立ち上がってくる時。それは、純粋に楽しく喜ばしい瞬間だ。でも、今そのように楽しく思えるのは、自分の中で根本の意識が変わったからだといえる。つまり、学んで得た知識を、今と未来により良い変革をもたらすために使おうと決めたからだ。また、そのような貢献ができる自分に成長しようと願うから。そのためなら、自分の論や考えに対する批判も、痛さを乗り越えて受け入れよう。知識と生活(もしくは実践)を分離してはいけないと思う。私たちの生活とつながって、私たちをより良くするとき、つまり、価値を生み出すときが、真に知識が生きるときではないだろうか。ただし、そのつながりには、色々な形と濃度の幅があるから、一概にこれはそう、あれは違うとは言えない。数学なんか、特にそうですね。でもそれさえも、何百年も先になってこれが人類の役に立つかもしれないのだという貢献の意識、いや、確信が底にある。純粋に楽しさの追求のみでは、人間自身の向上はあるだろうか?フィリピンは本格的な夏が到来する。キッチンはまだしも、ハンガーにかけているジーンズやバスタオル、部屋のスペースを区切っている布、あらゆる場所に、アリが這い回りはじめた。きゃつらは、「大量」である。ジーンズをはくと、アリに咬まれる。もちろん、ジーンズの内側に隠れている。ただの小さなアリンコと侮るなかれ。痛いのだ。「すごく」、痛いのだ。しばらくすると、咬まれた部分が、ぷくーっと腫れ上がる。最後の抵抗に、思いっきり咬むに違いない。:あうちっ時々、勉強中のターシャの体の上にも這っている。今も足に違和感があるので触ったら、アリだった。そんなアリたちに耐えられなくて、Pretty ちゃんは来月、寮の別の部屋に移る。Kay も移る。私はここに残る。:あぁ、ねむい・・・ おやすみぽ。
2008.03.27
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午後4時過ぎ。島崎藤村の『破戒』から目を上げる。:ふぅっ・・・(伸び)一息入れようと、コーヒーを飲むためお湯を沸かしていると、ルームメイトの Kay が部屋の外で、寮のスタッフと話していた。部屋の外からは寮の庭が望めるが、そこに、果物の鳴っている木がある。Kay いわく、今、その木に、スターアップルがたわわに実っているそうだ。フィリピンには、スターアップルという果物がある。ビートルズの「リンゴスター」に名前が似てますねえ。ehehe! よく見ると確かに・・・緑色の球がいっぱい枝についている。Kay の願いを聞き届け、スタッフがビニール袋いっぱいにスターアップルを取ってきてくれた。私も少し分けてもらう。熟したものは柔らかく、緑のスキンにほんのりピンク色が混じっている。夕日で染まった空のような優しい色だ。:お店で買うのより、ずっと甘いのよ。:わぁい、ありがとう!手の爪でスターアップルの真ん中を縦に割る。白い果汁が出てくる。みかんの皮をむくのが下手なターシャであるが、これはいと易き。パカ! きれいに割れた。 見るからに美しくソフトな、半透明の白い実が現れる。:わぉっ!お店で買わなくてもこんなにきれいなんだ!と思ったその瞬間、実の中から、半透明色のグレーの芋虫がうにょっと出てきた。:~~~~~~~ (なんと叫んだか覚えていない)ひらきの魚ならぬ、ひらきのスターアップルを机の上におき、その場から run away・・・! Kay のいるキッチンへ。:どうしたの?:Oh noo! 虫!! 虫が(中に)!!ターシャはたいていの虫は平気である。しかし、ケムンパス(キュリー家の兄弟は毛虫のことをケムンパスと言う)の「あの」フォルムだけは、小さい頃から、生理的に無理なのだ。ケムンパス系とは、久方ぶりの遭遇である。「未知」との遭遇ならぬ、「蟲」との遭遇。・・・己の「無知」との遭遇は、それはもう、星の数ほど。ショックは大きかった。:あぁ、そうなのよ。それが、店で買わない種類のひとつの欠点ね。いとも自然に笑いながら言う Kay。:うぅぅぅ~・・・ (まだショック)とりあえず、ひらきのスターアップルを再び持つ。視界の端で、実の上にケムンパスが上に乗っているのを認める。その一瞬の間にも、the ケムンパスの新たな身体的特徴を発見。先端部分が半透明のピンク色だ。滑らかでぬれたようなスキンに、規則正しいブツブツが突起している。:うぅぅ・・・遅い昼食を食べるために料理中の Kay に悪いと思いながら、キッチンへ持っていく。:時々いるのよね。だから、虫のいるところだけ取り除いて食べればいいのよ。The ケムンパスは大きかった。約1.5センチはあった。スターアップルが直径6~7センチである。これを、取り除いて食べるのか?:・・・Kay, 全然、虫とか気にしないんだね。:気にするわ。でも、その部分だけ切って食べるのよ。ひらきのスターアップルを持ちながら、顔をそむけ、身をもだえて苦しむターシャを、笑いながら見つめる Kay。 何がそこまでと、不思議なようだ。:・・・・これ、どうしたらいい?:捨てればいいわ・・・どれ、ちょっと見せて。The ケムンパス。:うぉっ それ、大きすぎるわ! 私の知っているのは、こ~んなにちっさい奴だもの。お願いだから捨てて捨てて!!Kay もちょっとパニック。:ここ(2階)から庭に投げ捨てるの?部屋の廊下から、不安げに庭を見下ろすターシャ。:違う違う(笑)。あそこにゴミバケツがあるよ。ショックのあまり、そんなことも分からなかったようだ。あぁ、ショックであった。ブルル・・・Kay が自分の所から、別の食べごろのスターアップルをくれた。次のは大丈夫だった。:スプーンですくったとき、うごめくものがあったら、それが虫よ。小さいから気をつけて。:・・・・・・・・・未知との遭遇に恐怖しながら、一口、一口、口に運ぶターシャであった。:甘いものにはスリルがある。
2008.03.26
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「暴力」には、色々な形がある―肉体的、精神的、言葉、無視、無理解。すべてに共通するのは、それが人を傷つけ、侮辱し、苦しめることだ。暴力は、その場だけでは終わらない。「記憶」となってその人を苦しめ続ける。人の痛みが分からないことほど、「人間」として致命的なことはない。命の魔性を、暴力を、私は「絶対に」許さない。相手の、そしておのれの魔性に食い破られないためには、呑み込まれないためには、この魔性と戦うしかない。愚か者が「死ぬほど」後悔するような厳然たる結果を出してみせる。Halimyak にあらゆる暴力をふるう数名の輩に。:いつまでもそのままでいれると思うなよ。正義は勝たなければいけない。絶対に。
2008.03.25
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最近、野菜の摂取が少かったので、今日の夕飯では、野菜をたくさん入れたうどんを食した。キャベツ1/4、小玉ねぎ2個、小トマト2個。:うぅ~ 食べ過ぎたぁ・・・今日は、ターシャの同期で友人の Maria が、論文の口頭試問を受ける日だった。応援しに行った。しかし残念なことに、第3者が見れるのは、博士課程の学生のディフェンスだけだそうだ。Maria は修士なので、彼女のディフェンスを見ることはできず、部屋の外で待つことになった。20分ほどで終わった。さて、フィリピンには、人が集まれば食べるという文化的習慣がある。口頭試問も例外ではない。Maria はなんと、サンドイッチにケーキまで用意していた。Mariaは、恥ずかしがるターシャの手をひっぱり、5人の教授たちがいる会議室へ連れて行く。:これじゃまるで、食べ物狙いで来たみたいじゃないか・・・!(汗) なんて図々しい外国人だと思われちゃうよそこには、ma'am Serene も Dr. Wind もいらっしゃり、ma'am Serene が他の教授にターシャを紹介して下さった。皆さん、まったく自然に笑顔で迎えて下さり、有難かった。Maria の食事配分を、いそいそと手伝う。皆さん、フィリピノ語と英語を交えて会話&爆笑。話題は、来年か再来年にUPで行なわれる文学部の国際会議と、フィリピンの有名なボクサーであるマニー・パッキアオ。:国際会議かぁ、すごいなあ。もしも私がこういう立場にあったら、どこには誰がいて、とか、これまでここにはこういう問題があったとか、スポンサーがどうの、とか、そういう話、できるんだろうか?(・・・無理)サンドイッチもケーキもおいしかった。Maria を迎えに来ていたお母様の車で、寮まで送っていただいた。優しく気さくなお母様だった。ターシャは今日新しい靴を履いていたせいで、足がとても痛かったので有難かった。Maria は、少々の修正をした後に、PartII のディフェンスがあるらしい・・・ でも、合格まですぐそこだ。Ma'am Serene に、私の第1章のディフェンスについて聞いたところ、"too much load" のために、4月の第1週は難しいとのこと。第2週ではどうかと言われた。4月は卒業の時期。Maria のように、1人が100~200ページの論文を書いてくる。そういうのを、何人分も見なくてはならない。先生方が「超」忙しいのは分かる。帰国が遅れるけれど、それでもいい。それまでにできることがある。同じ通る道なら、深刻な顔をしてため息をついて、胃腸を弱くしながら1日1日を悲観的に生きるより、明るく生きるんだ。今、こうやって学べることそれ自体が幸せなのだから。そして、うんと実力をつけるんだ。そうだ、私はこの道を通ることを知っている。人は、決意したその瞬間から、常に新しく出発できることも。この予測不能の道で出来るのは、いつも祈りながら、うんと実力をつけることだけ。どこにいても。何が起こっても。学びの扉を開き続けることはできる。:楽しみましょう。マイライフ。一歩、一歩。
2008.03.24
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HalimもTarshaもPagasaも、精神的にきついこの2週間だった。体力的にも・・・ Talinoからはなんの連絡も来てないが、彼女も仕事と地元のactivityで葛藤しているだろう。この2~3日間、勉強を中断して休憩した。これ以上続けると、気持ちが「ぷっつん」しそうだと感じた。そのまま自分をプッシュし続けていい時と、続けずに思い切って休んだほうがいい時がある。:戦い続けるために、自分で自分を壊さないために、休むときは休む。休息も価値あること。昨日は友達と、近くの私立大学のプールに行って、ひたすら泳ぎまくった。あぁ!Halimyak が大変だ。人には、限度がある。困難が、本人の成長を期する脱皮の機会となる時もあれば、あまりの圧力のために、脱皮できずに窒息死させてしまう時だってあるのだ。今、Halim が面している困難は後者の方だ。Halim はこのバショ、過去最低の成績だった。取組前から、あまりに疲弊していた。いや、疲弊「させられた」のだ。Tarsha's papa いわく。:スモウ界は想像以上に畜生界の世界なんだよ。その中で染まらないことはいかに大変なことかを痛感しているんだ。詳しいことは、まだ papa からの返信待ち。。。 ただひとつ言えること。:アホはどこまでいってもアホだ。学習する動物以下だ。世の中には、そういう畜生以下の人間がいる。そういう奴に、絶対に負けてなるもんか!!!!!
2008.03.23
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これは昨日、18日の日記です。At the office of the Department of English and Comparative Literature:Ma’am Brilliant は今、そちらの部屋で会議中だよ。:あぁ、そうですか。部屋のドアの窓をちらっとのぞいた。:!!!!目に入ったのは・・・ターシャが心から尊敬し、憧れてやまぬ Ma’am Artemis だった!書類を手に、真剣なまなざしで討議されていた。ほぼ1年ぶり? 博士論文執筆のため今はほとんど別の州にいると、最後に連絡を取り合ったときには聞いていた。一時帰国からフィリピンに戻ってきてから、ma'am の携帯にメールを送ったが、返信はなかった。Ma’am はその輝くばかりの知性に加えて、困っている人に手を差し伸べる、たぐいまれな優しさ・親切さを持ち合わせているゆえに、時として、頼りすぎる学生がいる。そしてその美しさゆえ、ma'am に近づこうとするmale も多いに違いない。知らない間に、ma'am の携帯番号が知れ渡り、ma'am を困らせる輩がこれまでもいたのだ。そのため過去に数度、番号を変えられていた。:もしかしたら、またMa'am を harass する奴がいて、番号、変えちゃったのかも・・・もし違うとしても、論文執筆で大変に違いない・・・ 本当はすごく、すごく会いたかった。それに論文や色々なことを相談したかったけれど、ma'am の邪魔になることを恐れ、我慢していた。Ma'am のメールアドレスも知っていたけれど、連絡は控えていた。ma'am のためにおみやげで買ってきた日本のようかんがあった。賞味期限はまだ数ヶ月先だったので安心していたけれど、それからも携帯はつながらず、ようかんは賞味期限が切れる数日前に、わが後輩の口に入ることになった。(苦笑)ドアの窓から、一瞬で Ma'am Artemis の姿を認めた。驚きと喜びですぐその場を離れたけれど、もう、「超」うれしかった!!!会議がおわり、ma'am Brilliant と連れ立って、ma'am Artemis が出てこられた。:Ooohhh~! Tarsha!! Haaaaai!!:Ma'aaaaaam...!!めっちゃ、嬉しい。心には喜びしかない。嬉しすぎて、笑いまくるターシャ。Ma’am Artemis は30代後半。さらにさらに美しくなっていた。髪も、うっすら上品な茶色に染められていて、それがとてもよく似合っていて素敵だった。とてもとても若くて、実際の年齢には見えない。:Ma'am Joe と話したときにね、ターシャがまだあの寮にいるって聞いて、「おぉ~、ターシャ!!いつか会いに行かなきゃ!」と思ってたの。携帯が変わったのは、なんと、アメリカに行っていたからだそうだ。:近いうちに、コーヒーでも飲みながらゆっくり話しましょう!もうそう言っていただけるだけで、私は嬉しくて幸せでたまらない。これまでも何度か ma'am がUP内の一番良いレストランで昼食やケーキをご馳走してくださり、そこで勉強や生活のこと、日本やフィリピンのこと、恋愛についても語り合った。私を励ましてくださった。本当に、なんて有難い、素晴らしい先生だろう。Ma'am と話すのは本当に楽しい、幸せな時間だ。:ええ、ぜひお願いします!:私のピジョンホールに、あなたの番号とメールアドレスを書いて入れておいてね。来週にはまたここに戻ってくるから。:Ma'am、体に気をつけてくださいね。また細くなってしまって・・・!:ターシャこそ!You take care. いつも溌剌としていて、思いやりにあふれていて、なんて素敵なんだろう!まるで光を発する太陽のようだ。(名前は月ですが) Ma'am と会っただけで、もう幸せいっぱい、元気いっぱいである。Ma'am Brilliant から、寮滞在の継続申請手続きに必要な書類(論文執筆状況のレター)もいただき、心晴れ晴れと寮へ歩いて帰ってきた。Ma'am Brilliant も超ご多忙の中、すぐに準備して下さった。必要な書類一枚をもらうことなど、日本では大したことじゃないかもしれない。そんなの易々とすぐやってくれることが当たり前のサービスだろう。でも、ここではそうではない。だから、相手の立場にたって行動する「優しさ」がどんなに有難いことか、心に染みる。Ma'am Artemis は、最初からそういう方だった。時刻は午後5時半頃だろうか。でも、ずいぶん日が長くなった。最近、夕暮れが好きだ。昼と夜の短い、不思議な時間。暑い盛りを過ぎて、空気も色も優しくなり、ほっとする。:今日、世界史を復習し終わる。もちろん、論文執筆のため・・・Pagasa は静岡で、無事、人生初の学会発表が終わったそうだ。おめでとう! そしてお疲れ様。Halim はなんと、この間の試合で、今度は肩を亜脱臼してしまったらしい! 針治療とテーピングをしながら、試合に臨んでいるそうだ。不利な状況の中で、気持ちを切らさずに戦い続けることが、精神的にどれほどきついことか・・・少しは分かるよ。その若さで、わが弟ながら本当に偉いと思う。これ以上怪我がないよう、そして勝ち越せるよう、猛烈に祈ろう。
2008.03.19
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チベットのことを思うと、心が痛む。祈らずにはいられない。ここから見える同じ月を、向こうの人たちも、見上げているかもしれない。どんな身で・・・その人たちの上に注いでいるかもしれない月の光にも、祈りを送らずにはいられない。自分に何ができるのだろう? でも、チベットで起きている暴力は、そこだけで起きているわけではない。フィリピンでも起きている。日本でも起きている。ほかの国でも。場所をかえ、姿をかえて。隠れて―! 思えば、問題は山積しているのだ。暴力の克服・・・「暴力」とは、何だろう? それが言葉であれ、行為であれ、思いであれ、その根本に、「命」の尊厳の否定があれば、それは暴力に通じるのか。否定は、その「ありのままの存在」を「消す」ことにつながる。それが、排斥・排除であれ、同化であれ、抹殺であれ。そして、否定が伴う、憎しみ、怒り。どんなに学問や技術が発達しても、戦争や差別は絶え間なく起こってきた。それが、国家間であれ、小さな人間の集団の中であれ。私たちの日常生活にも、暴力は起こり得る。人間の心の中にある暴力の克服が、一番必要なのだと思う。どうしたら、それが可能か?私が今、エネルギーを注いでいる勉学の取り組みも、その問題意識と解決の探求につながるものでありたい。「平和」の中身とは、いったい何だろう? それは静止した真空状態の絵では決してない。私たちの心のなかに、その因があるのだから。むしろ、心の中にある、絶え間ない暴力との戦いなのではないか。疲れたなどと、言っていられない。
2008.03.17
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ほんとうは気持ちが "depressed" になった、この1週間、とりわけこの土日だった。祈るのも、きつかった。勉強に向かえるけれど、とてもスピードが遅かった。そして、すぐ「いっぱい」になった。でも、休んだらいけない気がする。知らないことがたくさん、次から次へと出てくるから。とても追いつけない、足りない。・・・私は、焦っているのか?友達が懐かしくなって、保存してある写真を見た。ターシャの優秀な、素晴らしい友達。1年前の、社会学の David 先生の授業。学期末最後のテストが終わった日に撮った。みんな、おのれの道で、必死に頑張っているんだよね。あぁ、そうだ、私は、自分のことだけではなくて、みんなの勝利を祈ろう。そして健康を。せめて、祈りだけでも送るのだ。会えない友のために。
2008.03.16
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その教授― Dr.Wind と呼びましょう―の授業が終わるまでには時間があった。一度、同じ棟の1階にある文学部用の図書館に入り、そこでリーディングを進めて待つことにした。万が一、Dr. Wind の授業が早く終わったときのことを考え、20分前には例の教室へ再び。廊下の床にしゃがみ、メモを取り出す。Ma'am Serene を待っていた時に書き出した自分の論文のポイントを眺めながら、授業が終わるのを待つ。:あぁ、緊張する・・・本当に、何の面識もないのに、いきなり論文のパネリストになってほしいなんて、相手はどう思うんだろう? 確実に負担になるだろうし・・・一度も会ったことないのに! Ma'am Serene のときは、向こうも私のことを知っていたから良かったけれど、今回は・・・こんなに毎度、緊張していたら、身が持たないよ・・・。廊下の窓の外を見る。私の緊張とはまったく関係のない景色、自然光・・・いや、先生も人間だ・・・誠実に、率直にお話しよう。:(心の中で、chant・・・)20分ほど経ったのだろうか・・・ ふと別の方に視線を動かすと、なんと、1時間ほど前にこの目で認めた、見覚えのある風情のある人が、廊下の先を歩いていた。:Ooops Dr. Wind だよ! いつの間に授業、終わったの? 行かないでえ!緊張も何も忘れて急いで立ち上がり、あわてて教授の後を追うと、なぜか向きを変えて、こちらに戻ってこられた。:すみません。Dr. Wind でいらっしゃいますか?:Yes. 先生のまなざしは最初の印象とうってかわって、穏やかだった。:Tarsha Curie といいます。ここの比較文学の修士の学生です。現在、Ma'am Serene のもとで論文を書いているのですが、先生に、私の論文の reader になっていただきたいんです。:あぁ、なるほど。あなたの論文のエリアはどこですか?:日本文学について書いているのですが・・・:あぁ、いいですよ。:(おぉ・・・!) ありがとうございます!:ディフェンスはいつあるの?:あ、実は、つい最近、指導教官を変えまして、thesis proposal defense もまだなんです。でもできれば、来月の第1週中に行ないたいと思っています。:分かりました。Eメールで第1章を送ってもらえますか?お互いのメールアドレスと携帯番号を交換。ターシャの名前を見て、:あぁ、あなたは foreign student なのですね。と言われた。はて、ターシャをフィリピン人と思っていたのだろうか最後にまたお礼を言ってその場を去った。・・・足取りは軽かった。心も。:決まった。良かった・・・ 最初の、ちら見の印象と打ってかわって、優しそうな先生だった―声も、雰囲気も、目も。まるで風のような・・・ だから、Dr. Wind. なんだか、Mr. Genius に似ているものを感じた。これでやっと、最初のディフェンスに必要な教授を、そろえることができた。ウェン先生から教官変更の提案があったのが月曜日。もう1週間、経ったのか・・・一つ一つを決め、道を開いていくのに、祈りと忍耐と勇気が必要だ。あとは、Ma'am Serene からのコメントを待つ間、私にできることを進めよう。そして、できれば本論の下書きも進めてしまおう。:ターシャを助けて下さる、この素晴らしい先生方に、daimoku を送りましょう。
2008.03.15
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前日の教訓を生かして、このまったく初めての先生にお会いすることを確実にするため、先生が授業を行っている教室の外で待つことにした。教室のある文学部棟へ向かう途中、2人の友人に次々に再会。1人は、博士課程をとっている Jojit。彼女は7月にロシアで行われる言語学の会議に出席できることになったという。:ロ、ロシア??:そうなの!ロシアなんて初めてだから、とってもエクサイティングしてるの。:すご~い! おめでとう UPからあなた一人だけ?:うん。全員が応募するわけじゃないからね。・・・授業で提出したペーパーがたくさんあるでしょ? その要約を、関係する会議の連絡先に送ればいいのよ。:そうなんだ。(初めて知った・・・汗) 私、一度もそういう会議に出たことなくて・・・:連絡先を教えて。もしあなたに関連する分野の会議を見つけたら、連絡するわ。それから、ターシャがすでに言語試験をパスし、しかもフィリピノ語で受けたことを話すと、大感激していた。:Oohh, marunong ka na bang managalog?(まあ、もうフィリピノ語で話すことを知ってるの?) :Oo, kaunti lang.(うん、少しだけ) フィリピノ語で応答するターシャに「超」喜ぶ Jojit. もう、だいぶ忘れちゃったけどね・・・もう1人も、博士課程の友人、Duke。すでに授業をもっている彼と、文学部棟の中で出会う。ターシャより2歳ほどしか年齢は変わらない。彼は、いや、彼「こそ」、マルクス主義者である。毛沢東をとても尊敬している。すらりとした細身で、カーリーヘアーに口ひげを生やし、一見、フィリピン人というよりは、インド人に見える。専門はアジア文学、特に、中国文学に造詣が深く、中国語もできる。Ma'am Serene が、口頭試問のパネリストの候補者に、彼の名前をあげていた。:元気にしてる?論文のほうはどう?:実はつい最近、指導教官を変えたの。ウェン先生だったんだけど、忙しすぎて見る暇がないので、Ma'am Serene に新しくお願いしたんだ。:あぁ、その方が良いだろうね。Ma'am Serene はとても良い先生だよ。面倒もよく見てくれるし。:・・・Duke, あなたの専門ってアジア文学だよね。日本文学もカバーしてるかな?:うん。でも、何の?:私の論文だよ・・・!まだ最終決定ではないのだけど、もしかしたら、私の口頭試問のパネリストにお願いするかもしれないんだ。:あぁ、いいよ。「ぼくの友達ね。合格!」だよ(笑):Hahaha!(笑):でも、ほかの人には黙っておくんだよ。(笑):Hahaha! ありがとう!そのときはちゃんと読んでよねー!ずっとここ最近は部屋に籠もっていたから、友人との再会が、とても新鮮で嬉しかった。心がヘルシーになる気がする。さて、Duke とも別れ、例の教授のいる教室へ向かった。:いったい、どんな先生なのだろう?今まで、一度も会ったことのない教授だ。顔を見てみたかった。そこで、教室の前を通り過ぎるふりをして、ドアの前を通る瞬間、中をちらっと見た。果たして、奥の教壇に、教授はいた。「くすんだ」「枯れた」感じの印象を受けた。色でたとえるなら「グレイ」だと思った・・・しかしなんとも折り悪く、その一瞬、本人と目が合ってしまった。鋭いまなざし。瞬間的に視線をそらすターシャ。:こ、こわぁーい・・・!!to be continued...
2008.03.15
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修士論文の thesis proposal のディフェンスには、3人の教授が必要だ。advisor, critic, そしてもう一人。最後の関門である口頭試問にはさらに2人加えられ、5人の先生方を前にして行うことになる。Ma'am Serene の指示に従って、critic はウェン先生にお願いすることに。ウェン先生のオフィスは、何人もの要人(?)が一緒に入っている学部長室にある。果たして先生はいらっしゃった。良かった!:Dr. Wen...!:Haaai, Curie ちゃん!(注:ブログ上における Tarsha の苗字を、まことに僭越ながら、Curie としますポ。)およそ2ヶ月ぶりに会ったウェン先生の顔には一瞬、「寝ていません」という疲労の色があった。先生と話しているうちに、すぐその色は消えたけれど、人と相対していない無防備なときの表情に、たぶん、その人の素が表れているのだろう・・・:ご多忙のところお邪魔してすみません。Ma'am Serene が指導教官の役を快くOKして下さいました。それで、先生、私の critic になっていただくことは可能でしょうか?:それならまったく問題ないですよ、大丈夫。快く承諾してくださった。心配していたが、ほっと安心・・・良かった。 ふと、ウェン先生の着ている紺色のTシャツに目が・・・ 日本のそうめんが菱形に配置され、その中に漢字がデザインされていた。ニマッと笑って、背中をクルッと見せるウェン先生。(なんだかそういった一瞬の動きが、小動物みたいでかわいいのである)バックには、系列店の名前と電話番号が横一列にプリントされていた。それでいて、なかなか「粋」なデザインである。:わぁ、かわいいですね!先生に似合ってますよ。:今日はあなたが来ると思ったので着てきました。:(笑) 変わらず親しみやすいウェン先生だった。別れ際、:お体に気をつけて。ぐっすり睡眠をとってくださいね。というと、私がこれまで見たことのない、無防備な、「あっ」という笑いと驚きの混じった表情をされた。:You too, take care.もう一人の reader・・・Ma'am が推薦された教授は、授業を取ったこともなければ、一度もお会いしたことがなかった。また直接この教授に会って、reader をお願いしなければいけない。一度も面識のない先生に、いきなり「私の論文を読んでください!」とお願いするなんて・・・:うぅ、緊張する・・・ターシャの友 Maria のディフェンスにも、この教授が入っていることは知っていた。Maria にメールでどんな先生か聞いてみた。:一言で言い表すなら・・・マルクス主義者ね。:へ、へぇ・・・!:そして、批評家というよりは、作家ね。良い先生よ。でも、誰が推薦したの? 先生の専門は、フィリピンかヨーロッパの文学と演劇だから、tarsha のテーマを聞いてイエスというかしら・・・でも、もしイエスなら、一緒に仕事しやすい人よ。なんの問題ないと思うわ!とのことだった。ちょっと安心・・・ Ma'am Serene に会った翌日、つまり昨日、いざ、この教授に会うため、「出陣」。(大げさ・・・)to be continued...
2008.03.15
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立ち話をされている先生を、文学部棟前の坂で認めた。私が近づいたとき、ちょうど先生は話を終えられて、歩き出そうとされていた。:Ma'am...!:Haaaai...! 喜びと驚きに満ちた声を上げられた。先生の笑顔とまなざしと声に触れた瞬間、安心した。1年ぶりの再会。けれど、先生は私のことを覚えていて下さった。 Ma'am Serene と呼びましょう。先生はお若いとき、本当にきれいだったに違いないと思う。歳を重ねられた今も、品があって美しい。 特に、先生の目。アーモンド形の大きな目に、知性的で優しい光が射していて、とても澄んでいるのだ。ターシャは1年ぶりに再会した Ma'am Serene の目の美しさを、とりわけ印象的に感じた。 :日本に帰っていたの?ずっとどうしているかと思っていたのよ。なんと・・・! ずっと会っていなかったのに、そうやって心に留めて下さっていたなんて、驚き、嬉しかった。話は自然に、現在のこと、つまり、論文に取り掛かっている話に。:実はそのことでお話したいのですが、先生、今、お時間ありますか? :ちょっと待ってね・・・今日は他の学生のディフェンスがあって。明日の朝10時はどうかしら?・・・あぁ、いけない、会議が入っているんだわ。えぇと・・・8時半から授業があるから、その前に教室へ立ち寄れる?:はい、大丈夫です。 :でも、話って何かあったの?:実は、私の論文指導教官があまりに多忙で、私の論文を見る時間がないので、教官を変えなければいけないんです。それで、もしも可能であるなら、先生に新しく私の教官になっていただきたいのです。:まあ、そうだったの。オーケー、オーケー、いいですよ。なんと、快く承諾してくださった。即決である。こんなに早く、簡単に・・・予想外の展開だ。 心に一対の羽がバサっと生えて、空気のように軽く、浮き上がった。:おぉ! ありがとうございます! :あ、でも卒業はいつするの?今学期?:いえ、この夏・・・いや、来学期です。:あぁ、very good! それならまったく問題ないわ。時間もたっぷりあるし。今学期卒業だと私もスケジュールがいっぱいで、4月まで時間がないからね。良かった良かった。・・・あなたの元の教官は誰だったの?:ウェン先生です。:あぁ、なるほど。彼は今、本当にものすごく忙しいのよ。あなたの論文のエリアは何なの? :日本文学です。即座に、Ma'am Serene の表情がいっそう明るくなった。:Wow!! That's very good..!! 素晴らしいわ!:ほ、本当ですか? (思わぬ反応に、驚くターシャ) :Yes, very good. 私も、日本文学についてもっと知りたいと思っていたのよ。:なんと!じゃあ、素晴らしいですね! 自分の心が、ぱあーっと喜びに染まって、表情にまでのぼっていくのを感じた。:Yes, Veeerry goood!!Ma'am Serene の声は喜びと興奮で弾んでいた。 本当に喜ばれ、心から嬉しそうだった。こんな反応、予想だにしていなかった。思わぬ展開・・・ お互いが必要とし望んでいたことが、まるで補い合うようにぴったり一致したのだった。外で話していたから、周囲が明るいのは当然なのだけど・・・世界が明るく見えた。太陽の白い光が道の上に、木々に、建物に、穏やかに降り注いで、空気に満ちて。to be continued...
2008.03.14
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今日の午前10時半、新たに少しだけ手を加えた第1章のコピーを持って、ショッピングセンターへ。プリントアウトした第1章を3部コピー。ファイルも買って、文学部棟へ向かった。Tarsha's Target1: ウェン先生が新しい指導教官に推薦してくださった女性の教授に会うこと。まず、会うこと。途中で何のハプニングも邪魔もなく、先生に会うこと。Target2:教授に事情を説明し、ウェン先生のかわりに、私の論文指導教官になって下さるようお願いする。理解と納得を得られるよう、現在の事情と自分の論文について要点を絞り、簡潔にかつ分かりやすく話す。ターシャがここに来た最初のセメスターで、この先生の学部の授業を取ったことがある。それ以後、たまに廊下などでお会いすることがあったが、このようにしてきちんと会うのはおよそ1年ぶりというほど、久しぶりだった。先生の授業が終わるのは11時半。先生のオフィスのドアの前で、先生の帰りを待つ。ちなみにオフィスといっても、一人一人の教授に与えられた部屋は、「超」せまい。 4畳ほどのスペースである。(色々な先生のオフィスに入ったことがあるが、最強(or 最凶)なのは、Mr. Genius だった。(笑) すごかった・・・):先生、私のこと、覚えて下さっているだろうか・・・もし、私のやる内容を聞いて断られたら、どうしよう・・・行く場所がない・・・緊張した。脳みそが動かなくなる。誰もいない廊下で、思わず、「はぁ・・・っ」とため息をついた。こんなんじゃ、要点を絞って話せない。メモを取り出して、自分の言いたいことは何だっけ・・・と書き出す。土俵にあがるまえの Halim が感じる緊張なんて、こんなものじゃないだろう・・・ふと、そんな思いがよぎる。廊下でしゃがむ私の前を、授業の終わった学生たちが通る。でも、先生は授業終了時刻から10分ほどたっても来なかった。:待てよ・・・授業が終わってまっすぐここに戻ってくるとは限らないじゃないか。ここでミスって会えなかったら、また今日1日、進展もなしに終わる(イコール、手続きが遅れる)。 なんたることだ!先生の授業の教室前で待っておくんだった!立ち上がり、先生の教室へ向かう。運が良ければ、途中で先生に会えるだろう。途中で出会ったのは、ラストセメスターで一緒だった院生(でも、もう教えている)だった。&:Haaaai! 嬉しい再会。修士論文という大変さを共有しているから、すぐ通じ合える(笑) お互いの近況を報告しあった。しかも、彼女から、ターシャのターゲットの先生がすぐ先で別の教授と立ち話していることを教えてもらう。おぉ!&:Good luck to both of us!!と、笑いながら別れた。:ニャんだか長くなりそうなので、続きはまた明日にしますポ。
2008.03.13
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Our cutie Halim といつもより頻繁にメールを交わした今宵のひと時。:Yakちゃん、今日は残念だったね。でも、Tarsha は勝負より、yakちゃんの体が心配だよ。本当にきついだろうね・・・ yakちゃんのために、よりいっそう odaimoku をあげ抜くからね。マを打ち破るぞー:大丈夫だょ。俺に心配しなくていいからね。姉ちゃんは姉ちゃんらしく体を大事にしながらやっていってね(・・・心の中で、涙・・・):ありがとう Yakちゃんが少しでも楽になるように祈るからね。 私も祈りぬいて道を開くよ:womans be anbechas(クッ・・・ククッ 笑)(かわいいねぇ・・・ いかに傷つけずに、正しいスペルも伝えられるか・・・):「女性よ、大志を抱け」というメッセージですね。ありがとう! ターシャからも・・・ Boys, be ambitious! :スペル間違ってたけどそんなの関係ねぇ そんなの関係ねぇ:I know!(知ってるよ) でも、Grand champion になったときにはきちんと書けるようにね バックミュージック:人生のメリーゴーランド:ラ~ソ~ファミドシド~ レミレミ!らぁ~ルルル~ル~
2008.03.13
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:あ、タイトルは・・・お気になさらないでください。ウェン先生が新しい指導教官に紹介してくださった教授は、水曜日は授業を持たれていないため、大学にいらっしゃらなかった。明日、この教授が授業を終わる時間帯を見計らってオフィスにいこう。学部長宛の手紙と、私の改訂第1章をもって。自分のリーディングをすすめた。第1章を改訂していたときには手が届かなかった部分について、埋め合わせるようにして今、読んでいる。私が論文でやろうとしていることが、デリダの脱構築と態度を同じくしていることを確認した。それは、「概念が型にはまった思考の習慣に落ち着くことを防ぐ『異化』の努力」(an effort of defamiliarization)だ。デリダが哲学者の道を歩みながら、文学に強烈な関心を示したのは、まさに文学が、言葉や概念を「異化」するから。これ、ロシアのフォーマリズムの視点と同じだ。彼の言語に対する特有の考えは、仏法の「空」の思想に似ているように思う。:Halimyak・・・頭にヘルペスが出ているそうだ。かわいそうに。涙、涙、、、、 明日も取組がある。きついだろう。daimoku を送るからね。
2008.03.12
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Our cutie Halimyak 情報第2日目:○おめでとう!!しかし、Tarsha's papa の情報によると、Halimyak は疲れでヘルペスが出て、今、通院しているそうだ。:・・・偉いな。ヘルペスが出るほどきつい中で、必死に戦っているんだ。私も、必死こいて頑張らないといけない。いつものように Halim にメールを送ったら、たった一文、頑張りマンモスと返ってきた。笑えた。しかし・・・Halim のメールは通常、大量の絵文字が使われている。それなのに今日のは何もなかった。大丈夫かしら・・・ 今日は、昨日とうってかわって、昨日持ち上がった問題の深刻さが身に染みた。私の場合、たいてい問題が起こっても、最初は大丈夫だと思っている。「なんとかやれる」と。しかし、動いていくうちに、その問題が、自分の守備範囲「外」の要素、つまり、自分1人の力ではどうにもこうにもできない要素を含んでいることがだんだん明らかになる。:・・・もし、もし、万が一、日本文学を知っている教授がほかにいないから、論文のテーマを変えてくれなんて今更言われたら・・・どうしよう! (実際、日本語も読めて日本文学も知っているのはウェン先生くらいだから)・・・果たして私はここに居られるだろうか? thesis proposal となる第1章だけで、これほど時間がかかったのに。これ以上、卒業を延ばすくらいだったら、進ませてくれないなら、もう・・・ 最悪のことまで考えた。:UP100周年だなんて、なんて間の悪い時に来てしまったんだろう・・・ これがなければ、ウェン先生だって、もう少し時間があっただろうに。私のだって見れただろうに。 (ウェン先生は、UP100周年祝賀委員会の中心メンバーでもあるので、ただでさえ忙しい先生をさらに超多忙にしているのが、これなのだ)夜、Ma'am Brilliant から携帯にメールが来た。ウェン先生が新しい指導教官となれる教授を推薦して下さったとのこと。私の知っている女性の教授。ひとまず、次に進む道が分かって良かった。指導教官の変更を伝える手紙を学部長宛に書いて、明日、学部のオフィスに提出する。同時に、新しい教授に挨拶しに行く。私の論文テーマを聞いて、教官になって下さるだろうか・・・daimoku をあげ抜いて、もうひとふんばり。やれるところまで進めるのみ。私たちは、いつか必ず死ぬ。では、この生とは一体、なんだろう? 何のために生きているのだろう? 何が残るのだろう? 生に価値を。そして、死をこえて、人々と世界に貢献し続ける価値を。「今」と「未来」に価値を生み出すために、学ぶ。:価値論、もっと勉強しよう・・・
2008.03.11
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今日、問題が発生。ウェン先生があまりに忙しすぎて、私の論文を見る時間がほとんどないという。副学部長と教授という仕事の上に、すでに10人の論文のパネルを勤め、UP100周年のプロジェクトも勤めている。今、1日の睡眠は3時間だそうだ・・・:本当にターシャさんを助けてあげたいのですが、こういう状況のためにアドバイスをする時間がほとんどないのです。そして、論文指導教官を代えたいか、もしくは別の教授を共同の指導教官として迎えたいか、尋ねられた。ともあれ、ウェン先生のアドバイスに従って、すぐ院生担当トップの教授、Ma'am Brilliant に連絡を取った。 Ma'am Brilliant は、Mr.Genius が "So brilliant!" と称えられる女性の教授。アメリカで学ばれた Ma'am Brilliant の師匠は、あのジャック・デリダだった・・・!!:しゅ、しゅごぉぉぉーい!! Ma'am Brilliant に授業前にお会いし、事情を説明。とても困った顔をされた。なぜなら、日本語を読めて日本文学も知っている先生は、ウェン先生くらいなのだ・・・ともあれ、Ma'am がウェン先生と話をして結果を教えていただくことになった。:「よからんは不思議わるからんは一定とおもへ」・・・今は諸天よ動けと、祈るのみ。自分もだいぶ、状況の変化に対して柔軟になったなぁ・・・ 昔は、ここのシステムの、予想外の変化球と時間のかかりように泣いたよ。本を返しにいった図書館で、ターシャの友で同じく修士論文に励む Maria を発見。なんと、今日が彼女の第1章のディフェンスなのだという。1時間ほどそこで話し、近況報告しあった。Maria はすでに、第1章どころか、論文を完成させていた。120ページ。立派な長さだ。論文最後の「結論」をターシャに読ませてくれた。:うん、とても面白いよ。論文の中身も読みたくなるよ。:短いけれど、分かりやすくまとまってるかな。:Yes, yes. You can do it! もう、ディフェンスじゃなくて、オフェンスするのよ!(笑) 私も、自分の近況とつい今日おこった問題を知らせた。:・・・という状況なんだけど、この間にどうしたらいいだろう?:Just write. とにかく書き進めるのよ。第1章のディフェンスを待っていたら(本論を書き始めるのに)とてつもなく時間がかかるから。その通りだと思った。そうだ。もう、ドンドコドンドコ、できるところまで、できる限りの範囲内で、書き進めよう。様々な事情のために中断されて次に進めないと、やはり内心ではモチベーションが下がる。何かほかにできることがあると発想転換も可能なのだけど。できるところから、書き進めればいい。そう思うと、またエネルギーが沸いた。
2008.03.10
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When we have this mandala with us, it is a rule that all the Buddhas and gods will gather round and watch over us, protecting us like a shadow day and night, just as warriors guard their ruler, as parents love their children, as fish rely on water, as trees and grasses crave rain, and as birds depend on trees. You must trust in it with all your heart.(WND. p1477 On Upholding Faith in the Gohonzon) :37度の微熱がある・・・ 朝から1日中けだるくて眠かったのは、このせいだったのね。 今日も色々あったけれど、心は元気です。フィリピンは暑くなってきました。今日の午後2時すぎに外出して、日差しの強さがやばくなってきたのを実感・・・。 やはり、真夏(4月、5月)は日本に避難するかな。Halimyak情報 第1日目:●常に「勝ち」か「負け」しかない世界の厳しさを改めて思い知らされる。でも Halimyak なら大丈夫! 心も体も技も充実して、絶対に怪我をせず、この2週間を過ごせますように・・・
2008.03.10
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最近、Mr.Genius が作成した、Contemporary Literary Theory and Criticism の概要を読み終えた。薄い。けれど、全部理解するには時間がかかる。14章から成る Mr. Genius の概要書は、最後の章が"Relativity: The Special and General Theories"―アインシュタインの相対性理論―で締め括られていた。先生は、本当にバランスが取れていらっしゃる・・・ 普通の文学理論の説明書だったら、まず載せないだろう。ニュークリティシズム、モダニズム(フロイト、マルクス、ダーウィン、ニーチェ)、フランクフルト学派、構造主義、脱構築主義、ポストモダニズム、フェミニズム、ポストコロニアリズムは入れても。ほかと違うところ。それは、往来の文学理論書が個々の理論の説明のみに終始しがちなのに対して、先生の概要書は、このような理論の展開においてより重要である点―意識と文化の変容と発展―を捉えていこうとする点だ。私たちはどこから来て、どこへ行くのか―?歴史の地平線に現れ始めた新しい世界観とは何か?先生は、究極的には、この根本的な問いを見極めようとされているのだと思った。従来の文学理論書に圧倒的に欠けているのは、この全体性に立った問いなのだと思う。その問いにたった時、きっと、文系や理系といった枠組みは取り払われるのだ。個々の分野が、各々のアングルから、この共通の問いに向かっているのだから。:物事の本質、変化の底流・・・これを掴まないと、次から次へと押し寄せる新たな変化の波に呑み込まれてしまうんだな。表面上の理解のみで、波に踊らされている感じのような・・・昨夜、テーブルの下に閉まってあるダンボール箱から、昔(といっても1~2年前?)の授業で使った reading の一部を取り出した。Gayatri Chakravorty Spivak: Death of a DisciplineChristopher Norris: Derridaed.by Chantal Mouffe: Deconstruction and PragmatismBill Ashocroft: Post-Colonial Transformationed.by Margaret R. Higonnet: Borderwork: Feminist Engagement with Comprative Literature:読んだ当時は、まっ・・・たく、意味が分からなかった今も、すべて分かる自信などない。でも、もう一度読んでみたいと思う。当時は何がどうなってどこに向かっているのだか、もう全体観がまるっきり掴めなかった・・・ 1章を読み終えるのに、どれほど時間がかったか・・・というか、もうイントロダクションや第1章だけでお腹いっぱい、みたいな(汗)今は、自分なりの問題意識、自分の論文からの視点を持ちながら見ていける気がする。 第1章のディフェンスをなんとしても今月中に終えて、本論の執筆は日本でやろうと考え中。日本文学関係の資料、手元にあるのだけでは修士論文に圧倒的に見合わないのだ・・・ 色々なことを考えると、chant 中でも、なんだか押し潰されそうな気持ちになる。そんなときは、思わず額を机につけるほど体を倒してしまう。声が出なくなる。:・・・・くぅ~っ!絶対に通りますように・・・!早くディフェンスをして、次に進ませてください。
2008.03.09
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美しい音楽は本当に素晴らしい・・・ 今までの生活に欠けていたのは、美しい音楽をもっと鑑賞することだったのかな・・・? ユーチューブで見つけた。もののけ姫・久石譲コンサート2006特に、中国の楽器「二胡」の奏者・・・素晴らしい!! こんなに美しく哀しく、歌うような音色を出すのですね・・・人生のメリーゴーランド『ハウルの動く城』よりオーケストラで。この曲もターシャのお気に入り。聴いているだけで、体がダンスしそうになる。 :音楽家ってすごいなあ・・・ 久石譲さん、本当にすごいなあ!! 国の指導者に、芸術を愛する心、芸術を本当に大切にする心があったら、他国と争いなんてするだろうか? 国境を越えて感動を与えるのが芸術なのだから。人を喜ばせようとする心が芸術にはあるのだから。その意味では、芸術は、人間性を否定する権力・暴力との戦いともいえる。指導者に、本当に芸術を愛し、理解し、尊敬する心があったのら、軍事費を、国内の芸術振興や異文化との芸術交流、次代の芸術家育成費に当てるのではないだろうか。なんて思うのは、やっぱり単純でしょうか? う~ん、文学も「文楽」だったら、だいぶ態度が変わりそうだなあ。「楽しむ」ということの意味を、私たちはもっと深く知らないといけないのかもしれない。より深い生き方、新しい人生観・世界観への眼を開く、より豊かな生の追求という「楽しみ」。 そのような態度は、そのような「楽しみ」を否定する力に対してクリティカルであることも意味する。だとしたら次に浮かぶ問いは、何が私たちの生を豊かにするかという点だ。:来世は音楽家になりたいなぁ・・・
2008.03.08
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何か問題があったときは、詩的にではなく、哲学的に捉えなさい。哲学的に捉えるとは、ありのままに見るということだよ。と、Mr. Genius は仰った。とても悩むし、とても悲しいけれど、ありのままに捉えるということは、感傷を乗り越えて現実をあるがままに見るということだ。知らないことの方がたくさんあって、すべてを判断することなどできないけれど(そう判断するには、少なくとも国会図書館であらゆる関連資料を見なければいけないだろう)・・・怒り、次に、失望した。私はこの道に本当に進めるだろうか? 日本にあるだろうか? そういう場所が?文学研究―少なくとも日本のそれ―は、存在危機にあるんじゃないか? それに国文学は、今のままでは消滅するんじゃないか? こんな世界なのか? 私が行こうとする所は? 文学は何のためにあるんだ? 一部特権階級だけのものじゃない。批評家や研究者の小さな自己満足のためにあるのではない。けれど、大きく大きく離れている気がする。なんとつまらない、狭い世界だろうと、嘆かずにいられない。フィリピン、少なくとも私が見てきたフィリピン大学文学部の先生方には、人々の意識の変革とフィリピン文学の発展に寄与するという使命感があるように思える。フィリピンには、300年以上に渡って欧米列強の植民地支配に苦しんできた歴史がある。「戦う相手は誰かを知らなければいけない」と言われていた。日本の文学研究に、あるだろうか? 個々の研究の全体を支える根っこに、そのような使命感が? もしくは倫理的思想が? あるいはそもそも、「文学とは何か」という問いに対して、果たして一般の人々が納得する答えを出せるだろうか? 一体、何のために研究しているんだ?:泣、泣、泣・・・社会から離れた学問って、それが最終的に人々に還元されていかない学問って、何? そんなのやりたくない。
2008.03.07
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ここを去る前に少しだけ書き残したいこと・・・それは、先日観た、ジブリ映画について。ジブリには魅力的なキャラクターがたくさん登場する。男性なら、以下の3人は確実だと思う。『千と千尋』のハク、『動く城』のハウル、『もののけ姫』のアシタカけれど、先日観た『トトロ』で思った。:お父さん、格好良いサツキとメイのお父さんのことである。たぶん、ジブリ映画のキャラの中では、影が薄いほうだと思われる。少なくとも、上の「超人的」かつ「明らかにヒーローオーラ」の3人に比べれば・・・(汗)けれど思った・・・ お父さん、とても魅力的なのだ。 まず、格好良いですね。やっぱり。(笑) 目立たないけれど、ハンサムですよ、お父さん。そして、ユーモアがある。つまり、子どもたちの夢や心を理解できる度量の大きさがある。子どもたちの視点に一緒に立って世界を見れる。そして決して怒らない。彼らと一緒に生活を楽しんでいる。無理せず自然体で。あと、いかにも不器用に料理する後姿は、なんだかかわいいですね(笑) そして、自分の知的な夢もちゃんと追っている。奥さんも子どもも大事にしている。しかも、自分の夢と家庭がどちらか一方のために犠牲にならず、どちらも自分に不可欠なものとして在る。ゆえに、どちらもおろそかにしない!(少なくともそのように見える):こういう旦那がいいな。(ボソッ)あれれ?なんだかこうして書くと、まるで、Tarsha's papa ですね!一方、魅力的な女性キャラクターは・・・:ナウシカですね うん。あと、『紅の豚』のフィオかなやっぱり、「自分はこう生きる」っていう信念を貫いている女性が素敵だなぁ。 守るべきものを知り、そのために自分のすべてを捧げながら、伸び伸びと生きている女性。ナウシカは、自分の谷の人々と虫たちを守り、かつ、世界の意味を探求している。フィオは、若干17歳、しかも女性でありながら、立派な航空技師として活躍している。そう考えれば、『もののけ』のサンもエボシも入るのだけど、入らないのは何ででしょう?・・・ 彼女たちには、まだちょっと「威圧感」あるいは「鋭さ」を感じるからかな?ナウシカやフィオには、強い信念や自分の夢とともに、柔らかさがある。それは、人間関係において「オープンさ」や「優しさ」として表れている。近寄りがたい雰囲気ではなく、人を受け入れ、そこにいる意味をありのままに認めてくれるような・・・『紅の豚』のジーナも素敵・・・まさに大人の女性ですね。 ターシャが男だったら絶対に惚れる。同性でも現実にいたら惚れるだろう。でも、彼女の美しさには、愛する人を戦争で失い続けた悲しさが奥底に潜んでいる。男の愚かさも知悉している。ジーナはとても現実的で、ナウシカやフィオが物事の真っ只中に飛び込んで、がむしゃらに突き進む女性なら、ジーナは物事から距離をとって、一歩引いたところから成り行きを見守る、物分りの良い女性かもしれない。そこから周囲が必要とする助けを差し伸べていくのが彼女だ。:さて、ターシャだったら、どんな女性になりたいか? ・・・自分で自由に飛べる羽を持った女性がいいですね。 :ルルルゥ~
2008.03.06
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:今から22年後・・・ターシャは47歳。どう生きたい?・・・ どう生きる?・・・ もう決まっている!Will you be a reader, a student merely, or a seer? -Henry David Thoreau:Walden いつか本当に、知によって、人々のために、世界のために、貢献したいならば―喜んで立ち向かおう!1ページ、また1ページ。
2008.03.06
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やっぱり、まだ疲れているようだ・・・昨年10月、最初の第1章を出したときとはまったく質が違うのだけど。今日、やっと少しだけ、勉強に戻れた。でも、思いのほかすぐに疲れるのでストップする。昨日、今日と、図書館に行って、論文で扱う作品の英訳本を借りてきた。1作品を残してすべて見つかった。明日はこれを全部コピー屋に持っていって、コピー&リングバインディングをする。Tarsha's papa より先日「休養指令」が出たので、週末は meeting に参加する以外はゆっくり過ごした(meeting に参加した後はまたバタンキューだった)。そして、海賊版DVDの「ジブリがいっぱいコレクション」を取り出して、ジブリ映画を3本観た。「となりのトトロ」、「紅の豚」、「風の谷のナウシカ」。昔、Tarsha's papa は私たちに言った。:papa が小さいころは、トトロが見えたんだよ。&&&: えぇ~!本当?いいないいな!!mama まで見えたと言い出した。papa も mama もそれぞれ、大自然の中で育った。papa は山のふもとで牛に囲まれて。mama は地平線まで広がる田んぼとりんご畑に包まれて。子どもたちには至極、羨ましい環境だった・・・そのような大自然になら、本当にトトロがいる気がした。ターシャも会いたくてたまらなかった。実際、私はかなりの年齢になるまで(たぶん、本当はこの世界にサンタクロースは存在しないという哀しき事実を自然と受け入れる年齢を超えても)、本当に papa も mama もトトロが見えていたのだと、そしてトトロはいるのだと、信じていた。:なんで、papa たちは見えたの?:心がきれいだからだよ。:・・・・・・・(なぜターシャには見えないんだ?心が汚いのだろうか・・・)しかし、内心、そんなことは信じたくなかった。よって、夜、お布団に入って寝付かぬ間に聞こえる「ホー、ホー」という鳥?の声を、トトロがふくオカリナだと信じようとした。:自分にも聞こえるぞ!(見えないけれど・・・)今思い出すと、かなり笑える。ちなみに、Pagasa と Talino は霊感が強い。ターシャはまるっきりゼロ。Halim もたぶんゼロだが、極度の怖がりである。自分の想像力で勝手に創造してるらしい・・・ ともあれ、Pagasa & Talino は、新しい家に引っ越したその日、座敷童子に会ったくらいである。階段に半ズボンをはいた男の子が立っていて2人を見ていたそうだ。2人が気づくと、彼は階段をかけあがり、踊り場の天井に向かって飛んだ。すると、天井がパカッと開いて、その中に消えていった。2人は喜びさざめいた。 なんと、天井が開くのである!屋根裏部屋でもあるのかしら? これはまるで冒険みたいではないか!背の届かぬ Pagasa とTalino は椅子を運んで、ワクワクしながら天井を押した。・・・開かない。&:・・・・2人の霊感が強いのは、恐山のイタコの血を引くmama のせい?(ジョーク、笑) ちなみに mama も、新しい家に越すたびに、何かがいると感じる。(これは、かなり怖い)そして頭の中で、家の隅々に daimoku をパアーッと撒き広げ染み渡らせるイメージをしながら chant するのである。すごいなあ、mama・・・霊感ゼロのターシャ、しかし数年後、この家から新しい家に引っ越す直前、なんともいえぬ「さみしいぃぃぃぃ」という気持ちをこの家から感じたことは今だに覚えている。それは、尋常でない寂しさだった。ものすごいリアリティーを持って胸にせまってきた。:家が泣いている。とpapa が言った。本当にそうだと思った。事実、私たちがその家を離れたとたん、その家は突然、驚くほどさびれた。壁はベロリとはげ、急に老けた姿をさらしたのである。あの座敷童子くんも去ったのだろう・・・ あの頃はまだ小さかった私たちが、こんなに大きくなってしまったよ・・・ それでも、童子くんが見たら、すぐ分かるのかしら。:にゃ、にゃんだか、思い出話しちゃった・・・本当はジブリ映画に出てくる理想の男性・女性キャラクター批評について書こうとしたのに。Well, next time na lang...
2008.03.04
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今日の午後、インターネットで、Comparative Literature の博士課程がある日本・海外の大学を調べてみた。日本の大学で博士課程に在籍している先輩は仰った。:博士課程は先生が一番大事。先生が合わなかったら、悲劇だよ! 笑い事じゃなくてほんっとうに。その他にも、年齢、実績、自分の分野への興味の有無、等々、具体的なアドバイスをいただいた。それに基づき、色々と探してみた。:難しい・・・なかなか見つからぬ。海外のある大学なんて、北アメリカ・カナダ・ヨーロッパ以外の大学で修士号をとった志願者は、同大学院でもう一度、修士課程をやってもらうなどと書いてあった。:にゃ、にゃあに~ぃ 誰がいくか!そんな所!なめられている・・・ でも、それはひとつの現実でもあった。別の違った機会に、先輩が同じようなことを言われた。:フィリピンと日本の大学では全然、研究のやり方が違うから、もしかしたらもう一度、修士過程をとるように言われるかも。どうしても、アジアの高等教育機関を下に見る傾向が日本にもあるそうだ。先輩の研究もアジアを対象にしている。しかし、同じ専門でも日本を対象に限った研究者からは「なんでアジアやってるの?」「どうせアジアでしょ?」と言われるそうだ。:だから日本は狭いんだよPagasa は今月、初めての学会発表がある。研究室での人間関係、実験の進み具合など、不安要素を抱えながら、必死に頑張っている。昨日、Pagasa と久しぶりにメールで近況を報告しあった。:ほんとに発表に行っていいのか???終わらせられるのか???と、食事の時、睡眠前後、トイレの中、シャワー時、お茶飲むときに思う。そして「まあ・・・ギリギリまで頑張ってみて、とうとう決断しなきゃならない時には土壇場エスケープかチャレンジ続行かを決めればいい・・・」ってくらいまで尻ごみ気味になったところを無理やり chant して「やれんのか????、じゃなくて、やるんだよ!!! やるかやらないかしか無いんだからやるんだよ!!! 自分!!!!」とか若干支離滅裂なことを思って実験に向かう毎日です。:hahahahaha! ものすごく共感できて笑える・・・分かる、分かるよ、その気持ち学会発表に行ける妹をうらやましく思う。こちらでは、そういう機会がなかったから。そして、到底できるレベルでもない(涙) いつかは、将来は、そういう知の交流と切磋琢磨の場に、積極的に参加できるような境涯になりたい。 今はここで、断固として実力をつけてみせるぞ。ずっと弱者の側だったフィリピンだからこそ、見えるものがある。苦しんだからこそ、見えるものが。それを教えてくれたフィリピンとUPに、とても感謝している。そして何より、不都合の方が現実に多いこの国に留まって戦っている、素晴らしい先生方に会えたことに。
2008.03.04
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そして逆の問いかけ・・・互いの違いによって成長できるのは、どんな時?こう思ったとき、これまでも時々、心によぎっていた問いが蘇った。それは、「知らない」という事実と「理解しようとする」意思の関係だ。まだうまく言葉に表せないのだが・・・相手には常に、自分が知らない部分があるということ。この「知らないのだ」ということを常に知っておきなさいということを、強烈な印象をもって教えてくれたのが、フランスの女性作家、マルグリット・デュラスだった。Know above all else: that you knew nothing. (Marguerite Duras’The North China Lover)相手への憎しみや不満、怒りから相手を排除しようとするとき、そこには、自分が見た範囲だけのことから判断を下そうとする心的態度がある。そのとき、相手がどんな人間か、自分の角度から決めつけている。・・・実は知らないんだ。知らないところがあるんだ。そう考えたとき、はじめて自分のことを、他者との関係において相対化できる。自分を中心から外し、距離をもって眺めることができる。 もちろん、程度は様々だ。許してはいけない、許せない場合だってある。悪いことは悪いとはっきり言い切っていかねばならないこともある。一方で、日常の人間関係において、そう易々と縁を切れない相手、私のルームメイトのように毎日顔をあわせる相手との間に、そういった感情を感じることもある。こういう時は、ただ怒りにまかせて縁をきるというわけにはいかない・・・ だから葛藤がある。:難しい・・・難しいよ 人間関係において、1+1は2じゃない。人は、究極、他者のすべてを知ることなんてできないと思ってしまう。こう言うと絶望的に聞こえるけれど、この「知らないという自覚」が到達点ではなく、「理解」への出発点だということ。けれど、「知る」と「理解する」は同義語ではないことも注意しないといけない。「知る」ことによって、「理解」への可能性がうまれる。けれど同時に、「知る」ことの到達点が、相手の「支配」につながることもある。「自分は相手を知っている」と思って行動しても、それが実は相手のためではなく、自分のための場合や、かえって相手を苦しめる場合もある。その特徴は、「一方通行」かな。「理解する」は、もっと、相手への想像力、尊敬、愛情、そして相手の思考・行動の自由を認める寛容性がある気がする。そして、対等な立場における両者の間の「対話性」と「相互作用」が。同じ院生でやはり韓国人の仲の良い友達が言っていたことを思い出した。彼女は20代後半で、結婚している。:私、最近やっと分かったの。「愛する」って、「理解すること」だって。彼女は、"know"ではなく、"understand"という言葉を使っていた。:ニャんだか、長々と色々書いてしまった・・・(汗) 以下、まとめ?? By way of concluding... だから、人間関係において「思いやる」ことが大事なのかな?相手を「思いやる」という言葉には、色々な要素が含まれている気がする。相手を完璧には知りえないという距離感、それでも相手の心を可能な限り理解し、相手が受ける可能性のある苦痛を和らげたい、取り除きたいという情、距離感を補おうとする想像力といったもの・・・ 自分の枠組みでは捉えきれないものがある。いや、それだけでなく、知っていると思っていることさえ実はよく知らないのだということを認識し、謙虚に「理解」のための努力をすること。 自分にとって、守るべきものは何か? 許せないものは何か? それだけは譲れないというものは何か?を一番に知らなきゃいけないのかな。Always have an open mind. (常に開かれた心を持ちなさい)という Mr. Genius の言葉は、予想以上に深い。
2008.03.02
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続けて、その方はいわれた。:There are many different kinds of people in the organization. But that's why we can develop ourselves. (ソシキにも色々な異なる人たちがいます。でも、だからこそ私たちは成長できるんです)また、ドキッとした。・・・すごいなあ、と思った。私はこのままでは、ルームメイトの1人と喧嘩しそうだったから。自分は掃除しないくせに、部屋で一番広いスペースを占めているくせに、「この塔は一番古くて汚い、耐えられない」等々、不満を言って、今月には別の塔に移る予定の彼女。週末はいつも、家族か教会仲間が車で迎えに来て実家に帰っている間に、私が部屋の公共スペースを掃いて雑巾がけしていたことも知らずに。「あと2年ここにいるから、すべてを整えたいの」といって、この間は、私が帰国したあと、私が所有している(でも共同で使っている)ポットを譲ってくれないかと言ってきた。:別にいいけれど・・・香水やバッグをいくつも買うお金があるなら、ポットくらい安いものだろう?彼女にあげるぐらいなら、自分のお金で学費を出している、もう1人のルームメイトにあげたほうがずっといい気がした。私たちの間で何かあったり、不満があったりすると、すぐ別の仲の良い友達に愚痴るのも、知っていた。外から聞こえる小さなひそひそ声・・・それは、それだけで、すごく嫌なことだった。普段は穏やかな日常。けれど、相手に対して不満を抱くと、小さなことさえ、内にうずまく不満と憎しみを増長させる。ふとした時に、相手に笑顔も向けられなくなる。それが関係をこわばらせる。逆に、笑顔ひとつで、心がなごやかになることもあるのだけど・・・!!!今、ちょっと冷戦状態だ。少なくとも、私の心の底では。私たちはみんな違うから成長できる。ぶつかり合ったとき、どうそれに対処するか? 怒りと不満に身をまかせて相手にぶちまけたら、建設ではなく破壊であることは容易に想像がつく。一方、我慢して、そういう感情が内に積もり積もると、口であからさまにいえない分、態度に出る。自分の中にある憎しみをどう乗り越えるか? 憎しみというと、とても大げさに聞こえるけれど、憎しみって、別に非日常的なことじゃないんだ。この、とにかく相手を否定しようとする気持ち。互いの違いによって争うのは、どういう時?・・・自分が絶対に正しいと信じて、相手に対して不寛容な時かな・・・:意識しない間にこうなっていること、意外と多いんだ。自分と違うことを受け入れるって、結構、難しいんだ。口でいうのは簡単だけど・・・!自分の気にいらないことを排除するほうが、よっぽど簡単だし、手っ取り早く心地よさを手に入れられるんだ。
2008.03.02
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今日、ターシャの母校に留学していたUPの学生がニュウシンした。留学先で学生の素晴らしい人柄に触れ、「どうしていつもそんなふうにしていられるの?」と不思議に思ったのが、このfaithに興味を抱いたきっかけだという。帰国後、UPで学ぶ私たちの Buddhist study meeting にも参加。中心者の日本人メンバー、担当district のリーダー、母校の後輩と共に、ターシャも彼の家へ。みんなでchantし、マンダラを迎えた時は、本当に嬉しかった。自分の中の悩みなど、悠々と見下ろせる気がした。一人一言、彼にお祝いの言葉を述べた。最初から彼をお世話してきた日本人メンバーの方が言われた。:入った最初はやさしい。けれど、続けるのはとても難しいのが、この faith です。あなたが一生涯、そしてnext life までも、このfaith を続けられるように祈ったわ。faith, study and practice. この3つがこのfaithの要です。・・・practice とは、joining the meeting、そしてshakubukuです。このメンバーの方のみでなく、ほかのフィリピン人メンバーも、shakubuku を強調されていた。聞きながら、ドキッとした。自分を内省せずにいられなかった。自分の中に、shakubuku が要の活動としてここまで入っているだろうか・・・ shakubuku の経験は数度ある。けれど、それは一大決心のもとに行われた。常に常に、当たり前の必須項目として入ってはいなかった。一番勇気のいること。一番難しいこと。だから、一番離れていた。でも、彼らにとっては、当たり前だった。そして、一番大切なことだった。
2008.03.02
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Shakyamuni Buddha and the written words of the Lotus Sutra are two different things, but their heart is one. Therefore, when you cast your eyes upon the words of the Lotus Sutra, you should consider that you are beholding the living body of the Thus Come One Shakyamuni.(WND, p1122, The Pure and Far-reacing Voice):そっか・・・!相対するときは、このような思いで対するんだ。chant の1遍1遍に込める気持ちが変わりそう!今日のお昼時、先輩と久々にお会いし、昼食をご馳走になった。気づいたら、3時間近く経っていた!とても楽しく、有意義な語らいができた。:先輩のように、常識人になりたい・・・常識人のそばにいることが、こんなに安心できることだったとは!常識の行動が取れない人が、どんなに多いことか。常識といっても結局は、相手に迷惑をかけないという気持ち、また、相手への配慮や思いやりの心から発せられるのだと思う。あと、道理。人間を見分けるのは本当に難しい。偉大な人物との繋がりを、自分のために利用する輩。本当に力ある人を苛める「過去の栄光」を持つ輩。根本は、一念の微妙な差だ・・・自分のためか、偉大な目的のためか。常々、何のためを忘れてはいけないんだ!!!!:一生、正しく正しく、一念の狂いもなく実践し、貫き、原点の精神を、この美しい世界を、守れる人になりたい!
2008.03.01
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