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今日の夜7時半、ウェン先生に、改訂第1章をメールにて提出した。昼食も抜かし、午前中からぶっちづけで英語の推敲と細かなフォーマットの整理を終わらせた。なんとしても、今月が終わる今日までに絶対に送ろうと決めていた。ウェン先生からアドバイスをいただいたのは、1月10日。あれから8週間かかった。何時間も机の前に座っても、数行も進まないこと。自分で自分の書いた文章が頭の中に入ってこないこと。全体観がまるっきり掴めないこと。自分で何が言いたいのか、よく分からなくなってしまったこと。時々ぱっと浮かぶひらめきを、去り行く言葉を捕まえるように急いで紙に書き付けたこと。ひとつの言葉がどんどん崩れていったこと。思っていても言えなかった批判をあえて言葉にするために、手元にある情報を一つ一つ確認し、やっと書き付けたこと。毎日、1日中、考えて考えて考え抜いたこと。・・・・自分の中に湧き起こる、様々な命も見た。傲慢、利己心、気取り、自己顕示欲、臆病、怖れ、弱さ・・・そして、こういう負の命を乗り越えるには、自分のすべてを、偉大な目的のために捧げる一念がなければいけないことを知った。そして、偉大な目的に、人間の幸福に、平和に、貢献できない学問は、また学者は、エセだと思った。自分の論文に対する思いも、使命感も、自分の人生をどう生きたいかも、大きく変わった。:(ショウダイヒョウを見る・・・)daimoku もいっぱいあがった。有難いな。前進、前進だ。過去に、すでに出来上がったものに、決して満足しない。固定的な「完成」などないのだから。この新たな第1章について、ウェン先生にさらに変更箇所を指摘されたとしても、"the last straw that breaks the camel's back" のように絶望もしない。「"学び"の心は強い。それは精神の停滞を許さない」という my mentor の言葉の意味が、よく分かった。常に、「今」なんだ。大事なのは。問われるのは。「今」新しいことを学んでいるか。「今」戦っているか。「今」の一念がどこを向いているか。戦い続けない限り、停滞するんだ、生命は。:私はこの faith を保つことができて、本当に良かった・・・最高の恩返しは、私が人々のために尽くすこと・・・尽くせる人になること・・・尽くせる力をつけること。
2008.02.29
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A sword is useless in the hands of a coward. The mighty sword of the Lotus Sutra must be wielded by one courageous in faith. Then one will be as strong as a demon armed with an iron staff. I, Nichiren, have inscribed my life in sumi ink, so believe in the Gohonzon with your whole heart.Muster your faith, and pray to this Gohonzon. Then what is there that cannot be achieved?...follow in the footsteps of Lady Pure Virtue or the dragon king’s daughter.(WND, Reply to Kyo'o, p1124):この faith は勇気!!・・・人生は、勇気!!Like Lady Pure Virtue, like the dragon king's daughter, like the Bodhisattva Universal Worthy, let me dedicate all my study, knowledge and myself, to the ultimate purpose of this life!
2008.02.27
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:改訂「第1章」の日本語原稿、書き終えた!自分の声が出るのに、とてつもなく時間がかかった。ウェン先生が言われていた通りだ。:いろんな人がいろんなことを言っているけれど、論文では自分の声がないといけない。自分の声は流れとなって内側から出てくるものだよ。それには時間がかかるんだ。(といった趣旨のこと・・・)今は頭がすっきりしている。ようやく自分の言いたい色々なことが言い表せたからだと思う。明日から英訳開始。:頭が冴えて眠れない・・・
2008.02.26
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:あともうちょっと・・・あともうちょっと・・・第1章の日本語ドラフト完成まで・・・ 完成ということは、永遠にないのだけど。ひとまず納得のいく形態まで・・・あともうちょっと。キリスト教的な愛は果たして可能だろうか。自己を愛するように他者を愛することは一体できるのだろうか。自分とは絶対に違う他者を、完璧には知りえない他者を、ゆえに、時に自分を裏切る他者を、そういった乖離を超えて、「自己と同じように」愛することはできるのだろうか。そのような愛には、他者を自己の中に呑み込もうとする意図が、底の底にないだろうか。ニュースをチェックすると、Haku様の笑顔の写真を発見!おぉ!もうMarch のシンバンヅケが発表されているのだ!急いでオオズモウのHPをチェック。Halimyak は、ジョニダンイーストナンバーセブンにいた。また新しく出発だね今日、ターシャの後輩 White ちゃんとElleちゃんが帰国。さみしい。みんな、かわいい。一緒に笑い合えたこと、一緒に悩んだり困ったりしたこと、楽しかったな。そして、時が過ぎるのはなんと早いことか・・・本当にありがとう。みんなと触れ合うと、心がきれいになる気がしたよ。日本に帰ったら、日本独特の、ストレスフルな忙しい現実がある。就職活動も真っ盛りだ。不安要素はいっぱいあるだろう。でも、自分の経てきたこの過程と体験に自信を持ってほしい。周囲がたとえなんと言おうと。堂々と、進んでいってほしい。自分の声を持って。:みんなの未来の勝利を祈りましょう。これからどんどん留学生が帰国する。ターシャはまた新しく留学生を迎えるのか。
2008.02.25
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:いつも穏やかでいるというのは、難しいことだ。最近の発見その1:内実が曖昧なまま硬直化した言葉からは、硬直化した単純な因果関係しか生まれない。発見その2:頭脳の回転が止まったら(笑)、クラシックを聴くと良い。特にモーツァルト。最近のお気に入り:フルート四重奏曲 第1番 二長調 k.285 第1楽章:あともうちょっと・・・その「もうちょっと」を縮める歩幅はとても小さく、ゆっくりだ・・・:歌でも歌いましょう。ジャンジャジャジャンジャン、ジャンジャジャ~ンゆるぎないものひとつ 抱きしめたいよ誰もがそれを 笑ったとしても燃え盛るおもいだけを 伝えましょう命のあかしが ほしいなら歌おう My life! :ル~ルルルゥ~どこかに隠れたり 逃げたりしなくていいよね 魂よ もっと強くあれ!:・・・・ゆるぎないものひとつ 抱きしめたいよ誰もがそれを 笑ったとしても絶望のまんなかを 見つめましょう命のあかしがほしいなら歌おう My life! 二度とない My life! :B'z 最高燃え盛る思いをひとつの形にするのが、どんなに大変なことか。たったひとつのことをゆるぎないものにする作業が、どんなに時間のかかることか。 あれ 数行日記になってない・・・
2008.02.24
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さて、ウェン先生の第1章を見終わって、本棚に戻ると、次に見つけたのは、Ma’am Artemis の修士論文。ターシャの日記上にも何度か出てきた女性の先生である。交換留学時代から特にお世話になり、日本に帰国していてもつながっていた先生だ。ターシャが憧れてやまぬ女性である。その暗号名の通り、月のように美しく、聡明である・・・そして、「超」細い。ダンスをされている関係もあるが、むしろ、ご飯を食べないのだ。本当に、食べないのだ。まあ、これはまた別の機会に話そう。先生のプロフィールも拝見・・・(読んで楽しんでいるターシャ):なにぃ? 学部をトップで卒業してるよ!院では19○○年の、most outstanding student? いや、でも、頷ける・・・そうだよ。Ma’am Artemis はそうだ。 Ma’am の論文は、すでに以前、見ていた。けれど、改めて見てみると、学ぶところがたくさんあった。Ma’am の頭脳の素晴らしさに、改めて敬服した・・・:どうしてこう、難解な理論を、ものの見事に操れるのだろう?自分の主張にあわせて。先生の文章・・・これまた、Ma’am Artemis の声だった。理知的で、無駄がなく、かつ必要なものはすべて統合して、説得力をもって迫ってくる。それは、感動的に鮮やかな展開だった。:すごいなあ。ほっんとうに、すごいなあ。なんか、「すごい」しか言ってないターシャ。ふと顔を上げた。壁にひしめいているmaroon 色の論文たちが目に入った。その1冊、1冊に、どれだけの知が詰まっていることだろう。そして、どれほどの労苦が・・・学問に貢献するとは、こういうことなのか。それは、激しさを内に秘めた、本当に静かな、長い長い、知の積み重ねだ。破壊ではなく、建設。そのために命を削り、命を捧げるような。なんて、尊いのだろうと思った。このような行為自体が、人間の偉大さを表しているように思えた。どの1冊も、尊く見えた。沈黙の深みに彼らはたたずんでいた。けれど決して、よそよそしくはなかった。:私の1冊も、ここに加えられるのか・・・3人の先生方、ターシャが心から敬愛し、尊敬する先生方の論文には、共通点があった。それは、自分のしていることが、人間の精神の向上と、連帯の構築に貢献できると信じている点だった。高貴な魂・・・部屋に戻って、祈りの中で思った。:一体、自分に、どれほどの貢献ができるのだろうか? 比べるなんて、レベルが違いすぎて間違っているけれど、思わずにはいられなかった。涙が出た。でも、自分も、こういう先生たちのように、高貴な魂に貢献したいと思った。この章、ひとまず tapos na. (終了です)
2008.02.23
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2月20日の日記(「だからgenius...」のつづき)Mr. Genius の次に見つけた、ターシャの指導教官、ウェン先生の修士論文。どの論文にもはじめに、執筆者のプロフィールが付けてあるのだが、Mr. Genius のプロフィールが超簡単な1ページだったのに比べて、Mr. Wen のプロフィールはすごい長さだった・・・学歴、成績、出席した会議というのはまだしも、自分の好きな食べ物まで書いてあった(笑) いや、成績も、すごかった・・・(汗) GPA(全成績の平均)「1.1」。 これは、全科目、ほぼ「1」=「@」ということある。生年月日を見て、びっくり!:ウェン先生、もう40歳なの?? ぜっんぜん見えないよ?ウェン先生は未婚。よく自分のことを、「私は変な人です」と日本語で言っていた。その真意が、ようやく分かった。つまり、queer なのである。でもターシャは全然気にしない。女性にとって、ゲイは安心できる。へんなintentionを持つはずがないから。私のフィリピンにおける親友も、男だけど女である。それに、彼らはとてもオープンで優秀で、既成の概念にあまり捉われない。そして、自分の思うことを大切にする。だから私は一般的にゲイが好きである。でも、これ、UPに限ったゲイかも? ウェン先生の第1章の構成と内容は、とても参考になった。:くぅ、もっと早く見ておくんだった・・・!!文章から、ウェン先生の声が聞こえてきそうだった。無理がなく、無駄もなく、一貫していて、自然。穏やかな川の流れに乗っていくような・・・先生が25歳の時の修士論文だった。つまり、ターシャと同い年の時のもの。アメリカに在住しているフィリピン詩人の作品を研究されていた。そう、ウェン先生ご自身も、詩人である。UPには、作家兼批評家・研究者という先生がとても多い。:あぁ、先生、ありがとうございます。とても参考になりました。なんだかうまくまとめられる気がします。to be continued...
2008.02.23
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今夜は寮のお祭り International Night だった。ターシャの生息している寮は、外国人留学生のための寮で、年に1度こういった、各国の学生が演目を出し合うお祭りがある。ターシャはもちろん、活動には少しも関わらなかった。今夜も見ないつもりだったのだが、ルームメイトの Apple ちゃんが:They are serving food. I just ate them. It's good! とターシャに教えてくれたために、:Oh Really!? I must go there! 下へそそくさと降りていった。夕飯、ただで済むし。 食べ物はバイキング風で、なかなかおいしかった。ふだん食べられない、お魚や生野菜もあって嬉しかった。夕食だけいただいて部屋にぱっと戻るつもりが、同じく日本人修士で論文を書いている友達を発見。話し込んでしまい、そのまま International Night がスタート・・・彼女たちと、思いっきり最前列に座って観てしまった。(汗)フィリピン武道 Arnis の演技:Arnis とは、2つの硬い木の棒(1メートル弱)を振り回して戦う、フィリピンの伝統的な武道。grand master と呼ばれる、本当に達人のような顔をしたフィリピン人のおじいちゃんが、学生とともに演技した。思ったのですが、達人ってみんな、似たような雰囲気を持っているのですね。このおじいちゃんの皺だらけのきりっと引き締った顔をみて、柔道の加納治五郎先生を思い出した。棒をぶんぶん振り回して「Yaaaaaah!!」と最後は気合を入れる。すごかった。これ、映画の「マトリックス」でも使われているそうだ。スペインがフィリピンを侵略した時も、現地のフィリピン人はこれで戦ったそうだ。ただの木の棒とあなどるなかれ。かなりの破壊力を持つ、すごい武道らしい。:へえ!フィリピンにこんな武道があったのか!すごいな!知らなかった・・・!当たったら痛そう!!インドネシアのダンス:金と鮮やかな色彩の布を体に巻きつけて何とも煌びやか。手をくねくね、指先をそらして、イスラムチックなダンス。はぁ、美しいなぁ・・・ 宗教的儀式で踊るダンスと言っていたけれど、つんとすましたミステリアスな表情で、少しも笑わず、視線をクィッ、ツィッと動かす。神様の動きを真似しているのかな。日本舞踊:女の子たちが浴衣を着て扇子をもって、「サクラ」の日本舞踊を踊る。ゆっくり、しっとり・・・サクラの花びらが舞っているのを、表現しているんだね。 :浴衣を着てるだけでかわいいよねえ。 あとで彼女たちと写真撮ろう!(←ミーハー)韓国人の仮面舞踊と演技:いや、今年の彼らは本当に凝ってますよ。仮面も衣装も手作りで、演技もうまい。笑いのツボをきちんと押さえている。うまい!セクシーなディスコ系(?)や今風のダンスも、伝統的なダンスも踊れる。一体どこで習ったの?? 韓国の文化も、また独特なものを持っている。赤、青、黄、緑、黒、白・・・あのはっきりした単純な色彩使いは日本にはない。袖の長い布を上へ上へ振り上げて、足を跳ね上げて踊る。色も動きもダイナミックだ。フィリピンの伝統ダンス:竹の棒や、縦長の細い木の上で、ドレスを着た男女が軽やかに跳ねて駆けて踊る・・・何度もこういう系統のフィリピンダンスを見ているけれど、いつ見てもいいなと思う。とても明るくて軽やかで、楽しさいっぱいで。 彼らは笑顔を満面にして踊る。だから、見ているこちらまで楽しくなるのかな。:ダンスひとつにもはっきりと、文化が表れるんだなあ。どれも美しい・・・ 動きも、色も、リズムも。どれも、別の何かにはなれないし、そして、ほかの何も持っていないものを持っているなあ・・・文化って、美しいのだ。最後は全員で、わーわー言いながら(笑)、集合写真。:・・・あぁ、こういうの、いいな。こういう感覚を前にも味わった・・・ そうだ、学部時代に住んでいた寮で、行事のあとはやっぱりこんな風にして、みんなでわーわー笑いまくりながら写真を撮ったんだった。楽しかったな・・・ やっぱり、あの寮と、あそこで築いた絆は、私にとってかけがえのないものだ・・・本当に楽しかった。最後は午前0時過ぎまで、音楽をガンガン鳴らしてダンス、ダンス、ダンス・・・あ、もちろん、ターシャは踊りません。変なダンスなら踊れるけど(笑) 友達と写真を撮ったりしてちょっとはしゃいで、部屋へ帰った。ルームメイトは2人とも、まだ帰ってきていない。1時半を過ぎているのに。きっと打ち上げで、どこかで飲んでいるんだろう。ターシャのもう一人の韓国人ルームメイト、Prettyちゃん(グリーンの衣装)と。ブログ上では初公開ですね。papa たち、携帯で見れるかなぁ?ともあれ、いつもと違う経験をしたターシャでした。また論文に戻るぞお!
2008.02.22
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これは、2月20日の日記です。昨夜、ついに、行き詰まった。英語も、構成も、内容も、almost everything. 友達のアドバイスもあって翌日、過去の論文の第1章を見てみることにした。午前中、外を歩くのは何週間ぶりだろう? 院のオフィスへ向かった。本当に缶詰だったのですねえ。オフィスの場所が移って、論文のみが置かれた別個の部屋ができていた。中に入ると、UPのカラーである maroon (「栗色、えび茶色」と辞書にはあるが、やや深い赤みを帯びている)の革表紙で覆われた論文たちが、壁にひしめいていた。この色、ターシャは結構、好きである。落ち着いていて、賢そうで(笑):おぉぉ・・・!テーブルに置かれているリストを手にとって、比較文学科の論文を探した。:そうだ!ここには、Mr. Genius の博士論文もあるに違いない。果たしてあった・・・ ドキドキした。Mr.Genius の博士論文は、普通の人じゃできないことをしているのは知っていた。物理と文学の両方を扱っているのだ。ページを開くと、文学の論文なのに、螺旋図やら、四角、三角・・・ここ数年、お目にかかっていない「図」があった・・・:うわぁ! (思わず、引くターシャ)棚に戻そうとして、思いとどまる。せっかくだから、第1章だけでも読んでいこう。:なになに、「現代科学理論」と「現代文学理論」の統合を試みたもの・・・ 2つとも一見まったく異質のものであるようで、実は同じことをしている・・・同じ目的に向かっている・・・それから、話は、古代のプトレマイオスの世界観から、コペルニクス的展開、デカルト、ダーウィン、そしてデリダへ・・・私たちの知覚を規定する「世界観」から話されていた。:すごい、すっごい・・・ これだから、先生、genius なんだよ。まるで、先生の授業を聞いているような気分だった。 文章は、先生だった。簡潔で、よどみなく、的確。:・・・す、すごい・・・惚れる・・・Extinction is a consequence of over-specialization. という言葉があった。どんな学問でも、それが生き残るためには、monological ではなく、dialogical でなくてはならないこと。 そうでなければ、その学問の adaptability (適応性)を失ってしまうこと。他の学問分野とつながっているという統合意識がなければ、各々の学問は消滅にまっしぐらだろうと・・・先生が45歳のときの博士論文だった。現在、60歳の御齢・・・先生の目の下には、もうすでに別の筋肉でできているような隈がある・・・ちょっとブルドッグチックな? 「犯罪を犯すか、公共の仕事に従事しない限り、私のプライベートは私のものだ!」というある作家(名前、忘れた・・・)の言葉を生活の信条にしているそうな・・・ :うっ・・・こんなにバッサリと・・・しかもMr. Genius と、誕生日が近いことを発見 嬉しかった。(近いから、何?って感じだけどね・・・):あぁ、やっぱり、素晴らしい 読めて良かった・・・さて、また本棚に向かうと、今度は目の前に、なんとターシャの論文指導教官である、Mr. Wen の修士論文があった。:おぉぉ!これは見なければ。to be continued...
2008.02.21
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うぅ、眠い・・・マニラは久々に雨が降っている。ターシャは突き抜けるような青い空が好きなので、灰色の雲が一日中、空を覆っていると、時折、冴えない気分になる。脳みその回転が遅くなると、さらにそんな気分になる。Aagh ちょっとだけ頭を休めよう・・・と思って、ベッドに横たわる・・・:くわぁっと(心の中で)叫んで数秒後、跳ね起きる。「くわぁっ!」の中身はいろいろ・・・:ボンテン、タイシャク、ニッテン、ガッテン、etc...!!! (色々なショテンの名前が続く)あと、:使命を果たすんだあ!まだ休むなあ!あれ、こう書くと、結構、喜劇?(笑)しかも最近は寒い。水シャワーを浴びるのにも、気合を入れる。:これから水を浴びるぞと自分に言い聞かす。(笑)あぁ、Halimyak、元気かしら・・・ 今はもう Big Slope にいる。Pagasa は私のブログ、研究の合間に読んでるかしら。Talino は果たして携帯から見ているかしら。あ、目が覚めた。あともうちょっと、踏ん張ろう。その前に、昨日、院のオフィスに行って、ターシャの先生方の修士論文、博士論文を見てきた話を書きつけましょう。
2008.02.21
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自分が悩み考えてきた問題が、人のために役立った。賢くなければ、人も自分も護れないのだと思った。悩み苦しむ人を救うには、月光のように、その人の心に寄り添って共感し、その人の心を理解する力と、迷いの雲を断ち切り、何を目指したらいいのかをはっきり指し示し、何が大切なのか本質を照らし出す、太陽光線のような力が必要だ。Tarsha's papa が教えてくれたことがある。Nichiren様の「日」には、「月」と「日」と両方含まれているんだよと。そして、「指導」とは「指し導く」と書くけれど、どこを指すのか、どこへ導くのか―それは、gohonzon だよと。Even the darkness becomes bright when a lantern is lit, and even muddy water becomes clear when the moon shines on it. Can anything exceed the sun and moon in brightness? Can anything surpass the lotus flower in purity? The Lotus Sutra is the sun and moon and the lotus flower. Therefore it is called the Lotus Sutra of the Wonderful Law. Nichiren, too, is like the sun and moon and the lotus flower.(WND, p1109, Easy Delivery of a Fortune Child)
2008.02.20
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If they were people who understood their obligations or were capable of reason, then out of two blows that fall on me, they would receive one in my stead.You should pray intently that Shakyamuni, Many Treasures, and the Buddhas of the ten directions will all gather and enter into your body to assist you.(WND, p1451, Reply to Yasaburo)To explain exactly what namu means, namu is a word from India. In China and Japan it is translated as “dedicating one’s life.” “Dedicating one’s life” means to offer one’s life to the Buddha. In accordance with their status, some have wives and children, relatives, fiefs, and gold and silver, while others have no treasure. Whether one has wealth or not, no treasure exceeds the one called life. This is why those known as the sages and worthies of ancient times offered their lives to the Buddha and then became Buddhas.(WND, p1596, The Gift of Rice):Tarsha's new hobby: Reading the gosho すごいな、すごいな。感動の発見の連続だ。偉大な生命に触れることは、私自身を救うことになるのだと思った。縁に粉動されて逸れている一念を、正しい軌道に戻すことができる。なかなか思うようにいかないけれど、これも根本は、偉大な目的のために帰命しているのだと思おう。
2008.02.19
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すべてをここに吐き出すことができればいいのに。かわいそうな Halimyak!!!papa いわく、睡眠時間を削って、たった一人で「トラック一台分」の荷造りをやっているという。ほかの衆は全員、準備のために、当地へ行っているから。どれだけ理不尽なんだ?? どれだけ都合良く使ってるんだ?? ふざけるな。言葉では、言い表せない。Halimyak に、体を大きくするための機会も休みも与えられないのか? 宝の逸材だろうに? どこの世界でも、上にいる人間の心の汚さが、弱い立場にある人間を苦しめるのだ。だから、絶対に、正義が勝たなければいけない。具体的な手段をとることは、今はできないけれど、今の私たちにできるのは、papa が言うように、Halimyak のために祈り、そして、できれば直接会って、彼を元気づけること・・・:Poor Halim!! How poor he is!! (;o;) どんなに大変な世界にいるだろう、彼は。理屈が通らない、もっとも閉鎖的な旧式な世界だ。大変さの質が、まったく違うね・・・Halimyak と Tarsha. 祈る。己れのいる場所で勝つことが、この世界を変えることだ。改訂第1章の英訳が終わった。左手親指の筋肉が痛い。でも、これはまだまだ序の段階。英語の丁寧な見直しと推敲をして、明日、完成だ!:Tiiiisshh、色んな意味で、Tiiiisshh!!! くっそーーーー!!! 私はこんなに未熟だ!!!でも、ぜったいに、負けるもんか!!!!! 這いつくばってでも、進んでやる!!!
2008.02.18
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勉強開始まで時間があと15分ほどあるので、最近思うことを書き付けよう。今日はとりわけ「超」生意気な日記です。お許し下さいませ。さっき、Tarsha's mama が、心配と怒りにあふれたメールを送ってきた。例の、キモい教授のことだった。:とても不愉快な事があったようですね。女性ならではの、経験でしたか? 世界の歴史は根本的には女性への迫害(弱き者への)との戦いですからね!少なからず誰もが一度は心底怒りを感じるほどの経験をしていると思います。だからこそ、私達のあらゆる分野での戦いに大きな意味があると思っています。怒りは私の情熱に変換されます。負けるものか……とね(`o´)!だから、いい男を捕まえなさい。なんて話がとびすぎですね。:うぉっ!マミーがすごく心配しているのが伝わったので、夕飯をストップして急いで変身、じゃない、返信。きちんと事情を説明した。セクハラも何もされていないこと。でも相手の行動に、向こうが私に近づきたいようなキモい動機を感じたので、すぐに縁を切ったこと。勉強には何の支障も来たしていないし着実に(超、ゆっくりだが、汗)前進しているので、どうぞ安心してポ、とのこと。マミーはすぐ安心してくれた。良かった、良かった・・・ともあれ、一連の件があって、色々なことを考えた。女性を尊敬できない男は最悪だと思う。けれど、彼らが女性に対する優越感を乗り越えるのは、実は相当、難しいようだ。その底には、男ならではの「傲慢さ」、「ずるさ」、「いやらしさ」がある気がする。よほどのことでは、彼らはその命を乗り越えられない気がする。faith があったとしても、「中途半端」な faith では無理だ。たとえ私と同じ faith をしていても、ただのやさ男ではだめ。あまちゃんやぼっちゃんもだめ。真剣に戦っていないから。彼らは本質的に臆病で、疲れると女性に甘えたがる。そういう時こそ、faith で立つんだろう!? 勘違いすんな。かといって、女性に対する優越感を乗り越えられてはいない。どうしても出る。言葉の端、行動の端に。本当に女性を尊敬していたら、そういう言葉は言わないだろう。そういう行動はとらないだろう。相手が私よりどんなに年上であれ、権威や役職がどうあれ、一切、関係ない。私はその人そのものを賢く見抜いていきたい。ターシャの理想の男性像若き日の my mentor. Mr. Genius. :男はやっぱり、信仰や精神性の高いものに従事して、自分をいじめ抜いて磨かないとだめだね。な~んて、「超」生意気なこといって、ごめんなさ~い。ターシャは、マイペースでうんと自分をいじめて磨いていきます!Oops! 15分、とっくに過ぎちゃったよ。
2008.02.18
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A tick that attaches itself to the tail of a ch’i-lin can race a thousand miles in one day, and a worthless man who accompanies a wheel-turning king can circle in an instant about the four continents of the world. Who would question the truth of such matters?Therefore, I say to you, my disciples, try practicing as the Lotus Sutra teaches, exerting yourselves without begrudging your lives! Test the truth of Buddhism now!(WND, pp290-291, The Selection of the Time)ある言葉が当たり前のごとく使われ続けると、その内実について深い考察もなしに言葉だけが上滑りすることがある。それでいて、自分はそれを「知っている」つもりでいる。でもそれは、言葉の表面を滑っているに過ぎない。言葉はゆで卵のように、ツルツルと手から滑ってしまい、しっかり掴むことも、口の中へ入れることもできない。私がいつも祈りの中で思っていた理想も、そうなっていた。:私の理想って何だろう?昨日の日記で「理想」という言葉が出たとき、漠然としたイメージはあったけれど、あえて立ち止まってそう考えたとき、すぐに言語化できなかった・・・ さっき、祈りの中でそれを考え、自分なりの答えを出した。この thesis を、my mentor との誓いを果たす第一歩に、理想実現のための第一歩にする。終わりなきこの道の、第一歩と定める。これを、私の人生において「此の度」だと決める。
2008.02.16
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小さい頃から、Tarsha's papa は、私たちに本をたくさん買ってくれた。お隣に住まれていた品の良いおば様が、もう成人したご子息の読まれなくなった沢山の本を下さったこともあった。そういった本の中には、小さい私たちが本の世界に入りやすいよう、漫画本もあった。私が好きだったのは、「ひみつシリーズ」と、漫画の伝記シリーズだった。「ひみつシリーズ」は、たとえば、『体のひみつ』、『宇宙のひみつ』、『恐竜のひみつ』、『名前のひみつ』などなど・・・ テーマごとに分かれていて、種類がたくさんあった。私たちは4人姉弟だから、みんなで読みまわして、最後は表紙と本体が外れてボロボロに(笑) 特に、『恐竜のひみつ』(笑)私が特に好きだった漫画伝記は、『キュリー夫人』だった。今、my mentor が語ってくださる彼女の生き様に、深く心を打たれる。小さい頃、漫画伝記で読んだ彼女の若き日の苦闘が鮮やかに思い出された。祖国は帝政ロシアの支配下にあり、小さい頃から屈辱的な思いを味わったこと。最愛の母が病に倒れ、毎日教会に通って必死に神に祈ったが、母はついに死に、それ以後、マーニャは決して教会へ行こうとしなかったこと。家を離れ、意地悪な主人の家庭で住み込みの家庭教師をし、つらい思いをしながら、わずかな賃金にぐっと耐えたこと。いくつもの家で家庭教師をしたこと。その中で、文字が分からない村の子供たちにも文字を教えたこと。ついに、姉からパリに来るようにと手紙が届き、泣いて喜んだこと。パリ大学での授業で、フランス語がまったく分からず、必死になって勉強したこと。姉のもとを離れて移り住んだ部屋は、7階建てのアパートの古い屋根裏部屋で、上り下りの階段が大変だったこと。パリで、極寒の冬をしのぐ毛布がなくて、自分の本を上から敷き詰めて寝たこと。倒れるほど、勉強したこと。逆境の中で猛勉強していた若き日の彼女の写真を覚えている。本当に美しかった。自分はどんなに恵まれているだろう。なのに、彼女の努力の千分の一にも及ばない。彼女のように自分を追い込んでいない。「千倍も猛勉強している」という彼女の言葉に、その事実に、羞恥心であ然とする、ここに書きたくないくらいに。私は今、十倍だって、五倍だって、できていないだろう。心が震える・・・本当の思いは、行動で表れるんだ。逆に言えば、行動に表れない思いは、まだまだ、本物でないのだ。彼女の心にあった、祖国復興の思い、人々への貢献、離れて暮らす父への恩・・・ それは全部、彼女の一心不乱の猛勉強に表れている。理想は、この胸の中にもあるのに!ほんとうは、まだまだだったのだ・・・ 少しでも、彼女のように学べる、そういう自分になれるように、祈ろう。そういう努力ができる自分になれるように。My mentor が、命を削られているのだから、私も、自分の命を削るような戦いをして当然だと思った。私は、もっと、自分をいじめなければいけない。
2008.02.15
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昨日、集中していつもと違う生活パターンを取ったためだと思う。今朝は遅く起きてしまった。遅く起きると、朝から一瞬、ショックである。夕方にも1時間も寝てしまった! Mottainai. 今夜、第1章改訂原稿の執筆を終えた。ご飯を食べると眠くなり、気が緩んで調子が戻りにくくなるので、ちょっとお腹がすいていたが、あともうちょっとだったので最後まで我慢したら、夜10時になってしまった。もうお腹はすいていなかったが、食べた(笑)今回の改訂―第1章の見直し―で、自分がどんなに、やろうとしている問題をよく分かっていなかったかが分かった・・・ 今、自分が目指す地平線が、その意義が、ぐっと拓けた気がする。でも、これが最終じゃない。明日中に最終の推敲を済まし、英訳を開始したい。そう・・・私は徹底して深く考えるには、英語とパソコンの画面上では駄目みたいだ。紙と鉛筆と日本語で考えるのが一番落ち着く。メールを開いたら、Tarsha's papa からメールが来ていた。:Tarsha、元気かい? Pagasaが言ってたけど、いやな思いをしたそうだね。:ニャ、ニャぜそれを Pagasa, あの超長い English diary、読んだのか:立場の弱い学生を悲しませ、いやな気持ちにさせる教授は、それがどんな華やかな経歴をもっていようとも、その境涯はちょうど Halimyak に意地悪している兄弟子達と変わりはないんだよ。いやむしろそれ以下だよ。 色々なことに優れたところがあったとしても、それを他人や社会のために生かすことのできない「才能ある蓄生」なんだよ! 心の底から軽蔑してやりなさい。そして見返してやりなさい。:あいつのことなんか、もう相手にしないよ、いっさい。寄せつけないよ。厳然と見返すよ。 :ところで、こちらは皆元気だから安心してね。Tarshaも色々なことに出くわすけど、全て自身の成長のための肥料にしていく賢さと逞しさを、オダイモクで引き出していってね。いつもゴホンゾンとショテンに祈っているよ!:papa、本当にありがとう!悪はいっさい、寄せ付けない祈りをします。ターシャがあの内容を英語で書いたのは、ちょっと書きづらかったから。でも、書きたかったから。Power は、人を、内面から「恐怖」で抑える。その記憶が他者の眼前で蘇るのが、恐ろしくなるのだ。そして、言わせなくする。黙らせる。私が嫌だなと感じたあの時の違和感を、しばらくの間、ほかの友達に話せなかった。彼らがそれをどう思うか、聞けなかった。怖くて。そうやって、沈黙のなかに恐怖はその人の中で深化し、その人を苛むのだ。権力はすでに私たちに内在化され、私たちを内側からコントロールしようとする。今の権力の形は、「普通化」だよ。見えないんだ。権力がすでに私たちの中に組み込まれ、私たちを動かそうとするなら、一体、それにどうやって対抗したらいいのか?・・・その権力を抑えるには、自分を殺すしかないのか?一体、自分を内側からコントロールしようとする見えない power に対抗する方法は何か?・・・それは、自分が思っていることを、言うことだよ。社会学のRandy David 先生は、そう教えて下さった。この先生自身、権力によって無実の罪で投獄され、UPの弁護団が裁判で戦って、先生の解放を勝ち取ったという歴史を持っている。詳しいことは知らないが、友達が教えてくれた。本当にすごいと思う。フィリピンの現状を、社会学の観点から世界に発信している、ほとんど唯一の学者だと、ターシャの先輩が教えて下さった。『バナナと日本人』の著者・鶴見良行さんの親友でもあるそうだ。David 先生は、本当に素晴らしい先生だった。一流だと思う。院の3時間の授業も、まったく長さを感じさせない面白さだった。先生は、修士号しか取得されていない。けれど、社会学部の中で傑出したナンバーワンだと、友人は言う。物事の本質、ポイントを、いつも分かりやすく教えて下さった。社会学の中で出てくる専門用語や理論―読んだだけでは紙の上にあるだけの難しい言葉―が、先生の口から説明されると、生き生きと立体感を帯びて、現実に脈動してくる、どんどん新しい視野が開けていく・・・そういう授業だった。ともあれ、だから書いた。先生の言葉を思い出しながら、あのことを書いた。書いたあとは、とてもすっきりした。一流の人は、どうしていつも、あんなに格好いいんだろう。何も畏れない―そういうオーラがある。権力と戦っているか。民衆のために戦う知性なのか。何のために、その知性を使うのか。現実に難を受け、戦う勇気があるか。そこなんだ。見抜くべきポイントは。それでは、good night po.
2008.02.14
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本当に集中すると、ご飯も別に食べなくても良くなってしまう気がした(汗) 日頃、あれほど、「基本が大事」と言っているのに。論理展開の途中、無意識と意識の間にただよっていて、拾いそびれた疑問、これは関係ないだろうと気にもとめなかった言葉、頭の片隅で意識しながらも、ないがしろにした部分、これらがぜんぶ、ぜ~んぶ、驚くほど「すべて」が執筆の途中で、それを阻む壁となって現れる。そのたびに立ち止まって、また、ウンウン考える。すると、ぱっとひらめく。新たなシナプスの結合 視野が広がり、論の展開が深まる。:おぉ!しばらく進むと、:むむっ? また論理の飛躍や矛盾にぶつかる。またウンウン考える・・・ その繰り返し。 うようよ・きょくせつ・うよきょくせつ・・・昨日からそれが特に激しい。昨夜は、壁にぶつかって思考が進まず、メモとペンをもって部屋の外に出て、歩きながら、時に四股を踏みながら(ウソ)、考えた。最近、北から吹く風が寒い。日本は雪が降っているからだろうか。おかげで日記も書く心の余裕がなかった。どこにいても、心の中で、chant, chant... 「論文は生き物だ」というけれど、本当にそうだ。胎児のときの原型(オリジナル第1章の構成と内容)を、ほぼ、留めていない(汗) :どうか、どうか、私の使命を果たさせてください・・・ この論文を通して、フィリピンに恩返しができますように・・・昨日、多忙でいつも満身創痍の Tarsha's mama が、珍しくメールを送ってくれた。:ママん!今日はお休みなの?メールありがとうししょうのgirl students へのメッセージに大変、感動したとのこと。mama が感動し、ターシャがそうありたいと祈る、その言葉をここに。白雪のごとく Mystic Law でわが生命を染め抜け!!
2008.02.13
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目がしょぼしょぼする・・・さっきまで、Wisdom of the Lotus Sutra の中の、the doctrine of the Ten Worlds 関連の章を読んでいた。読みながら、はたと思った。自分は、これまで「死」について真剣に考えたことがあっただろうか、否、「自分」が「死ぬ」なんて、考えたこと、あっただろうか。小さい頃は、夜、布団の中で一人、いつかパパやママがいなくなること、そして、自分も死ぬことを考えて、悲しくて泣いたことがよくあった。でも、ここ数年は、「まったく」と言って良いほど、なかった。「死ぬ」ということが、こんなに自分から遠ざかっていたなんて・・・驚いた。無意識のうちに、いつまでも、永遠に、前へ進んでいくことを思っていて、その先に「老い」と「死」があることを、想像していなかった・・・病気にかかり、「死」を見つめて生き抜いた人たちの証言を読み、生死のすさまじさ、裸一貫で対するしかない「死」の峻厳さ、そして、死ぬという恐怖を乗り越えて戦う「生命」のすごさと、1日の命がどんなに尊いことなのか、それゆえに人に尽くす貢献を喜んでしていく、という―そういったことに触れて、ここしばらく感じたことのないような感覚を覚えた。まるで、自分がいま心身に着けているすべてを離れて、自分の命の奥底に向かって、垂直に深く降りていくような感覚、この「いのち」そのものだけが存在する、という感覚を味わった。Ten Worlds は、ほんとうに、深い。しばらく読み進めて、涙が、じわりと、目からあふれ出た。重さを感じた。涙が出た理由を考えてみたのだが、自分でもうまく説明がつかない。「死」という「絶対」の事実を置き去りにして、「生命」の深さをよく知らずして、自分は、海の表面をばちゃばちゃ泳いでいたような感じがあったかもしれない。理論や学問の世界では、揺ぎない「絶対」や「真理」という言葉はもうすでに特権を持たない。そんなのない、ということだ。でも、「死ぬ」ということだけは、誰にもまぬがれない、絶対のことなんだ。The Ten Worlds のNo.9 を読んで、nonoちゃんがあの時、私の「無理しないでね」という言葉に対して、「無理する」と言ったことの意味が、前より深く、分かった気がした・・・彼女のすごさ、尊さを、一層深く、心に感じ入った。今日の新聞の中で、感動し、考えさせられたトルストイの言葉―「われわれは他人のために生きたとき、はじめて真に自分のために生きるのである」まさに、No.9 だ。「利他と自利の一致」「謙虚さ」・・・「境涯革命」といくら口で言ったって、中途半端じゃできやしないこと、本気で戦い苦しみ抜かないとできないことも学んだ。今の自分と、論文と・・・いつも今と先ばかり、横一線上から見ていたけれど、「奥底」から省みたひと時だった。
2008.02.11
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第1章の改訂作業・・・ やっと頭の中が整理されて、いつもよりだいぶ大きな一歩、そしてもう一歩を進めることができた。「人間を理解する」、「人間への理解を深める」ということに対して、そのための地味で地道で、時には遠回りな、時間のかかる営みに対して、誠実でありたい。要領を使ったり、ごまかしたり、面倒くさがったりせず。そして、理論をテキスト上でコロコロ転がすような、単なる知的操作ではなくして、「真」に迫っていくものでありたい。その時代と社会の、歴史的条件のもとに生きた人間の真実、そして、私たちの真実に。Mr. Genius の好きな言葉が思い浮かんだ。作品を批評するときにその点を基準とすると仰っていた記憶がある・・・それは、verisimilitude (真実らしさ、真実味)私の書いているものは文学作品ではないけれど、「人間」に迫っていく「真実味」を持ったものでありたい。つい最近、ふと疑問に思ったことがある。「西洋と東洋」という枠組みだけでは、掬い上げられない、もしくはそこからはみ出す国や地域があるんじゃないだろうか。いや、明らかにあると思う・・・日本は「東洋」に属する文化圏で、まさに自分がその中にいるために、これまでそんな疑問が浮かばなかった。でも、フィリピンはどうだろう。地理的には中国の南に位置し、アジア、なかでも、東南アジアに属している。けれど、東南アジアは、日本においてイメージされるような東洋とはまた違った趣を持っている。南の人たちが持つラテン的な陽気さ、奔放さ、色彩の明るさのゆえだろうか。しかもフィリピンは、スペイン、アメリカ、太平洋戦争中は日本によって支配・占領された。特にスペイン・アメリカの影響を、その文化に色濃く受けている。宗教は、キリスト教とイスラム教でほぼ占められている。フィリピンは、西洋にも、東洋にも、厳密には当てはまらないと思う。西洋も、東洋も、お互いの存在があるために相対化されているけれど、この一対をさらに相対化する、新しいパラダイムが必要だったりして。最近、よく思う。:人間を動かすものは、思想だ!では、おやすみなさいポ。
2008.02.10
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Marie Curie の記事を読んだ。:なんて、強いのだろう。あぁ、私も彼女のように生きたい・・・彼女のように、刻苦勉励しなければ・・・これから、私の模範とするべき人は、この人だ・・・そして、その像が立つ場所で学び、今は社会で働いているターシャの大切な友のことが思い浮かんだ。昨年春、一時帰国の折に東京で会った。nonoちゃんとしよう。そのときは確か election の時期だった。ターシャは内心「一時帰国するたびに election だよ・・・ なんで」と辟易していた。そんなターシャが一時帰国の休憩気分から抜け出していない中、nonoちゃんはもみくちゃになって戦っていた。久しぶりに会った彼女の目の下には、隈ができていた。睡眠時間まで削って動いているため、出社中、トイレの中でわずかな睡眠をとる・・・ それぐらい猛然と動きまくっていた・・・:Oh my gosh なんで一人がそこまでやるか やりすぎだよぉ 身体、壊しちゃうよ・・・ターシャは、nonoちゃんの話を聞きながら、内心、驚きまくり、引きまくりだった。日本とはまったく環境も雰囲気も違う国で生活し、そこに埋没している学生の自分と、社会で働き、地域でも周囲の仲間にはっぱをかけられながら、がんがん動いているnonoちゃんの間に、大きな隔たり、ある意味ではカルチャーショックに近いものを感じた。:もう、両極端の間を行ったり来たりして、へとへとだから、中間にいるターシャんに会いたかったの。:Hahaha! おぅ、おぅ、私といる時くらいはゆっくり休んでよ。全然、今の状況分からないし。(笑):Ahaha! だからターシャん好き。ランチをつつきながら、近況を交換し合った。nonoちゃんは言った。:私のどこを切ってもね、「私には sensei しかありません!」っていう自分になりたいんだ。:ギョッ・・・彼女の言っていることがよく分からなかった。いや、共感できなかったのだ。:どこを切っても?・・・極端すぎるんじゃかろうか。ちょっとこわぃ・・・ でも、ターシャは、なぜ彼女がそう思うようになったのか、その「プロセス」を聞かなかった。そんな質問、自分の中から出てこなかった。その時は、よく分からず、共感もできないまま、:ふぅむ・・・そっかあ。すごいなあ・・・と、言った気がする。大体この年齢になると気になり出す(?)marriage の話題も出た。彼女の薬指には、リングが光っていた。 ターシャはすっかり、「もしや」と、一般的な方向で考えていた。そしたら、nonoちゃんいわく、これは母校を卒業するとき、みんなもらうリングなのだそうだ。すべった・・・:きっとその人(将来、一緒になる人)はね、私の全然知らないところで、一生懸命、動いているんだと思う。今は全然、お互いのことを知らずに、自分の場所で、もみくちゃになって動いていて。その出会いがくるまでに、自分の境涯を、どれだけ高められるかだと思ってる。:はぁ・・・ ターシャはその頃、ようやく、自身の勉強の中で、結局は、何をしていくにも「境涯革命」という目的が根幹にあるべきなのだと気づいたところだった。nonoちゃんの言っていることも、自分のレベルで引き合わせて、:そうだね・・・結局は、「境涯革命」だよね。と返答していたかな。睡眠時間も削り、くたくたになるまで動いている彼女を見て心配になった私は、別れ際、:無理しないでね、nonoちゃん。と言った。私の横を歩いていた彼女は、静かな微笑みを湛えた目で、私の顔を見た。そして前を向いて、:無理する。と、やさしい声で言った。2人の間に、大きなギャップを感じた再会だった。自分が、ちっとも燃えていないこと、求める心がないことを感じた再会でもあった。こんな境涯のターシャに会って、nonoちゃんは返って疲れちゃったんじゃないだろうか、そう思った。今、nonoちゃんより、数年遅れて(?)、私もやっと、彼女の言っていることが、共感を持って理解できるようになった。 いる場所は違うけれど・・・有り難きは友の存在だ。こうやって離れていても、彼女の奮闘と、その中から彼女がつかんだ言葉が、私の心に蘇る。そうして、時と空間を超えて、今、私を励ましてくれる。あぁなりたい、こうあればいい、そんなこと、彼女はちっとも言っていなかった。自分に関することなど、念頭にないようだった。そんな毎日を、365日生きているような彼女だった。私は結局、自分のことばかり考えていた、もしくは、そうなりがちだったと、今日、気づいた。一喜一憂している自分がいた。それに振り回されていた。つらい時、思い出すのは、誰? 何?―それが、自分の芯に在るものだ。平生、口で言っていることなど、すぐ剥がれてしまう。境涯を高めよう。自分の使命を果たそう。Here, and Now. 感謝と喜びが心に湧いた。
2008.02.09
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While I was revising my draft of the thesis this morning, my celphone rang...:・・・うぉっIt was He... Since the end of last year, I kept ignoring him... Gosh! I didn't answer the phone. It kept ringing rather long, then stopped. I turned my celphone silent so that any sound of the email or the call wouldn't disturb me. He was my teacher in Feminism of the Philosophy class last year. After the first meeting of the class, he told me that he knows the crown prince of Japan, since he was studying at Oxford and the prince was his classmate. But at that time I was not so impressed by it or particularly interested in it.After that semester, I went to see him to get the class card with my grade on it, which was one of the requirements to extend my student visa. At that opportunity he showed me many pictures during his Oxford university days. I was so surprised with the fact that he was really a close friend of the prince, which rather pleased me. It does not mean that I admire the prince in particular, but his warm friendship with the prince as one student, as one person, touched my heart.:But now I think I shouldn't have shown my joy honestly to him... When I got the class card from him, he said that my final paper was the best in his class, and he wants to give me some comments on it as he always does to his students. But he must review my paper first, for the time when he read the paper was rather a bit long time ago. I was willing to listen to his comments, for I remembered he told in the class that he was really trained to write a good paper in Oxford, so he is good at pointing out the weak points of the students' papers and improving them. We set the schedule to meet again in his office. Next week when I visited his office, he told me that he had no time to review my paper since he was too busy preparing for the conference in some foreign country whose name I already forgot. He asked me if I still want to get his comments. Well, actually it really didn't matter to me anymore, since Feminism is not my major. But I hesitated to say no, and at the same time I also thought that it would be still good to hear his comments to know where my weak point in my argument is. So I said yes. We met the week after next again. It was 1pm. Since he had not taken lunch yet, he asked me if I can accompany him. I had alreay taken lunch, but well it's no problem. We went to the canteen of the College of Law by his car, where he can take meals for free, which is the privilege acknowledged to the faculty. The canteen exclusive for the faculty was really beautiful as if an expensive restaurant, totally different from the other canteens for students.The comments he gave me on my paper was... just nothing. It's just a sort of impressionist comment. Only that? I was rather disappointed...But still I enjoyed the conversation with him somehow, since we talked on many things, especially his student days and his memories with the prince in Oxford. On the walls of that canteen, there were several portraits of the important figures who were on the important posts of the law in the Philippines. Finishing his meal, he took me in front of one portait, and said, "My father.""OH, really!!?? He is so handsome!! (and doesn't resemble you at all!) " Well, I regret that I showed too much reaction... His father was the Chief Justice of the Philippines during the Marcos era, which surprised me a lot.After the meal, he said he would walk up to my dorm, just to see me off. My dorm is just near from the College.But I didn't like that... "Oh, why do the Filipino men often want to follow me up to the dorm? Just leave me here. You can go now." But I didn't say so... I couldn't. Well, he said he is intersted in the dorm for foreign students here, since he was also a foreign student when he was in England. Anyway, at the lobby of the dorm, we separated. Oh wait, before that, he asked me he wants to invite me to the Christmas party at his house and asked me how he can contact me. How stupid I am. I told him my number. At the moment of leaving, he asked, "Can I...?" holding out his hand for a handshake.Instantly I understood that he wants to do a Filipino greeting, putting your cheek on the cheek of the other and at the same time making a sound of a peck with lips.I didn't want to do that. But still I did, for I felt it's rather rude to deny it. My mind went blank. I heard the sound of his peck just beside my ear. I hated IT. I felt so0ooo bad. Instantly I felt, :Ah, he is having some affairs with women outside his home. The smile on his face on leaving was a bit unnatural, meaning, grotesque. For several days this memory annoyed me and tortured me,really... I asked my Filipino male friend how he thinks of it. He said it's jsut ok, no problem. I wondered if I am wrong.I also asked my Japanese girl firends. They were all cried out, ”きもーい” and warned me to be careful, which really consoled my heart, seeing that my honest feeling was just natural and right. One week later or so after this incident, I received a text (email) from him to my celphone, asking me if I am free for dinner. Gosh!! I declined, saying some excuse, to which he replied that he wanted a company before leaving for the conference in some foreign country, etc.:Where is your wife!!?? Then after several hours, he sent me a text again, asking if I want to see his nephew who is studying Literature at Oxford and now back here for vacation. :Ah, Oxford again... I didn't reply him anymore. Since then there was no news from him since. I expected that he understood the meaning of my silence. Then I almost forgot that he exists on this planet. But here again! and this time it's a call. I ignored it, of course.Next came a text. "May we meet. I have some questions...":会いたいだと・・・やっぱり!あん?日本のプロジェクト、会議?・・・ふん!自分で調べろ。日本だと思って。Why do I have to go through all the toubles to MEET him? なんで、質問するのに、わざわざ会わなきゃいけないの? こっちの予定も聞かずに、textに久しぶりの礼儀的な挨拶もなしに、いきなり突然。論文で忙しいって、前に会ったとき話したよね。いや、っていうか、もう来るな。金輪際、何もよこすな。おまえとは、縁を切るThe reasons for writing on such an annoying topic is that I wanted to look at my heart closely... that is, "権威主義".He was studying at Oxford... Wow! Later he also reveals that his nephew is studying there as well.His father was the Chief Justice of the Philippines... Wow! He is a close friend of the crown prince... I see!I hate that he, so naturally, reveals those big names one after another. The friendship with the crown prince is still ok. But the portrait of his father at the canteen... what's his true intention? Maybe it's nothing for him, but still the naturalness he was wearing annoys me...But I also hate myself for being so unarmed in front of those big names.Particularly, "Oxford." Yes, it is a very famous, prestigious seat of learning. When I hear the names of good schools, especially in the States or the England, I often feel a slight sense of inferiority...which I hate most. Is it because I am not familiar with people from those countires? How should I overcome it? But I know the core reason for my being this way... I think I know. Wherever I come from, I must stand on my own feet. It't not the name that matters. :自分がどこを出ようが、相手がどこの誰であろうが、自分自身が力をつけるんだ。自分の足で立つんだ。態度を変えたらだめなんだ。名前の前に媚びるな。いつも素晴らしい先生方に恵まれるターシャが、なんで一人だけ、ここでこんなのに会ったんだろう、と考えた。ここで、断ち切らないといけないんだと思った。自分の中の「権威」に媚びようとする命を。Oh, I just remembered my papa once asked us this question...:最近、よく「誠実」という言葉を聞くけれど、「誠実」って何だと思う?&&:う~ん・・・:分からないときは、その「反対」を思い浮かべるといいんだよ。「誠実」の反対・・・裏切り、傲慢、嘘つき、威張る・・・ papa は、「誠実」って、「変わらないこと」だと思うよ。 :長くてごめんなさい。
2008.02.08
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先ほど、ターシャの alma mater から来ている exchange student の後輩、Whiteちゃんが部屋を訪れた。Whiteちゃんはターシャが心から敬愛するUPのA先生・・・Mr. Genius としておこう(本当に天才級なので)・・・の授業を、私の薦めで取っているのだが、Mr. Genius のクラスで提出するファイナルペーパーのテーマについて相談に訪れたのだ。Mr.Genius は仏教に大変、興味を持っており、ターシャが彼のクラスをとったときも、Mr.Genius から直々に頼まれて、our Buddhism についてペーパーを書いたので、その話を思い出した White ちゃんが、自分も何か仏教関連でペーパーを書こうと考え、ターシャのもとを訪れたわけである。彼女に何冊か本を貸しつつ、久しぶりに近況を聞いた。現在UPには、われらの alma mater から20人強の学生が語学研修で訪れているのだが・・・なんと、この研修への応募者は、90名を越えていたそうだターシャは論文1本に集中するため、今回はお手伝いには一切、かかわっていない。行事にも参加しない。ターシャがこれまでかかわってきた仕事に、ふぃりぴんエスじーあいのオフィシャルホームページに毎月掲載している、学生のフィリピン体験をつづったエッセイがある。それで、今回きている学生の皆さんにも、代表してどなたかに執筆をお願いしたく、ターシャの代わりに、White ちゃんたちに、彼らとの連携を含めたお仕事をお願いしていた。しか~し、問題、発生。いんそつの先生が、「出来ないわ」と言ったのだ。学生は彼らのスケジュールで already 忙しい。そんなの急に頼まれたって、無理!!と・・・:・・・White ちゃんの話によれば、エッセイ執筆のお願いをした時、そのティー茶ーはほかのことでも頭にきていたそうな。急にぼんぼん、そしきから依頼の話がやってくる、too much だと・・・:そうだよ、フィリピンはいつも、too much なんだよ。all of a sudden なんだよ。日本式に考えていたら、やっていけないんだよ。スケジュールが思い通りに進むことだってないんだ。急遽やってきた依頼にいかに賢く手際よく、臨機応変に対応するかが要求されるんだあ~!!そんなふうにカッチリ線をひいてやろうとしても、できないんだあ~!!White ちゃんいわく、この低ー茶ーはとりわけ、こう、周囲が見えないらしい。自分の思ったことに猪突猛進の傾向があるそうだ。また、自分が引率している学生に対しても、研修中、一切、日本語はしゃべらないこと、英語でしゃべるようにルールを設定したそうだ。なので、White ちゃんと話すときも、英語で会話らしい・・・ターシャはちょっと心配になった・・・何がって、彼女のもとの学生たちが・・・すでに彼女の授業をとり、その性質を心得、彼女の方法にも慣れている学生たちは、積極的にしゃべろうとする。一方、彼女の授業をとらず、英語にも慣れていない学生たちは、消極的で、積極的なグループのあとについて消極的な行動をとる。つまり二極化。そりゃ、そうなるだろう。そんなていーちゃーのもとにいたら、英語に慣れていない学生はストレスたまるだろう。ただでさえ、日本とまったく環境が違い、ストレスのたまるフィリピンライフなのだから。そして、英語「だけ」に熱心な学生は、ふぃりぴんに失望するんじゃないか。でも、私が頭にきたのは・・・今、UPの近くの別の大学にも、私費で短期留学にきている学生グループがいる。しかし、この低ー茶ーは、:あぁ、彼らはホリデーで来てるんでしょっといって、White ちゃんたちが話したエッセイの執筆も、:彼らにお願いしたら?と言ったそうな。しかも、自分の引率下の学生と、彼らが交わるのを良く思っていないらしい・・・なぜなら、彼らには常に英語で話すというルールがない上に、:モチベーションが違う!らしい。:私のところの学生は、90名以上の応募者の中から選ばれて、選ばれて、ここに来た学生なの。来る2ヶ月前から、ふぃりぴんのこと、せんせいのこと、勉強してきたのよ。まぁ、そんなこんな言って、別の大学にいっているこのグループを見下し、きっちり分けようとするらしい。:わかった・・無理しなくていいよ。その先生、「考えてみます」とは最後に言ったそうだけど、エッセイ執筆は、この別大学のグループにお願いする方向にしようか。さりげなく「その後、お考えはいかがですか」とか聞いて、こちらの意向を伝えよう。その先生を通していちいちやり取りするのも、White ちゃんたちが大変だもの・・・こんなタイプのティー茶ーがフィリピン研修の引率で来たのは、初めてだ。フィリピンで生きていくのは無理だ。そんなにガチガチに固めて。真剣なのは分かるけれど。そのティー茶ーには、根底に、自分のやり方は絶対に正しいという確信があるから、そういう行動が取れるのだ。しかし、自分たちがいるところは日本とは違うということ、そして、自分がよく知らない場所に滞在するときは、その場のあり方を尊重しないといけないことを、知らないといけない。彼らがここに来て、一つのイベントや現地めんばーとの交流会を用意するのに、誰が動いていると思っているんだ? 自分たちがただここに来ただけで、歓迎されると思っているのか? そんなの、特権意識だ。 このようでは、彼らをサポートする現地の日本人メンバーとも溝が深まってしまう。いや、すでに溝ができている・・・困ったものだ・・・ 自分が正しいと絶対的に信じて、変化する状況に柔軟に対応できない人は、本当に周りに迷惑をかける。そういう人のもとで仕切られる学生たちもかわいそうだ。少々、怒りのターシャでした。
2008.02.07
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昨日の午後、理系の院で学んでいる我が妹 Pagasaにメールを送る。 :Hi Pagasaちゃん。ターシャだよ。久しぶり!元気にしてるかい?今は大学にいるのかな。最近はどうしてるの?ターシャは部屋にこもって、遅々としながら論文第1章の改訂を進めております。ブログに毎日、日記をアップしているよ。ふぅ、なんかちょっとさびしい・・・(笑) さっき、パパにもメールしちゃったよ。時間あるとき、メールでPagasaちゃんの近況も知らせてね(^-^)/その夜、Pagasa より返信が届く。:ターシャん あ!本当に久しぶりになっちゃてるね。私は元気にしてるって言うのかな?健康ではあるよ。:「健康ではあるよ」って・・・「ではある」って何じゃ?(略)焦らずに楽しく研究したいんだけど、機械が故障していたり、どの分析法も難ありでいいのがなかなか見つからないとか、実際料理始める前の下ごしらえみたいな段階にいてキツイな。しかも今日メガネを外出時に失くした・・・・有り得ん・・・・一体どこで・・・多分外で失くしたんだけども。たぶんそのせいでイマイチな気分なんだな。:マジpon やばいじゃん、それ! 何も見えないじゃん! mama がまた怒るよ でも4日にやっと授業の課題出し切って、実験の用意ができるから、1月下旬よりは全然マシな精神状態だよ。1月は1度も実験できなかったんだよね。それで月末はすごい落ち込んでいたんだよね。:う~む、一度も実験できないというのはきつかったね・・・道理で、メールもこなかったわけよ。「なんで自分こんなに仕事率悪いんかな?! :ターシャも仕事率、超悪いよ・・・邪魔も入りすぎだし。・・・そうなる状況に自分から飛び込んでるんだろうけどさ?!!」って愚痴の命がすごい強くてぐったりしてたんだ。:ふむ、ふむ・・・愚痴が強まると自分が執着している部分の仕事以外でホントに能率が下がってしまって・・・根本的に生命力が弱くなってたんだね。 こんな感じで私も全然家に帰れてないんす。昨日かな?ターしゃんのブログ読んだよ!面白いね!:おぉ、salamat! ターシャん今こんなことしてるのか、そんなこと思ってるのかと分かるから、会えないけども近くにいるような、遠くない距離感に感じるよ。不思議だね~。:不思議だね~・・・でもターシャは、Pagasa から何もこなかったから、you の状況よく分からなかったよ?(笑) これYO、ブログによって生じるギャップは・・・「相手は自分の状況を知っていても、こっちは相手の状況を知らない」という・・・ ときどき、コメント残してよ(本音)な~んて、無理はいわないさ!実験で忙しいことを私は知っているわ。ターシャのブログで気晴らしでもしてねターシャん、たくさん苦労があるね。:笑そうだよ。おっしゃる通り可哀相なPAGASAなんだよ。家に帰れないし、就活に乗り遅れるし、実験なかなか進まないし、展望が見えないし、イギリス旅行ぱあになったし、:イギリス旅行英語勉強しなきゃいけないし、頭がパープリン(考えるの苦痛じゃ~。情報収集しんどい~。)だし、:hahaha ほんとうに、思考回路が塞がって時間ばかり立って、自分、バカになったんじゃないかって思うとき、あるよね。あんま美味しくないもの(カップラーメンと自分の料理)ばかり食べてるし・・・。:・・・・おいしいの食べなさい。まったく、また不規則な食生活して・・・ターシャは困ると、chant して、ボンテン・タイシャク・ニッテン・ガッテン・シャリホツ・モンジュボサツ・フゲンボサツ、わが身に入りたまえって祈ってるよ まぁ、これは、相当行き詰まった時だけね・・・(笑)PAGASAって何て意味なの?英語じゃないよね。:フィリピノ語でご猿。「希望」という意味さ!You の名前の通りさね 私もなんかサミシイよ。。。:まぁ、貴女もそうなの?乏しい知識、回らない頭、メガネを失った両眼、不貞腐れた気分、寒いアパート、ビシャビシャと降り続ける雪、微妙な孤独感などなどシミッたれた状況だよ。 :おょょ・・・すごく状況が浮かぶわ・・・「シミッたれた状況」って・・・(笑) 天候まで寂しいのね。こっちも最近、グレー色の曇りだよ。 「願いよ叶え いつの日か そうなるように 生きていけ」(B'z「ねがい」より) 私も自分の中に涌いてくる色々な命を見て、色々なことを考えるけれど、私は、my mentor's true disciple として、私の使命を果たさせて下さいと・・・最近、そう祈っているよ。これがターシャの最近たどり着いた「願い」だよ。そうやって、自分の中の弱さも傲慢さも乗りこえていこうって思っているよ。 まずは明日メガネ買いに行ってくるよ。雪止まないかな・・・:気をつけるんだよ。一つ予想外の悪いことが起こると、ひょんなことで怪我したり事故に遭ったりしやすいからね。 またメールするね。:おぅ。 :Pagasa:Tarsha
2008.02.07
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『明暗』・・・Yabeeh...(こんなばっちぃ言葉を使ってごめんなさい)本当に論文で扱えるのか・・・考えろ、考えろ・・・さきほど、Tarsha's papa と Pagasa より、メールの返信が届いた。今日の午後、ターシャがちょっと寂しくなって、2人にメールを送ったのだった。fufufu, 本当に面白いわ また明日にでも?ブログで紹介しましょう。漱石神話を崩した評論家・江藤淳氏に学ぶことは、本当に多い。江藤氏に心から感謝である。もしも彼が生きていて、会うような幸運があったならば、:江藤先生のおかげで、漱石が、「大」好きになりました!!と、言うだろう。初版へのあとがき(『決定版 夏目漱石』)の中で、こう言われていた。英雄崇拝位不潔なものはない。ぼくは崇拝の対象になっている漱石に我慢がならなかったのだ。人間を崇拝することほど、傲慢な行為はないし、他人に崇拝されるほど屈辱的なこともない。崇拝もせず、軽蔑もせず、只平凡な生活人であった漱石の肖像を描くことが、ぼくには作家に対する最高の礼儀だと思われる。偶像は死んでいるが、こうしてひとたび人間の共感に捉えれた精神の動きは、常に生きているからである。人間を「神格化」する必要はないと思っているTarsha にとって、共感できる言葉だ。それが、誰であれ・・・ 神格化は、人間と人間を分断し、私たちを思考停止に導く。そして、そこに私たちが達することを不可能にしてしまう。一人の人間が描いた、苦しみに満ちた偉大な生の軌跡―それだけで、心を震わすような感動と共感を与えるものなのに。神という超越的な権威によって、人間を権威づける必要はないのだ。江藤氏はこのようにも語っている。出来るだけはっきり漱石の生ま生ましい姿が見たかったので、そのためには余事はどうでもよかった。しかし、この航海で発見したものは少なくない。地球というものに全く無知だった近代初期の西欧の航海者のように、ぼくは、次々に出現する未知の陸地に、昂奮しつづけたといってもよい。このことは一つにはぼくがいかに無知であったかということを、もう一つには、当然のこととしてうちすてられているもののうちに、いかに多くの根本的な問題が眠っているかということを示している。現在のぼくは、自分の眼の前にあるような未知の陸地のかずかずを前にして、いささかぼう然としている。その気持の中には、自分の向う見ずと、一人の人間を理解することの至難さに対するいくらかの感慨がないわけでもない。これは、1956年に書かれた言葉だ。今から50年以上前に語られた言葉。読んだとき、美しい言葉だと思った。「一人の人間を理解することの至難さ」・・・ このたった一点を真に理解するために、わたしは、自分の中にあるどれほどの傲慢さを乗り越えなければいけないだろう。存在意義の否定は、絶望しかうまないことを、フィリピンで学んだ。その反対にあるものは何だろうと考えたとき、それは、消極的な「受容」よりは、「理解」ではないかと思った。人間なくして文学も、文学研究もないのであるならば、私の論文執筆の過程も、論文そのものも、人間に対する理解を深めるものでなくてはならない・・・、決して、人間を抽象化するのではなくして。江藤さんは、「冒険者」だったのだ。漱石という一人の人間の内奥を、その作品の宇宙を、冒険したのだ。彼の切り開いてくれた道を通りながら、わたしはどれだけの宝の居場所を教えてもらい、恩恵を被っただろう。江藤さんが通らなければ、知ることはなかったのだ。ほんとうに、心から有り難いと思う。
2008.02.06
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I felt a slight loneliness just earlier, so I sent emails to papa and Pagasa, just asking them how they are doing...I have several reasons for feeling this way, but cannot reveal all here. But, one reason is that my roommate Apple will move out to the other Wing. Our dorm consists of the three Wings, two for girls, one for guys.: Oh really? ... but ya, I understand... When will you move out?: This March or April. I've already made a reservation. She said, this Wing is oldest, dirty, while the rooms of the other Wing is new, the walls are white, kitchen is clean, the tiles of the bathroom are also new; I will stay here two more years, so I want everything set...: Set what... you may mean "beautiful"...Ya, I understand how you feel... I might think of the same thing, if I would be supposed to stay here for years...What slightly bothered me, however, was, that she doesn't really clean the present room, yet she says so...Ya, I admit that this room is never, never clean. It's too old. What you are reffering to are those facilities. I know. But still, if she wipes the floor of her space and remove some cobwebs on the ceiling and do some little things to the room, at least once a week, the situation would be changed... And it is she who occupies the most spacious space among the three of us in the room.And did she ever imagine... I don't want to say this, and I won't tell this to her, though, every weekend after you and the other roommate go back to their houses in the city, I always sweep the common space and kitchen and wipe the floor with a damp cloth? That's why, the gray-colored footprints on the floor in front of the bathroom and the common space are always gone when you guys return on Sunday afternoon... Though you never mention it. But it's ok, since cleaning is a good exercise for me and I like to see the floor reveal its freshness again. I'm not mad at her... but, just a bit... how do you call that?... disappointed? Does it express my feeling right? Maybe, but not enough... But such a different attitude toward the same room may come from the difference in our lifestyle... Generally, Koreans in the Philippines are really affluent. The number of the students from Korea occupies the 95 % of all the foreign students in the Philippines. They are really many, and everywhere in the Philippines. Anyway, they are used to a convenient life here. Such a small thing... but sometimes such a small thing makes a small gap in hearts even between the close friends.
2008.02.06
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ふぅ・・・あと、漱石の『明暗』を残すのみになった・・・ウェン先生からの第1章改訂のアドバイスとして与えられた課題―それぞれの作品について具体的にどうアプローチするか、作品ごとに簡潔な1paragraph をつけること。論文で私が扱うのは、6人の作家による9作品―4つの長編小説と5つの短編。具体的な論の展開は当然、作家ごとに分けた各々の章でおこなうので、第1章における説明は何を論ずるかを簡単に書けばそれでいいのだが、それでも作品をパラパラと通読し、自分のアプローチからどう展開できるか具体的に考えないと、書けない。第1章作成時は、時代の背景や周辺知識、批評アプローチのアイディアを得るために、それらに関する本ばかり読んでいたので、作品そのものは読んではいなかった。でも今回、ざっくばらんにではあるが、作品のページをめくってみて・・・:・・・おもしろい!心ときめき・・・正直にいえば、1つの作品だけでも丁寧に論じるのは大変だ。ましてや、私が扱うのは、すでにかなり論じられている著名な作家ばかりだ・・・しかも、日本「文学」を開いた、「大」作家が何人も含まれているのだから・・・とてもとても、すべては論じきれない・・・日本で行われているような、日本文学の研究方法ではとてもできない。私にたった一つだけ、強みがあるとすれば、まさに私の立っている、こういう立場なのだろう。つまり、日本にいてはできない方法で、作品を論じるということだ。不安もよぎる・・・けれど、Mr. Gentleman の言葉を思う―「自分の信じるところを書いていってください」と。:そうだ、結局はそこに行き着く・・・それしかないんだ。それでいいんだ。未熟であっても、未熟だからこそ・・・さぁ、『明暗』、どう展開できるだろう・・・さらりと読んだだけで、この作品が、超大作といわれるのが、分かる気がする・・・漱石ってすごい。もっと勉強したら、もっと彼のすごさが分かるだろう・・・論文で、こんなすごい作品を、1つのみならず、幾つも論じるなんて・・・:なんて、無茶な・・・あぁ、でも、反面、うれしい。こういう素晴らしい作品を、自分の論文で扱うことができるんだ。この機会に、彼らに真正面から取り組めるんだ。ようやく今になって、彼らの素晴らしさが見えてきたのだ・・・
2008.02.06
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今日の夜、見知らぬ女性に、30ペソあげてしまった。ATMでお金を引き出そうとしたところ、機械の不調でカードがそのまま出てこず、ガードマンに、明日戻ってきなさいと言われたそうだ。今、まったくの一文なしで、このままでは家に帰る交通費もないという。あぁ、どうして私って、こう、呼び止められるんだろうか? キャンパスを歩いていたときも、よく、車の中から、フィリピノ語で道を聞かれていたし・・・数ヶ月前は、入院費がないと泣きじゃくった女性に300ペソもあげちゃったし。そんなに、色々な意味で余裕のある雰囲気しているんだろうか・・・いや、付け入りやすい雰囲気か? 彼女の話を聞きながら、なんだか怪しい、本当に一文もないのか、という疑いももたげた・・・が、結局、彼女の話を聞いてしまった。額によっては、あげてもいい(フィリピン人にお金を貸すというのは、あげるというのと同じなのだ)と思った。それで、もう早く切り上げたかった。:So... How much do you need?:Around 20 or 30 pesos...Nahihiya ako (I'm shy)...:(あ、それだけ?)...注:30ペソは日本円で60円弱。こちらでは、日本円の300円ほどの価値。バッグの中で財布を開いてお金を取り出している途中、:Where do you stay? :Sa IC. (ICです...およ、住所なんぞ聞いて、返すつもりあるのかしら?):What's course mo? (あなたの専門は?):Comparative Literature.お金を受け取った彼女は笑顔で・・・:God bless you...What's your religion?:Buddhism.:Ah, so... Ingat. Do you know "ingat"? :Yes, yes...(一文もないわりに、どうしてこんなによくしゃべる元気があるんだ?) 結局、ターシャの名前は聞かず・・・:こりゃ、返さないな・・・ でも、30ペソくらいの小さなお金、むこうは、恵んでもらった気でいるんだろう・・・こっちだって、わざわざ返してくれなんて、言いにくい、それだけの単位だったら・・・って、そんな小さなお金さえ手元になかったのか?そんな身なりには、正直、見えなかったぞ?・・・Halim が以前、ターシャが「女性に300ペソをあげた事件」をmixi日記に書いたとき、寄せたコメントが思い出された・・・:相手をよく見ろ 考えるな 感じるのだ 少しでも疑念が湧いたらそいつはうそをついていると思うべきだ なぜなら、ターシャのいる所はだましあいの世界、信じるのはまず相手の気持ちより自分の気持ち さもなくば君の優しさは餌になるだろう 明日は我が身と思って生きるべき 骨身に刻みこのことを忘れずに ふっ・・・ このコメントをもらった最初は、「」の多さにびっくりしたけどね。(笑)やっぱり、だまされたのか? でも、そんな小さなお金をどうして必要だったんだ? ふん!仮に、もしもそんなみみっちい手段(カードやらATMやらエトセトラ)まで使ってお金がほしかったなら、くれてやる! ターシャ、今日はたくさん chant して気分がよかったから、おばさん、ラッキーだったね。ほんとう、こんなこと続けていたら、自分の優しさが餌食になっちゃうよ。ちょっと不快・・・ たとえわずかなお金でも、それが相手の嘘でだまし取られたのなら・・・ このことはもう忘れる。 最近、外に出ないので危険感覚が鈍ったか、なまじっかちょっとフィリピノ語が分かるから、親しい気分で、そのまま会話にずるずる入っていってしまったのだ。もっと気をつけるべし、ターシャ!
2008.02.05
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今夜も、江藤淳氏ふたたび・・・『漱石とその時代 第三部』をめくる。漱石の書簡がいくつも紹介されているのだが、面白くて笑ってしまった。・・・先達てから食後に腹が痛くつて仕方がない。学生が夫は胃がんだと嚇したので驚ろいて服薬を始めた。是は慢性胃カタールださうだ。腹が重くて、鈍痛で、脊や胸がひきつつて苦しくて生きてるのが退儀千万になつた。近々人間を辞職して冥土へ転居しやうと思ふ。五月五日 野武士白楊先生:「近々人間を辞職して冥土へ転居しやうと思ふ」―爆笑 しかも、自分のこと、「野武士」と言ってるよ(笑) 古風で笑える。手紙の宛先人は、漱石の弟子「森田草平」です。「白楊」はなんだろう? 弟子に「先生」とつけてますね。漱石のユーモアさがうかがえる手紙の一つだなぁ。(前略)卒業論文をよんで居ると頭脳が論文的になつて仕舞には自分も何か英語で論文でも書いて見たくなります。決して猫や狸の事は考へられません。僕は何でも人の真似がしたくなる男と見える。泥棒と三日居れば必ず泥棒になります以上五月十九日 金虚子先生:この手紙を書いた時はちょうど、『我輩は猫である』を執筆中であり、かつ、大学の仕事で学生の卒業論文を審査しているところだったそうです・・・私が何も言わなくても、笑えますね。ちなみに、漱石の本名は、夏目金之助なので、「金」となっている。すべてやり遂げて見ないと自分の頭のなかにはどれ位のものがあるか自分にも分からないのである:これも、弟子の森田草平にあてた手紙の一文。作品を発表後、その出来をあとから後悔している草平を激励している。自らの失敗談まで載せて、彼を安心させようとしている・・・ 漱石って本当にユーモアがあり、また、弟子を大切にする良き教育者でもあったんですね。漱石先生の仰る通りだ・・・ 自分を信じて、とにかく思いっきりやってみるしかないんだ。今日の夕方、夕食や生活品といった類を買いに、寮から徒歩で10分弱のところにあるショッピングセンターへ。最近、UPには、黒人の団体が来ている。毎年この時期になると来ているが、何かの研修だろうか? 私がショッピングセンターのコープでレジに並んだときも、背の高い黒人の人が前にいた。ずっと前から知っていたけれど、フィリピンの人は、相手には見えないように、露骨に感情を表す。黒人の人たち特有の匂いがある。その文化に慣れていなければ、ほとんど必ず鼻につく独特の強い匂い・・・ けれど、私はそれに対する反応を、絶対に顔や態度に出さない。何もないような、まったく普通の体を装っている。一方、フィリピンの人は、「来たよ」みたいな感じで互いに目配せする。微妙な笑いが彼らの顔をよぎる。鼻をつまんで笑いながら、もしくはしかめ面をしながら、その場から出てきたりもする(彼らの目の前ではやらない)。レジ担当の店員は、黒人のお客が自分のところへ並ぶのを知って、その直前に他の店員と例の目配せをし、彼が自分の目の前にいる間は、ほとんど息を止めて顔を下に向けるようにしていたのが見えた。彼らに分からないようにしているけれど、分かる。彼の態度がいつもと違うから。身体を頑なに閉じようとしているのが伝わるから。目の前で起こっていること―レジの店員がそうしているのも、万が一それに気づいた黒人のお客が不快な思いをするかもしれないのも―見るのが嫌で、黒人のお客が前にいる間、私はずっと小銭入れの小さな口の中を覗き込んで、10ペソ玉を探していた。フィリピン人は、何世紀にもわたる植民地支配の歴史の中で、差別されてきた側だ。けれど、彼らもそのような仕方で、「差別」するのだ。でも、もう一方で別の考えも浮かぶ・・・ 本当に不快な匂いであれば、我慢はしたくない。私だって顔に出そうとしないだけで、その匂いを嫌に感じることはある。それは、もう生理的なものだ。けれど、それを見て相手が傷つくのが嫌だから、そうしない。現に、このような匂いを持つのは黒人の人だけではない。中東の国から来た人にもある。でも、これが彼らの生活なら、文化なら、どうしたらいいんだろう。こんなに身近な感覚にさえ、いや、それ故によけいそうなのかもしれない・・・異文化の理解・他者の理解と受容に、難しさがある。
2008.02.04
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昨年10月末に一時帰国した折、papa と、江戸東京博物館で開催された「文豪・夏目漱石」展を見に行った。平日にもかかわらず、館内は老若男女の来館者であふれ、大変に混んでいたことを思い出す・・・。そして、漱石の若き日の猛勉強と留学中の苦闘に、大変な勇気をもらったことも。その折に買った、江藤淳『決定版 夏目漱石』(新潮文庫、2006年)を今日、初めてきちんと手にして読んだ。:す、すごい・・・。質も量も半端ではない・・・。日本文学の質の弱さも、その原因も、「超」厳しく書いてある。その中で、最近わたしが感じていたことを代弁している一節があった。 異国の哲学の一部を(つまりキリスト教から人道主義を)切り取って、残りを棄ててしまうようなことは出来ない。そんなことをすればかならずさんたんたる結果になる。(V・H・ヴィリエルモ「日本の魅力」)異文化の中で生み出された思想や理論を、それらを生み出した「土壌」に対する理解なしに受け入れ、自国で展開しようとしても、真に生かすことはできないのだ。と同時にこれは、それらを移植しようとする場の文化への理解なしに展開しようとしても、うまくいかないということだ。:ズイホウビニと同じだ・・・日本における昨今の文学研究でも、脱構築主義やポストコロニアル理論、フェミニズムその他、現代思想による文学理論が、作品分析のアプローチとなっている。でも、岩波講座の『文学理論』(2004年)には、まさにこの手の弊害が嘆かれていた。「生かじりの理論を振り回すだけで、せっかく手に入れかけた理論装置を役にたたない紋切り型にしてしまっている「理論好き」の革新派もすでにたくさん出てきている」(沼野、7)ここにもきっと、同じような論理が働いているんじゃないだろうか。つまり、自国の文学に対する深い理解も、自分が使おうとしている欧米発の理論が生み出された文化的・歴史的背景への理解も足りないゆえに、こういう「紋切り型批評の大量生産」が行われるんじゃないだろうか・・・。理論は、作品分析において、出発点ではあっても、到達点ではないと思う。でも、このような傾向や姿勢―西欧から輸入された思想や理論を、無批判に受け入れ、紋切り型に当てはめようとする―は、すでに明治期の文明開化以来、見られる。そこにおこるずれを、江藤氏はこのように述べている。近代的な意匠と前近代的な周囲の現実との間に生ずる炎症は、ぼくらの日常生活のあらゆる場面にひろがって、皮膚を焼こうとしているが、多くの「芸術」の信者にとっては、このコッケイなずれは自覚されていないかのように見えるので、彼らの身体は近代以前の泥沼を泳ぎながら頭は極めて抽象的な「芸術」の幻影を追っている。(江藤、31):うぅ・・・痛い・・・ともあれ、江藤氏の質量ともに半端ない評論に目を通し、自分には一体何ができるのか・・・と落ち込んだ。もう一つ、少しげんなりしたことは・・・批評や評論って、こっんなに細かく、一人の作家の人生を調べ上げていく「実証主義的作家研究」も必要とされるのか?ということだ。漱石の書簡や日記、それが書かれた日付、そういったものと作品との関連性・・・ :うぅ・・・ターシャはそういうのはやりたくない・・・ そういうのも、作品の理解に十分役立つことは、江藤氏の手腕によってよく分かったけれど。比較文学、少なくとも私が経験しているそれには、そのような実証主義的研究はない。さきほど挙げたような理論的アプローチから、作品の歴史的・社会的コンテキストを視野に含めた close reading を行う。そこには当然、文学研究にとどまらぬ、学際的なアプローチが必要だ。換言すれば、他分野で使われている理論や分析視点をも用いていく。以前、私の尊敬する先生に「比較文学とは一体何でしょうか」と尋ねたところ、:The study of literature and its relation to almost everything. といわれていた。 その行き着く先は、どちらかといえば、文化研究の方に近いといえる。けれど基礎はいつも、文学作品だ。それは結局、「言葉」それ自体への配慮を怠らず、また、作品が言葉による一つの構造物であることを忘れないことと言える。このように立派なモニュメンタルな評論を前にして思うこと・・・:謙虚にならなければいけない・・・。自分の論で、すべてが論じ尽くせるなんて、夢にも思っちゃいけない・・・。絶対的な限界がある。ましてや、一個の論文で、幾人もの作家を同時に扱うのだから。切実に、願わずにはいられない・・・あぁ、どうか、どうか、私の論文が、少しでも、ほんのわずかでも、文学への、文学研究への貢献となり得ますように・・・
2008.02.03
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今朝は昨日とうってかわって、いつもより遅く起きてしまった。勉強中も、異様な眠気が続いた。当然、思うように進まなかった。それでも、いつもよりずっと遅いスピードで、進め続けた。そのような状態で、ずっと部屋に一人でいると、どうしようもない寂しさに襲われた。(ルームメイトは2人とも、週末はいつも実家に帰るので、土日は私一人だけ。)休憩しようと音楽を聴いたけれど、寂しさをまぎらわすことはできなかった。かわいがっている猫たちも、外の景色も、ネットも、夕飯で食べた日本のラーメンも、だめだった。寂しさを、別の何かでまぎらわすことによって、つまり、寂しさから目をそらすことによって、それを消し去ることなどできないのだと思った。こういう時、寂しさを本当に消し去るのは、同系色の「癒し」による「慰め」ではなくて、戦闘的な「勇気」なのかもしれない。己の現状の枠をまったく超え出た、偉大な生のあり方に触れることによって、いつの間にか、きゅーっと小さく悲しく縮こまってしまった己の命の空間を、別の「意義」と「目的」で密度いっぱいに満たし、ぐぐっと持ち広げること・・・本を読み、新しいことを学びながら、色々なことを考える。一つの事象や対象に対して、学者や研究者が、様々な解釈や読みや見解や理論を与える。これらの、その向こうにあるものは一体何だろう? あれこれ思索した末、思った―こんなちっぽけな自分だけど、my mentor の夢を叶える、一助になりたい。本当に、塵を大地にうずめるような、露を大海に沈めるような気持ちで。そのような生涯を生き抜いていきたい。重大な分かれ目の時が「今」―今、そこにいることはできないけれども、一見まったく別の、独りの戦いだけれども、求める心に、物理的な距離も、環境も、まったく関係ないことは知っている。自ら求めなければ、何も起こらないことも。私はこの戦いを通して、この意義に参加する。My mentor's words を現実に体現し、実現する自分自身へと、必ず、成長していくんだ。「止まることなく、前へと進まねばならない。決して、労苦に負け、沈黙して止まってはならない。君が、完成へと到達したいならば」「ねばり強さだけが、目標の達成への道なのだ」―シラー:How fortunate I am to be able to have the mentor in life!
2008.02.02
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今夜は何を書いたら良いか、思いつかない・・・ だから、ターシャの好きな詩をのせましょう。Light The night has a thousand eyes, And the day but one; Yet the light of a bright world dies When day is done. The mind has a thousand eyes, And the heart but one; Yet the light of a whole life dies When love is done. - Francis William Bourdillon夜には千の目がある昼には一つの目しかないけれど明るい世界は消えるのだ 太陽が沈むときに知性には千の目がある心には一つの目しかないけれど人生の光は消えるのだ 愛が消えるときにずっと机に座っていることが多いので、健康と快眠のため、最近、夜はいつも、バレエストレッチ運動をしている。バレエストレッチ運動は、バレエのエッセンスを生かした運動方法で、体の芯の筋肉(コアマッスル)を鍛える。体の芯を鍛えるから、余分な筋肉や脂肪はつかず、薄皮のように必要な筋肉のみがつき、姿勢ももちろん良くなる。姿勢を正しく保つこと自体が筋肉を使うため、これが日常の癖になれば、スタイルが美しくなる上、やせ癖がつく。。。なんて合理的で素晴らしいんでしょうつまり、その最終形態は、バレリーナである(うまくいけば、笑)今夜、いつも通り、部屋の外に出た。夜の空を見上げると、ちょうど、飛行機が西の方角へ飛んでいた。赤と黄色のランプをまたたかせて・・・右から・・・真ん中・・・左へ・・・ ゆっくり・・・こんな夜遅くに飛んで、どこの国へ行くんだろう。遠い国だろうか。:フィリピンの西・・・サウジアラビア? フィリピンの人は世界中に散って働いているから・・・ いや、でも、フィリピンの飛行機じゃないかも・・・どこからか来た別の国の飛行機が、ちょうどマニラの上を通っているのかも・・・?夜空を飛ぶ飛行機を見るのは、なんだか不思議な気分がする・・・あの暗い虚空を、静かに飛んでいる飛行機は、まるで異次元にいるようだ。あの飛行機は、あんなに空高く、悠々と飛んでいるけれど、ちょうど私が地上から見えるところを通っているなんて、思ってもいないだろう。:ふしぎ・・・(伸び・・・右へ、う~ん、左へ、う~ん)無事に着きますように、と思わず祈った。:う~ん、あの飛行機の尻尾の模様、やっぱり、PAL(Philippine Airlines)に見える・・・まぁ、北へ飛んでいく飛行機もあるわ・・・夜の暗い空に、人工的な光がピコピコ点滅しながら、遠ざかっていく。:空の道も、けっこう混雑してるのねえ。
2008.02.01
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