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昨日、弟の Halim からメールをもらった。その第一声は・・・:真面目過ぎで見てるこっちも疲れるよ。:・・・ なんと!ターシャのブログを読んでいたのね!?そうかねえ・・そうかもねえ・・私、ちょっと真面目過ぎなのかねえ・・・つまらなくて、暗くてごめんよ。:もう、あまり考えちゃダメだよ考えるんじゃない 感じるんだ本能で、心で、大空のごとく晴れやかに、楽観主義で、その目的、目標を感じ取れ:う、う~む・・・(感じ取ろうとしている):いいか フィリピンに骨を埋める覚悟を持っている我が姉よ。:あれ もう骨はう埋めないことにしたんだけど・・・言ったよね:ちみは現地の太陽なんだよ 太陽は明るく、情熱と元気による栄養をみんなに与えている存在なんだよ ちみは。 潰れたり腐っちゃダメだよ。:心配するない!腐っちゃいないわい! :俺もぶつかりけいこで頭の中が苦しいと思ってた時は本当に苦しかった。正直心が折れたよ。でもその反対に、苦しくない。楽勝、よしやってまた強くなるぞって思えば心に余裕が生まれるんだよ。少し落ち着いて視野を広くして。ゆっくりでいいよ。間違って進んでない。ゴールは絶対あるんだから……心に余裕で笑顔全開 Halimyakより:少し落ち着いて、視野を広げて、ゆっくり・・・間違ってない・・・ゴールは絶対ある・・・ そうだね・・・Halim の命令に従って、ゆっくり、ゆっくり、進んでみるね。なんだか、7歳も年下の Halim のほうが、私より年上みたいだ。Halimの一言、一言が、すとんと心の中に入ってくる。そんな言葉をつむげるようになったんだ、いつの間に。自分も大変な中にいるのに、他人のためにこうやって励ましを送れるようになって・・・・いつの間に、こんなに成長したんだね。すごいね。お姉ちゃんは嬉しいよ。お姉ちゃんなんて言って、ちっとも威張れる玉じゃないけどね。 Halim のほうがずっとずっと立派だよ。本当にありがとう。
2008.08.28
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卒業を来学期に延ばすことを決定したのは、21日。先週の木曜日の夜だった。20日(水)から異様に疲れて、ほとんど何もできなかった。前日、21日(木)の午前と午後。かろうじて、少しだけ論文をすすめた。その夜。卒業を延ばす話を切り出してくれたのは、papa だった。断固、それだけは避けようとして今まで取り組んできた私は、現状を冷静に見た上で、もうそれしかないのかもしれないと思ったとしても、とても、とても両親には言えなかった。papa, mama と頻繁にメールをやり取りして、その夜は更けていった。22日(金)。久々にデパートへ行って、野菜をたっぷり仕入れてきた。その日は休憩した。23日(土)。the ten-hour chanting をした。ひたすら祈った。心新たに出発するために。心は晴れやかだった。嬉しく充実に満ちていた。24日(日)。母校からきた1人の後輩からの電話で目を覚ました。またデング熱の症状を出した日本人留学生がいるとのこと。彼女はすでに用事があって外出中のため、彼を病院に連れて行ってもらえないか頼まれた。私は彼のことをまったく知らなかった。同じ寮にいながら会ったこともなかった。彼と仲の良い、誰か他の人にお願いできないか頼んだ。保険会社に電話して、キャッシュレスで治療してもらう手続きをとるよう話して、電話を切った。眠くてまた寝ようとした。私の直接の後輩ではないし―・・・10時間やって、これかよ、と思った。自分は、結局、自分のことで頭がいっぱいなんだ。変わっていやしない。空は、朝から灰色の雲に覆われていた。私の心の中も同じだった。くさくさしながら、ベッドから身を起こした。なんで翌日、またこんなことが起こるのか。こんな難しい葛藤が。もし、誰も病院に連れて行ってくれる人が見つからなかったら・・・ こうしている間に、部屋で1人、彼はベッドで横になって苦しんでいるに違いない。そこに思いが至る前に―頼まれた瞬間、寝起きの頭の中で、彼を病院に連れて行くためのあらゆる手間と時間を考えたこと。一度手を尽くすと、私以外に誰かいそうなものなのに、損な役ばかり、またこうやって頼まれるのだと皮肉に思ったこと。私がときおり後輩たちに流す連絡メールには返信をよこしたことのなかった彼女自身が、こういう時には真っ先に頼みにくるのだと、そんなことをふと思い、少し苦々しく感じたこと。一瞬でも、自分の中で「内」と「外」を分けて考えたこと。こんなことを一遍に思っていたのだ。一瞬の間に顕れた自分の命を見つめた。朝の祈りをそうそうに切り上げて、寮のロビーへ降りていった。病気の彼については、本名も分からなかったけれど、なんとかするつもりだった。しかし、ロビーにはすでに他の日本人の女の子がいて、彼を病院へ連れて行く用意をしていたので安心した。病人らしき男の子も、ロビーのソファーでぐったりして座っていた。しかし、保険会社に電話をかけても繋がらないとのことだった。やっぱり降りてきて良かった。私が連絡を引き受けたが、なかなかスムーズにいかず、何度も電話した。結局、1時間近くかかった。もう大丈夫と彼らを病院へ出発させ、自分の部屋に戻った。まだ眠く、疲労感を感じた。雨がしとしと降っていた。人のために動くということは、自分の身を削るような思いで行動することなんだなと、そのとき、初めて思った。午後、the ten-hour chanting は体力を消耗することを実感。その日やる予定だった計画は進まなかった。その夜、洗濯屋さんに服を預けた後、寮のロビーの一角にある図書室に寄った。そこには、過去の学生らが置いていった本が沢山、無造作に置いてある。そこから、いくつか文庫本を取り出した。なんだか、純粋に、ただ「楽しみ」のために、本を読みたかったのだ。インターネットでニュースを見るのも、とっくのとうに飽きてしまっていた。夏目漱石、安部公房、永井荷風、新田次郎、エドワード・サイード、川端康成、堀辰雄・・・その夜、埃で黒くなった本たちを拭いて、紙のカバーをかけた。25日(月)。論文指導教官の ma'am Serene にメールをし、翌日会う約束をした。論文執筆の新たなスケジュールを立てた。その後、昨日、図書室から引っ張りだしてきた、夏目漱石の『坊っちゃん』を手に取って読んだ。とても楽しめた。何事に対しても竹を割ったような、まっすぐな性格の主人公。彼はとても不器用で、その行動はがさつだ。けれども、釣りをしながら坊っちゃんが見上げる空の表現は、とても美しくて繊細だった。その本の最後にある「解説」は、文学研究ではすでに見慣れた理論を使って、作品の構造を説明していた。鮮やかだった。でも、やっぱり、何か足りなかった。chanting をしながら、これに足りないものは何だろうと、文学研究についてまた考えた。その夜、日本人の院生の友達と3人で韓国料理店へ行った。こうやって友達と、気分転換に良いレストランに食べに行くなんて、もう本当に久しぶりだった。2人とも、院生、そしてフィリピン大学ならではのストレスフルな生活を送っていた。うち1人は、退学まで思いつめるほど大変な渦中にいた。おおいに愚痴り合い、笑い合い、語り合った。
2008.08.26
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色々書きたいのだが:疲れてしまった。色々あった1週間だった。後輩の病状をデング熱と疑い、病院に連れて行ったこと。しかし予想とはまったく違う診断を下され、寮に帰る。その夜、彼女は薬を飲んだにもかかわらず高熱がひどくなったこと。翌朝、診断との相違に違和感を感じ、また彼女を病院へ連れていき、即入院となったこと。彼女をふたたび病院へ連れて行く前、自分の論文のことを思って、少し泣いたこと。自分の中のエゴイズム―こんなにも分かりやすく。ちっぽけな自分だと思ったこと。病院へ向かうタクシーの中、横に座っている後輩が目をつぶって辛そうにしている姿を見たとき、泣いてる時間があったら、1分でも早く連れて行ってあげるんだったと後悔したこと。その日、病院のベッドで眠る彼女のそばで、自分も同じデング熱で入院した5年前のことを思い出したこと。世話して下さった1人1人の方のこと・・・お見舞いに来てくれた友達、先輩・・・・あれから色々変わった・・・生老病死・・・出会いと別れ・・・入院はしたものの、医者から下される診断がコロコロ変わり、何かおかしいと感じたこと。「尿感染 → デング熱 → サルモネラ菌による腸チフス → やっぱりデング熱」保険でお金がおりるのが確実だから、退院を長引かそうとしているのではないかと、かなり医者を疑い、憤ったこと。そして、1週間後の退院。日本人メンバーのご夫婦に、本当にお世話になったこと。心から感謝にたえない。進路のこと。文学に対する自分のスタンスの変化。ずっと心配していた nono ちゃんの体調不良。待ちに待った彼女からの手紙。それに対する私の返事が届いたとのメールを受け取った。体調が落ち着いたとのこと。本当に本当に嬉しかった。昨夜初めて知った「筋ジストロフィー」という病気のこと。その大変な難病と戦う人の存在を知り、なんだか自分のしている、あらゆることが相対化されたこと。ルームメイトへのちょっとした怒りも吹っ飛んだこと。今日は Tarsha's mama の誕生日。昨夜、日付が変わる前にメールを送った。mama より返信。:あなたたちの母であることを誇りに思っています。:まぁ!Pagasa が昨夜、ついに30分内で300words以上の英文を書けるようになったこと。前のルームメイト Pretty ちゃんの誕生日パーティーが、ついさっきあったこと。彼女のためにプレゼントを買う時間がなかったので、私が1度も使っていないネックレスをあげたら、とっても喜んでくれたこと。ポットラックパーティー(それぞれが食べ物を持ち寄るパーティー)で参加者全員が韓国人の中、唯一の非韓国人だったターシャ・・・ 実は気まずかったこと。でも韓国語が飛び交う中、彼らの中にいるのもそんなに悪くないと気づいたこと。Pretty ちゃんのためにほんの短時間だけ顔を出し、彼女が作ったアイスクリームを「マシッタ」(韓国語で「おいしい」)を連呼しながらパクつき、論文が終わったら一緒に遊ぶことを約束して、Tarsha's space に退場。この1週間、papa と mama よりたくさんの励ましを受けたこと。本当にいつもいつもありがとうございます。すべてに対して・・・このような感じで時が過ぎた。その中、漱石の章を進めていった。現在は『こころ』再読中。やっぱり、漱石はすごいと感嘆・・・:おもしろい。 自分の文学に対するスタンスと目的が、「批評」から「創作」に変わったら、視点が変わった。こっちのほうが楽しく読める。もっと素直に読んで良かったんだ。ここに書いてあるのに、どうして気づかなかったんだろう。しかし、1時間~1時間半で集中力が切れる。:あれ?最近、左目の奥が、ズンと痛む。眼精疲労? 痛い。気をつけないと。:ちっともまとまっていなくてソーリーポ!
2008.08.19
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あまりにも、あまりにもルームメイトが部屋にいないので、そんな日々が、1、2週間どころじゃなく、もうかなり長く続いているので、彼女がシャワーを浴びるためだけ、あるいは、何か物を取りにくるためだけに部屋に戻ってくる時、それはほとんど、もう真夜中だったり(もうすでに私も後輩も寝ている時もしばしば)、時々、日中だったりするが、机に向かっている私は、首を90度、いや、110度右に回せば(ちょっと実際、窮屈な角度である)部屋に入ってくる彼女と挨拶も出来るけれど、挨拶もしたくない。まったく、mind my own business なんだが、そうなんだが、ほっとけばいいんだが、実際、外見はほっといているが、の背中:ターシャ全然気にしてないからーターシャ論文に集中してるからーまったくポーカーフェイスを装っているが、本当は、一体ちゃんと寝てるのか? 夜中の間中いつもどこにいるんだ? 今週末いつものように家に帰らなかったのに、お母さんになんて説明したんだ? あるいは、ちょっと最近、ユーのスペース、ちらかりすぎだよ。(いつもはもっと整然としてるのに)合わせた顔にいつもの自然な笑顔がないぜえ!本音は渦巻いているが、ポーカーフェイス。 それは、少々、蟲、じゃない、無視に近い。会話が少なくなると、お互いの間にだんだん隙間ができて、不自然な風が通るようになる。いやだな。いやだけど、こういう場合は難しい。「普通の日常」というのは、いとも脆いものだよ。生活における暗黙の規範は、私達を縛るような太い縄でもなければ、越えられない鉄壁でもない。それは細い糸。簡単に切れてしまう。ボーイフレンドはいらない。友達でいい。そう言っていたけれど、できてみたらこうだよ。この急変ぶりは激しすぎる。私は一体、誰。心配性の、寂しがりやの、おっせっかい婆か、無言で机に座ってる・・・。:複雑で哀しい像だな。あぁ、彼女は、私が内心どう思っているか、本当はこわがっているのかな。
2008.08.18
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さっき、嵐のような雨が降ったけれど、今は木々の葉っぱから滴り落ちる滴の音が聴こえるくらいに落ち着いた。庭で牛蛙が鳴いている。でも「モーモー」じゃない。なんだか変な鼻濁音だ。うまく擬音語に出来ない・・・ しばらく集中して聴いてみる。:フワァォ、ワァオォ、ワオン、ワォ・・・と言っていますね。しのつく雨の中、彼らの声が眠そうに響く。最近、新しいボーイフレンドができたルームメイトは、ほとんど部屋にいない。というか帰ってこない。あまりに部屋にいないので、ちょっと寂しい。もう一人の後輩も、今日はどこかに出かけている。最近、ご飯を食べる休憩時間に見るニュースには、北京五輪のアスリート達が沢山。彼らの一途な姿に励まされる。水泳でも、競歩でも、レスリングでも。「徹すること」なんてシンプル。そして、限りなく苦しい、自分自身との戦いだ。スポーツでも、勉強でも、語学でも、仕事でも、「徹する」ことが大事なんだと教えられる。徹しなければ、物事は分からない。身に着かない。中途半端で後悔するだけだ。一本の道に徹した時はじめて、自分を活かしていけるんだ。その道を通して人々のために。:人生、徹していこう。よし!!彼らの目には、「力」がある。まなざし一つにも、貫くような力が。自分の道に「徹する」人は、格好良いな。さわやかだな。余分なものは一切そぎ落とされている。私もそうありたい。人間、別に他人の目を気にして気取る必要もなく、流行を追って外見を変える必要もなく、自然体で、何かに向かって、真剣に一途に努力している姿、わき目もふらずに没頭している姿が、一番美しいのだと思う。その人には、その人しかなれないから。論文を書きながら、文学とは何か、文学研究はどうあるべきか、ずっと考え、悩んできた。今に始まった悩みではなかったけれど。でも、今日、思った。文学から、「楽しむこと」をとったら駄目なんだ。ここでいう楽しみとは、「心が動かされる」感動という意味だ。色々なアプローチを見てきたけれど、そう思う。文学から「楽しむこと」を取ったら、人間を離れてしまう。あるいは忘れてしまうのだ。人間を置いてきぼりにした文献が、最近のものには多い。それらが提出する論には、それなりに意義がある。けれど、薄っぺらくて仕方がないものも実は多い。よくぞこんなものを載せたものだと、その無責任さに驚き呆れ怒りを感じることもある。文学研究において、単なる解釈の生産と再生産が、連綿と続いている気がしないでもない。そもそも、この人たちは一体、何のためにやっているんだろう。学者、研究者が「多すぎる」気がしてきた。最終的には、文学研究は、私達が受けるこの「楽しみ」、「感動」とは何かを追求していくことに落ち着くのだと思う。きっと音楽や絵画だったら、そうだろう。文学も「文楽」という認識だったら、もっと早くそこに気づけただろうに。私はこれから、「文楽」の追求を根本に据えよう。こっちのほうが、変に肩肘張らなくてずっと良い。牛蛙はもう眠ったのかしら。・・・あ、まだ遠くで鳴いているよ。鈴虫も、リィリィリリ、透明な音色で鳴き出した。雨はまだ静かに降り続いている。
2008.08.16
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結局は、自分の研究において「軸」となる1人の作家がいなければ、本当に深い研究はできないのではないかということ。そして自分にはその1人がいないこと。そしてもうすでに、多くの作家たちが多くの研究者たちによって論じられていること。私は結局、1人の読者であり、評論や研究を行うには、あまりに底が浅すぎること。日本文学を論じようとしながら、その背景がすっぽり抜け落ちており、自分の手が届く貧弱な情報で補うには、あまりに無理があること。そして、特定の1人の作家に打ち込めない私は、普通の生活人として、これから本当に良い文学作品だけを楽しめればいいこと。必要性はどこにある? 今まで板挟みだった。「古い」方法と「新しい」方法の。日本では前者。フィリピンでは後者。しかし「古さ」を否定する「新しさ」に限界を感じてもきた。一方で、「古い」あり方には変わらず、息詰まりを覚える。それでも、新しさには欠けがちな、作家と作品に対する「誠実さ」がある。文学研究がこれからどうあるべきか。私はまだよく分からない。「文学」というカテゴリーが相対化されている今。しかし、その研究方法が古いものであれ、新しいものであれ、「文学」を研究しようとするならば、やはり、足場となる1人の作家が必要なのだということを、痛烈に思い知った―改めて江藤淳の漱石研究を読み直して。作家が生きた「時代」とその生涯をよくよく、底の底まで知らなければ、本当の意味で、現実の生活に生きる「私達」に還元される読み・研究は展開できないのだということを。流行している現代思想や現代理論を応用する読みに永遠性はない。普遍性もない。江藤淳の漱石研究は違っていた。そして彼の研究をそうならしめているものは、何よりも、漱石に対する深い尊敬と愛情だった。普通の読書に終わるなら、作家に対する徹底的な知識と思い入れは必要ないだろう。でも、研究であれば違う。違うのだということを思い知った。作家を、特定の時代に生きた、血の通った一人の人間として、立体的に現前に蘇らすことができなければ、作品研究においても、致命的な何かが欠ける。文学理論では、すでに作家の、作品に対する権威は失墜している。そこから、作家を無視して作品のみを見ていこうとする方法論もある。でも作家は無視できない。作品を、そして人間を理解するということに誠実であろうとするならば。そして、研究の対象が「文学」であり、何より人々に「読まれる」ことを前提とする芸術ならば―どんなに新しい読みが展開できたとしても、それが、ほんの一握りの専門家の間でしか受け入れられず、その他大勢の、一般の読書人には理解されない「読み」、活かされない「貢献」であるならば、不毛だ。「文学」研究が生み出す結果に、人々の「共感」が伴わないのであれば、一体、その存在理由は何なのだろう。作品と作家と読者は、相互関係にあるのだから。方向転換しよう。この修士を終えたら。絶望じゃない。
2008.08.14
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「紅の豚」にあるジーナの歌は、「さくらんぼの実る頃」(Le temps des cerises)というフランスの歌だった。加藤登紀子さんがフランス語で歌っている。本当に美しい。心慰められる。すごいなあ・・・真夜中。庭で、トゥリリリリ、虫が鳴いている。病院から帰るタクシーの窓から見上げた夕暮れの空は、いつも寮から見える色と違っていた。林立する高層ビルの、雑然とした大きな都会の、そのさらに向こう側に―激しく行き交うジープとバスと乗用車と、その間をうごめく人々の群れの、その上に―包み込むような空があった。なんともいえぬ、透き通ったブルー。朱にも紫にもなりそうな、優しいブルー。タクシーの小さな窓から見える限り、空を求めた。昨夜は、研究に関して新たな失望と怒りを覚え、随分疲れてしまった。研究者には、知性とともに、正義感が必要なのだと思った。そして、きっと何より、正義とは何かを知ることが。そして、それを知ったら、それを守る勇気を持つことが。さあ、明日も頑張ろう。おやすみぽ。
2008.08.12
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心配していた後輩の症状は、病院で尿検査と血液検査をした結果、デング熱ではないことが明らかになった。デング熱になると、血小板の数が「異常に」下がるのだ。でも、彼女の血小板の数値はノーマルだった。良かったぁ。しかし何らかの菌に感染していることが分かり、これから数日、薬を飲むことに。交通渋滞に見舞われ、寮に着いたのは7時前だった。先ほど彼女の部屋に「熱冷まシート」を届けに行ったら、ベッドに横たわっていた彼女が手で目をぬぐっているのが見えた。目の周りはぬれて、少し赤くなっていた。:泣いてるの?:・・・頭がすごくずきずきして・・・さっき計ったら39度だった・・・:えぇっ!!(大丈夫か?本当にデングじゃないのか?)・・・でも夜になると、熱ってあがるものなんだ。:そうなんだ・・・さっきお薬飲んだばかりだから・・・20分くらい前に。:ああ、じゃ、まだ飲んだばかりだね。ご飯は?:さっきバナナ食べた・・・:そっか・・・じゃ、もうちょっと様子見てみようね。また後でくるね。彼女の部屋は、私の部屋のように3人各々の間の仕切りが何もなく、だだっ広かった。彼女のルームメイトは、DVDを観ていた。私が1時に彼女を部屋に迎えに行ったときも観てたぞ? 難しいんだよね。ルームメイトの間の距離感。特に、相手が世話を必要とする場合。それぞれの生活があるから、つきっきりで看てもらうなんていう甘えや頼りは「ない」。また、相手に迷惑になることを気にして、かえって言えないことも多い。でも、一言でも、声をかけてあげたのかな? それだけで、「気にかけてくれている」ということが分かるだけで、全然、違うのだ。そしてそれを示すのは、なるだけ早いほうがいい。でないと、1人黙って横たわっている相手の沈んだ心に、孤独感が堆積していく。私の場合、「怨み」もだったな・・・相手が友人だったから。気づいてくれないことに対して・・・私が交換留学時代にデング熱で倒れたとき、多くの方々にお世話になった。たくさんの真心と思いやりをいただいた。今、その小さな恩返し。
2008.08.12
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母校の後輩が、デング熱にかかったかもしれない。お昼時、起きたときから熱があり頭痛がするといった彼女の症状を聞くと、ターシャが交換留学時代、フィリピンにきて1ヶ月でかかり入院したデング熱の症状と符合している。関節が痛い、目を動かすと痛い・・・本当にデングか、まだ確定していないけれど、これからタクシーで病院に連れていく。ターシャが入院した病院へ。漱石の文献、読み終わっていないものはすべて午前中で終わらせて良かった。それに私もなんだか頭が飽和状態でだるいから、ちょっと机から離れよう。あぁ、後輩の健康と無事故を祈っていたけれど、出ちゃったな、一番来てほしくないものが。とにかくてきぱきと。
2008.08.12
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最近、ジブリの映画を観たくなるのだけれど、そんな時間ないので、youtube でジブリの音楽を聴いて、雰囲気に浸ってます。なぜか、「紅の豚」に出てくるジーナの歌が聴きたいターシャ。あるのかな? ・・・・・ありました。 "Porco Rosso."What would lift the spell on you? ―どうやったらあなたにかけられた魔法が解けるのかしらね・・・素敵な声です。今聴いているのは、魔女の宅急便「ルージュの伝言」。:これ、よく聴いたら、浮気した彼のママに会いに行って、ママに彼を叱ってもらうという歌詞なんですね・・・これ、万が一ターシャの場合だったら、そんなまわりクドイことしないな。女性にそんな哀しい気を利かせる時点で、もうアウトだろ。 でも、ママの存在はやっぱり大きいのですねえ。 現在、夏目漱石の『こころ』に入っています。漱石とその作品に対して否定的な、韓国人研究者の論文を読んだところ。最初に目を通したときは、「おぉ、すごい!」と思ったのだが、丁寧に読んでいくと若干、論展開にいい加減なところがあり、「むむむっ・・・」と思うところも少なからずあった。答えはすでに決まっているのだ。理論で整備されたレールの上を通れば、そこに行き着くのだ。でもその途中で踏みにじられたり、視野に入れられていない土地がある。そこに気づくと、作家と作品がひどくかわいそうになる。「帝国主義批判」を目的とする論文。それはそれなりに面白いし、刺激的だ。大事なことだと思う。でも、ターシャが思うに、そこには2つの限界がある。1つは、「批判」で終わっていること。彼らが指摘した、作品にひそむ帝国主義や、政治的共犯関係。それらをいかに乗り越えるか、どうしたら乗り越えられるのかという次の展望までは、開けていない。2つ目に、大体どれも同じアプローチになり、出る結論も似てくる。そこからの発展が出にくい。そして類似した方法による論文が続くと、内心、「またか・・・」と辟易する。漱石は、「批評は未来の創作のためにある」といった。今まで地盤の下に隠れて見えなかった岩をあえて露出させたのなら、その岩をどう処理したらいいのかまで見せないと、むき出しの岩が地表にあげられるばかりで、次の具体的な創造にはつながらない。:はあ・・・今日は本当に暑かった・・・そうめんのスープにカレー粉を使い、トマトを入れて食しました。「トマトカレーそうめん」? おいしかった
2008.08.10
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さっきから、鼻をすする音が聞こえる。ルームメイトの後輩が泣いているのだ。仕切りで区切られていて見えないけれど、分かる。こういう時は、どうしたらいいのか。私も一人、泣くときがある。でも、そういう場合、誰にも見られたくない。部屋に誰かいるときは、壁に向かった机から席を立たない。顔が見えないように。鼻もあまりかむと悟られるので、最小限に抑える。彼女は昨日、ターシャに悩みを打ち明けてくれたのだった。人間関係だった。外国にいるのに、日本人同士の。気持ちはよく理解できた。日本人の変な特性。何かあればみんなで集まることが、暗黙の了解のようになり、そこから1人離れることに対しては気兼ねし、不安を覚えるのだ。でも、その輪の中にいるのは正直きつい。苦手なタイプもいる。しかし、そこにいない間、周りが自分のことをどう思っているのか気になって仕方がない。そして、彼女の親友がその輪の中心にいた。自分とは対極にあるタイプ。これまで自分の知らなかった彼女がどんどん見えてくる。自分以外の人間とも、こんなに仲良くできたんだ・・・ 嫉妬。内向的な自分に対して、誰とでも仲良くできる社交的な彼女に対する羨望。尊敬。ついつい比較して感じる劣等感。人間はみんな変化する。だから辛いけれど、自分の知っている姿のみに固執する心は乗り越えなければいけない。変化が怖いと彼女は答えた。彼女だけ、自分のところにいればいい。結局、同じところをぐるぐる回る。これまでも似たようなことを経験してきた。それを避けてきたから、今こうしてまた来ているんだ。そう彼女は言った。きっと、根っこは、寂しいんだ。大事な親友が、自分の知っている親友が、自分のもとから去ってしまうのが。自分のものでなくなるのが。そして独りになってしまうのが。そして、2人でいたときには感じなかった、周囲の見えない圧力が怖いんだ。親友が離れるということは、本当に、ものすごく辛いことだ。分かる。寂しいだけでなく、相手の変化に憤りもする。でも、その寂しさと怒りは、結局のところ、自分が乗り越えるしかない。自分のために。相手のために。私が最後に言えたのは、相手のために祈ることだった。最初はつらくても。少しずつでいいから。そうすれば、自分が変わってくるからと。そして相手が必要なときには、すぐに手を貸してあげられるようになるからと。えぇ、と彼女は言った。本当ですか。難しいぃぃ・・・ そうだ、自分に苦しみを与えた相手のために祈るのは、きつい。無声で chant している彼女の後姿が見える。もうちょっと様子を見たら、声をかけてみよう・・・軽~く。BGM: カントリーロード一人ぼっち おそれずに 生きようと 夢みてた寂しさ 押し込めて 強い自分を 守っていこう寂しさを乗り越えるまでは、その寂しさを心に運んでいかなければいけないんだよね。
2008.08.08
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今日、久しぶりに Tarsha's space を出た。mama の健康保険証の更新に、ターシャの在学証明書が必要となるため、意を決して()、およそ2ヶ月も行っていない文学部棟へ。聞いたところ、3日で出してもらえるそうだ。ラッキー!その後、今晩の夕飯と若干の買い物のため、キャンパス内のショッピングセンターへ。その中に入っている果物屋さんの前を通ると、まるまる太ったマンゴーたちが並べてあった!!:・・・・そういえば、今は雨季。マンゴーたちの季節なのです。実は、フルーツに満ち満ちた南国にいるのに、ターシャはほとんど食べない。でも、マンゴーたちに魅せられて、思わず果物屋さんの中へ。:Magkano po? :100 per kilo. むむむ、ちと高い。本当は3つ買おうかと思ったけれど、それだと1キロに届きそうなので、2つに抑えた。:マンゴー買ったの久しぶり!いつもの買い物が、ちょっとだけ豊かになった気がした・・・日本のスーパーで見るマンゴーはたいてい、海を越えた長旅のためか、老いて新鮮味に欠けていますよね? しかも小さい。フィリピンで逞しい巨大マンゴーに見慣れたターシャの目には、:貧弱、ひんじゃくぅ! (←誰?)こんな大きさなのです。手のひらからあふれんばかりの大きさと重量。:プラスチックのお皿が、重みで沈むほど・・・(←うそ) :この巨大マンゴーを、もう家族への御土産に持って帰ることはできない。見つかったら空港で没収でしょう。残念である・・・以前ブログで少しお話した、4匹のかわいい子猫たち。この4匹のベイビーたちが、見事に重なりあって眠っている写真。マンゴーと一緒に紹介しましょう。:くぅっ・・・かわいすぎるどことなく、われ等が4人兄弟を思い出してしまう・・・部屋のドアを開けた瞬間、小さな彼らが一斉に部屋の中に駆け込んでくる姿は、なんとも可愛らしく、そして「どうしようもない」。(笑) エサで外におびき出すしか術なし。Pagasa とは昨夜から、英語でメール交換している。彼女の英語力アップの手助けのため。:がんばれ、Pagasa! Halim は競技の世界で―Talino は美と癒しの世界で―Pagasa は化学の世界で―Tarsha は文学の世界で―毎日祈っている。各々の世界で、偉大な目的に貢献する capable person に。はかない価値への妄執と、人を傷つける暴力が横行する世界だからこそ、人の心を洗う、美しい価値を生み出していける人に。
2008.08.06
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今夜、やっと、藤村の章を脱稿。『破戒』―本当に難しかった。原稿自体はまだ、ところどころ冗長な部分があるため、更なる推敲が必要ですが。ターシャ、原稿は最初、「紙」の上で、ペンで書くのです。過去に幾度かコンピューター上でやってみたのですが、思考のスピードが「数段」落ちることに気づきました。でも、紙とペンだと落ち着き、思考も進むのです。その「汚い」下書きをもとに、今度はコンピューター上に文章をタイプ。タイプしながらもまた考える。そんなこんなで、2日も費やしたぞ?!ちなみに、原稿は最初、日本語で書きます。英語だと、徹底して考えられないのです。だから、これから翻訳。:長い、長いよ、この道・・・文学の新しい面白さを引き出せますように。そして人間の心についての、より深い理解を。今、Yo-Yo Ma さんの音楽を聴いている。彼のことは以前、テレビ番組で観たことがあったのだが、本当に素晴らしい音楽家だ。来世は音楽家になりたいなあと独り言ちるターシャでした。
2008.08.05
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自己中といわれようが、頑固といわれようが、確かにそうだ、相手に合わせられない私は。この数年来、良い時も悪い時もずっとそばにいた1人の人をケアできずに、君はこれから大勢の人をケアしようとするんだ?でも、もう仕方がない。傷つけてしまったこと。自分のずるさ。友達だったら、長い間離れていても、思いやることこそすれ相手を責めることはない。相手の負担になる期待はしないから。でも、友達以上になると、人一倍のケアを求め、求められる。相手が自分に対してそうだと、そしてそれに自分が返してあげられないと、そしてそれが長期間続けば、もう駄目だ。よけいな情けと甘えのために、これ以上傷つけてしまうなら、すっかり切ったほうがいい。やっぱり寂しさと悲しさは否定できないけれど。1つのことに集中すると、他のことを禁欲的に絶ってしまうのが自分のスタイルで、たぶんそれが致命的。積極的な係わり合いを必要とする関係においては。それでも、工夫すればどうにかなるんだろう。でも工夫するほどの魅力と面白さを相手に感じなくなってしまったのも致命的。こう言い放つ私は本当に酷い。ごめん。「好き」という気持ちは、実はまだ「浅い」。それが深まらなければ、いつか消える。相手は、私の目指す目標を自分なりに応援してきたという。振り返ってみればそうだ。私が必要な部分を、これまで本当に助けてきてもらった。そこを忘れたら、私はとんでもない恩知らずになってしまう。けれど、きっと、ずっと一緒に歩んでいくには、相手も己の目標に向かって邁進していないと駄目みたいだ。そしてその目標を私自身が尊敬できないと駄目なんだ。そういうふうにして相手も同じように忙しくないと駄目なんだ、私には。どこまでも自分のプライオリティーは学びだった。だから結局、都合の良い時しか時間を割けなかった。それが相手の気持ちを利用することになってしまった。どんなにそれまでの過去を有難く思っても、それまでの沢山の優しさと助けに感謝しても、これ以上何を言っても相手にはもう、ノーのための言い訳にしか聞こえないし実際にそうだから、もう今は何も言わず、自分のこれまでの不誠実さを認めて、感謝と有難さは心にそのまま―それがもうまっすぐ伝わらないことは悲しいけれど、将来の大きな貢献のために、今はこの自己中な道を頑固に進む。存在が残した空白はどうしたって寂しいけれど。進む。
2008.08.02
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