2012年01月25日
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カテゴリ: 哲学研究室
 伝承される信仰・伝統・習俗などの総体としての文化、という定義もあったが、これは全く正しくないと思う。単純な対象物として把握できないカルチャーの意味を、ますます対象固定化し変えてしまう誤った定義である。
 そのもの(本質)がつかめていないのに、全体という言葉で囲い込んで支配しようとしている。こんな他人の認識任せの横暴な定義をしてはいけない。スキエンチアでも、こんな定義は許されない。
 「人間社会の(特定分野の)日々の暮らしを見守ること、その過程(としか捉えようのない権能)、」でいいと思う。未だ歴史記述には到っていないが、そうなりそうなモロモロが、ここにある。

 colereが持っていた本来の意味は、対象化されて限定され、人間社会というカルトに組み込まれ、かつスキエンチアによって切り分けられてた特定分野としてしか、見出せなくなってしまっているのである。スキエンチアによってクラス化されてしまっている、ということである。
 その結果、素朴なcolereと違って、カルチャーは明確な対比語が出来た。
 カルチャーに対比されうる言葉は、カルチャーがまともに見えていないので常識には無いかもしれないが、「ネイチャー」である。

 カルチャーを耕すという意味だとする俗見は、ここから逆に生まれた発想ではあるまいか。手付かずの自然、手をつけた文化、だと。

 特定分野を切り分ける、という、付加された意味のほうがでしゃばって一般化され、、カルチャー本来の意味がつかめなくなってしまったのである。
 本来のcolereが持っている意味は、「日々の暮らしにおける自然な様」なのである。


 これでは目が見えないと思うのだが。
 だから、カルチャー論議は紛糾するのである。欧米社会の危機はまさに、ここに、目の見えなさにある。合理的な力のモーメントを追求する余り、進路に対し、後ろ向きに座って漕いでいる。





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最終更新日  2012年01月25日 08時29分13秒
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