実は、未だ出て来てない小国「日本」の運命は、もっとずっと奇想天外だったのだ。
それを語るのは、「かぐやひめ伝説」なのである。
別名「伽耶姫」のお話になる。
半島から失われ列島では忘れられた感のある、伽耶文化の宝姫伝説。
列島で、任那日本府の人は日本人と名乗った。
しかし過去からの種族名を、きれいに脱ぎ捨て。
伝承にある建国の年号は失わなかったが。
郷に入れば郷に従えの教えを、心に刻んでいた。
それは後に、私ども平氏すら日本人となった、そのことでわかる。
過去のすべてを忘れたい、その切実な思いが、日本人という小種族の全員にあったからだ。
それが倭人をも巻き込み、東国にあった諸国をも、動かしたのだ。
日本人は、シウシン族ではないし、そもそも倭人ではない。
グループにはあったが、まったくの異種なのである。
何千年も昔から、そうなのだ。
「阿羅」と言う種族名をもち、アラタマの軍旗を持つ「軍事種族」。
それが日本だと思う。
古くはバーラタ(インド)で、阿羅漢と呼ばれていた文化眷属である。
世界一古い、建国の年をもつ。
倭人(海軍)と同盟し、ともに活動はしているが、まったく別の種族なのである。
古くはアラムと呼ばれた。
アラム(阿羅武)は、騎馬民族である。
遠いオリエントの地で、紀元前の遠い過去に建国しすでに久しいが。
いきさつがあって、オリエントの国は、当初からなかった。
世界一古いと考古学者からも認定された種族国家だから、当然古いのだが。
国土が行方不明。
建国はしかも列島での出来事ではないのだ。
単一民族国家ではない、のである。
内部に逆に多民族を持ち天皇を戴く、「単一部族の」国家。
この天皇と言う呼称は、じつは唐人の発案らしいので。
つまりは超新しい、唐人絡みのものかもしれないのだが。
そこは曖昧にして置いてもいいだろう。
西暦紀元2025年の今は、皇紀2685年だ。
古いナラ(国)を捨て。
何もかも捨てて入植してきた蓬莱の地、列島。
太古にも居たはずの地なのだ。
アカホヤ火山の噴火に負われ、海路を逃げるまでは、世界中の人が列島出身と言うこともありうるのである。
そんな疑いも、最近は囁かれている。
だが、紀元700年当時には、新参者なんだと認識していた。
郷に入れば郷に従え。
系譜も何もかも刷新した。
当然天皇の伝承すらも、列島で、あらたに作りかえたんである。
それまで日本は、半島に居た。
百済ではない。
新羅の、鉄が採れる辺境地域で、任那という小国を営んでいた。
ちゃんと当時から「日本府」と名乗ってた。
但し任那も、正しくは美馬(伊)那だ、とおいらはおもっている。
ビバイナが、漢字表記で、みまなになったんだと。
百済とは領域を接していて類似の種族なんだが。
つまり日本人は扶余族なんだが。
その扶余族とは大喧嘩していた。
お互いに常時戦争。
任那日本府は、当時は半島の南端にあった新羅の属国で、小国である。
日向に、同族のような連中がすでに居たことは、まちがいなさそうだし。
ハイ族つまり扶余が、そこにいたので同族なんだが。
いきさつがわからん。
高句麗にも、お仲間がいた。
こちらとは絶縁関係事情がそこそこ、わかっている。
600年代当時の列島は、大陸からの侵略者が溢れていた。
列島はヘプターキー状態だったのだ。
あった国も、7つではきかん規模だったと思う。
だから初期侵略者なのかどうかは不明で、むしろ最後発組だと思うんだが。
筑紫の倭人とは、極度にいい関係だった。
百済と違って、お互いに信頼し信頼される間柄だったようだ。
漢字は、それが出来た頃から使ってた。
超馴染みのものである。
と言うか、日本人が「漢字の起源となった種族かもしれん」のである。
列島には、もともと無数の、いろんな文字体系があったのだが。
700年頃に日本人が、新羅唐風の国家体制とともに、漢字を列島に持ち込んだ。
官報で、これを使うようになって以降。
神社や寺以外には、古い文字は、あんまりつかわれなくなって忘れていったからだ。
日本人が、列島に漢字を持ち込んだ。
その結果、古い文字が消えていったんだ、と思う。
同時期に、かなもじもカナ文字も、できたようだ。
阿羅人と自称する少数民族が、日本人の核なのだ、と、オイラは思うわけだ。
但し列島に来た日本人は、阿羅人という過去を忘れたかったのである。
その事情がある。
彼らの古い伝承が、倭人の持つシュメールの男神の太陽神を、女神に替えさせていたんだと思う。
倭人はハッチ伝来の、アリンナ市の名の無い太陽女神を受け入れた。
それだけではない。
名の無い太陽女神と彼らの始祖を一体化させたできごとが、それが、ちゃんとハッチ以降の過去にもあった。
彼らには、ルティプリの子アラメアという、遠い先祖がいたのだ。
大将軍アラメアは実在の人物である。
美麗王として知られ、アッシリアに怖れられた男。
女装して太陽の女神を名乗り、世界帝国と常に正面から戦っていた男だ。
騎馬民族諸族での女病患者は以後、崇拝の対象となっていった。
日本国建国の主ではないのである。
ビバイナ建国は、日本建国よりほんの少し前となる。
高天原時代のことで。
ウガヤ王朝という意見もあるが、ウガヤのこれは比較的新しい高句麗時代の事だろう。
高句麗なんぞよりずっとずっと古い、神代の、かみよの時代のできごと。
大王アラメアは、ビバイナと呼ばれる高原の強国を興した。
神殿の主で、国名はビアイニという表現もあるようだ。
今日では、この名は消えかかっている。
その国は、敵対する強大な一神教国の相手から「ウラルトゥ帝国」と呼ばれていたのでそちらが一般的だ。
田舎連中のことなんだが、すでに文化国家だった。
太古に、ハッチ王族から文化指導もなされていたのだ。
高原の国は、ヴァンの、琵琶海の波が打ち寄せる畔に近くにあり。
そこは不二(フジ)より高い、美しいコニーデの恐怖の火の山。
ウラルトゥ山の麓でもあった。
その界隈の高原地帯を、ナイリ地方ともいう。
もともとスバル人の多くいた地に、侵略者から人々を守ってできたハッチ系騎馬民族の国なのだ。
ハッチ時代には、ナイリやムサシルといった国名などは、知られていないのかもしれん。
ハイハヤやアッジハヤといった田舎地域が、これは親近感を持って知られていた。
彼らはハッチ大王の本物のご親戚ともなった話がある。
もともとハッチの王族が、この地域の出かもしれない。
古くはカッシュ族という山岳種族の同族がいたし、ムワタリシュ王がラムセス二世と戦ったカデシュの戦役では、マンダ族(のちのメディア)などもハッチ軍に加わっている。
自分たちの種族名を、ハッチ時代当時から、ハイ、あるいはハイークと呼んでた。
扶余族は、その別名をハイともいう。
漢字で書けば、扶余、フヨ。
あるいはこれは富与であり、卑弥呼の後を継いだトヨとも重なるのだ。
但し扶余は、ずっとずっと後の、高句麗五族の一員時代の話。
だから高句麗地域は日本人直近の母国なのである。
中国から流れて来た盗賊集団だという。
ついでなので、途中省略で、直近の高句麗の話をする。
卑弥呼の前の時代に、兄と弟が喧嘩して兄が負け。
一門ともども、伝承の軍旗を持ち逃げした経過がある。
これが辰王権だ。
公孫度(倭人)を頼り、半島の南に大勢で逃げた。
そのことがわかっている。
公孫度は、のちの燕王である。
公孫度は、その公主を略奪婚で辰王の卓という男に託した。
倭人の燕王は、逃げたダメ男に投資したのである。
大事な大事な軍旗を、彼らが持っていたから、支援したのだ。
倭は燕に属す。
以後、高句麗と軍旗の持主は喧嘩状態だった。
そしてこの軍旗は、のちの辰王伝承と重なってくるのである。
古い古い神代の時代の話に戻る。
女神アラメアが、侵略者アッシリア軍を打ち破って、ビバイナ国を興した。
以後、彼は高天原を支配したのだが。
その後、何代にもわたって、この「世界帝国との抗争」が続く。
帝国はいつしか、頼ってくる諸国と民衆で超巨大化し。
際限なく肥大していった。
しかしあるとき、本気を出されたアッシリア軍に、国境を破られ攻め込まれる。
広大な国土を蹂躙されて、以降は落ち目となる。
その場は、なんとか広大な国内を逃げ回って撃退でき、国もさらに大きくはなったが。
首都をアル(長子)・メヌワシュという王族が奥地に移してから、特に酷くなり。
今度は、その王族が腐ってしまった。
背後のキンメリア人に背乗りされて王室を乗っ取られ。
国家は生き血を吸われる始末。
ここで、その亡国の混乱の中で、ついにビバイナ国は分裂したのだ。
対アッシリア戦の前線で、なんと、軍旗を持った日本国が出来たのである。
ニニギという男かどうかは、わからんし、知らん。
クーデターやって、賛同者を得たのはいいが。
国がもともと滅亡状態。
なので、軍のみが戦争継続訴えても、補給が一切ない、わけだ。
しかし戦闘は、遠い過去の同僚を頼ってムリヤリお願いして、なんとか続けられた。
やがて広大な(実は、とうてい支配できん)国土を、ぜんぶその補給者に売り渡し。
日本国は戦争継続を選んだ。
古いハッチ時代の、カデシュ戦役をともに戦った同僚のよしみで。
メディア帝国によって、対アッシリア戦争は続けられ。
それで世界も動いた。
バビロンもエジプトも、自国の独立戦争に立ち上がり。
強大な敵のアッシリア世界帝国は、大きくなりすぎてたこともあって。
やがて火となって滅んだ。
このときウラルトウと同盟していた、虜囚イスラエルも、救出される。
イスラエルはフェニキアの民(海軍)が健在で、海の国も熱心に商売中で。
後に彼らに合体しえたようだ。
しかし日本の国土は、すでに、ないのである。
売国のおかげで、何世代も続いてた強大な敵も倒せ。
母体のウラルトゥは、敵アッシリアとともに滅んだが。
阿羅武人の日本は、生き残り。
更に遠いイシン市の時代から受け継いでいたその軍旗を守りぬいて、陸路をシルクロードへと去ったのである。
その次の時代が、ヘラス人イスカンダルの時代。
シュメール王名表は、そのイシン市のエンシ、ナブー・シュム・リブルで終わっている。
しかしアラタマの軍旗はアラム族によって受け継がれ。
その子孫が、須彌山の武人阿羅漢たちとなり、シルクロードを超えてやってきて。
豊かな先祖の土地、扶桑・蓬莱の地を目指したんだ、と言いたいわけだ。
軍旗は、その昔の一時期、マガダにあり。
その後はデオドトスの軍にあり。
また秦にあったことがあるようだ。
また高句麗にあった時期もあるので、逃げるの好きな軍旗。
秦からは、始皇帝が立った頃に、反対派の王子に持ち逃げされて。
いつしか高句麗に至り。
兄弟闘争に負けた卓という男が、その高句麗からも持ち逃げしていた。
持ち逃げ男は、公孫氏という倭人に支援されて、南下。
この倭人は、のちの燕王である。
軍旗は、倭人にとっても超大事な、守るべきものだったのだ。
倭は燕に属す、の、燕。
燕王は、逃げる小国日本に投資した。
公主を略奪婚で娶り、扶余の一門を率いて、辰王卓は南下。
その先がややこしいんだし、百済に入ったのか任那に入ったのか、金管加羅がどうかかわるのか、これがようわからんのだが。
その負け男が亡くなってのち。
燕王の公主は、どうやら旗を無視して列島に渡ったらしく。
そこで、倭人の大乱に巻き込まれて、高句麗人に列島で殺される。
というか、この倭の大乱を引き起こした原因が、旗の持ち逃げかもしれんのである。
軍旗というが、三種の神器や神輿のようなもんかもしれん。
それが、狗奴国に攻められて儀礼矢で命を落とした卑弥呼臭いのだ。
別人ではないと思う。
後を継いだ壱与あるいはトヨが、再度海を渡って。
半島の秦城へと逃げたこともわかっている。
この秦城はソラボルのことではないと思うが、これまた、わからんのだ。
しかし筑紫と日本の、超親しい関係はこの時代に原因があるのかもしれん。
高句麗人つまり扶余族も九州にいて、しかも敵対してたグループや国もあったようだ。
ともあれ、半島南端で「あらたま」を持つ種族が、阿羅であり。
これが日本である。
辰王との関係は、まだ十分整理できているとはいえないが。
これはイシン王のことだとうっすらわかる。
失われたシュメールの王名表を継ぐ「王権」といえば、わかり易いかも。
日本と倭の関係は、旗と辰王権の関係が、別個に絡んで、ややこしいが。
モノが何かはわからんのである。
シュメールとの関係は、かなり整理されてきたが、これもわからん。
古拙文字、膠着語言語、数々の神話、そして商売で、つながるのは間違いない。
これらはしかし、ほとんど神話の類なのである。
偽書の噂もある契丹古伝や、研究者の憶測も含まれている、超、いいかげんなものだ。
しかし遺伝子の科学や考古学が、今やそれらを裏付けつつある。
日本人と同じ遺伝子を持つ民族が、なんとアンダマン諸島に居て、しかも相手は、まっくろくろちゃん。
縄文の血を持つ海洋民族が、世界を又に活躍してたことは間違いないのだ。
日本文化の基礎となる諸々が、600年のこの頃に「半島の伽耶地方にあったこと」も、ほぼわかっているのだ。
そしてそれは、白村江の頃には、完全に消えていた。
百済が滅亡させたことも。
歴史物語も、未だに怪しさいっぱいで。
半島南端のそこは、列島からの植民地だったんだ、というのが通説だが。
だがおいらは、半島南端が一時期の日本人の古い居留地、しかもそっちが本国だったんだ、と思っている。
一時期のナラ(国土)だったんだ、と。
親を捨て、国土を捨てて逃げた以上、すべては忘れ去るべきものだったんだと。
それらは未だ見えてない、これから騙る出来事。
しかし見えてる、証拠がちゃんと残っている出来事もある。
それが家具屋姫の物語。
PR
キーワードサーチ
カレンダー
コメント新着