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今日、6月19日は「濫読屋雑記」開設600日目にあたる記念すべき日です。途中、3ヶ月ほど空白の期間もあったり、再開してみれば週1回ぐらいの緩やか~なペースでの更新で、細々とやってきていますが、600日という数字は、考えてみれば中々の日数ですね。鬱の病状がもう少し和らげば、以前のように濃い内容の文章をバンバン書いていけるのですが・・・。体調だけはどうしようもないので、仕方がありませんね。ああ、それにしても書きたいネタ、見たいDVDなど溜まりに溜まっているのですが、これが見る時間もないし、気力も仕事で使い果たして、ついでに書道の展覧会の作品作りまで重なってストレスが溜まりに溜まっている今日この頃です。エマ第二幕もまだ1話も見ていないし、折角買った『マナーハウス』にも手が付けられていない状態・・・。あと、アニメでは、精霊の守り人に彩雲国物語の第二期、ウエルベールの物語にロミオ×ジュリエットもDVDに録画したまま・・・。あぁ、一週間ぐらいまとめて休暇が取れないのでしょうか・・・。でも、そんなこと言ったら「どうぞ、お辞め下さい」と言われるがオチなのでしょうがねぇ(嘆息)。そんなこんなな状態の中で、細々と読んでいるのが、以前、このブログでも紹介した『チョコレート工場の秘密』の著者で有名なロアルド・ダールが青年時代を懐古して書いた自伝、永井純訳『単独飛行』(早川書房、1989年)です。この本の原題は『GOING SOLO』。英和辞典を紐解くとsoloとは、空軍の用語でそのものずばり「単独飛行」と訳されています。他にも「単独で(生活)する」とか「独演」とかいう訳も載っていて、戦闘機での「単独飛行」というだけじゃなくて、ロアルド・ダール自身の個人主義的な生き方も表しているともとれる、意味深長な好いタイトルですね。 本書は、著者自身による自伝『少年』の続きなのだそうですが、私は『少年』を読んだ事はありません。このお話は、ダールが学校を卒業した後、シェル・カンパニーに無事就職して、アフリカ勤務になってからの思い出と、第二次大戦でイギリス空軍の戦闘機パイロットとして、枢軸国と戦った出来事を中心に、2部構成でお話が展開していきます。 前半の「アフリカ赴任」編は、著者みずから精選したエピソードというだけあって、おもしろおかしく、時にスリリングな話の連続です。任地へ向かう船の上では、早朝にデッキの上を、全裸で駆け回るする陸軍少佐夫婦。同室となった男のフケの悩みを盛んに周囲に漏らしていたとんでもない秘密(本書を読めば分かりますがマンガか妄想の世界のようなあきれて果てた理由です)。こうして珍妙な船旅は地中海からスエズ運河を通過して紅海へと出るのですが、紅海を行くこと2日目、とんでもない船に出会います。その船はイタリア船なのですが、船のデッキが女で溢れかえり、ダール氏曰く「船上には数千人の女がいるに違いない」と思われるほどの状況。で、当然「あれはなんですか?」と航海士に尋ねてみれば、「イタリア軍兵士向けですよ」との回答。なんと、イタリア軍はアビシニア(現在のエチオピア)征服(ファシズム政権下の夢想の結果です)のための兵士の慰問用にイタリア人女性をアビシニア征服に疲れ果て、嫌気がさした兵士や将校向けに送られていったのです・・・。いずこの国もみな同じなんですね。こうして珍妙な航海を終え、やっと到着した赴任地タンガニカでは、毒ヘビやライオンの襲撃に四六時中油断がならないといういかにもアフリカ!というような状況に直面します。とくにダール氏は蛇が大嫌いだそうなので、このあたりは同じく大の蛇嫌いの私にとって非常に親近感の持てる話でした。さて、このようにシェル石油の販売員としてステーション・ワゴンに乗って西は中央アフリカのタンガニカ湖から南はニアサランドの国境近くまで、ダイヤモンド鉱山や金鉱、シサル麻農園等のお得意様にシェル石油の品質の良い澗滑油と燃料油を供給するという、「知性や相続力は大して必要ではなかったが、無条件で健康でタフでなければならなかった」仕事と生活、そして自然を満喫していたダール氏。ところが、この生活に暗雲が立ちこめてくるのです。第二次大戦の勃発です。当時、ダール氏が住んでいたタンガニカは第一次大戦中はドイツ領東アフリカと呼ばれ、1919年の休戦のあとイギリスが割譲、タンガニカと改名したいわく付きの土地だったのです。当然、イギリス領となった後も、大勢のドイツ人が生活をしていました。その数は、タンガニカに住む他の全ヨーロッパ人を合わせた数より多いぐらいで、当然、開戦となればドイツ人は当局にとって危険で厄介な問題となる恐れがあったのです。そして、事態は緊迫の度合いを増し、ついに宣戦布告と同時にダルエスサラーム周辺の何百人のドイツ人を借り集めるための綿密な計画が練られ、ダルエスサラームに住む数少ない若い男性が仕事を離れ「ある種の手品のようなプロセスをへて、臨時の陸軍将校になることを命じられた」のです!そこで、アフリカ近衛ライフル銃隊(KAR、現地では黒人兵士はアスカリと呼ばれた)のイギリス人大尉からダール氏に命令が下されたのです。小銃と機関銃1丁で武装した25名のアスカリを指揮して宣戦布告と同時に中立地帯であるポルトガル領東アフリカへ通じる一本しかない海岸道路を封鎖し、脱出しようとする全てのドイツ人を阻止し、まとめて強制収容所へ連行せよ、との命令です。ダール氏はこの任務は無理でもっと責任のある将校にやってもらえないかと大尉に頼んでみますが、意見は却下されてしまいます。そこで、ダール氏はドイツ人が「銃を持っていて、戦闘をしかけてきたらどうなります?」と質問します。するとくだんの大尉どのは「そのときは薙ぎたおせ。機関銃があるだろう?機関銃が一丁あれば小銃を持った五百人の敵に勝てる」(う~ん、第一次大戦の塹壕戦の影響をモロに受けていますね。ちなみにこの時配備された機関銃というのは旧式のルイス機関銃なのでしょうか?それともやはりヴィッカース水冷重機関銃?ブレン軽機関銃は新式なので植民地には配備されてないと思うのですが・・・。どうもこの手のマニアは、その辺りが気になります)と言い放ちます。ダール氏は「五百人の民間人を機関銃で薙ぎたおせと命令する人間になりたくなかった」と心境を吐露しています。そこで、「その中に女子供がいたらどうしますか?」と尋ねてみると「その時は自分で判断したまえ」と明言を避けられしまします。こうして、学校での軍事教練しか受けていなかったダール氏は部隊を指揮して海岸道路に封鎖線を引くことになるのですが、この先は本書を読んで下さい。書き出すとまた長々と書き散らす事になりそうなので・・・。そんな理由で、今日はドアルド・ダールの『単独飛行』の前半部を長々と紹介してみました。今度は、余裕があれば、この後起こる前半最大のハイライト、ドイツ人とダール氏の対決や、後半のRAF(王立空軍)入隊後のお話をこんな感じで長々と書いていきたいと思います。それでは!
2007年06月19日
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はい、今日は私が心から愛する火器の中で、時々これを使って腹の立つ相手を粉微塵に吹っ飛ばすのに丁度良いな~、と妄想する大砲(あとは、蜂の巣にするのに丁度良い散弾銃も良いですが)、その中でとくに日本ではこれまであまり紹介されたことのなかった前装砲の歴史について概述したその題名もずばり『大砲の歴史』著者アルバート・マヌーシー、訳者、今津浩一(ハイデンス、2004年10月、表紙画像なし)を紹介&解説していきたいと思います。この本を簡単に説明しますと、先にも述べた前装砲(先込め式の旧式大砲)についての解説書となります。この本を読めば、大砲の発展史、アルキメデスから日露戦争までの大砲の種類、火薬、砲弾とひととおりの知識を得ることができる本です。当然、アルキメデスの時代には火薬はありませんので、中世ヨーロッパの攻城戦で用いられたカタパルト(投石器)や、バリスタ(古代大型石弓)、そして時代は少々下りますがトレビュッチョ(攻城投石器、前方に巨大な重しをつけて、反動と遠心力を利用して重さ150kg以上の石弾を300m以上発射する事が可能な兵器)などの紹介で本書は始まっています。続いて、「火薬の登場」というとこで火薬と大砲の起源が語られ、次の「最古の大砲(ボンバード射石砲)」という章から本格的な大砲のお話へと入っていきます。この章では、巨大な射石砲、オスマン・トルコが1453年のコンスタンチノープル包囲戦で使用した巨大な青銅鋳物砲、最大のものは重さ19トン!300kgの石弾を1日に7発も発射する事ができた大砲の解説、射撃方法や大砲を操作する集団(ギルド)と君主(雇用主)との関係などが説明されていて、興味深いものがあります。さらに「16世紀の大砲」、「17世紀の大砲(グスタフ・アドルフの改革)」、「18世紀の大砲」「19世紀初頭の米国砲」、「ライフル(砲腔への施条)」、「南北戦争」(この時代に火器、小銃から大砲にいたるあらゆる兵器が爆発的に発展した時期です)、「20世紀初頭の大砲へ」という感じで、大砲の進化の歴史が解説されているのですが、どうも記述内容が、アメリカやその周辺の事象に偏っているのですよね。何でだろうと、後ろの「訳者あとがき」を読んでみますと、「この本は米国公園局出版の」と書いてあります。そして、原作者もアメリカが植民地であった時代に建設されたセント・オーガスティンとそれを守るサン・マルコス砦(フロリダ州にあるスペインが建設した要塞)の歴史に「深い興味を持ち、深く研究した」とあるので、なんで米国偏重なのかが理解できました。こんな感じで大砲の歴史の説明が終わると次は、「火薬」の解説に移ります。「火薬の配合と保存法」、「点火」、「黒色火薬の改良」の3つの章からなるこの部分では、火薬を調合する際の混合比率からどの大砲には、どのような火薬をどれだけ装填すればよいのか、そして大砲の点火方法の改良の歴史と、黒色火薬の特徴や改良、黒色火薬の粒化や燃焼速度に関する記述、無煙火薬発明後の黒色火薬の利用法などが書かれています。 お次が「大砲の種類」で「滑空砲-初期」では、ファルコン砲、カルバリン砲、カノン砲などめいめいに勝手な名称がつけられた当時の大砲を、発射する砲弾の重量や発射角度によって分類し一覧表にしてある辺りは芸が細かく、非常に参考になりました。また「滑空砲-後期」ではそれまで、煩雑で用途ごとにばらばらに作られてきた大砲が、国家の統制の元、例えば清教徒革命の時代のイングランドでは6・9・12・18・24・32・42ポンド砲へと口径で区分し、大砲の生産に画期的な改革を行った事が解説されています。この他には「要塞砲と艦載砲」、「攻囲攻城砲」、「野砲」、「ホーウィッツァー砲」(17世紀、オランダで発明された臼砲より軽くカノン砲より大きな炸裂弾を高い弾道で発射する事ができる大砲)、「臼砲」に関して、砲架の構造、とくに英米仏スペインなどの、砲架の機動性や据え付け、照準方法や砲身への装飾などに関する記述が大半を占めています。その次が「砲弾」となって各種砲弾の解説に入っていきます。「実態弾」(ただのむくの鋳鉄の弾丸からぶどう弾、棒弾、船の索具を破壊するためのチェーン弾などなど)、「炸裂弾」、「信管」、「散弾」(とくに艦船のカロネード砲などに使用されたブリキの缶の中にマスケット銃の弾丸を数百発詰めた代物など)、「焼夷弾と科学弾」、「カートリッジ」(一体型砲弾)そして最後に「ロケット弾」(アメリカの国家で有名ですね)とそれぞれの弾丸の種類や特徴などを記述してあります。そして最後に、「砲手の道具」と題して大砲に付属する各種の装備の解説があり、続いて「砲術の演習」と題する箇所では、大砲をどのように装填し発射したかを手順毎の人員の配置方法を図示して、発射手順を事細かに解説しています。また、巻末には「用語集」があり、小難しい技術用語に関する簡単な説明が載っています。ただこの本、装丁も印刷も安っぽく、一見するといいかげんな自費出版書みたいに見えるのです。しかし、意外に内容はソコソコ読める代物です。ただし、著者が描いたというイラストは、すべて白黒である上、中には画質が不鮮明であったため、図解されている内容がよく分からないものもありました。ただしこの本、近代以前の先込め式大砲に関する日本語の資料がきわめて乏しい現状で、その具体的なイメージを掴むのになかなか優れた本だと思いました。大砲がお好きな方は一度、読んでみると良いと思います。ただ、1500円出して買うには少々微妙な本であるので、図書館でリクエストして取り寄せてもらうか、購入してもらったほうが良いとお勧めします。
2007年06月13日
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え~、みなさま。お久しぶりです。ウツの原因の一つとなった伯父の死から丁度1年。本日、一周忌の法要が終わって、ホッとしたら気分が楽になったので、久方ぶりの更新と相成りました。さて、今日取り上げる本は、世界中の戦史研究家、並びに戦記ファン、軍装マニア等々に愛されている英国オスプレイ社の『世界の軍装と戦術』シリーズの日本語訳第二弾、ゴードン・L・ロトマン著、スティーヴ・ヌーン[カラー・イラスト]、三貴雅智訳『第二次大戦の歩兵対戦車戦闘』(大日本絵画、2007年6月)です。この本をなぜ購入したかといいますと、日本軍の対戦車戦術が外国ではどのように評価されているか非常に興味があったからです。で、本を捲って見てみますと・・・、本の真ん中のカラーイラストに日本軍の対戦車戦術の例として「日本軍の自己犠牲精神の発露、1945年、「十人一殺」」という感じで紹介されていました。まぁ、戦史を少しでも齧った方なら如何に旧帝国陸軍の対戦車戦闘装備が貧弱であったかは、良くご存知の事だと思います。何しろ、日本軍最良の対戦車用兵器といえば、一式機動47粍速射砲だったのですから・・・。この速射砲、距離やく500mでかろうじてM4シャーマン戦車の側面を貫通する能力しかなかった代物です。本書でも「日本軍における対戦車戦闘に関する対策は、まったく立ち遅れていた。」と初っ端からバッサリ切って捨てられています。1939年のノモンハン事件でソ連軍の機甲部隊に圧倒されたにも関わらず(この時、まともな歩兵用の対戦車兵器なんて、空のサイダー瓶にガソリンを詰めた火炎瓶ぐらいしかなかったのですから・・・)、戦車は歩兵の支援兵器とする誤った観念に固執した結果、機甲部隊の集中運用や、戦車遭遇戦闘に関するドクトリンもなかった、とケチョンケチョンに貶されています。そこで、訳者が「筆者のいわんとする日本軍の対戦車戦闘への不備は、大口径対戦車砲や対戦車自走砲、ロケット砲などの装備近代化への遅れをさしている。」と補足している始末です。この他にも、訳者は1941年に新設された機甲兵種(戦車兵と騎兵科を合体させたもの)とそれを統括する機甲本部の創設、翌年の戦車師団3個を基幹とする機甲軍の編成、そしてそのドクトリンをまとめた『機甲作戦要務書』も編纂されている、と補足しています。一応、旧帝国陸軍も対戦車戦闘をある程度は想定してはいたのですが、戦車と戦車との対戦車戦闘は起きない、とか対戦車戦闘の基幹は速射砲である、との固定観念、そして大口径対戦車砲を開発する技術力と生産力がなかったので、画餅になってしまったのですが・・・。さて、この他にも一応、歩兵用の対戦車兵器としては、九四式三七粍速射砲(距離約500mで24mmの装甲を貫徹する)や九八式二十粍高射機関砲や九三式十三粍機関砲が配備されていました。この機関砲は、対戦車用の鉄甲弾を使用することで、対上陸用舟艇、対水陸両用トラクター用(装甲が無いに等しい車両だったため)に威力を発揮、上陸を試みる海兵隊を苦しめました。後は、高価で低威力な対戦車ライフルに分類される九七式自動砲(口径20mm)とか、ドイツからの技術支援で作られた30mmと40mmの成形炸薬を利用した2種類がある小銃に装着して使用する二式擲弾器、同じく成形炸薬を利用した恐怖の刺突爆雷(米軍からは「愚者の棒」と呼ばれた)があります。この刺突爆雷、装甲貫徹能力は150mmで確実にシャーマンを撃破出来ましたが、当然、攻撃手の生還は望めない特攻兵器でした。この他、磁石式の対戦車吸着地雷として九九式破甲爆雷がありましたが、これは、爆風威力による普通の地雷の為、装甲貫徹力は25mmと戦車の装甲の薄い、側面や上面にしか使用できませんでした。このような、威力不足な兵器でもって太平洋戦争を戦い抜いた旧帝国陸軍ですが、意外と米軍に対して、一定の戦果を挙げることに成功しています。これは、太平洋戦線がジャングルやら山岳地帯などの錯雑地形が多く、また、旧帝国陸軍が偽装の達人だったため、対戦車兵器に十分な隠蔽を施し、戦車遭遇戦闘の基本として待ち伏せを重視したことにより、敵戦車をやり過ごした後、側面やら後方から射撃を開始、撃破するという戦法を多用したからです。この戦法は、サイパンや硫黄島、沖縄などで用いられ、米軍戦車に多大な損害を与える事に成功しています。また、日本軍は対戦車肉薄攻撃隊を支援する為、戦車に随伴する歩兵を迫撃砲やら擲弾筒などの弾幕射撃で迎え撃ち、歩兵に出血を強いました。このため、海兵隊の一部の部隊は、戦車の随伴を拒んだほどだそうです。では、最初の「日本軍の自己犠牲精神の発露、1945年、「十人一殺」」の解説を簡単にしますと、米軍のM4シャーマン戦車に日本兵が群がっている様子が描かれています。戦車には、先に述べた吸着地雷対策に厚さ5cmの木の板を装着し、ハッチには鋼鉄棒を加工した網カゴを装備、エンジンルームの上には土嚢を積み、戦車の前面には予備の履帯を貼り付け、さらに、日本兵が戦車に飛び乗って自軍の兵士に機関銃を乱射させないように、砲塔上面の機関銃を撤去するという状況です。そこへ、日本兵が吸着地雷やら、破甲爆雷、爆薬筒を持って突撃する様子が描かれ、他に、40mmの二式擲弾を発射する兵士や、戦車に馬乗りになって、後部エンジンルーム上面に破甲爆雷を2個木の板で挟んだものを仕掛けようとする兵士や、ハッチをこじ開け、九九式破片手榴弾を投げ入れようとせんとする兵士が描かれています。まさに、肉弾攻撃・・・。しかし、硫黄島の戦いでの戦車の最大の損失原因は、広範な地雷の使用、航空爆弾や魚雷まで使用したのですから、戦車など文字通り粉微塵に吹き飛ばされてしまいます。そして、お次が一式機動47粍速射砲による攻撃だったそうです。とはいえ、旧帝国陸軍の肉薄攻撃は往々として成功をおさめ、極端な例でしょうが、本書ではビルマ戦線でM3リー戦車に飛び込んできた日本軍の将校が装填手のエンフィールド中折れ回転式拳銃で蜂の巣にされるまで、軍刀で戦車長と砲手を惨殺したとの公式記録が存在しているそうで、まさしく日本軍はドイツやアメリカ、そして何より人名の安いソ連と比べても高い代償を払って対戦車戦闘を敢行していた事を改めて、納得させられた一冊でした。ちなみにこの本では日本の他に、アメリカ、イギリス、ソ連、ドイツの対戦車戦闘に関する兵器の解説やドクトリンが紹介されていています。歩兵が如何にして戦場の怪物、戦車に挑んでいったか関心のある方は、ご一読の価値がありますよ。
2007年06月10日
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