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光文社新書。映画字幕翻訳者による、映画字幕および日本語に関するエッセイ風よみもの。映画の字幕は、字数が多くてはいけない(読みきれないから)。俳優の口の動きに合わせて言葉を選択しなければならない(ずれていると滑稽だから)。誰にでもわかる日本語でないといけない(意味がわからないと意味がない)。というような基本的事項を語りつつそれだけではおさまりきらない苦労のあれこれについて語られる口調が楽しい。万人受けを狙う配給会社の思惑が、時に吐かれてもいない台詞を字幕に書かせようとしたり、より感動的になるように、と言うより、感動を押し付けんとするばかりの説明的台詞を書かせようとしたり、そんな時に感じる字幕屋さんの戸惑いや憤りが、さらっと書かれている。他にも日本語全体のおかしな風潮にも触れてあってたとえば「させていただきます」という言い回しの多用はどうなの?とか、そういう話題が私は大好きなので、速読中かと思われるくらいのスピードで一気に読んだ。字幕翻訳は、最低限の言葉数で、過不足なく、人物の心情や状況説明を行わなければならない。人物にはキャラクターがあるので、人称や語尾にも気を遣う。なおかつ、より多くの人に通じる表現を探る必要がある。のみならず、もともとの映画が持っている、人の心に訴えかける魅力は決して殺してはならない。なんて楽しそうな!語学力があれば字幕翻訳をやりたい!くらい。実は私は翻訳ものの小説が苦手だ。多くの翻訳者の文章が、「読ませない」からだ。もっと読ませる文章を書きやがれ、と心の中で毒づいたりする。日本語しかできない私は、好きな日本人作家の文章は、多少合わなくても読みたいと思うが翻訳ものの場合は、読みにくい、と思ったらすぐやめる。もちろん、好き嫌いもあるだろうけど。でも、作家の人の翻訳は読みやすいものが多いし、翻訳業の方の中にも読みやすくて好きな人はいる。でも、これまで映画の字幕で「見ていられない」と思ったことはない。原文の意味がわからないのは小説でも同じ。「空気のような字幕」、映像とともにさらっと入ってきて、読んでいるという意識も起きないようなそういうのがよい字幕らしい。翻訳小説を読むときに感じるような抵抗感が少ないのは字幕屋さんの努力の賜なのか映像に引きずられているのか、、単に文字数だけの問題だったりして。
2007.05.30
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こんばんは~。また、マリーどす~。うちの人、まだだめですわ~。あいかわらず毎日いろんなことを教えてもろたはるみたいなんやけどいよいよほんまに人に習うのがいやになってきはってそれだけならまだしも、人と話をするんもいやになってきはってさらには人と顔を合わすのんもなんかいや、というか慣れない仕事を覚えようときばったはる姿を人に見られたない、いうて鶴の恩返しの鶴の気持がわかる、とか思ったはるみたいでそれはちょっとちがうんちゃうかと思うけどまあとにかく、苦労は人知れずしたい、いうことやろなと思うてます。うちの人けっこうええかっこしいやさかい、やっかいどす。しかもまたあまのじゃくなお人やし、文芸講座の方も、こないだ「のびのび書け」とか言われはってから絶対のびのび風なものは出さない、先生の期待するようなもんは書かへん、と思たはるみたいで結局考えすぎでよう書かはらへん。仕事もできひん、書きもんもできひん、ということで今一番とっつきやすいのは大学のレポートみたいなんやけど、それはそれで、まったく時間が取れたはりません。まあ、今は気持にゆとりもないんでしょうな。まあ、うちはええんどす。こないだも朝からいちご切ってもろたし。ちょうどくつろぎかけたとこやったから、仰向けに受け取って横になったまま食べさしてもらいましたわ。ジャムのびんの中に入っていちごもろてるとこなんやけど、見えますやろか? 寝床でいただくおやつはほんまによろしおすなあ。
2007.05.28
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経県値なるものがある、とリンク友のメグミさんの日記にて教えてもらったのでやってみた。経県値。日本地図の上で、通過したとか歩いたことがある以上に経験したことがある都道府県に色をつける地図。実はちょっと自信あり。やってみたら、色のつかない県はあと5つ。でも知らないうちに通ったくらいはしているかも。結果はこのようになりました↓http://keiken.uub.jp/km.cgi?MAP=43440310403344344214411455454450445444444444044&NAM=ともぞう&CAT=ともぞうの経県値けっこう四国九州に強し。福岡大好きだし。讃岐うどんも好きだし。
2007.05.21
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わからないことを人に尋ねて安易に答えを得ると年を取る、という持論があってつねづねあちこちで言い散らかし書き散らかしている。でもそういえばどうしてそんな風に思うようになったのか、と考えてみた。直接のきっかけは、比較的仲のよい友達の多くが非常に行動が速い人たちである、ということがあると思う。私自身も特に遅いというわけではないのだけど内面ではいろんなことをじっくり考えたい方だ。そこで、必要最小限のスピードアップで最大の効果を得たい、と思う。(実際には「いらち」でもあるので、ついつい必要以上の速さで物事を流していることもあるけど)私はあんまり人に合わせないたちでもありつつ自分に影響の出ない範囲、どうでもいいと思える範囲では最大限に人に合わせてもいいと思ってもいるのだった。で、いろんな局面で人のスピードに合わせていたのだと思う。そのストレスが生んだこの物言いかと。それって結局、影響が出てるということですが。子どものころからあれこれあれこれ頭の中で考えることが好きだった私は持ってる知識を考えあわせて、まだ知らない事実に考え至ることが今よりずっとできていた。たとえばテストの時に、実際には記憶していないことがらでも、その前後を考え合わせて正解を得るような、そんなことが日常的にできていた記憶がある。人に何かを尋ねて結果を得ることは簡単だけど考えて考えた結果つながるあれこれ知識のつながる瞬間に感じられる、脳の神経細胞が物理的に連結するような快感は自分で完結しなければ得られない。考えることをやめてしまったら、その回路がどんどん弱くなっていく気がする。なのに、このところ毎日人に教わってばかりいる。みんな親切に教えてくれるのでとてもうれしくありがたいのは確かだけどだんだん教わり疲れてきた。できれば、自分で完結したい。できれば、もう人に聞きたくない。聞いてもいいって頭ではわかっていても。自己完結するにはまだ知識も経験も足りない。速く早く、はやくたくさん手に入れなきゃ、と思うけどなかなか手ごわい。つまり老ける毎日。
2007.05.19
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こんばんは~。マリーどす~。今日はうちの人、全然だめどしたわ~。このところ毎日暑かったり寒かったりしますやろ? で、うちの人にはめずらしく立て続けに風邪を引かはって、5月になってからすでに2回?、それを押して新しい職場で週休一日の連続勤務をしはったんやけど、さすがに緊張もしたはるんでしょうな、もう今日はほんまにだめだめどしたわ~。きのうの夜から連続20時間スイミンで、予定はキャンセル。書かなあかん、言うてはったモンもいくつかあったんやけど、自動的に先送りにならはったわ。今もなんとのう、もうろうとしたはりますけど、うちはええんどす。ごはんとおやつは何とか思い出してくれはったさかい。まあ、そんなんで、うちがかわりにブログの更新さしてもろてます~。ほな、これからちょっと回し車に乗って遠くまで走らなあかんのでこれで失礼さしていただきます~。これからもうちの人、よろしうおたのもうしますえ~。
2007.05.14
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映画にもなった『きょうのできごと』の原作者の新刊。この人の特徴として、濃やかな情景描写が挙げられる、と以前に何かで読んだ。この『また会う日まで』は、友達と言い切れなく、恋愛感情があるとも言い切れない相手に対する微妙な感覚が、繊細な描写でもって立ち上がるかのように表現されている、と思う。そういう、何とも言い切れない、既存の言葉にしきれない感覚を表現できたらいいなあと、常々思っている。特定の言葉によって定義される前の感情や感覚。それを掬い取ることが、文学の醍醐味だなあと思う。そして、それを掬い取るために、なんて多くの言葉を費やすことか、ってその労力にうっとりする。人によってはたぶん、描写がくどいと思われると思う。でも、私はけっこう好き。
2007.05.10
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先日、卒業した小学校を見た。車で数時間。卒業以来全く訪れていなかったそこは、記憶の中での縮尺と実際の大きさが食い違っていて、何もかもがこじんまりとしてかわいらしかった。その小さな運動場で、ラジオ体操や運動会をした記憶がかすかに甦る。子どもの頃のことで常日ごろ思い出すことは限られているけどこのところよく思い起こしているのは苦手だったことだ。子どものころ、通知表に書かれたことで最も印象に残っているのは「もっと積極的に」、という言葉だ。とにかくとてもおとなしい子どもだった。そんな私が人から言われて嫌だったのは「溌剌と」とか「元気よく」とかいう、子どもならそうあるべきとでもいうような、いわゆる子どもらしさを要求される言葉だった。子どものころってなぜか、元気よく元気風に振る舞うことを要求される。よく、人が当たり前にできることができなくって苦労した、という人がいるけど私の場合は、周りが期待する子ども像を演じきることができなかったことが、それに当てはまると思う。小学校や中学校のころは、他の人たちがいとも簡単そうに溌剌としてみたり元気な自分を表現していたりすることが全く理解できなかった。とてもついていけなかった。いい加減大きくなってからもそれは変わらなくって中学と大学の時は運動部に入っていたのだけどそこで闇雲に要求される「やる気」“表現”と「強靭な意志」の“表現”に実はドン引きしていた。そういうところでやって行くことに困難を感じるほどのことではないけど大学一年のある時、先輩から「やる気を“見せろ”」と言われたときはばかばかしくって腹立たしくさえあった。やる気があることとそれを見せることは全く別の問題だ。それでは私がやる気を見せたとして、そのやる気を余すところなく理解して下さるんですか、そんなの絶対無理でしょう、じゃあなんでそんな個人的なことを表現する必要があるんですか、っていうようなことを、漠然と思っていた。小学生の時でもきっとそうだと思うけど元気よさを要求する人は、声の大きさをそのバロメーターにする傾向がある、と思う。私は声が小さい方だけど、必要な時にはそれなりの声は出る。大声を出してこそ覇気が出る、という思い込みの意味がわからなかった。というか今でもわからない。そんな私の近頃の悩みは文芸講座の先生から「のびのびと」書いてみよ、と言われていることだ。のびのびと?のびのびとを心がける時点ですでに、のびのびとしていないんですけど。それで、溌剌を心がける時点ですでに溌剌としていないに違いなかった子どものころを思い出したのだった。お願いだから誰も私にそんなことを要求しないでほしい。のびのびと、溌剌と、元気よく、力強く、そんな芸風が苦手だ。そんなんじゃなくて、気侭に。それならできるかも知れないのに。先生が言われるのもおんなじで「自由に気ままに」、ということだとはわかっているけどそれをストレートに言葉にされると引くのであった。と、思う存分のびのびって、書いてみた。
2007.05.08
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新しい職場に移って約4日目。初心者ではほとんど役に立てないところで毎日が不安。でも、のんびり覚えていったらいいですよ~、と言ってもらい能天気にもそれを鵜呑みにしている。今週も本当は遅番のシフトで、そのために特に習っておくべきことがあるので上司がじきじきに教えてくれるはずだったのだけど回りのみんなが今度じっくり習ったらいいから~、と自主的にシフトを交替してくれた。仕事の内容は、お客様の個別な調査事項の相談に乗り、質問された事柄を調べて一定程度の回答を出す、というもの。不特定多数の人が訪れるところなので何を聞かれるかは聞いてみないとわからない。ので、人と話すのがこわい。けっこう身構えているため、これまで当たり前のように答えていた質問でさえ、難しいことを聞かれたかのように錯覚する。ヘビーユーザーのお客さんは、新しい職員を値踏みするかのように眺め回していく。なんておそろしい。もう、愛想よく、くらいしかできることがない。でも、わからないことはいっしょに調べましょう~、とみんなが言ってくれるのでうれしい。人からやさしくしてもらわないとリラックスできないなんて、ほんとに甘えただなあ、と思う。それにしてもこの甘やかされっぷりは、就職してこのかた、というか、これまで生きてきた中で一番、といってもいいかもしれない。
2007.05.01
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