2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全7件 (7件中 1-7件目)
1
「人間は、精神的ブレーキの犠牲者なのかもしれない」映画「グランブルー」で有名な、ジャックマイヨールの言葉が時に頭をよぎる。一瞬一瞬がゼロから始まる。今の私は、日々をそういうふうに生きていると思う。朝に始まり夜に終わるのでも、月曜に始まり日曜に終わるのでもない。一瞬一瞬が、始まり、終わる。そんなふうに生き始めてから、確実に何かが変わりつつある気がする。それが何なのかは、今はまだ、分からないけれど。でも少しわかった。精神的ブレーキをキュっと握りそうになると、もうその瞬間はたちまちゆきすぎて、握る前の私に戻っている。私の中の精神的ブレーキは、もう、メンテナンスの施しようのないほど、ゆるいみたいだ。
2006.03.28
コメント(0)
昨日の日記の中の生徒ウィルソンの話を読んで、サチがメールをくれた。「賢者の贈り物」という、有名な話を思い出したと。貧しい若い夫婦が、クリスマスのプレゼントとして、夫は、祖父からもらったプラチナの懐中時計を売って、妻の髪飾りを買い、妻は、自分の美しい髪を売って、夫の時計鎖を買った。お互いに贈ったものは、もはや役に立たないものとなってしまった。という有名な物語だ。多分私の心を動かしたのは、純粋に、私が欲しいなと思っていたものを思い出してくれたという、彼の気持ちだと思う。**仕事中、会社のメールにウィルソンが、写真を送ってきてくれた。タイ旅行の写真だった。おどけて写っている写真。キレイな海の写真・・。「元気って、健康っていいな」とただただ、思う。少し前の悲壮さが嘘のように、夢中になってタイについて語っていた彼を思い出す。タイでも、何でも良いと思う。元気に笑っているということがとてつもなくハッピーだと思う。**先日、最寄り駅からアパートまでの道を歩いていると、道を聞かれた。よく道を聞かれる場所なので振り向くと、道を聞かれたのではなかった。いわゆる、まじめなナンパ?だった ^^;あまりに普通の人だったので、ナンパだと気づくまでにしばらく時間がかかった。このまま歩きながら話し続けると自分の家についてしまう、それは避けたい、と思い、逃げ腰でいたが、彼の言うように缶コーヒーだけつきあうことにした。商社の営業マンで、このへんにおりたったのは初めてなので全然地理がわからないらしい。お互い意気投合してしまい、話が盛り上がってしまった。仕事の話、恋愛の話、本の話、スポーツの話、家族の話・・・とても面白い人なので、笑いすぎておなかが痛くなった。シリアスな話もした。一番共感しあったのが、「物事には感情はない」という話だった。どんな出来事にも事実に対しても、それ自体に幸不幸や善し悪しというのはなくて、それを見たり感じたりする人がそれを決めるんだよね。と。昨年から起きた色々な話をした。私は普段、聞き手でいることが多いのに、随分話したきがする。まるで近頃の“総まとめ”をするために、彼に出会ったのかと思うくらいだった。不思議だった。もう偶然でもない限り二度と会うこともないだろうけれど、帰り道私は、「明日からまた新しく始まるんだ」と思った気がした。本当に不思議な、でもとても濃い時間だった。
2006.03.09
コメント(0)
最近の生徒模様。ウィルソン。少し前までみんな春休みに入ってブラジルに帰ってしまい、友人がお金を騙し取られ、寂しい・・しかも体調も崩してますます。。その上、バイクが盗まれた。という、絵に描いたようなさんざんな目にあっていた彼。以前そう書いたが、久々に会った彼はとても元気そうだった。真っ赤なナイキのジャケットを着て、真っ黒に日焼けしている。タイ旅行に行ってきたのだ。タイの話を生き生きとしている彼を見ていて、心から嬉しくなってしまった。元気になったんだぁ。よかったぁ。ただ、ただ、そう思った。本当、生き返った魚みたい。「これ」マグカップを取り出した。いつもスタバでレッスンしているのだが、バレンタインの時期に店頭にハートをモチーフにしたマグカップが並んでいて、私はそれを買おうか迷っていた。結局、あとで購入したのだが、私が欲しいなぁと眺めていたのを彼は覚えていたらしい。香港でトランジットの時に買ったという、ミニーマウスの大きなマグカップ。私が「マグカップ」を欲しいと思っていたのだろう。「ともみ、欲しいといっていたでしょう」なんだかその気持ちがとても嬉しかった。スタバのマグと同じピンク色のマグカップ。今回は、「日本にきて驚いたこと」についてインタビューする項目があった。「電車の種類が多い」と彼は話した。快速、特急、各駅、区間快速、急行・・・「私もよく迷うよ~!」思わず共感する。以前雑誌でも、種類があまりにおおい日本の電車について特集していたっけ。**「ともみ、今日は見せたいものがあります」覚えたての構文で、家をたずねるなり声を弾ませるローラ。きらりん。箱から出した結婚指輪だった。年末に婚約し、9月に日本人の旦那さんと結婚する彼女。裏側にダイヤがはめこまれている、珍しい、とてもシンプルな指輪だった。本当に私も嬉しくて、はしゃいでしまった。4月から、結婚の準備のためにイギリスに帰る。イギリスで式を挙げ、その後は日本で二人、暮らしていく。日本で働いている旦那さんとしばらく離れ離れになってしまうけど、結婚式、無事にうまくいってほしいなと思う。それにしても、きっとドレスがすごく似合うだろうな。まるでお人形みたいなきれいな顔をしているのだもの。**「どう?うまくいった?」私のブリジット、レイチェル。彼女は日本人のボーイフレンドとうまくいっておらず、日本語が通じないことでさらにいらいら。週末に彼にひさしぶりにあうといっていたので、動向が気になっていた。現像してきたという写真を取り出して見せてくれた。千葉の海にいってきたと言う。とても晴れていたし、あたたかかったし、よかったねぇ~といいながらみせてもらう。彼との写真。おどけて水の中に転んでいる写真。どうやら彼と仲良しに戻ったようだ。頬を赤らめて喜んでいる彼女。本当に可愛い。いつものオレンジジュースを、嬉しそうに飲んでいる。よかったなぁと思う。いつも、シャワー浴びたてて若干まだぬれた髪のままで、ひゅーんと自転車でやってくる彼女。毎日仕事がとても忙しいのに、眠い~と言いながらも頑張る彼女。若さのパワーをいつももらう。**近頃は、レッスンを終えるたびに、胸がどうしようもなくキューンとするのを感じる。体中に電気がはしるというか、ますいがかかったようになるというか、そんな感じだ。仕事帰りであっても、疲れていたとしても元気になってしまう。やるとなったら勢いに乗って、けれど自分の「この道を行く」という決意を慎重に確認しながら、10月から今まで、レッスンを続けてきた。やっぱりこれだと思う気持ちは、毎回高まるばかりだ。生徒が増えれば、その分の準備が必要で、教える時間が長くなれば、内容も難しくなってくる。けれど、この一連の仕事に関するすべてのことが好きだ。長い人生の中ではたった数万分の1だったとしても、同じ喜びや悲しみを分かち合えたり、共感したり、一緒に考えたりできるということ。日本人である自分が、自分の国の言葉を教えるということ。自分が日本人であると、認識するということ・・・。10月のあの日から、私の日々は魔法にかかっているのかもしれないと思う。そのくらい、日々心が動かされ、幸せな気持ちになり、勇気が湧く。
2006.03.08
コメント(0)
私は普段、なんとなくテレビをつけているということがない。基本的になぜか部屋の中では静寂が好きだ。けれどその夜はなんとなくつけっぱなしにしていた。芸能人がニートの家を直撃して、社会に出て働くよう説得する、という番組をやっていた。ニートの心は動くのか!?という命題を前に戦うニートと芸能人。私も面白がってみていた。しかし、あまりにその芸能人らの説得の内容がチープでどうしようもないことに唖然とした。全く心を動かされなかったのだ。これじゃ、私がニートの立場だったとしても、希望を持って社会に出て行く気は起こらないだろう。そう思った。絶望するくらい、薄っぺらかった。数人目に元ホストタレントが説得に失敗した模様が放映された後、司会だった名倉が、ふとこんなことを言った。「俺だったら、こういってやりますねぇ。ホストいいでぇ儲かるでぇ。ちょっと一緒にやってみね?って。」私は、この何気ないせりふに、この番組を見ていて初めて、自分の心がカタリと動いたのを聞いた。私なら、この言葉にノルかもしれないと思った。名倉のその言葉に、芸能人達やギャラリーは普通に爆笑していたが、私は、彼の言葉にハッとし、同時に、どうしてハッとさせられたのか考え始めた。そして、結局「視点」と「人が人にしてやれる範囲」について考えは広がっていった。名倉の言葉は、自分の職業であるホストを、肯定も否定もしていない。ニートである相手を、肯定も否定もしていない。社会に出ている自分という物を、肯定も否定もしていない。「今いるそこからちょっとこっちに来てみない?そしたら、そこにいるよりちょっとだけ、イイコトあるかもよ。ちょっぴり得するかもしれないよ。」そんなふうに、いわば一筋の光をかざしているだけだ。いたずらっ子の少年みたいな、やんちゃささえ感じる声色で。ポンっと肩を叩いて軽く誘ってるかのような。しかも、その明かりはとても細くて儚い。けれど私はそのさりげない言葉に、人が人にしてやれる最大限というのは、もしかしたらここまでなのではないか、と思い至った。私たちは幼い頃、面白そうなおもちゃがあるとおぼつかない足取りで駆け寄っていったり、じゃ、これが終わったらおやつにしようねと言われて、お菓子欲しさに宿題を頑張ったりした。ぱっと目を引くもの、いいなと思うものに目を奪われるというのは、人間の本能だ。一歩外に出れば、あらゆる企業が、あらゆる手練手管で人目をひこうと広告活動に躍起になっているし、好きな人に気づいて欲しいがためにおしゃれをしてみたりするのもそのひとつかもしれない。けれど、子供によって駆け寄るおもちゃは違うだろう。レゴが大好きな子供もいれば、そんなのには目もくれず、積み木に走る子供もいるだろう。私は海外旅行の為にクレジットカードを選ぶ際、あらゆるカード会社の広告に揺られ、迷い、ひとつを選択するまでにとても時間がかかったが、結局どの広告にひかれるのかというのも、「自分の本能」に深く関わっているのだろうと思う。「あの人のこんなところが素敵だと思うのは自分の中にある 素敵だと思う何か ・・・銀色夏生の詩より」けれど、このようなおもちゃやカードを選ぶという次元のことにしても、光をかざされて、それにつられるように社会に出て行くのか部屋にとどまるのかという事にしても、それはもう、本人の本能と選択にゆだねられていて、第三者がどうこうできる問題ではないと思うのだ。どちらにしても。けれどそこには諦観もなければ絶望もない。むしろ温かな希望を感じる。どうして温かいのだろう。ポンっと肩を叩くような誘いには、「受け入れるよ」というサインを感じるからかもしれない。「さすがまりなの旦那!」と思った 笑
2006.03.06
コメント(0)
就職してしばらくしてから、定額貯金を始めた。月10万。ただでさえ、新卒で社会に出た皆より2年遅れているので、急ピッチで貯金しようと思った。まさに単純すぎる発想。ところで私の「どんぶり勘定」っぷりは、周りでも有名だ^^;例えば旅行に行くにしても、同じホテルに泊まるなら、なるべく安く済む日に出よう!などと計画を立てるものだが、そんなたいして変わらないんだから・・と、適当になってしまう。この定額プランも、自分で金額を設定できるのだが、その場で口をついで出てきたのが「10万」という数字だった。使うのも、貯めるのも、超、どんぶり。月10万積んでいるというと、だいたい誰もが驚く。私は、洋服も本も雑誌も大好き。旅行もミュージカルも大好きだし友達と遊ぶのも大好き。残業も今はほとんどないし、特に多く稼いでもいない。けれど物欲が全くないからか、そのへんは無意識にうまくやってるみたいだ。あまり積む額が多いと、こういう事態が起こる。確実に月10万は貯金をしているわけだから、実際にお金は持っているはずなのに、手元にはない・・・という事態(笑)両親に「仕送りしよっか?笑」と言われたこともある。昨年大学院入試の勉強をしていた頃、高い受験費用や論文執筆のための本代がかさみすぎて、手元にお金がなくなりピンチになってしまった。なんと私は、部屋にあるテーブルを、近くにあるリサイクルショップに売ろうとした。上においてあるものをどけて、きれいにしてさぁ売ろう、と思った時にサチに言われた。「それじゃどこで論文書くの?みかん箱でもおくろっか?」それ以来、私たちの間でこの貯金は「みかん箱貯金」となぜか呼ばれるようになり、「最近どお?続いてる?みかん」「なんとか」なんてゆう変な会話が交わされたりしている。何とかその時期は乗り越えたものの、第2次のピンチが秋にやってきた。結婚式ラッシュだ。私はとうとう、一度それまで積み立てた貯金を崩した。本当に面白いもので、崩してからまたラッシュが落ち着いて組みなおすまでに、なぜか余計なお金がぽんぽんと出て行っていた。え??なんでこんなに減ってるの??こりゃいかん、とすぐに組みなおした。「いつまでもOLしてられないんだから、私たちは。」サチの言葉を思い出す。叶えたい夢がなかったら、今のような共同の、ちょっぴり不満があるアパートになんか住んでいないだろうし、クレジットカードを上手く使って収支をコントロールしていく工夫なんてしなかっただろう。でも、今の生活でとても何かを我慢していると感じたことはない。グアムの余韻も冷めやらぬうちに、なぜか本棚には、ハワイやベトナムなど次に行きたい場所のガイドブックが並んでいる。Priceless!なんて叫びながら何倍かに跳ね上がったミスチルのコンサートにも行ったし(以前の日記参照)その後もpricelessはなぜか合言葉になっている。ピンチの時も、「どおしよ~」なんて言いながら、楽しんでいる部分があったように思う。逆に、私の家の近くまで会いに来てくれたり、狭いこのアパートでも好んで泊まりに来てくれたりする友達に、ますます愛情を感じたりした 笑変わらず完全にストレスフリーだと思う。夢がある日々というのは、地べたにはいつくばっているような、土の匂いのするようなものである一方、毎日酔っ払ったような気分で過ごせてしまうくらい、素晴らしいものなのだ。そんな定額貯金も、今月で、申し込むときに設定した一定期限を過ぎた。これからは、新しい通帳で、引き続き積み立てをしていく。今まで紆余曲折ありつつも積んできた分は、しばらく静かにお蔵入りさせよう。いつか今の日々から飛び立つ日まで。とある日にふとみた雑誌の占いに、「金運は最悪です。けれど社交的になることで、ピンチは免れるでしょう」と書いてあったことがある。それを読んで私は一瞬「?」だった。どういうことだろう?と思った。けれど今、その意味が分かる。お金とは不思議なもので、回りまわって帰ってくるものでもあるようなのだ。そして、「ないところから考えるのではなく、あるところから考えるという発想」はお金にも使えるようなのだ。私の敬愛する、愛読書「ハリウッド女優になったOL奮闘記」の著者、中村佐恵美さんは、ハリウッドで自分で車を買おうと思った。「早くいい人を見つけて買ってもらったら」といつも男性に頼る視点でものを言う母親の言葉に、自分で自分の車を買いたい、という思いはさらに強まった。でもそのためにはここを節約しなきゃ・・習い事の回数も減らさなきゃ・・・と思ううちに、どんどん決意が揺らいだという。その時、彼女の仲良しのセラピストに、この考え方を教わったという。「自分に、車を買う」という権利を、まず自分で自分に与える。そして、「車を買った自分」をスタート地点に、いつまでにこのくらい貯めよう、とか、逆算して考えていくのだ。同じようで、何かを切り詰めていこうという発想からスタートするのと、本当に違うのだ。「できる」または「できた」という視点からの物事の捉え方は、お金というものについて考えながら得たものだと思う。もちろん何にでも応用できる。今私は、教壇に立ち、生徒たちに囲まれている自分の姿をスタート地点に、今の生活や今後の生活を考える。すると、本番はこれからではなく今の一日一日で、人生の日々にはリハーサルも練習もないのだと、いつも思い至ることになる。
2006.03.03
コメント(0)
以前日記に書いた、ザイアナさんの旦那さんにいよいよ会う日がやってきた。私は実は、昨年、レッスンをしていて、ザイアナさんは少し私のレッスンに退屈しているかな?と思った事がある。彼女は、スタバのフレーバーティを愛する、小柄だがとても明るく、笑顔とポジティブな話し方が魅力的な、キラッとした感じの人だ。なのでレッスンもとても快く受けてくれていたが、なんとなく私の不慣れで、波長が微妙に合っていないように感じることがあったりした。だから、旦那様を紹介してくれた時、本当に嬉しかったのだ。旦那様の働く六本木ヒルズ。その中のカフェで彼を待った。中東から日本に来て、この中にある企業で働いているという事はきっとかなりのエリートなのだろうなと予想した。それにしても、ヒルズや汐留にいるだけでどうして誰もが素敵に見えちゃうんだろう(笑)なかなか来ない。黄色いコートを着ているのが目印、と言ってあったので脱がずにカプチーノを飲んでいた。するとあちらからやってきた。頭を抱えて何度も謝っている(笑)遅れてごめんなさい、と。No problem!と言いながら自己紹介を交わす。かなり面白い方だ。リアクションが大きくしかも面白い。体格が良くとても仕事の出来そうな人だった。面白おかしく話をするその様子のふしぶしに、彼の賢さがにじみ出ている。私は初回の顔合わせでは、リクエストを聞いたりレベルを知ったりお互いの色々な事を紹介しあうのが目的なので、レッスン料は貰わない。なので「今日の分も払います」と言う彼にはっきりそう伝えたが、「次回からは、僕は生徒だから先生の言うことはちゃんと聞きます。」と言いながら、紙に包んだ一か月分のお金を差し出した。今日の分も、含まれていた。遅れてしまったし、沢山話ができたし、と話す彼の穏やかな表情から、断固として今日の分も払わせていただきます、という優しい気持ちが読み取れたので、ありがたく受け取ることにした。これぞジェントルマン!(私はジェントそれに、一ヶ月分渡してくれたということは、生徒になってくれる、ということだよね。とても嬉しい。彼は仕事を抜けてきていたようで、「今日も残業~」と、来たときと同じように頭を抱えて戻っていった(笑)それにしても楽しい、面白い時間だった。ザイアナさん夫婦が二人でいる様子が思い浮かぶ。帰り道は大雨で、靴の中もびしょびしょだったが、とても楽しい気持ちで家に着いた。**それにしても、彼と話していて時々ドキっとした。なぁんか、目元がザイアナさんに似てるのだ。親子でもないのに。最近よく思う。夫婦は、似てる。外見というわけではなく、何か似ている。同じ流れを持っている気がする。
2006.03.02
コメント(0)
かつて6年間つきあっていた彼と、ものすごく久しぶりに電話で話をした。彼も新しい道を歩み始めた。キモチがなくなってからはもうずいぶん、別れてからも半年以上が経つのに、初めて、「終わったんだ」ということを心から実感した気がした。電話を切るとき、涙が出た。でもそれは、寂しさの涙でも悲しみの涙でもない、言うならば“無の涙”だった。そんな涙は生まれて初めてだった。6年間という、あまりにも膨大な時間というものに対する、ただただ、その壮大さという事への、涙だった気がする。色々なことが、もう遥か昔の事に思える。確かに電話越しに彼はいるが、とても遠くにいる人のように思える。色々な事が変わり、想像もしなかった事が沢山起きた。彼と別れてから、いくつの出来事や人に、出会ったんだろう。確実に加速度をつけて、6年が一日とも思えるくらいの速さで、今の自分の日々は、流れている。そして。またひとつ季節は過ぎて、春がくる。ただただ思う。生きている限り、必ず次があって、その次があって、次の次もある。その流れに浸かりながら、のっかりながら。私の色に、少しでも私らしく彩りながら、流れていこう。
2006.03.01
コメント(1)
全7件 (7件中 1-7件目)
1
![]()
![]()
