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まざこん、と結婚したのは、、、彼は本社から出向中の身でありまして、いずれ秋田から出る人間で優秀とおもわれる人間が身を置くとおもわれる大会社の人間で給料が秋田の人間と倍近く違ったのですね。容姿そこそこ、性格も悪くないように思われた、そのころは。何より、こっぱズカシいことに「ケロちゃん大好き」。。。。。望まれて嫁いだほうがいいかなぁ、と。しかし、ある親しく性懲りもなくしてくれる女史が耳たこなほど人間的に欠点が「多すぎ」た、と。ワタクシは、、、この人の偏食に、いや義母の呪いに負けました。わりと、ほんのりお嬢様育ち風味で「ケロ子は勉強とか習い事とか、仕事をしていればいい」というお育ちのワタクシは、料理なんかまったくできなかった。そのワタクシが、タヒぬほど努力して作ったものならば、多少まずくても食べて欲しい。あのまざこん、、、くわねぇ。許せん!!に、端を発して、「実家に帰らせていただきます」何百回?まずくて食わないならまだ許せる。「呑んできっちゃった」(けろりんぱ)ケロ子夜中でも、車のキーを引っつかみ、おうちにもう帰っちゃう。 こうかくと義母がさぞお料理上手、と、思われるでしょうが、味覚が狂っている、という味でして、それに慣れているヒトにあわせるって?で、マザコンですので、自分の母を神のように正しいと信じてやがらぁ。義実家を、たまに訪問すると買ったモノのばっかり。さば缶と納豆と赤飯とか、すばらしい組み合わせ。火を通したものは赤飯だけ?義実家で台所に立つようになったら、もう、気持ちが悪くて。食器が怪しいぬめり?を発しておる。。。何か臭いと思ったら、もち米が水に浸されたまま腐ってた。包丁が異常に切れない。この味噌、いつ買ったの?ひからびてる。。。しょうゆの結晶化などなど。うつくしく、塩の結晶が。だし、というものが化学調味料しかない。。。義母自身が良く腹を壊している。もう付き合いきれない。(しょくちゅーどく!?)で、めでたく、本社に帰りましたら、(神奈川県生活です)開口一番「もっとうまいきゅうりを食わしてくれよ」ワタクシはスーパーのきゅうりは食べませんよ。ってが、生野菜苦手?きゅうりのまずいのまでワタシのせいかい!?(今はうまいきゅうりの入手ができますが)ワタシの実家のきゅうりは、今畑からとりました、ってきゅうり。(ワタシの母の手料理で舌が肥えたらしい。。。)道もろくにわからんところに連れてこられた嫁にどうにかしろといわれても。。。大根おろしがまずい、と、切れられたときもあります。しばらくは我慢しておりました。。。 ある日、ぶっつり。「羽田空港までお願いします」まだおさないコビをつれて、帰っちゃった。秋田に。空港の人は親切で、どうしたらいい?と聞くと「キャンセル待ちなさいますか?」で、意外と簡単に帰れちゃうのねぇ。道もろくにわからんとも、お忘れなさるな。。。ケロ子は頭がいいのぢゃ(爆)しかし馬鹿なのぢゃ。お前様がまざこんならば、ワタクシも負けないほどにっ!!羽田から、「これから帰るから、空港まで迎えに来てちょんまげ!」という電話を母にかけたら、あきれ返っていたで御座る。娘の行動力にwでも、まだ、このころは、コビがお父さんを好きだったからすくわれてたのよね。それに、頻繁に出張で3ヶ月いません、とかだったし。ああ、話を戻すと、簡単に言うと、せっかく作ったのに、、、っていう気持ちがワタシにあったので、いちいちだめだしされる、しかも比較対照が、あの義母ってのが許せんのが積み重なって、ワタシは料理がきらいになったのでありました。あと、コンビニ食ね。うまそうに食うんだ。そんなに好きなら一生食ってろ、ってぐらい。たまにはいいけど、ワタシは毎日はムリだよ。一時期、まったく料理が作れず、無理すると具合が悪くなった。心の病気だったんだと思う、ワタシも。このころになると、まぢゃこんも、すっかり病んでおりまして、それでも「自分は病気ではない」と言い張り、治療・改善を拒み今に至る、と。まぢゃこんは悪く学習していたのです。今思えば。ワタシを傷つけるには食事に難癖を付ければOKって。まさに「パトリオット巡航ミサイル発射」並みのしつこさで。 (攻撃目標をどこまでも追尾するミサイルのことです)食べるほうに意欲がないんだもん。それでも義務で、続けてたら、そりゃ心も病むよなぁ、、、と自分を褒めてあげたいです。余談ですが、お母さんにもたまには休みを、ってことで、我が家では、食を母に頼らない日、ってのがあります。母にまた病まれるとたまったもんじゃないと、心得きっております。日ごろ溜め込んでいた雑事が、がーっとはかどります。食事のことを気にしなくてよいと。あと、遊びに行ったり。もう、お子様はいないはずの我が家ですが(吐露が成人したから)まだまだ、ワタシのお母さん業務は続くようです。うんざりのような、終われば寂しいかもなぁ、のような。。。何事もバランスが取れているのが良いのでしょうね。(しかし、吐露の凶生意気な依存はいかがなものかと思う。あの子、ほんと、物の管理がワタシがいないとできないんです。ナンダカニャア~。。。フゥ~) 家政婦のケロ?wおしまい♪とっぴんぱらりのぷぅ~♪
2012.01.15
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ワタシは子供のころから、あまり志の高い人間ではなくてまぁ、いつタヒぬかわかんないんだから、みたいな感じでお勉強はそこそこできたんですが、将来、こうありたい、と言うのも高い志、まったくナッシング。ワタシの学んだ高校はそこそこお勉強のできる子が行く高校だが父が、「駅から近いからあそこにしとけ」(爆)なんつー理由で選んでおります。(田舎なので自転車でいける高校がなかった)要するにどうでも良かったのね。大学進学、はしませんでしたが、行くとしたら車で通える推薦で誰でも入れるところだったと思います。もーもー、共通一時・2期目でしたので、がんばって国大へ行く気もまるでナッシング。周りを見てて、すごーくがんばって、他県の大学へ行ったのに家へ帰って、役場(笑)に勤めてるとか、みてると、そんなに親に金銭的にがんばらせてまで、学校へ行く意義が見る見る失せてしまいまして。高卒後は就職することにしてしまった。(親大反対)ワタシ、たぶん、学校が嫌いなんですね。会社勤めも、好きではないけれど、どうせいやならお金になるほうがいい、、、と、思いましてね。。。きんゆーはやだから、ここに入りたいって、指名しましたらあっさり決まる。(いい時代でしたね。。。)おそらく、秋田県に本社がある会社では大手だったと思う。お茶くみとか腰掛、、、でしたよ、回りは。ワタシだけこき使われました。どんどん貯金がたまって、使う暇がないほど。ワタシも腰掛?のつもりだったんですが、、、そうは行かなかった。重役・大卒で入った方、上司、、、ほとんどワタシの卒業した高校出身ってこれなによ、、、って会社だったんです。(ちなみにワタシの血縁もほとんどおなじ高校の出身でございます。かわゆい、姪のさっちゃんまで。。。いなかってこえ~wいっちゃんだけ違うけど)(いっちゃんは父のあだ名でございます)お見合いで言えば、会社に出されたワタシのつり書きが「せいせきゆうしゅう」(おいおい。。。)可愛がられる代わり、期待もされ、ワタシは花嫁修業どころではない過酷な会社生活を強いられることになりました。定時で上がって、お料理教室とか行こうっと、、、っておもってたワタシが。ある日、ふと、こんなん、ワタシの望んでたことじゃないや!!やだっ!と、おもったとき、付き合ってたのが「まだ、、のまざこん」。。。会社を辞めるには理由がなくては引き止められる。結婚するので、、、と辞表を出して、すっとぼけようとおもったんだけど日取りまで上司に聞かれ、ま、いっか、いいかもしれないし、と、本当に結婚しちゃったのでした。人生最悪の「魔がさした瞬間」でございました。 続く
2012.01.15
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ケロ戦記外伝?食い物の恨み編精神的デトックス?忙しかったんです。それで毒だししないとタヒんぢゃう?ワタシは精神的に参ると、欝っぽくなって昔の恨みが再燃するタイプ。 この日記で言いたいことは(さくっと・な?w)ワタシは料理が嫌いだ。たったコレだけのことです。ケロ子、幼少のころ、食べることに興味のないコドモ、、、というか非常に食の細い子で、偏食も多く、母はとても苦労したらしい。今はむしろ食い意地がはっている、、、んですが。父が語るところによると、、、このヒトは獣医になろうとしてたぐらいでしてきっちり、分析していまして、、、何かを食べると消化ができない、とか、アレルギーが出る、とかで、ワタシが体で拒否していたのではないか、と言っていました。今から、50年近く前の話ですから、アレルギーなんて問題にされてなかった、しん・もう、がんばりやさんの母は、ぼうっキレのようなワタシを、、、ぼうっきれ、、、って方言かもですが、ワタシを少しでも丈夫にするため精進しておりました。涙ぐましいほどに。(余計なことを書くと、そのころ唯一、兄弟で丈夫だった姉は放置プレイ?)後になってわかったのですが、ワタシは肝臓が化学物質に弱い。子供のころはそれが顕著で、、、今、緩和する薬を飲んでいるのでそうでもないのかもしれませんが、、、何か病気したとき、治療するため飲んだ薬を吐いちゃう、その後ぐったり、、、とかで、却って悪くなるぐらいで。点滴で強制的に入れたら、肝機能障害になっちゃった、とか。買った卵を食べたら、大変なことになったとか。(そのため父は比内地鶏を庭飼いしていた。。。。。)粉の洗濯洗剤の舞い上がったの吸い込んだらPPPPPになっちゃうとか。(ワタシは心底、洗濯洗剤が液体になってよかった、、、と思ってマス。)なので、母は「手作り」に余念がなかった。それでも、ぼりぼり、体をかいていたり、常に喘息気味だったり、心臓の隔壁に穴が開いてたり、、、今生きているのが親戚のおばさんが不思議だ、と言うほど弱かったらしいのですね。それはまぁ、いい。(いいのか!?w)給食、、、絶対残しちゃだめ、と言う先生も、ワタシには敗北。(何せ、ワタシが具合が悪くして5時間目が始まらない。。。w)だーかーらー、本当は自分のために料理すべきなのです。そこにまた、トラウマの「まざこん」がでてくるわけです。 つづくw
2012.01.15
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医師に、「ご主人はアルコール依存症の治る見込みはまったく無い」と、宣言されたとき、いよいよだな、と思いました。何せ、ワタシが通院に付き合って、倒れてしまうという状態でした。それでも医師は治る見込みは無くとも入院する手はずを整えてくれようとしてました。なぜなら、この手の依存承継の疾患は家族が疲れきってしまうのです。医師の話では、依存症を治そう、と強い意志を持って、病と闘った人でも治癒率は20%増してや「俺は依存症じゃない」と、言い張っているオットの回復はムリで家族が総倒れしないうちに、という気遣いからでした。夫は入院を拒否しました。ここからは、オットを切ることしか考えていませんでした。家庭裁判所に離婚調停の申し立てをし、(依存症の診断をされ、治療を拒否すると離婚のきめてになります)もう手に負えないから、とはっきり申しました。早く離婚届に署名捺印してもってこい、とか。手のひらを返したように、「もう、あんたには付き合いきれん!」と、はっきり申しました。この辺りでは、もはやワタシが心を病んでいること歴然。ワタシもプッツンしたんです。で、多少手荒い手も使って、最終的には、「ワタシのお金を盗んだ」(事実です5けた)ということで、泥棒とは住めん、と、引導を渡されたのです。いろいろありましたが、、、音信不通。つまり、ワタシはもう使えないからぽい?確かに出て行けとは言いましたけどね。あーあ、やっぱりね。でも、離婚もしないで出て行くとは思わなかったよ。国保なので、どっかの病院に2週間入院したからどうのとか通知が来ましたが(高額医療費の還付ね)お前まだ生きたいのかよ、と、感心してしまいました。正直。あと、余に言うサラ金というところから、「お貸しできません」という通知がwwwもう、オットはまともなとこからは一円も借りられないんだってバサ~。夫はある一定の年限が立ちますと、裁判所に申し立てをしもし生きていても、日本国籍を剥奪されます。ワタシが死亡宣告の申し立てをするからです。その年限の決め方が「夫の借金の時効」。離婚はしません、たぶん。遺族年金もらいますから。思います。いなくなっても何も困らないじゃないの、って。ワタシの大事な子供の遺伝子を提供しましたけどね。もう20年前からいらない人だったんじゃないか、とさえ思います。彼より優秀な人はいくらでもいる。それは、息子や娘、、、おそらくワタシ。彼が戦いを挑むので、しかたなしに戦ってきた。もう、それも終わった。スッキリした。ご精読ありがとうございます。
2011.11.19
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こりはっ!うすうす感づいていたのですが、ある方の日記を見て確信した。反抗期だ(爆笑)夫は15で家を出て独力で定時制高校を卒業した。主席卒業だったそうだ。あのころほど努力したことは無い、と本人も言ってましたし。父親に疎まれて育ったので(と、本人は言っていた)「お前なんかいなくても平気なんだよ、ばーかばか」と、見返したくて。勤労学生の表彰も受けたそうだ。がんばった、エライ、とワタシも言った。しかし、ここで水を差しまくると、情緒面がこの世で正しいのはお袋しかいない、止まりになってしまった。15,16と母親といたら、母親の矛盾の108ぐらいわかったであろうが。その、神のような母親を嫁に否定される。耐え難かっただろうね。でも、ワタシは自分から「おかあさまは間違っている」なんて言ったことは無い。(い、あ~、、、あるかも)彼の価値観のすべてが、母親を中心に回っていました。彼は15歳と言っても、体は小さく、周りの大人は「つい、かわいがってしまう」様な容姿をしてました。他人だから、「まぁまぁ、なぁなぁ」で。子供だからそれぐらい許してやれ、みたいな?で、意外なことに?割とかっこよかったんです。(50ぐらいのときも、見た目は申し分なかったです。)周りのオバ様たちのハートをがっちり鷲づかみ?で、年下のワタシが、ガッツリ、だめなことはだめという。気分悪かったでしょうね。努力して手に入れたものはほめたが、それとコレとは別、と、きっちり話は分けられる。それでも何とかやっていたんです。そして、義姉が余計なことをしたというか、本当のことを話してしまった。「母親は父親と仲が悪かったので、お前だけは自分の味方をするよう甘やかして育てたんだよ。母親自身のために。そのことはM(夫)のためにならないからやめろと何回もいった。そして父親がお前のことを嫌っていたというのは母親の作り話だ。父親はお前も大事な子供として、でも不器用だからあからさまに可愛がれ無かっただけで、お前を愛していた」だまされていたと思ったそうです。それから、許せる範囲を超えた行動が、ますますエスカレートしていきました。何でここで、母親の呪縛を越えられなかったんだろう。ここがまさに分かれ道でした。
2011.11.17
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夫は諍い抜きでは割と善良なほうだったと思います。ワタシの逆鱗?に触れないときは。いいところもあったんです。頼めば大概の事はやってくれました。「あのね、玄関が何人家族なのさ、ってぐらい靴が満載、なんで何とかしてもらえないかなぁ。悪いんだけど。たまに転びそうになるのよ。躓いて。」実はその靴って、ほとんど夫のものw(はかないものも出しておかないと気が済まないし、捨てれない)そのことをまず責めない。で、「悪いんだけど」とワタシのせいのように頼む。彼はワタシが大好きでしたのでwwwこのように、自尊心をくすぐると、すぐやってくれました。靴を置くスペースを増やしてくれました。やると、自分の靴が満載、、、なのに気づくかと思いきや気づかないんですねぇ。で、「この靴とコレはもう捨てていいんじゃない?」と埃だらけの靴を指摘すると、瞬間点火。ワタシが勝手に捨てても気づかないんですよ、たぶん。無いのに気づいても、自分で捨てたかもしれない、と記憶喪失ですから。そのうえ、です。ろくに選んで買ってこないものだから、買ったものの「はきにくい靴」の山。しかも決して安物は買わない。買ったときの値段が惜しいから捨てられない。瞬間点火が収まったころ説得するんですが、一度言った事は引っ込められない。靴は捨てない、と言い張るわけです。誰が履けるわけでもないんです。息子ともサイズが合いませんし。そうやって我が家は散らかっていきました。これは一例です。ほかのこともそうでした。そして、うちには犬がいるから汚い、とか、責任転嫁し始めます。「それは間違っているでしょう?」ここまでのどこかの時点で反省していれば、反省の意を示していればワタシも手加減するのですが。で、ワタシに無視されて、ぐじぐじ、「お袋だったらそんなことは言わない!!」(爆笑)「じゃあ、おかあさまのように、邪魔なものはあなたの部屋に片付けていい?文句言わないでよ、おかあさま流に片付けるんだから」(義母はそういう人でした。ゴミを溜め込む。)「いいですね?」(念押し)自分で「お袋」を出したんだから引っ込みが付きません。そのあと、しまった振りをして、捨てちゃうんです。そしているものも捨てられちゃうんです。自分で自分のものの管理ができないとそういうことになっちゃうんです。その「まだいる」物を使いたいとき、この中のどこかにあるはずだけど「それって、なに?どういうの?ケロ子わかんな~イ」でしらを切られちゃうんです。トドメ「文句言わないって約束したでしょ、うるさいなぁ、もうそんなに必要なら、また買えばいいじゃない。ごめんね。」ほんとにそう思って無くても女はそういうんですwうるさい男だ、と思われたくないというプライドを攻撃。けちだと思われたくない、も攻撃。謝られたから、それ以上攻撃できない、も攻撃。撃沈。(ケロ子内心高笑い)あと、ワタシの文房具などを借りて放置してなくすんですね。何でこんなになくすんだろうって不思議なほど。「何で借りたものを返せないの?」言い方はほんわかやわらかです。(もともとそういうしゃべり)「必ず返してよ」に発展。ここで一言謝っておけばよいものを、、、またやる。「消しゴムが無い!!」「あなたでしょう?どこへやったの?今使うんだけど!」消しゴムを持っていったのを知っているんです。見てるんです。で、しらを切ろうとする。「謝りなさいよ!!」絶対謝りませんでしたね。ケロ子ちゃんは賢いので、予備は持ってる。「買って返せばいいんだろう」、、、こうです。「そういって返してもらったことないし~、信用できない。もう、ワタシのものを使わないでね。約束よ。」あなたの家では借りたものは返さなくてよかったの?とか言いたい所ですけど、時間が無駄だから言わない。けど、うざうざいっているので、「もう寝れば?うるさい」もう、午前だよ~ってとき急ぎの仕事をやってる女房にこう。何ぼすきか知らないけど、何で一人で寝れない?こうしてワタシも、バカの壁をどんどん築き上げていったのでした。おろかにも。その後、彼が1ヶ月以上たってから、消しゴムを買ってくるまでワタシは口をききませんでした。そのときも、「ヒトのものを勝手に使ってなくしちゃいけないって本当にわかったの?」そして言い訳三昧。ふぅ。。。無言は依存症への最大のお仕置きです。でも、おろかですよね、ワタシも。はぁ。何かの「戦記」みたいになってきましたねwワタシどうすればよかったんでしょう?いまだにわかりません。
2011.11.17
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ワタシはなぜか、幼いころから誘拐未遂(いたずら目的)や大人になって、結婚してからもストーカーやセクハラを受けました。いやなことにワタシに「その手の人の琴線にふれる」何かがあっただけと、思っていますが。その一人がもはやうちでは故人なことにまでされている夫でした。どこにでも連れて行きたがる。会社にまで仕事の手伝いに連れて行かれたこともあります。(休日出勤の日でしたが)何もすることがない。ワタシはお気に入りのお人形かなんかと思われているのかと思ってました。しかも、いやだ、と断って、3時間に及ぶ口論になる、、、とかでしたので面倒くさいから付いていってやる。母親がいないと何もできない子のようでした。で、そういうところでもやらかすのです。ワタシは彼の仕事場の人間ではありませんので、清書(手書きの書類をPCのデーターに直す)もどういう形式でやっていいのかわからないのですね。文字の入力は、この通り、割と達者なんですけど。入力するのはいい。加工まではできないと考えるのが普通。 (ワタシはPCは手直しが簡単にできる道具でしかない)「完璧にやれ」その日はじめてやったことをです。(半日も根性を出せばできないわけではなかった、優秀すぎるワタシw)「あのね、ワタシヒマじゃないの。自分の仕事もあるし。休みの日は、少しのんびりして、家事をしたいの。それで、あなた方は、初めてきた人間が完璧にできるような仕事してるの?第一、下書きのあなたの字が読めないんだけど!(へたくそ)ワタシはあなたの家政婦でもいいんだけど、家政婦ってのは本業が忙しいヒトが、家のことをやってもらうためいるのよ。それに、この報告書、社外秘だだもれじゃん。外部の人間にやらせることじゃない。今すぐ家に帰りたい。ここクサイ。気持ち悪い。(オトコばっかの職場ですからすごい)送らないなら歩いて帰るよ。誰かに見られて、外部の人間、入れたのばれるよ。」ここまで言われても、ワタシをそばに置きたがるんですね。そもそも会社、職場に、書類整理にあの企業へ連れて行く、という神経がわからない。しかも自分だけ、出勤の日こそこそと。イケナイ場所で、Hでもしたいのかと思いましたわ。なんかやたら、触られるし。異常に近づいてくるし。相手が女房でも、傍目から見たらエロい、かんじで。(はっきり書かないけど。かなりえげつない行為があったと思ってください)ワタシがコレだけ嫌いでも、彼はワタシが大好きwイケナイH、充分想定されました。(普段も変体すれすれ)ヤバイヤバイヤバイ、逃げなきゃ!!吐きそう。そのくせ、ワタシがほかの男に、彼の目の前のオトコに「一回やってみたい」と口説かれているのを満足そうに見ていました。言うほうも馬鹿だが俺の女房はほかの男から見ても「魅力的なんだ」と勘違い???ワタシも休日でも出勤があったのですが、浮気じゃないかとかんぐられ、、、ワタシは、付いてくれば?と言った事があります。(ワタシの仕事は守秘が多くて詳しくかけないんですが休みに召集ってことは、人の命が懸かっているぐらいだと思ってください)もう、他人で口説いてくるおっさんなんかより、夫が危ないんです。(変体、妄想、DVすれすれだったと思う)ワタシはあまり人はやりたがらないだろうなぁ、という仕事をしています。でも、嫌いじゃないんです。意義があると思ってますので。その女房が「ライフワークにしてもいい」と思っている仕事までうざうざ邪魔するんですね。それも十重二十重に「相手をして欲しい」と駄々をこねて。ワタシはよく我慢した、と、人様から言われ、自分でもそう思う。人道的な仕事をしていて、夫がフェンタイ。。。。。おかしい、明らか間違っている。それでも、ワタシはまだ、彼をまともに出来るのはワタシよ、と意地を張ってしまった。ワタシは自分で言うのも悔しいですが、さほどきれいでもないただのおばさんです。人様には、ちょっと見た目が、かわいらしいかも?ぐらいです。(年の割にはw)フェンタイはそういうのが好きらしいんですね。でも、結構でかいんです。それが気に食わなくて文句を言われたことがあります。「あんたがちびなんだよっ」と言い返しましたが。(ほとんど身長体重が同じ)いまだに思います。いい年して明らか、無理のあるかわいらしい格好を強要されあのフェンタイ野郎にとっては、ワタシは可愛い(かもしれない)お人形さんだったんだな、、、と。しかし、そのお人形さんは、フェンタイにとっては「お口から出る言葉が劇毒」でその毒を出させないように、自分ではうまく立ち回ったつもりで、間抜けなことをし、、、常識はずれなことですね、、、お人形は、毒を出すことがとまらなかった、、、そして、壊れていったのでした。
2011.11.17
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つづき若かったなぁ、と思う。今思えば。いろいろいやなことがあったが、「私はこのヒトを変えてみせる、良く」と思い上がっていたと思う。結果として、彼は1ミリ単位でも変わりませんでした。ある日、ワタシの仕事机に小銭が山になっていまして、それを両替してくれといわれた。コンビニで買い物をするのが好きな人でした。そのおつりです。よくもまぁ、こんなにためたものだ、と思うほどありました。しかも数えるのはワタシにやれと。「何で、こんなに小銭があるのにおつりのないように払わないの?」「だっておつりをもらったほうが楽ジャン」若かったもので、小銭をレジ袋に入れて、屑箱へ。「何するんだよ!?」と、当然怒鳴られましたがワタシは平然と、「だっていらないんでしょ?」「ワタシだっておつりをもらうほうが楽なのよ。自分が面倒くさいことを人にやらせようなんてあんた何様?そんなに大事なお金だったら、自分で何とかしなさいよ。ワタシは無為に小銭をためるようなことはしない。すごく迷惑なので、ゴミを人の机に放置しないでください。ゴミじゃなく、大事なお金なら自分で始末しなさい。あんたのうちでは、いやなことは人に押し付けろって教えられたの?」教えられていたも同然でした。「こんなときうちのお袋だったらなぁ!!」これです。「だったら、宅急便でお義母さんに送ったら?その小銭。そもそも、何で結婚したの。ワタシとお義母さんはまったくちがう。別の人間だってわからないの?」わからないんですね。女はみんなお母さん。何かの病気かと思ったこともあります。これも、人のもの(個性)が自分のもの(個性)とちがうってわからないせいなんです。こんなくだらないことで3ヶ月以上口を利かない。譲歩は必ず、彼のほうから。しかし、いったん譲歩したように見えても、ほかの事に応用できない。一から何もかも教えないと、「親しき間の礼」を学べないんです。自分がやられたら頭にくることでも、人には平気でやる。いまだに、あれはなんだったのだろう?と今でもわかりません。彼は一流企業の社員だったぐらいですので、知能には問題なかったはずですが、情緒に問題がありすぎました。しかも猫かぶりはできたんです。それにだまされ、結婚した馬鹿がワタシです。何で、人前ではちゃんとできるのに、、、甘えにもほどがある、とワタシは段々壊れていきました。彼の悪癖はまさに、超えても超えてもそびえたつ「バカの壁」でした。
2011.11.16
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いきなり、私小説ワタシは少し頑迷だったかもしれない。彼とのこと 戸籍上はまだワタシの夫である人。彼にはいくら言ってもわからなかった。彼は「自分の友達や家族」はワタシの、ではないと。そしてワタシは「彼の」を受け入れることは決してなかった。彼の友人や家族はワタシにとっては人品卑しい、と思う人が多かった。一度そう思った人と、適当でもいいからあわせる、ということができなかった。そして彼自身のことを「人品卑しい」と思うようになっていった。彼は、自分は一流会社の社員で、自分のことを「いい人」だと思っていた。女房はそういう自分を必ず認めてくれる、理解してくれると理由なしに信じていたようである。例を挙げると、ワタシの車を義兄に「ワタシに相談なしに売る」約束をしてきてしまった。確かに息子が生まれたばかりで、ワタシは車を使っていなかった。しかし、これから、買い物、息子が病院へ行くなど、使うということをわかっていなかった。ワタシにどうして一言、なぜ、相談しないのだろうと思った。ワタシは彼に、義兄にその約束を取り消すといってくれといった。断られた。絶対、兄と一度した約束は取り消せない、といった。ワタシは、ワタシの都合より、兄との口約束を守ることが大事なのか、と不信感を募らせた。どうしても、取り消してくれないので、ワタシは新しい車を買った。そのころ、私の父はまだ、勤めていて、車が借りられなかったから。お金は独身時代の貯金があり、現金で。彼には相談なしに。このように、必ず周到に精神的な仕返しをした。義兄に売ったワタシの車には、めがねや腕時計がそのままだった。ワタシはめがねも時計もまた買った。その腕時計を義兄の妻が平然と使っていた。それを見たとき、もう、義兄一家とは口も利きたくないと思った。ワタシはそれを彼に言った。「腕時計も売ったの?」黙っている。「ワタシは車を売ったお金も受け取っていないし、泥棒にあったも同然よね。」「そういう人、そういう親戚を持った人、そういう親戚とは付き合えません」あーあの時離婚しとけばよかった。 自分のものと人のものの区別が付かない。自分の家族や友人が、ワタシにとってもそうであると勘違いする人間は。 つづく
2011.11.16
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