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「本当にあったアタックNO1」という番組でしたか、高校生のバレー部員の、春高バレーに取り組む姿が紹介されていました。 気弱?な子に、コーチが言ったのです。 ”ミスしてもいいんだよ” 強気でないことがいけないんだ、と。娘が言いました。(中学生の時、バスケットをやっていた) ”ミスしたら体罰されたよ。髪の毛ひっぱられたり、なぐられたり。” えらい違いですが、それはおいといて・・・ こういう言葉が子供を育てるのではないか、と思います。 「人はミスをするものだ」という前提があって、 その上でそれをどう少なくするか、 そのあと、どうフォローするか、がミスをしないことより大事だと思うのです。ちょっと強引に引っ張ってしまいましたかな・・ミスしないに越したことはありませんが、絶対、ということはありません。 実は子供だけではない、大人だって日々、失敗します。それを非難だけしても・・と思う場面が結構多いのです。社会の懐が狭いな、と感じることが。
2005年06月28日
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何万人かの集会で、1人の女子高生が叫びました。 ”基地のない、平和な島を返して下さい!”と。 そこだけ鮮明に覚えています。純粋に平和を訴える心の、何という美しさ!何の打算もなく、ただ純粋に平和を訴える・・・ この世の中に、戦争や争いがなく、平和であることを願わないひとはいない、と信じたいのですが、そんなきれいごとではことは進まない、という声も、きこえてきたりします。 今日も小泉首相は、攻撃しようとする勢力に対して抑止力になるんだ、だから基地は必要なんだ、というようなことを言っていたとか・・ これだけ、世界中が武器にまみれている中で、裸ではこわくて仕方ない、ということなのでしょうか。 しかし、これだけ武器をそろえたから安心、というようなことはありません。みんなが相手以上の軍備を、と競っていたら、逆に不安はつのるばかりです。それより、世界中から武器をなくすよう働きかけてみるのはどうでしょう?武器を売ったり買ったりするかわりに、安くて質のいい食料や医薬品を!地球上から病と貧困をなくす方向にありったけの国の力を注ぐ!とか、戦争や争いの原因になりそうなことを一つ一つ、とりのぞいていくのはどうでしょうか?少年や少女の頃のように、純粋に、『平和』、を考えたとき、それは夢で終わらせてはもったいない、 と思うのです。『幼稚』なことかもしれませんが・・
2005年06月23日
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一方で、働きたくても働く場のない大勢の人たちがいます。 かたや、働きすぎ、かたや働く場がなさすぎ・・ってどこか、まちがっているように思えます。 働きたいのに働けないと言う人の中には、いろんな理由があるわけで・・その中の一部、を考えてみました。 M字型雇用と言われるように、女性の労働力率は、出産・子育てにより、一時的な後退を余儀なくされています。なぜ、か。欧米ではこのように極端なカーブを描くことはあまりありません。台形型になれば、それだけ、女性が働きやすい環境、と言えると思います。 働くことも手を抜きたくない、育児ももちろん、となれば(ほとんどの方がそうだと思います)、結婚・出産に慎重にならざるを得ないー理解ある男性に恵まれるかどうかもあるけど、理解ある職場にも恵まれなければならないーそして、後者の方は圧倒的に少ない、と思います。 そこで、女性だけでなく、男性にも働きやすい、『時短』!!を今こそ、求めるべきでは?と思うのですが。 育児休暇ももちろんいいと思いますが、 遅れをとる、とか、他の人に迷惑がかかる、とか気にすると、なかなか取りにくいものです。 そこで、時短。 労働時間が短ければ、保育時間を延長してもらわなくても良かったりします。皆が短いのであれば、遠慮することもありません。育児時間をその上に取れれば、かなり、子育てしやすくなるように思えます。もちろん、公的保育の充実は欠かせません。少しくらいの熱なら預けられる場とかも必要です。 一部の人たちに負担が集中して、ぎすぎすして、窮屈な今の労働環境を変えていかなくては、と思います。”育児のために時短”というような感じになってしまいましたが・・ それもいいかな、と。(^^ゞ
2005年06月21日
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やはりNHKラジオでの民俗学者?の言葉です。大人のそれはわかりにくいが、子供の人格形成過程はわかりやすい。つまり、どこで、そういう人格が培われてきたか、といえば・・と、昔との違いがいくつかあげられていました。 -今は兄弟姉妹の数がすくなく、核家族。路地裏でにぎやかに遊ぶ姿もめっきり見られなくなった。そういう子供はどこにいるか、というと家でテレビを見たり、ゲームをやったり、あるいは、習い事、塾にいったりとかで、社会性を身につける「場」がない。他の人といろんな関わりがあって備わっていくものが、人と遮断されて、孤立した中では育っていきようもないーまた、言葉も育たない、から考えることをしない等々ー 全部は聞けなかったのですが、ここでも、 『孤立』ということが言われていました。 どういう環境で育ったか、ということは人格形成にとても重要な影響を及ぼすものと思われます。”変になった”、という中身の一つが、「犯罪の低年齢化」。罪を犯してしまった子供に、”悪いことをした”、という気持ちが芽生えていないことがあるとのこと。 社会性を学んでこなかったせいなのでしょうか。人と人との関わり、ってすごく大事だと、改めて思います。小さい子供のときから、どんどん社会的な経験をさせてあげたいと思います。遊びももちろんですが、一緒に何かに取り組むというのもあっていいような。そうした中で、人の痛みを感じたり、人と感動をわかちあえたりしたら・・・大事にしたりされたりすることの喜びを知ることができたら・・そういう環境を子供たちに(いや、もっと豊かな人間関係だってあると思いますが)!もっと心が豊かになるような環境を子供たちに!ささくれだった心でなく、やわらかい心のまま、成長できるような環境を子供たちに! と、強く願います
2005年06月15日
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横断歩道で、車が停まったのに渡り始めない人って多数派でしょうか? 今日、そんな光景を目にしました。 自転車の人が渡り始めず、車の人はじっと待ってて・・というのも、反対車線の車がなかなか止まらないので、両方停まるまで待っている、ということのようなのです。 すぐ、後ろの車がクラクションを何度も鳴らして、なんだか変な感じでした。 こういう時、学校では、両方停まるまで待つように教えるのでしょうが。 子供にはそう教えながら、大人はというと・・・ 悪いことかもしれませんが、実際には、片方停まったら、渡り始めた方がいいように思います。そうしないと、今日もそうですが、なかなか、反対車線の車は停まってくれません。反対側の車が停まっている、ということだけでは、あまり停まる必要性を感じないのだと思います。気がつかない可能性もあります。しかし、行く手の横断歩道で誰かが渡っているのが見えたら、これはとまらざるを得ません。 もちろん、渡る方の側でも安全確認を怠ってはいけませんが。 こんなお願いは、間違っていますか? クラクションを鳴らされてもじっと待つということは、結構大変なことだと思います。ルールが守られないー横断歩道の手前では速度を落とす、渡ろうとする人がいたら、停車する等々ーことがもっとも問題ですけど、ネ。(^^ゞ
2005年06月13日
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子供が小さかった時、とても悲しいことがありました。姉妹のうち、妹のほうが水疱瘡になったのですが、そのトタン、姉が公園からしめだされたのです。ぶつぶつが表に出ない間は大丈夫(感染しない)と医師の方から伺い、外に出したのですが、追い返されてきました。時期が悪く(もうすぐお正月)、子供にうつされては大変という気持ちは理解できるのですが、子供の気持ちを考えると気の毒でした。いい方法はなかったのでしょうか?といまだに考えてしまうのです。もちろん絶対にうつらない、という保証はないのでしょうが、実際、姉と一緒に発病?したお子さんがいて、その子はずっと外で遊んでいられたのです!不公平だ~ お医者さんは水疱瘡なんて逃げるもんじゃないというのですが(追いかけていってうつさせてもらうくらい?)、あんまり普及している考えじゃないですよね。皆がそう思ってくれたら、子供にかわいそうな思いをさせないですむのですが。 育児にかかる知識?って、いろいろあって迷うこともあると思います。公的な機関で、常時そういう疑問に答えてくれるとか、また、そういう子供たちの居場所をつくるとか、力をそそいでほしいな、と思うのですが。
2005年06月09日
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81歳の女性の方からのおたより。 「戦争が終わった時、21歳だった。日本の国民は皆戦争に加担したとか、鼓舞したとか、いわれるけど、そんなことはなかった。」(エッほんと?聞いてたことと違うような・・) 「そうしないと、生きていけなかった。それ以外の選択肢はなかった」、と。(そういう意味か・・) ここまで聞いてすぐ思い浮かんだのは、かの国『北朝鮮』、です。今、あの国に本当のことを言う自由がないのと同様、あの時代の日本人には、本当のことを言う自由がなかったのです! こんなわかりきったこと、わかっていたつもりだったことを、ラジオで聞いた瞬間、 ”あ、知ってたつもりでも、何にもわかっていなかったんだー” と気づきました。一億総懺悔なんていう言葉もありましたっけ?あれは嘘っぱちですね。今の北朝鮮に住んでる方たちのことを非難できるでしょうか?金正日の体制を倒さないからといって。彼らも被害者なのですね。戦時下の日本人も被害者なのだと思います。では、いったい誰の? こういってよければ、一部の”帝国主義”に酔った人たちの・・・抑圧する側の人たちの・・
2005年06月06日
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1年前、長崎の小学校であった同級生殺害事件は、とてもショックでした。今朝のラジオでそのことを取り上げていたのですが、神大の教授の方が1番に言われたのが、この言葉でした。 家庭での孤立だけでなく、学校や友達の中でのそれも。少し前、14歳や17歳の犯罪が取り沙汰されたけれども、今度は11歳。低年齢化しているのは、競争が低年齢化しているのと機を一にしている。そうした中でちゃんと話を聞いてくれる人がいればいいのだが、いないと一線を越えてしまうことになりかねない。先生は雑用で忙しすぎて子供と向き合う時間がない、この子の場合、インターネットが最後の拠り所だったのではないか、と思えるが、そこでも門を閉ざされ(受け入れてもらえず)?一線を越えてしまったと思える。 正確に再現できていない恐れもあるのですが、そんな感じでした。孤立という言葉が妙に心に響きました。自分が子育てをしている時に、何度感じたことか?本当にそうなのです。狭い団地の小さな部屋の中で、ノイローゼになるとはこういうことか、と一人ぼっちの、いや、赤ん坊と二人ぼっちなのですが、つらさを初めて知ったことでした。母親を1人にしてはいけない、とつくづく思います。それには、回りの人たちだけでなく、社会的なパックアップがどうしても必要です。回りの人もそれぞれ事情を抱えています。公的な機関がなんとしても、もっと力を発揮してほしいのです。 人はみんな、他の人とのつながりを求めていると思います。幼い子供だったら尚更。そこで。孤立する親子をなくしていけたら、と思うのはいけないでしょうか?
2005年06月01日
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