全9件 (9件中 1-9件目)
1
最近、不用品をごみとして捨てるのに抵抗を感じるようになり、できるだけリサイクルショップに持ち込もうと思っているのですが、近所のそのお店で、何と0円!という表示を見てビックリ。それが大きいベッドだったりするのです!その空間だけでもかなりの経費がかかっているのでは?と余計な心配をしてしまいました。他にも0円のコーナーがあり、商売にならないんじゃないか?と心配です。。これぞ究極のリサイクル!!ではないでしょうか?実は前から、町のどこかに不用品を自由に置きに来れる場所があって、必要な人は自由にそこから持って行けるような広い空間があったらどんなにいいか?などと考えておりまして。。それに近いものを感じたのです(^^♪。そこは本当に割りと高く引き取ってくれて、売ってる値段は比較的安いので♪良心的!だと思います。きっと社長さんは地球を愛していらっしゃるに違いない・・・なんて、ネ。(でもそこはチェーン店なんだけど、な~??)かげながら応援してます!
2005年12月30日
コメント(8)
故郷の『信濃の国』という歌の一節で、”南に木曽川天竜川~”と続きます。・・好きな部分でありまして(^^♪♪♪この流れよどまず、という所が急に思いおこされました。粗大ごみを市の清掃センターに持ち込んだ時、(実はすごい渋滞で車がよどんでいましたー暮れに持ち込むものじゃないな、とつくづく・・)”すべての物は流れの中にある”という言葉をつい最近何かで読んだナ~と。家にあって使われていないものはよどんでいる状態であり、そのもの本来の力を発揮していない、というか、もとの流れの中に返してあげた方がいい、みたいなことを。すべてのものを使いこなす?というのはムリとしても、それにしても無駄なものが多い、し、よどんでいるものばかりに囲まれているな~という気がしてきました。そうだ、頭の中も、でした。地球を美しくするために一番必要なのはまず、自分の頭の中のお掃除ではないか?そのためにはいろんなことを学ばなくては・・と思います。いくつになっても、学ぶ姿勢を忘れてはいけませんね(^_^)v。。と自分にハッパをかけています。
2005年12月27日
コメント(6)
この1年で100件。心に思うままを書けてきたのか疑問は残りますが、これからの1年の目標をたてようと思いました。この間、テーマを設定したのが2件。『育児の社会化を考えてみたい』と『地球が美しくあるために何ができるか』の2つです。根本にあるのが、人間が人間らしく生きるためには、人類全体のことを考えないとダメなんじゃないか?ということ。人類全体のことを考えるなら、足元の地球を大事にしないと自分で自分の首をしめることになるんではないか?人類全体のことを考えるなら、一人一人の人間を大事にしないといけないんではないか?生まれてくるすべての赤ちゃんを大事に育てなくてはいけないんではないか?これらは今のところ単なる願望であるわけですが、それを少しでも具体化できないか?と夢見るおばさんなのであります。何を目標にしたらいいのか、皆目見当がつかないといったところですが、そこで他力本願!!いろんな方の幅広いご意見を新たな1年でたくさんいただきたいな~と。人とのつながりって素晴しい!と、この1年で学ばせていただきました。社会をよりよくしたい、という方も、今のままで良いという方も「人みなわが師」。いろんな方のところへお邪魔すると思いますが、そして読み捨てばかりのとんでもないヤツですがm(__)m、よろしくお願いいたします(^o^)丿。
2005年12月23日
コメント(12)
いうなれば、”社会の縁の下の力持ち”みたいな社会を一番下から支えるような仕事に従事している方々とか、3Kといわれる(キケン、キタナイ、キツイ)お仕事をされている方々等々。看護とか清掃、介護労働や保育その他の肉体労働もあるかと思われますが、そういう方たちの待遇はどうかというと・・、決してその仕事量に比べ、報われているとはおもわれません。こういう方たちの待遇をよくすることはできないものでしょうか?私たちの尊い税金だって、天下りのお役人に何の対価もなく流れていってしまうよりも、こういう方たちの待遇改善のために使われた方が”生きる”って思うのですが?天下りのお役人に湯水の如く流れていく税金は、広く社会のために使われるのでなく、一業界、一企業、そして一個人のために使われていることになりはしませんか?そして、国会で時間潰しとしか思われないようなおしゃべりや居眠りに余念のない議員の方たちも税金の無駄遣いをしているように思います。子供たちが将来の自分の働き方について、今の社会をどう見るか、と考えた時、自分も高級官僚になってうまい汁を吸いたい、と思うか、自分も縁の下で人の役に立つ仕事をして、親孝行できるくらいの収入がほしい、と思うか、もちろん、2つに1つではないですが、そして高級官僚になること自体は悪いことではないですが、”うまい汁をすいたい”となると寂しいものを感じます。子供たちの前にそういう見本があってほしくない、と思うのです。せめて、そういう重労働の方々には所得税軽減の措置くらいはとってもいいように思います。本当は労働条件の底上げの方がいいのですが・・・
2005年12月18日
コメント(8)
と、つい職場でぽろり。しまった、まちがえた・・!と思っても言い直しする機会のないまま、「いい人」ってなんだろう?と考え続けています。「自分にとってのいい人ばかり・・」と言えばより正確だったのですね。「いい人」というのは人により違うのでしょうから、一般的には言えないことでした。会社で言えなかったので、ここで訂正している次第です。ただ、自分が考える「いい人」の基準みたいなのがありまして、それに近づきたいという思いはあります。仲間を大切にする、ということがその一つ。助け合う、補い合う、ということが働く喜びでもある、というか・・・ぽろり、ともれてしまった言葉は、働く意欲があるにもかかわらず、『人間関係』?で病気にまでなり、仕事をやめざるを得なくなった人のことをつい考えて。。どこの職場にも、合わないひと?というのはいるものだ、と言いたかったように思います。(いい人とそうでない人がいるのではなく!)助け合う、補い合う、ということの中身にしても人それぞれ違うとしたら、行き違いはどこの職場にもあふれているんだろうな、と想像してしまいました。ただ、そうありたい、という気持さえ伝わるなら、(みんながそう考えたとしたら)どこでも、もっと働きやすい職場に変わることができるのでは?などと。ことはそう単純ではないのですが、ー『助け合う喜びを感じることのできる育ち方』ーを社会全体で考えてもいいのではないか?とまた考えてしまうわけです。
2005年12月14日
コメント(4)
前回の日記の”焼き芋の会”の提唱者の方の言葉。「公園に子供を連れてくるお父さんたちは何人もいるけれど、みんな一人ずつ。それぞれ孤立していて、お互いに話し合うようなきっかけもなく、コミュニケーションがとれていない。何かきっかけがあれば・・と。」その”きっかけ”で焼き芋を思いついたということでしたが、焼き芋ができる環境ばかりでもありません。そういう地域でも何か、孤立しないですむきっかけ作りはできないものでしょうか?18歳になるまで”軟禁”状態に娘をおいていたという母親の件は、そのきっかけを見つけ出すことができず、18年も孤立していた、と言うこともできるのでは?と考えたのです。引きこもりたい人を無理矢理引っ張り出すとか、鍵をこじ開けて家の中にずかずか入り込むとかいったことはできないことです。ただ、孤立はいけない、孤立をなくそう、と社会で本気で考えるなら、無理矢理でなく、引っ張り出すことは可能だろうと思うのです。どんなことでもいい、出かけたくなるような楽しい催しを定期的に用意し、そのうちのどれかに必ず出ること、(定期健診のように義務化する)ただし、出たくない理由とか、出られない理由とかを第3者が認めればOKとか。(ーあくまでもどこにも社会との接点のないお子さんの場合ですー)少し乱暴ですが、乳幼児期には無理矢理(上に書いたことと矛盾?実はムリヤリ)にでも社会デビューした方がいいと思うのです。親のためにも絶対いいと思うのですが・・こういうのはダメでしょうか?
2005年12月09日
コメント(6)
井戸端会議ならぬ芋端会議というのがあるそうで。小さいお子さんを持つおやじさんたちが、焚き火をしつつ焼き芋をみんなで焼いて親睦を図る、というような催しが埼玉県内で今年中に33箇所おこなわれる予定なのだそうです。考案した方は、子供と公園に遊びに来ても、すぐつまらなくなってしまい、手持ちぶさた。見ると他のお父さんたちも同じくつまらなさそう・・そこで、何とかコミュニケーションを、と思いついたのだとか。これが大当たり!というか、子供たちも喜んだのですが、それ以上に?という位、お父さんたちが嬉々として共同作業に取り組んでいるのだそうでありまして。実は遊びだったりもするんですね。この手の遊びは一人じゃできないものですし、昔懐かしいし。話もはずむようなのです。焚き火のできる公園が近くにあるとか、仕事に追いまくられていないとか、理解のある隣近所とか?幸運に恵まれないと焚き火もできない、というふうでは寂しいですよね。こういう動きが全国に広がっていくと楽しいな、と思いました。焼き芋だといくらか季節の制約があるので、それ以外にも楽しい企画が考えられそうです。芋端会議の皆さんの中では今度はバンドをやろう、という話もでてきているそうですし。。もちろん、お父さんにばかりまかせておかず、お母さんたちも一緒に参加できるような”拡大芋端会議”があちこちにできたらもっといいと思います。”地域での子育て”が言葉だけでなく、実感として感じられるようなそんな町で国中がいっぱいになったら、♪♪なんて、ね。
2005年12月07日
コメント(6)
年に一度の演奏会が小平市である、というので娘と2人で出かけました。普段あまりそういうものに縁がなく、とっても楽しみに待っておりましたものです♪吹奏楽や管弦楽のほかに民族楽器の何とかいう名前(忘れました)の管楽器や琴に似た楽器、三味線に似た楽器?等いろんな楽器の演奏を楽しみました。女声の合唱(リムジン河等)もあり、どれも本格的!!1曲か2曲しか披露しないで次々に舞台(に立つ人々)が替わってしまうのが残念でした。なんといっても迫力がありました。細やかな感情が伝わって来そうなほどささやかな旋律のあと・・・”ドドーン”と胸にズシンと来たり・・あの豊かさは私の乏しい表現力ではとても言い表せませんm(__)m。そこでまたもや、”音楽に国境はない!”との思いがわきおこり・・争いのない世界は築けないものか、と切に感じた次第なのであります。音楽で平和は築けない?かもしれませんが、それに役立てることはできるのではないでしょうか。私も何か一つ、今からでも楽器を習いたいな~と思いました。娘もすっかり感激して、同じようなことを申しておりました。さすが母娘(^^)/。
2005年12月04日
コメント(4)
あまりにもひどい!ちいさな命の大切さ、どうして守ることができないか?大人の社会はどうなっているのか?悲しすぎる・・大切な命って誰もがわかっているはず、と思う。けれども、百万遍”命は大切”と唱えても、本当の大切さは伝わってこないとも思う。大切だと唱えるそばから、命が粗末にされている現状を見る。耐震構造の偽造問題一つとっても、なんと軽い扱いをされてるのだろう。国土交通省のお役人が偽造の問題を指摘された時、”当事者同士で話し合ってください”としか言わず(国民の命がかかっている問題なのに!)、見過ごしていた、という話も聞きます。(お役所って何のためにあるのでしょう?)人の命が大切だとお説教するなら、そういう政治をしてほしいように思います。弱者切捨ての政治でなく、弱いものこそ大事にする政治を。強いものに都合のいい政治ばかりしているように思えるのは私だけでしょうか?政治ばかりが悪いとはいいませんが、弱者切捨ての先頭にたっているようにみえますー企業もそうですがー。子供は社会の弱者です。大人がよってたかって?守ってしかるべし、と思います。大人の社会の犠牲になる子供はもう生みださないでくれ、と言いたい・・子供は社会の宝、社会で育てようという自民党さん、それを言葉だけでなく、政策で示して欲しいと思います。
2005年12月02日
コメント(8)
全9件 (9件中 1-9件目)
1