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2008年04月19日
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カテゴリ: オペラ
 オーチャードホール  15:00~
 2階中央

 ラダメス:ヤン・ヴァチック
 アイーダ:キャサリン・ネーグルスタッド
 アムネリス:イルディコ・セーニ
 アモナスロ:ヤチェック・シュトラウホ

 東京オペラシンガーズ、栗友会合唱団
 東京都交響楽団
 指揮:ウォルフガング・ボージッチ


 まぁそうじゃねーかなーと思ってはいたけれど、やっぱり金返せ、だったなぁ.....

 所用で遅れたので、結局、1・2幕は見られませんでしたが、話には聞いているし、後半見れば大体分かってしまう。

 以前、シュトゥットガルト歌劇場が魔笛を持って来た時、某所で「コンヴィチュニーの演出は、オペラそのものを批判しながら、そのオペラを皆良く知っていることを前提にして行われる、批判対象に依存している内容だ」として、「演出の内容自体もそうだが、それ以上に存在意義として、コンヴィチュニー演出はドイツという環境下でしか有効でないもので、それを日本でやること自体が奇妙だ」というようなことを書いた覚えがあります。
 基本的には、このスタンスはやっぱり変わりません。

 今回のアイーダにしてもそうなのだけれど、コンヴィチュニーの演出は何処まで行っても「そのようにする必然性」が感じられないのです。読み込まれる内容が陳腐と言うのもあるのだけれど、それをアイーダでやる必然性が無いのです。反戦演出を言うならば、行儀良く都合の悪いものに蓋ということで既に殆ど無かったことにされかかっている、宮本亜門演出の「ドン・ジョヴァンニ」(二期会にとっては今や忘れたいことでしょうが)の方が遥かに内容・質・メッセージ性、どれをとっても段違い。
 ラダメスが厭世的になった理由を求めるのもいいし、4幕2場のラダメス・アイーダ・アムネリスの絡みを半ば抽象的に見せるのも、アイディアとしては悪くないけれど、説得力がいまいち。何より、新しくないのです。

 つまり、やっぱりこれは「アイーダを知っている人」が見て初めて理解可能な演出なのです。
 宮本亜門やピーター・セラーズあたりの演出も、そういう所はあるにはあるけれど、それ以上に中身が強烈なのでね、あの二人は。宮本亜門なんて、「あんなアメリカ礼賛演出なんて」という信じ難い誤読をやってのけた人達が続出(今度のプログラムにも寄稿してる某ジャーナリストを筆頭に)して、日本のオペラファンのリテラシーが、土曜サスペンス劇場の愛好者以下であることを暴露させるというおまけ付きの演出だったけど、それだけのインパクトのある舞台ではあったわけで。
 で、コンヴィチュニーに限らず、いわゆるMusiktheatreと呼ばれる演出が受け入れられるのは、実のところ、ドイツだからなのでして。つまり、元々オペラというものが、その社会に存していて、しかもそれが自分達の社会の構成部品の一つとして認知されている以上、某か維持して行かなければならない、というコンセンサスがある中で、オペラを「現代に生きるもの」として成立させる為に、あの種の演出の試行錯誤があるのだと考えるべきなのでして。
 ありゃ、一種の病理現象だと思っていいのです。いいも悪いも無く、それがドイツのオペラの置かれる環境なのだと。

 それを日本でやることが、そもそも場違いなのだということ。沖縄で防寒具着込んで歩くようなもんです。そのくらい、生理的に変だと気付いていいと思うのです。それも、来日引っ越し公演並みのお金取って。私はコンヴィチュニー嫌いだから、批判したいから、観に行っちゃうけど、今度は二期会がオネーギンで起用するでしょう?もーえーっちゅうの。日本人は予習が大好きだから、今日観ていた人達もまず9割は「アイーダは知ってます」ということだろうけど、実際の舞台で何度もアイーダを観て、食傷気味の人にとってこの演出は意味があるけれど、そうでない人には如何なものか。


 それにしても、歌手はへぼかった。アリアが歌え切れないアイーダとはまた如何なものか。ただ、ラダメスにせよ、アムネリスにせよ、アモナスロにせよ、いいとはちっとも思えないのだけど、歌い切ることに関しては訓練が行き届いているようで、そういう意味で、大破綻は無かった。でも、くどいようだけど5桁払って聞く声じゃありません。ドイツの2流の劇場の座付き歌手レベル、でしょうね。それこそシュトゥットガルトとかね。ちなみに、シュトゥットガルトはOPERNWELTとかで年間最優秀みたいに評されてるけれど、あくまで「ドイツの」雑誌ですからね。それに、基本的に評価されてるのは、舞台としての総合評価だし。オペラ観るなら、やっぱりバイエルンとかの方が面白いですよ。保守的であっても。ドイツ人が、ドイツ人自身の文化のあり方を問題にしている時に、感覚的に理解出来ないのに、共感した振りしてもしょうがないですから。
 都響は、まぁ、昔の都響と比べたら随分ましになりました。でも、デプリースト退いちゃうし、これからどうなるんだろ?








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最終更新日  2008年04月19日 21時46分39秒
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Re:4/19 コンヴィチュニー演出「アイーダ」(04/19)  
taqk  さん
こんにちは

辛口ですね~~アイーダ聞きこんだ人にこそアピールするかもっていうのは確かに感じました。あといかにもドイツ的発想だなぁというところも。
結局オペラではなく、自己アピールなのかもしれませんね。 (2008年04月19日 22時38分32秒)

Re[1]:4/19 コンヴィチュニー演出「アイーダ」(04/19)  
Verdiさん  さん
 どうもです。
 平たく言うと、自己アピールしたって構わないんだけど、日本でなら、映画やTVや新作演劇で作るでしょ、っていう話なんですよね。それをオペラでやってしまう文脈を考えないと、見誤ると思うのです。
 何処の国の人も多かれ少なかれあると思うのですが、日本人って、結構自分達は特殊な文化を持ってるとか思ってる割に、例えばドイツ人の社会・文化的背景との間に差は無い、だから普通に同じように物事を理解出来る、とか素で思ってたりするような気がするのです。それって結構危ういんですけどね。


(2008年04月19日 23時27分55秒)

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