全21件 (21件中 1-21件目)
1

今日 10/31と明日11/1はアカリウムが明治神宮で行われています。50年前の10月31日に行われた本殿遷座祭(せんざさい)遷御(せんぎょ)の儀、11月1日の奉幣の儀に併せてのイベントでこの2日間は日没後に一般開放されます。(神宮橋 宙の玄関)夜の闇の中にみえる大鳥居はより幻想的です。曲線が美しくダイナミックです。明治天皇も昭憲皇后もきっとお喜びなさることでしょう。主催者の方は先人が畏敬と感謝の念をもって培ってきた「叡智・ 環境・歴 史・芸術・文化・伝統」を再発見していきたいと思いこの一連のイベントを企画した、とのこと。文化が現代流に形を変え受け継がれていく一例です。このように「明治神宮」という過去の遺産と一見交わらないように思える「現代文化」が混ざり合うのですね。改めて日本の文化の奥深さを感じる事ができました。
2008年10月31日
コメント(0)
![]()
「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」ドイツ初代宰相のビスマルクの言葉です。加えて「賢者は愚者に学び、愚者は賢者に学ばず」とも言ったそうです。この意味がわかったのが「渡部昇一の古代史入門を読んでからです。非常に解り易く、歴史が描かれています。政権をとったリーダー達がどのようにして栄えどのようにして滅んでいったのかがよくわかります。そしてなによりこの頼山陽の「日本楽府」を明治の志士達が読んでいたから明治維新は成り立ち、日本は独立を保てたのです!正しい歴史観が国を支えるのです。この本を読むまで「愚者は」の言葉は知っていましたが、どうやって 歴史から学び自分の人生に活かせばよいのかわかりませんでした。学校で教わった歴史は「受験勉強」なのです。国の行く末、経済の行く末が混沌としている現代、正しい歴史を頭に入れる事が、何よりの武器なのではないでしょうか。
2008年10月29日
コメント(0)
「自分の国を愛さない人は世界中どこに行っても人々から尊敬されない」この言葉がわたくしを日本の歴史文化へ向かわせてくれました。師である稲垣節子先生の言葉です。ただ漠然と「国際的に活躍したい」と思っていたわたくしにとってこの言葉は非常に大きな衝撃をもたらしてくれました。自分の国の歴史を知らない人間が世界で通用するはずはないのです!自分の国の文化を知らない人間が世界の文化を理解できるはずはないのです!自分の国を誇りに思わない人間が世界から認められるわけがないのです!なるほど!がってん!そこから良書を夢中になって読み、学びを続けています。歴史や文化を学び、気付いた事は今 わたくし達が生きているこの時代も先祖から受け継がれている日本史の一部であり今 わたくし達が暮らしている中の文化も先祖から受け継がれている日本の文化の一部であるということです。文化財や絵画だけが文化ではないのです。リーダーは歴史という過去を知らずにこれから先の未来を築く事はできないのです。学びの世界へ ようこそ。
2008年10月29日
コメント(0)
「天ハ人ノ上ニ人ヲ造ラズ人ノ下ニ人ヲ造ラズト云ヘリ」から始まる学問のススメは明治時代のベストセラーです。この本は初版から8年間で約70万部!最終的には300万部売れたといわれています。当時の日本の人口が3000万人なので10人に1人が読んだ本とも言えます!この有名な文章の次にあるのが「サレドモ今広クコノ人間世界ヲ見渡スニ、 カシコキ人アリ、オロカナル人アリ、 貧シキモアリ、富メルモアリ、 貴人モアリ、下人モアリテ、 ソノ有様雲ト泥トノ相違アルニ似タルハ何ゾヤ」「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言われている 人は生まれながら貴賎上下の差別ない。 けれども今広くこの人間世界を見渡すと、 賢い人愚かな人貧乏な人金持ちの人身分の高い人低い人とある。 その違いは何だろう?。 それは甚だ明らかだ。 賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとに由ってできるものなのだ。 人は生まれながらにして 貴賎上下の別はない。けれども 学問を勤めて物事をよく知るものは貴人となり富人となり、 無学なる者は貧人となり下人となるのだ。」 今、読み返してみても衝撃的な文章、まさに名文ですね。 こう仰るとおり 福沢先生は大変勤勉でいらっしゃいました。 もともと大阪 緒方洪庵の適塾で蘭学を学び オランダ語はベラベラ! と自負していたところ、開国。 開国後 横浜に見物に行った所、そこでは英語で溢れている。 どこにもオランダ語がない! 「どうやら英語が主流らしい!」 と感じ取ると 2年間毎日東京から横浜まで英語を習いに行くのです! 当時は電車は走っていないので、当然「徒歩」です。 日が登る前に家を出て、帰宅は真夜中です! そして翌年幕府がアメリカへ咸臨丸を出すと聞きつけなんとか飛び乗り渡米。 その後 明治の教育者として歴史に名前を刻みます。 福沢諭吉の「どん欲に学ぶ姿勢」があるべき教育そのものですね。
2008年10月28日
コメント(0)
来来週のセミナーで絵画を取り上げるので江戸東京博物館で開催中の「ボストン美術館 浮世絵名品展」に勉強に行って参りました。ボストン美術館には実に5万点といわれる浮世絵版画と多くの版本・肉筆画が収蔵されているそうです。なぜ?ボストンに5万点もの浮世絵があるのか?わたくしの興味の対象はまずそこにありました。1867年 アメリカ建国百周年記念万博がフィラデルフィアのフェアモントパークで行われました。時は明治維新後 新政府が日本の文明化を世界にアピールするために世界各国で開催される万博に参加している時でした。そこで「浮世絵」や「陶磁器」を自国の文化として出展していたのです。そこで日本の文化レベルの高さに驚いたアメリカ人達はこぞって来日します。特に 高く評価したのがエドワード・シルベスター・モース(生物学者・大森貝塚を発見)アーネスト・フランシスコ・フェノロサ(哲学者)ウィリアム・スタージス・ビゲローこの3人がボストンのあるマサチューセッツ州の出身でお友達同士なのですね。彼らのコレクションがボストン美術館に死後寄贈されているのです。浮世絵は版画なので一般庶民が楽しむ為のもので決して高尚なものではありません。しかしながら、非常に美意識が高く緻密で完成度が高いのです。そこから江戸庶民の文化の高さが伺えます。「近代産業を持たない」と一旦は馬鹿にした国が自分達が足元にも及ばない高度で卓越した文化をもっていたことに対して、憧れと深い尊敬をもったのでしょう。 <ボストン美術館 浮世絵名品展>
2008年10月26日
コメント(0)
明治時代の政界のドンといえば 井上馨があげられます。初代総理大臣 伊藤博文の相棒として、外相・財相を務めまた実業界にも多大な影響を及ぼしました。「雷」というあだ名の如く引退後も政財界から一目置かれる存在として君臨した政治家です。その井上馨が大のグルメだったのをご存知でしょうか?彼の料理は「井上料理」と呼ばれ、独自の感性とこだわりから作られています。特に6種の素材を使って、料理ごとに配合比を変えて作られる出汁は「井上料理」の根本とされていました。また彼の漬けた沢庵は、親友伊藤博文も好物で、世外に見つからないように女中さんから内緒で分けてもらっていたとのこと。大正天皇(当時皇太子)もその沢庵を食し、後日、宮中での調理を司る大膳職に対して「井上に往って習って来い」との仰せがあったとのエピソードも伝わっています。大正天皇も絶賛する沢庵を自らつける政治家 井上 馨!「策士家」という印象の彼のイメージが変わってみえますね。
2008年10月25日
コメント(0)
上杉鷹山が家督を譲るに当たり藩主としての心得を記したものが、「伝国の辞」です。これは 現代における「リーダーシップ」としてわたくしたちも大いに学ぶ事の出来るものです。武力ではなく「智徳や人徳」で国を治めたリーダー(名君)は世界の歴史からみても非常に少なく 稀な存在です。且つ その上経済を発展させることができたリーダー(名君)は極めて稀なのではないでしょうか。だからこそ、アメリカ大統領達が学び尊敬したのですね。<伝国の辞>一、国家は先祖より子孫へ伝え候 国家にして我私すべき物にはこれなく候 (国家は先祖から子孫へ伝えられたものなので 自分の好き勝手にしてよいものではない)一、人民は国家に属したる人民にして 我私すべき物にはこれなく候 (人民は国家に属しているのであって 自分の好き勝手にしてよいものではない。 領民は藩主の家来でない) 一、国家人民のために立たる君にし 君のために立たる国家人民にはこれなく候 (国家と人民のために藩主がいるのであって 藩主のために国家と人民があるのではない。)ケネディ大統領のかの有名な就任演説での「わが同胞のアメリカ人よ、 あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、 あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。 わが同胞の世界の市民よ、 アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、 われわれと共に人類の自由のために何ができるかを問おうではないか。」のフレーズはこの「伝国の辞」の多大な影響をうけているのではと思うのはわたくしだけでしょうか。
2008年10月25日
コメント(0)
「為せば成る、為さねば成らぬ、何ごとも。 成さぬは 人の為さぬなりけり。」 「やろうと思えば何でもできる。 できないのはやろうと思わないからである。 やろうとすることは他人のためではなく、 自分のためになるのだ。」の言葉で有名な 上杉鷹山公は江戸時代中期に17歳にして米沢藩主に着任。徹底した財政改革を行い 米沢藩を窮地から救い未だ尊敬され続けている政治家です。かの故ケネディ大統領やクリントン大統領も「尊敬する日本人」として上杉鷹山公の名前をあげています。どうしてアメリカの大統領が上杉鷹山の名前を知っているのでしょうか?どうやら、近代日本の思想家である内村鑑三の「代表的日本人」という本で日蓮大聖人、西郷隆盛、上杉鷹山、二 宮尊徳、中江藤樹があげられており、その本を読んでいるようです。我々もよく知り得ない上杉鷹山のどのような要素にアメリカ大統領が尊敬したのかを、数回にわたって取り上げていきたいと思います。
2008年10月24日
コメント(0)
東京 東銀座にある歌舞伎座の閉館・解体が今週発表になりました。歌舞伎座は1889年の開場から、東京大震災・東京大空襲を経て現在の建物で4代目です。来年1月から16ヶ月間にわたる「さよなら公演」が行われて2010年4月に閉館となり、新しいビルとなって2013年に再開場の予定です。日本を代表する伝統芸能である「歌舞伎」ですが、みなさま語源をご存知ですか?歌舞伎は「傾(かぶ)く」⇒頭を傾けるということが語源です。頭を傾けるような行動ということから「常識はずれな行動」「異様な風体」を指しそれが転じて「風体や行動が華美であること」「色めいた振舞い」をいうようになり、 そのようなみなりの人のことを時代の美意識を現す俗語として「かぶき者」という言葉が江戸・天正時代に流行したのでした。「頭を傾け踊る」という行為から、今の形まで発展させ美化させる力がわれわれの持つ文化の力だといえるでしょう!
2008年10月23日
コメント(0)
日本の文化は世界に大きな影響を与えています。今回はフィンセント・ファン・ゴッホの言葉を紹介致します。「日本の芸術を研究すると、紛れもなく賢明で、達観していて、知性の優れた人物に出会う。彼は何をして時を過ごすのか。地球と月の距離を研究しているのか。違う。彼が研究するのはたった一茎の草だ。しかし、この一茎の草がやがては彼にありとあらゆる植物を、ついで四季を、風景の大きな景観を、最後に動物、そして人物を素描させることとなる。彼はそのようにして人生を過ごすが、すべてを描くには人生はあまりに短い。そう、これこそ--かくも単純で、あたかも己れ自身が花であるかのごとく自然のなかに生きるこれらの日本人が、われわれに教えてくれることこそもうほとんど新しい宗教ではあるまいか。もっと大いに陽気になり、もっと幸福になり、因襲の世界でのわれわれの教育や仕事に逆らって自分たちを自然へと立ち返らせることをせずに、日本の芸術を研究することはできないように思われる。」(ゴッホから弟テオへの手紙より)ゴッホは浮世絵を447枚も所有していました。日本に行きたかったのですが、経済的に貧しく行けなかったので、その代わりに南仏アルルの町に移り住んだのです。というのも、どうやらゴッホは温暖な南仏に日本をイメージしていたようなのです。「僕の方はここ(アルル)では日本の作品は必要ない。というのも、僕はここで日本にいるのだ、といつもそう思っているからだ。」(ゴッホから妹ヴィル宛への手紙より)ということを手紙に残しています。われわれの先祖は世界に大きな影響を与える文化を創り出し守って来たのですね!
2008年10月22日
コメント(0)

NHK大河ドラマで大人気の篤姫に関しての豆知識をお話いたしましょう。篤姫は島津斉彬公の養女となり、御摂家筆頭である近衛家の養女として22歳の時に13代将軍徳川家定に輿入れしました。ところが、結婚後わずか1年9ヶ月で夫の家定公が急死し、篤姫は24歳で未亡人となってしまします。そして、わずかその10日後に斉彬公までが亡くなってしまいます。その孤独を紛らわす為に、大奥で飼っていたのが「サト姫」というネコです!サト姫はさすがお姫さまのネコらしく魚も鰹節も最高級品ばかりを与えられ餌代だけで年間25両(1両が10万円)よって今の価格で250万円!元祖セレブネコではないでしょうか!?写真は我が家のミラクルくん。ぼくも最高級の鰹節たべてみたいにゃ~
2008年10月22日
コメント(0)
「風林火山」この言葉も有名な言葉で座右の銘によくあげられる言葉です。これは武田信玄が自軍の兵隊を鼓舞する旗印に使っていた言葉です。疾如風(疾きこと風の如く)徐如林(徐かなること林の如く)侵掠如火(侵掠すること火の如く)不動如山(動かざること山の如し)これはもともと今から2500年前の中国春秋時代の兵法書である「孫子」の軍争編に出てくる言葉です。戦国大名や有能な参謀はいかにして強く調和のとれた組織を作るかということを学ぶために「孔子」「孟子」「孫子」を基に学び 実践するのです。学も重要なリーダーシップの基となるものだったのですね!
2008年10月21日
コメント(0)
神社は「神社庁」に属しており 戦後は宗教法人になりました。果たして神道は「宗教」なのでしょうか??神主さんによると「宗教とは本来 教祖がいて、教義・教典があるものを指す。 神道には教祖もなけれは、教義・教典もない。 よって 本来は宗教ではない。 神道とは 剣道・柔道・華道・茶道と同様に「道」なんです。」なるほど~!これをキリスト教の側面から見ると改めて 面白い気付きを得ることができました。宗教の「宗」という字は英語でTOPの意味です。宗教とは 教えの中で最高のもの、ということになります。よって英語の世界では宗教というとキリスト教=Christianityここで、みなさま 英語で仏教は何というかご存知ですか?仏教は英語で「Buddhism」ismなので「主義・思想」を指し宗教ではないのです!びっくりですよね!神道はShindoismイスラム教はMoslimヒンドゥー教はHinduismといいます。因に資本主義はCapitarism共産主義は Comminism社会主義はSociarismといいますので、英語の世界観では「主義・思想」という面では仏教も共産主義も神道も同じ ということになりますね。これもびっくりするような解釈です。日本人が宗教を理解していない背景はこのあたりにあるのではないでしょうか。
2008年10月21日
コメント(0)
経営者の方は とてもよく歴史を勉強されています。偉人達の言葉を人生における「座右の銘」にしていらっしゃる方も少なくはありません。「知行合一」とは吉田松陰が松下村塾の掛け軸にした言葉で、パソナグループ代表の南部靖之氏が座右の銘にしている言葉でもあります。「知識をつけることは行動することの始まりであり、 行動することはつけた知識を完成させてることである。 行わなければ知っているとはいえない。 知っていても行わないのは、まだ知らないのと同じである。 知って、行ってこそ、本当の知恵、真知である。」まさしく、行動のために学んだ武士道そのものです!「知行合一」の言葉を掲げて行動し更に情熱を燃やした吉田松陰の精神が志士たちに火をつけて、火が繋がりのちの明治維新を成功させ、欧米諸国からの侵略をまもり独立を保ち続けることができ、今日があるのです。言葉は言霊、大きな影響力を今でも持ち続けています。わたくし達も 多くを学べる言葉です。
2008年10月20日
コメント(0)
一般に和菓子は植物性の原材料を使った嗜好品と説明されています。歴史上の人物にも 和菓子を好んでいた方が少なくありません。今回は水戸黄門でお馴染みの「徳川光圀公」(1628~1700)をとりあげたいと思います。水戸光圀公はなかなかの食通だったようです。みずから蕎麦やうどんを打ち、ラーメンも食し、イチジクやマルメロなど外来の珍しい果物を栽培させていたようです。また黄門様みずから饅頭をデザインしていたようです!その記録が皇室・将軍家御用達の「とらや」の御用記録として残っているそうです。「とらや」の創業は1500年代後半 室町時代です!まさにとらやの歴史は和菓子の歴史といっても過言ではないでしょう。その御用記録に元禄13年 お公家さんの中院通茂(なかのいんみちしげ)の70歳の誕生日に「福寿」と紅で書いた 皮27匁(約100g)餡が43匁(160g)の70匁(260g)の饅頭を100個 とらやに注文して 進上したとあります。きっと 70歳のお祝いにちなんで70匁の饅頭をつくらせたのでしょう。みすから蕎麦やうどんを打つ 光圀公らしい凝った注文ですね。現在の饅頭は普通で一つ50gほどですので、260gの饅頭が100個というのはびっくりする位のスケールです。江戸時代の饅頭が約150gでいまの三倍だとしても、その倍ちかい大きさはかなりのものですよね!これは 当時の当たり前なのでしょうか。光圀公のスケールなのでしょうか。こういう知識があると水戸黄門を見る目がかわってきますよね。是非 番組の中でも黄門様の蕎麦うちシーンを取り入れて頂きたいです。
2008年10月20日
コメント(0)
盃(さかずき)は日本人の人生儀式の中に度々登場するアイテムです。「結婚式の三三九度」「親子の盃を交わす」「兄弟の盃を交わす」」これは盃事(さかずきごと)といわれ、約束を固めるために杯をとりかわして注がれたお酒を飲むこと、です。固めのさかずき、とも契りのさかずき とも呼ばれています。盃を交わすことは、一族の団結と統制の象徴であり組織への帰属意識を強めるものとされます。ちなみに西洋では杯(さかずき)というと神と民との「契約」の象徴のようです。。~以下引用~キリストは杯を取り、感謝の祈りを唱え、彼らに渡して言われた。「皆、この杯から飲みなさい。これは、罪が赦されるように、多くの人のために流されるわたしの血、契約の血である」。(マタイ 26.27~28)同じ「さかずき」一つとってみても「団結」と「契約」とで全く違いますね。知識があると これまで見えなかったものも見えてきます。とっても面白いですね。
2008年10月19日
コメント(0)
今日は伊勢神宮と宮中の祭礼である神嘗祭でした。神嘗祭(かんなめさい)とは、皇室の大祭で、今年穫れた新米を皇室の祖であり、日本人の総氏神さまである天照大御神(あまてらすおおみかみ)さまに奉納する儀式です。天照大御神さまは太陽の神様であり、稲作が主としていた日本人にとって「豊かな稲の実りをもたらしてくれる」有り難い神さまだったのですね。古来より続いているこの伝統儀式は応仁の乱で一時途絶えたものの、江戸時代より現在までずっと続いています。この習慣が歴史であり文化ではないでしょうか。戦前は10/17は大祭日として国民の祝祭日でしたが、戦後は「国民の祝日に関する法律」の施行により祝祭日ではなくなってしまいました。
2008年10月17日
コメント(0)
お彼岸の時にお供えする「ぼたもち」と「おはぎ」これは実は同じ物です。炊いたお米に分厚い餡を巻いた10センチ弱のお菓子のことです。ではなぜ呼び方が違うのでしょうか??これは彼岸会(ひがんえ)が3月21日頃の春分と9月23日頃の秋分であることから春は「牡丹」の花に因み ぼたもち秋は「萩」の花に因み おはぎに由来するといわれています。ちなみに、彼岸(ひがん)とは煩悩を脱した悟りの境地でいわゆる「あの世」のことです。では煩悩や迷いに満ちたこの世は、こちら側の岸ということで此岸(しがん)と呼びます。邪念を払うことはいつの世でもわたくし達のテーマのようです。
2008年10月16日
コメント(0)
秋になると「七五三」の看板を神社でみかけるようになりました。現在では、その年齢にあたる子供に晴れ着を着せて、11月15日に神社に参拝し、子供たちの健康と更なる成長を祈願する人生儀式の一つです。なぜ七五三は11月15日なのでしょうか?11月は一陽来福の月といわれ縁起のよい月また15日は満月の月また旧暦の11月15日は現在の12月10日すぎにあたり農作物の収穫が全て終わり一段落の時期ともいえます。そして三歳の儀式は「髪置(かみおき)」三歳の男女が胎髪から稚児になり髪を伸ばし始める儀式五歳の儀式は「袴着(はかまぎ)」五歳の男児が初めて袴を着る儀式。袴を身につける事で「男」としての扱いをうけるのです。七歳の儀式は「帯解(おびとき)」七歳の女児が着物の付け紐を帯に替える儀式です。帯は女性のもの、これより「女」としての扱いをうけることになります。なので三歳は男の子と女の子五歳は男の子七歳は女の子が神社に参拝にいくことになるのです。追記:七歳と三歳の記憶はあるのにどうして五歳の時の記憶がないんだろう? という疑問がこれでとけました。 なるほど!がってん!
2008年10月15日
コメント(0)
結婚する時に「仲人さん」もしくは「媒酌人」をたてますよね。この由来ってご存知ですか??なんと、日本人の総氏神さまであるアマテラスオオミカミさまのお父上のイザナキさまとお母上のイザナミさまの結婚式に由来します。日本の歴史書の「古事記」によると「吾と汝 是の御柱を行き廻り逢いて 御所の麻具波比せむ」とあります。これはイザナキとイザナミのお二人が結婚する際に柱を仲立ちとしたということ。それに由来し、結婚する際に仲立ちをたてることが風習になり今でも受け継がれているのです。
2008年10月14日
コメント(0)
みなさま はじめまして~!明日10/15より「なるほど がってん 日本の歴史文化 豆知識」のブログを始めます。みなさまに、「へ~なるほど!」「なんか得したなあ~!」と楽しんで頂けるようなブログにしますので是非 遊びにいらしてくださいね!
2008年10月14日
コメント(0)
全21件 (21件中 1-21件目)
1