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御廟山古墳の一般公開に行って参りました。今朝の8時30分にJR百舌鳥駅到着。百舌鳥と書いて「もず」と読むのですね!なるほど!地名がもう古代を連想させてくれますね。大仙公園に向うと、親切な案内のお陰で迷わずに行くことができました。8時40分頃到着したのに、もう行列ができていました。今回の御廟山古墳の一般公開は宮内庁管轄(ということは天皇家の陵墓とされる)古墳では初めてなのです。前方後円墳の円の部分にこのように宮内庁のお札がありました。このようなお札が宮内庁管轄のしるしなのですね!今回の共同調査に至った経緯は、御廟山古墳の一段目斜面が浸食されて削れてきて原型をとどめておらず、放っておくと崩れてしまう可能性があり、保全修繕が必要の連絡が宮内庁から堺市にあったそうです。それで修繕の為の調査が必要ということになり、傾斜に向って一直線に掘り、堺市が一段目斜面と濠を宮内庁が一段目テラスと二段目斜面の部分をというように分担して調査や報告を行ったとのことでした。宮内庁管轄の遺跡には自治体は管轄外なので、今回の堺市との共同調査は初めてとのことです!ですので、今回の一般公開も自治体が絡んでいたのでできたことなのです。明治維新後は閉ざされてしまった場所ですので今回の共同調査と一般公開は極めて大きな大きな一歩ではないでしょうか!~その2につづく~
2008年11月30日
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明日から急遽 大阪・堺へ行くことになりました。といいますのは、29と30日の2日間「御廟山古墳」の一般公開があるのです!御廟山古墳は応神天皇の墳墓といわれており陵墓参考地として宮内庁の管轄にあります。仁徳天皇陵をはじめとする百舌鳥古墳群の一つが御領山古墳です。「御霊(みたま)の安寧と静謐(せいひつ)を守る」ということで研究に限って公開しており一般公開はこれまでなかったのです!(宮内庁が管轄して「御霊の安寧を守るため」とのことで一般公開されていないのに 「陵墓参考地」の扱いに対して不思議に思うのはわたくしだけでしょうか?)めったにあるのことではないので、非常に急な話ではあったのですが、「行くべし」と即決しました。各日5000名限定とのことなので、30日の朝一に並ぶため明日の晩から行って参ります!こちらでレポをさせて頂きますので楽しみにしていてくださいね。
2008年11月28日
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今日は参議院の見学に行って参りました。そうです、国会議事堂にある参議院です。ここでは参議院議場御休所(ごきゅうしょ)開会式の当日の天皇陛下がお入りになるお部屋・中央広場を見学させて頂くことができます。中央広場には、議会政治の基礎を築くのに功があった日本で最初の内閣総理大臣 伊藤博文公日本で最初の政党内閣の総理大臣 大隈重信公そして日本で最初の政党である自由党の党首である 板垣退助公彼が明治の初めに国会の開設を求めて「自由民権運動」を起こしたのです。そうです!これが明治7年「民撰議院設立建白書の提出」といわれるものです。この時まで議会政治がおこなわれていなかったのです。では、誰が政治をしていたか、というと官僚が政治をしていたのですね。行政と政治が一緒ということです。そうすると、国民の意思は政治や行政に全く繁栄されません。板垣公は 政治とは国民が選んだ議員による議会政治であるべきだ!と主張し、成し遂げたのです。今でこそ「議会政治」は至極当然に思えますが、歴史的視点で見ていくと、それは有り難いものであることに気付くことが出来ます。豆知識ですが、国会議事堂は3つを除いて全て国産の建材・国内の職人の手によるものとのこと!3つとはステンドグラス・ポスト・ドアノブです!そして本会議場は本当に立派です!これが開会式の際の明治天皇の玉座です。これが議員席です。 立派です!これだけのものを国産で立てることが出来き受け継ぐことができるのは本当に素晴らしいことです。参議院が閉会中は平日9時~16時で見学させていただけますのでみなさまも是非永田町まで足をのばされては如何でしょうか?
2008年11月27日
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今日は素晴らしいメッセージを頂いたのでみなさまにも紹介いたします。優れたリーダーが日々、どんなことを大切にしていたかを知ることで、その人となりが分かります。明治の時代にアドミラル・トーゴー(東郷提督)といわれ、「西洋のネルソン、東洋のトーゴー」と並び称された世界的に有名な東郷平八郎元帥が大切にしていたものは、旧大日本帝国海軍の士官養成機関の言葉です。毎晩、生徒はこれを寝る前の日課としていたと聞きます。それで、日本軍人はめっぽう強かった理由が分かります。この言葉を平和な世に生きて、知ることができるということは幸せなことです。今は、多くの心ある経営者が大切にしていると聞きます。いつか、みなさんも聞くことがあるかも知れません。教養の一つになさってください。「 五省 」(ごせい)一、至誠に悖(もと)るなかりしか (誠意に欠けた事はなかったか)一、言行に恥(は)づるなかりしか (恥ずかしい言動はなかったか)一、気力に缺(か)くるなかりしか (意気込みは充分だったか)一、努力に憾(うら)みなかりしか (最善を尽くしたか) 一、不精に亘(わた)るなかりしか (怠けなかったか)以上です。稲垣 節子「桜ひとひら」より日露戦争は自国を防衛する為の戦争でした。もし、ここでロシアに負けていたら我が国はロシアの植民地になっていたことは間違いのないことです。もし、そうであれば現在のような自由はなかったことでしょう。ロシア軍は持てる限りの最高の兵力を総動員し遠くバルト海からバルチック艦隊を日本海まで動員したのです。その当時世界最高の艦隊と言われたバルチック艦隊を破ったのがアドミラル・トーゴー 東郷元帥です。日露戦争は黄色人種が初めて白人に勝利した戦争でした。日露戦争で日本が勝っていなければ、アメリカ初の黒人であるオバマ大統領の誕生もなかったのです。「五省」をわたくしも胸に抱いて生きて参ります。
2008年11月26日
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昨日のわずか2時間余りの滞在ですっかり御贔屓になりたくなったパレスホテル今日はパレスホテルの由来についてとりあげてみましょう。パレスホテルのパレスはその言葉の通り「皇居」を示します。なんと その住所は千代田区丸の内1-1-1 丸の内はここから始まるのですね!このパレスホテルは大手門を出たすぐ目の前にあります。大手門は三の丸、二の丸、本丸に繋がる門で、城郭の正門でもあり、最も重要な門です。話が脇道に反れますが、そう、大手門があるから「大手町」なのです!大手町といえば日本の名だたる企業の本社がこぞってある場所であります。なるほど!同じ皇居の門が有る街でも「大手町」と「半蔵門」は全く街が違いますものね!そのような大手門の目の前になぜ民間ホテルがあるのでしょうか?戦前はこの場所は現在の林野庁の前進の帝室林野局があったのです。それが、戦後GHQの意向によりホテル・テートという外国の要人向け国営ホテルに変えられてしまいます。一時は「アメリカ大使館に」と熱望されたそうです。皇居のお堀を隔てたわずか先に占領軍の星条旗の国旗をかざしたかったわけですね。日本人の誇りをずたずたにしてしまいたかったのでしょう。けれども「それだけは何としても阻止すべし」と東奔西走してくださった方達がいてアメリカ大使館にはならずにすんだのです。歴史に「もし」は禁句ですが、もし、ここがアメリカ大使館になっていたとしたら、歴史は変わっていたのは確実です。今より更に最悪になっていたことでしょう。(因に、アメリカ大使館は虎ノ門の旧満鉄ビルに移り 現在に至っています。)そして東京オリンピックに湧く昭和35~39年のホテルラッシュ期の昭和36年にパレスホテルがオープンしたのです。(昭和37年ホテルオークラ、昭和38年東京ヒルトン 昭和39年ホテルニューオータニが開業しました。)ホテル一つとっても由来と歴史と人々の思いが溢れています。素晴らしい歴史を持つホテルは本当に素晴らしいと改めて感じました。ここも日本の文化遺産といってよいのではないでしょうか。
2008年11月25日
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みなさまは江戸城本丸跡をご覧になられたことはありますか??今日は東京散歩第2弾で市ヶ谷~靖国神社~九段下~竹橋~パレスホテル~桜田門~国会議事堂~半蔵門の皇居周辺をまわる旅を計画していました。雨の中順調に進んでいると竹橋の平川門から出てくる人を目撃!行ってみました。すると入れるのですね!お堀の中に入れるとは全く知りませんでした。ここは皇居東御苑といって江戸城の本丸跡と二の丸跡にを見ることが出来るのです。もちろん宮内庁の管轄です。デジカメの不調で今回は写真を掲載できなくて本当に残念なのですが、本当に江戸城跡がきれいに残っています。石垣も最新の技術を使って当時のままに復元されています。家康公や家光公がご覧になっても「わしらの時と余り変わらんなあ」とおっしゃって頂けるのではないでしょうか。天皇家と徳川幕府という相対する権力同士ではありますが「素晴らしい日本の文化は破壊せず残す、 そして修復できるものは修復する」という姿勢が見られます。わたくしの故郷は熊本で、高校は美しい石垣で有名な熊本城のお堀の中にありました。ごく普通の石垣にはあまり反応しないのですが、江戸城の石垣の厚さにびっくり!本当に徳川天下の威信をかけて建築したお城であったのだと思いました。ここは入場無料ですので、秋の日のほっとひとときを皇居東御苑でお過ごしになられては如何でしょうか?<追記>大手門から出たすぐのパレスホテルで一息つきました。とても寛げるラウンジでした。何時間でもいることができそうです。決して華美ではありませんが、とても行き届いた気遣いをしていただけました。今日は雨のため パレスホテルまでにしました。また近々 訪れようと思います。
2008年11月24日
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今日は11/23の勤労感謝の日でした。この「勤労」とは何を指すのかみなさまご存知でいらっしゃいますか?この「勤労」とは稲を刈り取り、乾燥させ脱穀をして倉に収める、一連の「勤労」のことを指します。その勤労が一段落するので「勤労感謝の日」なのですね!そもそも旧暦の11/23は現在の12/26 年末なのです。そして「勤労感謝の日」は戦前は新嘗祭(にいなめさい)天皇がその年収穫された五穀を神に献上し、また自ら食するという稲作儀礼のお祭りの日なのです。だから祝祭日なのですね!なるほど!現在でも皇室とゆかりの深い伊勢神宮は(天皇からの)勅使が遣わされ行われています。このお祭りの起源は飛鳥時代とされています。推古天皇や聖徳太子の時からの儀式が今も行われているのです!ここにも日本文化の深い歴史を知ることができるのです。
2008年11月23日
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先日ふっと「そういえば 明治神宮の大祭に鳥居に榊と一緒に結ばれていた紐 はどういう意味をもっていたのだろうか!??」とおもいだしました。 以前こちらに掲載しました、この紐です。なぜ?なに?と好奇心が動き出すともう 聞いてみるしかありません。ということで 明治神宮にお電話したところ神社本庁を紹介していただけました。この紐は「大麻(おおぬさ)」といって神道にとって麻は重要な儀式に使われるものとのこと。というのは麻は「非常に丈夫で早く育つ」植物というところから由来しているそうです。子供の時に麻の服を着せるのも「丈夫に大きく育って欲しい」との思いを込めてとのこと。なるほど!また 麻は浄化能力を持つ植物 ということから夏越しの祓いや大祓いの時に麻を細かく切り刻んだものを振りかけて穢れを取る、という儀式もあるそうです!植物一つにも色々な意味があるのですね!すごいですね!神道のお話を伺う度に日本人と自然・植物は非常に密接な関わりをもってきたのだなあ~と改めて認識します。みなさまも 神社に訪れることがあれば、是非 麻を探してみてはいかがでしょうか。
2008年11月22日
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西郷どんこと西郷隆盛公こそ日本人が一番 尊敬し共感をもつ英雄ではないでしょうか。映画「ラスト・サムライ」の渡辺謙演じた「西郷」も彼をモデルにしていると思われます。彼の「敬天愛人」という言葉は彼自身が自己修養の言葉にしたものですが、現在も多くの座右の銘や教育理念・企業理念に用いられている言葉です。なぜ 彼は 「人を相手にせず、天を相手にせよ」ということを目標にしたのでしょうか?彼の人生を紐解いてみると、それはまさに戦いの歴史といってもいいほど凄まじい人生でした。・島津斉彬に能力を見込まれて下級藩士出身ながら 一躍活躍の場を得るものの、斉彬が急死すると 次の藩主の島津久光とそりが合わず、 奄美大島に潜居せざるを得なくなる。現代でもありそうな話ではありますね!その後の・寺田屋騒動・薩英戦争・第1次長州征伐・戊辰戦争この時、西郷隆盛41才!激しい人生ですね~ここで戦いは終わり自分の役割を果たしたとして帰郷するのですが、大久保から要請を受け上京。そして再び 人々の思惑が絡み合う政治の世界に登場します。人の思惑が絡むとどうしても敵味方が出来てしまうのですね。遂には これまで盟友であった大久保利通から挑発され兵を挙げざるを得なくなります。そして西南の役で命を落としてわずか50才の人生の幕を閉じるのです。想像を絶する 余にも壮絶な人生ですね!「人を相手にせず、天を相手にせよ」そう思わなければ人を憎み 不平不満で絶望しかない、何を信じてよいのかわからないほどの壮絶な人生だったのですね。「敬天愛人」西郷どんほどの壮絶な人生とは全くかけ離れたわたくしの人生ではありますが 肝に銘じたいと思います。
2008年11月21日
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幕末から明治維新を経て日本が近代国歌の道を歩む中で歴史に名を残す偉人達(great leaders)が登場しましたね。勝海舟西郷隆盛坂本龍馬大久保利通桂小五郎大村益次郎みなさまは「偉大なリーダー」の言葉にどなたを連想されるでしょうか?わたくしは「明治維新の御宸翰(ごしんかん)」を知った今「ムツヒト ザ グレート』と世界から尊敬を集めた明治天皇 その人こそ 最も偉大なリーダだったと思うのです。1868年3月14日京都御所 紫宸殿にて「五箇条の御誓文」と同時に布告されたのが明治天皇から国民へのメッセージである「明治維新の御宸翰(ごしんかん)」です。ここに書かれた一節を目にした時、明治天皇の国民への思いに痺れてしまいました。その一節を現代語訳で紹介致します。「この度、朝政一新の時にあたって、わたしは心にこう思い定めた。もしも日本のうちに一人でも暮らしが立たず、志望をとげることができない者があるとすれば、その責任は全て天皇にあることゆえ、わたしは骨身を惜しまず、心をきたえ、艱難辛苦の先頭に立って、皇祖が力をおつくしになったその後に学んで、政治の実績をあげることにつとめよう。それでこそはじめて、天から授けられた尊い任務を受け持って国民の首長となったこの地位に背かないといえるであろう。」(明治天皇のみことのり 明治神宮編より 一部抜粋) 凄いリーダーシップですよね!天皇が「国民の象徴」である今現在 天皇自ら政治をするということは想像出来ないことですが、明治天皇は御在位45年の間 その御宸翰のとおりに国の隆昌と国民の安寧のために御生涯をささげられたのですね。この一節はリーダーシップを知るにあたっての教科書になりうべき文章だと思います。
2008年11月20日
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「伊勢へ七度 熊野へ三度 芝の愛宕へ月まいり」これは江戸時代の書「東都歳時記」に書かれている歌です。実は 太田記念美術館で歌川広重が描いた江戸名所図で愛宕神社の賑わう様子をみて 初めてわたくしはここが江戸の名所だったのだと知ったのです。増上寺から愛宕グリーンヒルズを超えてしばらく歩くともの凄い階段が!ここを馬で登った武者がいて「凄い!」といわれそののち出世したことから「出世坂」といわれているそうです。その位 非常に急な坂です。中は非常にこじんまりした神社です。実はここで勝海舟と西郷隆盛の江戸城の無血開城の話し合いが行われたとのこと!へ~そうなんですね!ここは江戸の街が一望出来る高台になのできっと 「この江戸を火の海にしてはならぬだろう」と江戸の街を見渡しながら勝海舟がいったのではないでしょうか。誰しも人の子ならば目の前に広がる街を火の海にしたいとは思わないはずです。勝海舟 すごいプロデューサーですね!江戸時代の人達にとっては楽しみは神社仏閣にかこつけての旅だったのでしょう。だから 遠く房総まで見渡せたこの神社は景勝地としての楽しみもあり多くの参拝客で賑わったのです。わたくしも旅が大好きです。今も昔も人のこころはさほど変わらないのですね~
2008年11月19日
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今日は温かく 気持ちのよい一日でしたね。こんな日は東京散歩するに限る!ということでちょっと気になっていた増上寺~愛宕神社に行って参りました。増上寺は徳川家の菩提寺でここに6人の将軍が眠っています。ん?徳川家は15人将軍がいるはず、あと9人は何処に?調べてみました。もう一つの菩提寺 上野の寛永寺に6人初代 家康公は増上寺で葬儀が行われ御体は日光東照宮三代 家光公は自身が創建した寛永寺で葬儀が行われ日光輪王寺十五代 慶喜公は谷中霊園に眠っていらっしゃることがわかりました。なるほど~!今日はJR浜松町から増上寺へ向かいました。この大門から大殿本堂に至る道のりは穢土(われわれの住む俗世)から極楽浄土に至る世界を表しているとのことです。まず芝大門から三門までが約108間 この間を通ることで108の煩悩から解脱するのです。一間 = 1.81818182 メートル108間=約200メートル けっこうな距離があります。そして三門こと三解脱門をくぐります。くぐることで三毒とよばれる「むさぼり」「いかり」「おろかさ」を解脱するのです。とっても大きく美しい門ですね!なんどもくぐりました。煩悩から解脱できたかな??(期待!)ここからは極楽浄土への道です。三門から大殿が約48間48というのは阿弥陀仏の48願という数字です。48とは法蔵菩薩が仏に成るための修行に先立って立てた48の願のことをいいます。この参道から大殿前の階段が18段18というのは阿弥陀仏の本願の第18願この第18願というのが特に重要だそうです。そして大殿に登る階段が25段この25は25菩薩をあらわしています。ご本尊が鎮座される大殿は極楽浄土は西にあるといわれているので西の方角に位置しているそうです!もともと増上寺は千代田区紀尾井町にあったのですが、江戸城拡張のため港区芝の今の場所に遷りました。東京タワー・東京プリンスホテルも元々は増上寺の敷地だったので相当大きなお寺だったのです!江戸創世期は本当に何もない田舎だったのと徳川家の菩提寺というのが如何に偉大なものだったかはかり知ることができます。ちなみに駅名でもある「御成門」は「(殿様が)おな~り」の「おなり」で徳川将軍家が増上寺にはいる時の門だったのでした。~明日は愛宕神社について書きたいと思います~
2008年11月18日
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今日 渋谷駅を通ると岡本太郎「明日の神話」が公開されていました。そうかあ これも日本の芸術であり一つの文化なのですね!文化は文化財ではなく今も生き続けている、との信条からとり上げることにしました。「芸術は爆発だ!」の岡本太郎氏は父親を著名な漫画家 岡本一平、母親を歌人の岡本かの子という芸術一家に生まれ育ちました。ので、ごく当たり前に絵を描き始めるわけです。そして「自分はなぜ絵を書くのか?」という疑問をもち続けます。父親の赴任先のパリで偶然ピカソの絵をみて「ピカソを超えてやる!」と絵を書き続ける理由を見出すのですね。ピカソのもつ情熱エネルギーが岡本太郎に火をつけ爆発させたのです。「芸術は鑑賞するものではなく 爆発させ次の芸術を創造させるものでなくてはならない」そう思ったのではないでしょうか。時は1930~1940年のパリピカソが有名なゲルニカを描いたのが1936年なので丁度シュルレアリスムの時代です。*因にピカソのゲルニカは縦3.5M横7.8Mの大作明日の神話は縦5.5M横30Mです。本当にピカソを超える大作を作っているのです! 岡本太郎がピカソに感化され 腑に落ちたものそれは「自由」ということではないでしょうか。普通 人は目の前に見た物を描きますね。物からするとあらゆる角度で見られていることになります。なのに ほとんどの絵は真っ正面から描かれているのです。これは有る意味 不自然なのです。普通に生活をしている中で 視界には180度 色んな角度のものが入ってくるからです。「ものが主体となる絵を描く」この常識からピカソも岡本太郎もはずれて自分が主体となる自由な世界を描ききったのですね!上から見たものでも 横からの角度でも書いてもいいじゃないか!人の胸を打つ、感動をつくる、それは決して綺麗な物だけではない!芸術は爆発して次の芸術を創造する!岡本太郎のこの作品を見てそう思わずにはいられませんでした。
2008年11月17日
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日本史を学ばれたみなさまなら「五箇条の御誓文」をご存知のことでしょう。「五箇条の御誓文」意訳一、広く人材を求めて会議を開き議論を行い、 大切なことはすべて公平な意見によって決めましょう。一、身分の上下を問わず、心を一つにして積極的に国を治め整えましょう。一、文官や武官はいうまでもなく、一般の国民も、それぞれ自分の職務を果たし、 各自の志すところを達成できるように、人々に希望を失わせないことが肝要です。一、これまでの悪い習慣を捨てて、何ごとも普遍的な道理に基づいて行いましょう。一、知識を世界に求めて天皇を中心とするうるわしい国柄や伝統を 大切にして、大いに国を発展させましょう。今読んでも、非常に格調高い宣言ですね!この御誓文の「誓」は誰に誓ったものかご存知ですか?これは京都御所の紫宸殿において、新生日本の指針を神々に誓われたのですね!だから「御誓文」なのです!なるほど!ちなみに、明治天皇は東幸(東京へのお出まし)をされて京都御所から現在の皇居に遷られました。ということは「遷都」ではないのですね!なので、京都の方は「今も京都が都であり、天皇さんは東京にお出ましに なってまだ帰ってきていらっしゃらないだけ。」と仰る人もいらっしゃるそうです。歴史ってとっても面白いですね!
2008年11月16日
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たまに 時間が出来るとふらっと行きたくなるみなさまにも そんな場所はありませんか?わたくしにとって、そのような場所は神宮外苑なのです。夜の神宮外苑が特に好きです。今日も ふらっと出かけてしまいました。この有名な銀杏並木は春夏秋冬いつみても美しいです!歩いていると映画のワンシーンにいる気分になってしまいます。というのも大正15年に造苑する際に年間を通して来苑者に好景観を見てもらいたいとのことで完璧に設計されたものなのですね!なるほど!「東京都の木」でもある銀杏は樹姿端正樹高よろしく緑量も豊富気品高く公害にも強く威厳を保ちつつ一年を通して「若葉・青葉・黄葉・裸木」を楽しめる木ということで選ばれたのです。木一本を選ぶにあたり、ここまで考えられていたとはびっくりです!このこまやかな心遣いこそ「日本人の心」そのものではないでしょうか?だからこそ今でも憩いの場なのですね!今日から12月14日までいちょう祭りが開催されています。聖徳絵画館のライトアップは21時までです。12月上旬の落ち葉で舗道が隠れてしまう時季にまた訪れたいと思います。
2008年11月15日
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「日本を今一度せんたくいたし申候」これは坂本龍馬が姉乙女に当てた手紙の一節です。この語源は何だかご存知ですか?この語源は坂本龍馬が師と仰ぎ多大な影響を受けた横井小楠(しょうなん)の「天下一統人心洗濯希うところなり」という口ぐせなのですね!この横井楠という人物は、ただものではなかったようでかの勝海舟も『氷川清話』の中で、「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲(隆盛)とだ」「横井の思想を、西郷の手で行はれたら、もはやそれまでだと心配して居たに、果して西郷は出て来たワイ」と言っているのですね!この横井小楠という男ただものではなさそうです。そして明治新政府の目指す方向性は 横井小楠の思想そのものだったのです。彼が二人の甥をアメリカに留学させるに当たり贈った言葉を紹介いたします。「堯舜孔子の道を明らかにし 西洋器械の術を尽くさば なんぞ富国に止まらん なんぞ強兵に止まらん 大義を四海に布かんのみ」<意訳>東洋の思想を身につけ、西洋の技術を修得すれば、自分の国を豊かにしょうだとか強い兵を持つ国にしようかではなく世界の平和に貢献していけるんだ。西洋文明の行き着く先は「覇道」であり日本の行くべきは「王道」である。東洋と西洋の長所を生かした国家をつくり、覇権ではなく「仁義」に基づいた「富国強兵を超えた理想国家」となって世界の世話を焼け、と説いたのである。これは小渕元首相も提唱した「富国有徳国家」の基になっている考え方です。江戸末期の一地方の越前(福井)に凄い政治家がいたのですね!
2008年11月14日
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今年もあと1ヶ月半で終わりですね!2008年は1868年の明治維新から140年の年でした。明治維新の立役者として一番に名前が挙がるのが「坂本龍馬」ですね。彼の一番の政治的功績はなんといっても「薩長同盟」ですよね。相容れぬ薩摩と長州を「商取引」で結びつけお互いをなくてはならぬものにしてしまったのです。その仲介をしていたのが長崎にある坂本龍馬の会社「亀山社中」でした。坂本龍馬は政治をうまく行かせる為に「商取引」という双方に利益をもたらす道具をうまくつかったのです。その「薩長同盟」の密約書が今明治神宮 宝物展示室で公開されています。密約書自体は桂小五郎が書いていますが、坂本龍馬が一部朱色で裏書きをしています。拝見させて頂きましたが、この巻物が西郷隆盛・小松帯刀・桂小五郎・坂本龍馬が大きな一つの決意をした、という証なのだと思うと鼓動が高鳴ってきました。(その時には薩長同盟で倒幕する志はあっても 「できる」という勝算は少なかったのですから)「日本を今一度せんたくいたし申候」の大きな第一歩が薩長同盟なのです。24日(月祝)まで公開されています。是非 歴史的文書の実物をご覧になってください。
2008年11月13日
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日本の国歌は「君が代」ですね。「君が代は 千代に八千代に さざれ石の 巌となりて 苔のむすまで」みなさま これは何を歌った歌かご存知でしょうか?「君」とは「あなた」と「君主・王」という意味があり「天皇陛下の長寿をお祈りする歌」とすると「なぜ国民が天皇陛下の長寿をお祈りしなければならないのか?」との声があがりそうです。ところが、この歌詞自体は平安時代の「古今和歌集」の巻7、賀歌の初めに「題しらず」「読み人知らず」として載っているのが初めです。その後、新撰和歌集にも、和漢朗詠集にも、その他数々の歌集にも載せられました。また、神様のお祭りにも、仏様の供養にも、酒宴の席でも、そして、盲目の乙女の物乞いにも歌われました。とすると、君とは単に二人称の「あなた」と解釈するのが自然なのだと思います。そうすると「あなたの時代が、 千年も八千年も、 細石が大きな岩になって それにさらに苔が生えるほどまで、 長く長くずっと続きますように」 「日本及び日本国民が、いついつまでも平和で栄えますように」 という平和を願う歌になるのですね!国歌に制定されたのは非常に最近で1999年「国旗及び国歌に関する法律』が制定されてからです。国歌というのは国が突然決めるものではなく、もともと国民に馴染みがあり歌い継がれていた曲なのですね。なるほど!それにしても千年前の歌を国歌としているのは本当に凄いことだと思います!国歌も継承すべき日本の文化です。このように身近なことから、わたくし達世代が理解して子供達に伝えていくのが本来の文化継承ではないでしょうか?因にアメリカ国歌の意味をご存知でいらっしゃいますか?アメリカ国歌「星条旗」は米英戦争のことを歌った歌なのですね!英国からの独立を武力で勝ち取ったアメリカ、そのスピリッツがアメリカ人の根底にあるのでしょうね。国歌一つとっても日本人の精神とアメリカ人の精神の違いをみることができますね。とっても興味深いです。<和訳>おお、見ゆるや 夜明けの淡き光を受け先の夕暮れ 陽が落ちる時 我等が歓呼しもの其は太き縞と輝く星なり 危き戦の間塁壁の上に見たり 勇壮に翻りし 彼の旗/狼煙の赤き炎立ち 砲音宙に轟く中耐え抜き 旗は猶其処に在りおお、星散りばめたる旗は 今猶棚引くや自由なる大地 勇者の故郷に2.岸辺の霧 其の濃く深き帷の中傲慢なる敵の軍勢 畏れ息潜めたる彼は何ぞ 断崖聳ゆる向かう時折吹く微風に 隠れ 見ゆるもの/今正に 朝の新しき光を一筋受け大いに輝き 風を受けはためく其は星散りばめたる旗よ 永久に棚引け自由なる大地 勇者の故郷に3.そして斯も得意げに宣誓せし彼の一塊は何処ぞ戦いの浪費と戦争の乱雑が故郷も国家も我等に最早残さじと/彼らの血は彼らの汚れし跡の穢れを洗注しき小屋は彼らの雇員と奴隷制度を助けまじき潰走の恐れと死の暗がりから其は星散りばめたる旗よ 永久に棚引け自由なる大地 勇者の故郷に4.おお、斯く不断にあらん事を自由世界が彼らの愛情される家と戦ひの浪費の間に立たう時/勝ちと泰平で恩恵され 天に助されし地所が我等に状態を創り擁護したる力を誉めん事を我等は破るべし其が正に我等の原理なる時はそして此が我等の金言ならん事を「造物主通り我等の信任あり」其は星散りばめたる旗よ 永久に棚引け自由なる大地 勇者の故郷に<英語・歌詞>O! say can you see by the dawn's early light, What so proudly we hailed at the twilight's last gleaming,Whose broad stripes and bright stars through the perilous fight, O'er the ramparts we watch'd, were so gallantly streaming?And the Rockets' red glare, the Bombs bursting in air,Gave proof through the night that our flag was still there; O! say does that star-spangled Banner yet wave, O'er the Land of the free and the home of the brave?On the shore dimly seen through the mists of the deep, Where the foe's haughty host in dread silence reposes,What is that which the breeze, o'er the towering steep, As it fitfully blows, half conceals, half discloses?Now it catches the gleam of the morning's first beam,In full glory reflected now shines on the stream, 'Tis the star-spangled banner, O! long may it wave O'er the land of the free and the home of the brave.And where is that band who so vauntingly swore That the havoc of war and the battle's confusion,A home and a country should leave us no more? Their blood has washed out their foul footsteps' pollution.No refuge could save the hireling and slave,From the terror of flight, or the gloom of the grave: And the star-spangled banner in triumph doth wave, O'er the Land of the Free and the Home of the Brave.O! thus be it ever, when freemen shall stand, Between their lov'd home and the war's desolation,Blest with vict'ry and peace, may the Heav'n rescued land, Praise the Power that hath made and preserv'd us a nation!Then conquer we must, when our cause it is just,And this be our motto―“In God is our trust;” And the star-spangled Banner in triumph shall wave, O'er the Land of the Free and the Home of the Brave!
2008年11月12日
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昨日投稿した「人間とは仏教用語」ということについて、では元来「人」という概念はどう表現されるのか?ということに疑問を持ちました。ということで神宮こと伊勢神宮にお電話したところ、お話を伺うことができました。神道では神と神々の末裔である人天皇と国民この人民・国民のことを百(たくさん)の姓と書いて百姓(おおみたから)または民草(たみくさ)または蒼人草(あおひとくさ)というそうです。国民は宝ものなのですね!ただ人民を草という言葉を用いることに違和感を感じませんか?このことをお伝えすると、この草は草薙の剣の草でもあり「人民を平らかに治める剣」ということにも通じるそうです。なるほど!農耕時代において農作物を作って献上する人民は国に富みをたらす存在なので宝とされたのですね!とても大きな世界観ですね伊勢神宮さんがお祭りする「天下国家の泰平」はわたくし達の社会の根幹をなすものです。国家がきちんとしているからわたくし達は安心して生活を営むことが出来ます。逆に言うと、いくら個人の利益や楽しみを追究しても国家が不安に苛まれていてはどうしようもないのですね。そのようなお話から色々と学ばせて頂きました。健全なナショナリズムを持つことはとても大事なことだと改めて思いました。
2008年11月11日
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京都の五重塔で有名な教王護国寺こと「東寺」で「十界」というものを知りました。十界とは「如来・菩薩・声聞・天・人間・阿修羅・畜生・餓鬼・地獄」の世界のことです。ということは「人間」とは仏教用語なのですね!「人間」とは仏と地獄の間、人と人の間生と死との間にいる存在仏教とは字の如く「仏さまのお教え」なので怠けていると阿修羅になり、畜生になり餓鬼になり地獄に堕ちて閻魔さんのところに行くよ~「人間は人間としか生きていけない」けれども 修行すると 天になり、悟りの世界に行くよ~極楽浄土でなかなかよい世界ですよ~頑張りなさい~この教えを現した物が絵だったり仏像だったりするわけです。字が読めない人にも物なら伝えることができますからね。仏教用語で「輪廻転生」とはこの迷いの世界を廻ることをいうのだそうです。(興正寺のお坊さん談)ということは、餓鬼や地獄に生まれることもあり得るということです!(それは嫌だなあ・・・・・)<悟りの世界>・如来自らも悟り、また他をも悟らせつつあるもの。自他平等の状態。・菩薩他と共に悟りを得ようとして願をおこし、修行しているもの。初めて自己を超えた状態。生活者。・声聞教えを聞くことによって真理を学び取ろうとしている状態。学生。<迷いの世界>・天すぐれた楽を受けるが、なお苦を免れない。求めることは全て満たされた人間の最高の状態。しかしそこにもなお苦がつきまとう。・人間堕落することも出来るし悟ることも出来る。そう言う間的存在。地獄と仏の間、人と人の間、生と死の間。・阿修羅嫉妬心が強く、常に不安がつきまとい戦いばかりやっている状態。・畜生互いに他を餌食として成長し、自分のことしか見えない状態。・餓鬼飲食が得られないために苦のやむ時がない。欲求不満の状態。・地獄極苦処ともいう。生きていること全てが悪であるという状態。
2008年11月10日
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カルチャーコンビニエンスクラブ「TSUTAYA」の屋号の由来をみなさまご存知でいらっしゃいますか?「TSUTAYA」は旧表記が「蔦屋書店」といいました。この「蔦屋」は「蔦屋重三郎」からとった名前です。「蔦屋重三郎」は江戸時代の版元とよばれる敏腕 出版プロデューサーです。みなさまご存知の浮世絵師の写楽・喜多川歌麿作家の「南総里見八犬伝」の滝川馬琴「東海道中膝栗毛」の十返舎一九をプロデュースしたのが「蔦屋重三郎」です。彼は非常に面倒見が良く、人の才能を見抜くのが上手だったといわれています。弥次さん喜多さんでお馴染みの「東海道中膝栗毛」は本当に良く売れた作品で、その余剰効果で浮世絵の歌川広重作「東海道五十三次」は20部刷したといわれています。正確な数字は把握出来ていないのですが、わたくし達の思っている以上に江戸時代の出版界は賑わっていたのですね!ベンチャー企業の祖であり一部上場を果たしたカルチャーコンビニエンスクラブ会長 増田宗昭氏があやかりたいと思いその名前をとった「蔦屋重三郎」氏日本にも凄いプロデューサーがいたのです!
2008年11月09日
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経済なき道徳は戯れ言であり、道徳なき経済は犯罪であるこれは二宮尊徳の言葉です。小学校に決まって置かれていたあの「二宮金次郎」後に二宮尊徳公と呼ばれ尊敬された人物です。二宮尊徳公は内村鑑三著「代表的日本人」の5人の中の1人です。なぜ尊徳公が「代表的日本人」にとり上げられているのかご存知でいらっしゃいますか??尊徳公は小田原に生まれて、裕福な子供時代を過ごしたものの14歳で父親を16歳で母親を亡くし貧乏極まりなく、正月の支度も出来なかったといいます。その時の有名なお話が夜中読書するための油が買えない!なら自分で穫ればよい!と考え荒れ地に菜種の種を蒔き、一握りの菜種から7~8升の油をつくり、どん底の中にいても勉強を続けたというお話。米を食べたいが買えない!なら作ればよい!と考え捨て苗を拾って荒れ地で丹精を込めて育て秋には一俵の籾を収穫した、というお話です!ここから積小為大の理を発見したといわれいます。尊徳公が17歳の時のことだそうです。そして24歳で一家を再建。その実績や経験から小田原藩の財政改革や飢饉で貧困のどん底にあった農村の復興事業をしたのです。そして尊徳公が明るい社会の建設の為に残した言葉が素晴らしい!<報恩訓>・父母の根元は天地の命令にあり、年々歳々報恩を忘るべからず。・身体の根元は父母の生育にあり、年々歳々報恩を忘るべからず。・子孫の相続は夫婦の丹精にあり、年々歳々報恩を忘るべからず。・父母の富貴は祖先の勤功にあり、年々歳々報恩を忘るべからず。・吾身の富貴は父母の積善にあり、年々歳々報恩を忘るべからず。・子孫の富貴は自己の勤労にあり、年々歳々報恩を忘るべからず。・身命の長養は衣食住の三にあり、年々歳々報恩を忘るべからず。・衣食住の三は田畑山林にあり、年々歳々報恩を忘るべからず。・田畑山林は人民の勤耕にあり、年々歳々報恩を忘るべからず。・今年の衣食は昨年の産業にあり、年々歳々報恩を忘るべからず。・来年の衣食は今年の難にあり、年々歳々報恩を忘るべからず。尊徳公は今は神様として報徳二宮神社に祭られています。勤勉な人間は、固い基盤を作っていけるのですね!
2008年11月08日
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京都で宿にさせてもらっている興正寺の主任さんに質問があり電話でお話させて頂いた時に「本来の意味とかけ離れて理解されているのが「他力本願」「往生」というお話になりました。「他力本願」は自分で努力して努力して努力してそれでも叶わなかったことでも、その努力が功徳(くどく)となり仏の恵みで叶う、だから頑張りなさい、ということで「自分は何もしなくても仏さまが 叶えてくれる」ということではない!とのこと!なるほど~!頑張れるところまで頑張りきるのですね!仏教ってアグレッシブというかとっても行動的なのですね!同じく「吾れ唯だ足るを知る」も「今がもう足りていると思いなさい ⇒今で満足しなさい。」という意味なのではなく、自分の本質を知り、持っている物を活かしなさい。自分の人生の幕が下りる時に「自分の人生これでよかった!」と思う人生が最高なのだなるほど~!死というものは生きている限り逃れられない、言い方を変えると死ぬ為に生きている、幕引きが人生の最大のテーマなのだということでした。12月に再度伺うので、また色々教えて頂きます。その時の様子を収録してポッドキャストで配信する予定です。お寺の住職さんとの対談、楽しみにしていてくださいね。
2008年11月07日
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原宿東郷神社そばを歩いていると境内から太鼓の音がしたので「神事?」と思い駆けつけてみた。神社に赤絨毯、太鼓を叩く男たち太鼓の音は胸を熱くするものがありますね。眠っている本能を呼び覚ます音のような気がします。CDのプロモーションかと思いきやなんと「甲冑パンツ」なるもののお披露目会なのでした。男性のみなさま「包帯パンツ」をご存知でいらっしゃいますか?「包帯パンツ」で一躍有名になったアパレル会社 ログインの期待の新作が「甲冑パンツ」だそうです!東郷神社の境内にずらりと並んだパンツたち!これは男性のビジネス用勝負パンツなのだそうです。キャッチコピーはこれが武田信玄の甲冑をモチーフにしたパンツ。これが井伊直政の鎧「井伊の赤揃え」は戦国屈指の精鋭舞台として有名でした!これをパンツにすると(右側)よく特徴をとらえてデザイン化されています!井伊直政は徳川四天王のひとりで近江国彦根藩の初代藩主です。もともとは外様だったのですが、その実力で徳川四天王にのし上がったのですからかなりの方だったのでしょうね!篤姫にも登場した「安政の大獄」「桜田門外の変」で有名な井伊直弼の「井伊家」でもあります。なるほど!武田信玄・井伊直政以外には徳川家康・森蘭丸・伊達政宗・織田信長真田昌幸・豊臣秀吉パンツがありました。確かに彼らが後ろにいてくれたら強気で戦えそうです。『勝って兜の尾を締めよ」というように男性の心を引き締め燃え立たせるものそれは甲冑だ!という発想からこのパンツができたそうです。東郷元帥が生きておられたらどの甲冑パンツをお選びなさるのだろうか?と思ってしまいました。
2008年11月06日
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今日は銀座、歌舞伎座まで行って参りました。現在歌舞伎座では11月恒例の顔見世大歌舞伎が興行中です。年に一度歌舞伎座で東西の役者達が勢揃いする華やかな興行です。今日は歌舞伎鑑賞ではなく、今週末の主催しているセミナーで「浮世絵」を取り上げるのでその勉強だったのです。浮世絵と歌舞伎は切っても切り離せないご縁のものなのをみなさま ご存知でいらっしゃいますか??浮世絵は江戸時代に確立された絵画のジャンルです。もともとは本の挿絵画家だった菱川師宣が大人気を得て文章の脇役だった絵が主役になったのです!そして絵だけを楽しむ一枚摺りが浮世絵版画なのです。この浮世というのは「現代風」という意味で江戸時代の風俗を描くものです。そして庶民の楽しみは「美人画」と「役者画」「美人画」は今でいうところのグラビアアイドル(モデルは吉原の売れっ子の遊女さん達です)「役者画」は今でいうところのジャニーズなどの男性アイドルタッキーや翼くんや光一くんのブロマイドのようなものです!そう考えて頂けるとと~っても親しみやすい存在になるのではないでしょうか??今でこそ「芸術品」ですが本来は庶民の文化です。けれども これだけ芸術性の高く緻密な絵画が庶民の文化というのはとてもハイレベルだったのですね!「役者画」の「役者」とは歌舞伎役者のことで 歌川国重「市川団十郎」この役者絵を専門にしたのが鳥居清信を祖とする「鳥居派」といわれる人達です。実はこの鳥居派の絵師が歌舞伎座の看板を今でも手がけているとのこと!それでびっくりして看板を確認したかったのです!これが看板です。「舟弁慶」の一幕が描かれています。浮世絵は江戸時代のものではなく、江戸時代に確立されたジャンルであって現代にも継承されているのですね!素晴らしい!来月の京都南座の顔見世公演には行くつもりだったのですが、歌舞伎鑑賞にも近々足を運ぼうと思います。
2008年11月05日
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ポッドキャスト番組「なるほど がってん 日本の歴史文化」を始めます~こちらも併せて宜しくお願いいたします!
2008年11月04日
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近頃はモラル(道徳)の低下が嘆かれています。日本人は何から道徳教育を受けるのだろうか?欧米諸国などは「宗教」から道徳を教えていますが、日本ではそもそも宗教教育はありません。そもそも日本人は道徳教育を何から学んだのか?というところから書かれたのが5千円札の人新渡戸稲造の「武士道」です。武士道この本は1899年に書かれて、以来アメリカ・イギリス・ドイツ・ノルウェーを始めとする世界中で翻訳されています。アメリカ大統領のセオドア・ルーズベルトは非常にこの本に感銘を受け、30冊取り寄せて息子達と閣僚に読ませています。(息子たちには「この本を人生の処世の書とせよ」と伝えています)彼は日露戦争終結の際の調停役を頼まれた際も「私は貴国のことはよく知らないが”ブシドー”はよく知っている。 あの崇高なる精神を持った国ならば、 及ばずながら協力したい」と快くその役を引き受けたと言われています。この武士道がすばらしいのが、「成文法」ではなく「不言不文」の語られざる掟であり書かれざる掟であったところです。自分の身は自分で処す、全くの自由だったのです。その基には強力な行動規範としての武士道があったのですね!この強力な自発的秩序形成が出来た国、それが日本なのです。
2008年11月04日
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「日本紳士の全体的効果(トータルアンサンブル)は 趣味と芸術の結晶であって、 最高の完璧さを示していた」みなさまはかつて日本の男性にこのような賛辞が贈られたことをご存知でいらっしゃいますか?この言葉は1960年日米修好条約締結のため遣米使節として77人の侍たちが渡米した際に『ニューヨークヘラルド紙』に書かれた言葉です。この時に派遣米使節団にいたのが幕臣 小栗上野介33歳その随行船が勝海舟が艦長の咸臨丸です。彼らの到着当初は アメリカ人たちは彼らのことを「どこか遠い星から来た人間達」くらいにしかおもっていなかったのです。それがブキャナン米大統領や首脳陣との幾多の交渉を経ていくうちに小栗上野介らの知性と情熱にうたれて奇異の目から尊敬の気持ちにかわっていくのです。ニューヨークのブロードウェイでは大歓迎を受けます。記録によると『ニューヨークに着いた使節団を待っていたのは、 日の丸と星条旗を持った数十万(当地の新聞では80万人)の市民であった。 ブロードウエイのビルの窓という窓には日米の国旗が飾られ、 未曾有の大歓迎であった。 使節団の馬車を中心にして、パレードは延々と続き、 動員された兵士は6640人であった。』とあります。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、 「日本人は、善良で、温和で、 そして世界でも最高の知性を有している」と論じ『ニューヨーク・ヘラルド』紙は、 小栗上野介ついて、「監察オグロ・ブンゴ・カミは、 小柄だが、生き生きとした、 表情豊かな紳士である。 威厳と、知性と、信念と、 そして情愛の深さとが、 不思議にまざりあっているのである」との最高の賛辞を頂いています!わたくし達はこのような素晴らしい先祖たちの血を受け継いでいるのです。この誇りを胸に抱いて最高に格好良く 美しい日本人を再現していきたいものです。
2008年11月03日
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明日11/3は「文化の日」です。憲法が公布された日です。この日は明治天皇のお誕生日、旧天長節でもあります。明治天皇は「篤姫」でも有名な孝明天皇の第二皇子として、京都に生まれ、14歳で天皇の位を継承なさいました。そして16歳で日本の首都が京都から東京に遷り、江戸城を皇居となさいました。幕末の動乱から近代国家の確立まで陣頭指揮をとられた方です。この時代に現代の日本が確立されたといっても過言ではないでしょう。日本は世界に唯一といってもいい「万系一世」の国家です。例えるならば、ローマ帝国の祖であるロムルスの直系の子孫が今なおイタリア王であり、アガメムノン王の直系の子孫が今なおギリシャ王であるということです。この史観は日本史の特徴といえることでしょう!(ここで 人間を動かすものは事実かどうか ということではなく 事実として受け入れられてきたもの、 事実か事実でないかは別として、 であるということを敢えて記させて頂きます)こうして 万系一世が続いている事、そして明治天皇のご叡智があって今日の私達があることに感謝して行われるのがいわいる「明治天皇のお誕生日祝い」である例大際です。邦舞の奉納舞は思いの体現ですね。美しい秋空に 横笛と太鼓と三味線の音が響きわたりました。鳥井には榊(さかき)の枝が付けられています。榊の語源は、神と人との境であることから「境木(さかき)」の意だそうです!三本の紐の意味は謎、なぜ紐が三本??調べてみたいと思います。
2008年11月02日
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