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ちょっと気になるニュースを朝のワイドショーでやっていて、気になりだしたら止まらなくて朝の通勤電車(満員)でもそのことを考えていて、仕事が終わって帰ってきてその裏づけとしてネットで調べたりして。ちょっと考えがまとまったので書いておこうという試み(体言止め)。気になったニュースは2つあって、一つは海外の和食店を認証制にしようという話題。日本の役人が海外に出向いて、正しい日本食の定義をしてまわろうということが、決定してしまったというニュース。新聞の論調もワイドショーのコメンテーターも、だいたい反発。たしかにおかしい。だって日本の中華レストラン「バーミヤン」が、中国政府の認証を受けているとは思えない。でも日本人にとってバーミヤンは、れっきとした中華料理。イタリアンレストランだって然り。なのでこのニュースはどうでもよくて、主に注目したのは2つ目のニュース。「[過剰広報予算]小泉メルマガ、官邸HPに年間7億円超」http://news.livedoor.com/trackback/2830720ホームページ作成に年間7億円が使われているという。7億はだいぶ高いような気がする。1日に換算すると200万になるという。コメンテーターものきなみ「税金の無駄遣い」だというようなことをいっていた。でもホントにそうだろうか。モノはこれ。http://www.kantei.go.jp/1ヶ月で5~6千万円。高いか安いか。7億あれば田園調布に豪邸が建つことと比べてみると、高いような気もする。たしかに、見た目だけこれと同じようにするだけなら、数十万もあればできると思われる。でもさすがにそういうわけにはいかないだろう。だって首相官邸だもの。たぶん絶対に障害が起きたりしちゃいけないだろうから、いくつもの代替サーバーが待機してるだろうし、サーバーを格納する施設も厳重な警備により保護されている。あるいは専用の地下数百メートルの地点にシェルターを新設し、そこにサーバーが置かれてるかもしれない。攻撃されたり改ざんされたりしないように、セキュリティも磐石だ。200インチの大型モニター5台ぐらいを使って、インカムをつけたおねいちゃんが常時交代で監視している。いざハッカーが侵入を試みようものなら、「侵入者、捕捉しました!」「第二・第三防護壁不能、緊急監視レベル4に切り替えます」「指令、だめです、もうもちません!」というようなことにならないよう、磐石なセキュリティーを確保している上、万が一のときのための訓練も日々行われている。技術者は大学の研究所から優秀な人材が集められている。世界的ハッカーによるセキュリティーホールの点検も行われているし、あるときにはエキストラとして何千人もかりだされ、匿名的な集団によるアクセス集中攻撃の演習もある。掲載する記事に関しても厳重なチェックが入る。各関係省庁には担当の記者がいて日々記事を書きつけるが、役職者の承認がないと本部にはとどかない。何人もの役職者のハンコが押されて本部に届いた文書は、そこではじめて採用不採用が決められる。絶対にミスはあってはならないし、間違っても間違ったことを載せてはならないから、何人もの、しかも優秀でミスをしない人材が作業にあたっている。写真の撮り方ひとつをとってみても、「このセンセイの写りがいまひとつなんで、ちょっと加工してみてくれる?」などとし万全を期する。というようなことを考えていくと、ひょっとすると7億は、安いほうなのかもしれない。
2006.12.11
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次に何を読み始めているかというと「坂の上の雲」。また司馬遼太郎である。前に一度読もうと思い3冊まとめて買ってはみたものの、どういうわけかうまくのめりこめず途中で読むのをやめてしまった。それがどれぐらい前のことなのか忘れてしまったけれども、やっぱり「竜馬がゆく」を読んだ後だったと思う。小説の物語に興奮したその余熱をもてあまして、同じ作家のを次から次へと読みあさることはよくあって、この「坂の上の雲」は評判によると、竜馬がゆくの次ぐらいに人気の高い作品とされていた。明治に入ってからの日本は、外国の制度や文化を取り入れすぎて、幕末に比べると、よく言えば合理化され、独善的にいえば非常に味気のないことになっていた。薩摩が鹿児島と呼ばれ、江戸が東京と呼ばれるようになってしまうことが、「竜馬がゆく」から「坂の上の雲」へ移行したときに、素直には受け入れられなかった。今般、「坂の上の雲」に再チャレンジしたわけだが、「幕末」とは違う新しい世界観を、割とすんなり受け入れられるようになっているようで、割とすらすら読み進めることができる。明治維新という革命を経た日本が、なぜどのようにして世界と戦わんとしそして勝利せしめたのかということにも興味があるし、全5巻だか10巻だか知らないが、多分最後まで読んでしまいそうだ。この明治という新しい世界観を受け入れるのにオレ自身、相当な時間がかかったことになる。とすれば当時まさに維新を体験した人はこの変革に相当なストレスを感じたかもしれないし、あるいは田舎あたりだと実際ついていくこと自体を放棄していたのかもしれない。ともあれ「坂の上の雲」から先の日本を、歴史として知りたいと思った34の冬であった。
2006.12.08
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人は死ぬ。竜馬も死ななければならない。主題は、いま尽きた。その死をくわしく語ることは、もはや主題のそとである。というような名文ではじまり、事実だけ淡々と述べられる竜馬暗殺のシーンは非常にせつなくて何度読んでも泣ける。通しで3度目の今回は電車の中でその場面をむかえたからさすがに涙を流すわけにはいかなかったけれども、もし酒を飲んでたらヤバかった。「風雲 幕末伝」という大好きなゲームがあって、主人公は倒幕派か佐幕派かになって人を斬りまくるという内容なんだけれども、これが司馬遼太郎の原作をコピーしている。その中でも、ゲーム中に坂本竜馬と出会うか倒すかするとゲットできる特典映像の中に竜馬暗殺のシーンがあって、藤吉が軍鶏を買ってくるところとか、近江屋の階下が騒がしいことに対して竜馬が「ほたえな」というところとかも含めて、小説のイメージをほぼ完璧に再現している。これでも泣ける。ついでながら言うと、竜馬を暗殺したとされている佐々木唯三郎が最後の敵として出てくるのだけれども、そいつと戦うときにはものすごく燃えるし、ついでついでにいうと、高杉晋作が死ぬシーンでは、時世の句「おもしろきこともなき世におもしろく」の他にも、「三全世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」の都都逸も繰り広げられていて盛りだくさんなので幕末好きの方はぜひお試しあれ。1ヶ月とちょっとかかって「竜馬がゆく」を今日読み終えた。3度目も面白かった。忘れたころにまた読むかもしれない。でも誤解されると困るのは、坂本竜馬が一番大好きで、他をさしおいて尊敬すべきと思ってるとかそういうことではない。たしかに愛すべきひとがらだし仕事は一流だし見習うべきところは多い。ヒーローとしての竜馬は大好きである。でもそれはこの小説があってこそそう思える。坂本竜馬が好きかどうかというよりも、この小説が好きなんだろうなとは思う。というところからすれば、佐幕派かそれとも倒幕派か、なんていうのも実はどちらでもよくて、新選組の土方歳三もカッコいいし、オレ自身ドッチ派と名言したことはないし、考えれば考えるほどどちらにも属したくない。歴史上の人物で誰が好きかということについても、もうほとんど答えられないほどわけがわからない。たとえば「織田信長が好き」と言ってしまったとする。すると周囲は「ああ信長ね」とわかったような顔になる。世間には「信長が好きなヤツはこんな性格だ」のような共通認識があるらしく、それはほとんど血液型占いのように浸透している。わかりやすい型にはめて、パターン化して性格を分類するのは、余興としては楽しいかもしれない。しかしそれでホントに誰かのことをわかったような気になってしまうのは間違っている。とか言ってるオレも血液型占いは気になるし、人をよく「バカか、そうでないか」という見方で分類してしまう。一方では型にはめた見方はよくないと思っていながら、もう一方ではきちっと型にはめて人を見てしまう自分がいる。このことだけをとってみても人とは一枚岩でないということがわかるし、今まさに自分自身のことを語っているのに、「人とは」などと大げさに一般化してしまっている。「一般」や「常識」ということもまたひとつの型でもある。幕末にあって竜馬はただひとり「型やぶり」だった、ということを竜馬がゆくのあとがきで作者が語っていた。幕末の型やぶりは百年経って、坂本竜馬型という型になった。小説が出て広く親しまれてから数十年、その型も古ぼけてほとんど陳腐化してしまっている。歴史上の誰それが好きと言ってしまうことは、自らが古い型にはまり込もうとする後ろ向きの行為だから抵抗があるのかもしれない。過去の人を尊敬して近づこうとしても過去の人と同じところにしかたどり着かない。竜馬はつねに前を向いていて、誰もたどり着かないところにたどりついた。そこだけは見習わなくてはならないと思うのである。と、なんとなくまとめてしまおうとしているあたり、まだまだ小さい。
2006.12.04
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