本日(8月29日)は西大寺別院・体性院にある叡尊墓と奈良坂・般若寺の手前にある北山十八間戸を銀輪散歩して参りましたので、久々のブログ記事アップであります。
従来、ブログ掲載写真はフォト蔵に登録し、これをブログ記事に貼り付けるということをして居りましたが、今回から直接PCからのアップとしました。フォト蔵の度々のトラブルに嫌気がさしての変更です。ただ、過去のブログ写真はここ数年全てフォト蔵に登録してそのアルバム管理をしている関係で、フォト蔵への写真登録は今後共継続する予定ではあります。
まだ、直接のアップは、写真をダウンサイジングしなければならないなどの面倒もあって、長らくこのやり方をしていなかったもので、些か不慣れと言うか勝手が違って、少し戸惑って居ります。では、本論に入ります。
今回、叡尊の墓を訪ねようと思い立ったのは、先月28日に生駒市の竹林寺にある忍性墓を訪ねたことによるものです。忍性さんは叡尊さんの弟子ですから、そのお師匠さんのお墓にもご挨拶申し上げるべきかと思った次第(笑)。
<参考> 竹林寺・行基墓&忍性墓
2017.7.29.
もっと、早くに訪ねる心算でしたが、トレンクルの入院治療やヤカモチのギックリ腰など、色々の差し障りが生じて、今日になってしまったのでありました。トレンクルを持って、近鉄西大寺駅下車。駅南口でトレンクルを組立て、銀輪散歩出発であります。
さて、叡尊墓のある体性院は西大寺の北側の道を西に数百メートル行くとある。途中に小さな神社があった。野神神社とある。

(野神神社)特大サイズ画面は コチラ
境内を見て道路側へ戻って来るとジョギングの途中であるか、小生の方に向いて立っている男性と顔が合う。年齢は小生よりもかなり上のように見えたが、実年齢は定かではない。「顔が合った」と言ったが、上の写真で言うと、小生は社殿を背にこちらを向いて真っ直ぐに歩いて来る、道路側の男性は階段の下、中央に立って、社殿の方を向いているのだから、これは嫌でも顔が合うというものである。こういう場合声を掛けないのは気づまりであるから、「こんにちは、ジョッギングですか。」と話しかける。少しばかり立ち話。別院がこの先にあるがもう行かれたか、と男性。いえ、これから行くところです、と小生。
少し行くと小さな公園があった。野神緑地公園である。この公園に沿って坂道を上ると直ぐに目指す体性院である。

(野神緑地・鋳物師池跡)特大サイズ画面は コチラ
この地は奈良時代の鋳物工房跡が発掘されたとのこと。西大寺の草創時に係る金銅四天王像がこの地で鋳造されたという言い伝えがあるらしい。

(同上)特大サイズ画面は コチラ

(西大寺別院・体性院)特大サイズ画面は コチラ
西大寺別院・体性院に到着。 小さなお堂が二棟あるばかりで、アトは墓石があるのみ。その所為でか、それほど広くもない境内であるが、広々とした感じがあって何やらすがしき気分である。ひと際大きいこの五輪塔が叡尊の墓であろう。

(同上・叡尊墓) 特大サイズ画面は コチラ

(同上・境内西側の高みから叡尊墓を望む)特大サイズ画面は コチラ
境内東側にも、叡尊のそれほどには大きくはないが、立派な五輪塔が三基ある。西大寺所縁の高僧のお墓なんだろう。

(境内の南東隅からの眺め)特大サイズ画面は コチラ

(お堂)特大サイズ画面は コチラ
境内西側にも一般のお墓に混じって、立派な五輪塔が三基ありました。

(お堂の西側の墓地)特大サイズ画面は コチラ
<参考> 叡尊
・Wikipedia
体性院から西大寺駅へと引き返す。近鉄線(橿原線)の下を潜って、秋篠川を渡り、平城宮趾公園へ。

(秋篠川)特大サイズ画面は コチラ
平城宮趾公園も久しぶりである。大極殿に挨拶をして行く。現在は回廊と大極殿南門などの復原工事に着手すべしで、その準備中である。傍らに第一次大極殿復原事業情報館がある。建物入口まで行くと、中から案内の男性が「どうぞ、どうぞ。」とドアを開けて招じ入れられてしまった。復原事業の紹介映画が始まるので見て行け、と仰る。

(平城宮趾・大極殿)特大サイズ画面は コチラ
こちらも急ぐ必要は無いので、ならばとお誘いに乗ることとする。丁度、冷房の効いた館内で休憩するのも悪くはない、という訳である。客は我のほか誰とても無かりき、で一人きりで映画を見させていただく。平城宮散策マップなども頂戴するが、行く先は奈良坂の北山十八間戸であるから、此処は単に横切るだけなのでありました。
(同上・内裏の池)

(同上・説明碑)特大サイズ画面は コチラ
平城宮趾から一条通りを東へ。佐保小学校、奈良育英高校の前を通り、500mほど先の聖武天皇陵の前で、一条通りにお別れし、佐保川沿いの細道を行く。しかし、この道は直ぐに佐保川の岸辺から離れてしまい、住宅街の中をジグザグに行くこととなったので、一条通りをそのまま東に直進して転害門前で左折という方が近道であったかも知れない。今在家交差点で奈良県庁から北へと延びて来る国道369号に出る。佐保川に架かる石橋を渡り、奈良坂、(旧)奈良少年刑務所、般若寺への坂道へと取り掛かる。

(奈良市水道計量番室)特大サイズ画面は コチラ
直進すると(旧)奈良少年刑務所 であるが、坂の途中、右に入る道、即ち般若寺への道に、確かブロ友のひろみちゃん8021さんがブログで紹介されていた建造物ではなかったかと記憶するが、こんなのがありました。これと向き合ってあるのが三角屋というお好み焼き屋さん。このお好み焼き屋さんの裏手が「史蹟・北山十八間戸」なのである。この三角屋さんが奈良県から委嘱を受けて、施設建物の管理をなさっているのである。本来は、事前に電話で連絡し、三角屋さんの方で他用で手が放せないなどの不都合がなければ、敷地内に入れて貰えるというものであるのだが、駄目元承知で、事前連絡なしで行ってみた。
店はやっている気配ではなかったが表の戸は開いた。「こんにちは」と奥に声を掛けると、女主人と見られるご婦人が出て来られた。「お店は今日は定休日ですか。」と申し上げると、「お昼はやっていないのです。かき氷だったらできるけれど。」と仰る。小生としては、ここで昼食とし、その流れで施設の見学をさせていただこうという魂胆であったので、かき氷でも何でも取っ掛かりができればいいのであるから、「はい、氷をいただきます。」と答える。

(お好み焼き・三角屋 TEL:0742ー22ー2594)特大サイズ画面は コチラ
女主人は広島か岡山か中国地方の訛りがあったので、「こちらの方ではないですね。広島あたりのご出身ですか。」と聞いてみた。「なんで、分かるの?」「いや、言葉に広島方面の訛りがありますから・・」「もう、こちらに来て35年以上になるのに、育った土地の言葉は抜けんのじゃねえ。」とか、叡尊墓を訪ねた後、西大寺から自転車でやって来たことなどを話し、裏の建物を見せていただけるか、と切り出してみた。
「ああ、いいですよ。」と気安く応諾いただけました。原則は、事前に連絡して貰わないと、留守にしていることなどもあるので、と仰っていましたが。
因みに女主人は岡山のご出身とのことでした。従って、吉備郎女さんということになる(笑)。

(北山十八間戸説明板)特大サイズ画面は コチラ
その吉備郎女さんは、建物の鍵を開けながら、今年が忍性生誕800年の年であることや、 映画「忍性 NINNSHO」
の撮影も此処で行われたことなどを説明下さいました。
<参考> 忍性・Wikipedia

(同上・石碑)特大サイズ画面は コチラ
鎌倉時代に、叡尊や忍性らの僧によってハンセン病患者救済事業が既に行われていたというのは凄いことだし、記憶されるべき素晴らしいことである。
<参考> 北山十八間戸・Wikipedia

(同上・敷地内側からの建物外観)特大サイズ画面は コチラ

(同上・建物内部)特大サイズ画面は コチラ


(同上・説明碑)特大サイズ画面は コチラ

(同上・道路側からの建物外観)特大サイズ画面は コチラ
吉備郎女さんにお礼を申し上げて北山十八間戸を後にし、近辺を少し銀輪散歩しましたが、これらについては、ページを改めることとします。( つづく
)
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