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ホームページランキングネット ――――――― ■義経黄金伝説■第60回■最終回 ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ ■ 終章 正治元年(一一九九)、源頼朝、落馬の怪我がもとで死亡と、鎌倉幕府正史「吾妻鏡」には記されている。 印地打ちの石には、鉱山で使われる丹毒が、塗られていて、ゆっくりとした死を頼朝に与えたらしい。 頼朝の死は平家滅亡より、十四年後である。義経の存在が、日本の統一を可能にした。頼朝は、義経のおかげで、追捕師として、日本全国に守護地頭を置くことを可能とした。これが律法の世、貴族の世である日本を、革命においこんだ。黄金大仏の再建は、平安黄金国家の終わりを意味し、新しい征夷大将軍が続いていく。西行法師は文覚に、黄金のありかをつげ、さでに先に運び込んだ黄金を頼朝の名前で、勧進を行った。その代わりに義経をこれ以上追いかける事を約束させたといわれている。 西行の残りの黄金は、結縁衆、山伏たちによって、蝦夷・恵庭岳の山林中に隠されてるという伝説が存在する。宝物を埋めた目印として、笹竜胆の家紋が浮き出る、義経石が配されている。笹竜胆は、西行えにしの藤原北家の家紋である。 当時、満州、東蒙古、華北地方を領有していた、女真族の国は金である。 義行も、母静ともともに吉次の手づるにより、金に渡っていると伝えられた。 義経は、その子、義行とともに、金朝に仕え、功績は抜群で、父子相次いで範車大将軍に任じられたと「金史別伝」にある。文覚は生き残り、鎌倉幕府により再び佐渡に配流された。1199年3月の事である。夢見、明恵は文覚の跡目となり、京都神護寺の事跡をつぐ。この後、承久の変の後北条泰時が、明恵に深く帰依し、「御成敗式目」という法律をつくる。この中に明恵のあるがごとくの思想は反映され、民間の知恵(あるがまま)を、条例化する手助けをした。式目は明治時代まで日本人のこころのよりどころとなる。40年間書き綴られた「夢記」が今に残る。東大寺勧進職は、栄西に受け継がれる。法然は鎌倉仏教を立ち上げていく。鬼一法眼は伝説の人物となった。紀州田仲庄は後、源頼朝の預所となり、高野山との土地争いは解決された。藤原定家編纂の歌集「新古今和歌集」には西行の歌が94首が治められ、入選歌集筆頭である。歌の聖人、西行上人の名は日本の歴史に深く刻まれている。■明治元年(一一六八) 白峯神社(京都)京都市上京区今出川通り飛鳥井に京都市上京区に白峯神宮はある。祭神は崇徳上皇。日本の大魔王といわれている。幼き明治帝の手を外祖父、中山忠能がかしづき、新しく出来た神社に詣でている。「さあ。御君、ご先祖帝さまにお願い申し上げてくだされ。これからの、御帝さまを中心とされる新しき政府に、崇徳様の怨霊がたたらぬように、あたらしき政治をお守りくだるようにお願いつかまつれ。代々、我が家、藤原本家に伝わりし、西行法師殿との約束を使え下させ」幼き帝は、手を合わせ、御願いを、なされた。「崇徳上皇様、お許しくだされ。我が王朝が武士から世辞を取り戻すに700年かかってしまいました。今にいたり、大江広元が縁の2家、島津。毛利両家をもって、武士どもの町、江戸と政庁江戸幕府を倒し、武士どもを根こそぎ退治いたします。この長き屈折したりし日々をお許しくだされ。そして、陰都でございます。平泉王国は、いにしえに滅びました、それゆえ、代わりに江戸を陰都といたします。平将門を祭る神田明神を持って、陰都の守神といたします。が、本来は、崇徳上皇様が祭神でございます。どうぞ、我が王朝が、江戸城をもって皇居といたす事をおゆるしくだされ」御年十六歳の帝は、深く頭をさげた。白峰稜前にある白峰寺木像(白峰大権現)が讃岐から運ばれて来ていた。先帝孝明帝が望み、できなかった事をなしとげている。「今、奥州東北の各藩が、列藩同盟とか申し、昔の蝦夷どものように反乱を起こそうとしております。我が王朝の若い貴族を持って先頭に立ち、荒恵比寿どもをたいらげます」帝は、再び深々と、頭を垂れた。崇徳上皇は、保元の乱の首謀者の一人である、後白河に敗れ、讃岐に流され、そのちでなくなり、白峰山に葬られた。 讃岐は京都の南西の方角、つまり裏鬼門であり、平泉は、京都から見て鬼門にあたる丑寅の方角である。空から荒々しき声が落ちてきて響き渡った。「西行法師よ、長くかかったのう。いつまで朕をまたせたことやら。がしかし、その陰都もいつまでも、安穏とするかや。所詮は、東京幕府、所詮は、荒夷ども街じゃ。朕が情念は、いつしか吹くだすやもしれぬ。見ておれ」(完結)20050215版原稿 (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.02.22
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ホームページランキングネット ――――――― ■義経黄金伝説■第59回(60回次回完結) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ 研究室http://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/ ――――――― 第9章 1198年(建久9年) 鎌倉 ■81199年(建久10年)京都藤原兼実邸藤原兼実は考えていた。我々の家の先祖が、古き名前では中臣の家が、百済から、この国に流れてきて、他の豪族や百済、新羅の貴族とも戦い、この国で一をしめ、仏教とこの国の宗教とも戦い、我々、藤原の貴族がこの国の根幹を押さえていきた。藤原の都を作り、壬申の乱を生き残り。この国を寄生樹のように支配してきたのだ。ここは、我々、藤原の国だ。おそらく、この世界のどこよりも我々の支配体制が優れていよう。天皇家ですらその意味合いがわかるまい。それなのに、後から来て板東に移住しいてきた者どもが、武闘を繰り返し、地位を締めはじめ。天皇家の血を入れた人物を立ててしまいた。氏の長としては、何らかの生き延びる方策をこうじねばならない。「鎌倉」は何かかの方策を討たねばなるまい。源頼朝が、鎌倉源氏が麻呂を裏切ろうと。京都の底知れぬ企みの怖さをしれぬ武者ともを、手に入れよう。法然殿、重源殿、栄西殿とも話あわねばなるまい。むろん、麻呂の弟、慈円も。そうじゃ。慈円なら我々藤原の名跡をたたえ我々の役割を言葉として残してくれよう。この京都の比叡山から、次々と宗教という矢を打ち込み、鎌倉武士ともの心をうちつらぬこうぞ。いままでの後白河法皇という重石が、麻呂の頭からさっても、、いや、なつかしい思いがつのる。いきておわした間はにくらしげであったが、今は、法皇様がうたれた、打ち手の見事さが、麻呂の身にしみる。さいわい、西行が打ち立ててくれた「しきしま道」が日本全土を多い、我々の守りとなろう。和歌により言霊による日本全土の守り。その和歌の言葉が悪霊から我々を守りってくだるだろう。和歌により神と仏を日本各地でたたえる。それも歌枕によりわれわれ貴族や僧侶が、恐るべきは崇徳上皇様のたたりのみ。西行ですら失敗してしまいいた。永く後生我々のおそれとなろう。兼実は、藤原氏の氏の長者(うじのちょうじゃ)として、藤原氏のしての鎌倉攻撃かための決意をしている。■4 1199年(建久10年)京都京都。神護寺の境内。鎌倉から生き延びて京都に帰っている僧がいる。文覚は涙を流しながら、二mはある巨木の切れ端に向かっている。その力技は普通ではない。刃の聖そのものである。その姿勢の恐ろしさが、「天下落居」の今となっては時代遅れの歓をいなめまい。額に汗し、顔を赤らめ、ひたすら巨木に打ち込み刃を振るう文覚は、人間ではないような感じさえ思わせるのだ。赤銅色のその力強い腕からは、ある人物の姿がだんだんとこの木片から浮かびびあがったくる。夢見、今は明恵(みょうえ)と呼ばれる弟子が文覚にたづねる。「お師匠様、それはもしや、」「いうまでもない。西行の像じゃ。」「でも、お師匠様、この世ではお話が通じなかったのではございませんか」「夢見よ、ワシと西行は同じ乱世を生きた、いわば戦友、同士じゃ」鬼の文覚から一筋に涙が、、「これは汗ぞ。夢見よ。奴の思い出にのう」「、、、」「が、夢見よ、負けたのはやはりわしじゃろう」「それはいかなる故にでございますか」「わしと西行は、北面の武士ぼ同僚じゃった」「たしか、相国平清盛さまも」「そうじゃ、が、この後世の日本で一番名前が残るは、残念ながら、西行かもしれん」「西行様が、」「そうじゃ、ワシが忌み嫌った「しきしま道」をあやつは完成させよった。和歌によりこの国日本の風土あらゆる者に神と仏があると思わせ崇拝させる道をあやつは完成させ、その道を伝えるものを数多く残したのじゃ。歌の聖人として、西行の名前は、永遠不滅であろう。日本古来の神道と仏教を、和歌と手法を使い一体化させよった。これは、さすがの、重源も気づかなかったことじゃ」「でも。お師匠様、よろしいではございませんか。この世が平和になるのでございすから」「夢見よ、お主も、西行の毒にはまったか」文覚は苦笑した。「わしはな、まだまだ西行への甘い考え方には不服じゃ。奴は策士ぞ」「といいますと」「西行が、義経という玉を、旧い日本である奥州に送り込み、頼朝に日本統一をさせよった。西行は、後白河法王の命とは故、日本統一よ、宗教統一の2つを完成させよったのじゃ。これは、珠子さまの願いにもかなう。後白河さまは、白拍子などとつうじ、今までの日本の文化をまとめ、武士にたいする日本文化の根元流派を、藤原氏をはじめとする貴族に残したのじゃ」文覚は、夢見にさとすように言った。「むかしナ。わが王朝は、東大寺の黄金大仏を作り上げた。これは、唐にも天竺にも新羅にもない大事業であり、我が王朝の誇りとなった征夷大将軍、坂上田村麻呂が、黄金を生む異郷である、蝦夷を征服した。そして、」「そして、平安京を桓武帝がおつくりなられ、我が王朝の平安なる時を希望されたわけですね」「武者である平家が、黄金大仏を焼き、新たなる黄金大仏を、黄金国家である我が王朝は再建せざるを得ない。が、黄金は平泉奥州王国が握っておった」「で、新たなる征夷大将軍の出番というわけですか」「そうじゃ、黄金郷であり仏教王国である平泉を、何かの理由で成敗し、新たなる征夷大将軍として、再び黄金大仏を作りあげなけらば、ならぬ」「源頼朝様が、異国奥州平泉を成敗し、黄金を手に入れ、黄金の大仏を、平安国家の象徴としてつくり上げねばならなかった」「そうじゃ、お主も、ワシも、色々な国々から移住してきた我らが祖先が、1つの国の象徴として存在した黄金大仏を再建し、新たなる時代の幕開けをつげなければならなかったのじゃ」「お師匠様、でも、もう日本は仏教国でございます」「くく、それよそれ。西行は、歌の形で、奥州藤原氏の仏教王国の考え方を、日本に広げていきよった、くやしいが、わしは、西行にかなわなんだ」夢見、明恵は、しかし心のなかで少しほほえんでいる。(でもお師匠様、でも少しお忘れです。ー紀州熊野を納めしもの、日本をおさめんー熊野を治めるどこかの国から来た人間の子孫が、この日本を治めるのですよ。)紀州湯浅氏出身の夢身は、ほほえんで、西行の彫像ができあがるのを眺めていた。(続く)(次回完結) (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ 研究室http://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/
2005.02.20
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ホームページランキングネット ――――――― ■義経黄金伝説■第58回(60回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ 研究室http://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/――――――― 第9章 1198年(建久9年) 鎌倉 ■7 1198年(建久9年)鎌倉/大江広元屋敷「ふう、危ういところであった、文覚が鬼一を処分してくれたとしては」 広元は呟く。が、広元は疑心に捕らわれる。 いかん、もし、、、「よいか、至急に牢を見て参れ」と雑色に命ずる。「義行殿、おられませぬ」 雑色が顔色を変えて報告した。「何と…、そうか、あの禅師めが」 広元は、禅師の控え部屋にいく。「禅師、お主、義行を逃がしたな」声高かに叫ぶ広本に対して禅師は、ゆっくりとお茶をたしなんでいる。ふくいくたるお茶の香りが禅師のいる部屋にたちこめている。「広元様、どうかお許しください。あの者、最初からこの世には存在せぬものです」「禅師、お前、静と連絡をとっていたのか。静はまだ生きていると聞く。あの義行を静の元に走らせたのか」 広元は、ある事にはたと気づく。苦笑しながら言う。「そうか、禅師、お主、西行に惚れておったのか。それを見抜けなんだのは、俺が不覚。西行が黄金である義行を逃しよったか。くくっ、まあ、良い。いずれは、静のところに向かうであろう」広元は憎々しげな表情で、禅師を見つめる。禅師は、まさか広元が静の居場所を知っているとは、思っている。恐るべき情報能力を持つ男だった。広元は付け加えた。「よいか、禅師。もし何かことがあれば、お主もろとも滅ぼす。無論、京都大原にいる静もじゃ」 脅しの言葉であった。が、禅師も負けてはいない。「が、広元様。お前様もこのままでは済みませぬぞ」「何だと」「頼朝様の暗殺を知っておられたこと、鎌倉腰越にて書状に認めてございます」「何という書状を…、嘘じゃ」「が、政子様は信じますまい。いや、本当のことをご存じでも、その書状を利用し、京都から来た男であるあなたを鎌倉政権の座から引きずり落とすでしょう」「むむっ、お前。この俺を裏切りおるか」 広元は憤怒の形相で、禅師ににじり寄った。「ふふっ、これでも禅師は、この源平の争いの仲を生き残ってきた者でございます。裏の手、裏の手を考えておらねば、生き残ってはこられませぬ。そこは私、禅師の方が広元様より、一枚も二枚も上手ということでございましょう」 広元を見返す禅師のまなじりには力がこもっていた。おまけに義行は、禅師の孫なのだ。今の今まで生きながらえて、この官僚あがりの田舎貴族と対峙して、勝てなければどうしよう。経験の量が違うのだった。「うむっ…」 広元も押し黙ってしまう。ここは禅師を怒らせぬ方がよいかもしれぬ。所詮は女だ。変に怒らせて、今までの広元の苦労を水泡に帰すこともあるまい。「大江様、大江様はこの鎌倉殿の政庁を作り。歴史書に御名前が載りましょう。がしかし、大江広元様ではなく、中原広元様にかも知れませんね」「禅師、お前何を企むか」「いや、お隠しめされるな。先年なくらられし西行様も、同じことをされました」「‥‥」「西行様も、佐藤家の本筋ではございませんでした。佐藤家は源平の戦い、屋島の戦で、滅んでおります。それゆえ、西行様も佐藤家御本流として、後の歴史にのこられるでしょう。これは広元様も同じことをされる機会でございましょう」「禅師、お前は、、」「いや、皆まで申されますな。大江様の御母君様は、大江家の出。母方さまの御本流をのってるおつもりではございませんでしたか。中原の名前を隠し、大江の本流の方々をすべて死においやり、大江広元の名前は、歴史にのこりましょうぞ。さすれば、名高き学者、大江匡房の曾孫としてはづかしき事無く明法博士の御名前を朝廷からいただけましょう。これでも禅師には、つてがございます」大江はしばしの間、頭を垂れていた。が、ゆっくりと顔を禅師に向ける。「、、で、禅師、そのお方とは、、」禅師は、広元もまた、京都のためにからめとった。「わかった禅師。このこと不問にしよう」「では、義行様のことはいかが記録されます」「事件とはかかわりあいのない雑色だということにしよう」「それを聞いて安心いたしましたそれでは、京都からこられる僧のことよろしくお願いいたします」京都から栄西、法然をはじめ、新しい教条をてに、鎌倉武士のために僧侶が送られてくるのだ、その手配方を、大江広元に頼もうというのだ。昔、平家の、赤かむろの束ね者でもあった、磯の禅師は、深く頭をさげた。 (続く)(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ 研究室http://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/
2005.02.18
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■義経黄金伝説■第57回 ホームページランキングネット ――――――― ■義経黄金伝説■第57回(60回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ 研究室http://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/――――――― 第9章 1198年(建久9年) 鎌倉 ■6 1199年(建久10年)鎌倉文覚は、対決の後、しばらくして、広元屋敷の元を訪れている。文覚の頭は朱に染まっている。足取りもおぼつかぬ。鬼一の打撃の後がゆっくりと文覚の体をむしばんでいる。鬼一の八角棒には、やはり丹毒が塗られていた。「大江殿、鬼一方眼はあやめた、これで、あやつかの王国、勢いがなくなろう」文覚は、大江に満足げに言った。「さようか。それは重畳。が、いかがなされた。その傷は」「我のことなぞ、どうでもよい。よいか、広元、義行を逃がせ」「源義行を…、何を言う。気が狂られたか」「よいか、大江広元。私、文覚は、元は武士である。鬼一との約束は守らねばならぬ」 文覚は息も絶え絶えに言うのである。「皆の者、出て参れ。文覚殿、乱心ぞ」大江広元は、屋敷の郎党を呼び寄せる。「くそっ、広元、貴様」 手負いの熊のように文覚は、広元の手の者と打ち合うが、多勢に無勢。おまけにひん死の状態の文覚は打ち取られる。「残念、無念。清盛、西行、お前らが元へ行くぞ」とらえられ、牢につれていかれる文覚がいまわの際に叫んだ。◎文覚は,今は亡き好敵手西行の最期を、思い起こしていた。待賢門院璋子(けんれいもんいんたまこ)は、西行の手を強く握りしめている。待賢門院璋子は後白河法皇の母君である。その臨終の席に西行が呼び寄せられていた。「二人の皇子をお守り下され。西行殿。私の最後の願いでございます」「わかりました、璋子様、この西行の命に変えても」西行は宮廷愛の達人でもあった。この時期日本は宮廷愛の時期である。待賢門院璋子の二人の子供とは、崇徳上皇と後白河上皇である。璋子は鳥羽天皇の間に後白河法皇を生み、鳥羽上皇の祖父である白河法王の間に崇徳上皇をうんだ。白河法皇は璋子にとり愛人であり、義理父であった。いわゆる源平の争いは、璋子を中心にした兄弟けんかから起こった。西行は璋子のために終生、2人の御子を守り事を誓ったのだ。西行は璋子のために、京都朝廷のしくみを守りために、その生涯を捧げた。西行と文覚は、若き頃、恋いにそまりし王家を守る2人の騎士であった。それでは、文覚は、日本の何を守ったのか。自問している。文覚は若き折り、崇徳上皇の騎士であった。上西院の北面の武士である。が、文覚は保元の乱の折り逃げ出している。その折りの事を西行はよく知っているのだ、言葉で攻めていたのだ。西行はいまはのきはに、叫んでいた言葉を思い起こす。「文覚殿よ、天下は源氏におちたと、、思うなよ」「何じゃと」「頼朝殿の義父、北条、平時政殿の手におちるかもしれんな」西行の死に臨んでの予言であった。いにしえ、坂東の新皇と自ら名乗った、平将門(まさかど)の乱平定に力があったのは、藤原秀郷と平員盛である。藤原秀郷の子孫は、奥州藤原氏、西行の家などである。平員盛の子孫が、伊勢平氏と北条氏であった。(続く)(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ 研究室ttp://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/
2005.02.17
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ホームページランキングネット ――――――― ■義経黄金伝説■第56回(60回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ 研究室http://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/――――――― 第9章 1198年(建久9年) 鎌倉 ■5 1199年(建久10年)鎌倉大倉山 都市鎌倉の背後にそびえる大倉山山腹にびょうと風がふいている。 鎌倉の周り北東西3方に山山がとりまき、南は海に開いている。鎌倉は自然の要塞であった。大倉山山頂から頼朝が作りあがた要塞都市の姿がよく見える。文覚はだれにも手出しできぬように、この決闘場を選んでいた。 伊豆からの春嵐がふきすさぶ山頂に鬼が二匹。「鬼一、今度が最後の勝負ぞ。いずれにしろ、お主らが丹毒で、頼朝様、もっても一週間じゃ。お主らを倒しておかねばのう。この鎌倉幕府が持たぬわい」鬼一も構えている。「おおよ、その勝負、受けたぞ、文覚。俺も京都一条の鬼一法眼。あとくされない勝負じゃ。これで引き下がったとあっては、俺の名折れよ」二人の体に、伊豆からくる少し早い春風が、吹き巻いている。が人の気配のない大蔵山の山頂に、二人とも八角棒を手にして微動だにしない。「それに鬼一、安心せよ。儂は西行殿と9年前に約束しておる。勝っても負けても、義行の命は安全よ」「それを聞いて安心した。お主も闇法師の端くれであったか。約束は守るのか」「当たり前よ。ましてや、西行殿の今際の際の言葉じゃ」「いざや、まいる」とどちらからともなく打ちかかっている。激しい打撃音が、大倉山全体に響く。山に住む野生の動物たちが勢いで逃げ出してくる。「よいか、鬼一。お前たち、山の民どもの住む所など、もうこの世には存在せぬ」激する文覚が声高に叫んでいた。「頼朝ばらに、我々の王国など支配できるものか。いあや、支配させるものか」鬼一が、鋭い文覚の八角棒の一檄を受けて叫ぶ。 鬼一の言う王国とは、京都大和王朝が成立しても、なお連綿と続いている、前の王朝、葛城王朝の流れを汲む『山の民の王国』である。歴代の京都朝廷も彼らの見えざる王国を認め、協力者としていたのだ。それを文覚は無くなると言うのだ。「よいか、頼朝殿が、征夷大将軍となり、十年前に奥州平泉王国を滅ぼした今、我々武家の世の中よ。日本は頼朝殿によって統一された。支配するのは鎌倉将軍。また山々、山山林のすみずみまで、鎌倉から守護、地頭をつかわし、網の目のように日本全土に支配を巡らせる。お前たち、山伏を始め、山の民の住む所なぞないわ。義経が逃げた場所などもうなくなる」「くそっ、ゆうな。文覚、それであるからこそ、お主ら倒さねばならぬ。お主は鎌倉を代表する攻撃勢力。我々自由民のためにな」「無駄よ。京都朝廷を頼朝殿がおさえれば、『山の民の王国』など認めるものか」「清盛殿、西行殿、後白河法皇様。皆、我らが味方であったぞ」「それも終わりぞ。義経も、もう日本には帰ってこれぬぞ」文覚の言葉に鬼一はたじろく、(なぜそれを知っている)「貴様、なぜ、それを」「ふふっ、金に逃れるところを、儂が、のがしてやったのだ。鞍馬寺の宝、坂上田村麿呂公の刀と引き換えにな」「くそ、これが最後の一撃…」鬼一は、渾身の力を込めて、文覚に打ちかかっていた。八角棒はぱしりと折れ、鬼一の棒が、文覚の頭蓋を、天頂を打ちすえている。一瞬、時の流れがとまる。二人の体は止まっている。風も一瞬凪いだ。急にゆるやかな太陽の光が、雲間からふたりの体を照らした。 が、折れた八角棒の先を、文覚は鬼一の胸板を貫いている。 相打ちである。 血のにおいがただよっている。しかし鬼一の方が致命傷となる。足下に体液の流れが、大地をすこしづつ赤黒く染めていく。「くっつ文覚、どうやら、我々の時代は終わったのう」苦しげに、鬼一は呻く。血が口からしたたり落ちてくる。 しばらくして文覚が告げる。「鬼一、よい勝負じゃった。それに約束だけは守ってやろう」「約束じゃと」血みどろの鬼一の疑問の顔が、文覚に向いた。「義行殿を逃がすことじゃ」相対する文覚の顔と体も、すでに血にまみれている。「有り難い、文覚殿。その事恩にきる。ぐう」ひとこと発し、鬼一の体がゆっくりと大地に沈んでいく。 血の気が失せていく鬼一の体に、文覚は片手拝みをする。 「鬼一殿のお仲間の方々、後はお願い申す」 まわりの気配に対し、文覚は大音声でさけぶ。折れた八角棒を杖として、頭から血を流しながら、文覚は鬼一の体を残しそこを去って行く。文覚は山道で立ち止まり、振り向く。目には血が流れ込んでいる。「鬼一殿、さらばじゃ」 文覚の姿が消えた後、山伏の群れ結縁衆、印字打ちの群が現れていた。 数人が鬼一方眼の遺骸を取り囲む。 「後を追うか」一人が叫ぶ。 「無駄じゃ、あのおとこには」 刃の鬼聖、文覚の名前は紀州にも響いている、文覚は日本各地の山伏の生地で荒行をくり開けしていた。 「頭の最後の命令にしたがおう」 「それより、我々はな、、西行法師殿の伝説を、この世に広めねばなるまいそれが、われら、後に残りしものが役目ぞ」鬼一方眼の義理の弟、淡海が、強くいう、が、目じりが光っていた。(続く)(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ 研究室http://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/
2005.02.16
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ホームページランキングネット ――――――― ■義経黄金伝説■第55回(60回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ 研究室http://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/――――――― 第9章 1198年(建久9年) 鎌倉 ■4 1199年(建久10年)鎌倉 頼朝近辺を護衛する武士の一人が、鎌倉政庁にいる大江広元に告げた。「頼朝様が、傷つき,かつぎこまれました」「何、よし、落馬されてけがをおわれたとせよ。この事、他の者に他言無用としろ」「怪しげなる童…だと」大江広元は、体をこわばらせた。「大殿様の馬の側にうろついておりましたところ、捕まえてございます」「よし、そやつの顔を見てみよう。私の前に引きだせい」 やがて、広元の前に、見目麗しい少年が引き出されていた。その少年の顔を一目見た一瞬、汗が吹き出てきた。広元は、その少年が誰であるかを、しっていた。 一三年前、1186年、鎌倉稲村が崎で、自分がすり替えて助けた童子。静と義経の子供。 この少年が取り調べた際、自分の身元をしゃべり出すようなことがあれば、類は自分にも及ぼう。この少年の処理、素早くせねばなるまい。広元の額にはうっすら汗が浮かんでくる。「この罪人、牢獄へ引き立てい」 広元は、その後、磯禅師を別室に密かに呼んでいる。「お前の孫が、生きておったな」 雑色たちを所払いにし、開口一番に広元は言った。「私の孫ですと。何をおっしゃいます」 禅師は慌て、そして顔色を変えている。 まさか頼朝の暗殺者が、あの静の子供だとは。禅師には思いもよらぬ展開だった。 京都からもそのようなことは聞いていなかった。「まさか、何かの間違いでございましょう」 広元は、この暗殺者が義経と静の子供であるとわかると、自らの立場が悪くなることに無論気がついていた。お互いの眼が合う。おおよそ、広元と禅尼の利益は合致した。これは一つ、あの童を密かに殺してしまうか。その考えている瞬時、巨大な動物が、奥座敷の戸板を打ち破り、二人の前に現れていた。「うわっつ」二人は何が起こったか一瞬わからない。「頼朝殿を殺したは、お主らか!。え、広元、禅師、お主らが企みよったか」 憤怒の様相の文覚であった。もはや、全身が、怒りの塊と化している。「よいか、広元。覚えておけ。お主ら、貧乏貴族が支配する日本のために、頼朝殿に俺が命を掛けた訳ではないわ。この日の本を、すばらしい仏教王国にするため、民が住みやすい国にするために、この文覚は頼朝殿に掛けたのじゃ」 憤怒の不動明王像のように見える文覚。その文覚に対して、広元は真っ青にり、一言もしゃべりはしない。禅師も部屋の隅に蹲っている。「広元、決して、義行殿を殺してはならぬぞ」意外なことを文覚は言った。「義行殿を囮に、鬼一法眼を、大倉山山頂に呼び寄せ、最後の勝負を挑む。ただし手出し無用。儂と鬼一で勝負を決める」(続く)(C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ 研究室http://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/
2005.02.15
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ホームページランキングネット ――――――― ■義経黄金伝説■第54回(60回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ 研究室http://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/ 第9章 1199年(正治元年) 鎌倉 3 1199年(正治元年) 鎌倉 鎌倉の朝。1199年(正治元年)1月13日 鎌倉街道の地面に落ちた霜が太陽を受けて、湯気をあげている。気おもいで気分のすぐれぬ頼朝は、単騎でゆっくりと動いて来る。大姫の死が、頼朝のこころを責めさいなんでいる。鎌倉街道の要所、相模川の橋の完成式の帰りであった。この時のお共には、広元は最初から参加していない。頼朝は馬に乗り、見知らぬ道を通っていた。ふと、回りを見ると、いつもはいるはずの郎党共の姿が見えない。おまけに辺りにはうっすらと霧が出てきたようである。「これは面妖な…、ここはどこじゃ…」きづくと霧の真ん中に頼朝が一人。 頼朝は、ひとりごちた。道の向こうに人影がぼんやりと見えている。「おお、あそこに人がおる。道を尋ねよう」頼朝はそちらに馬を進めた。 すでに鬼一法眼の術中に嵌まっていることに、頼朝は気付いていない。鬼一得意のの幻術である。 この時、頼朝の郎党の方は、大殿の行方を捜し回っている。が、みつからぬ。二股道の一方を頼朝が通ったあと、鬼一の手の者が偽装したのだ。頼朝は、郎党から切り話されて霧ふかき見知らぬ森の中にいる。護衛から全く切り離され、一人きりなのである。頼朝を乗せた馬は、一歩一歩と、その人影に近づいて行く。 どうやら、若い女性のようだ。旅装で網代笠を被っている。頼朝は馬上から尋ねた。女の体つきに、へんに見覚えがあった。「これ、そこなる女、ここはどこじゃ。そして、鎌倉までの道を教えてはくれぬか」 女はくぐもった小声で答える。「頼朝殿、鎌倉へお帰りのつもりか。もう鎌倉はござらぬぞ。お前様は帰るところがないのじゃ」頼朝は奇異に感じた。「何を言う、貴様、妖怪か」 叫ぶが早いか、頼朝は、女の網代笠を馬の鞭で跳ね飛ばした。瞬間の霧の中から、ごおーっという音が起こっている。おお、これは…、幻影か。頼朝の目の前に炎上する都市の姿が見えていた。霧の仲にくっきりとその映像が見えるのだ。頼朝は、平泉のことを思い出しているのかと一瞬思う。う、これは、なんとした事じゃ。が、よく見ると、そこは鎌倉なのだ。「何ということじゃ。儂の鎌倉が燃えている。どういう訳じゃ」自分が手塩にかけた愛しき町が燃え上がっている。鎌倉という町は、頼朝にとっていわば、自分の記念碑である。「き、貴様」女の顔を見る。「うわっ、お前は大姫」 四年前に奈良でなくなったはずの愛娘、大姫の姿がそこにあった。大姫は頼朝の方へ両手を伸ばした。顔はて暗がりではっきりとは見えないのだ。「さあ、父上、私と一緒に極楽浄土へ参りましょう」 大姫が指さす方は、燃え上がる鎌倉である。「あの中へじゃと」 その炎上の中にいる人々の姿がはっきりと見えていた。平氏、奥州・藤原氏の武者、そして源氏の武者、おまけに義経の姿もある。今までの頼朝の人生で手にかけてきた人物たちである。「さあ、父上の親しい皆様が、ほれ、あのようにあちらから呼んでおいでじゃ。さあ、父上、はよう」 頼朝はゆっくりと馬から降りて、ふらふらとそちらの方へ歩んでいる。 突然、石つぶてが、頼朝の体といわず頭といわず降り注いできた。「ぐっ」 頼朝は、頭に直撃を受け倒れ、気を失う。淡海の部下が数名、投弾帯や投弾丈をもちいて、ねらいたがわず、頼朝に命中させていた。投弾帯は、投石ひもともいわれ石弾をはさむ一本のひもで、石弾をはさみ下手投げでなげる。時速八〇キロの速度はでた。 頼朝はしばらくして気付いた。が、目の前はまだ霧の森の中である。「い、今までのことは夢であったか」頼朝は叫んでいる。 人影がある。大姫の姿があった。「お、大姫。助け起こしてくれい」 今は亡き大姫の名前を呼ぶ。しかし、大姫は反応しない。「儂が悪かった。許してくれい。お前の幸せを考えず、志水冠者殿を殺してしまったのは、俺の不覚じゃ。許せい」志水冠者は、頼朝が殺した大姫のいいなづけ、木曽義仲の息子である。 大姫の姿がするすると、頼朝のところへ近づいて来る。「本当に、そうお思いですか」顔をよせてきた。「そうじゃ」頼朝は、大姫の顔を仰ぎ見た。 いった瞬間、大姫の服が弾き飛ばされている。 そこには、うって変わって、りりしい若い武者が立っている。「お、お前は何者じゃ」大地をころびながら頼朝が叫んでいた。「源義経が遺子、義行にございます」 頼朝は、驚き、その人物の顔をしかと観察する。「まてまて、お前は義経が子か」「そうでございます」 義行は、頼朝に対して刀を構えている。しかし目には不思議に憎しみはないのだ。頼朝に対する哀れみが見える。 この男は…、本来ならばおじになる。が、我が父を葬った男。鬼一から話を聞き日々の憎しみを増幅させ、この計画を練ったのだ。しかし、実際に、頼朝と対峙してみる、と、悪辣なる敵のイメージとあまりにもかけはなれている。頼朝には一種独特の凄みがありながら、その体から悲しみを感じるのだ。愛娘を死なした絶望が見える。頼朝の人生は多くの人々の亡骸から気づかれている。悲しい人生かも知れぬ。おのの存在、源氏の長者として大きくみせなければならなかった。いままで、源氏のだれもが、望み得なかった高見に頼朝はいるのだ。が、この悲しみの原因は何のか。そして、義行を哀れみの情で見ているのだ。驚いたことに頼朝は、涙を流しているではないか。義行は思わずたじろぐ。「義行殿、不憫よのう、お主は、我が父、義経が、北へ逃れ、蝦夷の王、いや、山丹の王になっておるをお主は知らぬのか。私頼朝が、ある人物との約束で許したのじゃ。」 (何をいまさら、血舞いよい事を)その言葉の一瞬、源義行は、頭に血が上り、(この後に及んで、私をたぶらかそうとするのか。やはり叔父上は、見かけではなく、本当に悪人なのかも知れぬ) 義行は、迷うが、怒りをあらわに再び切りかかる。 同時に、木陰から数個の石が雨あられと降り注ぐ。再び狙い過たず、頼朝の体に命中していた。額からは、うっすらと血が滲んでいる。頼朝が再び地に伏す。「蝦夷じゃと、ええい世迷いごとを、、叔父上、 父の敵、覚悟…」 義行が、大声で呼ばわり、大地に倒れている頼朝に走りより、刀で刺そうとした。 突然、じろりと頼朝が、うつむいていた顔を持ち上げ、義行にまなざしを向ける。 不思議な鋭い眼差しであった。空虚(うつろ)。深き絶望が、その眼の中に見えるのだ。「ううっ…」 義行は、振りあげた刀を、叔父の体に振り下ろすことができない。 「うっつ、くそ」 義行は、叫び声をあげ、いたたまれなくなり、急に後を振り向き、霧の深い森の外に走り出した。 義行の体がおこりのように、体がぶるっと震えた。(なぜじゃ、なぜ俺は、この父の敵の叔父上を打てぬのか。それに父が、、義経が蝦夷、山丹の王だと、聞いていない。鬼一はそれを知っていたのか)疑問が渦を巻く。「くそっ」義行は、途中で思わず路傍に、武士の魂、刀を投げだすように捨てた、一目さんで逃げ出している。倒れている頼朝の側に、霧の中からのそりと僧服の大男が現れていた。「頼朝様、ごぶじか」「おお、文覚、助けに来てくれたか」「鬼一、ひさしぶりじゃのう。お主の計画、俺が止めてやるわ」霧の中に向かって文覚がしゃべっている。森の中の霧が、ゆっくりと薄らいできた。霧の中から、同じような格好をした鬼一が、背後に人数を侍らしながら現れている。「くそっ、文覚め。よいところで、邪魔をしおって。じゃが、いい機会じゃ。西行殿の敵、ここで討たせてもらうぞ」鬼一も言葉を返す。「ふふう、逆に返り討ちにしてくれるわ」「まて、まて」 二人は構えようとしたが、騒ぎを聞き付けて、ようやく頼朝の郎党が、刀を構えて走ってくる。「勝負は後でだ、文覚」鬼一は走り去る。「わかりもうした」文覚は、逃げていく鬼一の集団にむかい叫ぶ。「頼朝殿、しっかりされよ」 文覚は、頼朝の体を揺さぶり抱き起こした。気を取り戻す。「傷は浅手でございますぞ」「文覚、今儂は、義経の子供にあつたぞ」「おきを確かに」 文覚は、あたりに転がっている頼朝を倒した石を調べてみる。石の表面がわずかに濡れている。何かの染料か。文覚は石の先を木の枝で少し触り、その匂いを嗅いでみる。「くそ、鬼一め、丹毒を塗っておる。いずれは吉次か、手下の鋳物師から、手に入れよったか」「はよう、おおとのを、屋敷に」文覚はあわてた、(この時期に頼朝殿をうしなうとは、鎌倉の痛手となる。ましてやこの文覚がそだてた頼朝殿を、日本の統一を手にした頼朝殿を、、この手配は、京都の手のものか。ゆるさじ。)(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/研究室http://plaza.rakuten.co.jp/yamadahakase/
2005.02.13
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ホームページランキングネット ――――――― ■義経黄金伝説■第53回(60回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第9章 1199年(正治2年) 鎌倉2 1199年(正治2年) 鎌倉「広元様、この鎌倉の政権を取りたくはございませぬか」磯禅師が告げた。鎌倉広元の屋敷である。幕府成立後七年がすぎている、静の舞からも十三年がすぎている。大江広元が京都から鎌倉に来て十六年が過ぎ去っている。「何を言うか。この鎌倉には、頼朝様が、征夷大将軍に任務じられてとしておられる」「が、広元様、この鎌倉幕府の仕組みを考えられたのは、他ならぬ眼の前におられる広元様ではございませぬか」 広元は世の仕組みを作る、言わばフレームワークを行っていた。また法律という国の根本を考えだし、関東の武士たちに一定の秩序を与えたのは、頼朝ではなく、すべてこの広元の「さいづち頭」から出ていた。つまり、広元が鎌倉幕府の全システムを考え出していたのである。「広元様は、元はと言えば京都の公家でございましょう。京都にも知り合いが多くございましょう」「無論じゃ」「で、お知り合いの方々を、この鎌倉の要所要所につけなされい」「禅師、、、お主は、この鎌倉を、京都化しようというのか」「その通りでございます。これは法皇様も、関白様も認めておられること」「……」 広元は、頭の中に新しき血を巡らせていた。「よろしゅうございますか。源氏の血を将軍職からなくし、京都の公家、いや天皇の血を入れるのです。無論、政事をなさるのは、関東の武士の方がよいと思われます」「具体的には誰だ」「北条氏でございます」「政子様のててご時政、兄上とか…」「そういうことでございます。そうしなければ、この関東の武者どもが黙っておきますまい。まず広元様、北条氏の方々の力を蓄えさせることに力を注がれませ」「ということは、北条以外の有力なる武将をすべて葬れと…」「大江様ほどのお方なら、中国、唐の歴史をご存じでしょう」大江は、禅師の言葉に疑問がうかぶ、こうしゃべらしているのは、京都のだれなのだ。いや、京都の貴族全体かもしれぬ。広元の体に寒気が走った。「無論じゃ、が磯禅師、お前はそのような知識をいずこで」「禅師は、京都の闇の組織に通じております。この闇の組織は公家様の知識を集めたもの、そのくらいお分かりにならない広元様ではございますまい」「で、唐の歴史とは。そうか、そういうことか」広元は、京都にうごめく古来から連綿とつづく恐ろしさを見たような気がした。「さようでございましょう。王朝が変われば国の統一のために手助けした者、武将、ことごとく新しい王のために葬り去られましょう」「が、禅師、俺は武将ではないぞ」「それゆえ、策略を巡りやすいとの考えもありましょうぞ。中国が三国のとき、諸葛孔明の例もございましょう」広元は、考える。いかに禅師といえど、この考えは「禅師、その考え、まさか、後白河法皇様の…」「いえ、滅相もございませぬ。これは京の公家の方々の総意とお考えくださいませ。よろしゅうございますか、広元様。頼朝様の動きを逐一お教えくだされませ。そして、もし機会があれば…」「お主たちが、大殿を殺すという訳か」「さようでございます。さすれば広元殿、鎌倉幕府にてもっと大きな位置を占められましょう」「それが俺にとって、よいかどうか」「よろしゅうございますか。頼朝様亡くなれば幕府は、烏合の衆。広元様が操ることもたやすうございましょう」「所詮、北条政子殿も、親父殿も伊豆の田舎者という訳か」 禅師は、にんまりとうなずいた。(続く) (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.02.12
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ホームページランキングネット ――――――― ■義経黄金伝説■第52回(55回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・(C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第9章 1199年(正治2年) 鎌倉1 1199年(正治2年) 京都・鞍馬山 鞍馬山は、京都市中よりも春の訪れが少しばかり遅い。僧正谷で武術修行にうちこむ二人の姿がつた。老人と十二才くらいの童である。鬼一法眼が手をとめて、義行に話しかけてた。「和子は、このじいを何と思うておられる」「どうした、じいは。いつものじいではないのう」幼い義行にとって、鬼一は年をとった父親のようであった。不思議そうな顔をして、義行は、鬼一の方を見る。「よいか、よく聞いてくだされ。わしも、もう長くは生きられぬ。そのため真実を申し上げる。和子は源義経殿が和子にござます」鬼一法眼は、深々と頭を下げる。びっくりする源義行だった。「この私が、あの義経が子供だと」義経が奥州平泉で襲撃されて十年がすぎている。義行は、義経がことを、日々の勉学に聞き及んではいた。「この俺があなた様のために、亡くなられた西行法師殿より預かっているものがござる。それをお渡ししよう。また和子の存在を知っている者が、京に一人おられた」「おられたと。その方も…」「そうじゃ、七年前にお隠れなられた後白河法皇じゃ。その方の指令がまだ生きておる。頼朝をあやめられよと」「頼朝をあやめると…」「じゃが、よーく聞いてくだされ。源頼朝殿、殺すも自在じゃ。なぜなら、この鬼一法眼、全国に散らばる山伏の組織を握っております。和子を鎌倉に行かせるは自在。が、西行殿、そして義経殿が義行に望んでおったことは、和子が平和な一生を終えられることです。また平和な郷を作られることです。この書状には奥州藤原氏よりの沙金のありか書いてございます。これをどう使われるかは、和子が自由でございます」「鬼一法眼、私はどうすれば…」突然、突き付けられた事実に、義行はたじろいでいる。「どうするかは自分でお決めなされ。自分の生涯は自分で決めるのです。義経殿が滅びたは、自分の一生、自分で決められぬほど、源氏の血の繋がりが強かった。和子はそうではござらぬ。つまりは、和子は世に存在しない方じゃ。自由にお考えなされい」「……」「が、義行さま、西行殿のまことの黄金は、あなたさまじゃ…。それほど大事に思われておったのじゃ…」「……」「じい、決めた。私は父上の仇を討つ」義行は、そう鬼一法眼に告げた。「そのお考え、お変えになりませぬな」 鬼一の眼は、義行の眼を見据えた。義行の眼には、常とは違う恐ろしい別の者が潜んでいる。「武士に二言はない」恐れず義行は答える。「わかりました。が、義行様、先に進めば、二度とこの鞍馬山に帰ることはあいなりませぬぞ」「何…この鞍馬には二度と」「さようでございます。もし、頼朝様を殺すとならば、義行様はこの日本に住むことできますまい。なぜならば、鎌倉が組織、すでに全日本に張り巡らされております。その探索から逃れることなど、絶対不可能」「……」義行は急に黙り込んでしまった。 (西行殿、許されよ。俺はお主との約束を破る。許してくだされい。俺は、義行様が不憫なのじゃ)鬼一はひとりごちた。「なれど、義行様、安心なされませ。義行様をただ一人行かるじいではございません。私の知り合いに、手助けを頼みましょう」 鬼一法眼の屋敷は、京都では一条堀河にあった。義経は、陰陽師でもある鬼一法眼から、兵書「六闘」を授かっていた。 平安時代中期、藤原道長の霊的ボディガードとして有名だったのは、当時最高の陰陽師安倍晴明であったが、彼の子孫は土御門家として存続する。この土御門家に連なる一人が鬼一法眼であった。 鬼一法眼は、自分の屋敷から白河に向かい、あばら家を潜る。 「おお、これは鬼一法眼殿、生きておられたか。伝え聞くところによれば、貴公、奥州に行かれ行方不明と聞いていたが」 のっそり出てきた優男は、京都で名高い印地打ちの大将、淡海である。「淡海殿、お願いがござる」鬼一法眼が頭を下げている。突然の事に、淡海はめんくらう。「これは、これは何を大仰なことを申される。法眼殿は義理の兄ではござらぬか」「いや、ここは兄としてではなく、印地打ちの大将にお願いしている客と思っていただきたい」「俺の、印地打ちの刀を借りたい、、と、、申されるのか」「実は、儂の人生の締めくくりとして、ある人物をあやめていただきたい。といっても、儂は、手助けをお願いするのみだが」「…、したが相手はだれぞ」「鎌倉の頼朝」「むっ…」淡海は唸ったまま、眼を白黒させている。 白河は、別所と呼ばれる。別所とは、別の人が住むところ。昔、大和朝廷が日本を統一したときに、戦った敵方捕虜をそこへ押し込んだのであった。別所は、大原、八瀬など、すべて天皇の命を受けて働く、別働隊の趣があった。しかし、また、武者などの勢力から、声を掛けられれば働くという、傭兵的な要素を持っているのである。 淡海たちは、石つぶての冠者、つまりプロフェッショナルの戦士であった。 石つぶては、当時の合戦に使われている正式な武器だ。「が、鬼一殿。相手が相手だけに、義兄さまの幻術も使ってもらわねば、難しいのではないか」「さよう、頼朝を郎党から一人引き離さねばのう」「どのような塩梅か」「気にするな。我が知識の糸は、鎌倉にも張り巡らしてござる。それも頼朝にかなり近いところだ」「おお、力が入っておるのう」「よいか、義弟殿。この度の戦さは、儂の最後の戦さじゃ。また、あの西行殿の弔い合戦でもある。頼朝を仕留めれば、奥州の沙金の行方を追うこと、諦めるだろう」「それでは、一石二鳥という訳でござるな」「そういうことだ。済まぬが、おの手の方々を、すぐさま東海道を鎌倉に下らせてくださらぬか」「おお、わかり申した。色々な職業、生業に、姿を変え、鎌倉へ向かわしましょうぞ。京都の鎌倉幕府探題の動き、激しいゆえにな。動きをけどられぬようにな」(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.02.10
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ホームページランキングネット ――――――― ■義経黄金伝説■第51回(60回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ -------------------------------------------第8章 一一九〇年(建久元年) 河内国弘川寺 花の下にて我死なむ■4 建久六年(一一九五)三月 奈良東大寺 その夜、奈良興福寺大乗院宿泊所にいる大姫のもとを、尼姿の静が密かに訪れてきた。「どうしたのじゃ、静。その尼の姿は、和子はどうしたのじゃ」 静は出家し、大原寂光院のそばにいおりをいとなんでいる。すべては西行の手配りであった。「和子は、私の手元にはおりません。今でも鎌倉でございます」 静には、わざと子供の行方を聞かされてはいない。「何、鎌倉じゃと。母上は約束を守らなかったのか」「いえ、政子様は、こうおっしゃったのです。子供の命は助けると申した。が、その子供をお前に預けるとは、言ってはおらぬ」「では、和子は…」「生きております。が、義経様に対する備えとして」「人質として、が、義経様は亡くなったのでは」「いえ、まだ、みちのくに生きているという噂、風の便りに聞きました。頼朝様は、その噂が恐いのでございます」大姫はしばらく口を噤んでいる。「いいがなされました。大姫様」「静、お前に会えるのも、これが最後かも知れぬ」「何を心細いことをおおせですか。まさか…」「その、まさかですよ。静、私にはお前のように心から強くはない。父上、母上の顔を立てなければならぬ」「お逃げなされ、大姫様」「私は、もう生きる希望を失っています」「…」「ずっと昔、あの志水冠者殿が、父上の手にかかってからというもの、私は死者なのです」木曽義仲の息子であり、大姫の夫志水冠者は、頼朝の手で殺されていた。1184年元暦元年4月の事でありもう十一年の歳月がすぎていた。十一年の間、大姫はその姿を心にひきづって生きている。「そこまで、もう長くは、私は生きていますまい。静、どうか私の来世を祈っておくれ」「大姫様」 二人の女性は、鎌倉の昔と同じように、両手を握りあわせ、各々の運命の苛酷さを嘆きあうのであった。「政子様、どうぞ内へ入られませ。あのお方がお待ちでございます」 磯禅師は、京都のとある屋敷へと、政子をいざなっていた。「この方が丹後局様、皇室内のこと、すべて取り仕切られております」 無表情というよりも、顔に表情を表さぬ蝋人形のような美女が座っている。流石の政子も思わずたじろぐ。底知れぬ京都の、連綿と続く力を背後に思わせた。丹後局は、白拍子あがりだが、後白河法王の寵愛を受け、京と朝廷に隠然たる勢力をいまでももっている。いわば後白河法王の遺志の後継者である。「これは、はじめてお目見えいたします。私が北条政子、頼朝が妻にございます」 政子は、深々と頭を下げた。目の前にいる女に頭を下げたのではない。あくまでも京都という底力に対してだ。そう、政子は思った。「磯禅師より聞いております。大姫様の入内のこと、すでに手筈は調っております」「え、本当でござりますか」「が、政子殿。大姫様入内の前に、こちら側よりお願いしたき儀がございます」「何でございましょう。私ごときができることでございましょうか」「無論、お出来になる。頼朝様にお力をお貸しいただきたいことがございます」丹後局は少し間を置いた。焦らしているのである。次の言葉が、政子には待ち遠しく思えた。「それは、一体…」 思わず、政子の方から口を切っている。「いえいえ、簡単なことでございます。征夷大将軍の妻たる平政子殿にとってはな」 再び丹後局は黙り込む。京都の朝廷で手練手管を酷使している丹後局である。丹後局は磯の禅師と同じ丹波、宮津の出身だった。交渉力においては、まだ新興勢力である北条政子の及ぶところではない。「摂政、九条兼実殿を、罷免していただきたい」「何をおっしゃいます、兼実殿を…」 九条兼実は、頼朝派の政治家だったのである。 政子がいない間、興福寺大乗院前の猿沢の池で、頼朝と大姫は、舟遊びを楽しもうとしていた。猿沢池の両側に興福寺、反対側に元興寺、両方の五重の塔が威厳を誇っている。興福寺は藤原氏の氏寺。眼光時は、蘇我氏の氏寺である。奈良猿沢の池を中心に奈良平城京ができた折りの政治状態が反映されている。今また新しい新興勢力である鎌倉源氏が、この奈良故京に乗り込んで自らの政治勢力を固持している。かがり火が、こうこうと照らされ、興福寺五重の塔が照り映えている。この船遊びは、気鬱の大姫のために頼朝が考えたのだ。が、池の舟のうえで、「よろしゅうございますか、父上。大姫はもう、この世の人間ではございませぬ」湖の周りには、奈良以来の雅楽が演奏されている。空気はぴんと貼りつめ、篝火の届かぬ空間のその闇は深い。「大姫、狂うたか」 頼朝は、我が娘を別の目で見ている。篝火に照りはれる大姫の顔は尋常ではない。「狂っているのは、父上の方です。私は、私です。お父上の持ち物ではございませぬ」「むむっ、口答えしよって」「私は、いえ私の心は、志水冠者様が、父上によって殺された時から、死んでおります」 大姫は舟の上から、体を乗り出している。 「いとおしき志水冠者様、いまあなたの元に、この大姫は参り増すぞ」 「大姫、何をする」「いえ、父上。お止めくださるな。父上が静の子供を死なしたようにするのでございます」言い終わると、大姫の体は、波の中に飲み込まれていた。「ああ、大姫」 頼朝のかいなは、空をつかむ。 重りをつけた大姫の体は、猿沢池底の闇に深く巻き込まれている。 頼朝の両手は届かなかった。大姫の心にとどかなかったのと同じように。「さあ、お言いなされ、母上。何を大姫様におっしゃったのですか」静は母親磯の禅師を非難している。「この子は、何を急に、言い出すのじゃ。大姫様が、いかがいたした」「母上、私は、幼き頃より、母上の身働きを存じております。それゆえ、この度、大姫様が入水自害をされた…」「何、大姫様が入水自害…」 禅師は驚いた表情をする。呆れ果てたように、静は告げる。「それほど、大姫様が憎うございますか」「何を申す。これは頼朝殿を滅ぼさんがためぞ。お前、義経殿を殺させた、頼朝殿が憎くはないのか」 禅師は厳しい表情をし、声をあらげている。「そ、それは、義経様を…、殺させた頼朝殿は憎うございます。が、大姫様をなぜに殺された」「愛姫じゃからのう。それに京と天皇家に入内せしこと防がねばなりません」「それは、京都の方からの指令でございますか」禅師は答えぬ。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.02.08
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ホームページランキングネット ――――――― ■義経黄金伝説■第50回(55回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ -------------------------------------------第8章 一一九〇年(建久元年) 河内国弘川寺 花の下にて我死なむ■3 建久六年(一一九五)三月 奈良東大寺 法王崩御3年後。すでに頼朝は関白藤原(九条)兼実の手引きにより征夷大将軍の地位を得ていた。後白河法皇御万歳(ごばんさい)三ヶ月後、一一九二年七月十二日。征夷大将軍の位を得て、鎌倉幕府が誕生した。日本始めての武家政権である。東大寺落慶供養は、源頼朝、政子の列席のもと、建久六年(一一九五)三月十二日に行われる事になった。 また、このときが、大姫の京都貴族へのお披露目の時である。重源をリーダーとする勧進聖たちは、立派にその役目を果たし、聖武天皇以来の大仏と大仏殿が再び人々の目の前に姿を表していた。以降、大仏様という建築様式で呼ばれることになる壮麗な南大門の中には、京都仏師に対する南都仏師運慶、快慶の仁王像が力強い時代の到来を告げることになる。 鎌倉幕府の時代、武士の時代の始まりである。貴族の牛車引きたちが、武者たまりでしゃべっていた。「あれが東国武士か。恐ろしげなものよな」「我々とは、人が違う。主も思うだろう」「そうじゃ。あの大雨の中で揺るぎもせず、目をしばたかす、武者鎧をつけて、身じろぎもせず立っておるのじゃ」「頼朝という者を守るためにのう」「やはり、人ではない。動物に近いものじゃ」「あやつらに、荘園が取り上げられて行くのか。悲しいのう。悪鬼のような、仕業じゃ」「いや、あやつら板東武者の力を借りて、貴族は荘園を守るしか仕方があるまいて」 東大寺正門から両側の道に、ずらっと頼朝が武者が立ち並んでいる。南大門、その他の門前にも、東国武士の恐ろしげな顔をした者共が並んでいた。 折あしく、春嵐が奈良近辺を襲っていた。読経の中、空は暗雲に包まれて、若草山から、風雨が吹き荒れている。 居並ぶ京と貴族達は、これからの自分たちの行く末が、暗示されているような気がしたのだ。東大寺全体、奈良のすべてがまるで嵐の中、頼朝を長とする、源氏の軍勢に占領されているように見える。貴族たちの牛車は、脇に寄せ集めて、その他大勢の背景であり、時代の主役の乗り物ではない。 この時、北条政子は、夫、頼朝にせっついていた。「はよう、大姫、入内できるようお取り計らいくださいませ。あなたは、もう征夷大将軍なのでございますよ。それくらいの実力は、おありになりますでしょう」「わかっておる。すでに九条家を使い、かなりの沙金を貴族の方々に、ばら蒔いておるのじゃ」 にえきらぬ頼朝の態度に、政子はいらついている。(もし、頼朝殿の手づるがだめであるならば、そうじゃ、磯禅師の手づるを頼もう。あの磯禅師の方が、このような宮廷工作には長けておるはず) 供養の途中、重源は、傍らにいる栄西に語りかけていた。「良くご覧になるがよい。あれが頼朝殿」「では、あの小太りの田舎臭い女が、北条政子殿か」「さようじゃ。話によると、頼朝殿は尻に敷かれているという」「が、栄西殿は、せいぜい取り入ることじゃ。お主の茶による武者の支配をお望みならばな」 後に栄西は、尼将軍北条政子の発願により、鎌倉に寿福寺を開くことになる。「それで、重源殿。奥州藤原氏の沙金は、いかがなされました」重源は、栄西にすべてを語るわけにはいかぬ。「それよ、栄西殿。西行殿は、はっきり申されぬうちに、亡くなってしまった」「もしや、頼朝が沙金を…。」「うむ、頼朝殿奥州征伐のおり、かなりの砂金を手に入れたと聞く。この砂金をつかい、今の地位を得たという話じゃ」「もしや、西行殿が義経殿の命の安全を図るために、砂金を使うという、、、」「そうじゃ、その可能性はある。西行が、あの沙金を義経殿の命と引き換えにしたということは考えられるのう」西行の入寂後、なぜ、重源は、東大寺の大仏殿裏山を切り崩したのか。あるいは、あの裏山に奥州藤原氏の黄金が、と栄西は考えた。では、頼朝よりの寄進とされる黄金は、ひよっとして、西行が運び込みし、秘密の黄金かもしれぬ。では、その黄金を、頼朝からの寄進とすることで西行が頼朝が得たものとは何か?少し、目の前にいる、食えぬ性格の重源殿に鎌をかけてみようと、栄西は思った。「西行殿は、なぜそのように義経殿に肩入れをなさったのか」 重源は、その栄西の質問にしばし黙り、考えているようだった。 やがて、意を決して「よろしかろう。栄西殿ならばこそ、申そう。西行はある方から、義経殿の身の上を預けられたのじゃ」「ある方じゃと、それは一体」「よーく、考えてみられよ。西行殿の関係をな」 栄西はよくよく考えて、頷いている。「そうか。相国、平清盛殿か」が、得心した振りをして栄西は、 重源の晦渋さを再認識した。この腹の裏をもたねば、これからの京都や鎌倉を相手に、勝負ができぬわけか、、西行がなくなり、五年がたつ。平清盛が、1181年治承5年、五十四歳でなくなり十四年の月日が流れている。地位を手にいれた家族が幸せかどうか。東大寺落慶供養の式次第の後、 大姫と頼朝、政子は、奈良の宿所となった興福寺大乗院の寝殿で争っていた。「どうした、大姫。顔色がすぐれぬが」「そうですよ。これも皆、お前を入内させんがため、父上も私も努力しているのですよ」「私は、私は…」大姫は小さきか弱き声で自分を主張しようとした。「どうしたのじゃ、思うこと言うてみなさい」「いまでも志水冠者様を愛しているのでございます。皇家のどなたの寵愛も、受ける気はございません」「何ということを言うのか」「お謝りなさい、大姫」「いやです。私は私です。私は父上や母上の、政治の道具ではないのです」「何を言うのじゃ。俺はお前の行く末を思えばこそ」「嘘です。父上は、私のことなど、お考えではない」「バカモノめ」勢いあまって、頼朝は、大姫に平手を食らす。「まあまあ、落ち着いてくだされ。大殿様、仮にもここは晴れの席。まして大殿様は、いまや征夷大将軍でございますぞ」 その場は落ち着かせ。政子は、鎌倉をたつ前にあることを思いついていた。静を大姫に合わせることである。(続く) (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/ http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.02.06
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――――――― ■義経黄金伝説■第49回(55回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第 章 一一九〇年 (建久元年) 花の下にて我死なむ■2 建久元年(一一九〇)三月 京都 後白河法皇の前に、歌の名人、藤原定家(ふじわらていか)が呼ばれている。 「西行の名前を残して起きたいのじゃ。」 「西行様の、麻呂も賛成でございます、で、いかかな処理をいたしましょうや」、「 よいか、お主が編纂をしておる歌集に、西行の歌を数多く入れるのじゃ 歌聖人としたい。それが、西行に対する朕のせめての償いないとなろう。 わが国の「しきしま道」の戦士としての。西行の名を高めよな」 法皇の頭の中には、色々な今までの西行に対する指令がうづまいていた。 「まあ、よい、奥州藤原に対する絆の一つが消えたが、すでに平泉が 源頼朝のものとなっては、、後は、頼朝にたいする、いや、板東に武家にたいする 仕組みをどうすすかじゃ」 西行をうしなった後を、誰でうめようか。と後白河は考えている。 が、法王は、弟、崇徳の霊にも対応をせねばならなかった。 西行が企み、それは、平泉を陰都として、崇徳を祭り、北の都の祭りとし、頼朝に対応される事であったが、頼朝が、西行と法王の企みすべてを打ち砕いていた。奥州平泉は先年1189年文治5年に頼朝の手におちている。 おう、身震いがした、 崇徳が悪霊か、、 法王は遠く讃岐の方を見た。後白河と崇徳とは、兄弟と記録されているが、崇徳は本来の兄ではない、、 ■2 建久元年(一一九〇)三月 京都文覚が、自分が勧進を行った京都神護寺(じんごじ)にて打ち沈んでいる。お師匠様、いかがなされました」夢身、今は明恵(みょうえ)と名前を改めている。「おう夢見か、ワシはな。この手で西行をあやめてのじゃ。それがのう、頭にこびりつく。また。ワシに、あやつは、大きな仕掛けを残していくよったのじゃ。いわば、ワシをあやつらの仲間に抱きいれるような、、」「師匠様が、西行様のたくらみの手助けをなさる」「そうじゃ」文覚にとっては、めずらしく煩悶していりのだ。それゆえ、弟子の夢見、明恵の、その文覚言葉を聴いての動揺も気づいではいない。夢見は、数ヶ月前の事を思い起こしていた。 ■仏教王国、平泉陥落後のち数ヶ月後、西行が、京都神護持をおとづれていた。「夢見どの、いや今は明恵殿とお呼びしなくてはなりませんか。文覚殿はおられるか」「師匠様は、今留守でございますか。何かお伝えすべき事がございましたら、私にお伝え下させませ」「あ、いや、夢見殿がおわれれば十分じゃ」夢見は、西行を部屋に入れている。急に、西行が、夢見に対して頭を下げていた。「夢見殿、この後の事、お願いいたすぞ」「え、何か、」「この日の本のことじゃ、たくすべきは、おぬししかあるまい」西行は、夢身を顔をしっかりと見て、断言した。「また、大仰な、私は文覚の弟子でございます。そのような事はお師匠様に、お伝え下さい」「あいや、夢見どのおぬしではないとな。文覚殿では無理なのじゃ」夢見は、無言になり、顔を赤らめた。神護寺は、京都の山中にあり、ふきあげる風が寒々とする。山並みが遠く丹後半島まで続いている。遠くで獣の鳴き声が響く。「この国は今変わろうとしておる。が、和の命も、もうつきよう」しみじみと言った。「この国を仏教王国にしていただきたい。神と仏が一緒になったな。わしが重源殿とはかり、東大寺の200人の僧を伊勢参拝させたのだ。この源平の戦いの後、どれだけの血がながれていたか。夢見殿のお父上もまた戦でなくなれれていよう」「それは、いささか、私の手におもうございます」「いあや、鎌倉の武家の方々にナ、仏教を思い至らしていただきたい」「それは、お師匠様が」「いあや、わしと文覚殿の時代ももう、おわろうて。武士の方々を仏教に結縁させていただきたい。そいて、この世の中すべてうまく回る仕組みを作っていただきたい」「仕組みとは」「たとえば、貴族の方々は、遠く桓武帝がおつくりになった立法を守り、行っていきた。これから新しく規範が必要なのじゃ」基準を意つくり、武家、庶民が豊かにくさせる世の中にしていただきたい」いや、これは、西行の戯言と思っていただきたいが、源氏の後には北条殿が、この世の中を動かすであろう」「北条様は、しかし、源氏の家臣ではございませんか。また、鎌倉には大江広元様がおれれましょう」西行は冷笑した。「ふつ、大江殿がどこまで、お考えかわからぬぞ。果たして、世の動きを作りは頼朝殿か、大江殿か」西行は、ふっと考えている。この諧謔さが、師匠の文覚の気にいらぬのだ。「よいか、夢見殿、和が話したことは、文覚のみは内緒ぞ」二人秘密になるのじゃ。北条殿を助け、その世の仕組みと基準理(ことわり)を作られるのじゃ「それは東大寺の重源様、栄西様のお仕事では、、」「あの方々には、他のやり方がある。夢身殿には夢見殿の考え方と生き方がござろうて」西行のと明恵の会話は続いた。このことは、文覚は知らない。 ■ ■3 建久三年(一一九二)3月京都 西行が入寂してすでに3年たっている。京都の 町の人々がうわさしている。「北条殿は人がよい」「あのててごは坂東の男でもよい男じゃ」 京では、そう評判が立っていた。この北条とは、政子の父、北条時政である。京都の監視に来ているのである。「田舎者じゃが、分を知っておる」といいつつも、京の公家たちは、北条を同じ人間とは思っていなかった。一段下の人間であるが扱いやすい奴と思っていたのだ。武士は人間ではない。そういう認識が公家たちの共有意識であった。犬、猫、動物の扱いやすいもの。それが北条であった。 源氏や平家は、公家の血が混じっており、まで人間として認めていたが、北条は関東という田舎、いや外国の土から生まれた生物であった。「あの北条が、鎌倉を支配すれば、我々も扱いやすいかもしれんのう」 ある時、法皇は、九条兼実にこう言った。 ■4 建久三年(一一九二)3月13日京都 後白河法皇の御殿に九条兼実が現れる。後白河法皇の最愛の愛人、高階栄子からの至急の呼び出しがあったのだ。彼女が丹後局(たんごのつぼね)である。法皇の部屋には、病人独特のにおいが立ちこめ、香りがたかれていて、九条兼実は、むせかえりそうになった、 兼実は、すでに死のにおいをかいでいる。 病床にある後白河は、力なくやっと左手をあげ、「兼実、ちこうまいれ」と弱々しげに言った。「ははつ、法皇様。何かおっしゃりたきことがござりますやら」「そばに行かれよ」後宮の女帝、高階栄子が、兼実をせかす。「朕の遺言じゃ聞いてくだされ。よいか、それぞれの貴族の家、古式ののっとり、各家々の特異技を家伝とされよ」「それが、板東の奴輩に対抗する手でござますか」藤原兼実も藤原氏の氏の長者になっているのだ。「朕が遺言、よくよく聞いてくださるか兼実殿」後白河法皇が、言った。高階栄子が、兼平をせかす。「それそれ、兼実殿、よいか、よーくおおききいれくだされや。殿下のお言葉じゃ」。「よいか、兼実殿。京都に残るすべての貴族方々に告げられよ。各自、その連枝を以て、家伝とされ、それを子孫についでゆかれよ。またそれを以て、朕が、皇家を護るらしめよ。その連枝(れんし)をもって我が王朝を助けよ。まもれよ」」「坂東の族どもには、それしかないとおっしゃりますか」「幸い、西行がはり巡ぐらせし「しきしま道」は、朕らが皇家の護りとなろうぞ。和歌により、、言葉にて我国土は護られようぞ。言葉の守りぞ。外つ国には、断じて我が項土ふめぬわ」言葉によるバリアが張られていると、後白河法皇はいうのだ。「これによりわが国は神と仏による鎮御国家となった」「まずは藤原定家が先陣かと考えます」法皇は、急に目をつぶり、静かになる、「母上、兄上。いまおそばにまいらせましょう。目宮殿、萎宮殿もな」法皇は、4つの宮であり、自分の兄弟の名前を呼んだ。「家を、それぞれの家を、古式由来の技で守るのじゃ。いにしえよりの我々貴族の技こそ我ら貴族を守る。朕の遺言じゃ、、」「兼実殿」「はっつ」「お、お主とは最後まで分かり合える事はなかったな」「、、」「が、頼んだぞ。わが王朝と貴族の連枝を守るのじゃ。、、それが藤原の、、」「よいか、兼実殿のお役目ぞ」丹後局がかたわらで繰り返す。法皇の様態が変化した。「弁慶に謝ってほしいのじゃ。お、お前から伝えてくれぬか、、」「弁慶ですか、、」兼実は言いよどむ。熱病にとらわれているのか、法皇は、すでに弁慶がこの世の人ではないことを忘れている。4年前1189年文治5年4月30日に衣川でなくなっている。「兼実殿、殿下のお言葉にあわせるのじゃ」「朕は、この父は、悪人であった。お前を闇法師として使ってのう、許してくれ。お前の一生を犠牲にしてしまってのう」法皇は、弁慶が目の前にいるようにしゃべっているのである。兼実が弁慶に見えるようだ。兼実は、法王のいいがままにしている。 弁慶は法皇の子供だった。「朕はな、この京都を守りたかったのじゃ。あの鎌倉が武者どもに、板東の蛮人どもに政権は渡せぬぞ。血なまぐさき奴輩。京都を源頼朝や藤原秀衡に渡してなるものか」しばらくは沈黙が続く。「そうじゃ、西行は、西行はどこじゃ。崇徳上皇の霊が俺を呼んでおる。早く、早く、崇徳の霊を追い払ってくれ。のう、西行。そうじゃ、平泉にの霊御殿をつくる話しはいかがすすんでおる。藤原秀衡は喜んでおるか…」 兼実は、西行になったつもりで、告げた。「西行はここにおわしますぞ。どうぞ、法皇様。経文を、経文をお唱えくだされませ」「何、経文をか。よしわかったぞ。それに西行、もし朕が亡くなれば、よいか。あの法勝寺殿の跡に葬ってくれ。くそっ、木曾義仲め」 法勝寺殿は、現在の三十三間堂あたりにあった法皇の御殿であり、義仲の襲撃によって焼き払われていた。八角九重の塔は、八十二mの高さを誇り遠くから望見できた院政と京との象徴でったが、今はそれもない。「法皇、安んじなされませ。ほれ、経文をお読みくだされ…」「おお、そうじゃ」後白河は、経文を六度唱えた、静かに。院政最期の巨人は崩御された。「法皇様…」丹後局以下侍女たちが嘆き悲しむ。が、藤原(九条)兼実は、法皇の亡きがらを前に、これで頼朝殿に征夷大将軍の位を与えることができると思った。 兼実は鎌倉殿、頼朝びいきの男であった。 建久三年(一一九二)3月13日、後白河法皇、崩御。66歳であった。 西行は崇徳上皇の霊をしずめることで、後白河法皇の信任を得ていた。西行は、平泉に第二の御所をつくることと引き換えに崇徳上皇の白峰神宮をつくることを約束していたのである。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.02.05
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――――――― ■義経黄金伝説■第48回(55回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ -------------------------------------------第8章 1190年(建久元年) 河内国弘川寺 花の下にて我死なむ■2 1190年(建久元年) 葛城弘川寺荒法師、文覚が、次々と繰り出す八角棒を擦り抜け、文覚の体が浮いた瞬間を西行の拳がついているのだ。文覚が八角棒で次々と颶風を起こし、西行の体を狙うが、西行は風のように擦り抜けている。回りで見ている文覚の部下たちも、二人の動きの早さに驚いている。七十才の老人同志の争いとは見えぬ。ここ、河内葛城の山を背景に、桜吹雪の降るなかで、二匹の鬼が舞い踊っている。一瞬、その時がとまり、桜の花びらが、どうと上に吹きあげられる。 一瞬、文覚の一撃が、西行の胸に深々ととらえた。突き刺さっている。常の西行ならば、避けられないものではない。西行の体は地に付している。文覚は西行をだきおこす。「これで、気が済まれたか、文覚殿」西行はいきたえだえに言う。「なぜじゃ、西行。なぜ、わざとおれにやられた」「ふふう、お主に対する義理立てかな。ふふう」ふと、西行のある歌が文覚の頭を掠めた。『願わくば花のしたにて春しなむ その如月の望月のころ…』「くそっ、西行、いやな奴じゃな、お主は。最期まで格好をつけよって、自らの死に自らの歌を合わせよったか」「そうだ、しきしま道のものならば、、文覚殿、我々の時代も終わりぞ」「清盛殿、死してすでに七年か」 文覚、西行、清盛は、同じ北面の武士の同僚であった。「文覚殿、最後に頼みがござる」「頼みじゃと、さては貴様、俺にその約束を守らせるために、わざと…」「義経殿の遺子、義行殿に会うことがあれば、助けてやってくれぬか」「義行をな、あいわかった」文覚は顔を朱に染めている。「ありがたい。俺はよき友を持った」西行よ、安んじて璋子(たまこ)様の元へ行かれよ」「おお、文覚殿、その事覚えていたくだされたか」「しらいでか」西行は、一瞬思い出している。 ●「西行殿、よく来てくだされた。この璋子の最期の願を聞いてくだされ」「璋子様、最期とは何を気弱な事を」待賢門院璋子(けんれいもんいんたまこ)が病床に横たわっている。この時代の人々は、この世のものならず美しい姫君を、竹取物語にちなんで「かぐや姫」と呼んだ。白河法皇にとってのかぐや姫は璋子だった。そして西行の悲恋の対象である。「西行殿、自分の事はよくわかります。我が入寂せし後、気がかりな事ございます。その後の事を西行殿におまかせしたいのじゃ」「お教えくだされ」西行は、やつれぐあいに、感がきわまり声がかすれる。「璋子様。」「我皇子たちのことじゃ」「、、、、」「影でささえてくだされや。璋子の最期の願じゃ」璋子は、西行の手をしっかりとつかんでいる。が弱弱しいのが、西行にはわかる。思わず、頬をつたわるものがあった。「わかりました。璋子様、我命つくるまで、お守りいたしましょう」宮廷恋愛の果て、待賢門院璋子のため、西行は、2人の皇子を守ろうとした。2人の皇子とは、19歳の折りの皇子、後の崇徳法皇と、27歳の折の皇子、後の御白河法皇である。待賢門院璋子は、鳥羽天皇の中宮であった。この親子兄弟対立相克劇が、保元平治の乱の遠因となる。 ●最期に、西行は、目を開け、文覚を見た。そして、懐から、書状を出す。「文覚殿、頼朝殿への書状じゃ。またワシの最期、奈良の重源殿に伝え下され」西行は目を閉じた。「く、」 文覚は膝を屈した。しばらくは動かない。やがて、面をあげすっくと立ち上がった。「皆、この寺を去るのじゃ」「文覚殿、せめて仲間の死体を片付けさせてはくれぬか」「ならぬ、鬼一らが手の者、こちらへ向かっていよう。すぐさま、ここ弘川寺を立つのだ」「それは、無体じゃ」「無体じゃと。俺は今、友達を自らの手で殺し、嘆き悲しんでおる。味方だとて、容赦はせぬ」「文覚殿、我々を相手にされるというか」「おお、お主らが、望むならばな」「文覚殿、お主は頼朝殿のために働いていたのではないのか。それならば、最後に西行から黄金のありかを聞くべきだったのではないか。先刻の西行の最後の一言、その書状、何か意味があるのでは…」文覚は、きりりと眦を聖たちの方に向ける。「ふふう、そうじゃな。お主ら、義経殿が遺児のことを聞いてしまったな。やはり、ここで始末をつけねばなるまいのう」文覚は、残りの聖たちの方に、ゆっくりと八角棒を向けた。半刻後、鬼一法眼の率いる山伏の一団、結縁衆が、弘川寺の周りに集まっていた。「血の匂いがいたします」偵察の一人が言う。「遅うございましたか」山伏たちは、西行の草庵をあうちこち調べる。「襲い手たち、すべて死に耐えてこざる」 数人の体や首に、桜の枝が、ふかぶかと突き刺さっている。 桜の枝が朱に染まり生々しい。「ふふ。さすがは西行殿。殺し方も風流じゃ」結縁衆のひとりがつぶやいた。「せめて西行様がこと、我らの間で語り継ぎましょうぞ」「おう、そうじゃ。それが我ら山伏の努めかもしれん」「それが、供養でございましょう。西行様がこと、義経様がこと」 山伏たちは、草庵の後を片付け始めた。 鬼一はひとりごちた。「さては、聖たちがしわざ、文覚殿か、重源殿か…」 建久元年(一一九〇)二月一六日、河内国弘川寺にて西行入滅。■西行の入寂後、すぐさま、東大寺の重源は、ある命令を発した。再建中の大仏殿の裏山が、切り崩しである。その裏山に隠されていたものについては歴史は語っていない。西行と東大寺がどのような約束があったかは不明である。西行が、その最期に、文覚に託した手紙も不明である。が、頼朝はその書状を見て青ざめた。かくして、西行も歴史の中に、人々の記憶に伝説して生きる事となった。(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.02.04
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――――――― ■義経黄金伝説■第47回(55回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ -------------------------------------------第8章 1190年(建久元年) 河内国弘川寺 花の下にて我死なむ■1 1190年(建久元年) 葛城弘川寺葛城の弘川寺に西行はいる。 背後には葛城山脈が河内から紀州に南北に広がり河内と奈良古京の道をふさいでいる。庵の文机に向かい、外の風景を見ていた西行は、いにしえの友を思い起こしていた。平泉を陰都にする企ては、昨年の源頼朝の奥州成敗により、ついえていた。おもむろにつぶやく。「我が目的も、頼朝殿の手によって潰えたわ。まあ、よい。義経殿、またその和子善行も生きておられれば、あの沙金がきっと役に立つだろう」西行は、崇徳上皇のため、平泉を陰都にしょうとした。また、奥州を仏教の平和郷であり、歌道「しきしま道」の表現の場所にしょうとした。それが、鎌倉殿、源頼朝の手で費えたのである。 西行はぼんやりと裏山の方、葛城山を見つめている。季は春。ゆえに桜が満開である。「平泉の束稲山の桜も散ったか。俺の生涯という桜ものう……」 桜の花びらが散り、山全体が桃色にかすみのように包まれている。「よい季節になったものじゃ」 西行はひとりごちながら、表へ出た。何かの気配にきずいた西行は、あたりをすかしみる。「ふふつ、おいでか?」と一人ごちる。 そして、枝ぶりのよい桜の枝をボきボキと折り、はなむけのように、枝を土に指し始めた。ひとわたり枝を折り、草かげの方に向かって、話しかけた。「準備は調いましたぞ。そこにおられる方々、出てこられよ。私が、西行じゃ。何の用かな」 音もなく、十人の聖たちが、草庵の前に立ち並んでいた。「西行殿、どうぞ、我らに、秀衡殿が黄金のありか、お教えいただきたい」「が、聖殿、残念じゃが俺らの道中、悪党どもに襲われ、黄金は、すべて奪い去られてしもうた」「ふつ、それは聞けませぬなあ。それに西行殿は、もう一つお宝をお持ちのはず」「もう一つの宝とな。それは」西行の顔色が青ざめた。「そうじゃな、秀衡殿が死の間際に書き残された書状。その中には奥州が隠し金山の在りかすべて記していよう」「よく、おわかりじゃな。が、その在りかの書状のありかを、お前様がたにお教えする訳にはいかぬよ」「じゃが、我らはそういう訳にもいかん」「私も、今は亡き友、奥州藤原秀衡殿との約束がござる。お身たちに、その行方を知らす訳にはいかぬでな」「西行、抜かせ」 聖の一人が急に切りかかって来た。 西行は、風のように避けた。唐突にその聖がどうと地面をはう。その聖の背には大きな桜の枝が1本、体を、突き抜けている。西行、修練の早業であった。「まて、西行殿を手にかけることあいならぬ」片腕の男が、前に出て来ている。「さすがは、西行殿。いや、昔の北面の武士、佐藤義清殿。お見事でござる」西行は何かにきづく。「その声は、はて、聞き覚えがある」 西行は、その聖の顔をのぞきこむ。「さよう、私のこの左腕も御坊のことを覚えてござる」「ふ、お前は太郎左か。あのおり、命を落としたと思うたが…」 いささか、西行は驚いた。足利の庄御矢山の事件のおりの、伊賀黒田庄悪党の男である「危ういところを、頼朝様の手の者に助けられたのじゃ。さあ、西行殿、ここまで言えば、我々が何用できたか、わからぬはずはありますまい」「ふ、いずれにしても、頼朝殿は、東大寺へ黄金を差し出さねばのう。征夷大将軍の箔が付かぬという訳か。いずれ、大江広元殿が入れ知恵か」 西行はあざ笑うように言い放った。「西行殿、そのようなことは、我らが知るところではない。はよう、黄金の場所を」「次郎左よ、黄金の書状などないわ」「何を申される。確か、我々が荷駄の後を」「ふふう、まんまと我らが手に乗ったか。黄金は義経殿とともに、いまはかの国にな」「義経殿とともに。では、あの風聞は誠であったか。さらばしかたがない。西行殿、お命ちょうだいする。これは弟、次郎左への手向けでもある」「おお、よろしかろう。この西行にとって舞台がよかろう。頃は春。桜の花びら、よう舞いおるわ。のう、太郎左殿、人の命もはかないものよ。この桜の花びらのようにな」 急に春風が、葛城の山から吹きおち、荒れる。つられて桜の花片が、青い背景をうけて桃色に舞踊る。「ぬかせ」 太郎左は、満身の力を込めて、右手で薙刀を振り下ろしていた。 が、目の前には、西行の姿がない。「ふふ、いかに俺が七十の齢といえど、あなどるではないぞ。昔より鍛えておる」 恐るべき跳躍力である。飛び上がって剣先を避けたのだ。「皆のものかかれ、西行の息の根を止めよ」 弘川寺を、恐ろしい殺戮の桜吹雪が襲った。桜の花びらには血痕が。舞い降りる。 西行庵の地の上に、揺れ落ちる桜花びらは、徐々に血に染まり、朱色と桃色がいりまじり妖艶な美しさを見せている。「まてまて、やはり、お主たちには歯が立たぬのう」 大男が聖たちの後ろから前へ出てくる。西行は、その荒法師の顔を見る。お互いににやりと笑う。「やはりのう、黒幕はお主、文覚殿か」「のう、西行殿。古い馴染みだ、最後の頼みだ。儂に黄金の行方、お教えくださらぬか」 西行はそれに答えず、「文覚殿、お主は頼朝殿のために働いていよう。なぜだ」「まずはわしが、質問に答えてくれや。さすれば」「お前は確か後白河法皇の命を受け、頼朝様の決起を促したはず。本来ならば、後白河法皇様の闇法師のはず、それが何ゆえに」西行は不思議に思っていた。文覚は、後白河法皇の命で頼朝の決起を促したのだ。「俺はなあ、西行。頼朝様に惚れたのじゃ。それに東国武士の心行きにな。あの方々は新しき国を作ろうとなっておる。少なくとも京都の貴族共が、民より搾取する国ではないはずじゃ。逆にお主に聞く。なぜ西行よ、秀衡殿のことをそんなにまで、お主こそ、後白河法皇様のために、崇徳上皇のためにも、奥州平泉を第二の京都にするために、働いていたのではなかったのか。それに、ふん、しきしま道のためにも、、」「ワシはなあ、文覚殿。奥州、東北の人々がお主と同じように好きになったのじゃ。お主も知ってのとおり、平泉王国の方々は元々の日本人じゃ。京都王朝の支配の及ばぬところで、生きてきた方々じゃ。もし、京都と平泉という言わば二つの京都で、この国を支配すれば、もう少し国の人々が豊かに暮らせると思うたのだよ」 文覚は納得した。「ふふ、貴様とおれ。いや坊主二人が、同じように惚れた男と国のために戦うのか」 文覚はにやりと笑う。「それも面白いではないか、文覚殿。武士はのう、おのが信じるもののために死ぬるのだ」 西行もすがすがしく笑う。「それでは、最後の試合、参るか」文覚は八角棒を構えた。西行は両手を構えている。 八角棒は、かし棒のさきを鉄板で包み、表面に鉄びょうが打たれている。「西行、宋の国の秘術か」「そうよ、面白い戦いになるかのう」(続く) (C)飛鳥京香・山田博一 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.02.02
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――――――― ■義経黄金伝説■第46回(55回完結予定) ――――――――――――――――――――――――――― (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/ 第7章 西行法師(佐藤義清)の思い出 一一三八年(長暦2年)から ■■3 一一七八年 京都・鞍馬弁慶は牛若のわけを鬼一から話され、守り役に徹している。牛若がいう。「弁慶、ワシの味方になりたいか」「いや、それはもう、、」弁慶の答えは微妙である。「先刻の五条の橋で暴言をはかなったか。いや、で、ものは相談。お主が味方かどうか、こころたい。俺のゆうことを聞いてくれるかな」「それは、もう」「弁慶、俺は奥州へ行くにあたって、鞍馬から土産を持って行きたいのじゃ」「若、一体、何を。いたずらはもう、いい加減になされませ」 弁慶は牛若を若と読んでいる、この男なりの諧謔である。「いたずらなどではない。俺が源氏の生まれで在る事を証明したいのだ。俺はのう、鞍馬に伝わる太刀を持って行こうと思うのじゃ。そうすれば、あの奥州の者共、俺の力にびっくりするぞ。いや、敬服する!」牛若はもう心を決めている。あの埒外の地にいき、自分の存在をアピールするのはそれに限るのだ。「まさか、若様。あれを…」 弁慶は冷や汗を流している。「そうじゃ。坂上田村磨呂の太刀じゃ」 坂上田村磨呂、最初の征夷大将軍である。東北人との争いで、始めて大和朝廷の力に屈せしめた大将軍である。その太刀が、この鞍馬の秘刀として、鞍馬に保存されているのである。 鞍馬山の火祭りの夜のことである。「誰か、火が。火が宝殿から出ておるぞ」 凄まじい叫び声が、鞍馬山から木霊している。漆黒の闇の中、炎が宝殿をなめ尽くそうとしていた。「早く、早く、中の仏典、宝物を、、、」 僧坊の僧たちがてんでに、宝物を持ち、宝殿から助け出そうとしている。その中に無論、牛若と弁慶も混じっている。「若、これは泥棒ではないか」「いや、何、火を持ってする戦法だ」牛若の顔が笑っているように弁慶には見える。 疾風のように、二人は京都の奥州の大使館にあたる平泉第まで駆け抜けている。その場所には猪首の巨漢が体を振るわして待っていた。「さあて、吉次、準備は調うたぞ。出発いたそう」牛若が鋸やかに言う。うやうやしく吉次は答える。「わかり申した。牛若さまの本当の旅立ちでございますな」 吉次はこのとき三十才。若い盛りであった。 吉次は、奥州の金を京都の平家に届けている。清盛はその金を宋にに輸出し、宋の銭を得ていた。日本の経済決済に 宋銭を利用し、経済革命を起こそうとしている、その一翼を吉次がになう。奥州と平家はこのように結び合っていた。■■7一一七八年 平泉 平泉に、東西の軍書を読んでいる牛若はいた。 その顔は真っ黒にやけ、元気そうに見える。基本的体力は、鞍馬山にて鍛えられ、この奥州の地でその体力がぐんぐんと伸びていた。また馬も、この地の馬にすぐ慣れ、新しい馬術を学んでいる。「牛若殿、ご勉強、精が出ますな」 奥州平泉の帝王、秀衡であった。「これは秀衡様」 牛若は姿勢を正し、挨拶をした。「いやいや、そう堅苦しくせずともよい。よろしいですか、牛若様。我が郎党ども、感嘆の声をあげておりますのじゃ」 にこやかに秀衡は言う。本当にうれしそうなのだ。「いや、一体」 牛若には、この秀衡が、なぜ機嫌がいいのか、わからぬのだ。「腕がよい。教えがいがあると、申しますのじゃ。教える者は、京の軟弱な童かと考えていたようでございますよ。はは」「これはしたり。こう見えても私は、源氏の氏長者の息子でございます。そうはずかしい仕業を見せる訳には行かぬのです」 若い牛若は、本気で怒っているのである。彼には、大きなプライドがある。たとえ、母親が白拍子であろうと、父親は歴とした源義朝。由緒正しいのである。逆に言えば、牛若の売り所はそれしかないのである。その一点に牛若はかけていた。「それで、元気のよい牛若様。一つ異国で学んで見る気になりませぬか」「異国で勉学ですと。私は僧になるつもりはありませぬ」意外な 言葉に、牛若は怪訝な顔をする。「いや、別に僧になり、仏教を勉強していただこうという訳ではありません。我が平泉には僧は足りておりまする」「では、何のために」一瞬、秀衡は牛若の顔をのぞき込んでいる。「武術でございます」ゆっくりと秀衡は告げた。「武術ですと」牛若も詰まった。「それは面白い。中国の武術、実際に見て見たかった」「いや、牛若殿。中国、宋へ渡る訳ではないのです」「我々、平泉王国は、近くは蝦夷、遠くは黒竜江まで、貿易をしておることはご存じでしょう」「まさか、その黒竜江を越えて」「さようです。丁度、便船を、津軽十三湊(とさみなと)から出す予定があるのです。従者を付けましょう」十三湊は奥州平泉の支配下にあり、外国との貿易でにぎわっていた。「従者、それは」「吉次です」「吉次。あの者が、なぜ」「吉次は、京都、平泉第にいた隠密の一人ですが、もともとあの男は播州(ばんしゅう・兵庫県姫路)の鋳物師の息子。冶金については、一通りの技術を持っているのでございます。吉次には、かの地の新しい技術を持ってこよと」 牛若は、少しばかり考えにひたっている。 (この機会、かなり面白いかもしれぬ)牛若は本で読み、体得した技を使って見たくて仕方がなかった。秀衡の部下相手の模擬戦には、少しばかり飽いて来ていたのだ。実戦を経験したかったのである。「宋を北方から狙っている、女真族の一団があります。すでにこちらの手配は済んでおります。後は牛若様の決断次第。よろしいですか。私はあなたを実の息子のように、いや息子以上に思っております。これは何も西行殿に頼まれた訳ではない」「わかりました。異国へ行かせていただきます」「おお、さすがは牛若様じゃ」■■7一一七八年 中国沿海州・女真族の国「日本のこわっぱ、このようなことができるか」義経の前を一陣の風がまった。いや、風でなかった、人馬一体となった戦士が、的を次々に射抜ているのだ。神業であった。歓迎の印として女真族の若者が見事な射術を見せているのだ。 平泉をでて2ヶ月の時間を経て、牛若は中国、女真族の国にたどり着いている。彼らは裸馬に乗り、あぶみ、両手を離し、後ろ向きに弓矢を打つのである。おまけに、その矢は、すべて中心に打ち込んでいる。日本の流鏑馬の巧者でもあそこまでは打てまい。義経は感心している。また、自分を送り出した秀衡の頭のさえにも。秀衡は牛若をこの地に派遣し武術を学ばせ、牛若を平泉の武将とし西国王朝の備えにしょうとしているのだ。「弁慶、どうじゃ、あの若者は」 義経は傍らにいる弁慶に尋ねた。弁慶は付き従ってきた。元々弁慶は紀州熊野水軍の流れをひく。この国の水軍の武術に興味があるのだ。「恐るべき術にございます。日本の武者では、あのような真似はできますまい。若、やはり世界はひろうございます。我々の預かり知らぬ術を持つ人間が多うこざいます」先年まで、京都の鞍馬という山にいて、自分の存在の不遇を嘆いた漢(おとこ)が蛮地、奥州平泉にあり、そこから先、日本の毛外の地にいるのだ、新しい運命!それをあの僧形の男が与えてくれたのだ。あの男は何故に。牛若の心に疑問が浮かんだ。 この女真族の国で、牛若は戦術を学んだ。それが牛若の財産となる。 (続く) (C)飛鳥京香・山田企画事務所 http://www.poporo.ne.jp/~manga/http://www.geocities.jp/manga_ka2002/
2005.02.01
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