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3月24日木曜日に鹿児島市のTOHOシネマズ与次郎に夫婦で山田洋次監督の「家族はつらいよ」を観に行きました。 この映画は山田洋次監督が「東京家族」で共演した橋爪功、吉行和子、西村雅彦、夏川結衣、妻夫木聡、蒼井優、中嶋朋子、林家正蔵の8人の俳優を再結集して撮影した喜劇作品です。おじいちゃん(橋爪功)から「誕生日のプレゼントになにか欲しいものはないか」と訊かれたおばあちゃん(吉行和子 )が、「あら、いいの」と言って机から持ち出したのが「離婚届」だったという熟年離婚問題を取り扱っていますが、ほとんど観客は中高年の男女ばかりの映画館内の笑い声が絶えませんでした。笑いのツボを心得た山田監督ならではのコメディタッチの作品でした。 おばあちゃんの離婚理由が、おじいちゃんがいつも靴下を裏返しにして脱ぎ捨てる、歯磨きしながらオナラをするとか、食事の時にクチャクチャ音を立てるとか実にたわいもないこと、でもそれが毎日積み重なるとたわいもないことと言えなくなるのかもしれませんし、女性の観客はそうそうと頷いていたようですよ。 おばあちゃんが離婚に踏み切ろうとした理由は、おばあちゃんの亡くなった弟(作家だったとのこと)の本が ブームになってて 印税が 入るようになり、、また田園調布に住む友人から一緒に住まないかと誘われたからとのこと、経済的にも住居の心配も全くなくなれば、靴下脱ぎっぱなしの爺さんにそりゃー離婚届けを突きつけたくなりますよね。 夫の退職後に夫源病(夫がストレスの原因になっている病気)に罹る女性が多いとのこと、実際私の妻の知人にもそんな女性がいて、家庭内別居状態とのことですが、山田洋次監督のこの映画を妻と一緒に笑いながら観ている私はなんて幸せ者なんでしょうか。 しかし映画館からの帰宅途中、車を運転する妻に「離婚届けを渡されたら病院通いもできなくなるから、僕を見捨てないでね」と気弱に言う私でした。
2016年03月26日
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たくさんの野良犬や野良猫を拾って大切に育てていたアイさんのことを拙サイト「やまももの部屋」のエッセーのページに「犬猫の尻尾」と題して載せたことがあります。その拙文に「功徳を積んだアイさんの天国行きは間違いないですね。それでも閻魔さまが間違ってアイさんを地獄に送ったら、犬や猫たちが尻尾を繋いでアイさんを地獄の底から助け出そうとするでしょうね。蜘蛛の糸ならぬ犬猫の尻尾ってわけです」と書いたものです。 ↓ http://yamamomo02.web.fc2.com/sub2.htm#dogcat そんな心優しいアイさんが今月の14日(2016年3月14日)に腎不全で他界されました。享年78歳とのことでした。お通夜に参列し、喪主となられたアイさんの奥さんや参列者の方々と故人を偲ぶなかで、犬猫だけでなく誰にでも心温かく接し、みんなに愛されたアイさんの人間像が浮き彫りとなり、あらためて私なりのアイさんとの思い出を書くことにいたしました。 アイさんは職場の同僚で、2007年3月に退職されています。誰とでも心優しく接するアイさんは、1976年4月に赴任したばかりの私にも、年齢的には10歳ほど違いがあるにもかかわらず、すぐ親しく声を掛けて下さいました。特に永吉町に職場があった当時、終業後の夕方になると広いグラウンドにアイさんたちと毎日と言うほど集まり、ソフトボールの練習を楽しんだものです。アイさんは守備もバッティンクもなかなか巧みで、トンネルを繰り返す私のためにゴロの守備練習をしてもらったことがあります。そんな私は守備ではピッチャーを務めることが多くなりました。どうも球の速度は遅いけれど、キャッチャーのミットに打ちやすい球を正確に投げるコントロールが評価されたようです。しかし打撃はさっぱりで、専ら下位打線を担わされました。 拙宅は1989年3月にいまの伊敷台に新築していますが、そのときアイさんからたくさんの樹木をいただきました。すでに庭師さんに頼んで、前庭の樹木を植える場所をレンガで囲いを造り、そこに土を入れ、さらにツツジ、ヤマモモ、サンゴジュ、ウバメガシ、クロガネモチ、ザクロを植えてもらいましたが、それでも空間が目立つ様子を見て、アイさんはわざわざ自宅の犬迫から萩、ナンテン、キンモクセイ、グミ、アジサイ、クコ等の苗木やホトトギス、シラン、スミレ等の野草を車で運び植えて下さいました。いまも萩は毎年秋になると必ず長くて細い枝先に無数の花を開花させて目を楽しませてくれます。 職場が坂之上に移ってからは、鹿児島市の伊敷台に住む私はバスやJRで通勤していましたが、会議で一緒になる日には、ほぼ同方向の犬迫町に住むアイさんに自動車で送ってもらうことが多くなりました。そんな日は、妻が帰宅した私に「アイさんに送ってもらったのね」と必ず言い当てたものですが、それはヘビースモーカーのアイさんの車に30分近く同乗していたので、私の身体からタバコ臭がしたからです。晩年のアイさんはお医者さんから禁煙を厳しく指示されていましたが、喫煙を最後まで続け、慰霊写真にも咥え煙草姿のアイさんの姿が写っていましたよ。 それから、アイさんと言えば忘れてならないのは竹の子のことです。毎年アイさんは犬迫町の自宅の裏山に竹の子が顔を出すと、職場のみんなに配って下さり、我が家でも竹の子が生える季節になるとアイさんの竹の子を楽しみにして待つようになりました。 アイさんが退職後も伊敷台2丁目のAコープいしき店でよくお会いしていましたが、この2、3年お会いすることがなくなり、竹の子のプレゼントも途絶えました。今年の竹の子の季節になって、アイさんはどうしておられるのだろうかと妻と一緒に気にしておりましたら、知人から3月14日夜にメールでアイさんの悲しい訃報を知らされ、お通夜に参列させてもらい、アイさんのご冥福を心からお祈りいたしました。 アイさんのことを追悼するとき、私のような他人に対する不信感のバリアーを張り巡らした人間でも、人間っていいなーと思うんですね。
2016年03月20日
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私が小学校時代に教わった担任の先生の作文指導内容は「感じたことをそのまま」「見たことをそのまま」書いたり描いたりすることでした。前回に書いた拙文「運動会の800メートル走でびりでし」は、そんな作文指導方針に対する私流に皮肉を込めた短編小説でしたが、拙文のヒントとなった斎藤美奈子の著作を今日のブログで紹介したいと思います。 斎藤美奈子は『文章読本さん江』(筑摩書房、2002年2月)で、谷崎潤一郎が『文章読本』に書いたつぎのような文章をまず紹介し、それに続けて彼女流の解説を加えています。 「文章の要は何かと云えば、自分の心の中にあること、自分の云いたいと思うことを、出来るだけその通りに、かつ明瞭に伝えることにあるのでありまして、手紙を書くにも小説を書くにも、別段それ以外の書きようはありません。」 文章読本の開祖といえば谷崎潤一郎で、この文豪が書いた『文章読本』は非常に有名ですね。しかし、この谷崎の上記の見解に対して、心の中にあること、言いたいことをその通りに書いていたら文章になるわけないじゃないか、という批判が出てくるのは当然ですし、私もなぜ文豪がこんなことを書いたのか首をかしげていたのですが、斎藤美奈子の『文章読本さん江』を読んでその疑問が氷解いたしました。それは、明治前期の主流の文章作法書がお手本通りに文章を作成することを重んじていたことに対するアンチテーゼとして書かれた文章だったんですね。そのことを説明するために、斎藤美奈子は『文章読本さん江』で一例としてつぎのような文章を紹介しています「余友人卜数名某地ノ梅花ヲ見ント欲シ瓢ヲ携ヘテ共二至ル見レバ数百株ノ梅樹蕾ヲ破り遠ク望メバ雪ノ如シ清香馥郁トシテ鼻ヲ撞ツ此景色実二言フ可カラズ、是二琴ア携フル所ノ瓢ヲ解キ、共こ飲ム。酒甜ニシテ或歌ヒ或舞イ既ニシテ太陽西山二没セントス。」 うわーっ、なんだかよく分からないけど、すごーく立派な文章みたいと思われるのではないでしょうか。そして、この文章が明治時代の少年向けの投稿雑誌に載ったものだと聞かされましたら、思わず「うそーっ、ほんと、信じられなーい」っておっしゃるかもしれませんね。おっと、こんな表現で驚く人はもういないかもしれませんが。 この少年が書いたというご立派な文章に対し、斎藤美奈子が「どこぞの爺さんじゃあるまいし、瓢箪に詰めた酒を腰に梅見に出かけ、酔っ払ってあるいは歌い、あるいは舞った? もちろんこれはフィクションである」とし、この文章が文範の定型句を模倣し、紋切り型の美辞麗句を適宜アレンジしてでっちあげたものであることを指摘しています。 そして斎藤美奈子は、谷崎潤一郎も明治の投稿少年の一人であり、「自分の心の中にもないこと、自分の云いたいとも思わないことを、できるだけねじ曲げて、かつ装飾的に伝えること」を要諦とする教育を受けて来たからこそ、後年自らの文章作法書を編むにあたり、心得の第一番目に「文章の要は何かと云えば、自分の心の中にあること、自分の云いたいと思うことを、出来るだけその通りに、かつ明瞭に伝えることにある」としたのだとしています。うーん、納得。 しかし、どんな作文もどんな視点から誰に対してどのような意図や企みを持って書くかということから逃れることはできませんね。思った通り、見た通りなんて文章は書けっこありませんね。
2016年03月13日
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今日(2016年3月4日)の鹿児島の地元紙「南日本新聞」の一面に、伊藤祐一郎鹿児島県知事が2013年に打ち出したスーパーアリーナ構想の成功体験となった「さいたまアリーナ」を積極的に評価する「さいたまアリーナ」の「効果 年394億円」、「用途多彩にフル稼働」との見出し文字が派手に踊る記事がデカデカと掲載されました。 同記事によると「さいたまアリーナ」(SSA)は、総務省出身の伊藤祐一郎知事が埼玉県の企画財政部長時代に具体的に構想したと公言しているものであり、00年開業したSSAは、約1万5千平方メートルの広大なフロアを有する多目的屋内施設であり、埼玉県が約700億かけて造ったものだそうで、「民間の試算では、年間の経済効果が約394億円に上り、約3600人の雇用創出効果がある」とのことです。 こんな記事がデカデカと出されるのは、伊藤祐一郎県知事さんが埼玉県での成功体験が忘れられず、いま知事をしている鹿児島県にもスーパーアリーナを建てたいと願望しており、地元紙としてもその意を汲んで積極的に応援しようとしたものに違いがないと推測されても仕方がありませんね。 しかし、拙ブログに以前「鹿児島県知事の『スーパーアリーナ』(仮称)構想について」と題して、「この『さいたまスーパーアリーナ』は自治省出身の官僚である伊藤知事にとっておそらくとても誇らしい成功体験なのだと想像されますが、世界最大のメガシティと評価されている東京の都市圏に建設された「さいたまスーパーアリーナ」の成功体験をもしそのまま夢よもう一度と考えているとしたらそれは鹿児島県民にとって非常に迷惑な話ですね。まあ、そこまでトチ狂ったオカシイ知事さんではないと思いたいですけどね」と書いています。 ↓ http://plaza.rakuten.co.jp/yamamomo02/diary/201402060000/ しかし成功体験は往々にして人間を狂わせることが多いですから、気をつけなければなりません。
2016年03月04日
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