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もう少しで出し損なうところでした。アブナイ、アブナイ!みなさんに勧めておいて、自分は出さなかったじゃ、洒落にもなりません。1月31日がその期限で、しかも消印有効だと勝手に思い込んでいた為、「あ、もう出さなきゃ。」とインプレスのハガキチャリティ係の住所を確認しようと良くみたら、「1月30日必着」と書いてあるではありませんか。慌てて、インプレスに電話を入れたら、「少し位のずれは大丈夫です。」との返事で、明日送っても大丈夫と分かって、ホッ。早速封筒に入れて宛名を書いて、明日郵便局に持っていけば良いだけにしました。この期限を守るという行為が、ADD傾向の人には難しいので、逆に自分の傾向を知って、そうならないように気を付けなければいけないのですが、ここのところ決算や税の申告等に気を取られているうちに、ハガキチャリティの確認作業が遅れてしまいました。この確認作業も、私が逃しがちな作業で、そのために何度も損をしているのですが、忙しくなったり、慌てたりすると、ついやってしまう失敗です。作業の優先順位を決める為に、やるべき事は手帳に書いたり、リストを壁に張ったりしているのですが、その手帳への書き漏れやリストの確認忘れがあったりすると、失敗に繋がります。LiFTプログラムをやる前はその傾向がもっと強かったのですが、最近は何とか改善出来ています。でも100%という訳には行きませんね。出来るだけ、これからも気を付けましょう。大事な事は、特に期限が有るものは早めに確認!これを肝に銘じようっと。ところで皆さんは、もうアフガニスタンの子供達への年賀状を出されたでしょうか。書き損じや残った年賀葉書や昨年の夏のかもめーる(でしたっけ?)葉書が有りましたら、明日(明後日でも大丈夫かも)封筒に入れて、下記へお送り下さいね。ユニセフに協力して、送る作業をやってくれるようです。〒102-0075 東京都千代田区3番町20番地(株)インプレス「年賀状Web2004/ハガキチャリティ」係
2004年01月29日
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に行って参りました。と言っても、先週の11日と12日のことなのです。13日にこの日記を書きかけて、そのまま放ってあったのを、やっと今日(25日)アップしようという気になって、最後まで書きました。一応「日記」なので、13日分としてアップします。場所は、三浦海岸の三崎。娘の友人も10日におばさんの家に移動していたので、家族水入らずの旅になりました。夫と娘がテレビ番組で見たマグロの町で、特にとろまん、と言うのを食べたいという食いしん坊旅行です。特に娘はマグロ大好きなのです。宿は、3年前から会員になっているTという格安宿を紹介するネット旅行社(?)で探していきました。連休最後の日なので通常(13000円)の半額ということで期待して行ったのですが、広いけれど古い観光ホテルで、お部屋は古いまま、と言う感じでした。その時点では「えー!これで正規料金13000円は高いよー。」と娘は不満そう。私たちも「うーむ!」という感じでした。娘によれば、最近は豪華なホテルでも色々なイベントをやって安くしている、のだそうです。確かに、旅に出て自宅よりずっと古ぼけた部屋に泊まるのは、余りいい気分のものではありません。それでも、仲居さんたちは親切で、料理はとても豪華でした。折角のイセエビ料理が冷え切っていたのは残念でしたが、マグロ料理は流石に「三崎」の名に恥じないものでした。娘は、久し振りに揺れる電車に乗って気分が悪くなっていましたので、「余り食べられん。」と恨めしそう。やれやれ。夜、何時もより早めに床に着きました。夫は早々にいびき付きの眠りに入り、娘は眠れないからと、薄明かりの電気を付けて遅くまで本を読んでいましたが、寝ようと思った頃に、今度は私のいびきで眠れなかったそうで、「眠れんかったー。」と翌朝大ぼやき。そして曰く「もう、家族旅行は止めた!」と。「スンマセン。」と小さくなる親達でした。ハハ・・・。12日の朝食後は、宿の方が城ヶ島まで車で送って下さいました。その親切な対応で、古ぼけた部屋に泊まったことも「ま、良いか。」と言う気分になりました。晴れてはいても、雲の多いお天気に、いつもなら見えると言う城ヶ島の灯台付近からは房総半島も伊豆半島も見えませんでしたが、それでも海は美しく、波に削られた岬の縞模様の岩肌は、故郷の鹿児島の先端にある長崎鼻の岩棚や宮崎の鬼の洗濯岩(でしたっけ?正しい名前を忘れてしまいました。新婚旅行で行ったんですけどね。遠い昔のことなので・・・笑)を懐かしく思い出させました。そしてお昼。目的の「とろまん」を食べたのですが、確かにマグロの味はするけれど、豚マンの豚肉がマグロに変わっただけ、と言う感じで、期待したほどの味ではありませんでした。で、買って帰るのは止め様ということになってしまいました。次に、お鮨を食べようと言う私の提案に、夫も娘も、「朝食べ過ぎて、もう入らん。」「もうー、何しに来たのよ!」と私。それでも、冷凍の本マグロやマグロの角煮等のお土産を沢山買って早めに帰途に着きました。娘はダンスのレッスンがあるからと途中で別れましたが、その夜遅く帰ってきて開口一番、「やっぱり家が一番良い。私はどうも旅行に向いてない。」と言って早々に床に入りました。彼女は友人と一緒でも、大体旅先で眠れないらしいのです。若い頃の私にそっくりで、どこでも眠れる夫からすると「何で?」となるらしいのです。娘は父親に似る、とよく言いますが、都合の良い所って、似ないものなんですかね。それでも、今夜は美味しいマグロを食べて大満足。やはり、旅に出た甲斐が有ったようです。
2004年01月13日
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という言葉を、昨夜新聞を読んでいて見つけました。新しい携帯電話の方式で、顔に携帯を当てると、骨への振動で相手の声が聞こえるので騒音の中での聴こえ方が良くなるそうです。驚きました。「骨伝導」は、リスニング療法の基礎を作られたトマティス博士のメインの理論だからです。LiFTプログラムの表出面の練習の時も骨伝導を使っています。昨年12月5日の胎教に関する日記にも、骨伝導により胎児にお母さんの声が高周波数となって伝わる事を書きました。また、その時点では、臍の緒にも音を伝達する役割の一部があるのではないかと思っていましたが、LiFTプログラムの開発者のポール・マドールさんにメールで問い合わせたところ、臍の緒には神経が無いので、伝達する役割はないとの返事でしたので、今日日記の一部を書き変えさせて頂きました。http://plaza.rakuten.co.jp/yasuragu/diaryold/20031205/ 臍の緒と骨伝導の話を、私が何かの話とごっちゃにして勘違いをしていた部分がある様です。ポールさんに確認して良かった!リスニングに関して、まだまだ、学ばなければならない事が沢山ある様です。でも、何か疑問があるとポールさんが快く教えてくださいますので、本当に心強いです。お母さんのお腹の中で、羊水に守られながらも、お母さんの血液の流れる音等、お母さんの低周波となった体内の音の振動に晒されながら、胎児は高周波数(高エネルギーでもあります)のお母さんの声をいつも聞きたいと待っています。そしてそれが落着いた呼び掛けや、歌やハミングとして定期的に伝わってくるととても安心出来るようです。そんな時に胎児の脳は育ちます。お母さんの声質が良いと尚更良い効果があります。お腹の中に居る時にお母さんとのコミュニケイションを楽しめた胎児は、やがて赤ちゃんとして生まれてきた時、お母さんと良い関係を築ける大きな素質を持っているでしょう。じゃー、お父さんの声は胎児には届かないのでしょうか?いいえ、届きます。特に、お母さんのお腹に顔を付けて話すと、お母さんからの骨伝導のお陰で、胎児とお父さんはコミュニケイト出来るのです。でもね、残念ながら、お母さんの良い質の声にはかないません。何しろ、お母さんの声は直接エネルギーの高い骨伝導となるのですから。それだけに、お母さんが腹を立てたり、強いストレスを受けたりした声を出すと、声質が悪くなり、呼吸や心臓の動悸も不規則になったりして、胎児にはむしろ悪影響を与えます。嫌な気分の時、脳も働かなくなるでしょう。つまり、順調な発達が阻害される恐れが出てきます。私のところへ来られる方で、問題を多く抱えている方は、お母さんが妊娠中に余り良い気分では過ごせなかった方が多いようです。勿論、要因は、それだけでは無く、色々な要因が複雑に絡まっているでしょうが。ですから、胎児に、出来るだけ元気にそして順調な脳の発達をして貰うには、お父さんや他の家族も協力して、お母さんが良い胎教を持てるようにしてあげる必要があります。特に、胎児のお父さんであり、お母さんの夫である人の役割と責任は大きいですね。リスニング療法は、そんなお母さんをリラックスさせ、呼吸を整え、声質を良くする効果がありますので、リスニング療法を受けた妊婦さんは、安産でより健康な発育の良いお子さんに恵まれるという報告があります。これも骨伝導(背骨からの音の伝導)をうまく使える療法だからでしょうね。
2004年01月11日
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が、娘の誕生日の朝に届きました。未だ最近知り合ったばかりの方からです。良い方のようなので、グループの中のお友達としてなら付き合いたいと思っていたようです。ダンスをしている彼女にとって、男性も単なる一人の友人として付き合うのに慣れています。でも、そんな友人が「田舎に行ったから・・・」とお菓子などをお土産に持ってくることはあっても、歌のステージがあったとき以外では、花束などくれたことはありません。そんな友人だと思っていた方から、赤いバラが50本も届いたものですから、娘も私達もビックリ仰天!単なる友達から高価なプレゼントを受け取る訳にはいかないので、届いた途端「マジでー!何考えトンかねー。でも、この花どうしょう。」と戸惑う娘に、私達も娘の友達も「男性として付き合う意思がないのなら、受け取れない気持ちをはっきり態度で示さないと、誤解を与えるよ。」とアドヴァイス。で娘も、「だよね。」と彼に電話。そして「気持ちは嬉しいけど、友達からこんな高価なものを貰う訳には行かないので、返品しても良いですか?代わりにそのお金で、みんな(その日にグループで誕生日を祝ってくれる事になっていました)で飲みましょうよ。」と言ったそうです。(我が娘ながら、スマートな言い方ですねー親ばか)すると「花より団子?」と笑われたそうですが、「そうです。」と笑いつつ返品を承諾して貰いました。ところが、花屋さんからは「注文主に持っては行けるけど、返品は出来ません。」との返事を貰い、再度その旨を彼に告げると「じゃー、誰かに上げても良いし、捨てても良いから、そっちで処分して。全部返して貰っても僕も処分に困るから。」と最初は言っていた(処分に困るような物を贈らないでよね、って気分)彼も、「半分・半分にしてくれる?それだと気が楽だから。」と言う事で納得してくれました。(一体どっちが贈った花でしょう?)そして一応円満解決。半分に分ける為に開けたボックスの中の赤いバラ50本の花束は壮観でした。彼女が「しかし、今時なー、昔の人ならいざ知らず。」と言うので、すかさず私が「お母さんだって、お父さんから花束なんて貰った事は無いよ。」と言うと、みんな爆笑でした。そして「昔だろうと今だろうと、その人の感覚だよ。あなたと彼の感覚が違うだけよ。」に、みんな納得。それでも、綺麗な花束に「まー、良いもの見せて貰ったと思っておこう。」とご機嫌でした。友人としての自分の気持ちをはっきり伝えた事で、すっきりした気分にもなったようです。そして、彼と自分の感覚の大きな違いを知って、反って友人としてしか付き合えない事を確信したようです。こうして彼女の誕生日の朝のバラ騒動は終わりました。花のプレゼントって、相手を間違うと逆効果の様ですね。
2004年01月05日
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が、昨日、シカゴからやってきました。彼女は、フルート奏者で5月にも演奏旅行のついでに私宅に1週間ほど泊まりました。でも今回は、娘と一緒に2週間を過ごしたくて来たのです。あることでショックを受け、その傷を少しでも癒す為に。年末に、いきなり娘の携帯に「2日からそっちに行っても良い?」と電話があったそうで、娘から「〇〇がこう言ってるけど、良いかなー。彼女辛そうだから、私も一緒に居てやりたいけど、お母さんの都合を聞いてから返事をしようと思って。」と私に許可を求める電話がありました。いつもは、ばんばん親にものを言う娘ですが、こういうときは、ちゃんと親の気持ちを気遣いながら許可を求めますから、こちらも嫌とは言えませんし、娘の気持ちも分かりますので、OKを出しました。彼女のお母さんは3年前に47歳の若さで亡くなり、父親と妹がシカゴに居るのですが、一家の太陽が居なくなった後は・・・。シカゴの補修校4年生時代からの付き合いである娘と余りお客さん扱いしない私達家族の存在が、彼女にとってやすらげる場になっているようです。本当は、お母さんが生きていらして、彼女の話を聞いて上げられると一番良いのでしょうが・・・。若いうちに亡くなられたお母さんは、どんなにか心残りだった事でしょう。とにかく、今日から彼女は娘のスケジュールに合わせながら、久し振りの日本を楽しんだり、娘に話を聞いて貰ったりする事で、自分の気持ちの整理を付けようとしています。私達夫婦にとっては娘が一人増えたようなものです。クラシック音楽の好きな私は、彼女がフルートの練習をする時、その良い音色に聴き入り楽しめます。夫が作る食事に「おじちゃん、えらーい。」と言って誉めながら、美味しい美味しいと食べてくれる彼女と一緒に過ごすのは、夫とってもまんざらではなさそうです。生活は彼女優先ではなく、私達の生活のリズムや暮らし方の中に彼女に入って貰い、また、彼女も自分がやりたいことはやれる範囲でやり、食べたいものは食べたいと言い、食べたくないものは食べないで済ますという、互いの違いを尊重しながら調整して暮らします。ですから、双方共に少しの気兼ねというか思いやり程度で済むので、2週間居て貰ってもそう大変ではありません。だからと言って、全く何時も通りという訳でもなく、普段出来ている事が、出来ない窮屈さ(何しろ家が狭いので)も少しはありますが、出来る事を出来る範囲でやります。そうすることで、彼女も実家にいる様な気分になって、自分の辛い事もみんなの前で姉妹に話す様に、英語と日本語交じりの言葉で娘に話します。それに私達夫婦が特別入り込むでなく、無視するでなく聞いています。そうするうちに、彼女の傷が少しでも癒されたらいいな、と思います。
2004年01月03日
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本当に初春らしいお天気のお正月になりましたね。「外の方が暖かいよ。外に出てご覧。」という夫の言葉に誘われてベランダに出てみたら、ホント、温かい日差しが、目の前に広がる枯れ草だらけの空き地を照らして、のどかな空気が漂っていました。その雰囲気は、三原(広島県)や鹿児島ののどかな暖かさを思い出させて、懐かしいやすらぎを体中に感じさせてくれました。昨日は、おせち料理(これだけは、毎年私が作ります)を食べた後、親子三人で近くの稲荷神社にお参りに行き、焚き火に当たりながらお神酒と甘酒を頂きました。娘と私はそのまま、近くのスーパー銭湯に行き、たっぷりと時間を掛けて温泉気分を味わいました。夫はそんな私達を待つのは嫌だと、銭湯には行かずに途中から買い物に行き、一人で家に帰りました。カラスの行水しか出来ない性質なのです。二人で湯につかりながら娘に言ったことでした。「あんたとお母さんが、女同士、同じ風呂好きで良かったわ。一緒にお風呂を楽しめるものね。」と。そして二人で話しながら帰る道すがら、こんな風に普通の暮らしを娘と一緒に楽しめる幸せを感じた事でした。それと同時に「こんな家族としての幸せを、持とうと思えば持てる環境が、早くアフガンやイラクの家族達にも訪れますように!」と祈らずにはいられませんでした。一人で先に家に帰った夫は、私達の為に、夕食のおじやを作って待っていてくれました。3人3様、夫々似た部分もあれば、違う部分もある家族です。彼はせっかちの、つまり待てないタイプのADHDタイプで、娘と私は、のほほんとした不注意タイプのADD型。まー、正反対の特徴ですが、結局家族揃ってAD(H)D傾向を持っているんですね。やれやれ。でも、全員好奇心が強いから、お互いの好きな事や違いや長所を認め合って暮らしていれば、お互いのやっている事を互いに話題に載せて楽しめますし、教え合えますので、3倍楽しい、ということもあります。また、お互いの得意分野を生かして、助け合う事も出来ます。違いがあるからこそ出来ることが沢山有る様です。オフィスと自宅の暮れの大掃除と御節料理というお正月を迎える準備もそのお陰でスムーズに行きました。もっとも、その違いゆえに、時には争う事もありますし、受け入れ難いことも有ったりしますから、毎日、全てがうまく行く訳ではありません。でも、だからこそ幸せな一時や助け合える出来事が貴重なのかもしれませんね。話は変わりますが、今年は、10枚の年賀状の書き損じが出ました。昨年までなら、書き損じるたびに「もうー!」と自分に腹を立てたものですが、今年は「あ、アフガンの子供達への年賀状が一つ増えた。」とむしろ喜びさえ感じました。同じ事でも、本当に考え方や接し方によって、腹立ちにもなれば、喜びにもなるものですね。昨年12月7日の日記(トップ・ページにも書き込もうとするのですが、何故か昨年末からこのトップの更新が出来ません。)に書きましたように、皆さんも書き損じた年賀状は、折角のチャンスだと思って、アフガンの子供達への年賀状として出してみませんか?「書き損じたハガキ、昨年の使い残したハガキなど、不要になった“未投函の官製ハガキ”」を寄付する事で、世界の子供を救う活動をしている団体、 ユニセフ http://www.unicef.or.jp/ を通じて、アフガニスタンの子供達を救う活動に協力できるのです。詳しくは、 http://nenga.impress.co.jp/charity/index.htm をご覧下さい。それでは、本年も宜しくお願い致します。
2004年01月02日
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