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の私も、今回の邦人人質事件の被害者へのバッシングには、暗澹とせざるを得ませんでした。夫は、「日本に本当の民主主義は期待出来ないね。他の国に行こうか。」と言いました。彼は、一時身体を壊して帰国したものの、元気になってからはずっと「世界一住み易い国」と言われるカナダに戻りたがっていました(数年を経て、私同様の寒がりになっている今の彼は、他の国と言った時どこか温かい国を考えたかもしれませんが・・・)。でも、夫の病を機に、カナダから日本に帰りたいと思った5年前と同様、素晴らしい友人達という私のリソースと日本の四季や食べ物を愛する気持ちが、私に「ウン。」と言わせませんでした。日記を何回も書き換える内にうっかり消してしまったのですが、4月21日か22日の時点で楽天日記の邦人人質事件のテーマをざっと調べたところ、バッシング派が56%、中立派が16%、擁護派が28%いらっしゃいました。その3割近くの人々が、物事に関する意識や感覚で私と似ている事を知って、まだ話し合える人々がいると思えたので、「この国にいて声を挙げて行かなきゃ。」と思いました。掲示板や私書箱に書き込んで下さった方々からの同意の声からも、「未だ大丈夫だよ。」という元気を貰いました。そして書き込んで下さった方々で、ログインしていて下さった方の全てのサイトにお邪魔しました。そこで、遅くなりましたが、今日はイラク問題に関して掲示板に書き込んで下さった方々へのお返事を、この日記上にてさせて頂きます。eclipseさんが、私書箱に書き込んで下さった「あの、私、アメリカ在住なのですが、あの人質さんがたのおかげで(という言葉が適切かわかりませんが)イラクのファルージャでは、一時停戦し、それが、今も継続していることは、日本では報道されてるのでしょうか?「貢献した」とか言う声が見かけないのですが・・・。戦前の日本のように暴走しないことを望みます。」というお言葉は、私に「あー、そういう見方もあるんだな。」と別の視点を下さいました。そして掲示板での「演出といえども、映画とかでも、誘拐犯が電話口で人質に泣き叫べとか、おか~さんと言えとかっていうそういうたぐいだと思います。」という表現は、分かり易くて良いですね。ym0914さんは、「あの日記の中身・・・とても忘れられません。この事を、ワタシの日記にも書きたいのですが、こちらの日記の紹介をしても良いですか?ジョーワイルディングさんのリポートをたくさんの人にも読んでもらいたいのですが・・・」との提案を下さり、彼女の日記からもジョーワイルディングさんのイラクに関する真実の情報が広がりました。有難うございました。このワイルディングさんは、私が日記に彼のレポートのURLをご紹介した後、日本の5人の方々同様武装グループにBBCのジャーナリストと一緒に誘拐されましたが、やはり彼らの活動を説明したら解放されました。その誘拐の体験レポートが益岡さんの 「益岡賢のページ」http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/ 「ファルージャに戻る ファルージャへの二度目の旅と礼儀正しい誘拐者たち」に載っています。 どうぞお読み下さい。ファルージャでの米兵の意識やファルージャの人々がどんな殺され方をしているか、そしてワイルディングさん達が誘拐された時どんな気持ちになったかが分かります。これを読むと、高遠さん達が捕まった時もどんな風だったかを想像出来るでしょう。このワイルディングさんの経歴「2001年、経済封鎖に反対する英国の団体「荒野の声」使節の一人としてイラクを訪問。2003年2月、オブザーバとしてイラクを訪問。2004年にもイラクを訪問し、現在バグダッドに滞在中。イラクからの情報を伝える記事を執筆するほか、英国とイラクの学校間協力の確立、トラウマを受けたイラクの子供たちのためのサーカス上演(Circus2Iraq)、英国政府によるイラクの人々に対する人権侵害の欧州人権裁判所への告訴、イラクの草の根組織の援助に従事している。(益岡賢のページ 「ファルージャを脱出した難民達」より)」を読むと、彼も自分の国、英国政府の方針に反対して活動を始めていますが、民主主義発祥の国の英国民は流石ですね。彼を「反政府」呼ばわりなんてしていません。そして最近は元外交官52人が「ブレア首相の中東外交が米国の「破滅的な」外交の追随であると強く批判する異例の連名書簡を首相に提出した。」(Gooニュース 「米追随のブレア外交批判 英国の元外交官52人」(4/27)http://news.goo.ne.jp/news/kyodo/kokusai/20040427/20040427a3820.html より) けれど、彼らが「反政府」なんてバッシングを受けたと言うニュースは聞きません。あ、ついでにイタリアでは「人質3人をしたければ、デモをしろ。」という誘拐犯達の要求に応じて市民がデモをしています。「デモをめぐってイタリア国内で意見が分かれ、政府や与野党幹部は『脅迫に応じることになる』と拒否。「3人を助けて」という家族の呼びかけに、カトリック団体や市民が「人命が最優先」と応じた。」(朝日新聞 「人質解放求め数千人デモ ローマ法王もメッセージ」(4/30) http://www.asahi.com/international/update/0430/009.html"より)彼らは人質家族と一緒にデモっていますし、政府の意見に従っていないけれど、日本の様なバッシングは起こっていません。それどころか、ノーベル賞作家やローマ法王まで応援しているのです。日本での政府・民衆挙げてのバッシングが如何に国際感覚とは異なる対応かが分かるのではないでしょうか。ym0914さんへのコメントから、少し脱線しましたが、バッシング派の人々に、このニュースをどう思うかを聞いてみたい気がします。やはりルモンドやニューヨーク・タイムズの記事への反応通り「あいつら(外国の人々)の方がおかしい。」と言われるかしら?☆えんじぇるはーと☆さんの「基本的に日本人は、あまりに平和すぎて、世界情勢の感覚が違っているような気がしました。」という感覚は、「だから、もっと世界を見よう。」というメッセージとして大事だと思いました。Rin007さんの「今回の人質バッシングには、『自分にできないような素晴しい行為をする人間のあら捜しをすることによって、自分が安心したい』心理があるように思えてなりません。日本社会が行き詰って、人々の心も荒んでいるのではないか、そんな気がしてなりません。」という分析は、「なるほど。そうかもしれない。」と思いました。長くなりましたので、後半は又後日書きます。明日と明後日は学会による臨床動作法のWSがありますので、書けるかどうか、「微妙」です。残りの方々お待たせしてごめんなさい。
2004年04月30日
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という思いは、イラクの邦人人質へのバッシングが起こる前から私の中にありました。子供達の中の「いじめ」だけでなく、大人社会の中にも蔓延する「虐待」や「いじめ」そして「人権侵害」(例えば、熊本の元ハンセン病患者への宿泊拒否事件http://kumanichi.com/feature/hansen/kiji/20040206.1.html 熊本日日新聞 2/6)のニュースだけでなく、自分の娘が経験したいじめ、そして私のオフィスに来られるクライアントさん達の窮状からも、それを感じていました。でも一方で、将来の日本には期待を抱いてもいました。「虐待」も「人権侵害」も根っこにある感覚は、全て「弱いもの」或は「少数派」への「いじめ」です。強い者による弱い者いじめは、昔からどこの国にもあったようです。でも、人々の英知によって、弱い者や少数派の意見も聞き、特に弱い者は保護すべきだと言う考えが、欧米を中心に先進国と呼ばれる国々には、広がってきていました。例えば、障害者や老齢者への保護や福祉への対応は、いじめより保護へ向かっています。そして弱い立場の人々を地球規模で支えるのがボランティア精神です。ボランティア精神は、阪神大震災を機に欧米ほどではないにしても、徐々に日本にも、特に若者を中心に、広がりつつあった、と思っていました。だから将来へ期待したのです。言論の自由にしても、イラク攻撃時以来のアメリカより、むしろ日本の方があると感じ、「一体どうしちゃったの、アメリカの民衆は?」と私のシカゴ滞在中に味わった「自由なアメリカ」の危機をさえ感じていました。勿論、アメリカの政府は、政権にある人々の得になる様に動くものだ、ということは強く感じて反感を抱く事もありましたが、情報さえ開示されればその政権の行き過ぎを正す人々が多いことがアメリカの強みだと思っていましたので、イラク攻撃をしたブッシュ大統領への支持率が約90%にも上った時は驚きました。でも今回の日本の邦人人質事件に関してパウエルさんが「人質になった市民(Japanese citizens who were willing to put themselves at risk for a greater good, for a better purpose)を日本人は誇りにこそ思うべきであり、決してとがめてはならない、と言い切った」("http://www.smn.co.jp/kanehira/"「ホワイトハウスから徒歩5分」 4/15)というメッセージを発した時、「ああ、米国の政権内にもフェアな見方を出来る人がいたのだ。」とアメリカに残っていた自由と民主主義の大きさを喜びました。米国の求めに応じて派遣された自衛隊への評価は彼の立場からすると当然だろうし、完全なボランティアの立場の高遠さんへの評価は米国人らしいと思いましたが、米国の非である劣化ウランの被害や米国で報じられないイラクの現実を報じる為にイラク入りした今井さんや郡山さんも含めて評価した事に、米国にまだある民主主義の大きさを感じました。そして少数派の意見も聞く人々のことや、どんな事情にせよ、海外に出た被害者或は被害を受けそうな国民を救う為の米国の迅速な動きを思い出しました。翻って日本の実情を考えた時、邦人人質事件で他の多くの人と違う意見や行動をした3人へのバッシングは、正に、集団(しかも若い人が多い気が・・・間違いであってくれたら良いのですが・・・)による弱い者いじめであり、ボランティアの何たるかを知らない人々の多さを示すものです。これで、私の将来の日本の民主主義に対する期待も薄れてきました。むしろ、今までより悪くなるのではないかという不安感と危機感が出てきたのです。私のオフィスには、障害を抱えている為に、或は少し他人と違う感覚や行動の為に、いじめられて困っている子供達やいじめられるのを恐れて障害の事実や自分の意見を表せない人々が訪れます。日本の中に広がってきた民主主義や言論の自由に期待を抱きつつ、そんなクライアント達に、「有りの侭で良いんですよ。あなたにはあなたの良さや強さがあります。そして自分の気持ちや意見は表現して良いのです。でも、表現の仕方は、出来るだけコミュニケイトし易い様に工夫しましょうね。」という気持ちで接してきました。でも、今回の3人へのバッシングや彼らへの人権の侵害行為を見聞きすると、弱いものや少数派による言論や行動の自由のなさ、を感じたのです。どんな人や組織に対しても是は是、非は非と言え、自分の信念に基づいて行動出来る環境にこそ、本当の民主主義があるのではないでしょうか。(アメリカや欧州の民間人やジャーナリストもイラクに出ていますが、その事で、国を挙げて非難やバッシングしたという話は聞きません。)でも、今回の邦人人質事件では、政府や多数の意見に対して反対の意見や行動を取った人々は、多くの自由を奪われました。勧告に従わなかった、と言って責める人々が多いけれど、そもそも勧告とは「そうしない方が良いですよ。」という勧めであり、禁止では無い筈で、まして法律違反でも無い筈です。その証拠に渡航禁止の法律を作ろうとしても、その方が憲法違反になる恐れがあり、与党でさえ提案を諦めています。ですから、「勧告に従えば良かったのに。」という意見の表出だけなら、バッシングとはならないでしょうが、誹謗や中傷の言葉、特に「反日分子(反日とは戦前の日本の侵略に対するレジスタンス行為を表したもので、日本国民による行為には当てはまらないと思います。そしてこの反日分子という言葉に、日本による占領経験のあるアジアの国々は強い反感を抱くでしょう)や反政府者に税金を使うな。」だの、「自己責任で行ったのだから、賠償請求や帰国の費用支払いを考えるべき」だのという言葉は、もう意見ではなくバッシング以外の何物でもありません。まして個人情報の露出、電話や手紙による攻撃に至っては、人権侵害であり、犯罪です(匿名によるものが殆どの様ですが、当事者に反論の機会をさえ与えない卑怯なやり方だと思います)。そういう大人たちの弱い者いじめの姿が、子供達の中のいじめっ子達に「強いものや大勢の意見に従わないものは、お前がやっている通り、いじめても良いんだよ。」ということを教えて、彼らのいじめを正当化させてしまのではないかと恐れます。また、虐待をする親に「見ろ、親(政府)の言う事を聞かない奴は、とことんやっつけられて良いのさ。」と彼らの虐待を正当化する為にすり返させてしまう事を恐れます。障害者やマイノリティ(少数派)の人々へのいじめが増える事を恐れます。3人の自己責任を厳しく追及した福田さんを始めとする閣僚達の年金不払いや未加入問題への言い訳や小泉さんの対応の甘さが、弱いものには厳しく、強いものには甘い自己責任の追求で良いのさ、という意識を子供達に植え付けるのを恐れます。3人へのバッシングをした人々は、彼らをも厳しく追求すべきです。菅さんは、3人の自己責任を追及しなかっただけ未だマシですが、それでも民主党の長として責任を負うべきだと思います。江角さんの責任はあれだけ追及しようとしたのですから。彼には期待するものがあっただけに、残念なだけでなく「何なの、あなたは!自分のことをきちんと調べてから他人を追及しなさい。」と言いたい気分です。(独り言:政治家って、力を持つと感覚がおかしくなるのかな~?その点、亡くなった三木さんの感覚はまともだったなー。小泉さんにも期待した時期があった。一時期公明党にも、自民党も行き過ぎを正してくれるのではないかと期待した時期があった。菅さんにも期待した。でも・・・。何だか裏切られてばっかりで、これから、誰に投票したら良いんだろう?失敗は誰にでもある。万事塞翁が馬。彼らの中の誰かが、今回の事から学んで、世界の中の日本を良い方向へ引っ張って行ってくれる日が来るのだろうか?)
2004年04月29日
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民主主義が失われ、戦前(第2次大戦)と同じ状況になりつつあるのではないか?」という前回の日記に書いた「不安感」と「危機感」をどこに感じたのかを書いて見ます。人質となった人々へのバッシング派の「自分達が選んで出来た政府の言う事には従うべき」という考え方と「従わない行動をした人への嫌悪」の感情とを怖さと民主主義の危機を感じました。「国の勧告を無視した行動」や「自衛隊派遣という国策に反対した行動」は政府の言う事に従っていない、そうやって武装グループに拉致された奴らを助ける為に税金を使うのは「腹立たしいし損だ。」という考え方と感情がバッシング派を支配しているように思えます。だから、「掛かった費用は自分で払え。」という結論になったのでしょう。そして3人の自由な意見の表出を押さえ込んでしまいました。(住所が公開され、数え切れないほどの誹謗中傷の手紙や電話が殺到したら、誰でも怖くてものを言えなくなるでしょう。)これは正に、5人の「自己責任」(自分の責任で払う行動を出来た筈の年金を支払っていなかった閣僚達の自己責任はどうなっているのでしょうね。「起きてしまったのだから仕方ないでしょう。」という福田さんの言葉は、自分の責任でなく起こってしまった拉致を予期しないで行動した5人の責任を厳しく追及した態度からは、想像も出来ないことでした。)を言い立てた小泉さんを始めとする保守系の政治家達の考え方や感情そして結論と同じでしょう。そしてそれは、柏村自民党議員の「(イラクで人質にされた日本人には)自衛隊のイラク派遣に公然と反対していた人もいるらしい。もし仮にそうだとしたら、同じ日本国民であってもそんな反政府、反日的分子のために数十億円もの血税を用いることは強烈な違和感、不快感を持たざるを得ない」(共同通信 4/26)という発言に集約されるでしょう。これは、3人の自宅に誹謗中傷の嵐を送った人々に、正当な理由を与えてしまっています。その考え方は、正に戦前の民衆の「お上に楯突くべきではない」という考え方と全く同じではないでしょうか?少しでも政府に異論を唱えた者は、苛められた昔と同じです。そして子供の中にある苛めの根っこと同じです。ここには多数が選んだ政党による政府(お上)だけが国であり、政府=政権政党(自民党と公明党)、正しい日本国民=政権政党の考えに賛成した人、という図が描かれているようです。ブッシュ政権に追随しての自衛隊のイラク派遣という政権政党の考えに賛成しなかった野党議員や民衆は、反日分子である、というのは第二次大戦開始に反対するのは非国民という戦前と全く同じ感覚です。私も自らイラクに開戦した米国に追随しての自衛隊派遣には反対でした。これが、イラクから米国に攻撃を仕掛けたのなら、又は国連が「攻撃やむなし」と認め、世界中が軍隊を派遣したのなら、私も大賛成したでしょう。でも、ブッシュ米国は、国連の止めるのを聞かずに攻撃を開始し、小泉政権は無批判にそれを受け入れ、「安全地帯」へと言って自衛隊派遣を決めたのです。(砲弾が飛び、万一の為の隊員のDNA採取まで考えなければならない状態の場所が、安全地帯?)その決定には、反感を抱かずにはいられませんでした。(ただ、拉致した犯人の言いなりの撤退にも反対でしたが。)そんな政府に反対の意見を持った人を、反日とか反政府と非難して、助けられるものを助ける必要がない、でも賛成の人なら助けるべきというのは、非常にアンフェアな考え方でしょう。(柏村さん達は、政府に反対の意見を持つ人は税金を払っていない、或は必要はない、とでも思っているのかしら?それとか、全ての血税は、政府だけの為に使うべきとか?)そういう考え方が、戦前の戦争反対の意見を非国民の言葉として殺し、政府に都合の悪い真実のニュースは隠し、国民を「欧州の占領からアジアの民衆を解放し、大東亞圏を作る」という名目でのアジア支配へ、そして第二次大戦へ、そして敗戦へと歩かせたのです。米国政府が「イラクの民衆を独裁者から解放する為」と言いつつ戦争を開始し、占領支配へと歩いて来た様に。そして今米国は解放するといった民衆を殺し、民衆から憎まれ、反撃をされています。米国は、ベトナムでも同じ事をやった過去があります。第二次大戦を始めた日本政府もベトナムやイラクへの開戦をした米国政府も、其の国の民衆から「軍を派遣して。助けに来て!」と言われた訳ではないのに、勝手に他の国へ「助けてやる。」という口実で踏み込んで行った結果、多くの民衆を殺し、民衆の恨みを買い、結果自国の兵も多く殺されました。その真実を報告してくれるジャーナリストがいなければ、私達は、戦前同様、間違った方向へと導かれてしまうのです。人は、歴史から学ばないものなのでしょうか?何の為に歴史を勉強するのでしょうか?ただ、知識を得る為?ただ、受験勉強の為?それでは勉強する価値は半減するでしょう。歴史は後世の人間に、人としての或は国としての間違いや成功を教え、より良い世界を作る為に資料を提供してくれています。初代ローマ皇帝のアウグストゥスは、国作りの前に徹底的に歴史を勉強したそうです。そして素晴らしい国民重視の政治と文化の国を作りました(但し、紀元前の事とて地球という感覚はなく、奴隷制度廃止という視点は無なかった様ですが)。私達は、自分の国のことだけを考えたら良い時代には生きていません。過去の失敗と成功の歴史から学び、今の時代にあった平和を考え行動する地球人になれないものでしょうか?私の目には、高遠さんは、正にそういう人で有り得た人に見えます。だから今の彼女の窮状を聞くと、彼女をバッシング(中には寄付金乞食とまで誹謗した人がいました)した人々が、大切な将来の日本にとっての宝を潰してしまった様に感じてとても悲しいです。最後に申し上げておきますが、私は共産党員でもなければ、共産党を支持している訳でもありません。敢えて言えば、無党派ですが、どちらかと言えば共産党の組織を好きではありません。でもどんな党でも、政策や意見が私の視点と同じだった時には、賛成します。
2004年04月27日
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邦人人質バッシングに関して、19日以来、それまでになく熱い思いで毎日書き続けてきました。書くのを休んだ23日から25日の間も、カウンセリング・セッションや研修出席といった最初必要限度の仕事以外はほったらかして(本当は一杯他に書くべき書類が溜まっているのに)書くための準備として、あちこちのサイトを訪問してはワードに書き溜めてきました。一方で「あんた、何をやってんの?自分の仕事は?」という別の自分が、書いている自分に問い掛けてきますが、問い掛ける自分に「ちょっと待って!」と言いつつ、この問題に集中してしまいます。普段なら「何を優先すべきか考えろ。」と言う夫も、今回だけは私の日記書き込み行動を黙って見守っています。「何が私を此れ程までに私を『書かなければ!』と掻き立てるのだろうか?」と自問してみました。そして「書かせるもの」、それは私の中にある「危機感」だと気付きました。「日本から民主主義が失われ、戦前と同じ状況になりつつあるのではないか?」という「不安感」が、バッシングする人々の意見を読めば読むほど、そうなりつつある」という「危機感」を感じさせるのです。そしてその心理や感情を知るほどに、社会全体から「いじめ」や「虐待」と同じ心理構造、即ち「強いものの言う事を訊け!弱い者は叩かれても良いんだ!」を感じて、潜在意識の中から「危機が近いよ、書きなさい!」と私をノックし続けるものがあるのです。(夫も「確かに危機を感じる。」と頷いていました。)「今、声を上げなければ、後々後悔するに違いない。子供や孫(出来るかどうか未知数ですが)の時代の為に声を上げよう。」という思いとなり、私を突き動かしています。ですから、この日記のテーマを、敢えて前の「イラクの日本人拘束、について」ではなく、自分で立てた「日本には民主主義があるの?」にしました。そんな思いで、私が訪れたサイトを今日もご紹介します。また、興味のある日記サイトは新着にリンクさせて頂きました。(これは25日に纏めましたが、書き始めは23日ですので、23日分からアップします。そしてまた、その後日付で私の視点からも書きます。)江川昭子ジャーナル http://www.egawashoko.com/menu4/「『冷静』と『冷淡』は違うぞ!」(4/10)「いわゆる「自己責任論」について」(4/13)「自己責任」と想像力(4/15)「相手と手段を間違えてはいけない」(4/15)東京新聞 「イラク邦人人質の遠因? 米国の“ポカ”」“逆切れ”二正面作戦(4/14)http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040414/mng_____tokuho__000.shtml「『小泉言語』混乱に拍車」イラク3邦人解放 (4/16)http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040416/mng_____tokuho__000.shtml「国家の責任 小泉流『自己責任論』がかき消した」イラク邦人人質事件(4/21)http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040421/mng_____tokuho__000.shtml「解放3人診察 斎藤 学氏に聞く」(4/23)http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20040423/mng_____tokuho__000.shtmlTBSニュース&ライブ「高遠さんら3人は実家へ、その胸の内は」(4/20)http://news.tbs.co.jp/20040420/newseye/tbs_newseye946265.html「イラク開戦内幕の暴露本発売、衝撃走る」(4/20)http://news.tbs.co.jp/20040420/newseye/tbs_newseye946382.html共同通信http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/hostages/「本当に怖かった」 高遠さんが知人の写真家に「政府の自己責任論は筋違い 人質事件でNGOが会見」朝日新聞「自衛隊駐留、イラク人の支持5割割る 地元紙調査」(4/23)http://www.asahi.com/international/update/0422/015.html浅井久仁臣 「私の視点」http://www.asaikuniomi.com/益岡賢のページhttp://www.jca.apc.org/~kmasuoka/小泉の波立ち (小泉純一郎の改革を論じる)http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/main.htm
2004年04月23日
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昨日ご紹介した国内外のサイトや今日新たに見つけたサイトから得た情報を基に、私なりの異論を書いてみます。「もっと怖がれ」という要求に応じて、声を上げたりした3人の行為に関して自作自演説まで出ていて、「何だ演技だったんだ。」とがっかりされたり、、裏切られた気持ちを持たれた方も多い様です。また 産経新聞(4月21日)http://www.geocities.jp/iraq_peace_maker/sankei0421.htmlに、ビデオを分析した結果として日本語を話す人物の存在を示唆する記事が出た事で、更に自作自演説が広まったようですが、これに関しては、<「イラク日本人人質事件・被害者自作自演説疑惑」の「根拠」を検証するページ> http://www.geocities.jp/iraq_peace_maker/index.html#q32に詳しく書いてありますので、ご一読下さい。このページでは、この人質事件に関してQ&Aの形で分かり易く解説してあり、驚くべき世論操作説(Friday)までアップしてありますが、真偽の程は定かでありませんので、私の意見は控えます。(小泉さんや福田さんが人質の家族への非難の先頭に立っている事から、この説が出るのは分かる気はしますが)ただ、3人が犯人達から「演技」を要求された事は確かの様なので、その演技をどうしてしなければならなかったかを考えてみました。先ず、何故犯人が「もっと怖がれ。」と言ったのでしょう?3人は死も覚悟してホテルを後にしました。人は死を覚悟して行動する時、意外と落着いているものだと思います。度胸が据わるからです。それと3人には、イラク人のために働いてきた、という自負があったでしょうから、話せば分かってくれるかもしれないという思いもあったでしょう。また、高遠さんは、最も難しいストリートチルドレンとのコミュニケイションを出来た人ですから、イラク人を信じる気持ちもあったでしょう。その為、犯人達と落着いて話す事が出来たのではないでしょうか。犯人側からしたら、死を覚悟した人間の強さは自分達の体験から知っているでしょうから、そんな人々に、ただ銃やナイフを突きつけても余り騒がないかもしれない事を知っていたのではないでしょうか。また、3人が自分達の役割や仕事の説明をした後の落着いた様子を見たら、武装グループにとって、今から脅している場面をビデオに取らなければならない時に、人質にそう怖がらずに落着いていられたら困るでしょう。それが、「もっと怖がれ。」という言葉になったのではないでしょうか。一方、3人にとって、早い段階で自分達の活動を説明し(これがあの高遠さん達が話している最初の場面だと思いますが)、理解を得た様に見えても、銃を持ったテロリスト達に拘束されているという状況は変わらないのです。演技をしなければ、どうなったでしょうか?演技とは言っても、目隠しをされ、銃やナイフを突きつけられるのです。何かの拍子で、何時弾が飛び出すか分からない本物の銃や手元が狂って本当に首が切れるかもしれないナイフを押し付けられるのです。怖いのではないでしょうか。人は身の自由が無い状況で、目隠しをされるだけでも不安を覚えるものです。その状況で「もっと声を出せ!」と怒鳴られる事自体が、恐ろしいことではないでしょうか。しかも折角落着いて話を出来、これで身が安全かな、と一安心した後のことです。覚悟した時よりホッとした時の方が怖さの実感が出るのではないかしら?これは、あくまでも私の推察ですから、本当のところは本人達に聞かなければ分かりませんが、私には、「演技をしろ。」と言われて、従わざるを得なかった彼らの立場と心中を察すると、やはり、「自分だったらパニックにならずに耐えられただろうか?」と思わずにはいられません。つまり、演技は演技でもドラマの為の演技ではなく、「極限」の中で「強制的にやらされた、生きる為の演技」だったと思うのです。そしてその凶器に囲まれてやらされる事の苦しさを察すると、「何だ・・・」とは言えないと思うのです。そうやって、やっと危機を脱し、解放された時、どんなに嬉しかったでしょう。そして自分達の仕事は未だ途中だと思うと「やっと解放されてこれで目的を果たせる。残って仕事を続けたい。」と思うのは当然ではないでしょうか。彼らは、人質になる為にイラクに行ったのではなく、自分にとって真実の仕事をしに行ったのですから。米国に追随して自衛隊を出したせ畏怖に反対行動を起こさず、イラクの惨状に関して高みの見物をしていた私達に、そんな彼らの「残りたい」という気持ちを非難する資格があるでしょうか?仏紙ルモンドの記事をお読みになれば、国際的ボランティアをする人が少ないと評価の低かった日本に、「外国まで人助けに行こうとする世代が日本に育っていることを示した」という好意的な海外の評価をもたらした彼らに、感謝しても良いのではないでしょうか(この海外の評価自体を「おかしい」と感じている人達もいるようですが)。それなのに、肝心の日本という故郷は、国の長が先頭に立って自己責任を言い立てて彼らを責めています。まるで「政府の方針に従わない人は助ける必要がない(つまり政府がその仕事をする必要はない)。」と言っているように聞こえます。(私達が海外にいる時も、自分の身は自分で守るよう指示が出ましたが、原則として自分の身を守る努力をするのは当然ですが、殊更にそれを言われると「いざと言う時、国は守らないよ。」と言われているような気がしました。)その結果、高遠さんに『世間を敵に回している』と思わせ、今井さんに食事も喉に通らせないほど、被害者である彼らを打ちのめしたのです。中には彼らのあの痛々しさまでバッシングする人がいます。3人にとって、希望通り、イラクに残っていた方が幸せだったかもしれない、と思ってしまいます。それでも、埼玉の上田知事や宮城の浅野知事の様な政治家達が出て来たことを知って、ホッとしました。国より地方の知事さん達の方が良識〈私の見方からですが〉を持っている様です。そして今もファルージャでは、 共同通信 <http://www.kyodo.co.jp/> が告げる様に「ファルージャで激しい戦闘 一時停戦、崩壊の恐れ・・・ロイター通信によると、戦闘はファルージャのゴラン地区で21日午前6時(日本時間同11時)ごろから約4時間続き、自動小銃や迫撃弾、手りゅう弾などで交戦。米軍は航空機も投入した。」という状況が続いているのです。そんな情報も、軍人以外の民間人が皆退避したら、私達はどうやって真実を知り、危険遅滞に住んでいる人々を支援出来るのでしょうか?でも、今の状況では、日本のNGOの大半は「多くの日本人に理解されない。」と判断して「ピースウィンズ・ジャパン」以外はイラクからの撤退を決めたようです。「ファルージャの戦闘では、600人以上のイラク市民が死んでいる。それを伝えることが無謀と言うなら、我々は仕事が出来ない。」(朝日)というジャーナリスト(豊田直巳さん)や海外では「官民あげて(救出に)あたるのが普通だ。」というNGOの声に耳を傾けて欲しい。自分達の重荷と思うのでなく、政府や私達に出来ない部分で、海外の困っている人々を救いに行った勇気ある同胞を、彼らが困った時には喜んで救える力を持って欲しい。この思いは、政治家には無縁のものなのでしょうか。ああ、色々な人々の異なる役割を認め合い助け合う、温かい民主国家に、日本はなれないのでしょうか? そんな想いから、今日は、楽天日記の同じテーマで書いているサイトを、イラクで人質となった人達を、A:「非難している人」 B:「中立の人」C:「擁護又は応援している人」に分けて、夫々どれ位の%なのかを数えてみました。大体の結果ですが、Aが56%、Bが16%、Cが28%でした。楽天はYahooの掲示板より穏やかの様ですが、それでもやはり、非難やバッシングする人が多いのですね。でも、中立や擁護又は応援している人も思っていたより多くて、少しホッとしました。そして、「イラクの人質問題の本質」を論じているサイトを見つけました。http://www005.upp.sonet.ne.jp/greentree/koizumi/77_iraq.htm 色々な見方があると思いますが、このサイトも本質を突いている部分が多いと思いました。
2004年04月22日
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に関して、皆さんに知って頂きたいと思います。テレビ記者、金平さんの取材日記です。金平さんの許可を得てリンクします。"http://www.smn.co.jp/kanehira/"ホワイトハウスの現場からの視点をお読み下さい。ファルージャからメッセージを送っているジョー・ワイルディングさんのサイトです。"http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq0404d.html"高遠さんの活動に関しても書いてあります。3人の拘束を聖職者協会との自作自演ではないかと疑い、嫌悪感を表す人々にも読んで頂きたいです。これを読んで、彼らにそんな余裕があったかどうか、そんな発想が起こりうるかどうかをお考え頂たいのです。(もう寝ます‐午前2時半。詳しくはまた、本日の午後にでも書き添えます。)******************************************************(夜になりました-笑)今日は許されるだけの時間に、ジャーナリスト達が人質になった人達に関してどういう報道をしているのかをずっとインターネットで見て回りました。その中から、私の視点で気になったものを一部取り出して書いて見ました。全文は、URLをクリックしてご覧下さい。信濃毎日新聞 http://www.shinmai.co.jp/news/2004/04/21/010.htm「『自己責任論』席巻に危ぐの声広がる メール署名も」 「『自己責任』論は、紛争地域でのNGOやジャーナリストの活動を委縮させて締め出し、その独立性を失わせる」との内容だ。「苦悩深まるNGO イラク一時撤退や態勢見直し」イラクで医療や教育などの支援活動を展開してきた日本のNGOは、現地の治安情勢の著しい悪化と日本人人質事件を受け、スタッフが国外へ一時退避したり、現地の人に支援の継続を委ねるなど、活動の見直しを余儀なくされて・・・人質となった三人のイラク入りを非難する声が出る中、「今イラクに行くことは、多くの日本人に理解されない」と判断し・・・JVC中東担当の佐藤真紀さん(42)は「政府も、NGOにただ出ていくよう勧告するのでなく、民間人が安全に支援活動を続けられるような情勢づくりに取り組んでほしい。それが、求められる国際貢献の一つではないか」と話している。 朝日新聞 http://www2.asahi.com/special/jieitai/houjin/TKY200404190339.html「『人質・家族バッシング』に異論噴出 政府責任問う声も」 NGOは、政府機関にはできない、国益を超えた活動を担う。万一、誘拐やテロなど危機に陥ったとき、だれが救い出すのか。「官民あげてあたるのが普通だ。救出された側に自己負担を求めるなど聞いたことがない」と熊岡さんは言う。 http://www2.asahi.com/special/jieitai/houjin/TKY200404160363.html「人質の『自己責任』批判にフリー記者が緊急集会で反論」アンマンで事件直前の6日、3人に会った古居みずえさん(55)は「危ないからと戦場から記者がいなくなれば、傷つく側から戦争を伝える人がいなくなる。弱い側の立場から伝えることこそジャーナリストの仕事だ」。http://www2.asahi.com/special/jieitai/houjin/TKY200404200125.html「仏紙ルモンド、人質事件で自己責任問う声に皮肉」「人道的価値観に駆り立てられた若者たちが、死刑制度や厳しい難民認定など(国際社会で)決して良くない日本のイメージを高めたことを誇るべきなのに、政治家や保守系メディアは逆にこきおろしている」と皮肉った。共同通信社 http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2004/hostages/「日本が経済支援に言及」 クバイシ師が不快感三人を引き取りに来た在バグダッドの日本大使館当局者がその場で、米軍の攻撃を受けている中部ファルージャへの経済支援に言及・・・クバイシ師はこれに対し「われわれと討議すべき問題ではない。われわれは人道的問題を経済問題との引き換えにする気はない。ファルージャへの援助物資搬入を認めるよう米国側に要請してほしい」と告げたという。・・・ファルージャでは、駐留米軍が大規模な武装勢力掃討作戦を実施。これまでに住民側に女性や子供を含めて七百人以上の死者が出ているとされ、同市周辺を中心に相次ぐ外国人拉致事件の引き金になっているとみられている。3人に強いストレス障害 拘束と社会の批判で診断の専門医が証言「特に高遠さんは『世間を敵に回している』との妄想が強く、精神的に不安定。「勇気評価も」と埼玉知事 安田さんの両親に議論になっている「自己責任」について、上田知事は「報道の自由との兼ね合いが悩ましいが、困難な地域に行く勇気も評価されるべきだ」と述べ、両親に「あまり難しく考えないでください」と声を掛けた。「内戦でもとどまるのか」 浅野知事が疑問呈する宮城県の浅野史郎知事は十九日の記者会見で「イラクの状態は内戦。自衛隊がとどまるのか問われる状況だ」と話し、撤退も含めて検討すべきだとの認識を示した。・・・人質や家族への反応については「バッシングが随分あった。特にインターネットでのバッシングにはおぞましいものがある」と不快感を示した。「もっと怖がれ」と要求 ビデオ撮影で武装集団 一方、武装グループは拘束後早い時期に三人のイラクとのかかわりや活動の内容を理解した様子で、三人に生命の安全を保証、食事もよくなったという。・・・撮影の時、武装グループは三人に「もっと泣いているようにしろ」「もっと怖がっている態度を見せろ」と要求した。明日はこれらの記事を元に、私の見方も述べてみます。
2004年04月21日
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そして今でも、彼ら同様私達の代わりにNGO、NPOの方々がイラク周辺で活動してくれています。各テレビ局や新聞社の記者さんたちも、あちらから刻々と情勢を伝えてくれています。彼らがいなかったら、どうやって私達は米国のめがねを掛けない真の情報を得られるでしょうか。私達は、彼らの仕事に感謝はしても、運悪くテロに拘束されて本来の仕事を続けられなくなったからと言って残念にこそ思えても、戦争とテロの被害者である彼らをバッシングする理由が何処にあるでしょうか。渡辺さんの「イラクの人々のためにやってきていても、自衛隊を派遣しているだけで同じ日本人とみられ、こういう目に遭うのは複雑な気持ちだ。」という言葉は、彼らの心情を良く表しています。でも、当のテロリストでさえ、彼らがイラク人の為に働いていると知って、彼らへの態度を友好的な方向へ変えました。だからこそ、イラクのイスラム宗教者委員会のアルクベイシ師らの呼びかけだけで解放したのでしょう。そのアルクベイシ師が、最近のインタヴューで「解放された彼らを大使館に渡したのを後悔している。彼らは日本へ強制送還されるのではないかと心配していた。イラクに残って仕事を続けたいと言ったのなら、イラクに残してあげれば良かった。」という意味のことを言っていらっしゃいました。日本でのバッシングも師の耳に入ったのではないでしょうか。政府の彼らへの扱いを見ると、丁重ではありますが、帰国のプロセスを見ると、師の言葉通り、彼らは強制送還された感があります。そして今、3人の方々は体調を崩されているそうです。PTSD(心的外傷後ストレス障害)症状も疑われています。それは、拘束によるショックもあるでしょうが、日本国内でのバッシングの様子を家族から聞かれたことの方がショックだったのではないでしょうか。本当にお気の毒です。彼らの表情は、開放直後のイラクにいた時の方が伸び伸びとしていた様に見えます。温かく迎えるべき彼らの故郷には、テロリストのいたイラクよりも冷たい風が吹いているようです。疲れ果てて生還した彼らに、もっと温かい風を送れないものでしょうか。更に、彼らに、飛行機のチャーター代など彼らの為に使った費用を請求する話は論外だと思います。彼らがチャーター便を頼んだわけではありません。政府側が用意したものです。彼らの拘束の発端も、元を正せば、国連ではなく米国に追随して自衛隊を派遣したことにあります。そんな自衛隊派遣の被害者とも言える彼らの為に税金を使う事は、用もない道路建設や天下り先でも退職金を貰う高級官僚の退職金に使われるより有益だと思います。今後の彼らの行為によるイラクー日本間の友好関係という国益を考える時、私は治療費も税金から払って貰っても良いと感じます。以上が拘束事件に関する私の感じ方と見方です。そして夫もこの事に関しての意見が私と同じなのは、とても嬉しい事です。色々な異なる意見もあるでしょう。意見の表明は構いません。でも無責任なバッシングは意見ではありませんので、控えて頂きたいと思います。最後に、高遠さん、郡山さん、今井さんへ。「どうぞゆっくり静養して疲れたお心とお体を治して下さい。そして記者会見に出ることがあっても、謝る必要はありません。むしろあなた方の活動に対して、私達から感謝申し上げます。そして、私はあなた方を同じ日本国民として誇りに思います。一国民より。」
2004年04月20日
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邦人解放は嬉しいニュースでした。でも、今拘束から解放された5人(中でも最初の3人)の方々への凄まじいバッシングが日本中から聞こえます。何と哀しい事でしょう。ちらっと覗いたYahooの掲示板には、容姿に関する誹謗までありました。3人の方々とご家族の心情を思うと、涙が出てきます。解放前からご実家の方へバッシングの手紙や電話が沢山届いているとの報道がありました。その時点でも「何と心無い人々が存在する事か。」と思っていました。そのバッシングの影響でしょう。その後家族がTVの前で謝り始めました。そして「自衛隊の撤退を・・・」という言葉が彼らの口から出なくなりました。バッシングがどれだけ凄まじく、ご家族がどれだけ辛い思いをされたかが伺われます。自衛隊撤退を求めたい家族の気持ちは痛いほど分かりました。それでも、テロに屈しての自衛隊撤退は、更なるテロを生む事に繋がりますので、撤退を拒否した小泉首相と政府の決定は、ご家族にはお気の毒だけれども、その時点では止むを得ない措置だと思いました。そして小泉首相を見直しさえしました。でも、3人の中から「それでもイラクに残りたい。」という声が聞こえて、小泉首相から「未だそんな事を言ってるんですか。・・・もっと自覚を持って欲しいですね。」と彼らへの非難のを聞いた途端「何て事を言うの、この人は!」と思いました。彼の言葉は一国の首相として国民の考えを代表するものとして非常な重みを持ちますから、その言葉を発端に国中に非難の渦が巻き起こる事を予想したのです。そしてその後次々に政治家達から非難の声が発せられ、費用を要求する話まで出てきました。それでは、彼らの実家へ誹謗・中傷・攻撃の手紙を送りつけた人々の声を正当化することになります。そして案の定、非難ごうごう、そして誹謗・中傷・攻撃の嵐です。でも彼らは本当に、そんなに非難されるべき事をしたのでしょうか?私は逆だと思います。彼らの行為は、後に、心あるイラクの人たちが真に日本人への好意を抱き、理解し、仲良くしたいという動機の源となるだろうと思います。特に高遠さんが「嫌な事もされたけど、それでもイラク人を嫌いになれない。」と言った言葉は、イラク人と日本人を繋ぐ心の架け橋となるのではないでしょうか。私は、その言葉に日本人としての宝を貰ったと感じています。心から彼女を尊敬し、感謝したい気持ちです。そう言う私も、最初は、彼らが退避勧告を知らずにイラクへ入国されたのかと思い、少々軽率だったかな、と思いました。でも、彼らが、自衛隊が行く前からイラクに関して活動をしていて、退避勧告が出て命の危険を感じながらも活動を続ける為にイラクへ行かれたことを知り、逆に「そこまで已むに已まれぬお気持ちだったのか。其れほど強いイラクの人々の幸せへの思いや真実を報道したいという気持ちが起こさせた行為だったのか。それでは、軽率と言う事ではないな。むしろ彼らの貴重な想いと活動を阻止したのは、自衛隊派遣だったんだな。」という想いが湧いてきました。自衛隊派遣が決まる前、イラクで活動するNPOの代表から「私達の支援活動がやり難くなるだろう。」という言葉が出ましたが、其の通りになった訳です。国連が主導する中での支援に自衛隊が出かけるのなら、大賛成で「どうぞ彼らの為に頑張って下さい。」と言いたかったのですが、イラクの為という名の下に、他の国々が反対するのを押し切って戦争を始めた米国に何も反論することなく、簡単に要請に応じて派遣させられた自衛隊。当初からその派遣には反対の気持ちを持っていました。私の知り合いの中にもいる自衛隊員が、そんな派遣隊の中に入らない様願っていました。そして今、米国は、当初の大義名分であった核兵器の存在も見つけることが出来ず、しかも支援する筈だったファルージャの市民を4人の米国人殺害への報復として大量に殺害しています。そんな米国支配の中でのイラクにいる自衛隊。たとえそれが米国兵とは異なる活動をしていても、イラクの人々に理解されるのは難しいでしょう。このファルージャへの米国の介入と自衛隊の存在こそが、今回の拘束事件の誘因です。私には3人の方々のような勇気や若さがありませんでした。ですから自衛隊派遣の決定や劣化ウラン使用に反対の気持ちを持っていても、イラクの人々のための行動を起こす事は出来ませんでした。ちあさんから回ってきた坂本龍一さん等発の、『stop the war 』メールに参加したり、電気をちかちかさせて反対行動をする位が関の山でした。ですから現地に飛んでボランティアで支援活動を続けようとした方々、そしてイラクでの戦争の真実の姿を伝えようとしたジャーナリストの方々の勇気ある活動は、残念ながらテロリストによって中断されたけど、勇気のなかった私達の代わりにやって貰えた活動だと思うのです。そして彼らのお陰で、本当のイラクの姿が今までよりもずっと明らかになりました。
2004年04月19日
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リスニング療法のリスニング・フィットネス(LiFT)プログラムではとても大切にしています。自分の声が聞こえなければ、どう発声しているのか分からないので、間違っても訂正できませんよね。ですから、話す時や歌う時に自分の声をしっかり聞いている人は、良い声で相手に届く話し方や歌い方を出来るのです。これが難しいと、構音障害や音痴になります。今週の定休日(火曜日)に、友人に誘われて千葉のITCというコミュニケイションに関して学ぶ会が主催する「アナウンサーをめざして」というプロのYアナウンサーによるワークショップに行ってきました。アナウンサーをめざすと言っても、本職を目指すのではなく、良いアナウンサーの様に、自分の言いたいことを分かり易くはっきりと相手に伝える力を付けるというのが目的の様でした。コミュニケイションにとって大切なことですよね。最近は、アナウンサーでも、言葉遣いがおかしかったり声質が?という方もいらっしゃいますが、このYアナウンサーはベテランらしく、はっきりとした言い方で、声も朗々としていて、聴く者に訴える力を持った話し方をなさっていました。そういう話し方をするには、はっきり口を開けることや腹式呼吸、そして自分の声をしっかり聞きながら話すことが大切だと話された時には、流石に話し方のプロは、案外自分の声が聞こえていない人が多いことをご存知なのだなー、と我が意を得た気分になりました。そしてアナウンサーの訓練にも、LiFTプログラムの中の表出面の訓練と重なるものがあるのを知って、その後の発声練習や分かり易い話し方などの練習にも力が入りました。LiFTプログラムでは、LiFTトレイナーに着いている特殊なマイクを通してしっかり自分の声を聞きながら、ハミングや音読の練習をして貰います。そうすると、声を出すと同時に自分の声が全部聞こえるので、自然に耳と脳が自分の声を良くしようと調律を始めるらしく、声質が良くなってきたり音痴が直ったりします。このLiFTの事をYさんにお話しましたら、とても興味を示されました。最初は機械を売っているのかと思われたらしく「市販されているのですか?」と訊かれました。プログラムのことをお話しましたら、言語障害の方のお手伝いもされているとの事で、是非一度オフィスに伺いたいと仰いました。自分の声を聞くことは、自分の身体にも注意を向ける事になり、自分の心にも向き合う事になり、そうしながら他に向かって発声する事はまた、双方向のコミュニケイション力を育てることにもなります。これは、他からの働きかけに応えて身体を動かそうとする自分の心に向き合い、その気持ちを他に返そうと身体を動かすことで双方向のコミュニケイションをする動作法にも同じ事が言えます。結局、しっかりコミュニケイトしようとすると、基本の部分では同じことが必要になるのだなー、と思ったことでした。みなさん、自分の声を聞いて下さいね。心の中の自分の声もね。
2004年04月16日
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(掲示板のmizu-sinさんへの返事が長くなってしまいましたので、日記にすることにしました。)>「公的な人に関するプライバシーの保護」は難しいですね。でも法規制で処理しない方がいいと思います。>>政治的な報道でも「これはプライバシーに関することだから出版差し止め」は、ボーダーラインが難しく、悪用される可能性があるからです。>政治家本人のプライバシーの報道まで規制したら、確かにmizuさんの仰る通り悪用される恐れがありますので、政治家本人のプライバシーは、ある程度報道されても仕方がないと私も思うのです。逆に、有権者の知る権利に適うと思う例もあります。個人としての生活や活動のあり方も人格に繋がるものであり、その報道は有権者が自分の代わりに政治をやってくれる様に託すかどうかを判断する材料にもなり得ます。例えば、Y元議員の女性問題などは、女性軽視(蔑視)の感覚を教えてくれる一つの材料となりますから、女性軽視(蔑視)の感覚を嫌う人は、彼に政治を託したくはないでしょう。ですから、その報道は知る権利に適っていると思います。私が疑問に思うのは、政治家本人ではない別の個人である家族のプライバシーを報道する事が、表現の自由と知る権利として個人の人権以上に重いかどうかです。犯罪を犯したと言うならまだしも、離婚などと言う超個人的な問題で一部の人の単なる覗き見の好奇心を満たす事が、有権者の益に何の関係があるでしょう。販売部数を上げようという行為の為の「表現の自由」の悪用ではないでしょうか。「責任を伴わない自由」は、単なる勝手な言い分による乱暴や暴力、或は中傷と同じではないでしょうか。こう書いていても、実は私個人としては、政治家としての田中議員を応援しているわけではありません。それでも、彼女の家族のプライバシーが何で「表現の自由」を盾にして書き立てられなければならないのか、疑問に思ったのです。そして日本では人権が薄いな、と感じたのです。今回のプライバシーの問題に限らず、日本での人権を無視した行為を見聞きする度に、日本にも欧米にあるような人権全体を纏めたものとしての人権法が必要だと、夫と話していたので、つい今回の件を書いてみたくなったのでした。元ハンセン病患者の宿泊を断った熊本の旅館の話も、宿側の人権意識の薄さに、驚いたと言うか呆れた事件です。夫と二人で「元患者さん達は、人権法が有れば旅館を訴えられるのにね。」と話し合った事でした。そして今、更に薄いのが、子供達の人権かもしれません。虐待される子供達の人権と命の重みの薄さには、目や耳を覆いたくなるほどです。わが子の命や人生を自分の物だと思っている親の、何と多い事でしょう!何か話がずれて来ましたね。うーん、いつも思っていながら時間が無くて書けなかった想いがどんどん繋がって出てきてしまいました。頭の方が付いて行けてないかも。もう寝ます。おやすみなさい。
2004年04月06日
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って、何でしょう?自分の意見を自由に言えることが表現の自由だと思っていました。戦前の日本や現在の北朝鮮、そしてテロ後のアメリカの一部で、戦争や国家指導者への反対意見を表明出来ない不自由さがあった(ある)のは、完全に表現の自由を奪っているでしょう。でも、他の人に迷惑を掛けない個人の過去や欠点、経歴などを暴く事も表現の自由なのでしょうか?そして知る権利に守られるのでしょうか?犯罪や他を害する事に繋がらないプライバシーは守られなければならない、と皆言います。一方で、公共の利に適う有名人のプライバシーを知る権利は、守られなくても仕方が無いという意見をテレビなどで言っています。そしてそれを書くのは表現の自由だと。そして、今回の政治家田中氏の長女の離婚問題を書きたてた週刊誌の出版差し止め事件が覆された裁判に、メディアに属する人々の多くが「ぎりぎりの処で表現の自由が守られた。」と喜ぶコメントを出しました。でも、その考え方に非常な疑問を感じました。政治家本人ならいざ知らず、政治活動をしてない市民としての長女の離婚問題を知ることがそんなに公共の利に適う事なのでしょうか?自分が有名になろうと思っていない有名人の家族まで、プライバシーの自由はないのでしょうか?普段から、有名人と言えども「他人の離婚や結婚、或は失敗の報道が、そんなに人々の役に立つのかな?」と疑問に思いつつ、「まあ、有名人でもそういう人生があるということで、自分の人生の慰めにする人もいるのだろうし、それを広告代わりに認める有名人もいるのだろう。」と一応の理解はしていましたが、自分の意志で、その有名人とは別の人生を生きている家族のプライバシーを曝して傷付けても良いほど、メディアの表現の自由という力は強いのでしょうか?自由には、普通義務と責任が伴います。自分の自由を守る事は同時に他人の自由を守る義務と責任もある筈です。自分の人生を生きるという個人の自由と権利は、今回、守られているのでしょうか?そしてプライバシーを曝した事で傷付けた心への責任は誰が取るのでしょうか?もし書いた人や出版社がその責任を取らないなら、それって人権を守っている行為でしょうか?日本には「人権法」って、未だ無いんですね。
2004年04月05日
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夫が帰ってきました。今朝早く広島へ向けて発った甥と入れ替わりです。帰宅の前にLiFTインストラクターとしての荷物を降ろしにオフィスに寄ったのですが、丁度LiFTをしていた小学1年生のK君は大喜び。彼は昨年の夏にリスニング療法を受けて構音障害がかなり改善され、今又レベルアップの為のブースト(LiFT20時間+カウンセリング)を受けに来ていますが、「おじちゃん」と遊ぶのが大好きなのです。夫は飛行機の中で寝ていない(映画を4本も観たそうです)とかで、K君がリーディングをしている時に、ヘロヘロになってオフィスから退散しました。私も夫が居ない間の家事と仕事に疲れてきたようで、今日はドジが多かったです。いつもより早めに帰ることにします。夫は暫くは時差ぼけがあるでしょうが、それでも少しは手伝えるかな、と期待。娘も「お父さんが居ないって大きいよね。」と言っていましたから、女二人、主夫(?)の有り難さを実感しています。でも、私が主婦をやっていた時、有り難く思って貰っていたのかなー(?)、とちと疑問。
2004年04月01日
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