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昨夜(というより今朝3時)、このブログを書き込んで直ぐ寝ました。朝夫がかけた目覚まし(夫は7時間睡眠を保とうと、自分がとこについた時間から7時間後に目覚ましをセットしているのです)で目覚めました。未だ5時間しか眠っていなくて少し頭痛を感じましたので、もう少し眠ろうとしましたが、昨夜のテーマについて考えたことが潜在意識に残っていたのでしょう。テーマへの考えが現れては消えていくのです。自分がこのブログで伝えたいメッセージをどう表したいのか、まとまらない、或いは言葉が見つからない中途半端な状態だったのでしょう。目を閉じてはいても眠れないまま、自分は何時、誰に「ありがとう」と言いたいのだろう、と考えて居ましたら、先ず夫の顔が浮かんできました。そして「そうだなー。色々あったけど、この人が傍に居てくれたお陰で、今の私があるんだなー。」というしみじみした想いが浮かんできました。そこでその浮かんだ顔にそっと「ありがとう」って言ってみました(勿論声は出さずに・・・笑)。そしたら、ふーっと胸と肩の力が抜けてリラックスするのを感じました。「あ、これ良い感じだな。」と思いつつ、娘や息子の顔も思い浮かべてみました。そして、「ありがとう」と思ったら、彼らが生まれてきてくれただけでも有り難いことや良いところ、そして今まで育てきた中で喜びや楽しみを共にしてきたことだけがが浮かんできました。つくづく「生きていてくれるだけで、ありがたいことなんだな。」と思えたことでした。そして心は本当に和んで、いつのまにか頭痛も消えていました。それから色々な知人や出会った人々の顔が浮かんで、「あー、本当に多くの人に支えられて生きているよなー。ありがたいことだなー。」と思うと、自分に必要な物を供給してくれている見知らぬ人々にも「ありがとう」と言いたい気分になりました。お陰で、良い気分で、すっきりと目が覚めました。「ありがとう」と思わせてくれた人々や出会いだけでなく「ありがとう」という言葉があったこと自体にも「ありがとう」って言いたくなりました。だから、テーマを「ありがとう」に「ありがとう」としてみました。人間だからこの「ありがとう」という言葉を持てているんですよね。人に生まれてよかった!今から先も、どんな「ありがとう」が出てくるのか楽しみです。
2005年01月31日
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人が仕事や勉強で適切に頑張るためには、適度なストレス状態になる必要があります。けれどもその緊張を解すストレス対処法を知らないと、ストレスが蓄積し過ぎて肩こりなどの症状が出たり酷いと病気になったりしますよね。そうならないような、ストレス対処法(解消法)を知っていると、地震の様な災害に出会っても、PTSDを抱える割合も少なくなります。そういう風に、必要に応じてストレス解消するように自己コントロールすることをストレス・マネイジメントと言います。これは、普段の快適な生活を守るだけでなく、心身の病気の予防にもなります。そして、災害などに備える危機管理にもなります。今日は、そのストレス・マネイジメントの概念ややり方を広めようという趣旨で立正大学被害者支援チーム主催で開かれた「関東ストレス・マネジメント研究会発足式」とそれに先立つ研修及びシンポジウムに参加してきました。今日の研修会の講師の一人が横浜の動作法研究会の仲間なので、先ず彼女の分科会にでたのですが、動作法のワークを軽く取り入れた分かり易いストレス・マネイジメント研修になっていました。次に出た分科会の講師は、立正大の教授で昨日までスマトラに行っていた方でしたが、リラクゼイションのワークに音楽と暗示を使われました。リスニング療法と通じるものがあって、興味深いものでした。その他、シンポジウムでも色々なストレス対処法の話や、ストレスレベル、PTSDの話などが出ました。神戸や京都からも講師やシンポジストがいらしていて、子供に関わる事件や災害(阪神淡路大震災や台風など)後のストレスに対する対応や学校での取り組みなどが話され、興味深いものでした。関西に比べて関東は、行政市民共に危機管理に対する意識が薄いそうで、関東大震災が来たらどう対処出来るのか心配だ、という発言もありました。私達も、イザという時に備えて物質面だけでなく精神面でも日頃からのストレス・マネイジメントで、ストレス対処法を身につけて備えておいた方が良さそうです。ストレスやそのマネイジメントに関する詳しい話は、このブログでもおいおい取り上げていこうと思います。会が終わった後、友人の紹介で講師の方々と知り合いになり、楽しく飲んで参りました。色々な方と知り合えてラッキーでした。中に精神科の医師で臨床心理士も持っていらして、立正大の教授で開業もしている方がありました。今後も診断やリファーなどでお世話になることになりそうです。今日の出会いに「ありがとう」。******************************テーマの「さいごは『ありがとう』」のさいごの意味が通じ難いと感じ始めましたので、「さいごはやはり『ありがとう』」というふうに変えました。また変えるかもしれません。ころころ変えるのはADDの特徴ですね。でも、誰にも迷惑が掛からないので、この「ころころ」を楽しむことにします。
2005年01月30日
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(昨日は、結局時間が無くて、続きを書けませんでしたので、今日がその続きです。)昨日も書きましたが、阪神淡路大震災で伯母夫婦が亡くなったことを聞いた時、本当に悲しい思いをしました。人間って、災害は自分に関係ないと思いがち(思いたい、と言った方が良いでしょうか)ですから、私達も心配はしながらも悲報を聞くまでは「大丈夫だろう。」と思っていました。今でも伯母の笑顔が浮かぶと、あの笑顔が失われたことに、体が沈むような感覚を覚えます。そしてだからこそ、伯母達が身を持って残してくれた教えを粗末にしてはならないと思うのです。そこで昨年、自宅を持てた事で気兼ねなく家に細工を出来る様になった時、箪笥や大きな家具には耐震用の道具を付けました。そしてオフィスの定休日である火曜日の18日には、万一関東大震災に襲われた時、先ず一番に私達が逃げて落ち着く場所(公園)、次に夜を自宅外で過ごさなければならないときに落ち着く先、つまり避難所を確認しに行きました。娘にもその場所を教えて、夫々がばらばらの場所に居るときに出会える場所として、頭にも入れました。災害は忘れた頃にやって来る、と言われます。神戸なども地震はないと言われていたようです。私達が引き取ったとき、神戸の施設に入る様に言った自分の友人達に「私が広島に行くことを決めたんじゃないのよ。私の知らないうちに子供達が決めたんだから、行かなきゃ仕様がないでしょ。」(本人に行くかどうか確認はしたのですが・・・)と言っていた夫の母も、他所の地震のニュースを聞いて「神戸は地震が来たことがないのよ。」等といっていました。長いこと地震が無かったからこそ大きかったのだと思いますが、いざ地震が神戸を襲うと「私、広島に来ることを決めて良かった。まさか神戸に地震が来るなんて思ってもいなかった。私は運が良かったのね。あの古い家に居たままやったらきっと、やられてると思うし、助かっても**(義弟)に迷惑を掛けてたと思う。(亡くなった)私の父が守ってくれたんやわ。」などと言っておりました(笑)。義母とは違う意味で、私も「色々あったけど、広島に居て貰って良かった。」と思いました。義母を神戸に残していたら、後悔したり自分を責めたりしたかもしれませんから・・・。NHKの朝ドラ「わかば」でも、地震のときわかばの父親が「自分の建てた家がどうなったかを見に行きたい。」と言ったときに止めなかった祖父と母親が「何故止めなかったのか、死なせたのは自分だ。」と思い悩みますが、人は身内や親しい人が不幸に出会った時、自分に原因を求めたがります。例え本当は自分の所為でも誰の所為でもなく、誰にもどうしようもなかった、と頭では分かっていても、心が原因を求めたがるのです。人のそういう心理的習性を分かっている筈のカウンセラーの私でも、いざ自分がそういう立場に立ったとき、自責の念で悩まないでいられるとは言えません。そういう不幸を少しでも避ける為には、災害に遭遇した時の物心両面の備えをしっかりしておくことだと思います。神戸で、中越で、スマトラで起きた地震による被害、そして日本で毎年起こる台風による被害のいずれも、天災は何時、何処で起こる分からない、ということを教えてくれています。私達の身の回りでも、明日起こるかもしれないのです。そのことを私達に自分の事として考えさせてくれた夫の伯母夫妻、そして他の多くの犠牲者のご冥福をお祈りします。そして「こんなときに、『ありがとう』は相応しくない。」と言う人がいるかもしれないけれど、でも私はやはり祈りと同じだけの感謝の念を捧げたい。「せめて犠牲を無駄にしないように努力します。多くの事を教えてくださって、ありがとう。」と。
2005年01月20日
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日本は、本当に天災の多い国ですね。台風、地震、津波・・・。でもだからこそ、その体験を次の災害に備えて活かす事が出来るし、活かさなければ犠牲になった方々の死を無駄にすることになります。17日が、阪神淡路大震災の10年目でした。10年前のあの日、私達はカナダのトロント近郊に住んでいました。当時は未だ、NHKの海外向けBS放送も始まっていませんでしたので、直ぐにはその情報が伝わりませんでした。夫が会社へ出勤する頃には全世界にそのニュースが広がった様で、カーラジオのニュースで神戸の地震のことを聞いて、自宅に居た私に電話をしてきました。「神戸で地震があったらしい。テレビを見てみてくれ。ニュースで詳しく出るかもしれん。」あちこちのチャンネルをひねって、地震のニュースをやっているところを探しました。そしてやっとそのニュースを見たとき、その災害の規模の大きさに驚きました。夫は神戸の出身です。彼の母親は私達が広島に引き取って夫に単身赴任して貰い、私と娘とで1年半面倒を見ていました。その後、学校でのいじめや祖母と母親との狭間で居場所をなくし掛けた娘が精神的に不安定になったために、家族でまとまろうとカナダへ行きました。姑は日本に残りたいと言ったので、老人保健施設に移って貰っていました。ですから、義母のことは心配ありませんでしたが、夫の末の弟や伯母夫婦は神戸に住んでいましたので、とても心配でした。そこで義弟と連絡を取ろうと電話をしましたが、その頃はもう電話はパンク状態だったようで、幾ら電話をしても繋がりません。そこで義母に電話をしましたが、それでも暫くは伝わりませんでした。とにかく日本への電話が繋がらない状態になっていたのです。そして次の日になってやっと広島の義母とは繋がり、義弟が無事であることが分かりました。でも、芦屋に住んでいた伯母夫婦は、箪笥の下敷きになって亡くなっていたそうです。その伯母は戦時中台湾に住んでいたことがあり、私の両親とも親交があって、台湾で夫と私が生まれた(勿論、夫々違う年で違う場所での誕生でしたが)頃のことも良く知っていましたので、夫の両親には反対された私達の結婚も祝福してくれました。彼女の自宅にも誘われて遊びにも行き、歓迎を受けました。そんな伯母夫婦の非業の死を聞いたとき、本当に胸が痛む想いでした。今でも、彼らの笑顔が浮かんできます。そんな彼らが残してくれた「私達の犠牲を無駄にしないように、地震対策をしっかりやりなさいよ。」という教訓を、私達は生かして、彼らの分まで生き抜かなければなりません。ここで少し休憩して、出かけてきます。また続きは後で書きますね。
2005年01月19日
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今朝自分のブログを開けてみましたら、自分の好きな言葉とは言え、「人生万事塞翁が馬」というのは、漢字だらけで硬いな、と感じました。このサイトのコンセプトは、ヴィジターも自分もストレスを解消したり、次へのステップをポジティヴに踏み出したりする源になりたい、というものです。なのに開けた瞬間、硬い漢字の羅列では、逆にストレスの元に成りかねません。そこで、もっと柔らかい表現で、「塞翁が馬」に託した私の気持ちを表せないかなー、と考えてみました。「私も、この翁の様に『ああ、良かった』という「幸せな気持ち」で最後の時を迎え、周りの人に『ありがとう』と言いつつあの世へ旅立てる人生を送りたい。」という願いから、テーマを「塞翁が馬」に選んだのでした。そこで、この最後の時に「ありがとう」と言いたい気持ちを「さいごは『ありがとう』」としてテーマにすることにしました。考えてみたら、今までも色々な事があっても、結局多くの人に助けられて、最後は「ありがとう」で終わることが多かったので、このテーマの方が幅広いかもしれません。だって、このサイトを訪れて下さる皆さんにも毎日「ありがとう」ですものね。今日も最後まで読んで下さって、本当に「ありがとう」です。
2005年01月14日
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今年は、新しいテーマと新しいニックネームで、このブログを書いていこうと思います。テーマは、只今模索中なので、ころころ変わるかもしれません。今自分が書きたいと思っていることを一言で言い表す言葉が、なかなか思いつかないので、当面は私の好きな言葉「塞翁が馬」をテーマにしてみようと思います。ハンドル・ネームは本名と職業をそのまま使って、自分が誰なのかをはっきりさせました。ただ、元の「スマイル・ケイ」というハンドル・ネームも結構気に入っていたことと、今迄の読者の方やリンクして下さっている方から逆に「これ誰?」と言われない様に、「スマイル・ケイ こと 心理カウンセラー&LiFTインストラクターけいこ」としました。結果、とても長くなってしまいましたが、反ってインパクトがあるかも・・・?「塞翁が馬」という言葉の語源は、中国の故事にあることは余りにも有名ですが、このブログのテーマとして適切かどうかを確認したいので、ここにその故事を書き留めておこうと思います。中国、北辺の塞(とりで)に住む老人(即ち塞翁)の持ち馬が、あるとき胡(こ)の地に逃げました。それを気の毒がる周りの人々に老人は「これがどうして幸いとならないと言えるでしょう。」と言いました。やがてその馬は、りっぱな馬を連れて帰ってきました。お祝いに駆けつけた人々に老人は「これがどうして災いとなり得ないでしょう。」と言いました。そして二頭の間に良馬が生まれましたが、老人の子はその馬から落ちて足を折ってしまいました。駆けつけた人々に老人は「これがどうして幸いとならないと言えるでしょうか。」と言いました。やがて胡(こ)の軍勢が侵入し、若者達は戦って十人中九人まで死にましたが、足を折った老人の息子は障害があったが故に戦わず、父子共々命を永らえたそうです。この故事が、「人生では災いが何時福の原因になるか分からないし、また福が何時災いの原因になるかも分からない。だから災いにあっても嘆くことはなく、福にあっても喜んでばかりはいられない。」という「万事塞翁が馬」という諺になったのだそうです。「禍福は糾(あざな)える縄の如し」という諺も同じ意味でしょうが、「塞翁が馬」の方が、より積極的な生き方を示唆しているように思います。私のこれまでの人生が、本当にこの諺通りでした。悪い出来事だ、と思っていたことがあったからこそ後の幸せに繋がったり、幸運だと思っていたことが後の悪いことの原因になっていたりしました。私が「塞翁が馬」という諺に出会ったのは、随分若いこ頃のことですが、「塞翁が馬」を実感したのは小柴先生にお会いしてからでした。先生の教えを受けてから「悪いことがあっても良いことの原因になるよう考えたり行動したりしよう。」と出来るだけポジティヴな考え方と生き方を心掛けるようになりました。そして、同じ出来事でも考え方や受け入れ方によってポジティヴにもネガティヴにも変化することを身を持って知ったのです。「塞翁が馬」の翁の様な結局最後は福を得る人生は、そうなる様にポジティヴに考えたり行動したりしてこそ得られるのだろう、と思います。もし翁が、災いが起きたときに嘆いて落ち込んでいたら、マイナスのエネルギーが働いて、後の福はやってこなかっただろうと思います。また馬が福を連れて来たときに、後の災いの可能性を感じて有頂天にならなかったからこそ、子供が足を折っても落ち着いて処置出来たでしょうし、プラスのエネルギーも働いて落ち込まずに済んだでしょう。人生の幸不幸は、年老いて死ぬ前の時期の心が幸せかどうかで決まるような気がします。この翁は、「ああ、良かった」と思いつつ最後の時を迎えたのではないでしょうか。私も、この翁の様に「幸せな気持ち」で周りの人に「ありがとう」と言いつつあの世へ旅立てる人生を送りたいものです。
2005年01月13日
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明けまして おめでとう ございます2005年も宜しくお願い致します「スマイル・ケイ」こと「心理カウンセラー&LiFTインストラクター井上けい子」
2005年01月06日
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