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倭国大乱の時代、大和国は大変なことになります。
天皇の時代でいうと、孝昭、孝安、孝霊、孝元の四代です。
竹内氏が指摘しているように、皆、諡(おくりな)に「孝」が付いていますよね。
孝昭天皇が即位したのは西暦140年ですから、そのころから開化天皇が即位する204年までの約64年間が倭国大乱の時代であったのではないかと竹内氏は見ているようです。
しかもその時代、葦原中国すなわち「邪馬台国」は大和から九州に一時撤退を余儀なくされたといいます。
なぜ「孝」という諡を付けたのか、竹内氏は明らかにしていませんが、「孝」には親をよく思い、親によく仕えることという意味があります。
つまり、内乱によって大和国を追い出された形になってしまったが、親(先祖)がせっかく大和につくった国を取り戻すべく、よく頑張って戦ったという意味が込められているのではないでしょうか。
この竹内氏の邪馬台国九州遷都説は、魏志倭人伝の記述とも一致します。
「女王国ではもともと男子を王としていたが、70~80年を経て倭国が相争う状況となった」と書かれていますね。
神武天皇が即位したのが西暦56年ですから、それから70~80年後というと、西暦126~136年ごろとなります。
孝昭天皇が即位した年(140年)とほぼ一致しますね。
ただし、ここにはトリックがあって、「もともと男子を王としていた」とありますよね。
これはもちろん神武天皇に始まる統治王のことを指している可能性はありますが、魏志倭人伝の作者が倭人の王のことを祭祀王だとしている場合は、カムヤイミミ以降の祭祀王のことを言っているとも解釈できます。
後者の場合だと、まさに孝昭天皇の時代から倭国大乱が始まったことになります。
では邪馬台国はどこと戦ったかというと、それは「造山(つくりやま)古墳」で知られる吉備国であったと竹内氏は言います。
でも、おそらく東北に逃れたというナガスネヒコとアビヒコの子孫たちの動静も侮れなかったと思われます。彼らがおとなしく黙っているわけはありませんね
ここで思い出されるのは、偽書とされて学界からは見向きもされない『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』です。
アビヒコを祖とする東北のアラハバキ軍は、「懿徳天皇の後、南下して、大和王朝を空位ならしめた」としています。
『帝皇日嗣極秘口伝』とぴったり一致するでしょ。
孝昭天皇は大和国から日向国に逃げたので、大和国の王位はその後、空位となったわけです。
『東日流外三郡誌』はまた、孝元天皇はアラハバキ系であったとも書いてあります。
一般の人には何のことか全くわかりませんよね。
ところが『帝皇日嗣極秘口伝』もしくは本当の天皇家の系図を良く知るものなら、何のことがピンと来るようになっているんですね。
ですから、『東日流外三郡誌』は偽書かもしれませんが、当時の天皇家ならびに王たちの系図をよく知るものが書いた一流の偽書であることがわかるわけです。
(続く)
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