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85年には富山支局から浦和支局に転勤。
富山と違って埼玉は、毎月一回は殺人事件で県警本部に捜査本部ができる賑やかさ。さらに、その年の8月には日航機墜落事故で急に呼び出され、群馬県藤岡の現地対策本部の取材でほとんど着の身着のままの状態で、一週間駆けまわりました。
遺族の取材はいつもきついモノです。
続けて筑波の科学博応援取材もさせられました。
さたに大島三原山の噴火の取材でも招集されそうになったのですが、それは免除に。
浦和支局勤務だったとき、日航機機長によるアラスカ上空UFO目撃事件があり、UFOライブラリーの荒井氏と再会したり、秋山眞人氏と知り合ったりしたのもこのころでした。
秋山氏が編集長を務めたボストンクラブにも原稿を書いています。
秋山氏をはじめとする多くのコンタクティーにも浦和支局時代に取材しています。
さらに1988年からは本社に異動。8年間、経済部の記者として忙しい日々を過ごしておりました。
で、1996年には退社して、アメリカに行きます。
ハーバード大学院とジョンズ・ホプキンズ大学院でそれぞれ修士号を取りますが、成績はだいたい平均でAマイナス(優)弱くらい(奇しくもハーバードの最初の学期と、ジョンズ・ホプキンズの最後の学期がオール優)でした。
1999年にケネディ暗殺についての論文を雑誌に書いた後、2000年からニューズウィーク日本版で編集者として勤務。世界経済入門やUSビジネストレンドなどを担当しておりました。
その際、これからは好きなことを書こうと決心して、かねてからの課題であった竹内文書の執筆を始めたというのが、おおまかないきさつです。
その間、忙しかったですが、いつか必ず竹内文書の本を書くという気持ちはずっと持っておりました。
だから仕事をしながらでも、時間を見つけては、取材を続けていました。
竹内睦泰氏に取材したのも、ニューズウィーク日本版で編集の仕事をしているときでした。あれは2003年の春ごろだと思います。
(続く)
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