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自分が♥【自分が自分する】♥治水師は、流れを治め矢作りは、矢を矯めなおし木工は、木を正すごとよき人は我を調うと教えられている。しかし、少し調子が悪いと私たちは、ややもす ると、その原因を、環境の原因にし・社会の原因 にしたりする。 そういう社会や環境を善くしていくという努力 は大切であるがそれとともに、一番の根本であ る、自分を調えることが大切で、自分が変われ ば周辺に及ぼす影響ははかり知れないものがあ る。やはり自分が自分を自分することだ。自分が自分を自分する ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 31, 2016
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♥【ミュージシャン】♥誰が教えたわけでもないし、どこで覚えてきたのかもわからない。音楽が鳴りだすと腰を振り踊りだす。親は野球選手にしたいらしいが、ミュージシャンでもいいと馬鹿じいじいは思っている。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 30, 2016
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♥【生きる】♥相撲甚句に「正月寿く福寿草2月に咲くのは梅の花3月桜や4月藤5月あやめや かきつばた6月牡丹に舞う蝶や7月の山に咲く萩の8月お盆で蓮の花ききょう かるかや おみなえし 冬は水仙たまつばき」とある。ふと庭に目をやると名も知らない花が咲いていた。うちの庭に来てからどれだけ絶つのか知らないが花に気が付いたのは初めてである。いかに植物に興味がないかと言うことだ。甚句に歌われている花でもはっきりとわかるのは、梅・桜・牡丹・萩・水仙ぐらいであとはあまり知らない。自慢にはならないがそういうことである。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 29, 2016
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♥【終わってみれば】♥大相撲が白鵬の優勝で終わった。琴奨菊の横綱昇進が期待されたが終わってみれば8勝で終わり元に戻ってしまった。稀勢の里も豪栄道も初優勝のチャンスがあったのだがそれも駄目になった。千秋楽で白鵬が負ければ優勝決定戦だったが、立会に変わってしまいあっけなく優勝した。白鵬には横綱としての資格は薄い。大相撲は神事である。と言うことをもう一度かみしめてほしい。しかし幕下の佐藤と宇良が来場所十両となり盛り上げてくれるだろう。そろそろ白鵬も力が落ちてきただろうか。終わってみれば白鵬の引退そして日本に帰化していないため相撲協会には残れずさようならと言う日も近いのだろうか? ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 28, 2016
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♥【コミニュケーション】♥コミニュケーションある雑誌に 最初の切っ掛けとしてた……たべもの ち……共通の知人 つ……通勤のこと て……天気 と……トピックス な……名前 か……家族のこと に……日本人論 は……はやり い……異性 れ……レジャーと載っていた。コミニレーションを取るのは苦手である。敬語が使えない。方言がひどい。ひとの名前と顔が一致しない。何から語ればいいのかわからない。駄目である。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 27, 2016
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高田本山で第25世伝統報告法会が実施され、孫二人が稚児練りに出た。180人ぐらいの稚児が静かに待っていたが、なぜか二人の孫だけが泣くわ 喚くわ 騒ぐわ 座り込むは、親はパニックになり「こんなの稚児練りに出よと言ったじいじいの自己満や」とののしるし、こちらは「1歳の子に、自己満足などはない。じいじいのエゴじゃ」と言いたいのをぐっと我慢し、じっと待っていた。40分ほど冷たい風と子供の冷たい目と、孫の叫びにさらされながらいよいよ始まった。ひとりは袴がほどけこんな格好で練りだした。もう一人はぐずるだけぐずって練りが始まったらぐっすり眠りについた。終わりになったら起きだして歩き始めた。じいじいの自己満足も十分に満足した。
March 26, 2016
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♥【生きる】♥スポセンが休みだったので午前中県立図書館に行ってきた。車で15分もあれば行ける。新聞をじっくり読み、そして目的の本棚に行き目的の本を持って机に行く。ここの図書館は、書架の周りに椅子だけが外を背にして並べてあり、所々に机といすがあるというスタイルだ。パソコンも持ち込み自由でそれの専用のデスクもある。スポセンが休みの時は時々行く。なぜかといえば新聞を読むためだ。2-3か月前に新聞の購読が必要ないことに気づき100年ばかり取っていた新聞の購読をやめた。新聞を読むのは私ひとりであり、それもじっくりとは読まなかった。ネットとテレビニュースでだいたいのことは分かった。それにスポセンで新聞が読めるのだ。そうなると年金生活者の月々3000円余の出費が助かる。今日ネットに次のようなことが出ていた。毎日新聞社は24日、山梨県内での夕刊配達を3月31日付で終了することを明らかにした。希望者には夕刊を翌日の朝刊とともに配達するという。 同社によると、夕刊掲載の一部記事や夕刊連載小説「満月の泥枕」は、4月1日からの新朝刊でも読むことができるという。 夕刊配達を終了する理由について、同社は「読者の生活様式の変化やインターネットの普及などにより、夕刊の購読者数が減少しているため」としている。 山梨県では、朝日新聞も3月31日付で夕刊を終了する。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 25, 2016
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♥【生きる】♥相撲は50年間好きである。数年間名古屋場所には毎年行っていた。誰が贔屓と言うことはない。ただ相撲が好きなだけである。小学5年のときに学校に土俵があり、その上で一人で相撲のまねをしていたら、次の体育の時間はすもうだった。先生が人数分のまわしを持ってきた。たぶん戦前はやっていたのだろう。まわしの締め方を覚え男子だけの勝ち抜き戦になった。私は中肉中背で力は弱い方である。ただこつだけは知っていた。体格のいい同級生に2人まけて関脇だった。その頃から好きである。琴奨菊が連敗して、日本人出身の横綱が遠のいた。また数場所かかるだろう。残念でならない。外国人の横綱が悪いということはない。しかし最後の最後で果たして相撲の意味を知っているかといえばスポーツ・金儲けぐらいに思っているのではないか。白鵬にしろ横綱としての品格にかける土俵態度が見られる。一日も早い日本人横綱が生まれることを期待するだけだ。初対面の者に政治・宗教・スポーツの話はするな。と教えられている。政治・宗教はわかるがなぜスポーツかと思った。私は相撲以外のスポーツには興味がないのでわからなかったが熱狂的なファンの人がおられるのだ。たとえば阪神ファンの人に巨人をほめればどう見られるかだ。商談相手ならなおさらだ。といいつつスポーツの話になってしまった。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 24, 2016
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あまりにも天気が良すぎる。スポセンから帰ってきて、布団と枕を干し、家中の窓を開けっぱなしにして空気を入れ替えた。庭に咲く花々と飼い主と同じようにのんびりとしている犬を写真に収め庭で椅子に座ってぐたっとしていた。田舎であるので、物音一つしない。村人もだれ一人通らない。自動車も自転車さえも通っていかない。久しぶりの甲羅干しである。亀が1万年生きるのも納得できた。
March 23, 2016
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♥【古戦場】♥関ヶ原、「世界三大古戦場」へPR…外国人誘致 南北戦争の激戦地となった米国・ゲティスバーグと、ナポレオン1世最後の戦いとなったベルギー・ワーテルローの古戦場の自治体関係者を招き、岐阜県関ヶ原町で19日、世界古戦場サミットが開催された。 県と町は2020年までに関ヶ原古戦場一帯を、視覚的に楽しめる「野外博物館」にする計画を進めており、関ヶ原を「世界三大古戦場」としてPRし、外国人観光客の誘致も図る。 JR関ヶ原駅から徒歩で約20分。見渡す限りに広がる田畑が、徳川家康率いる東軍と、石田三成率いる西軍が激突した主戦場だ。「徳川家康最後陣地」を中心に半径500メートルの土地にあり、石田三成が陣を構えた笹尾山など計7か所で国指定史跡が点在する。 しかし、古戦場には石碑や有名な武将の幟旗のぼりばたなどがポツポツと立っているだけだ。戦の布陣図が脳裏に浮かぶ歴史ファンなら楽しめるが、合戦の様子を連想させる仕掛けはない。県が行った観光客へのアンケート調査では「楽しめる施設や工夫に欠ける」など、厳しい意見が相次いでいた。と新聞に載っていた。私も行ってみたが本当に何もないところだ。旗だけ立ててここがだれだれの陣地跡だとアピールしているだけである。野外で難しいかもしれないが蝋人形などで戦いの様子を再現するとかしないと集客はないだろう。関ヶ原の駅を降りた時に見知らぬ歴史オタクのおっさんが盛んに「天下をとれたのは真田幸村だ」と言っていた。今真田丸で脚光を浴びているが今より15年も前の話だ。世の中にはいろんな人がいる。しかし天下を取るにはそれだけのオーラなり、雰囲気なり、目に見えない力が必要だ。昨日琴奨菊が稀勢の里に負けた。果たして琴奨菊が横綱になる目に見えない力・オーラを持っているか。頑張ってほしい。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 21, 2016
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♥【生きる】♥高村光太郎がS16年に発表した随筆〚本邦肖像彫刻技法の推移〛に鑑真の坐像=傑作である 日本に来た時に180人ぐらいの随伴者がいた。 坐像は彫刻として つつましい、寂しい、深い、あたたかい高僧の魂がそのまま姿となって現れたような美しさがある。 出しゃばらず、しかも気力に満ち、瞑目のまま静かに趺坐して両掌を膝に組む、この質素極まる風姿は実に戒律伝授の大徳さながらである。とある。 唐招提寺には3回ほどお参りしたが、戒を与えるにふさわしい雰囲気の大寺である。1980年に〚天平の甍〛という映画も観た。壮絶な人生を歩まれた僧である。そのようなことを微塵も見せない柔和な坐像である。このような老人になりたいと願っている。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 21, 2016
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♥【同病】♥定期的な通院に行った。高血圧と肺気腫の薬がなくなると通院する。個人医だがそれまでは大病院に勤務されていた先生だ。私が現役のころ、この病院に講話に行った時に、話の最後に部屋に入ってきて最後の礼をしたら一番後ろで礼をしていた。何も話を聞かなくて礼だけしてとおかしくなった。この先生を知り合いが知っていたので開院と同時に私も通うことになった。もう15年ほどになる。紙一重のところがあり、時々おかしなことを言う先生である。先生がレントゲンを見ながら知り合いに「御主人に病院に来るように言ってください」「先生どこか悪いところが見つかったのですか?」「いやこの頃通院されていないので」「先生レントゲン写真を見ながらいないでください」今日も「先生○○さんも肺気腫だそうですね」「年を取ると在宅吸引になりますよ」「気の毒ですね」「長生きすればの話ね」どういうこと?私も肺気腫ですよ 平成の平和な世の中こんな医者と、いろいろな友人と色々な知り合いと、なんだかんだとゆったりと生かされています。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 20, 2016
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♥【ものの凍らぬ】♥40代のころ新潟・秋田・青森を旅して・東京で一泊して帰ってきたことがあった。新潟は新潟の友人に案内してもらい、秋田は秋田の友人に案内してもらい、ここまで来たのだから青森の友人にも会って行こうと、二人で青森の友人も訪ねた。台風が日本列島を北上しており、台風の進路の前へ前へと行程を進めたが、田沢湖で追いつかれた。新潟では長岡市を秋田では山形の尾花沢市・秋田では男鹿半島・田沢湖をそして青森では十和田湖・奥入瀬・八甲田と回った。八甲田山で「なぜこんな静かなところで200名近い人が犠牲になったのだろう?」八甲田山雪中行軍遭難事件と言ったら穏やかな青森の友人が烈火のごとく怒り「南国の人にはわかりません」と言った。これ以前に小説や映画でこの事件は知っていた。昨夜BSで放映されていて改めてみた。やはり一年に一回積雪するかしないかの土地に住んでいる者にはわからない状況だ。新潟の人が「好幹さんはいまから明るいところに帰るからいいね」と言っていたし、秋田の人が三重県に来てフェニックスを見て「南国ですなぁ」と言ったのを思い出した。鈴木真砂女の句に「初凪やものの凍らぬ国にすみ」というのがある。住めば都と言うが私の故郷はすまない人にとっても都である。パラダイスである。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 19, 2016
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♥【人徳】♥小学校の同窓会を5月にすることになった。そろそろ集まって色々と決めなければならない。6か月前にしたばかりだがある人が果樹園をしており5月以外は出席できないというから5月にするという。彼は秀才で学校では一番勉強も運動もできた。長く農林省に努め定年退職をして家業を継いだのだ。フェスブックでも500人ぐらいとつながっている。彼のために同窓会の時期を変えるというのは人徳があるからだ。閑話休題あるホテルに80人ぐらいが集まって昔の歌声喫茶みたいのをしている。今回で5回目だという。10人ぐらいは中学校の同級生だという。主催も同級生の一人だ。ある人に「おいでよ」と誘われたので今回から参加する。女房に「なぜ最初から誘ってくれなかったのだろう?」と言ったら「歌が下手のを知っているし、まあ人徳がないんだ」って ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 18, 2016
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知多半島までイチゴ狩りに行きました。制限時間は45分でしたが、12時で閉店のところ到着したのが11時30分で15分足りないがいいかと問われ折角来たのだからと思い切り食べました。 私は野菜や果物が食べず嫌いで、イチゴもほとんど食べたことがありませんでした。20-30個食べて今まで食べていなかった分を取り戻した感じです。 次にせんべいの里に向かいました。ここはエビを入れたせんべいを作っていてその場で試食させてくれます。ウィークデーでしたので人はまばらでした。 次に向かったのが中部国際空港です。久しぶりに飛行機を見ました。空港へは5-6回来ていますが、できてから日にちがたつので落ち着いてきているのか人も以前のような混雑はありませんでした。それぞれがお大きな荷物を持ち、ぞれぞれがいろいろな思いを胸に旅立っていきました。 今はやりの爆買のメンバーには会いませんでした
March 17, 2016
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♥【鳥の声など】♥徒然草に「もののあはれは秋がまさっている」と誰もが言うようだが、それも一理あるが、今ひときわ心浮き立つものは、春の風物でこそあるだろう。鳥の声なども格別に春めいて、のどかな日の光の中、垣根の草が萌え出す頃から、次第に春が深くなってきて霞がそこらじゅうに立ち込めて、花もだんだん色づいてくる、そんな折も折、雨風がうち続いて、心はせわしなく思ううちに散り過ぎてしまうひさかたの ひかりのどけき はるのひに しずごころなく はなのちるらん (きのとものり)とある。今日はその春めいてきた一日を求めて行先はこれから会って決めるのだが行ってきます ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 16, 2016
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♥【生きる】♥{全豆連の相原洋一さんは「豆腐は中国生まれで日本育ち、和食のど真ん中」と強調する。奈良時代に遣唐使の僧によって伝来し、1183年の春日大社の神主の日記に「唐符」とあるのが最初の記録という。室町時代に全国に広がった 「腐」は熟成を意味する。冷奴(ひややっこ)は大名行列で槍(やり)を持つ奴の四角い紋が起源だ。「1丁」という呼称の丁は偶数を意味し、売る際に長い形を二つに分けたことに由来するという。全国の豆腐屋は最盛期の60年に5万軒を超した。今は1万軒を切る。家族経営の業者が減ったが、需要は20年以上、減っていない。中華や洋食にも適合したからだ。}と言われている。また相撲甚句には「今度この町に豆腐屋ができたよー そこで豆腐の言うことにゃ わしほど因果なものは無い 朝も はよから起こされて 火責め水攻め逢わされる 火責め水攻めいとわねど 一丁2丁の刻み売り後に残りしおからまで 1銭2銭のつまみうり 親はどこよとたずねたら 親は畑で豆でいる」というのがある。昨夜は豆腐入りの味噌汁だった。豆腐は何にでもうまくからんで料理ができるので好きである。「私の妻の得意な料理はパック入りの刺身と冷奴です」と言う小話があるが、現役のころ店屋物を取っていた時に「何がいいですか」と若い衆が聞いたので「豆腐」と言ったら1丁皿の上に載っていたのも懐かしい思い出である。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 15, 2016
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♥【大相撲】♥大相撲春場所が始まりました。荒れる大阪場所です。白鵬・鶴竜の横綱が初日から敗れた。琴奨菊の優勝・横綱昇進を期待します。初っ切りを観て相撲ファンになってください。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 14, 2016
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♥【気働き】♥ガリ版随筆に「女性に大切なものは、気働き・心の優しさ・思いやりそして内から出る美しさ、それらを心にしっかりと包んで心届いた、きりきりしゃんとした女性になることを忘れないでほしい。そこから美も出れば愛すら出るのだ。そこから幸福すらも出るだろうと私は信じる。」どれだけの女学生が 、このときからこのことを気にかけて生きてきただろうか。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 13, 2016
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♥【名前】♥寺内貫太郎一家というテレビを昔にやっていた。樹木 希林が沢田研二のポスターを眺めて「ジュリーィィィ!!」と叫ぶシーンを覚えているこの脚本を向田邦子が書いた。彼女によると寺内貫太郎という名前を付けた由来は「・東京谷中の石屋の話……寺も近いから寺内 昔かたぎのデブのイメージだから重そうな貫そして太郎で寺内貫太郎・呼びやすくしかも字数のあまり多くないのを選ぶ間違っても黒柳徹子などとはつけない」 そうだ。スポセンで2-3人に言われたことは「今頃聞くのはおかしいけど、あんた名前は?」である。数年しゃべっていても名前などどうでもよいのだ。私は好という字が名前についている。親に言わせると「お前は生まれてきたときに怖い顔をしていたので性格だけでも女の子のようになるように、この名前にしたのだ」という。親も怖がった顔であるから、他人も怖くないはずはない。よく「怖い顔をして」と言われる。すかさず「生まれつきだ」と言うが、よほどこの世に出てくるのが嫌だったのだろう。まぁ未だにこの世に生存しているという意識はないが、女の子のような性格にはならなかったが、お陰様で、いろんな女の子は好きになった。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 12, 2016
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♥【5年】♥あれから5年、もう5年というべきか。まだ5年というべきか。あの日は第二の職場もあと20日ぐらいで退職という時で、事務をしていた。くらくらと少しめまいがしたが大したことがなかったので誰にも言わずにいた。すぐに携帯にメールが入り東北地方で大地震だという。職場のテレビをつけたら津波の映像が流されていた。最初はどこか港に置いてあった車が流されているのだと職場の人と話していたが、そんな小さな規模ではなかった。後の顛末は皆さんご案内の通りである。南相馬の知り合いはまだ避難生活者である。震災から2年後に伊勢で開かれた全国の集いに参加した気仙沼の知り合いは神宮の御神体を100体ぐらい求めていた。「どうするのか」と聞いたら、「火災と津波でほとんどの船が流されたので今新造船を作っている人々にあげて船に祀ってもらうのだ」という。この付近に10人前後の知り合いがいながら何もできなかったことを悔やんでいる。どのようなことをすればいいのかさえ分からなかった。第二の職場の後の職員もそれぞれの持ち場で眩暈らしいものを感じたというが年より扱いされたくなかったのでみんなが黙っていたということを後から知った。こんな程度で済んだ地域の者にはどのような手助けが大切だったのかもわからないでいる。まだ大地震の発生の危険性が騒がれている。大難を中難に中難を小難に小難を無難に過ごせるように日ごろから準備だけは怠らずにおこうと思う。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 11, 2016
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♥【今が一番若い】♥「あんた頑張っているね」「今が一番若い時だから今頑張らないと頑張るときがないよ」とスポセンでの70代と思しめき女性同士の会話である。見た目は若い。私の祖母はわたしが物こごろついた時に腰が90度に曲がっていた。正面切って祖母の顔を見たことがない。それがたぶん60代のころだと思う。この頃は腰が90度に曲がった人は見かけない。栄養と医療と生活習慣の違いだろう。私の若いころは副食がない時には卵掛け御飯だけだった。朝も味噌汁だけでそれをご飯にぶっかけて食べていた。栄養はあっただろうが偏りすぎていた。今は色々とバランスを考えた食事がとれるようになった。医療も骨粗鬆症なんて言われて日が浅い。むかしはそんなことはお構いなしだったのだろう。生活習慣も腰を曲げて仕事をしていた祖母に比べたらその1/100も腰を曲げて仕事をしていない。わたしも祖母が腰を曲げていた年齢を超えたが腰痛はしばしばあるがまだ腰が曲がるところまではいっていない。腰痛予防や腰を曲がるのを予防するためにも「今が一番若い」今日スポセンで頑張りたい。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 10, 2016
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春到り 時和らげば 花尚一段の好色を鋪き 鳥且つ幾句の好音を囀ず 士君士幸いに頭角を列ね 復た温飽に遭う 好言を立て 好事を行うこと思わざれば 是れ世に在ること百年なりといえども 恰も未だ一日を生きざるに似たり春になって時候が和らいでくると、花でさえ一段の好き色を地に敷き、鳥でさえ幾句の好音を囀って、いずれも為すところがある。しかるに士君士たるもの幸いに、この世に生まれ出て頭を並べて温かに着 飽くまで食っている以上 ひとつ奮発して学を研き 徳を修め 立派な議論をし 大いなる事業を為さねばならぬ さもなくば たとえ百年の長命をたもったところで一日も生存せざる者と等しく 生きがいの無い人生である。と菜根譚という書物にある。< DIV align=right>By GT-ONE
March 9, 2016
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♥【24時間】♥昨日はザザエさん症候群で、月曜日の朝になるという憂鬱な気分になる症候群があると紹介したが、月曜日の昨日はスポーツセンターがにぎわっていた。木曜日が休みであり、月曜日と水曜日はにぎわう。私は朝の9時30分の開館と同時に入る。そうしないと12台あるウオーキングマシーンが取れないのである。これを逃すと40分から50分待ちである。12番までに並んで番号札をもらう。だいたい毎日5-8番である。先日新聞を観ていたら24時間営業のジムがすでに100店舗を超えているらしい。ここの会社では2020年までに200店舗を目標にするとのことである。この欄に早稲田大学の柴田重信教授がコメントを寄せていた。それによると朝6時30分に起床する朝型モデルの場合午前中は筋力アップや骨を丈夫にするトレーニングで効果が現れ夕方は自己記録に挑戦したりジョキングなど脂肪を燃焼するのに効果があるという。夜間の運動は体内時間を夜型化するのを助長するという。肥満や成績低下を招く恐れはあるが、例えば夜の2時30分ごろに寝て9時30分ごろに起床する夜型人間であれば夜の運動もよいという。 9時に布団に入り10時に寝付いている私にはどうでもよい内容の記事でした。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 8, 2016
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サザエさん症候群というのがあるらしい。現役のころからこの言葉は知っていた。幸いにして仕事をやめる1年前までは仕事が楽しくて仕方がなかったのでこのような症状は出なかった。やめる1年前ももうやめられると思っていたため案外のんびりとできた。しかし月曜日の出勤は憂鬱であった。今はこんな症状に遭わないで済むので快適そのものだ。閑話休題昔サザエさんの秘密という本があり、その中には家系図はもちろん家の見取り図まで載せてあったのを覚えている。波平さんの御先祖は磯野藻屑源素太皆という武士でおはぎを38個も食べて殿様に褒美をもらったという。波平さんの奥さんがフネさんでその子供がサザエ・カツオ・ワカメであり、サザエさんの夫がマスオさんである。結婚して妻の実家に住んでいる人をマスオさん状態というらしい。ってことを考えていればサザエさん症候群にもならないだろう。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 7, 2016
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♥【気の強い女】♥恩師の〚高校教師のガリ版随筆〛に「気の強い女というのは結局は損だ。年老いて子に嫌われ、孫に疎まれ、そして自分は終始いらいらしながら過ごさねばならない。女の本質はやはり優しさにあるようだ。しっかりしているということは気の強いことではなく、それは優しさと少しも矛盾しないことを考えるべきだ。一個の男子としてつくづく思う」というようなことを。もう50年も昔に当時14.5の娘たちの国語の副読本としていた。どれだけの人々がこの副読本を糧として人生を歩んだかは知らないが、少なくともわたし自身は、どこかに無意識のうちに意識して歩んできた気がする。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 6, 2016
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花と星詩人 坂村真民 花と星 天に向かって花は咲き地に向かって星は光るああ人は何に向かって生きるのか朝には花に向かい夕には星に向かいわれは願いを重ねてゆく《好幹の感想》花に向かい、人に向かい、星に向かい、月に向かい、太陽に向かって世界中の平和と安心とを願ってゆこう。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。素敵な人生でありますように!
March 5, 2016
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♥【生きる】♥昨日はひな祭りで「春の弥生のこのよき日」に白酒ならぬ酒を飲まれて左大臣より赤い顔をされた人も多いのではないでしょうか。わたしは下戸ですので酒には全く興味はありません。春の弥生のこのよき日で思い出したのが九条武子さんの随筆〚帰命〛の「晴れやかな春の日も、こころ素直に恵みの力を信ずるもののみが、平安なこころの悦びに満たされるのである」という一節である。もう目の前に春がやってきています。歩き始めたミーちゃんが赤い鼻緒のじょじょ履いておんもへ出たいと待っています。歳をとったのかこの冬は寒く長く感じました。わたしの、こころは素直ではありませんが、また恵みの力を信じる心も持ち合わせていませんが、共に人並みに晴れやかな春を待ちたいと思います。ご縁がありましたら明日またお会いしましょう
March 4, 2016
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♥【うれしいひなまつり】♥「俺は左から3人目の子がかわいいと思う」「いや俺は右から3人目の子だ」「いや左から3人目だ」「いや右から3人目だ」「あんたらあの子ら横へ5人並んでいるんだろ」って笑い話があります。解らない人は放っておきましょうひな祭りである。もうお雛様も飾らなくなって何十年もたつ。暗い中に眠ったままにしておくのはかわいそうだが男手としては飾れないし妻もその気はない。この間サトウハチロウさんの息子さんがテレビで言っていたことだが彼の作詞した「うれしいひなまつり」の3番に出てくる歌詞で「赤いお顔の右大臣」というのは左大臣の間違いで左大臣が赤いお顔をなされているということを言っておられた。向かって右に飾られているために左大臣右大臣を間違えたのだろうということで、当時一般の人からも間違いを指摘されたらしいが多くの人に歌われているからそのままでいいだろうということでそのままにした。ということを語っておられた。どちらでもいいので華やかな中に少し愁いを帯びた童謡も子供のころはテレビもなく機械もなく知らぬうちに済んできたのである。
March 3, 2016
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♥【川】♥相撲甚句に 「お江戸で名高い隅田川 東海道では天竜川 京都で名高い加茂川よ 水の都の大阪わ 流れも清い淀川か 越後で名高い信濃川 安珍清姫日高川 朝顔日記が大井川」という川を歌ったものがある。わが市にも数本の一級河川が流れて伊勢湾にそそいでいる。そのうちの一本に雲出川というのがある。ときどき氾濫を起こす川である。高校の時に文化祭でこの川の源泉から河口まで写真を飾ろうということになり、大きな段ボールに地図を書いてその場所に川の写真を貼り展示するということになった。この川は奈良県境の布引山系の三峰山に元があり、そこから55キロの間色々な支流を巻き込んで伊勢湾に流れ込んでいる。夏休み中にそれぞれの部員がカメラを片手に手分けして支流も含め上流から河口までの写真を撮り歩いたのである。もうその頃は自動二輪の免許を持っていたので単車で顧問の先生を後ろに乗せて走り回っていた。あの頃はもちろんデジカメなんてものは無く、フィルムであった。就職してから現像の必要があり、現像の技術も習ったがこのころはすべて写真屋に出していた。今考えるとあれだけの現像代をどうして捻出したが疑問である。またあの時の写真がいちまいも残っていなく、展示した地図の写真も一枚も無い。あの頃はただ、集まって騒いでそれで満足していたのだろう。今考えれば惜しいことをした。川に沿ってそれぞれの都市ができて穀物も実るようになったが源流に行けばただ一滴の滴である。自然というものはありがたくまた恐ろしいものである。 ♡ 明日またご縁がありましたらお会いしましょう ♡
March 2, 2016
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ただわたしは 詩人 坂村真民 ただわたしは 神のうたをつくらず仏のうたをつくらずただわたしは人間のうたをつくる人間のくるしむうたをくるしみから立ちあがるうたを《好幹の感想》人間が人間である以上苦しみがあるということを達観しよう。二度とない人生だから!今日もお越しいただきありがとうございました。素敵な人生でありますように!
March 1, 2016
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