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https://www.yomiuri.co.jp/economy/20260516-GYT1T00003/


成長期にGMと提携してカルタスをChevroletとして販売してGMとの関係の中で世界戦略車スイフトを作り出したが後にアメリカ撤退して現在のトランプ関税被害も無し
いち早く中国進出して大都市重慶でシェア100%だったこともあるが多くのメーカーが進出する中でいち早く中国撤退でEV政策で他社が苦しむ中で損失なし
インドに進出してインド政府と合弁会社立ち上げその後スズキ単独連結企業としてインドでトップシェア
インドを連結したことで初の売上二兆円超えした時に修会長に娘の名付けをしてもらったのでこの頃の話は思い出深い
インドの副首相のクーデターで会社を乗っ取られて国際裁判起こして取り戻してからの連結化でした
「イザとなったら部品をストップしてやればいい!奴らはスズキの部品がなければ何もできないんだから」と話していたのも懐かしい思い出です
大きな転換期にこれだけの成功を収めた鈴木修さんマジ有能すぎる
鈴木修さんの功績はホープ自動車の四駆を買取ってジムニー生み出したとか二輪の豊川工場建設など色々あるけど経営者となってスズキを飛躍させたのは47万円アルトでしたね
一昨年4月に浜松で行われたお別れの会に参加した際に会場へ向かうバスの隣の席の老人がアルトの開発者でした
「修さんによく怒鳴られてねぇ(笑)この予算では無理だと言ったらエンジン無くしてでもやれっていう厳しいものだったから大変だったけどね(笑)」
お互いに修さんの思い出話をしながらの時間も楽しかったし参列者それぞれに修さんとの思い出があって集ってるんだなと思いましたね
鈴木修さんの代表作であるアルトを少し深堀りしてみよう
それ迄フロンテという5ナンバーの乗用軽自動車だったのを4ナンバー貨物軽自動車として出したのがアルト
今だから言うけど初の全国統一価格だったので遠くに売るほど損になるから近いところばかりに出荷して東北北海道の皆さんには迷惑かけたと謝罪してたのも懐かしいw
その時の話で「アルトの売上で工場の4サイクル設備転換に利用したからスズキの今がある」とも言ってましたから日本メーカー世界販売台数2位になった歴史はアルトからなんだなと思う今です
フロンテは先代の鈴木俊三社長が作った車なので修さんとしてはアルトに強い思い入れがあり後にフロンテを廃止して5ナンバーもアルトにしてアルトを軽自動車トップシェアブランドにしました
スズキの二輪四輪販売会社だった若い頃に47万円アルトの整備経験もあるので言える話ですが47万円アルトを誤解してる人も多いですw
出回る画像も展示される車両も47万円とは違う物ぱかりなんですよ
47万円アルトは2シーターで後部はむき出しの鉄板荷台でしたよ
AMラジオやシガライターがオプションなのはもちろんヒーターファンの切替スイッチまでオプションでしたからね
関係者だらけのお別れの会でアルト見て「高級すぎる」と思った人も多かったんじゃないかなw
消費税導入以前は20%位だったか物品税課税されてたんだけど安価な貨物ってことで物品税免税という裏技で実現した価格でした
元々45万円目標にしてたのを達成したのが
「金はないけどマイティーボーイ」というキャッチフレーズで登場した45万円〜のマイティーボーイ
スズキのマー坊と呼んでくれってのが自分のような貧乏な若者にウケたかもw
セルボのリヤを荷台にしたことでガラスを減らせたからアルトより安価に出来たモデルです
安価なコストの2サイクルエンジンのアルトと違ってマイティーボーイは4サイクルでした
1984〜85年にスズキの湖西工場で勤務してるときに生産ラインに流れてきてたから47万円アルトよりマー坊の方が馴染みがありますけど特別仕様のアルト麻美スペシャルが面倒過ぎて印象強いですw
メーカー的には音楽の旋律として名付けられたあるとでしたが修さんが自宅で記者に「アルトが有ると」通勤や買い物やドライブなど何でも使える車と語ったことから名前の由来さえ変わってしまっててw
アルトが有ると国内でも世界でもトヨタに次ぐ販売台数2位の自動車メーカーになれるとは誰も思わなかったろう
アルトが有るとF1エンジンも作れる…がホンダやヤマハのようにレースは出来ませんでした
鈴木修さんがレースに消極的だったからかな
副社長の鳥居さんがレースに積極的で横内悦男さんがGS〜GSXRからF1エンジンまでて来たのだろうから違う意見も取り入れられた鈴木修さんの度量の大きさがスズキを発展させたのだと締めくくります
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