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グルメのおじ様が漁師にもらったからいかがと渡り蟹をお裾分けしていただいたメス2匹とオス1匹この時期にカニを食べるのは初めてしかも生きていて新鮮!昨年はカニを城崎でたらふく食べたわねゆでたらだしが出てしまいそうなので早速、蒸しましたゴムバンドを巻いたままなのに動いていますなべからはみ出ています怖いよ~タイマーをかけて10分一匹はお花の先生へお裾分けのお裾分け今日の花はトルコキキョウ縞フトイハラントルコキキョウの色が魅力的ですね秋らしいですお稽古が終わって帰宅後カニをいただきます身がぎっちり味噌がたっぷりおいちー殻は炊いてだしをとりましたこれで味噌汁を作りますスパゲティのソースにも入れるとよいかもね「渡り蟹ホール」1杯スパゲッティでも鍋でもよし艶々で身がぎっしり●「渡り蟹ホール」1杯!スパゲッティでもよし、鍋でもよし艶々で身がぎっしり
2010.09.30
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集合場所が人魚の前ですから広場に向かいます途中にも見所たくさん!琥珀を買おうと思っていたけど琥珀なんて、金さえ出せば日本でも手に入るしかし、観光はここしかない洗礼者ヨハネ大聖堂 前の通りは狭く 全景は写真取れませんでした 中は 歴代の王の戴冠式や憲法宣言式など多くの歴史的行事が行われました14世紀に建てられたワルシャワでもっとも古い教会ですワルシャワで最初にオルガンが作られた教会 隣接している隣のマリア教会は近代的です フリータイム 後5分です
2010.09.29
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キャーもうすぐで書き終わるとこだったのに下の楽天アフィリエイトに接触すべて消えた~さてフリータイムは40分急ぎましょう何がお目当てかと言いますとレオナルド・ダ・ビンチの白貂を抱く貴婦人(1485-90年、チャルトリスキ美術館収蔵)が旧宮殿で展示されているのです普段はチャルトリスキ美術館が所蔵していますポーランド南部の都市クラクフにある、ポーランド最古の美術館です1801年にイザベラ・チャルトリスカ公爵夫人によって設立された第二次世界大戦後はポーランド国立博物館であった1991年にポーランド政府はその施設と所蔵品のすべてをチャルトリスキ家の当主であるアダム・カロル・チャルトリスキ公爵に返還現在はアダム・カロル・チャルトリスキ公爵が美術館を保有私立美術館としてはヨーロッパ有数の規模を誇る私立美術館でレオナルド・ダ・ビンチの絵ってすごいですよね旧宮殿、今は博物館へ急いで戻ります 中に入ると右側にチケット売り場見学するところで金額がかわります私たちと一組の夫婦が白貂を抱く貴婦人のチケットを購入しました15ズロチです時間さえあればいろいろ見学したいのに~ 「これ、ポスター」ただいま15時15分 後35分城の中に入ると ドアの前に監視のおばさん友人が止められました柄の長い日傘は禁です地下のクロークへ預けます城らしく壁にはたくさんの絵が飾ってあります会見の間かな王座がありますここは写真禁止です特設展示のセットが組まれ白貂を抱く貴婦人が黒い幕から浮かび上がっています 「これはガイドブックの表紙」写真では見ましたが本物は輝くようですまぁ、ライトアップしているのですけどね肌もとってもしっとりしていてやわらかそうこれはほんものでないとわからないですよね私たち4人で堪能ですほかに見学人がいませんなんと贅沢!ルーブルのモナリザなんて遠くからしか見えなかったですしエルミタージュのブノワの聖母もロシアに行きました 6/30の続き エルミタージュ美術館3 見学人が押し寄せゆっくりは見られませんでした見に来てよかった!地下の売店でチャルトリスキ美術館のガイドブック珍しく日本語を買いました後15分?10分?
2010.09.28
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ワルシャワの旧市街は1980年世界遺産として登録されています世界遺産 文化遺産・・・顕著な普遍的価値をもつ建築物や遺跡など北のパリと称えられたワルシャワは1944年ナチスによってほぼ完全に破壊されました戦争によって地上から一度消えた後戦前に描かれた絵画やスケッチを元に一般市民によってレンガのヒビ割れひとつに至るまで忠実に再現されました新しい物でありながら、世界遺産として登録された珍しい場所です横断歩道のボタンはタッチセンサー王宮広場旧王宮は現在博物館王宮広場の中央の高い石柱の上で十字架を手にして立っているのはクラクフからワルシャワへ首都を移したシグムント3世の碑旧市街広場へ向かいます 中央にはワルシャワの紋章である剣を持つ人魚像 ちょっとグロイ ヴィスワ川のほとりに小さな家があった。そこにはワルスとサワの漁師の夫婦が住んでいたあるとき、この近隣の地域を支配していたジェモメスゥ公(シェモメスゥ公とも)が狩に出かけ家来たちとはぐれた公はワルスとサワの家のドアをたたき、泊めてもらえるように頼んだ。ワルスとサワのもてなしに公は大変感謝した。公はこの地は今後いつまでもワルスの(ワルショヴァ Warszowa)土地であると言ったもうひとつワルスとサワの漁師の夫婦が漁で人魚を捕まえた人魚が逃がしてほしいというので逃がしてやると魚がたくさん取れるようになったそして、人が集まり町となりワルサワ・・ワルシャワとなったそうですここから40分フリータイムお目当てのものがあります急ぎましょう !
2010.09.27
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6時間のバス移動ですですから今日はいつもより早く出発です朝食6時半 7時に出発車内では添乗員さんが、ポーランドの資料を次から次へと・・・映画映画のパンフレットも回ってきました年だからつきに一回しか旅行へ同行されないとかポーランドは希望だったのかしら?ガソリンスタンドにて「シナベルキ」黄色や赤はまだ食べれません落ちた黒くなった実がおいしいそうですワルシャワへ到着城の裏側ツアーには入っていませんから観光はないです13時過ぎですついたらまず昼食です場所は元宮殿詳しくはわかりません 地下に降ります写真は案内されたけどよそのテーブルらしくてこのサラダはいただきませんでした危なくいただくところでしたスープこれは!ロシアのスープボルシチと同じではありませんかロシアに行きました 6/29の続き 昼食 赤カブのスープラビオリ入りです味は・・・まずい!!!!!!!!!カブを絞って塩を入れたような~調べてみるとあたりですカブの汁の上澄みだそうですロシアはおいしかったのにポーランドは素材を生かしすぎもっと加工してほしかったこのインスタントスープを買ったけどまずいので人には差し上げれませんねこれはおいしい鶏肉のクリーム煮みたいなものだったような~デザート確かりんごを擦ったものにアイスが乗っていたさぁ、観光です
2010.09.26
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食事が終わったら、もちろん夜遊び!といいたいところですが・・・雨が降った後だしもう、お店も開いていませんとりあえず、水を求めてホテルの目の前の中央駅に行って見ますホテルの前から地下に降りますスーパーマーケットらしきお店はやはり閉店していますスタンド式の軽食販売のお店は開いていますおぉ、ツアーの仲間の親子が前方にこの辺かなと階段を上ると行き過ぎたようですプラットホームに出てしまいました改札口を通らなくてもプラットホームに簡単に出られるようです無賃乗車が簡単にできそうですけどどうなっているのかな?戻って駅前に出ました旅に出る家族の銅像駅は素敵中は近代的・・・人がたくさんいます 21時30分です売店で水を購入2Lは私たちの前のお客で売り切れたようです500ml130円くらいで購入 駅で現地のおばあさんに何か聞かれたけどたぶん乗り場?ごめん・・わかりません日本人は珍しいと思うけど・・・なぜ私に聞く?ポーランドの町のあちらこちらで見ますケンタッキーとマクドナルト駅にも遠くから見えるようにでかでかとマクドナルドの看板がありましたよ雰囲気が壊れるなぁ朝の駅はさわやかです日本を出てから編み続けているケープここまでできました明日は6時間バスに乗り続けるので一気に編み進むでしょう
2010.09.25
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今日はお仕事休みで映画がレディースディ今頃なんでも3Dで料金が2000円高い!しかし、レディースディは1300円で見られるのですこれはぜひいかねば! 映画「THE LAST MESSAGE 海猿」 最新予告Movie3Dって暗くて好きじゃないのよねと思っていましたがこれは、3Dで見たほうが良いですねセットがリアルですねすごいです主人公は死なないと思って見ましたが最後まで楽しめました結婚記念日ごとプレゼント攻撃してくる旦那はいかがですか?う~はじめはうれしいけどそのうち、しまう場所がないでしょ!と禁止するかも~声のお手紙はちょうだいね全体通してかっちょええ!海外の人にも見ていただきたい!
2010.09.24
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グダンスクのホテルで夕食ですホテルはグダンスク駅の目の前ですBooking.com: hotel Scandic Gda?sk ...もっと時間が早かったら琥珀通りに出かけてお買い物をしたいのですがもう、お店は閉まっていますねにんじんスープだったと思います・・・忘れちゃったパンはとってもおいしかったですこのホテルで焼いているということで、いろいろな種類のパンがありましたがこれが一番おいしくてお代わりしたところですここが一番おいしかった魚料理ですう・・・・・骨ばかりで食べれん!あきらめました 鯉かな?ポーランドは海も近いのに、川魚をよく食べるそうです付け合せ・・・・おいしいのですがまたまた芋ですここでやっとなぞの年の違う年配の女性たちとお話二人は前に一人旅行の時にお友達になって一緒に旅行をするようになったとか一人はご主人がいきなり行かないと言ったので一人で参加もう一人はポーランドに着いたときにカメラの話をした一人旅の人女性の一人旅が4名男性はいませんね女性強し! チェリーのケーキチェリーとチョコはあいますねもう、どこも店も開いていないし・・・でも目の前の駅までお水の調達に行きましょう今回の旅行は、電車に乗らないので駅に行くことはないのですね
2010.09.22
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雨が降り始めましたバスから降りるとき空が変だなと思っていたのよねぇ緑の門に隣接する琥珀専門店で本物の琥珀の見分け方を習いますでも、実用的ではないかも塩水につけるという方法琥珀は軽いので浮かぶのですでも金や銀の枠がついていると本物でも沈むでしょう?琥珀にはいろいろな色があります日本でよく目にするのは褐色、あめ色の琥珀 結構新しいもの3000年前のものです一番新しいものは緑です3番目がコニャック色といわれる4000年前の薄い黄色です一番古いのが5000年前の白いのですこの店はでっかい透かし彫りの琥珀が3000円くらいで買えますデザインがねぇこちらの人気のデザインでしょうか?どの商品もむり~身につけられそうにないデザイン大ぶりでどちらかといえば雑で買わなかった実は3日目のホテルの売店に専門店並みの品数と繊細なデザインの琥珀を見てきたのですお値段は決して安くはなかったですが日本の2/3くらいでしょうか?そこで買えばよかった~雨はいわゆるゲリラ豪雨店を出ましょうしいわれたとき折り畳み傘がしなりまったく雨をよけきれない勢いで降っていました緑の門の下でみんな雨宿りです中まで吹き込むので真ん中に固まって・・・・・バスが来ましたそこまではまた歩きますツアーの皆さん傘を持っていません私とKさんは傘をさしましたがまったく役に立たずみんなずぶぬれですこのまま次の観光地へ移動寒いね~外ではイタリア客船のお客さんらしき人々があきらめて雨の中を歩いていました市バザールの最後は雨で解散!ですねさてグダンスクは世界二次大戦勃発の地です1941年12月の真珠湾攻撃ではないのね日本が戦争を始める前から世界では戦争が始まっていたのね1939年9月1日4時45分、ドイツの戦艦シュレスヴィヒ・ホルシュタインからの砲撃により第2次世界大戦の火蓋は切って落とされました同年8月の終わり、戦艦シュレスヴィヒ・ホルシュタインはダンツィヒ(グダンスク)を訪問し、ヴェステルプラッテの近くに停泊していたヒトラーはすでにポーランド侵攻を決定しており、同艦の砲撃を合図にドイツ軍は進撃を開始する手はずだったという砲撃は宣戦布告なしに行われ、まさに奇襲であったが、たった182名のポーランドのヴェステルプラッテ守備隊はよく持ちこたえ、ドイツに対し反撃すら行なった9月7日、守備隊は降伏をしたが、水や薬品の枯渇がその原因であったというヴェステルプラッテ防衛者の記念碑。高さは25メートル。新港側からもよく見えるバルト海で最も美しい灯台のひとつといわれる新港のグダンスク灯台。1893年の建造で、高さ約27メートル労働者のモニュメントを見ていると雨が小雨になり虹がでました 写真を撮っていると二本目の虹がぼんやりと・・・雨がよく降るポーランドでも二重の虹は珍しいとのこと濡れた甲斐がありました虹ってサークルなのよねこの写真パワーがあるかしら?
2010.09.21
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グダニスク - Wikipedia聖母マリア教会ヨーロッパ1のレンガの教会です塔の高さは78メートルの横をとおり 元の通りへ戻りますグダンスクはもともと港湾都市として栄えたことを背景にローマ神話の海の神であるネプチューン(ネプトゥヌス)を守護神としているネプチューンを、ブロンズ製の噴水にして市庁舎近くのドゥウーギ広場に1633年に設置しました 噴水は春から秋まで、市議会によって設定された時間帯に噴水が出ます後ろの建物が市庁舎1379年着工1561年完成82m内部は歴史博物館で赤の広間はヨーロッパでもっとも美しい部屋のひとつ見てませんけどね後方の白い建物はは15世紀に建てられたアルトゥールの館 ここにはグダンスクの大商人や職人の同業者組合の代表的な本部がありました巨大モニターがCMを流し垂れ幕で飾られていますねぇ金の家・・だったと思う 「王の道」の終点、緑の門マニエリスム様式の建物でグダンスクを訪れる王たちの宿泊施設として16世紀に建てられました今はポーランド大統領の事務所があります前では市民コンサートが開かれていてみんな座って聞いています雨が降ってきましたこの横をとおり、琥珀専門店へ入ります 続く・・・・
2010.09.20
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グダンスクはバルト海沿岸の港湾都市ポーランドでもっとも美しい町のひとつ1000年以上の歴史を持つ旧市街の美しい街並みはゴシック、ルネッサンス、バロックといった各時代の建物で埋め尽くされている第2次世界大戦の際にほとんど90%が破壊されてしまった戦後、街の姿を復元して後世に残そうという市民の熱意により廃墟の街は見事に再建されたユネスコ世界遺産の暫定リストにも掲載されている高い門は1588年の完成正面でなく、側面の写真です~仕方ない、横を歩いたのだもの当時は跳ね橋になっていました現在時刻17:00です明るいですね14世紀に立てられた塔 もともとは町の防衛のために立てられたのですが囚人塔となり拷問されている囚人の声が通りに聞こえていたそうですそうしてみると下のほうは窓もないし怖い感じがしますいまは琥珀博物館ですなんか空が暗いですね露天がたくさん出ていますこれは日本の屋台でも見かける飴ですねぇ黄金の門 1614年に完成オランダ・ルネッサンス様式黄金の門から突き当たりの緑の門までのドゥウガ通り約300メートルとドゥウーギ広場の約500メートルがグダンスク市街の「王の道」でポーランド王の凱旋、犯罪者の処刑などが行なわれました人が多いですね今日は3週間続いた市の最終日です3週間も開かれるなんて素敵!そして運が悪いことにイタリアの客船がちょうど上陸したようで一気に人が多い! ここで14人のツアー仲間のうち3名不明となりました・・・・・約30分ここでステイですガイドさんと添乗員さんとで探しますこんなに多くの人ではなかなか見つかりませんやっと合流です黄金の門の左側へ向かって小道へ入ります門の方に大武器庫数多くの装飾が施されている大武器庫はグダンスクにおけるマニエリスム様式の代表的な建物この装飾をグダンスクの家々が模倣しました第2次世界大戦で四方の壁と屋根の一部を除いて破壊されましたが1945年に再建現在一階はショッピングセンター、上階は美術アカデミーとして利用されていますこの辺は戦前の建物が残っています 昔はどの家も石のテラスがあったそうです今はそのテラスでお食事したりね こんなところで、優雅にディナーはいかが?ちなみにここは有名な餃子のお店だそうです
2010.09.19
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前回広島駅の近くでうなぎをいただいて長いものがおいしいと味をしめたいつものごとくグルメなおじ様と、女友達とで今日はアナゴを食べに行きます場所は山口県柳井市です家では焼いて蒲焼のようにしてアナゴ丼でいただきますコースは予約が要りますよ 矢印 大将の後ろ頭 突き出しは南蛮漬け次は 盛り刺身は油が乗っていておいしいあらいは刺身よりさっぱりしています ちょっと小骨が口に残ります ハモほどではないですえんがわはコリコリして歯ごたえがありますトロは甘いです肝はさらに甘いですどれも新鮮だから身がコリコリしています今まで蒲焼ばかり食べてきたので珍しいです背ごし・・ 頭の方から1~1.5mm間隔に、背側から押し切るように切れ目を入れる背骨が見えます噛むと骨がグシャっとつぶれます圧迫骨折を想像しつつ不思議な食感砕くことができないので口の中に骨が残り、飲み込みます眉を寄せて噛み噛みしました湯引きハモのようです裏に皮がついていてこれが半煮え状態でゼラチン質です身がクニャクニャしていて皮がプリプリしていますこれは「おいしい!」と連呼しましたたたきかつおのたたきのようには火は通っていません薬味とポン酢でいただきます頭の塩焼き アナゴの頭なんて普通食べませんよね 頭が食べられるほど大きなアナゴだつたのですね骨煎餅 パリパリしておいしい皮のから揚げ 塩が効いているので ビール飲みながら頂きたいです 噛み応えがあります煮付けここは甘味が強いですアナゴまき 中のお野菜が硬めで私好みです蒲焼 ご飯ほしいてんぷら盛り合わせアナゴのてんぷらもおいしいですでも、もうおなかいっぱいアナゴ丼 甘めです肝の味噌汁 アナゴの身も入っていました今日はアナゴのフルコースでした4500円なり~こんな料理法があったのですね自分ではできないですね 釣魚 穴子レシピ・穴子の栄養&入手方法
2010.09.19
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二階階段の窓マルボルク城は第二次世界大戦時かつての上司のドイツの攻撃によって壊滅的な打撃をうけましたその様子を残しているのが騎士団総長を埋葬した礼拝堂です 負の遺産としてこのまま保存していくそうですちょっと募金してきました見学終了中庭でフリータイムですおトイレに行って写真を撮って出発です!次はグダンスクです
2010.09.18
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ドイツ騎士団の前身は第3十字軍が母体十字軍で負傷した人の病院を運営していました上の城の完成には100年かかりました北の塔には聖母マリア教会があり36組のステンドグラスがあります見た記憶なし南側の建物には中世の彫像などが展示しています 中庭を囲む回廊 採光部分が大きいため暗くありません西の二階には位の高い聖職者の執務室や居住区もありました見ていませんけどねトイレの目印早くトイレに行きたいと言うことで羽が生えていますそしてひげの向きがトイレの位置を示していますトイレは広い空間に4つの個室があり展示しています のぞいてみると・・・・はるかかなたに地面恐怖のぽっとんトイレですね下は当時は川でした落ちたら死にますね何人かは落ちたに違いないだってお小水は畳一畳くらいの穴からみんなで放尿!今は落ちないように柵があります参事会会議場 聖母マリア教会の西側美しい曲面天井はキリスト教の永遠の命を示すシュロの葉 西洋絵画において、シュロ(実際はナツメヤシなど)は勝利および殉教を象徴する図像として描かれる 元来、戦争に勝利した軍隊が凱旋行進の際に持ち歩く姿が描かれていたが、 初期キリスト教会はこれを死に対する信仰の勝利と読み替え 殉教者を意味する持物としてとりいれ、定着した聖母マリアのフレスコ画 これが一番きれいだった ほかにはミカエルや歴代総長の絵もあります騎士団総長のいす(観光客で見えません)法の改正や人事予算計画、軍事についてさまざまな案件が議論されていましたここで話がほかに漏れないようにコーラスを流していたとか各地の代表が座るいす矢印部分に町の名前が記していました
2010.09.17
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ドイツ騎士団とは、武力でキリスト教を布教することを使命としたカトリックの騎士修道会騎士たちは僧侶で、城は修道院でもありましたポーランド北部に進出します布教は口実で、目的は騎士団の国家を造ることでしたドイツ騎士団は強大な軍事力で次々と領土を広げ、バルト海沿岸に帝国を築いたのですおよそ230年続いた城の建設のもと、マルボルク城は実際は3つの城は互いに組み合わさっていて中世要塞の古典的な例として世界一大きな煉瓦造りの城ですマルボルクの城は10000人が収容できる大きな要塞でした中の城から上の城へ行く跳ね上げ式のつり橋 門の上から投石した大きな石写真を撮りたいのに知らないお兄さんがポーズをとったまま・・・・・どきません上の城の中庭には井戸があります 井戸の上にペリカンの飾り?ペリカンには見えませんよねちょっと獰猛な感じがしますペリカンは、食べ物が無いときには、自分の肉を子どもに与えると言われ、このことを騎士達に示したものと言われますですから獰猛な感じがするのかしら日本ではかわいいイメージですよね上の城は修道院と要塞に使われ60人くらいが住んでしました西側の建物には厨房があり古い調理器具など展示しています中世の騎士たちはポリッチと呼ばれるおかゆや野菜場内で飼われていた家畜を食べていました炉の上には家畜をぶら下げるものがスモークするのですね棚がエレベーターになっていますなんか重そうなエレベーターですね中のものも落ちそうなのですけど効率よく食べ物を運びます
2010.09.16
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1997年12月にマルボルクのドイツ騎士団の城として世界遺産に登録されたグダンスク の南東約50km、ヴィスワ川下流の畔に位置する1226年ポーランド王国のマゾフシェ公コンラート1世は、マゾフシェ地方の北方に住む非キリスト教徒のプロイセン人をキリスト教に改宗させるためにドイツ騎士団(チュートン騎士団)に対して北方への十字軍行動を要請したそこで根拠地となったのがこのマルボルク城ドイツ騎士団はここに自分の国を作ろうとした1274年創設1309年~ 1457年まで 騎士団の本部であった非キリスト教国であったリトアニアは次第にドイツ騎士団からの攻撃にあう「ドイツ騎士団は神聖ローマ帝国の貴族を観光客を呼び寄せ、 リトアニアに侵入しては「人間狩り」を楽しんだ 彼らはリトアニア人を残虐な方法で殺害することを見世物にしたり 生け捕りにして奴隷として売ることで莫大な利益を得た」 これは本にもガイドさんにも聞かされていませんでしたが 戦争なら想像できることですよね宗教団体なのに自分の信仰する宗教を信じない人は人間扱いしないのですねドイツ騎士団の侵略を受けていたリトアニアの君主ヴワディスワフ2世 ヨガイラはポーランドを通じ洗礼を受けてキリスト教に改宗し、ヴワディスワフ2世 (ポーランド王)" と結婚して、夫婦がポーランド王国の共同君主となり、ここにポーランド・リトアニア連合 が成立したドイツ騎士団は領土を拡大しポーランド国王と対立していった1440年近隣の都市、貴族、僧侶がプロシア連合を結成、ポーランド王国と同盟して、ドイツ騎士団と対立した1453年 ポーランド王国はドイツ騎士団と再び戦争状態に入った1457年 マルボルク城がポーランド王に明け渡されたマルボルク城は第二次世界大戦 末期の1945年 春、篭城したドイツ軍 と攻勢をかけるソビエト連邦軍との激しい戦闘よってほとんどが破壊されました破壊された状態も保存されています中の城から見学です中の城は指揮官たちが集まる政治の中心でした中の城と下の城には800人の兵士がいたと伝えられています下の城は先ほど私たちが食事した辺りにあるようです入り口です堀の上につり橋がかかっています この堀にも昔は水が流れていました矢印の塔はトイレです用を足したら下の川に流れていきますあとでここの見学もあります 中の城は塔や鉄の門でまもりを固めていました城門には頑丈な落とし格子がついています 小さい戸が人間の戸身元を確認してあけます大きいほうが馬用の戸ですこの城門を過ぎると中庭に入ります騎士団総長の宮殿が奥に見えます ここで賓客を歓迎する催し物が行われていました建物の中も見学しましたが宗教物の展示があり写真は取れませんでした巨大なキリストの像これは礼拝堂に掲げられていたのでしょうね肩関節が動いて腕を水平に持ち上げることができるようになっています普段は高いところにありますから近くで見るのも興味津々仏像展を見ている気分ですマリア像の数々など修復を待っていました騎士団総長の像 どの方が素敵かしら?この横からつり橋を渡って 騎士団総長の宮殿へ向かいます
2010.09.15
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バスでマルボルクへ向かいます外はタバコ畑が広がっていますマルボルクには世界遺産のマルボルク城(ドイツ騎士団城)があります城の建設は13世紀に、ドイツ騎士修道会がここを本拠地とするために始められましたやがてマルボルクは広大な修道会国家の首都となり城は次の世紀に、立派な「大食堂」と「総長宮殿」を設けるために大幅に増築されましたその前に昼食をいただきましょうドイツ騎士団城の付属施設であった穀物庫(たぶん)がレストランになっています 昼食は具沢山のスープ ビールは7ズロチだったかな? ブラツキ・ジェム二ァツァーネ(ポテトパンケーキ) ハッシュドポテト - Wikipediaに小麦粉を多くしたようなものおいしいのですよでも 油を吸って、ヘビーですしかも、付け合せもポテトです! ポーク煮込みのポテトパンケーキ包み【Potato Pancake ...デザートはイチゴのゼリーです酸味がさっぱりおいちー
2010.09.14
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前日から3往復目になる中世都市トルン観光をします1997年12月6日にトルンは本格的な中世ゴシック様式の町として世界遺産に登録されました観光地にではそれぞれガイドがつき添乗員さんか英語から日本語に通訳してくれていますここでは珍しく日本語を話すガイドさんがつきましたホテルの近くの図書館で働いていて大学で4年間日本語を学んだそうですそれでこの日本人観光客が少ない地で日本語がしゃべれるのですねすごいですねポーランドを縦断するヴィスワ川沿いにたたずむトルンは中世の姿をそのまま残す町ですトルンの旧市街地の小道の配置は数百年前から変わっておらず川には港があり、14世紀から貿易の重要な中継地として大いに栄えました町は富んで活気に溢れ、その街並みの美しさは当時からヨーロッパ中で知られましたトルン出身の著名人のミコワイ・コペルニクスの生家やコペルニクスが洗礼を受けた巨大な聖ヤン大聖堂、アンナ・ヴァーサ - Wikipediaの壮大な墓のある聖母マリア教会(今朝見学しました)そして類い稀な美しさを残す旧市街地の旧市庁舎などがありますさぁ出発・・・いつの間にか人数が増えていますトルンに会社が進出するということで研修に来ていた男2名がなぜか道中ご一緒になりました同じホテルだったのかなポーランドなんて日本ではまったく知名度の低い国ではありますが日本企業も進出しています近郊には大手エレクトロニクスメーカーのシャープの工場がありほかはオリオン、住友もあり日本人の駐在者を数多く見ることがあるそうですポーランドはチョコがおいしいですロッテホールディングスは2010年6月28日ポーランドの老舗(しにせ)チョコレートメーカー「E.Wedel(ウェデル)」の全株式を米食品大手クラフト・フーズグループから買い取ると発表した「中東欧の足がかりがほしかった」という。ウェデルは1851年創業で、ポーランドのチョコ最大手最近の売上高は年141億円、従業員は約1千人9月上旬までに買収手続きを終える見通し日本に買収されても同じ味を守ってほしいですそして、ポーランドのチョコが手軽に食べられるとよいな昨日今朝も見た円形の建物ツアーの中の一人が朝、人が入っていくのをみて自分も入れてもらおうと付いていったが入れてもらえなかった建物要塞、砦のようですねこれは何かというと刑務所!街中にあるのですよ!そりゃ、一般の人は入れてもらえないですよね入ったら・・出られないかも入っていった人々は職員の出勤時間だったのですかねよくよく見ると見張りや有刺鉄線が張り巡らせています 昨夜はきれいだったですよ前の車はポーランドのアンティーク車もう製造はされていませんとっても小さな車なのですよ ガイドさんがここのパンケーキがおいしいのよと紹介してくれましたが先ほど朝食いただきましたし自由時間はないのでへーと通り過ぎますトルン天使の保護下に天使はトルン他のポーランドの都市の紋章標識の独特のコートの一部15世紀の後に登場し現代に生存しているトルンの最も重要なシンボルの一つ半分とが開いて人を受け入れ商売する半分とを閉めお金が出て行かない みたいな事をあらわしているらしい コペルニクス男前とは思えませんが・・・像はカッコいい? ワルシャワのコペルニクスの像がかっこよかったですコペルニクスハウス -生まれの天文学者、現在は博物館中はお金を払うと写真が撮れます1543年、トルン出身クラクフ大学卒業生のミコワイ・コペルニク(ラテン語名ニコラウス・コペルニクス)は死後著書『天球の回転について(De revoltionibus orbium coelestium)』を死後出版し、地動説を提唱したなぜ死後発表されたかというと1616年、ガリレオ・ガリレイ に対する裁判が始まる直前にコペルニクスの著書「天体の回転について」はローマ教皇庁から閲覧一時停止の措置がとられたからです 保守的といえば保守的?地球が動いているというその著書の内容が、聖書に反するとされのね彼は父親がクラクフ公国出身のポーランド人で塩や銅の取引業を営みお金持ちだったコペルニクスはポーランド語で「銅屋」の意味すなわち彼は「銅屋のミコワイ(ニコラウス)」母親はドイツ人母の実家のあるトルンで生まれ当時は共和国であり多国民が住んでいて民族に関係なく暮らしておりポーランドの市民権を持っている人は皆「ポーランド人」でした何人かが問題でなくどこで生まれたかが問題でトルンのコペルニクスというふうに名乗ったそうです10歳で父母を早くなくした後は母方の叔父でヴァルミア司教のルーカス・ヴァッツェンローデに育てられたコペルニクスはまた、教会では律修司祭(カノン)であり知事、長官、法学者、占星術師であり医学も勉強し、薬草を取り扱い医者でもあった暫定的に領主司祭を務めたこともあるいろいろ勉強しながら一生天体の研究をしていたようです天才だったのですね~頭がよいだけでなくこれだけ勉学できたのは両親の金があったのと権力のあるありがたい叔父がいたからですねこの叔父甥っ子や姪っ子には勉強をさせ地位を与えやさしいかどうかは書かれていませんがありがたいですねさて、トルンといえばとっても有名なお菓子がありますピエルニックです(ピエルニック・トルンスキエ=トルン式ジンジャーブレッド)同盟トルンは、ヨーロッパの主要貿易ルートの交差点に位置していたのでいろいろな香辛料や小麦が手に入りましたそこで作られたお菓子がジンジャーブレッドともいいます製造に必要なもの・・・生姜、クローブ、シナモン、カルダモン、ナツメグなど街中に何件か店があるそうですがガイドさんのお勧めがここ工場を持っている店で直売だから安いそうです本に載っていた店に行きたかったのですがフリータイムがない添乗員さんに数人で、買いたい!と訴えましたじゃ買ってくださいと進められたのでここで買いますね商品はみな定員さんの後ろの棚自分で手にとって見ることはできませんいえ、しゃべれたら見せてもらいましょうそこで「上上 赤いの1 下下 青いの1」とジェスチャーも交えて英単語でゲットしたのですKさんも私のゲットした商品を示し個数を言っていました味は不明箱で選びました~ 箱がかわいかったのでよいのですけどね同じ味かと思いましたが大きい缶は梅のような甘酸っぱいジャムつき(自宅で人間様が食べる前にアルゼンチンアリに襲われた)まぁ、おいしい方小さい缶はチョコでコーティングこれもおいしい方袋の2種はノーマルとジャムつき味は・・・・整髪料のような香りです(ジンジャーかな)袋のカエルは町のシンボルです洪水のときカエルが大量発生してバイオリンの音で町の外へつれだしたという話がありカエルが並んだ噴水がありましたもう、入力限界です 続く・・・中世都市トルン
2010.09.13
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朝食をとり8時50分です出発9時30分ですあまり早く出ても施設はみなしまっていますからねでそれまでに徒歩5分の町にまたまた出かけましたお目当ては聖母マリア教会9時に開きますツアーの予定に入っていませんので~道すがら現地の人らしき人が続々と私たちと同じ方向へ進みます両手に杖をついた婦人二名を追い越し皆さんどこへ行くのでしょうか?昨日は真っ暗で気づかなかったパウロ2世の像御前にいくと視線が合うようにうつむき加減です大仏様みたいですね崩御されたときは前の道まで人があふれたとかコペルニクス大学の横をすり抜けるとあぁ皆さん、教会へ向かっていたのですね皆さん教会へ入って行きます今日は日曜ですからミサがあるのですポーランドの人はどれほど前日朝まで騒いでもミサには必ず行くという敬虔なクリスチャンです聖母マリア教会 この教会は14世紀に建造されたとのことです。 聖母マリアの祭壇は、18世紀のバロック様式です 十字架のキリストは、木彫りで15世紀のものです 会堂内の14世紀のゴシック様式の壁画が見ものと言うがちょっとお邪魔して・・・・居ずらくなって退散広場中央に来てまたまた市庁舎前のコペルニクスの像を見上げその前の教会をのぞくと やっぱりミサをしていましたトルンの町の教会のほとんどがカトリックですがこの教会だけがプロテスタントです宗派は違えども皆さん熱心にミサに参加されお祈りしていますここに売店がありロザリオをゲットしましたKさんはとても気に入って3つも腕にはめて喜んでいましたとってもきれいですものもうひとつ聖ヨハネ大聖堂もきっと大勢の人なのでしょうね9時30分に玄関に戻らねば急いでホテルに戻ります
2010.09.12
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本日のレート食事が終わりましたのでトルンの町へ遊びに行きます!トルンはポーランド中北部、ヴィスワ川のほとりにある人口20万人の古都ですホテルの前にポストがありますそうそう、アウシュビッツで手に入れた切手で実家と私にはがきを出しますエアメールでも3.5ズロチです「これって、ポストよねー」「ホテルへの配達郵便用ではないよね。」「ホテル行きでも、きっと日本に送ってくれるよ。」いつとどくでしょう?夕暮れになっていますホテルから5分です気球が飛んでいますきっとライトアップされた街がきれいに見えるのでしょうねKさんは乗りたがっていましたが信じられん!箱がなくて棒に座っている命綱があっても乗らん!私は高所恐怖症おしっこちびってしまいます!旅行中着替えは限られていますからむちゃはいけませんね!この夜景をきれいにとるため橋を渡って対岸へ行きますと思いましたがもう、橋からとりましょう!橋も立派です二人で写ろうと苦心していたら自転車に乗っていたたぶん地元の人女の人が写真を撮ってくれました親切だわぁで、橋からの風景岸に戻って15秒シャッター開放で撮った橋おどろおどろしく雲が出てきましたね町に入ります今は土曜日のよる皆さん食べて飲んでにぎやかです警察の車も何台が巡回していますおぉここでは喧嘩か?!警察も来ていますよコペルニクスの像トルンは世界遺産ですがコペルニクスの生家があることでも有名コペルニクスって?職場で話したら3/4は知らなかった・・・・・・子供のころ「世界偉人伝」なんて本よく読んでいたけど地動説ですよ!今の子は読まないのかしら?ここにもオブジェがありますロバ 「これに乗って写真を撮ろうよ!」Kさん・・・本気?ロバの背のたてがみは刃のようにトンギッていますこれに乗ったら拷問拷問ほかにも忠犬ハチ公 帽子を持ってご主人を待っています 犬2匹 動かないので置物かと思った・・・こちらの犬はどの犬種も黒が多いクラクフではすべて黒犬でした流行ですかねトルンの町を徘徊して夕食を食べ、時間がたちましたので私たちまたもやトイレへ行きたい状態ですでもアイスはいただきますよおいしそうでしょ私は右下のジェラート何味だったか忘れた(ココナッツだったかな?)Kさんはシャーベットどちらもおいちーです2.5ズロチ安い!明日は世界遺産トルン観光です!
2010.09.11
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先ほどの結婚式に歌われていたアベマリアはカッチーニでした(ツタヤまでいって確認してきました)天使の歌声少年合唱団リベラLibera - Ave Maria(Caccini) - Tom Cully確かに美しいアベ・マリアですが長く聞くと耳が痛い~画像はおっさんだけどアヴェ・マリア(アベ・マリア) カッチーニ 解説と試聴 耳にはいいね世界遺産トルンへ到着 19時20分ホテルで夕食です町まで5分ということで夕食を摂ったらまたまたお出かけしましょう!【楽天トラベル】メルキュール・ヘリオス 詳細情報変わったベッドの配置・・・・今日の夕食はビーフと書いてありましたスープはトマト中にヌードルが入っています サラダはどーんと出てきて キャベツとその他のこま切れコールスローに見えて違いました白い千切りは大根の千切りの食感ですがキャベツの酢漬けらしい・・・・にんじんの千切りの酢漬けビーフは・・・ どんな料理か忘れましたおいしかったけど~デザートどんどん洗練されていきますチョコの細工もついていますね 紅茶を頼むと湯とティーパックが出てきましたどこでも湯が出てきますまぁ5ズロチ 170円くらいですからお食事が終わって遊びに行きますホテルから5分で観光地です今日は迷子にならないでしょうバスからしっかり位置確認しましたものでも食前にビールを買いに行ったおじ様1名迷子になってましたけどね
2010.09.10
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ポズナン966年、郊外のヴァルタ川の橋をわたった島グニェズノにポーランドで最初のカトリック司教座がおかれ、ポズナンはポーランド王国(966年当時はポーランド公国で、ポーランドが王国になったのは1025年)の最初の首都となりのしただからポーランド発祥の地と言われています異教時代のポズナンの神殿は取り壊されてポーランド最古の教会、ポズナン大聖堂が建てられましたポズナン大聖堂も第二次世界大戦で破壊され、戦後に15世紀頃の姿で復元されたものです右は965年礼拝堂として建てられた15世紀に教会として建て直されたゴシック様式の聖マリア教会左が司教居住まえにヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇) - Wikipedia の像 躍動感があります何をしようとしているところでしょうか?今日は土曜日なので先ほどの広場の教会でも結婚式がありましたがこちらのポズナン教会でも結婚式がありますポーランド発祥の地で最古の教会王の戴冠式があったところで結婚式なんて素敵ですねぇでも、この教会で結婚したら離婚は絶対できないとのこと自信がない方はほかの教会へどうぞ!中に入り静かにしていると パイプオルガンと歌声平原綾香「新世界」C/W「AVE MARIA(アヴェ・マリア)」CDTSUTAYA DISCAS 音楽配信|my Classics ...平原綾香の歌うアヴェ・マリアの旋律でソプラノの歌声が高い天井に反響して迫力あります素敵です~その後パイプオルガンの曲に合わせ二人が外へ出て行きます写真を撮りながら拍手しました~ お幸せに~そして教会の見学です 祭壇金の礼拝堂地下には10世紀に創設された時代の土台やポーランド初期の支配者の墓があるそうです
2010.09.09
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昼食が終わりましたので店を出て左に回りこむと旧市庁舎です丸のところに大きなフックがあります旗をたらすためだそうです13世紀のゴシック様式で建設されたが。第二次世界大戦で焼失した現在の姿は16世紀イタリアルネッサンス様式で再建されています毎日12時にはからくり時計が開いて山羊が2頭出てきて、上下に12回振りますとうの昔に時間が過ぎていますから見られませんけどね露天にも山羊二匹が首を振るおもちゃが売っています5ズロチです安いけどいりません・・・・なぜ山羊かというとこの市庁舎が建ったときのお祝い時男の子が肉を盗みました盗んだ犯人を山羊の仕業にしましたが山羊は山へ逃げていきつかまらなかったそうですで山羊?右下に処刑台がありますねボズナンは昔窓の数で税金が掛けられていましたそこで京都のうなぎの寝床のように奥へ長い建物になっています広場をぐるっと回りますこの像は聖ジェコブチェコの人洪水が起きたときこの人を王が川に投げ入れたら川の氾濫が収まったということでここにも祭られていますそれからはボナンズも川の氾濫がないそうです20分フリータイムです!本によると市庁舎の中はポズナン市歴史博物館となっていて公開しています入場料5.5ズロチおそるおそる入ります入場料を払おうとすると「xxxxフリー」何だって?!「XXXXXフリー」今日は土曜日入場料は無料だそうですラッキー天井画がルネッサンス様式のホールは一見の価値ありだそうです 階段を上りますホールに入ると細工が細かい! これからポーランド最古のキリスト教会へいきます
2010.09.08
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バスから見る風景は牧草地牧草がトイレットペーパーのように巻かれていますどうやって上に乗せたのかしらひとつが馬鹿でかいのですよ牧草は見るけど今だ牛を見たことなし!ヴロツワフからバスで着いたのはポズナンです現在13時30分ポズナンまたはポズナニ(Pozna?)は、ポーランド西部に位置するポーランド最古の都市の一つで、中世ポーランド王国の最初の首都であるポズナン市内で昼食です旧市庁舎の右の道を渡った建物ヤギが二匹向かい合って飾られていますこれが目印?と思いましたらヤギがこの町のマークのようなものヤギがたくさん飾っています店に入り地下に降りますロマンチックな雰囲気昼間なのにろうそくです ジャガイモのスープだったと思いますもしかしたらキューリのスープだったか?! ポズナンはジャガイモの名産地ジャガイモのポストカードが売られていました知らなかったらジャガイモのはがきをもらっても????ですねービゴスポーランド料理:ビゴス(キャベツのお惣菜)のレシピビゴス(Bigos)は、ポーランドおよびリトアニアの代表的な煮込み料理。繊切りしたキャベツとザワークラウトを肉類(豚肉、ソーセージやベーコン)や炒めたタマネギ、キノコ類といっしょに火にかけたり、おろしたりを繰り返しながら、2-3日間かけて煮こんだものおいしいですよケチャップで煮たような~トマトが入っているのかな作ったけどあまって何日も煮続けたような~味が濃いですたっぷり出ました完食です!デザートはプリンですオレンジがおいしい!
2010.09.07
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ポーランド西部にある第4の都市でヴロツラフには約64万人が住んでいます6世紀にはすでにスラヴ人の集落がありました公式には西暦1000年がヴロツワフ建設の年として見なされています13世紀にはモンゴル人14世紀にはボヘミア侯ヴラティスラフ1世公に支配されました1526年以来、この町はブレスラウという通称でハプスブルク家のオーストリア帝国の一部に組み込まれ1945年まで、数百年間ドイツの大切な都市だった1944年、ブレスラウは初めて激しい空爆を受けてしまった第二次世界大戦におけるドイツ軍とソ連軍の激しい戦闘で1945年5月7日 ―ベルリンの降伏の一週間後ブレスラウは陥落しました抵抗のせいで、町の半分以上は崩壊されてしまって、数万人の人民たちは死んだといいます戦後にはブレスラウはヴロツワフになってほとんど全てのドイツ人は追放された破壊した町は残っていた資料を元にポーランド市民の手によって正確に復元されましたヴロツワフの市内観光をしますバスから降りてまたまた小人に会いましたガイドさんが言うにはホテルの前の小人は昨夜泊ろうと思ったのに、お部屋がなくベッドだけお借りしているそうです いつまで寝ているのか?私が思うにずーと寝ているのでホテルの人に追い出されたのでは?!このホテルに泊った小人は今から飛行機に乗るそうです 雰囲気のある道へ~あぁ名前がわからん!肉屋がいっぱいで肉屋通りみたいな道の名前だったような・・・「キルバクンツアニソーセージ通り」絶対違うよね耳でこう聞こえたもの~でものぞいてみるとガラスのオブジェが、どのおみせも売っています手作りですねすてき~そしてここで売られている肉たち!に感謝してオブジェが飾られていますうさぎ・とり・やぎ・ぶた・その他この肉たちに乗ってみんなが写真を撮りますKさんはウサギに乗りわたしはヤギに乗りましたヤギ・・・こっそりウンチしていますその後ろにガチョウ?アヒル?このようなオブジェは勝手に飾ることはできず市の許可がいるそうですそして現在180体あるそうですこの道を出て右に曲がると中央広場があります昨夜来たところ~昨夜は真っ暗8月20日 ポーランド ヴロツワフでお泊り、夜遊び2 昼見るとカラフルな屋根の聖エリザベス(エリザベート)教会軍に属する教会だそうです302段の塔は「行ってきてよいですよ。5分で上れますよ。」えぇ!昨夜は15分かかりましたよどこか途中で異次元に入っていましたか?! 教会の前のかわいい建物と門は童話を元にしています建物の通称は ヤシュとマヴゴスィアこれはグリム童話の”ヘンゼルとグレーテル”のポーランド版だそうですお菓子の家には見えませんね右の建物の下の小人はハートをもっています 今日は珍しく暑いです噴水にははとぽっぽが水遊び 市庁舎の後ろ側ここの小人は見えない、聞こえない、動けない・・後ろに市庁舎の模型 市庁舎・・またまた時間が早くて中を見学できません~中は歴史博物館です矢印は処刑台見せしめにここにくくられたそうです広場には必ずあるのかしら次の町にもありましたみんなはフリータイムに見て回っていますが私たちは昨夜放浪しましたので市庁舎の前のマクドナルドのテラスでマクドナルドのソフトクリームを食べます 2ズロチ・・・80円弱あなどる事なかれ、とってもおいちーお勧めです!
2010.09.06
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8時にホテル出発ヴロツワフの百年記念会館を朝一番に見学です2006年世界遺産に登録されましたヴロツワフはヨーロッパで5番目に橋が多い街です321本の橋があります動物園 百年記念会館の前の広場に立っているコンクリートの柱本とは屋根があったとかその横の建物は映画関係の建物フイルムを配給しているとか 建物の壁にレリーフ「灰とダイヤモンド - Wikipedia」の俳優ズビグニエフ・チブルスキー監督アンジェイ・ワイダ ドイツ降服直後のポーランドを背景とする、ロンドン派の抵抗組織に属した一人の若者の死に至るまでの姿を通じて悲痛な心情と挫折を大胆な映像で描いた生まれる前の映画だもの知らないですねぇさらに映画村のように映画セットもあります 1908年 共産主義の顔立ちこれが百年記念会館ポーランドで13番目のユネスコ世界遺産です ここからの写真ではまったく大きさが伝わりませんねぇナポレオン戦争によるライプツィヒの戦いの勝利から100周年を記念してドイツ時代の1911~1913年に、当時ブレスラウBreslau(ヴロツワフ)の市の建築家だったマックス・ベルクMax Bergによって国際展覧会のために建築されました百年記念会館は、近代工学と建築学の草分け的な作品であり、世界最大級のコンクリート製のドームをもつモダニズム初期の建築鉄筋コンクリート建造物のその後の発展の中で大切な参考となっています約6,000人収容の巨大な円形空間(直径65 m、高さ42 m)左右対称の四葉型です高さ23 mの円蓋の頂は、スチールとガラスで出来た明かり窓になっています建物の窓は外国産の堅木で作られており音響効果を良くするために、壁は木材またはコルクと混ぜたコンクリートの遮音層で覆われています コンクリートは100年もたないといわれていますが100年たった今も現役でスポーツやコンサート、ショーに使われています現在時刻8時23分 9時から戸が開くというので、ガラス戸を覗き込んで写真を撮りました中はどうなっているのでしょうね世界遺産を訪ねる旅-ポーランド-|メトロガイド
2010.09.05
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ヴロツワフは第二次世界大戦におけるドイツ軍とソ連軍の激しい戦闘で町の半分以上は崩壊した残っていた資料を元にポーランド市民の手によって正確に復元された町である卵形の旧市街の大きさは400×400メートルぐらいだけだ。それの中心には Stary Rynek (古い市場)という中央広場があるクラクフの次に大きな広場である到着~ライトアップされていてとってもきれいです1290年~1504年にかけて徐々に建てられた市庁舎多くの人が飲んで、食べて楽しんでいます 大道芸人もいます火でダンスしていますよ後ろ側をセピアで撮ってみましたさての旧市場広場の北西のコーナー部分に教会があります聖エリーザベト教会このゴシック様式の建築は1330年に始まって、塔の高さは83メートルぐらいふと見ると 5ズロチの入場料を払うと見学できるようです これは入らないと夜の教会なんて入ったことないですからで入場料を払い入ると あれ?くるくるくるくるくるくる教会の中と思っていたら塔に上がる料金でした途中で電気ついていない!怖いよぉ後悔ですもう上るのやめようかな中央に手すり外側の壁はところどころ穴が開いていて手を突っ込んで体を支えますこの穴・・・たとえゴキブリがいても手を突っ込むでしょう暗くて見えなくてよかった幅は狭くて二人は無理!一人は落ちるに違いない!しんどい!なんせ1キロの塩袋という重りを持っています確か・・水も買っていたような・・・「Kさん!先に行って~」呼吸が苦しいよぉ 塔の天井トンネル恐怖症だしこんな暗いところは!!!!!15分かけて上りきりましたちょっとしたお化け屋敷ですだって 電気はついていないわ途中に鉄格子の戸があったり・・窓もなく延々とレンガの壁だったり・・・・塔の上からの風景降りるときもかなり怖かった・・・Kさん・・付き合ってくれてありがとう中央広場に着く前からトイレに行きたかったKさんを巻き込んだ冒険でした~トイレ!トイレ!さっさと帰りましょう現在時刻22時50分です
2010.09.04
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バスに乗って到着したところは ヴロツワフ - Wikipediaここには郊外に世界遺産がありますそれは明日21日に見に行きますホテルはオルビス ヴロツワフ ホテル ヴロツワフ ~ HotelTravel ... 【楽天トラベル】オルビス・ヴロツワフ 詳細情報中は 浴槽もありますが写すほどでもないかなここで夕食をいただいて勝手に夜間観光をしましょう夕食はきのこのスープグジボヴァ おいしかったですよポーランドはいろいろなきのこが取れるそうです原型がないポタージュなのでどんなきのこか不明チキンがど~んデザートちょっとおしゃれーチーズケーキだったと思いますポーランドは酪農も盛んです夕食を食べたら勝手に観光です相棒Kさんが地図をゲットしてきました地図をみて「この道を行けばショッピングセンター・駅・観光地ね」まだまだ外は明るいですね19時15分です 原っぱでワンちゃんの交流が絶対この草むらワンちゃんがしっこしているよね~いけどもいけどもショッピングセンターも駅もありません銀行ばっかり小さい銀行大きな銀行ガラス張りのおしゃれな銀行何で銀行ばかりかと思ったら11世紀にはポーランド王国に二箇所あった貨幣鋳造所の一つが設立されポーランド王国の金融産業の一大中心地となった近年は、金融の中心地としての中国内主要銀行のいくつかが市内に本店を置いているこんな町のようですいけどもいけども・・・30分近く歩いているけど~突き当たりのようなところで若いお姉さんに道を聞きますKさんが・・・このときホテルでゲットした地図が役立ちました日本の本ではポーランドの人は読めませんから駅は通じませんでしたがショッピングセンターはわかったようです私たちは反対方向へ歩いてきたようです再びホテルまで戻りさらに進むと・・・・ホテルから見える位置というかホテルの前の道の向こう側にショッピングセンターがありました20時45分閉店15分前ですここでヴェリチカの塩ビニール袋ですけど1kg購入ヴェリチカの塩はどこでも手に入るのかと思いましたがどこにもおいていないのですねそれを持ってさらに進むと駅駅は以外に高いところにありました鉄橋の下をくぐりさらに進むとKさんが「タデウシ広場は?」タデ牛ってなあに?それは私がポーランドへ行く前に彼女にお貸しした漫画池田理代子さんの天の涯まで(1)この漫画に出ているポーランドの英雄ですタデウシ・コシチュシコは18世紀、国土分割時代に、ポーランド最後の国王アウグストの甥として、独立運動を支えた貴族ユーゼフ・ポニャトフスキと共にポーランド独立に尽くした市民ヴァヴェル大聖堂に埋葬されています8月18日 ポーランド 世界遺産クラクフ ヴァベェル城...私がお貸ししたのに・・名前が難しい!そんなに有名な人の広場なのに????交差点にしか見えません 何度も地図を見ていると白いひげのおじいさんがどうしたの?近寄ってきましたこの方はポーランド語で親切にこの辺のことと教えてくれましたポーランドの方は親切ですねオペラ劇場とオブジェ夜も人が多くよっぱらいが大声をあげていますしかも若者おばあさんが地下道の入り口と出口に1人ずつ座っています縄張りがあるのでしょうか?小人の像があちらこちらにあります 「地球の歩き方」に30体あると書かれていますが今は180体あるそうです全部探すのは無理ですね~もうすこしで旧市街地ですカチンスキ大統領の埋葬をめぐって | ポーランドの暮らしと生活情報
2010.09.03
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さて、昼食です場所は・・・・アウシュビッツの向かい側・・・・・・・・アウシュビッツの駐車場から道を挟んで・・・・・昼食は餃子ですもちろんポーランド風ピエロギ中は1つはひき肉白い方はカッテージチーズ茹でてあります皮はもちもちひき肉の方はおいしかったですカツレツ驚くほどパサパサの豚肉デザート素朴なりんごケーキですこれからはホテルまでずーとバスの中途中30分スーパーマーケットへ寄ってもらえましたよぉーし買うぞ!!!!!ここで買ったもの1、5Lの水2円くらい・・・・・・それ以後ここ以上に安いものはなかった後は日本で買うより少々お高かったですほかはスープのもととかクッキーとかチョコとか・・・・・・チョコは失敗日本に戻って36度の気温で職場にもって行ったものは形はなく液体となってしまいました~他のチョコは、怖くて人にあげられない~でも、味は良いですよおいしいです日本がもっと涼しければよかった戦争が終わってその後ポーランド西部の広大な地域は、世界二次世界大戦までドイツ領だったが第二次世界大戦の敗北でドイツはソ連地帯に持っていた領土のすべてを失ったポツダム協定では、ポーランド・チェコスロバキア(現在のチェコとスロバキア)・ハンガリーに住むドイツ人は強制帰還を決定した当時、現ポーランド領には多くのドイツ人が住んでいた数百年前からドイツ人の移住が始まり、彼らは荒れ野を開墾し、商売をしていた戦争とは関係なく先祖代々からすんでいたドイツ人も含みドイツ人の強制帰還は人類史上最大の1400万人となった今まで虐げられていたポーランド政府はドイツ人に1、1945年7月14日午前6時から9時までドイツ人住民の移動が行われること2、ドイツ人住民はナイセ川西側地区に移住すること3、ドイツ人の荷物は最高20Kgまでとする 以下省略って本に載っていなかった・・・20kgといえばスーツケースの大きさですよねポーランド領にすんでいたドイツ人は先祖代々の土地から、財産一切を失ったこの難民たちにロシア、ポーランド人が復讐したなんせ、ドイツ人に殲滅させられそうになったのですからポーランド人80万人が犠牲になっています1000万人を超える引揚者のうち約200万人が殺され、飢えや病気で亡くなったもちろん女性の扱いも、例に漏れず悲惨な状態でしたドイツ人の非軍人が大量にソ連に送られ、強制労働に従事させられたその大部分は1950年代の半ばまで帰国できなかった日本人シベリア抑留の時にドイツ人も一緒だったのでしょうか?またソ連だけでなく、連合国で強制労働させられたドイツの軍人は、捕虜になった者のうち約100万人が復員を果たせず亡くなりましたポーランドより早く1945年6月19日にはチェコでドイツ人追放令が発せられたズデーデン地方のドイツ人約25万人がチェコ人によって虐殺され残りはドイツ領内に追放されましたポーランド自体は戦後後は社会主義国家として独立しましたポーランドの歴史広島県の人口・ 約2百86万5,500人東京都の人口・約1千3百,04万5000人東京都の住民全員が移動したと想像したらよいですね 想像できん~
2010.09.02
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アウシュビッツの見学は終わりましたがもう一箇所強制収容所へ行きますビルケナウ強制集収容所1941年にポーランド人住民を立ち退かせ建設を始めました1945年ソ連軍が解放するまで百数十万人の命が奪われましたこちらの方がテレビなどで見てそうそうと思われるかも知れませんこの線路外へはある程度伸びていて・・切れていますこの先には住宅がありますよ白い巨塔第11回 #11 待望の第二部衝撃スタート!!天国と地獄 で財前五郎が国際外科医学会に招かれポーランドに行っているのですよお気づきになりましたか?生き残り」の老人の案内で「医師による『人体実験』という名の大量殺戮」の現場を歩き、財前は人類の「負の遺産」を実感する。財前が展望台から収容所とガス室に別れる線路を見詰めているという場面です中に入って振り返る上にも上がれますツアーですから自由時間なしついていきます線路は収容所の中まで続いています1944年5月から輸送列車が敷地内まで入るようになりました 向こうに当時の輸送列車が展示していますそこは見学なし突き当りには国際慰霊碑があるらしいで収容所へ行きます収容所は男、女の場所が分かれていました ここはトイレ 一日2回トイレの時間がありました痩せていて穴の中に落ちる人もいたとかまた大きい方をしていて(時間がかかって)怠け者と言われることも中は雨どいのようになっていてどこかに流れるらしい・・どこへ? そして住居内どのバラックも何百人も人が収容されていた中央に走るは暖房設備手前で火を焚き暖かい煙を中に通します奥に外へ伸びる煙突があります冬にはマイナス5度の世界板の壁は隙間がありまた夏には窓もなく暑かった囚人たちがバラックに戻ると鍵が閉められたベッドは3段一段に平均5人くらいが寝ます最後はもっと多かったかも知れませんねあのアンネ・フランク - Wikipediaもここに収容されました1944年8月8日午後遅くフランク一家はじめ隠れ家メンバー8人はヴェステルボルク収容所に到着「有罪宣告を受けたユダヤ人」に分類され、政治犯として懲罰棟である第67号棟へ収容された1944年9月3日アンネたちはヴェステルボルク収容所の最後の移送列車がポーランドのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所へ向けて出発した3日後、列車はビルケナウ強制収容所に到着した到着と同時に男女が分けられ、アンネは、父オットーとはここで今生の別れとなったSS医師団による働ける者と働けない者の選別が開始され、この移送でアウシュヴィッツへ送られてきた者1019人のうち549人が労働不能と判断されてガス室送りとなったアンネたち隠れ家メンバーは、全員労働可能と認定され、ガス室送りを免れたアンネとマルゴーとエーディトは女子収容所の29号棟に入れられていたその後10月30日にアンネたちのベルゲン・ベルゼン強制収容所へ選別された移送は4日に及び、その間、食料はほとんど与えられなかった到着したベルゲン・ベルゼン強制収容所は食料もほとんど与えられずガス室を使用するまでもないほど次々と餓死者と病死者が続出する収容所だった収容所でチフスに罹患して、姉はのマルゴーは衰弱してベッドから落ちてアンネはその後に命を落とした外は緑が青々しています 暖房施設の煙突がずーと続いていますそこに収容バラックが並んでいたのですね 左奥にに女性収容所の門があります仕事へ向かい、バラックへ戻る囚人にこの門の近くで、楽団が行進曲を演奏したそうです私たちのツアーはここまでの見学ですかおくにはガス室やサウナと呼ばれた建物遺灰を捨てた沼などがあるようです
2010.09.01
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