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いやみ面当てかわして今日の二月尽
2006年02月28日
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淡海の風道行に落とす雪Lake effect snow、という雪です。低気圧でできた雲から降ってくるのではなくって、湖から湿った風が吹いて降る雪。本当に海みたいな大きな湖から来たんです。たくさん積もりはしないけれど、朝窓を開けたら真白でした。きれい。
2006年02月27日
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最近思ったことを2月8日と9日のスペースに書いてみました。小さなジョークから
2006年02月27日
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いつも説教は冗談ばかりでコメディアンみたいなファーザー・ジョー。バスケ好きの神父さんたちを集めてチームを作り、大会に出たことがあったそうです。そのチーム名がふるっていて、その名も「Unwed Fathers」「未婚の父ら」祭服やローマンカラーをつけてバスケするわけじゃないし、対戦相手や観戦の人たちは何事だと思ったでしょうね。想像するとおかしい。(^^)
2006年02月26日
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風に髪取られてすくむ浅き春
2006年02月25日
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文字通りの箱入り娘
2006年02月24日
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ナナお得意の腕組みのポーズ
2006年02月23日
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すごいすごい!ホームスタジアムの「パレス」では、まだ今シーズン2回しか負けてないなんて、信じられない。このままプレイ・オフまで快進撃を続けて欲しい!
2006年02月22日
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いつもこうやって邪魔するんだよね・・・(^^;)
2006年02月21日
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黒猫や背に集めたる冬日差し
2006年02月20日
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時々立ち寄る、所属教会の祭壇脇にある聖櫃。このスペースの入り口には、ここに御聖体がありますよという印の、赤いランプが灯されています。腰掛けて祈ることのできるスペースも。心を落ち着けて、イエス様と向き合うひと時です。
2006年02月19日
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窓を開ければ頬が知る氷点下気温が低いのである・・・(^^;)朝は-17℃だったのである。今夜の気温予報は-20℃なのである・・・。百年の恋も冷める保温下着の上に3枚着こんで、靴下2枚を重ね履き。コートに帽子にブーツの完全武装でないと出かけられません。(^^;)でもね、とっても空が明るくて、雪に照り返す日差しがまぶしいほど。空気は痛いけれど、気分はなんとなくしゃんとします。美しい冬の日。外から取ってきたばかりの新聞を広げると、しばらく冷たい空気が立ち上ってきます。
2006年02月18日
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今回の旅行は本当に急でした。もともと、だんな君は仕事で行くことになっていました。割と余裕のある日程のようだったので、「どこか観光できそうだね」と言うと、当のだんな君は「全然興味ない」とつまらなそう。「えー!なんで?見るところたくさんあるでしょう?」と言うと、「何?」と・・・(^^;)「歴史があるところだから街並み見るだけでも面白いんじゃないかなー?それにほら、世界中からの「ぶんどり品」があるんだから、美術館や博物館も充実してるはずだよ。古いレースや刺繍を集めた美術館もあるんだよ」「ふーん」「アングリカン・コミュニティー(英国教会系教会)の総本山(?)だよー。実際どうなってるのかなー。古い教会なんかはカトリックだったわけだし、それがどんな風になってるんだろうねー。もちろん今だってカトリックはあるわけだから、その辺の事情なんかも面白そうだなー」と、どんどんマニアックに走るイウ。だんな君、「(-v-;)・・・」それからだんな君は、ヘンリー8世とその6人の妻と後継者たち、宗教改革と英国教会の成り立ちについてえんえんと聞かされたのでした。(かわいそう・・・(^^;))-----もう出発も迫った頃、だんな君が「チケット取った」と・・・。「なんの」「ロンドン」「だれの」「イウの」・・・てか、出発目前だよ@@!聞けば、「もってけどろぼう!マイレージ大キャンペーン」があって、2,3万マイルでもう一人分のチケットが取れたのだとか。今使っている航空会社にトラブルが多いので、他に変えるつもりだっただんな君は、今までためてきたマイルをどうしようかと思っていたのでした。「イウのほうが楽しめるでしょう、ロンドン」とだんな君。ううっ・・・ありがとう・・・。(TvT)「マイル、何とかしなくちゃならないし・・・」(-v-;)・・・理由はどうあれ、急に行くことになってばたばた。滞在は実質4日。何にも準備していないし、きっとちゃんとまわったりなんてできないだろうから、次の3点に絞って旅行してこようと思いました。1、本当にイギリス料理はまずいのか だれに聞いてもまずいまずいというイギリス料理。ほんとなの? 2、いにしえのレースの魅力に浸りたい V&A美術館には膨大な量のレースと刺繍があるのは知っていました。3、ロンドンのカトのミサには出てきます 最重要課題。それぞれ、5・7・5にまとめてみました。(←何の意味があるのか・・・)それでは出発なのだ!(続きはこちら→2006年ロンドンの旅 1)
2006年02月17日
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寒雷の裂く空の色右左歌心もすっかり失った今日この頃だったのですが、ものすごい嵐にびっくりしてひとつ。昼は南風で摂氏7度くらいまで気温は上がっていたのですが、これから急激に冷え込むのだとか。そのせいの嵐です。雨と風と雷。暦の上では春ですが、決してそんな言葉は使えない日々が戻ってきます。週末の最低気温に摂氏-17度、最高気温でも-8度と出ていました。ほんとかな?(@v@;)あったかくしなくちゃ!
2006年02月16日
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相撲も好きなんだけど、時代劇も大好き。でも、日本に来たてのころは、やっぱり時代劇の言葉遣いって難しかったみたいでいろいろ質問されました。「ねえ、『き』って、どんな人?」「?なんのこと?」「『き』って名前の人いるでしょう」「ええ? 知らないよ」「だってよくでてくる。多い名前なの?」「聞いたことないけど・・・?」「時代劇によく出てくるでしょう。」「(°д°')・・・どこに?」「・・・よく、『キサマ~!』と言ってる!」『貴様!』 か!もう大爆笑でした。だんなくん、『貴様』ときいて、よく『き』っていう人でてくるなー、と思っていたのでした。いつも憎憎しげに発せられる『き様』。どんな悪い奴/一族だと思ったことでしょうね。
2006年02月15日
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だんな君の日本語、本当に上手でいつもびっくりさせられます。この間ドラマを見ていたら、付き人が、お付の女優さんに叱責されているシーンがありました。だんな君、「『付け人』大変だね」私は、ちょっとはっと思いました。相撲が好きでよくテレビで見るので、相撲用語の『付け人』って方がでるのかもしれないな、って。それで、「うん。もしかしたら、普通は『付き人』っていうかも。相撲の世界では『付け人』って言ってるよね。なんでか、わからないけど」と言ってみました。すると、だんなくんはふうんと言うように、「普通は自分から『付き人』になるけど、相撲では無理やりにさせられるから『付け人』なんだ」だって。(@v@;)うーむ。そういうことだったのかも・・・。恐れ入りましたー。m(__)m;
2006年02月14日
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買い物したときのレジや、病院の受付などでは、世間話が取り交わされたりするので、わずらわしいなーと思ったりすることも多いのですが、バレンタイン前はちょっと面白かったのです。もう計画立てた?とか、聞くんですよね。「特に何にも」とか言うと、「急いで決めなきゃ!」と返ってきたり、ええー(^へ^;)、と口をへの字にされた笑顔=(あらまあ、困ったわねー)という同情にもつかない表情をされたりします。だんな君と二人でだったりすると、だんな君のほうに「しっかりね!」と声ががかったりします。やっぱり男の人のほうが計画を立てたり、行動をすることになってるんですよね。カイロに二人で行った時も、先生たちまで受付に出てきちゃって、どうするこうする話しています。男の子は「どうしたらいいのか!まだ全然決めていない(・o・ll)」とあせっていてみんなに攻められていました。だんな君はのらくらとごまかしていたら、「何かロマンティックなことじゃなきゃだめなのよ!」と説教されていました。だってね、14日の計画、バスケットボール、ピストンズの試合観戦だったんですよ。・・・まあ、いいけど・・・(^^;)・・・一応結婚記念日でもあるんです(^^;)受付を出て駐車場に向うときに、だんな君、あきれたように「あの男の子はだめだね」とおっしゃる。「なにが?」と尋ねると、「だって、毎年バレンタインは来るのに何も決めてないなんて」と自分は余裕の笑顔!うーむ、だんな君としては、自分の計画は完璧らしい。(^^;)そういうことにしておこう(^^)
2006年02月13日
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ニュージーランドの枢機卿Thomas Williamsのインタビュー記事を読んだ代母さんが、その一部をメールで送ってくれました。「読んでいて、エンドーとファーザー・イノウエのことを思い出したので」と書いてありました。ちょと面白いと思ったのでここに貼ります。イウのなんちゃって訳で、よい訳ではないのですが、まあこんな感じのことが書いてありました。-----スーザンが抜粋してくれた部分-----Q:インカルチャレーション(Inculturation文化内に根付くこと、根付かせること)を熱心にやってこられましたがなぜですか?A: 悪い例を挙げてみると、ニュージーランド原住のマオリ族への宣教は大体において効果を挙げませんでした。インカルチャレーションが足りなかったからです。宣教団はフランス人で、彼らはラテン語で捧げられるローマの典礼を持ち込んだのでした。マオリにとっては、一旦何かが伝統になってしまうと、変えるのは容易なことではありません。多くの人が今も19世紀の型にとらわれているのです。私たちが持って欲しいと願っている、神学的、典礼的洗練と同様、実践的に信仰生活を送ることが、マオリにはありません。 それに反して、サモア族はとてもいい例を示しています。亡くなったサモアの枢機卿Pio Taofinu'uは、カバkavaと呼ばれるサモアの儀式を聖体祭儀に取り入れたのです。カバというのは胡椒の木の根で、飲み物にするために儀式的に叩かれ、こされます。カバをこすために使う特別な布を用いた入念な儀式で、その飲み物を用意する者たちは儀式が執り行われる間、戦士たちに護衛されるのです。Taofinu'u は、聖餐式はカバに非常に似ていると、部族の長たちにそれを護衛させたのでした。また、聖体祭儀での象徴との類似もありました。カバは常に一つのカップで供され、それは人々の一致のしるしとみなされます。サモアの人たちがそのような儀式をここ(NZ)に紹介しました。第一回目のとき私もそこにいたのですが、一人の老人が私に近寄ってきてこういったのです。「ミサに出ていて自分がサモア人だと思えたのは初めてだ」
2006年02月12日
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自分用のコート、後ろ身頃、左/右前身ごろ、袖一本を編み終えました。ふう!(^_^)-ドイツの会社の毛糸。縒りがとても甘くてかさの高い、赤系の段染め。作り方は、その会社のパターンが英語に訳されているのを読んで作ったのですが、やっぱり大雑把な作り方なのでこれでいいのかどうか不安になってきます。(アメリカの本を見てると、そんなんでいいんだ?と目からうろこが何枚も落ちるような作り方のものがあってびっくりします。キルトもそうです。いかに日本の作り方の指示が、微に入り細にわたっているかがわかります。←やりすぎ、とも言う・・・。そうそう、お菓子の作り方もそう。面白いから今度こういうの、例を挙げて書いてみようと思います。)明日中に、袖もう一本編んで、綴じるところまでいけばいいなー。なんとか冬のうちに仕上げたいです。冬が長いところだから、あんまり心配しなくていいのもちょっと悲しい今日この頃・・・(^^;)。あとで編地をupしようと思います。
2006年02月11日
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風邪ひいてた男の子に大変だねと言ったら、「そうなんだよ、もう、鼻かみすぎちゃって、僕の唇、真っ赤っ赤!!」はぁ?「唇」真っ赤ぁ!?と思って、まじまじと彼の「唇」を見詰める私。次の瞬間、はっと(ああ、英語の『lip』は、日本の『唇』と範囲が違うんだったっけ)と思い出しました。「lip」、日本語の「唇」よりも範囲が広くって、口紅を塗るあの部分を越えて鼻の下まで「lip」なんですよね。だから、彼は「鼻かみすぎて『鼻の下』真っ赤」と言いたかったわけです。英語だと他にも、『唇』に立派なひげをたくわえたりできるわけですよねえ。「『唇』に無精ひげ」とか。(^^)かわいい女の子見て、『唇』を長ーく伸ばしちゃう人もいるわけだ。(←そんなわけないだろ!(^^;))これって、よく日本の英語辞書に書いてあるから知識としては知っていました。でも、実際こうやってふいに遭遇すると、自分の持ってる意味にだけ引き寄せて考えちゃってるから「ぎょっ!」とします。私は、その男の子の、ふつう口紅を塗るであろう部分が真っ赤になっちゃってるのを脳内設定してしまっていたんですよね。「僕の唇真っ赤」!急にニヤニヤしだした私を、彼はいぶかしげに見ていました。(^^;)-----ところで、この記事書くのにちょっと確認してみようって思って、英和辞書の「lip」ひいてみたら、その例文にこんなものがあってブハッと噴出してしまいました。「Kiss me. No, on the lips. キスして。だめ、唇にして」「だめ♪」って、あなた! あの「新明解」を出した三省堂かと思って確かめたら、旺文社でした。(^^;)
2006年02月10日
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「heで受ける、sheで受ける」という、そのジョークのことを心に留めていたとき、ちょうどバイブルスタディーでこんなことがありました。「女性が司祭になれないというのはどういうものなんだろう」と一人が発言したことからちょっとした議論になったのです。田舎の教会の小さなバイブルスタディーです。出席している人はどちらかといえば保守的な考えの人が多いでしょうか。「男と女は違う」と、女が弱い例を次々に挙げる人がいます。人生全てが思い通りにならない、という人もいます。時には制限が神に近づくきっかけになるという人もいます。でも、私にはどれも「だから女性は司祭にはなれない」という理由からはそれて感じられました。「女が弱いというけれど、強い女の人もいます。弱い男の人もいます。強さ弱さが司祭職と関係あるのでしょうか。肉体的な違いは、精神、信仰の世界とは関りがないと思う」出席し始めてまだ数回の私は、それくらいを発言しました。しばらく話し合いは続きました。会の時間も終わりに近づいていたからか、収拾しようと司会の人が発言しました。「男性司祭だけなのは、神がそう願ったからです」びっくりしました。彼女はそう思う理由を、教会の成立から発展に短く触れながら幾つか述べました。そして、最後に、こんなことを付け加えました。「教会を代名詞で受けるときはsheと受けるでしょう。司祭職につくことは神との結合、結婚にたとえられます」すると出席者の何人かは「ああ、教会はsheで受けるわね、確かに」と、納得した様子なのです。それにも驚きました。日本語では、heでもsheでもありません。そういうことは全く問題にならないと発言したかったのですが、終会の時間も過ぎ、まとまりかけたものをまた議論に引き戻すのもためらわれてだまっていました。(あとで後悔しましたが)女性司祭の問題については、もちろん、もっと神学的な見方が反対からも賛成からもなされています。ですから、司会の方の発言は、たとえから持ってきたちょっとした理由付けなのでしょう。それが根本的な理由だと思っているわけではないはずです。それでも、「教会をsheで受ける」ことが、女性司祭がない理由の説明としてなんとなく使われてしまい、聞くほうもなんとなくそうかなと納得してしまう。だんだん、先日のジョークを笑えないような気持ちになってきました。ほんの小さなことかもしれないけれど、言語がものごとを限定してしまう例だったのかもしれません。「・・・一つの言語として母国語を覚えていくということは、とりもなおさず、一つのものの見方を強いられていくということに他ならない。」井上神父の本の中のそんな言葉を思い出します。(もしかしたら続く)
2006年02月09日
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先日、カトリックについての英語のジョークをネットで見つけました。そう面白くもないのですが、にや、というくらいにはおかしかったのでよく覚えています。カトリックのジョークに限らず、宗教関係のジョークは結構いっぱいあって、ちょっときついなーと思うこともあるのですが、それはそれ。ジョークはジョークです。そのジョークはこういうものでした。-----教皇ヨハネ・パウロ二世は天国につきました。聖ペテロが、「正直言って、そなたがこられたのは運がよかった」と。 ヨハネ・パウロは、「なぜでしょう。私が、地上で何か悪いことでも?」聖ペテロは答えて、「神は、女性司祭叙階に対するそなたのスタンスに非常にお怒りなのだ」ヨハネ・パウロは答えて、「それを?彼が、お怒りになっているのですか?」聖ペテロ「 『彼女』 が、激怒しておらるのだよ」ぎゃふん!(←死語)-----・・・(^^;)-以上のようなものでした。カトリックでは伝統的に司祭は男性がなっています。女性司祭を認めないのかという意見も聞くことはありますが、そうそう変わるものではないでしょう。先の教皇は、女性司祭には絶対反対の立場を貫いていました。英語で話したり書いたりするときには、『神』と言っても、「he」か「she」で受けるからできるジョークですね。軽くわらったあと、井上神父や遠藤周作のいう、「母性的な神」を思い出しました。日本でだったらどうかなーと想像してみたのですが、絵画や文章や自分のイメージなどから、漠然と「男性的」に思い描いている人のほうが多いのではないかなと思いました。「父・・・」と呼びかけたりするから、やっぱり「男性」を想定してるのかな。でも改めて、「神は・・・」というのを「彼は・・・」あるいは「彼女は・・・」と置きかえると、「えっ?」と抵抗を感じるのではないでしょうか。もしくは、「神は男性/女性です」ときっぱり言い切られたときに、「そうなの?」と感じるのは私だけではないはずです。やはり、当てはめて考えることで(この場合は言葉に)、反対に限定してしまうことがあるなーなんて、ちいさなジョークからにつらつら考えました。神が男という捉えが先か、言葉が先かはおいておいて・・・(^^)続きはこちら→小さなジョークから 2
2006年02月08日
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TVジャパンでオリンピックのことが話題に出るたびに「あ、今オリンピックだったんだ」って思います。アメリカにいると、オリンピックやワールドカップって全然もりあがらない(^^;)もちろん、新聞のスポーツ欄には取り上げられてはいるし、テレビのニュースでもちらりと触れたりはするけれど、みんなどこ吹く風、といった感じです。ミシェル・クワンが出場を取りやめて、さらに関心は低くなってるような・・・。スポーツ番組見てたら、「もう見る意味ない」とスポーツジャーナリストたちが話してたりしてびっくりしました。日本みたいに、国を挙げて応援って雰囲気もないし、特に冬は競技自体が知られてないのもポイントが低いのかなー。シーズンのアメフトや、バスケや、ホッケーのほうに関心がいってるのもあります。この前の夏のオリンピックのときに日本からお客さんが来てたのですが、オリンピック情報がほとんどないのに驚いていました。(^^;)ごめん・・・連れて行ったレストラン(スポーツ・バーってわけではなかったんですが)では、オリンピックではなく地元ホッケーチームの試合がTVに映し出され、それにお客さんたちが大いに沸いているのを見て、さらに驚いていました。そういえば、サッカーのワールドカップのときも、話題にしていた人たちは聞いてみるとヨーロッパからだったり、皆外国から来た人たちだったもんなー。(^^;)世界的なイベントってものに、とーても関心が低いアメリカ。日本だと、深夜の中継を見て寝不足の人もいるとか。そこまでしようとは思わないけれど、ここまで無関心っていうのもちょっとさみしいなー。(^^;
2006年02月07日
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長崎聖フィリポ記念聖堂のステンド・グラス アメリカ(そしてヨーロッパも?)では、今日6日が二十六聖人を記念する日になっています。教会カレンダーの今日の欄には、「St. Paul Miki and Companions」と記されています。今朝のミサでは、神父さんは殉教者たちを記念する赤い祭服。ミサに入る前に時間をとって、二十六聖人のことを紹介してくださいました。そして黙祷。祈りの中でも、何度か彼らについてふれた箇所がありました。こんな風に日本のクリスチャンについて言及があったのは初めてだったので、うれしかったし、身が引きしまる様な思いも。日本人クリスチャンとして、彼らの思いに触れて自分の心を見つめなおしたい。また、彼らのことをこちらの人に伝えることができたら・・・。朝ミサが終わって外に出ると、東の方がほんの少し明るくなっていました。空には明星が輝いていました。
2006年02月06日
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坂を公園まで上りきると、長崎26聖人の記念碑がせまってきます。突然、宣教師らと背後の外国勢力に不審を抱いた秀吉は、1587年、伴天連追放令を出しました。(その報は、すぐ右近のもとにも届きました。秀吉はその日のうちに三度も、一度は利休までを使いに立てて、右近に信仰を取るのか自分に仕えるかと迫ります。この話はまた別の機会に。)後に、捕らえられた宣教師6人と、少年3人を含む信者20人が、京都から長崎への長い旅路につきました。彼らはほぼ一月を歩き通し、長崎の高台、西坂に着いたのでした。舟越保武作の彫刻の前に立つと圧倒されます。ここに散った26人、一人一人に大きなドラマがあります。(さるすべりさんのページに、祈りがUPされていました。どのような人たちだったのかがよくわかります)記念碑の向こうには殉教者に捧げられた聖フィリポ記念聖堂。彼らの願いを表すかのように、2本のモザイクの塔は空に差し出だされています。(どうぞ全ての人の心の自由が守られますように)その後に続くたくさんの殉教者の初穂として、彼らは確かに天に受けとめられました。それを見守った人々、そして伝え聞く私たちに、苦難にも消されなかった炎を示しています。もしも迫害にあったとしたら、彼らのようにはいかないでしょう。でも、彼らのような人がいたということに感動します。そして、もうこんな悲しいことがないようにと祈ります。去年の日記どんな人たちだったのかがわかるさるすべりさんの日記
2006年02月05日
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3日の記事、右近の所に牛肉料理を食べに行ったのは、蒲生氏郷と細川忠興でした。記事には氏郷と前田利家と書いてしまいましたが、忠興に訂正しました。書いたあと、(利家と忠興とどっちだったかな)と不安になり、本をひっくり返していたのですが、やっとでてきました。すみません(^^;)忠興も、右近の親友でした。ご存知の通り、妻はガラシャたま。忠興も茶道で名高く、右近と同じように利休の高弟でした。ガラシャと右近がじかに会っていたかどうかはわかりませんが、忠興を通してその人となりを聞いていたガラシャは、右近を尊敬していたといいます。右近が大名の地位を捨ててからも忠興との交流は続きました。1614年、宣教師らの追放に続き、右近が金沢をでたと聞いた忠興は、「これで南ノ坊も、これまでの数々の行跡に仕上げの花押(印)を押したわけだな」と言ったそうです。それはガラシャが敵の手に落ちることを拒み、キリシタンであるがゆえに自刃もならず、家臣に討たれ炎の中に散ってから14年後のことでした。
2006年02月05日
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猫アレルギーないといいけど、右近さん(^^;)写真とお花を出して、ろうそくを灯しました。台の上がちょっとさみしそうだったので、陶器の猫をいくつも並べてしまったのだけれど、右近さん大丈夫かな。(^^;)近年発見されたという右近さんの歌には、撫子が詠み込まれています。おろかなる老いの涙の薄ければ夕日のかげの大和なでしこ草枯れのまがきに残る撫子を別れし秋の形見とも見よ老いの迫った右近の瞳に、静かに影を映した可憐な撫子を思います。加賀越前屋片岡家の文書の中に発見されたのだそうです。右近の姪が片岡休庵の妻でした。金沢に行ったとき図書館を訪ねて、文書をコピーしていただきました。(^^)大事にとってあります。「神かわしか」と秀吉に迫られ、領地そのほか全てを返上して身を隠していた右近は、前田利家のはからいで、客将として加賀前田家に召抱えられました。(天正16年、1588)「禄は軽くとも苦しからず、耶蘇宗の一ヵ寺建立下さらば参るべし」というのが右近の言葉だったそうです。その後、家康によって伴天連追放令、右近、内藤如安ら有力キリシタンの身柄拘束の命令が出るまで(慶長18年、1614)金沢に留まりました。金沢城の修理、堀作り、高岡城縄張り(設計)、また茶道や料理などの文化面で活躍しています。追放令が出た後は、宣教師の道中の便宜を図り、身辺整理をしていただいた禄などを前田家に返上してから、雪深い北陸路を家族とともに上方に向かいました。折りしも、大阪城には徳川に反してぞくぞくと武将たちが集まっていました。中には明石掃部(かもん)ら有力なキリシタン武将も。右近の影響を恐れた徳川は畿内に入ることを許さず、そのまま長崎へ向わせます。京から内藤如安の妹ジュリアとその指導する修道女15人も加わりました。長崎へ。そのときからさかのぼること17年、京から長崎までの道を歩いていった26聖人たちのことを、右近も思い出していたことでしょう。突然の秀吉の命によって、殉教者が決められるとき作成された名簿。その筆頭は高山右近でした。それを石田三成がなんとか取り消させていたのでした。右近の心に、自分の身代わりで彼らが迫害されたという思いがあったとしてもおかしくありません。長崎に着いた右近らは、トドス・オス・サントス(諸聖人)教会(現在の春徳寺)に。北から長崎に入れば西坂は通り道ですから、右近たちもきっと26聖人殉教の地、西坂を訪れたことでしょう。明日、5日は、長崎26聖人の日です。
2006年02月04日
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形見とも見よと残せる撫子の香り気高し今日南坊忌(近年発見の右近の歌「草枯れのまがきに残る撫子を別れし秋の形見とも見よ」を読んで 写真は茨木市千堤寺「光の家」前のロザリオを掲げる右近像) 今日3日は高山右近忌。5日、6日との説もあるのですが、最近は3日が有力のようです。堅信のときに彼の名前をいただいたこともあり、いつも心にある先輩クリスチャンです。日本の撫子とはちょっと違うけれど、白と赤い斑の入ったカーネーションを右近像の写真とともに飾りました。 右近はキリシタン大名として有名ですね。信長、秀吉、家康と続く激動の時代を生きた人です。今年の大河ドラマ「功名が辻」に彼は出てくるかな?(もうずいぶん昔の「黄金の日日」では、鹿賀丈史が演じていて、割と大きな扱いだったのを思い出します。それを覚えているのですからかなりのものですね、私も(^^;))信仰者として、茶人として、有能な武将として、築城者として名高い右近。いろいろな本を読んでいると、面白いエピソードもあります。潔癖症で、戦場にあってもお風呂は毎日。茶会のあるときに神経質に掃除したり、またそういうところがお手前にも表れたのか、「右近の茶には、清の病あり」とからかわれたり。蒲生氏郷と細川忠興が、当時はめずらしかった牛肉料理(多分、すき焼きとか、じぶ煮のようなものだったのでしょう)に呼ばれたときのこと。ふたりは、右近が祈るためにあつらえた部屋を見て、大げさだとからかってしまいました。それには右近もぷんすかと怒って、お料理を振舞うのをやめてしまったのだとか。氏郷と忠興は、あせって平謝りをしてやっとご馳走してもらったそうです。細川ガラシャや、利家の娘、豪姫との親交も興味深いです。今日スーザンのところに遊びに行って右近忌だと伝えると、「朝起きて何を思った?」と。「うーん。右近はとっても潔癖な人だから、まず私の散らかし具合を見て怒るだろうな、うちに来てはくれないだろうな、と」スーザンは笑って、「No. He needs you.」といいました。そうは、にわかには思えませんが・・・。(^^;)ごめんね、右近さま。彼の列福運動(信仰の証し人=聖人として教会に認めてもらうための)が、あるそうですね。彼が聖人と認められる日を、生きているうちに見ることができたらいいなーと思います。ともあれ、もっと知られていい信仰の先輩だと思います。去年の日記にちょっとした紹介と俳句を書いたものがあるので、下にリンクを張ります。高岡市高岡城址公園(高岡城の設計は右近による)の右近の像の写真も貼りました。 右近忌5日に長崎26聖人の殉教もあり、2月は、日本の先輩クリスチャンを覚える月にしています。今まで調べたことを少しずつUPしていければと思っています。
2006年02月03日
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今朝はだんな君の出勤が早くて車が使えなかったので、夕方になってから所属の教会のミサに出ました。久しぶりの所属教会の平日ミサです。今日は「主の奉献日」。イエスが生まれて40日目に当時の伝統にのっとって、神殿に捧げる儀式が行われたことに由来した記念の日です。一年間に使うろうそくを祝福していただく「キャンドルマス」の日でもあります。Fr.Markがキャンドルマスの思い出を話していました。聖堂中、キャンドルの入ったダンボール箱だらけになって、あんまり美しい情景ではなかったなーと笑っていました。この教会ではキャンドルの式はないのですが、朝ミサのある教会ではろうそくの祝福があったはずです。見てみたかったな。神父さんのお話の後、席を離れて前に来てくださいと声をかけられました。今日は割と人数が少なかったので、全員で祭壇を囲むようにして「感謝の祭儀」が進みました。全員で手をつないでの主の祈り。そして平和の挨拶でした。典礼担当のアンジーさんを久しぶりに見かけました。アンジーさんも驚いて近寄ってきて、ぎゅーっと抱きしめてくれました。((*^^*)く、くるしい。)「久しぶり。今までどうしてたの」それから彼女のオフィスに呼ばれて、しばらく近況報告。朝の時間のほうが都合がいいので、隣の教会の平日朝ミサに出ていること、代母のスーザンさんとは、とてもよいお付き合いをさせてもらっていることなどを伝えました。アンジーさんからは、典礼の仕事はリタイアし今はRCIA(入門講座)の仕事だけをしていること、義理の弟さんが亡くなられたこと、最近の教会のイベントのことなどを。久しぶりにアンジーさんと話せてとてもうれしかった。本当に包容力のある、温かな人です。こういう人がいるということはありがたいなーと思うし、こういう人のようになりたいなーと(決して及ばないとはわかりつつも(^^;))思います。
2006年02月02日
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これからカイロでぽきぽきしてもらってから、ピストンズの試合に行きます。(^^)v夕べ残念にも負けてしまいましたが、いまだ37-6と驚くべき好成績の彼ら。気合を入れなおして、今日勝ってくれるかどうか・・・。パレス(ピストンズの競技場の名前(^^;))に行って、彼らの活躍を見てきまーす!
2006年02月01日
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