全1304件 (1304件中 1-50件目)
成功したことは誰でも公言したがるが、失敗したことは誰でも隠したがるのが人情だ。住宅も含めて不動産を購入するとき、誰もが慎重になる。慎重になりすぎるぐらい慎重になり、身動きとれなくなる人も稀ではない。しかし、慎重も度が過ぎると、慎重ではなくなる。「決断」を先延ばししているだけのただの「優柔不断」である場合も多い。「不動産で失敗したくない」・・・、誰もそうだ。しかし、不動産のプロは一瞬で買う買わないを判断するものだ。不動産のプロこそ、ヘンな不動産を買って失敗したくはないものだ。しかし、不動産のプロは、現地に立ってみて、一瞬で判断を下す。不動産のプロだからこそ分かるのである。自分以外にもこの物件を検討する不動産のプロがいるだろう。「買う」のなら、一瞬でも早く決断したほうがよい。逡巡しているうちに、他のプロに買われてしまうからだ。それは、日常茶飯的に不動産に接しているからできることではあるが、「決断する」という行為においては一般人となんら変わらない。一般人は、「ここだけの話・・」とか「アナタだけに特別に・・」に弱い。そういう話し方をする人間は誰にでもそうなのだが、ついつい、なにか得しそうだ・・・という誘惑にかられのってしまう。それを裏返すと、「失敗したくない」という強迫観念に似た思いがある。現実は、しかし、そういう思いが強い人ほど不動産で失敗しているのだ。不動産は必要があって買う場合が多い。必要があるということは、目的もあるわけである。不動産で失敗しないための鉄則は、必要な条件を満たす不動産を買うことである。そこに、将来、値上がりするかしないかとかの打算をもってはならない。そういう打算が働くと、所期の目的を忘れてしまう結果になる。所期の目的から外れた不動産は、結果的に、失敗するのである。
2011/10/25
コメント(8)
密かに改装オープンするつもりで名前も写真も変更したのに、たくさんの方においでいただき、ウェルカムコメントもたくさん頂戴しました。あらためて感謝いたします。 ありがとうございました。以前は業務用のホームページにリンクしており、「独り不動産屋社長のブログ」ということにしていましたので、かなり外聞を気にしていたのは事実です。しばらくは移転先にリンクしていましたが、もう、いいでしょう。・・・・・・・・・・・さて、かえすがえすも残念で悔しいのは、東電・福島第一原発事故のことです。「この、事故さえなかったなら・・」と思うと、憤死しそうな昨今です。福島の浜通り沿いには友人知人がたくさんいましたが、今は殆どが連絡もとれません。なにより、放射線物質の汚染に神経過敏なこの世の中が居た堪れないですね。私には二人の孫娘がいますが、本当に、この子らに責任を感じます。深夜、密かに、東電本社前で抗議の焼身自殺を敢行しようと思いつめたりします。生命や健康な身体あっての「快適さ」や「便利さ」であるのに、現代の風潮はさかさまで倒錯したまま平然としていることに憤死しそうです。いや、コレは実行する必要があると思いつめています。
2011/10/18
コメント(2)
思案の末、改装オープンすることにしました。世の中、ヘンな方向に行きそうですね。ここでは、まったく、浮世を離れた隠者として遠近見聞回想します。本音を書きたくなりました。また、お世話になります。
2011/10/16
コメント(8)
「隠者の遠近見聞思録」は、本日をもって閉店いたします。長い間のご愛顧に感謝申しあげます。 2005年3月7日に開設以来、本日で、2,359日目になり、ちょうど1,300件の記事を投稿して参りました。この間、延べ200,147名の方々においでをいただきました。 開設した2005年という年は、辛い年でした。 6月に妹をクモ膜下出血で喪い、10月には中学以来の親友を原因不明の病で喪いました。 2005年は、おそらく、一生、忘れられない年になります。 さて、この楽天ブログは閉鎖しますが、別の場所でブログは書き続けます。 数日以内に、「移転開店のお知らせ」をしますので、よろしく願います。 私事ながら、先月下旬、住居を移転しました。これまでは、水鳥が池沼を飛び去るように、かの家を棄て、あの家を捨ててまいりましたが、今回は、いわば、「終の棲家」とすべく心を決めました。 家庭菜園をつくり、野菜づくりを再開しました。 文字どおりの「心機一転」にしたいと希う昨今です。 写真は、与論島のハ二ブ海岸に沈む夕陽です。「黄金の道」ともいわれています。少年時代、この夕陽を見るためにこの海岸に通った時期がありました。写真は、風来坊からお借りしたものです。 それでは、 See You Again, Soon ! Good Bye !
2011/08/22
コメント(14)
日々を丁寧に生きようと思う。 「丁寧に生きる」・・・、 この数日、言葉に表せない概念があってもどかしかったが、 それは、「丁寧に生きる」という言葉になってカタチになった。 たぶん、この先は、 「頑張り」よりは「真剣さ」が求められる。 「頑張り 」は心身に緊張を強いるが、 「真剣さ」は集中することでリラックスする・・・・・というイメージが結像する。 健康面でも大きな変化が起こる予感がある。 丁寧に生きよう。 食事の量を意識的に減らし、食材を選ぼう 。 丁寧に食べて、丁寧に生きよう。
2011/08/21
コメント(2)
う~~、暑い~!午前10時過ぎには35℃を超えた。 流れるプールに連れていってあげたいが、オムツつきの幼児はNGだろなあ~~。 ということで、急遽、衣装ケースでのプールづくり。 はじめのうちは、ちょっと、こわごわ・・・。 「ジイ~、コレ、ほんとうに、大丈夫かあ~?」 子どもはすぐに慣れる! 気持ちいい~よ~!ジイも入れば・・・! アレ・・?ちょっと、バランスがくずれたぞ~。 オムツが水を吸っちゃンタンだねえ~!パンパンになっちゃったよ~。 めいちゃん、ちょっと立って向こうを向いてごらん・・! こりゃ、重いわ・・・・!
2011/08/18
コメント(10)
お盆休みや夏休みで世間が静かなこの時期は、自分自身や業務内容のリセットをするのにまとまったいい時間が取れる。 またまた、ゴッドファーザーを1~3まで通しで観る。 やはり、また、教えられることがある。 テーマソングをしみじみと聴いている。
2011/08/16
コメント(5)
旅にゆきて おのれにまさり はた おのれにひとしき人に 逢うことなくば むしろ 独り行くことに 心をかためよ おろかなるものを 伴侶(とも)とすべきにあらず 南無・・・!
2011/08/14
コメント(2)
灼熱の猛暑日が続きます。越谷久伊豆神社の池の亀たちも参っている様子です。水面に浮き上がる甲羅に容赦なく熱射線が突き刺さっています。 今夜は十四番目の月が煌々と中天に輝いています。 ずいぶん久しぶりの更新になりました。 思うことあって、ふと、立ち止まり、あるいは、行きつ戻りつの日々でありました。 今日は「月遅れ盆迎え火」の日ですね。 人が心に思うことは誰にも止められません。 先刻まで月を眺めていましたが、丁寧に生きようと思いなおしました。 残暑、お伺い申しあげます。 越谷久伊豆神社境内の池です。樹齢200年を超える藤棚の下には風も通ります。 ここに坐って考え事をすることの多い昨今です。
2011/08/13
コメント(8)
独り不動産屋さんを開業して以来、約8年間、 ずっとお世話になってきた印刷機のリース契約を解約して、 本体を引き取ってもらうべく手配した。 この印刷機は約300万枚の手作りチラシを印刷作成してくれた。 この印刷機なかりせば、 今のような業務形態には辿りつけなかったろう。 これからは、一切の広告活動をやめる。 ネット不動産進化論を実践し実証してみようと思うしだい・・・。
2011/07/01
コメント(4)
「つくばい」に映る初夏の空。奥座敷から庭を眺める。古来より、日本家屋の「美」は、「明と暗の同居」にあった。日本建築の様式美を取り戻したい。明即是暗暗即是明
2011/06/29
コメント(0)
今朝、洗面所でしみじみと自分の顔貌を眺めて思う。 「ケイシよ、おまえもずいぶん老けたな~~」 そして、誰かに似ていると思う。 親父に似ているな~~と思う。 え~~、まさか、そんな~~と思うが、やはり、似ている。 40代のはじめ頃までは母方の伯父によ~く似ていると言われた。 酒の呑み方など生き写しのようだとまで言われた。 かなりムチャ呑みする伯父だった。 50代に入って、急に、自分でも、父親に似てきたと思う。 喋りかたがソックリだと子どもたちでさえ言う。 外形的にも似てきたようだ。 10年ほど前までは、思いもよらぬことであった。 普通、隔世遺伝のはずだが、なぜか、父親似の息子になったようだ。 弟は祖父と同じにおいがする男になった。
2011/06/26
コメント(6)
独り不動産屋を開業して、まもなく、満8年になる。7月末が、8期目の決算。8月1日から、なんと、9期目に入る。思えば、よく、ここまで来たもんだと思う。目標の10年まで、もうチョイだ。この約8年間になんらかのかかわりをもった、越谷のマンションのコレクションを集大成してみた。「越谷のマンションコレクション」あと、16件を残しているが、一応、お披露目。隠者の仕事場
2011/06/23
コメント(0)
「走る」というほどではないが、60分のLSDでしっかり汗をかいて、身体に溜まった疲労を体外に排出できたようで、気分は上々で爽快だ。越谷東部の田園地帯を吹き渡る風が心地よい。稲田の稲もしっかり根づいたようで風にそよぐ姿がよい。田んぼの匂い、泥の匂い・・・、懐かしい。用水路には小さなこどもザリガニがたくさんいる。今度、孫ちゃんが来たら、ザリガニ釣りができる。午後は雨の予報だが、様子をみて、もう一本いくかな。
2011/06/14
コメント(1)
外で酒を呑まなくなって久しい。カラオケに行かなくなって久しい。どちらもそんな気分ではない。息子に貸していたフォークギターを手にとってみた。試しに弾いてみたら意外にも弾ける。コード進行もスムーズだ。昔のフォークを唄ってみる。意外と唄える。ギターも弾けるし唄も唄える。仕事場にギターを持ち込んだ。独り仕事人だから遠慮する人などいない。仕事場でフォークを唄う・・・、意外とピッタリしっくりくる。なんだ、もっと早く気づけばよかった。明日は楽器屋さんに行ってカポタストとピックを買ってこよう。Cのハーモニカも買ってみるかな。拓郎と岡林を、54歳バージョンでコピーしてみるか。
2011/06/13
コメント(8)
グーグルアースでクルクルまわる青い地球を飽きずに眺めていたが、 ふと、思う。 つくづくと、この人間=人類というのはヤッカイなものだと思いいたる。 もう遠い昔にかつて読んだことのある、 民俗学者であり文明学者でもあった梅棹忠雄氏の著作の一文を思い出す。 「人間はおのれの存在基盤を掘り崩しながら文明を築きあげてきた」 この一文を読んだ当時はなんのことだか分からなかった。 意味不明ではあったが不思議と鮮明に記憶しつづけてきた。 ようやく腑に落ちた気がする。 文明の発達というのは、つまり、人間の存在基盤を掘り崩していく過程である。 311の東日本大震災を経験して以降、 自分自身のなかでのなにかの崩れを意識している。 その自分自身のなかで崩れていくものは、 人間=人類の存在基盤そのものではないかと思い当たる。 過去、人間は幾度も文明の発達の極みを経験しては滅亡し、 滅亡しては復活してきたの繰り返しであったに違いないと確信できる。 科学技術の発達や新しい技術等の発明発見というのは、 実は、過去の成功体験の記憶を取り戻しているにすぎないにちがいない。 原子力発電などという便利だがとんでもなく物騒なしろものなどがいい例だ。 人間の業の深さというもの・・・。 便利快適の極みを尽くしては滅亡する。 滅亡しては復活して、また、同じ経過をたどる。 人間というのは、黙っていても、余計なことを考え出してしまう。 そして、それを、とことん追究しなくては気がすまない生き物だ。 それが、あるいは、 人間そのものを滅亡させてしまうかも知れないと分かっていても、 誰もストップをかけられないというヤッカイさ・・・・・・・。 クルクルまわる青い地球を眺めていると、 地球そのものは、人間の存在など、実は、少しも斟酌しないのだと分かる。 人間は自分勝手にやりたい放題をやっているにすぎない。 まったく、ヤッカイな生き物だ。
2011/06/10
コメント(0)
予想外の悲劇に見舞われたことで、 孤独感が深まり、 他者の助力に頼らざるをえない状況に屈辱をおぼえているうちに、 それまでは、 あれほど前向きだったおのれにすっかり自信がもてなくなり、 もしかすると、 我が人生は、 哀れな結末に終わるのではないかという不安に苛まれる段になって、 はじめて、 人間の底力というものが発揮されるのだ。 by 丸山健二
2011/06/09
コメント(4)
日本のいたるところの組織で、人望・人徳が取り沙汰される。 日本社会の人事は、「人望・人徳」を抜きにしては考えられない。 「アイツは仕事はデキルが、いかんせん、人望がないからなあ~」 この一言で、アイツの出世の道は相当に狭くなる。 「アイツは仕事はイマイチだが、しかし、人望はあるよなあ~」 この一言で、アイツの出世の道はかなり広がる。 世の中には、たしかに、人望・人徳のカケラも無い御仁がずいぶんといる。 仕事もでき年齢も相応だが、なかなか、世に出られない男たちがいる。 「人望・人徳がない」と評価されてしまった男たちだ。 人望・人徳の有無になにか基準があるわけではない。 人望・人徳の有無の評価は、いわば、一種の「差別」だ。 だが、だいたい、この評価は当たっている。 「無い」の評価をされた本人は不本意極まりないだろうが、当たっている。 この頃、部下と功を競うバカ上司を多く見かける。
2011/06/08
コメント(2)
今日午前からジョギングを再開した。 ゆっくりゆっくり走り、途中、歩きをいれながら、ゆっくり走る。 LSD=Long Slow Distance というやつだ。 4キロを60分ぐらいかけて走る。 犬の散歩の人に追い抜かれるぐらいにゆっくりしたスピードだ。 今日は初日なので、午前と午後に、30分ずつ2回のLSDを行った。 2週間ぐらいはこのペースでいこうと思う。 基礎的身体機能の開発に努めること。 ノルマをつくって心に負担をかけず、気軽に走って身体に負荷をかける。 来年こそ、ヨロンマラソンを走るぞ!
2011/06/05
コメント(2)
今日の越谷は暑かった。暑さ本番は、まだまだ先だけれど、急に蒸し暑くなってダルクなった。今年の夏は多くの人が不快指数の高い日々を過ごすことになるだろう。特に都市部の人間には辛い夏になるのはマチガイない。週に1回は必ず参拝する越谷久伊豆神社に参った。境内にご神水の流れる瀧があり、そのご神水を両手ですくっていただき涼をちょうだいする。苔のむしている石はいかにも涼やかだ。しばらく、瀧の音に聴き入りながら、しゃがみ込んで涼をとる。5分もすると元気回復だ。木陰にある瀧はマイナスイオンがいっぱいだったか・・!
2011/06/04
コメント(2)
シリーズ1~3を通しで10回以上は観ている。この映画、観るたびに、新しい発見と気付きがある。権力という孤独、愛という哀しみ、男という生き方。多くの矛盾を許容する器量が求められる。
2011/06/03
コメント(6)
ヨロン島の孫娘めいちゃん、海釣りに初チャレンジです。1才半、カタチはリッパに釣り人ですな!日暮れて防波堤で海面を眺める父と娘。ちなみに、釣果は、4時間で1匹だったらしい。・・・・・・・・・・久しぶりに主治医との対話。「アンタ、思いつめるタイプだね」と主治医。「どちらかといえば、そうかも・・・」と私。「あのね、人間、思いつめてはダメなのよ・・」「・・・・・・」「あのね、思いつめるって、最悪のパターンだよ」「・・・・・・」「あのね、思いつめても、なにも解決しないし、好転もしない」「・・・・・・」「アンタ、やさしい人間なんだね」「えっ・・!」「いや、一言で言ってしまえばさ、アンタやさしいんだよね、人間が・・」「ふ~~む、ソレは~~・・」「どう?、最近、呑んでる?、酒・・」「いや、このところは、あんまり呑んでないですね」「何故・・?」「あんまり、呑みたいって思わないんですよ」「アンタらしくないね。ソレ、よくないね。ソレだよ、思いつめ・・・」「あ、そうですか」・・・・・・・・内科医なのに、よく、こういう話をする。今回も、診療時間を過ぎて、約1時間の面談。いつも患者さんで溢れる待合室だが、夕方5時以降は閑散として落ち着く。じつに、ありがたい御仁だと思う。なるほど、思いつめない、かあ~~。少し、分かる気がするなあ。
2011/06/01
コメント(8)
「引っ越せますか・・!?」・・・、 このタイトルで小説を書いています。 「事実は小説より奇なり 」とはよくいいますが、 世の中には、にわかには信じてもらえないような出来事が起こります。 不動産を扱うことは、他者の人生に大きく関わることです。 「引っ越せますか・・!?」・・・、 ある家族のドキュメンタリーです。 別のブログで時系列回想的に書き進めています。 少しカタチができたら、ここに、紹介させていただきます。 過去25年余の不動産業歴で小説の題材には事欠きません。 1件の不動産取引には2時間のTVドラマがすぐ書ける内容があります。 ワタシは約600件の題材を記録してきました。 いつか書こうと思い続けてきましたが、 そろそろ潮時のようであります。
2011/05/29
コメント(8)
自分が写っている集合写真を見るとき、 人は、イチバン、最初に誰を見つけるか。 それは、自分自身の姿です。 まず、最初に、自分の姿を見つけて、写りがいいか悪いかを確認する。 写りがよければその集合写真はお気に入りになる。 写りが悪ければ、お気に入りの逆になる。 人間の情念に対しては畏敬の念を持とう。 自分の名前の書いてある手紙やメールに人は親近感を持つ。 他の誰でもない自分に対して宛てられたものであることを嬉しく思う。 特殊な例外を除いて、 人は自分の名前に愛着を持っている。 送られてきた手紙やメールに書いてある自分の名前が違っていたり、 名前はあっていても字が違っていたりすると不快指数が上がる。 人には十分な敬意をはらって接しようと、あらためて思うしだい・・・。 「自分が人からしてほしいと思うことを、まず、人に対して行う」 よく言い古された言葉ではあるけれど、 しみじみと「そうだなあ~」と実感し認識を新たにした。 人を虫に例えるのは如何なものかとは思うのだが、 「一寸の虫にも五分の魂」は、本当である。
2011/05/28
コメント(4)
過疎地域というのは、 人口が減少するなどで、 コミュニティーが縮小化している地域をいう。 しかし、 過疎化が極まり、 誰も住まなくなった地域は、もはや、過疎地域ではない。 廃村である。 日本の各地で、この廃村化が進行している。 少し前に、 誰も住まなくなってだいぶ年数の経つ関東のある地域を見た。 「夏草や つわものどもが 夢のあと」 自然の草木が人工的造形物を覆いつくしてしまっている。 いずれ、近い将来、日本に「過疎地域」はなくなる。
2011/05/27
コメント(2)
このところ、 地方の不動産売却の相談が多い。 鹿児島県鹿屋、 長野県上田、 愛媛県宇和島、 土地面積が700~1500坪の住宅跡地だ。 今は、 グーグルアースで、 相談者と一緒に居ながらにして現地の確認が可能になった。 みなさんはじめは一様にびっくりするが、 何度も何度も故郷の町を懐かしがってアチコチに飛んでいく。 思い出話を辛抱強く聴くことも多い。 売却の事情は、ほとんど同じだ。 両親が亡くなって、 誰も実家を継ぐ人がいない。 固定資産税を払い続けるのも損な気がするし、 いっそ売却したい。 売却できるなら金額にはこだわらない。 どこもみんないいところなんだがなあ~~。 こうして都市生活者は故郷を喪失していくのだな・・・。 日本列島の過疎化を実感する。
2011/05/05
コメント(6)
20代の終わり、不動産営業の世界に入り、壁にぶち当たったときに出会ったのが、「道は開ける」だった。 以来、この三部作は、ことあるごとの人生処世の教本だった。 何度かの引っ越しのたびに、そのつど蔵書を処分した。この三部作もいつだったか処分してしまっていた。 今日、偶然、通りかかった店先で、文庫本の3冊セットを105円で購入できた。 信じられない価格だ。 いまいちど、ちゃんと、再読・熟読せよという啓示(?)かもしれない。 「今日一日を区切りに生きよう!」・・、懐かしい言葉だ。 今夜から、早速、読み始めるとしようか。
2011/04/27
コメント(4)
福島事故に「7」のレッテルが貼られ、東電や東芝、日立は「世界最悪」の原発を作って動かしていたことになった。原発推進を支えていた東電の権威や宣伝力は失われた。日本は原発廃止の方向に動いていくだろう(まだ確定的でないが)。 原発の喪失は、日本の産業コストを引き上げ、経済成長を鈍化させ、失業貧困を増やしアジアでの日本の凋落と中国の台頭に拍車をかける。 世界的には、アメリカの覇権が経済、政治(軍事)の両面で凋落している。アメリカという後ろ盾を失う日本は、単独で中国と対峙する意志が少ないので、弱体化を容認し、内向的、国際政治から鎖国する傾向を強めるだろう。 これまでの、明治維新以来の日本と世界の近代の価値観では、「経済成長喪失」・「国力低下」・「弱体化」・「内向化」などは「悪」であった。 しかし、大震災後、日本人に見えてきていることは、「無理矢理に消費して、経済成長をしていかなくても良いのではないか」、「外国から弱体化とか内向的とか見られても、日本人が自分たちの社会を良いものと思えれば、それで良いのではないか」、「外国人が逃げて行きたいなら、どうぞご自由に」といったことではないか。 経済成長や国際社会での地位向上こそ最善・最優先という従来の価値観から、人々がそっと背を向けている感じだ。 割高な石油を輸入するより、経済成長を鈍化させても節電して生きていく方が、「清貧」を好む日本人の民族性に合致している感じもする。 世界は、このまますんなり米英覇権が崩壊して多極化していかず混乱が続く。その場合、日本がしばらく(数年から数十年?)世界から背を向け、世界の中で「いないふり」を続けることは、変な戦争などに巻き込まれにくくなる分、良いことともいえる。 日本は、社会の安定と、工芸職人的な器用さでは、世界一級である。しばらく不活性な休眠状態が続くとしても、その後でまた、何らかのダイナミックな状況が国内に出てくる可能性も大きい。
2011/04/24
コメント(9)
photo by Hujita Marina 名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実ひとつ 故郷の岸を 離れて 汝はそも 波に幾月 旧の樹は 生いや茂れる 枝はなお 影をやなせる われもまた 渚を枕 孤身の 浮き寝の旅ぞ 実をとりて 胸にあつれば 新なり 流離の憂い 海の日の 沈むを見れば たぎりおつ 異郷の涙 思いやる 八重の汐々 いづれの日にか くにに帰らむ 島崎藤村の詞。
2011/04/22
コメント(8)
「頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない。頑張ろう、頑張ろうって言うけど家が流されたんだよ?」?と、福島の兄に電話したら言われました。?お前、ちゃんと分かってるの?超ツライ時、「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、あの帰る家がね、全部流されたんだよ。俺、もう、家無いの。明日も頑張ろうって決意するような場所がね、無いわけ。今日も疲れた~ってドア開けてホッとするような所がね、全員、一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から消えたわけ。お前、家ないのに頑張れる?服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてた物も、全部一気に無い。よし、頑張ろう!!って思える?すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ、頑張れとか。ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!!1人じゃない!!」とか言うわけ。イヤ、お前ら家あるじゃん?そのCM撮影したら家帰ってるじゃんって。仕事もあるじゃんって。俺、船、無くなったんだぞって。多分、漁師はもう出来ないと思ってる。もう、な~~~んもない。どう考えたら、今、頑張れるんだよ。ちょっとでも頑張れる何かが、今、俺たちにあるのか?「いや、今はこっちで頑張るから、お前らは1年ハワイでゆっくりしてきな。」とか言われたい。「お前らが帰ってくるまでに片付けとくから。家も建てとくから。」とか言われたい。そしたら、俺だって頑張るよ。毎晩うなされるし、夜いつまでも眠れない。流された人を何人も見た。顔見知りも流された。その頭にある映像を何回も思い出す。その度に津波がこう来るって分かってたら、あの人を助けられたかも......とか。時間が戻せたら隣のおばあちゃん家に寄ってあげたかった、とか。1人でも助けて英雄みたくなったら、まだやる気が起きたかな、とか。俺、1人で逃げてきたわけ。誰も助けなかった。おばちゃんとか何人も追い抜いて逃げた。重そうなもの持ってる人とかもいたのに。もう100万回くらい、100通りくらい後悔している。4日目にやっと町に行っていいと言われて、どっから手をつけていいか分からないどころか、いっそもう何もしたくなくなるような町だった場所を見て、ここを復興だなんて、微塵も思えない。今も。蓋をしたい。見たくない。町を見ると、死にたくなる。自分の人生は、もう終わったなって思うよ。こっからはもうどう頑張っても金持ちにもなれないだろうし、家だって、もう2度と持てる気がしない。何も希望なんかないよ。そんな俺達がさ、避難所でCMでアイドルや俳優を見てさ、「一緒だよ、1人じゃない」とか言われるたびに、あぁ、あの世界は自分達とはもう全然違ってしまったんだと思う。家がある人の言葉だな~と。安定してるな~と。そんなCMとかして充実もしてんだろうな~と。家が流されてなくてさ、帰る場所があって、仕事があって、地に足が付いてる人が、すげぇ神妙な顔で、オシャレな服で、こっち見て何か言ってるな、と。おまえに言われたくない、と。ホントに。何も言わないで欲しい。大丈夫な訳がない。お前らに大丈夫だよ、とか言われても、大丈夫な訳がない。どう見たらこの状況が大丈夫になるのか、胸ぐらつかんで聞いてやりたい。でも、怒る元気もない。やる気もない。ボランティアや取材の奴らも来て、色々写真とか撮って、「実際見るとテレビとかとは全然違いますね~」とか言ってて、数日たったら「元気出して頑張って!!」とか言って、自分達の家に帰っていく。正直、復興なんてクソ喰らえだと思うよ。?「何か出来ることある?」何を言っていいか分かんなくなって、兄に泣きながら聞いたら、「正直、不幸になってくれたら嬉しい。」と言われた。「俺達を幸せになんてフザケたこと思わないで、俺達の分、そっちもみんな不幸になってくれたらな~。」と言われた。「俺達を想って歌とか作られても今は不愉快だから、東京も全部流されて、それでも「頑張ろう」って言われたら頑張るよ。その人の歌なら聴く。知らない奴に馬鹿みたいに「頑張って」とか、「大丈夫」とか言われると、今は正直、消えて欲しくなるよ。募金は嬉しいよ。で、ボランティアじゃなくて、ビジネスで、仕事として、町を復興に来てくれた方が、こっちも気兼ねなく色々頼めて気が楽。正直、ボランティアに「ありがとう」とか言うのも苦痛。」と。??兄と電話で話してからテレビを見てたら、すごくモヤモヤしてしまって書きなぐりました。......これがとある被災者の本音だとしたら、安全地帯で僕らがものを言うことの安易さに心が凍ります。そんな安全地帯の人達がする低俗ないじめ、嫌がらせ。上記に書いた「福島県民お断り」の店や、「旅館を経営している者だが、福島から来た客を宿泊させて大丈夫か?」と厚生労働省に問い合わせてきた非国民経営者は、クソ以下の人間としてここでは相手にしません。ただ、避難してきた兄弟に、「放射線がうつるぞ」と言ってしまった子達に罪はない。子供は時に無垢なだけに残酷だ。だから我々大人達が、それは日本人として、人間として恥ずかしく悲しいことだとしっかり教えていかなきゃならない。地震は自然の脅威である天災。が、しかし、いじめや嫌がらせは人災だ。今、地震はどこで起きてもおかしくない。そこでどんな事故が起き、どんな被害が出てしまうかなど予測不能なのも事実で、次は我が身だ。福島県民は被害者である。何故このようないわれのない扱いを受けなければならないのであろうか。その為には、まずは我々大人が風評に惑わされることなく、正しい情報を受け止め、さらにそれを子供達に伝えることが大切だ。勝ちましょう。「被災者の本音」より。
2011/04/17
コメント(9)
父は、ある時から、私に、「ガクモンしろ、がくもんしろ、学問しろ」とうるさく言うようになった。 私は、とても強く、反発した。私には、「学問=勉強」、「勉強=試験」というイメージがあった。 父が言う学問は、真面目に勉強して試験でいい点数を取れというふうに聞こえた。 だが、ある日、私は知った。父の言う学問はそのようなものではなかった。 ある晩、酔っ払った父は涙ながらに言った。「オレは学問がないので世の中のことが分からない」 私はそんなことはあるまいと思いながら聞いていた。 オレはガクモンが無いので、新聞を読んでも分からない、テレビのニュースも分からない。・・・酔っ払いの繰言は続く。 しかし、私は、ようやく気がついた。父の言う「ガクモン、がくもん、学問」の意味が・・・。 父が、「ガクモン・・」と言い出したのは小学校3年生のころだった。父は、そのとき、学問のある弟を喪ったのだ。 父の弟=私の叔父は、国立大学の卒業を目前に自死してしまった。鹿児島市内の県立高校教師に内定していたのにである。 あとで知ったが、叔父はタイヘンな勉強家であり活動家でもあったらしい。その遺産を、私はいまでも、受け継いでいる。だが、叔父の自死の真相は、いまもってよく分からない。 今は、父の気持ちがよく分かる。息子たちに、「人間は一生涯勉強せよ」と言い続けている今の私だ。 知れば知るほどに、知らない自分を知ることになることを知っている。 無知の知。 本当に、知らなければいけないことがたくさんある。 人間は、一生、勉強=学問しなければいけないようだが、それは、また、しかし、楽しみでもあるようだと思う昨今だ。 意味わから~~じだが、一応、残しておこう。
2011/04/16
コメント(4)
お客に選ばれるために、お客を選ぶ。 お客を選ぶということは、自社の扱う商品と営業エリアを明確にすること。 「商品は何でも、場所はどこでも扱います」では、ハナシにならない。 特に、インターネットでの取引は、旗幟鮮明が大切だ。 隠者の仕事場では、蒲生~新越谷~越谷~北越谷の4つの駅のみを営業エリアにする。 本当は、越谷~北越谷の2つに絞ったほうがよいのかもしれない。 不動産業者の営業のあり方が大きく変化してきている。 今はまだそれほど明瞭なカタチで表れていないが、この変化が顕在化してくる頃には不動産会社の影響力の転換している。 社歴が古い、社員数が多い、支店網が広い等々ではもうやっていけない。 インターネットこそ不動産業向きだ。 自社のホームページをうまく運営できる零細業者の時代が到来した。 専門分野のプロが独りで大企業と負けない仕事ができる。 お客様の意識がハッキリしてきた。 インターネットを駆使したプロの仕事は、確実にお客様の支持を得ている。 そろそろ、大逆転の時代だ。
2011/04/15
コメント(0)
越谷、天気快晴、陽射しが強く暑いぐらいの陽気になった。 午後、自転車に乗って、越谷の東部を観てまわる。 桜と菜の花が混在して美しい田園風景が広がる。 小川や水路が入り組んでいて水辺の景色に心が和む。 木陰で休むと、春の風が爽やかだ。 隠者の仕事場
2011/04/14
コメント(4)
散る桜 残る桜も 散る桜思わず口をついて出てきて即興の節回しで吟ずる。 越谷、大相模不動尊大聖寺の鐘楼前の桜花が見事だ。 鐘楼の階段に腰をおろし、持参の酒を呑む。友があればよいが、独酌もよい。 春 鐘楼の花の宴。よく晴れた春の日の午後のイリュージョンか。陽射しの降り注ぐ静かな境内に自分のほかには誰もいない。 散る桜 残る桜も 散る桜然り然り・・・思う。 自分の外側の森羅万象は、こうして、あるべき姿でそこに在る。自分の内側の森羅万象は、万華鏡のようであるのだけれど・・。
2011/04/13
コメント(6)
このブログを書き始めて、今日で、2223日めになる。思えば、よく、続いたものだと感心してしまう。 独り仕事の業務上絶対必要性に迫られて、パソコン操作を独習手探りで始めてから1年が経ったころに始めた。 これを始めた年には、6月に妹を、10月に親友を相次いで喪った。 その喪失感と不在感を埋めるためにも、書くことは役立ったように思う。1ヶ月以上も放置したことがたびたびあった。ちなみに、記入率は、今日現在、ちょうど55%になっている。 昨今は、SNS(Social Networking Service)に曳かれハマッテいる。 Twitterは去年12月から、Facebookは今年3月から始めた。 それぞれに面白味があるが、その違いは次のようだと思っている。 Twitterは、思いがけない偶然の出会い=関係の拡大と拡散の効果Facebookは、用意された必然の出会い=再会と関係の深化の効果 ますます、電気のある生活から離れられない。 Twitter http://twitter.com/kawauchi_keishiFacebook http://www.facebook.com/keishi.kawaichi
2011/04/07
コメント(8)
昨夜は、山形の銘酒を呑む。息子の嫁の実家からのいただきもの。 山形・「寿虎屋酒造」の本醸造「無ろか槽前(ふなまえ)原酒」。アルコール分:19度以上20度未満、日本酒度:+8。 オンザロックが似合う日本酒。 ~ 旅する男の呑む酒は ~ ~ オンザロックがいいですね ~ たしか、こういう歌があったはず・・。 故郷の与論島の後輩の、「風来坊」が送ってくれた写真を拝見しながらいただく。 生きていればいろいろなことがあるが、いろいろなことを忘れることができるときもまたある。
2011/04/05
コメント(14)
あのスーパーフルムーンから2週間が経った。 地球は月の引力の影響を強く受けている。 潮の干満や生命の誕生時間なども大きな影響を受けている。 地球上の生命体である人間は、もちろん、月の引力の影響を受ける。 「満月の狼男」などは分かりやすい例だ。 地球そのものを例外ではない。 むしろ地球そのもが大きく月の引力の影響を受けて成り立っている。 地震や津波などの自然災害は、「地球自身」に起こっている現象である。 人間の都合などとはまったく無関係に起こる。 「人智を超えた・・」とか、「想定外の・・」とかは、おこがましさもはなはだしい。 ・・・・・・・・・・ 東日本大震災のあった日から、私が注目しているブログがある。 特に、今日の記事は、凄まじく、気になってしかたがない。 是非、ご一読を願いたいと切に希望する。 「あの日止まった時計たち」 今宵は新月の夜だ。
2011/04/03
コメント(0)
2030年 日本 「不安」の論点。 昨年、2010年12月、産経新聞の長期連載を書籍化したもの。 20年というのはちょうどよい時間の区切り方だと思う。 10年では短かすぎるし、30年では長すぎる。 今から20年前といえば、日本がバブル崩壊を実感し始めた頃だ。 この間、日本は、「失われた10年」といい、「失われた20年」といってきた。 20年前と比べてGDPは拡大しているが、生活実感としては縮小している。 2011年4月1日現在の日本は、なにか、「極まった=窮まった」感が強い。 なにか漠とした不安のなかにある。 失われた20年は、一昨年夏の政権交代で好転すかの期待をもたせたが、 期待外れのあと、このたびの「東日本大震災」で極まり感が濃厚になった。 20年後、 あなたの働く場所はありそうですか!? あなたの故郷はありそうですか!? あなたの家族は身近にいそうですか!? あなたの住む場所はありそうですか!? あなたの国日本は存在していそうですか!? なかなか、明快に答えられない質問ばかりだ。 悲観的になっているのではなく、はっきりいって、答えられないのだ。 22歳になる息子やその友人たちに問われて、答えにつまってしまう。 ・・・・・・・・・・ このごろ、昭和50年=1975年を懐かしく思い出すことが多い。 私が故郷の与論島を出て上京した年だ。 思えば、実に、よい時代を、「同時代人」として生きられたと思う。 日本経済の成長拡大の果実を享受しながら結婚し3人の子どもに恵まれた。 その3人の子らや孫娘らの将来を、20年後さえも思い描けない。 20年前は、つい、この前のように感ずるのに、20年後は杳として分からない。 いつの時代も、時代は、「激動の時代」ではあるにちがいないが・・・・・・・。 今日も送られてきた孫娘らの写メールを見ながら、ジイは心が泡立つ思いだ。
2011/04/01
コメント(5)
揺れるまなざし・・、いいえ、揺れる脳です。 個人的な症状かと思っていたが、かなり、多いらしい。 なんでこんなところにいるのか!?帰巣本能の赴くまま帰りましょうか、ね。
2011/03/29
コメント(8)
同じ越谷市在住のヨロンの後輩がこんなうれしいものを持ってきてくれた。コレで、元気百倍だね! 「アートせんべい」というらしい。 この煎餅は、食べられないね。 恐れ多いし、ありがたいし、ね。 とーとぅがなし・・、とーとぅがなし・・。
2011/03/26
コメント(5)
あまり歓迎したくないが、現実問題として直視せざるをえない。 この国の縮小化が急速に進行しつつある。 他人事ではない不都合な事態を個々人が受容せざるを得ない。 他者の不幸に対しては、実に寛容で慈悲深い態度もとれたが、自分の不幸に対しては、さて、人はどのような態度になるのか。 2011年3月11日を境に、この国の日常性は「非日常化」したと書いた。 豊かな日本の終焉を認めないわけにはいかない。 下記は参考までに、でも、必読の一文です。http://agora-web.jp/archives/1287220.html さて、いよいよ、避難=「疎開」という日本民族の大移動が始まる。
2011/03/23
コメント(4)
このビデオインタビューは、怖いけど、保存しておきたい。 必見です。 予言されていた「原発震災」
2011/03/21
コメント(4)
緊急地震警報で携帯電話がケタタマシク鳴る。 本当に心臓に悪い。 すぐにやってくる地震の揺れは、心臓と脳に悪い。 このところ、いつも、脳が揺れている感じがする。 トウフやプリンの上で生きているような錯覚がある。 「計画停電」なるものを経験する。 「計画・・・」というのは、戦時中の、「統制経済」を連想させる。 高橋洋一氏が、「計画停電」ではなく、「でんき予報」を出せばよいという。 「でんき予報」・・・、よい言葉だな~~と感心する。 消費電力の予想ができるのだから、「でんき予報」も出せるはずだ。 こういうユーモアは社会に資する。 緊急地震速報は、戦時下の、「空襲警報」を連想させる。 越谷の防災放送はアナログでノスタルジックである。 越谷の空に大きな満月=スーパーフルムーンがキレイだ。 空が澄み切っている。 月見酒を呑みたい気分だが、酔うほどには呑めないな・・。 酒に酔っていては、緊急地震に対応できない。 電気灯を消して、月明かりを楽しもう。
2011/03/19
コメント(8)
「計画停電」の最中、静かに考えて分かったことがある。 福島第一原発に「復旧」はありえないことだ。 原発としての機能回復はありえない=永久的に使用不可能である。 向こう何年間かの間、東京電力の電力供給能力は著しく低下する。 今は「計画停電」だが、コレがそう簡単に回復することは考えにくい。 工場などの事業所の稼動率は大幅に低下し、経済の長期低迷は必至だ。 失業率は悪化し、いろいろな不都合な事態が日常生活に起こる。 現在感覚での「非日常性」が、文字通り、「日常化」する事態は免れない。 はたして、現在の社会は、こうした事態を受容できるのか? 地震に揺り戻し現象の余震があるように、 人間の日常生活にも揺り戻し的現象が起こるのではあるまいか・・。 この「非日常性」が、「日常化」しそうになったとき、 はたしてどれだけの人間が粛々とそうした事態を受容できるのか・・。 「難しくはない、しかし、容易ではない」という言葉を重く思い出す。
2011/03/18
コメント(6)
2011年3月11日14時46分を境に、 第二次世界大戦以降、初めて、「日常性の断絶」を日本人が経験している。 三島由紀夫が呪詛した、「日常性」が終焉したのだ。 三島由紀夫は、死ぬ少し前に「戦後民主主義とそこから生ずる偽善」を説き、 「無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目のない、 経済大国が極東の一角に残るのであろう」(「サンケイ」S45、7/7)と書いた。 しかし、三島が嫌悪した「日常性」は年3月11日14時46分を境に終わった。 今、この国は、第二次世界大戦以来の日常性の断絶を経験している。 この悲惨な現実を克服する過程で、 新しい復興という時代精神がこの島国に胚胎するかもしれない。 「計画停電」という、数日前には想像もできなかった現実に遭遇して思う。
2011/03/18
コメント(4)
一歳半の孫娘でさえ与論島の畑に出て野良仕事に精を出している。 とうちゃんの姿はずっと遠くに見えるが、何を運んでいるのか・・・。 ヨロンの青空のもと、ヨロンの風に吹かれて、がんばれ、めいちゃん!
2011/03/17
コメント(8)
きのうあたりからTVの震災関連ニュースをできるだけ見ないようにしている。 声にださずに、「港町ブルース」が口をついてでてくる。 ~ 背伸びして見る 海峡を ~ ~ 今日も汽笛が 遠ざかる ~ ~ ~ ~ ~ みなと 宮古 釜石 気仙沼 ~ 三陸出身の友人宅に行くとき、いつも、海岸沿いの道をクルマで走った。 入り組んだ湾はどこも風光明媚だった。 クルマを運転しながら、「港町ブルース」を声をだして歌った。 いまは、その、町々は、ほとんどすべてが壊滅状態だ。 現実のこととして、人も町もなくなってしまった。
2011/03/16
コメント(2)
文字通り、瞬く間に過ぎていった感のあるこの一週間だ。 ヨロンマラソンの実況中継に熱狂していたことが遠い昔の感じがする。 備忘録の意味もこめて、この間のことを箇条書きにしておこう。 ・・・・・・・・・・ 3月7日(月)・・・・鬼怒川温泉プラザホテルで内孫娘の初節句祝い。 越谷は午前中、あれよあれよという間に、本降りの雪になった。 自宅前からタクシーで東武伊勢崎線「越谷」駅まで。 12:10発の区間準急に乗り、「鬼怒川温泉公園駅」を目指す。カミサンに次男と私の三人の小旅行だが、こんなことは初めてのことだ。 「東武動物公園駅」で乗り換えだが、人身事故のため約30分ほど遅れた。 宿泊予定のホテルで、山形からのご一行と合流してチェックイン。 16:00~、長男夫婦の計らいで個室で夕食とともに初節句のお祝いごと。久しぶりにウィスキーの水割りを呑む。 ほどよく酔っ払って、就寝。 3月8日(火) 08:00~ 和定食の朝食の後、チェックアウトして日光へ。 鬼怒川温泉は粉雪が舞い落ちる雪景色だった。 日光市役所前の長男宅で孫娘と戯れること約2時間は至福の時間を過ごした。 14:10 カミサンとふたり、「下今市」駅発の区間準急に乗って帰途につく。 16:00 越谷駅に帰着し、駅前で遅いランチをとる。 17;30 私は仕事場に復帰し、懸案の書類作成に精励する時間・・。 3月9日(水) 定休日。終日、自宅で私的文書の作成。 M7.3の宮城県沖地震が発生する。 3月10日(木) 3/12の越谷中央市民会館でのプレゼン来場予定者たちへの確認の連絡など。業務用ホームページのリニューアルで試行錯誤の一日。 3月11日(金) 賃貸管理物件のオーナーたちに賃料の送金や管理報告書の郵送。3/12の「ハウス119」さんの「ルームクリエータ」プレゼンの準備など。 14:46 ・・ 遅い昼食をとっているときに、もの凄い揺れの地震が見舞う。この地震が、M8.8の日本観測史上最大の地震となった。TVで地震速報に見入って一日が終わる。 3月12日(土) 10:00~ハウス119さんの「ルームクリエータ」のプレゼンの予定。会場の越谷市民会館は大地震による帰宅難民の受容施設になり使用不可。 ハウス119さんも、博多を出発したものの浜名湖で渋滞で立ち往生となる。結局、38時間かかってようやく、22時過ぎに越谷到着=ホテルにチェックイン。 来場予定者へのキャンセル連絡その他であわただしいまま一日が終わる。 ・・・・・・・・・ なに書いているのか分からないまま、一応、ここまで・・。
2011/03/13
コメント(2)
今日は、朝早くから、「ヨロンマラソン」にかかりきりで日が暮れてしまった。 午前07:30のネット実況中継を見ながら、 出場者たちの応援やコース途中の島の様子などを確認することができた。 フルボリュームの音声で視聴していたのでほとんどヨロンと一体化の気分。 何人か知った顔もあり臨場感いっぱいでしっかり楽しんだ。 泡盛窪さんの元気な姿もバッチリ確認することができた。 ツイッターやフェイスブックのチェックや書き込み投稿も並行して楽しんだ。 ずいぶんと便利な世の中になったものだと実感する。 ゴール中継で次々にゴールしてくる姿はソレゾレに感動的だった。 北海道をはじめ日本各地からの参加者がありうれしいことだ。 小さな南の島のチョットしたバブルな一日だったのかも・・。 感動と充実の一日だった。 越谷の行事に参加することも忘れて久しぶりのトロピカルヨロンデイ。 楽しい時間は瞬く間に過ぎていき、もう、暗くなってきてしまった。 さてと、18:00からの会議の準備をしなくては・・・。 4月の統一地方選挙にむけての重要会議だから欠席はできない。
2011/03/06
コメント(4)
第20回めを迎える「ヨロンマラソン」が、明日、3月6日、開催される。日本陸連公認のマラソンで、チャント、42.195キロのコースをとる。 あんな小さな島でよくそんなコースをとれるものだと感心する。ヨロン島最大のイベントかもしれない。 来年は是非にも参加したいと、切に思うしだい・・。
2011/03/05
コメント(10)
全1304件 (1304件中 1-50件目)