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ホキ美術館に行ってきた。千葉の閑静な高級住宅街の一角にあり、建物自体もオブジェのような塀に囲まれた美術品のようであり、長い廊下に現代の写実画が展示されてある。絵画というと水彩にしろ油絵にしろ、筆の跡があるものなのだが、写真とみまごうような具象画にはそうした筆のあとはみられない。現代絵画というと抽象画のイメージが強いのだが、具象画も、ガラスや布、金属などの質感表現がみごとでおどろくばかりである。昔、絵の初心者が静物画から入るという話をききかじったことがあるのだが、静物画の具象画をみると、これほど難しいものはないのではないかと思う。展示されている画で、もっとも多いのは人物画で、そのほとんどは美しい女性の絵である。もちろんこうした絵もよいのだが、昔見たアンドリューワイエスの人物画を思い出した。アンドリューワイエスは米国の田舎で周辺の無名の人々の絵を多く描いたのだが、彼らは決して妙齢でもなければ美男美女でもない。それでいて、その肖像をみていると、なんとなくその人物に出会ったような気になった。もちろんそうした絵をみたのはずっと以前であり、今見れば印象は違うだろう。ただそれに比べると、今回見た具象画の女性たちは美しいのだが、人間を、そして人生を感じさせる絵というのとは違うように思う。けっしてそれが悪いというのではないのだが。
2024年09月22日
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昨日は無料開放の施設が多かったため、それを利用しいくつかの施設を回ってみた。まず、つくばの自然植物園。公園に比べると手入れしていないという感じもするが、自然のままの植物の姿という意味ではこういうのもよい。あらためて身近に見る植物でも、名前を知らないものが多いと実感する。朝ドラの影響で植物に関心のある人が増えたせいか、休日の好天のせいか多くの人でにぎわっていた。次に訪れたのは、茨城県自然博物館。入館料はかなりお高めのようなのだが、展示内容は上野の科学博物館に匹敵する。さすがにフーコーの振り子はなかったが、入り口のマンモスの骨格標本はかなりの迫力だ。茨城県といえば、つくばにも博物館があるのだが、それに比べても解説が丁寧で、ビデオなどもよくできていた。これだけの博物館をもっている県はそう多くないように思う。なお、個人的には興味あるのはやはり石の展示だ。子供の頃、石集めが大好きで、当時はあちこちにあった工事現場の砂利山で珍しい探したり、遠足の時にはトンカチ、虫眼鏡等の完全装備?で臨んでいたのだが、当時は上野の科学博物館にもなかなか行く機会もなかった。子供の頃だったら、ここに一日いても飽きることがなかっただろう。そして最後は越谷の花田苑。見事な日本庭園で池には兼六園にある琴柱灯篭そっくりの石灯篭まである。どこかの大名や商人の庭園跡をもとにしたのものかと思ったが、越谷ではそれは考えにくい。どうやら歴史的由来とはあまり関係なく、新たな庭園として建設されたものらしい。考えてみればよいものであれば、歴史的由来があってもなくても関係ないし、紅葉の季節にでもまたぜひ来てみたい。ただ、公園ではなく庭園であるので、大人の散策には良くても、子供連れには向かないだろう。庭園に入ったのは閉園間際のせいか人はほとんどおらず、静かな散策であった。フラワームーンというのだろうか、満月が夕方の空に浮かび、それが池に反射してゆらめいていた。
2023年05月05日
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神田川の桜を見た後、上野に行ったのだが、こちらの方はあまりの人ごみにおそれをなして桜からは退散した。ただ上野に来たのにはもう一つ目的がある。それは展覧会である。美術展などはけっこう高いのだが、無料で楽しめる絵もある。公募展である。絵を趣味とする人々が作品を展示するのだが、素人目にはプロの画家とそん色のない絵がいくらでもある。自分の絵だけで生活できるような人はごくごく限られるのだが、好きな絵を描いて、それを他人に見せるくらいのレベルに達しているという人ははいてすてるほどいる。まあ、このあたり音楽も似たようなものなのかもしれないが、絵の方がもっとプロとアマの境界がうすいように感じる。旅行の感動、家族への愛、ペットに対する慈しみ…そういうものが伝わってくるような絵が多く、、また、こういう趣味をもっている方々の幸福な人生もかいまみられるような気もする。けっこう高齢の作者も多いようで、こうしたものは、あわよくばプロを目指すなんていう人はほとんどいなくて、定年後、あるいは老後の生きがいとしてやっている人がほとんどなのだろう。そんな中には亡くなった作者もいて、そういう絵には喪章と作者の経歴もパネルになっている。「黄色い自動車」と題する絵に心ひかれた。芸大で絵画を学んだあと、自動車のデザインの仕事をされてきた方で、退職後は韓国企業にも招聘されている。まあ、日本から見れば技術者流出である。絵画の趣味を本格的に始めたのは退職後で。でこぼこの山道を走る黄色い自動車の絵が遺作になったわけである。かっこよい自動車ではなく、スピードのでそうな自動車ではない。でも、自動車に乗ったわくわく感が絵から伝わってくるようだった。もしかしたらこれは作者にとっての子供の頃の思い出の自動車なのかもしれない。画業の夢と自動車への愛着。そうしたものを融合させた幸福な人生だったのだなと思う。かたことと楽しげに走る自動車は黄泉路に向かう魂を載せているようにも見えた。
2019年04月06日
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上野公園で二つの博物館をみてきた。科学博物館の特別展「人体」と国立博物館の特別展「美の誕生」である。まず「人体」であるが、これは今までの展示と趣が変わっている。最初の人体模型の展示の後は、映像や写真による展示が非常に多いのだ。たしかにものが人体となると、そのもの自体は見たい人もいれば見たくない人もいる。人間の心臓、腎臓、脳などの展示もあったのだが、それは区切られた一角にあり、見たくない人は素通りできるようになっている。印象としては、素通りしている人もけっこう多い。映像や写真でみても、人体についての知見は、昔学校で習ったものとはずいぶん違っている。昔は脳がすべての指令をだしているように習ったのだが、今では臓器同士も互いに物質によって「会話」していることがわかっているのだという。知見も進んだのだが、それにつれて新たな謎もでてきているといったところだろう。最後には縄文人の女性の復元展示があった。単に骨格から平均的な容姿を復元するのではなく、得られたDNA情報から髪の色など他の情報を得られるので正確性は増すという。昔読んだSF小説で古代人の骨から採取したDNAで生前そのままの姿を立体映像で復元する場面があったがいつかはそんな技術も実用化するかもしれない。北海道の縄文遺跡から発掘された女性の骨格と言うと、今の日本人とはかなり異なる容姿を想像していたのだが、案外、今の街角にもいそうな女性であった。美人ではないが、思慮深い印象を与える。文明による知識の蓄積がことなるだけで、生物的な意味でも知能は、この時代の人々も現代人も何ら変わりない。古墳でも人骨の残っているものはあり、そうした人骨からもそうした復元はできるのであろうが、おそらくそれはやらないだろう。北海道の縄文遺跡の女性は「まつろわぬたみ」であっただろうのに対し、古墳に葬られた人物はその後の支配者の血脈につながっているかもしれない貴人であるのだから。次に行った国立博物館「美の誕生」は所蔵品をテーマごとに並べた意欲的な展示であった。まず様々な薬師如来立像からは古来変わらぬ人々の祈りの力を感じることができる。人体が古来人間の探究の対象だったように、健康もまた昔からの人々の願いである。薬師如来はそうした病苦平癒の願いにこたえる仏で、崇拝の対象となった。この一体一体の仏像にどれほどの祈りがささげられたことか。他に源氏物語「初音」の帖をモチーフにした蒔絵小箱などの道具の展示には娘の幸福への祈り、水墨画に描かれた動植物には身近な情景に対する観察眼…そうした様々な伝統の上に今の日本の美意識が形成されている。そんなことを考えさせる展示であった。
2018年05月04日
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