全83件 (83件中 1-50件目)
そろそろ流行語大賞の季節がやってくる。しかし、今年の流行語といっても思いつかない。主観では無課金おじさんが断然よいと思うのだが、さて、この言葉、世間一般ではどの程度流行っているのだろうか。おそらく50-50くらいになるのかもしれないけど、野球関連の流行語がやたらに続くように思う。この流行語大賞、まず、事故や犯罪関連は除外(犯人の言葉など)、世間一般に流行ったもの、できれば明るいものといった要件があるようなので、スポーツ関連、それもまだまだ一般的な人気のある野球関連になるのは当然なのかもしれない。金メダリストの名言、ノーベル賞受賞者の言葉などがあればぴったりなのだが。なお、流行語とは違うのだが、最近よく使われるようになったことばで「ひりひりする」というのがある。これは昔はカチカチ山の狸じゃないけど唐辛子を塗られたような痛みを表現する言葉だった。それが非常に肯定的な意味で緊張感のあって面白いスポーツの試合などに使われるようだ。個人的に一番古い記憶では10年以上前に見た麻雀漫画で「ひりひりする麻雀を求めるプロ雀士」という表現があった。言葉は人が作り、人が使うもの。有名人が使い始めれば流行語になるのだが、いつのまにか使われ広まっていく言葉というものもずいぶんある。この頃聞く言葉、この頃使わなくなった言葉・・・、考えてみればいろいろとある。もし、2000年後に誰かが今の言葉を解読するとどう思うのだろうか。例えば、しゃしゃりでる…テントウムシに関して使っている用例は確認できるが、他の生物や人間に対して使っていたかは説がわかれる とか。
2024年10月16日
コメント(0)
8月の初め頃咳が続いたことがあったため、区役所から来ていた肺がん検診を受診することにした。こうした検診は過去にもやったことがあり、あまり心配していなかったのだが、結果は要精密検査ということだった。実際にレントゲン写真をみせてもらうと、肺にぼうっと白い影のようなものがある。さっそくCTをとってもらうことにし、後日結果を聞くこととなったのだが、それまでの数日間の不安といったらなかった。過去のがん検診でも要精密検査と言われたことがあり、同じような不安は初めてではないし、二年前になぜか血糖値が急激に上がった時も似たような不安があった。そういう時にはいつも、自分なんかいつまで生きるからないし、有限な人生を大切に生きているかと自問自答するのだが…。こうした自分の生き方を改めて考えてみるという意味で、こういう経験もよいのかもしれない。CTの検査結果を聞くと、気管支炎の炎症の跡だということであり、まずは一安心であった。思い出してみると、今年に入ってから何度か酷い咳があったので気管支炎ということもあったのだろう。他の部分についても、過去の検診で指摘されたのと同じような指摘があり、これからは人間ドックよりもCT検査の方が中心になっていくのかもしれない。経過観察で半年後に予約ということであったが、高額の機器を導入しているクリニックは極力検査をしないと経営が厳しいのかもしれない。とはいえ、医師のいうことには逆らえないので、また、半年後に検査を受けることになるだろう。
2024年09月09日
コメント(4)
昔から思っていたのだが8月は過ぎるのが速いように思う。夏休みは7月20日から8月31日まであったのだが、まだ7月だ、休みは長いぞと思っていると、そのうち8月になり、そこから先はあっという間だ。だいたい宿題は先送りする方だったので、8月の終わりころに友人の家に行って、そのまま答えを写させてもらったこともあった。それにしても、夏休みといえば、子供は外遊びが普通だったのだが、今よりは絶対に暑くなかったように思う。もちろん射病という言葉はあったが、それは炎天下で帽子をかぶらないでいると日射病になるといわれていた。その後、日射病に近い言葉として光化学スモッグなどということがいわれた時期もあったが、それでも、今日の死者まで出る熱中症とは別物だったのだろう。少子化もあるし、猛暑の影響もあるのかもしれないが、外遊びをする子供というのはまず見かけなくなった。
2024年08月19日
コメント(3)
都知事選には石丸という名の候補が二人出ていた。一人は二位になったことで話題になった石丸氏だが、もう一人の、じゃないほうの石丸氏も医師で弁護士と言う相当のハイスペックで、しかも投票所に設置されている候補者名簿では二位の石丸氏よりも前に掲載されていた。マスコミ報道も石丸氏が二人いることはあまり報道しなかったし、じゃないほうの石丸氏はポスターの掲載もなかったので認知していない人も多かったのではないか。間違えて記載した人もけっこういたと思う。それを考えると、実際の石丸氏の得票はもっと多かったのかもしれない。※韓国ドラマ「金持ちの息子」を見ていたのだが、突然、アマプラが有料となってしまった。なんかの表示を見落としていたのかもしれないが、こんなことってあるのだろうか。まあ、はらはらどきどきや謎解きを楽しむというドラマではなかったのだが、残念だ。そして今は「財閥家の末息子」を視聴している。今度は話数もすくないので大丈夫だと思うが、不安なら最終回を念のため見ておこうかな…。韓国ドラマも冬ソナのような記憶喪失や出生の秘密のからんだ恋愛ドラマよりも、ウェブ漫画を原作としたようなファンタジー系が多くなっているように思う。これも、高卒のサラリーマンが現在の大人の記憶を保持したまま、ソウル五輪直前の財閥家の少年に転生?して、財閥家の末息子としての人生を生きる話だ。民主化後初の大統領選、ソウル五輪、INF危機と記憶にある韓国の現代史をなぞる形になっているのが興味深いし、なにしろ未来(その時代からみての)を知っているので万能だ。それにしても、ソウル五輪の頃の韓国はいまよりもずっと貧しく、あの頃は韓国文化が世界を席巻するなんて想像もつかなかった。
2024年07月08日
コメント(27)
徳島の人が京都に住み始めた頃、こんなことを言っていたという。京都では祇園祭が近づいても街の雰囲気はあまり変わらないので驚いた、これが徳島だったら阿波踊りが近づくと雰囲気が変わるのに…と。これを聞いていた東京の人は驚いて言う。祭りが近づくと街の雰囲気がかわることなんてあるのかい?東京にずっと住んでいるのだが、東京の有名な祭りと言うのは行ったことがない。有名な祭りといえば神田祭りなのだが、神田は電車に乗らなければいけないところだし、本当の地元だったらやはり雰囲気がかわるのかもしれないけど、けれども、あの大変な人ごみをみただけで行こうという気にはならない。神輿とかいっても、なにか珍しいものがあるというわけでもなさそうだし。朝のテレビでその神田祭りを報道していた。やはり場所柄だろうか外国人観光客も多く、神輿担ぎにも外国人が参加していた。こういうところ排他的でないことも日本の文化の特徴だろう。外国の宗教的色彩のある祭りに観光客が参加するのはちょっと考えにくい。そのうち、有償で祭り用浴衣やハチマキ、草履などを貸すか売るかする商売もでてくるだろう。いや、もうあるのかもしれないけど。珍しいものや美しいものを見るというよりも、担ぎ手と見物がいっしょになって、一体感を楽しむというのがこうしたお祭りの特徴で、為政者から見れば、民衆のエネルギー発散という効果もあったのかもしれない。パンとサーカスのサーカスである。昔、いや、戦前くらいまでは、こうした祭りには武士や中産階級は参加しなかったと思われる。戦前の本を読んでいた時、日本にクリスマスが普及しだしたのは中産階級からで、それは盆踊りなど庶民のようなバカ騒ぎ?の場は中産階級にはなかったことが背景だったという記述をみたことがある。そんなものだったのかもしれない。
2024年05月20日
コメント(0)
旧人類のせいかネット上で金が動くのが気持ち悪い。ネット通販を利用することはあるのだが、身に覚えのないところで金が動いているのではないかとか、どうしても不安になって毎月送られてくる金の明細書は必ずチェックする。人によっては、そうした通販などの払い込みに使う通帳は分けているというが、いまさらそれをやるのも面倒くさい。世の中にはそうした不安をもっている人がいるせいか、毎日のように、そうした不安につけこんだネット詐欺メールがくる。ネット通販サイトを騙って第三者が貴方のサイトにログインしているとか、欲しくもないような商品の写真がでていてこの商品を誰かが注文しているとかいった類である。そして情報を再入力するように求めてくる。電話によるオレオレ詐欺の注意喚起は広報車を走らせてまでやっているのに、こうしたネット詐欺やスマホを使ったショートメール詐欺についての注意喚起は少ないように思う。固定電話に比べるとパソコンやスマホは詐欺にかかりにくい人々が使っているという固定観念があるのかもしれないが、決してそんなことはない。通販サイトやクレジット会社を騙るものだけではなく、手口も非常に多様化している。警視庁からのメールとあるので何かと思ったら、お宅の息子が窃盗で逮捕されたが、示談金を下記のところに振り込むと助かるとか、あなたの〇〇動画が流出していて、消したければ下記のところに連絡しろとかといった類である。騙される方もどうかと思うのだが、こんなものは元手いらず、危険なしなので、千に一つでもひっかかってくればもうけものなのだろう。そういえば、最近はないのだが、スマホに三億円が宝くじで当たったのだが、使い道に困っているのでお分けしたいというメールが何度も来たことがあった。
2024年05月15日
コメント(0)
ニューストピックスに節約で削ってはいけない三つの項目という記事があった。科学が解明した「節約で削ってはいけない」3つの出費 - トピックス|Infoseekニュース交際費、教育費、健康維持費の三つであるという。単に節約するというだけなら、金を使うようなことは何もしなければよい。しかし、それでは、金は残るかもしれないが、人生の楽しみもなくなるだろう。その意味で、交際費は削ってはいけないというのはわかる。ひと月に一度、あるいは年に一度でも大切な人との交流は生きがいになるし、生活の張り合いにもなる。ただこれも交際の中味を精査して、自分にとってそのつながりが本当に維持したいものなのか、そうでもないのかを考えてみる必要がある。自分にとって、なによりも心地よい関係で、適度に刺激があって、資するところがあるとか、自分にとって大切な友人であると思える関係であれば切ってはならないだろう。教育費も将来の収入になるかどうかはともかく削ってはならないものだろう。やり方や内容にもよるが、勉強ほどノーリスク、ハイリターンなものはない。ただこれも、金をかけだすときりがない面があるので、目標を定めたら、できるだけよい方法を考えるべきだろう。最近ではネットでも教材となりうるものが沢山ある。最後に健康維持費であるが、健康が何よりの財産であることを考えれば、これは出費と言うよりも財産維持費と見た方がよい。その意味でもちろん定期的な検診というのは欠かせない。ただ、昨今話題のサプリなどはむしろ「気分」消費とみて、数を絞った方がよいのかもしれない。運動についても、散歩や自転車など金のかからない方法があるし、自治体のスポーツ施設を安く利用する方法もある。高価なスポーツクラブは必ずしも必要ないのではないか。もっともそのスポーツクラブが交際の場というのであれば話は別であるが。いっぽうで削ることが可能な出費と言うのはどんなものがあるのだろうか。まず書籍費でこれはほとんど図書館で代替できる。はやりの本などその時期に買いたいものもあるが、本当によい本ならしばらく待てば図書館でも読めるし、人から借りたり、古書で買うという方法もある。なお、あくまでも個人的な感想であるが、一時的に売れる著名人の生き方指南書のようなものは、文章力の高さもあって読むときはさらりと読めるが、後では金と時間の無駄だったと思うものがほとんである。たいていはそれができれば苦労はないよ…ということしか書いていないのだから。次は喫茶店などに使う金である。歩いていてコーヒーが飲みたくなった時や、こじゃれた店をみつけた時などつい喫茶店に入りたくなる。しかし、こういうことをやっているとけっこうな出費になる。喫茶店に入る楽しみはやはりたまの贅沢としてとっておきたい。贅沢はたまにあるので贅沢として楽しめるものである。まあ、これは金のない自分の感想であって、金のある方にはどうでもよいことだろう。最後はほしいものがあったときもすぐに買わないで一日考えてみる。他のところで似たようなものが買えないのかどうか、今あるもので代替できるのかどうか、本当に自分はそれがほしいのかどうかなどである。考えてみて気の変わることは多い。ついでにいえば、現金はあまり持ち歩かず、今週はこの額以内に出費を抑えるとかいった目標を決めておく。そうすると衝動的に金を使うこともなくなるし、常に金のかからない方法を模索する生活習慣が身に着く。食材の無駄を省くのは当然として、生活用品でも修繕や繕いで長く使おうと思えば案外と長く使えるものである。
2024年04月08日
コメント(0)
東京では開花宣言をしたというが、我が家の近所の桜はさっぱり咲いている様子がなかった。それが昨日の季節外れの暑さのせいかようやく咲き始めている。桜の開花は一時間単位ですすむ。朝よりは昼、昼よりは夕方の方が咲いている花が多い。開花予想はだいぶ前にでていたのだが、遅れに遅れてようやくという感じである。桜祭りを主催しているところはほっとしているのではないのだろうか。開花の遅れは暖冬のせいで休眠打破が起きなかったという説もある。あまりに冬が暖かいと開花のスイッチが入らないのだという。昔は鹿児島の開花が全国で一番早かったのに、最近では高知あたりが最初となっているのは鹿児島の冬が暖かくなりすぎたためだそうだ。この間、亀山温泉に行ったとき、茂原の桜祭りにも立ち寄った。茂原は内陸で冬が寒いせいか、東京よりも桜は咲きすすんでいたのだが、それでも三分咲きといったところだろうか。弁天池を真ん中にした公園でなかなかよいところなのだが、あちこちでシートを敷いて花見をしている人々もいた。なかには数人のグループなのに、○○市〇門会と幟をいくつもたてているものもあった。また、弁天堂近くには、ちょっと露出多めのコスプレのお姉さんがいて、それをいっしょうけんめい撮影している初老の男性がいた。いったいこの二人はどういう関係なのだろうか、プロという感じでもなかったし…と余計なことを考えたりした。こんな趣のある公園は満開のときにできればきてみたかった。
2024年04月01日
コメント(0)
桜にもいろいろな品種があるのだが、旭山桜という盆栽用の品種を買って二月から家で育てて?いる。最初は全く変化がみられず不安に思っていたのだが、十日ほどすると緑の芽が出始め、昨日からは花が咲き始めている。今のところ二日に一回くらいの水やりだけで、さほど手間もかからず、これで家でもお花見が楽しめるのだからうれしい。まだまだ寒い日もあるのだが、もうすぐ花見の季節も始まる。今年はどこに行こうか…と今から楽しみである。考えられる場所としては、飛鳥山公園、箱根山公園、神田川、目黒川、靖国神社、隅田川、井の頭公園など。このほか、上野公園や千鳥ヶ淵もあるのだが、人波がすごいだろう。そして東京の花が終わると、桜前線は関東平野を北上する。車を走らせながら桜を探すのも楽しい。時には見る人がほとんどいないのに見事に咲いている桜があったりする。机の上のささやかな旭山桜を眺めながら、思いは早くも今年の花見へと…。
2024年03月18日
コメント(2)
ひさしぶりに東京マラソンを見に行った。一説によるとこうした長時間の交通規制を要するマラソンには存廃論もあるらしいが、これだけ長期間続いているということは続いていること自体が財産であるともいえるし、長時間の交通規制についても、参加基準が6時間と緩やかで比較的多くの人が参加できるというのがよさといえばよさなのかもしれない。東京マラソンは抽選に当たるのは難しいというが、一定額の寄付金を払って参加することもできるという。実際にかなりの寄付参加者がいるのだろう。参加者は38,000人でうち12,000人が外国人だったという。円安もあって外国人の寄付参加者が増えたのかもしれないが、沿道で見た感じでは3分の1も外国人がいるという感じではなかった。もっとも見た時間はかなり遅く終りの方近い集団だったということもあったのかもしれない。さらにいえば一頃話題になったコスプレランナーも大幅に減ったように思う。渋谷のハロウィーンも下火になったようだし、一般的な仮装と言うのはブームを越したのだろう。見た範囲では、定番の月光仮面も水戸黄門もみあたらなかった。まあピカチュウのかぶりものをかぶっていたのがちらほらいたのと、人間を抱きかかえて走っているように見える仮装ランナー、背の高いカオナシが目を引いたくらい…。ひそかに期待していた、今日も運ぶよ酸素、酸素~の働く細胞のコスプレも見なかった。
2024年03月04日
コメント(2)
先週、急な体調不良があり休んでいたということを書いた。突然10分足らずのところにある家に歩いて帰れるだろうかというくらいの疲労がやってきて、吐き気もあり、その夜は寒気がして眠れないという状況だった。近くのクリニックに行くと、すぐに吐き気を抑える薬を処方してもらえたが、数年前から喉がいがらっぽく時々咳が出るということを話したため、それでは念のためにとCTスキャンを受けることとなった。最近では、普通のクリニックではなかなか置けないCTスキャンやMRIなどの機器を使用できる検査センターができており、都内にいくつもそうした検査センターがある。そこに別途予約をとって、その検査結果をクリニックに渡して説明を聞くというシステムである。さっそく予約をとり、二日後に検査結果の入った封筒をクリニックにもっていって説明を聞く。まあ、患者の方で封をあけてもよいのかもしれないが、専門職ギルドではたぶんそれは歓迎されない。こうしてクリニックで説明を聞いたのだが、特に異常所見はなかったとのことで、医師はもとから饒舌なたちなのか、これだけでは少なすぎると思ったのか知らないが、治療の必要のない所見をいくつか述べた。それは毎回人間ドックで指摘されていることであった。今では、体調も回復しているし、やはり疲労等の一時的なものだったのだろう。無理をしない、十分な睡眠と休養をとることが予防策になるだろう。最近、CTスキャンやMRIが急速に普及しているように思う。台数の推移を検索してみるとやはりそうで、しかも人口比で見ると日本は世界のトップクラスとなっている。今回のような、念のためCTスキャンやMRI検査というのが普通になっていくと人間ドックを受診するというのは少なくなっていくのかもしれない。それにしてもCTスキャンやMRIのような機器は高価だし、古くなると新式に変える必要もでてくる。近所に新しいクリニックができるようなのだが、そこでは最初からCTスキャンやMRIを設置していることをうたっている。医療の需要がなくなるということはないにしても、日本では若い層だけではなく老年人口も減少局面に入っている。将来的に医療機関のなかでも経営の苦しくなるところが続出するなどということにならなければよいのだが。
2024年02月27日
コメント(3)
土曜日の夜、たまたま車で渋谷あたりを通りかかったところ、大変な量の警察車両が目についた。そういえばここはスクランブル交差点の近く…車窓からハロウィーンの様子を見ることにして方向転換。相変わらずの賑わいだが、普段の週末と変わらない。注意して探すと仮装の人もいたのだが、よく見ると外人のように見える。少なくとも仮装で来ている人よりは警察官の方がよほど多い。それにしても、スクランブル交差点はなにかと若者が集まるのだが、ここまでハロウィーンを問題視する理由は何なのだろうか。韓国のような群衆事故の怖れもいわれるが、外国の事故であり、それも傾斜のある細い坂道で起きたというので、渋谷の交差点とは条件が違う。何年か前に、集まった若者が車を押し倒したことがあったが、集団心理で偶発的に暴動が発生することを危惧しているようにみえた。スポーツ大会の応援や年末年始も、このあたりは人が集まるが、そうしたものも今後は規制されていくのだろうか。街角で人が集まり、見知らぬもの同士がハイタッチしたりする文化というものは、いままでなかったが、日本の一角にそうした場所があっても良いように思うのだが。
2023年10月30日
コメント(19)
歌舞伎「妹背山女庭訓」を見に行った。この演目は文楽でもみたことがあるのだが、文楽では酒屋の娘と姫との美剣士を巡っての三角関係、そして今度の歌舞伎では吉野川を挟んだ二つの領主の家の姫君と若君との悲恋というように、上演する場が異なると全く別の演目かと思うほどだ。歌舞伎や文楽の場というのはそういうもので、観客の好みに応じて上演する場を選んでいるのだろう。それでも、全体を通してのストーリーはある。舞台は古代で、皇位を簒奪して専横を極める蘇我入鹿を中臣大兄皇子と藤原鎌足が討つというのが経糸である。観客は大化の改新の顛末は知っているので、最初から通しでみないとわからないというものでもないし、そしてまた、実際のストーリーは大化の改新の史実とは全く関係ない。文楽で見た三角関係の話は四段目で入鹿討伐のアイテムである嫉妬に狂った女の血を手に入れる顛末で、古代史とは関係ないファンタジーのようであるし、今回の歌舞伎で見た二段目、三段目は入鹿の無理難題で自殺に追い込まれる若い男女の悲劇になっている。演じられる段が異なっているので、そのままの比較ができないが、やはり人間が演じる歌舞伎の方が華やかであり、二つの館の真ん中に吉野川が流れている舞台装置も斬新で面白い。観客はこんな美しく若い恋人達を追い詰めた入鹿の専横に怒りを抱くというわけなのだろう。この妹背山女庭訓の初演は1771年(明和8年)だという。古代史の史実とは関係ない話で、しかも藤原鎌足や中大兄皇子が活躍するわけでもないのに、なぜこうしたテーマが選ばれたのだろうか。大化の改新とは何かを考えてみると、天皇をないがしろにして専横を極める蘇我氏から天皇が権力を取り戻した事件とみることができる。そうだとすると、あえて舞台を大化の改新としたことは天皇の政治権力を奪って専横を極めている何者かを風刺したのではないか。この頃には尊王思想も現れており、実際の弾圧事件もある。妹背山女庭訓と尊王思想との関係で検索してみると、実際にそうした指摘を行なっている論文もあるようである。
2023年09月24日
コメント(2)
万葉集は第17巻から第20巻が特に面白い。万葉人でイメージされる持統朝の時代の歌はよく知られた名歌が多いが、響きや音が美しく歌謡のように歌いつがれてきたもののようにみえる。額田王の有名な、茜さす…の歌も、自身の恋を詠ったというよりも、今の作詞家が恋の歌を作るように、想像力を働かせての歌なのかもしれない。それが、大伴旅人や山部赤人、山上憶良の時代を経て、大伴家持の時代になると、歌の詠まれた状況はずっと具体的なものとして遺っている。越中の国司としての赴任とそこでの生活、地域を回っての出挙(種籾の貸付)や税報告のための都への出張、四季折々の宴や行楽、そこでの交友など、千数百年まえの上級地方官がなにかすごく身近に感じられる。騎馬や鷹狩を行っていたことも、後の貴族のイメージとは違うし、鵜飼の風習に言及した箇所のあるのも興味深い。そしてなによりも、当時は布勢の湖というものがあって、そこでの遊覧の様子が何度も歌に詠まれている。今では、湖は潟になっており、十二町潟水郷公園として万葉の面影を今に伝えているという。もちろん国司の業務はそれ相応にあっただろうし、藤原氏が次第に勢力を伸ばしていく過程での氏族間の暗闘の苦労もあったであろう。しかし、そうしたことを念頭においても、古代の越中の国で、立山を眺め、時鳥の声をまちわび、宿には山吹を植えて春を待ち、時には気の合う仲間と湖に舟を浮かべたという暮らしはいいものだ。藤波の花の盛りにかくしこそ浦こぎみつつ年にしのはめ巻19では、特に公の席での歌や贈答の歌ではなく、個人の心情を述べた歌が多くなっている。こうなると、近代短歌の世界にきわめて近く、古さを感じさせない。いくら時代が変わっても人間の感性そのものはほとんど変わっていないのだろう。
2023年07月17日
コメント(2)
万葉集には歌集の中の歌集というような、同じ状況で詠まれた一群のまとまった歌が収録されている。令和の出典となった梅香の宴の歌もそうだが、遣新羅使の歌もあり、これは天平8年(736年)から翌年にかけてのもので145首に上る。当時は新羅との関係は非常に険悪(白村江の戦いは663年)であり、新羅は使いの旨を拒否し、しかも、帰途、対馬で大使阿倍継麻呂は疫病のために病没したとある。遣唐使は新羅との関係が険悪であったため、半島を通らない海路でゆかざるを得ず、危険なものであったというが、遣新羅使の目的はもしかしたら航路の便宜を図ることと関係あったのかもしれない。使いを拒否した理由もまた疫病と関係あったのかもしれない。いずれにしても悲劇的な航海であり、歌はいずれも望郷の念に満ちたものばかりである。当時は九州でも故郷からは遠く、故郷に帰るまでは安心できない旅であった。それにしてもちょっと不思議なのは、当時は大陸との交流もあり、遣唐使を詠んだ歌もある。山上憶良のいざ子ども早く大和へ…の歌である。これも望郷の歌であり、大陸の風物を詠んだ歌ではない。遣新羅使の歌もおそらくは新羅に上陸していないので、新羅の風物がないのは仕方なくとも、見慣れぬ海の光景や新羅の陸影などを詠ったものはあってもよいように思う。今の物見遊山の旅と当時の旅を一緒に考えるわけにもいかないにしても、富士山や筑波山など都の人には見慣れない東国の風物は何度も詠われている。沖つ波 高くたつ日に あへりきと 都の人は 聞きてけむかも
2023年07月11日
コメント(4)
万葉集を読んでいるが、これが意外と面白い。まず収められている歌が非常に変化に富んでいる。これはおおまかにいって、特定の人物(万葉人)の和歌とされるもの、多くの不特定の人によって謡われてきたものがある。前者はさらに半ば言い伝えとなった古い時代のものと、編者に近い時代のものとがあり、後者の場合には筑紫での梅香の宴などの具体的な場面に詠われた一連の歌がある。多くの不特定の人によって謡われてきた歌にも宴会の座興の歌もあれば、門付けの歌もあり、さらに東国の歌や防人の歌もある。中には骰子の歌もあり、一二の目のみにあらず五六三四さえありけり双六のさえ…とある。これなんか今だったら小学生の作のようだが、古代人が立方体の骰子をはじめてみると、こんなふうに驚くのかもしれない。様式も短歌が多いが長歌と反歌という形式をとっているものもあり、後の歌物語のような長い詞書を持っているものもある。そうでなくとも長歌には物語性のあるものがあり、葛飾の手古奈の物語もこの形式である。歌の多くは、作者が明記されていないものも含めて、下級官吏以上の階層の間で謳われていたものが多いのかもしれないが、興味深いことに、当時は馬に乗る風習がかなり一般的だったようにみえる。例えば…つぎねふ、山背道(やましろぢ)を、人夫(ひとづま)の、馬より行くに、己夫(おのづま)し、徒歩(かち)より行けば、見るごとに、音(ね)のみし泣かゆ、そこ思ふに、心し痛し、たらちねの、母が形見と、我が持てる、まそみ鏡に、蜻蛉領巾(あきづひれ)、負(お)ひ並(な)め持ちて、馬買へ我が背(せ)他の人は馬に乗っているのにあなただけが徒歩なんて気の毒で泣けてくるわよ、母さんの形見の鏡や布を売るから馬を買いなさいよ…というわけである。馬にのる風習が一般化していないのは、地形が複雑で馬が走り回るような広い道が少なかったせいのように思っていたが、さらに古い時代の万葉人が靴を履いて馬に乗っていたというのも不思議である。いったいどういう経緯で草履と徒歩、牛車や駕籠の生活にうつっていったのだろうか。
2023年07月10日
コメント(0)
今年の桜は満開後に雨が続いて短命かと思ったのだが、意外に長く続いてくれる。そのかわりに、桜前線は速そうなので、東京の桜が終わった後にちょっと郊外に行ってもう一度花見というのは難しいのかもしれない。最初は桜を見るために青梅市の釜ヶ淵公園に行った。ここは多摩川が岩盤にあたってカーブをえがいている箇所であり、岩盤側の流れは急で反対側はゆるやかであるため、片方にだけ河原が形成されているという特徴ある地形になっている。岩盤側の方はその名のとおり淵である。川遊びには危険であるのだが、大勢の人が出て桜を楽しんでいた。次は山梨の釈迦堂遺跡博物館の傍にある花桃園である。甲府盆地は季節になるとあちこちが桃の花のピンクに染まる。その甲府盆地をみおろすあたり、花盛りの桃の畑が借景になるところに花桃園があるのだが、様々な種類の花桃がぎっしりと植えてあるので、異世界?かと思うほどの華やかさだ。最近では一つの木にしろ赤ピンクと別の色の花が咲く種や一つの花に色がミックスしている種も出ているので、見ごたえもある。入園は無料なのだが、帰りがけに花束を買っていく人は多い。外で眺め散るのを惜しむ桜と。外でも眺めるが、家でも花器に入れて楽しむ桃では、花の楽しみも違う。そして最後は富士五湖の中で、あまり行く機会のない精進湖と本栖湖に行ってきた。精進湖は釣り客とレストハウスがあるだけなのだが、本栖湖は深さを活かして水中が見える遊覧船があり、レストランなども多いようにみえる。しかし、二つの湖はともに静かなことは共通している。それにしても不思議なのは、精進湖にも本栖湖にも湖周辺には小さな砂利原があったのだが、精進湖の方の砂利は色も形も様々であったのに、本栖湖の方は均質な黒灰色の砂利で敷き詰められており、空気の抜けた小さな穴が表面を覆っている溶岩性のものだ。これは湖の生成過程と関係していると思うのだが、ネットで調べてもどうもわからなかった。
2023年04月02日
コメント(4)
年々、国民の出す年賀状の枚数は減っているという。年賀状という習慣が普及したのは戦後のことで、戦前の農村社会ではそうしたものは必要なかったし、都市中産階級の間では葉書よりもむしろ年始の挨拶訪問の方が一般的だったのかもしれない。最近では、個人情報の保護などで、自宅の住所が広く知られることもなくなり、義理だけで出すようなオール印刷の年賀状はずいぶんと減ったのではないか。また、高齢化にともない、定年を迎えて年賀状を出す相手が減ったという人も多いだろう。さらにもう一つ。今では葉書以外にも通信手段が発達し、わざわざ年賀状を出す必要がなくなったということもある。特にラインは同好会や同窓会のような私的な集まりにも利用されているので、こうしたものがあれば、わざわざ葉書の年賀状を出すまでもない。それでは通信手段が便利になっていく中で、古典的な葉書そのものがすたれていくのだろうか。そんなことはないと思う。電子媒体が全盛だからかえって手書きで季節の葉書などを送ることが好まれるようになってきているのではないか。実は、何人かの友人には印刷のない葉書で年賀状を出したいと思ってコンビニや郵便局を探してみた。年賀状はたしかにあるのだが、なぜか子供っぽい図柄が多い。いまどき手書きの年賀状は子供しか出さないのか、それとも大人が子供化しているのか。※一年間、拙い日記につきあってくださった皆様、どうもありがとうございます。どうかよいお年をお迎えください。
2022年12月31日
コメント(6)
脊柱管狭窄症の手術を受けた。手術した当日は全く体が動かず、正直、このまま寝たきりになるのではないかと恐れた。それが二日目くらいにはようやく起きられるようになり、その後の回復は速かった。最初に説明を受けた時には、足のしびれがなくなるのは7割くらいときいていたので、そうしたしびれがなくなったのがうれしい。素人考えなのだが、あのまま手術を躊躇し、もっと時間がたっていたらどうなったかわからないように思う。治療前には、酷いときには20メートル歩くだけでも、座りたくなるほどであった。そうなると、外を出歩くのも苦痛だし、旅行、外食、映画など何をやってもきっと楽しくない。その上、起床時もなかなか脚が動かないので、夜明け近くに一度起きると、その後は二度寝もできないまま、脚のマッサージなどをやっており、その間の時間の無駄も相当なものだ。この脚の症状さえ治るのなら、貯金を全部使っても良い(たいした金額ではないが)…そんなふうにも思っていた。まだまだ無理はできないのだが、普通に歩けるということが、こんなに幸せなことだったなんて…と改めて認識する。時間の流れは後に戻せないし、年齢とともに衰えがくるのは仕方ない。ただ、適性体重の維持や無理のない運動などできることは多いし、努力出来る限りで健康年齢を伸ばすことはできるのではないか。夏に高血糖で入院して以来、体重管理と節制に努めたせいか、円安ではないけど、何十年ぶりかの〇〇キロ台となり、血糖値は薬の助けもあるとはいえ、低値で落ち着いており、高血圧も改善して、薬を減らすほどになった。
2022年11月11日
コメント(5)
実はここ10日ほど家族が感染し、「家庭内隔離」で自宅療養をしていた。空気感染もあるのに「家庭内隔離」というのは語義矛盾だし、自宅療養も放置の言い換えのように思える。陽性判定で解熱剤をもらった後、一日に一回、看護師からの電話があり、病状を報告するが、38.5度の熱があった時も「しんどければ救急車を呼ぶように」という指示があっただけである。救急車もなかなか来ないだろうし、病院と言っても入院はとてもできそうにないのに。それでも、皆おとなしいので「家庭内隔離」で「自宅療養」をしているが、そうでなければ病院に押し掛ける人もいるかもしれない。コロナの始まった年、NYの病院の廊下にまで患者がおしかける映像をみて大変なことになっていると思ったが、あの頃の感染者数など今とは比較にならないくらい少ないものだった。それでもこれだけの感染者数なので対応をする医療従事者には頭が下がるばかりである。感染したのは大人だったので、本人が率先して「家庭内隔離」を実行してくれ、部屋にゴミ袋を切ってつなぎ合わせた「隔離区域」を作り、会話はショートメールや電話で行うなどの気をつかった。トイレは蓋をし、洗濯物は別々にするなどの注意は行ったが、意外と必要になるものも多い。一番感染させやすいのは症状がピークになる2日目から3日目なのだが、皮肉なことに療養に慣れるにつれ、いるものもでてくる。そして今では自宅療養者も多いのかコンビニにもそれ用の棚がある。熱が高い時にはまず氷枕がいる。昔ながらのゴムに氷水を入れるのはもう古い。保冷剤を応用した氷枕(凍っても柔らかい)があり、タオルをまくだけでよい。熱以外の症状もあるので、それは家庭用の医薬品で探さなければならない。喉の痛みの薬や鼻詰まりの薬など。症状がおさまりかけると漢方がよいというので、通販で購入したりもした。家庭内感染を防ぐために食器も極力使い捨ての紙皿や紙コップを使い、使用後はそのままレジ袋に入れて捨てるようにした。手袋もあった方がよいがつけるのに手間がかかるゴムよりも、フリーサイズのポロエチレンが便利であった。こういう事態は想定していなかったのだが、携帯電話もかけ放題プランにしておいてよかった。ただ「家庭内隔離」は大人だったからできるのであって、小さい子供には無理だろう。ある程度、大きくなった子供でも「隔離された」体験がトラウマになり、その後に影響を及ぼすかもしれない。もちろんそうでないかもしれないけど。「家庭内隔離」の期間中、隔離された本人はともかく、他も互いに感染しているかもしれないので、互いに避けるようにした。どうしてもいらいらするので、軋轢も生じやすい。職場でも、誰が感染しているかわからないので、互いに距離をおくようになるだろう。人と人とを隔てていく…コロナの怖さはこんなところにもあるように思う。第七波がやってきてから飲食店なども再びすいてきているし、せっかく戻って来た国内旅行も予約が減ってきているという。コロナの症状についてであるが、風邪と同じようなものという話もあり、そういう症例もあるのかもしれないが、やはり「尋常でない喉の痛み」で「風邪とは別物の難敵」というのが実感だったようである。
2022年07月29日
コメント(10)
数か月前にスマホを買い替えてからyoutubeをよく見るようになっている。今まではちょっと偏見があってユーチューバーなんてのは変な人が騒いでいるだけだなんて思っていたのだが、けっこう各分野での知識を披歴しているものも多く、あなどれない。算数の図形問題や歴史分野での雑学、これに語学サイトなど、生涯学習や脳トレとしてもお薦めである。最近では、後味もよくないし、おすすめもしないのだが、怪事件や不気味な事件をまとめたものもみている。特に神隠しとしか思えない失踪事件が、これだけあるというのも不思議である。ただ、失踪者は子供など、あまり実社会との接点のない人の場合が多く、普通に勤めている人が突然行方不明になるという例はあまりない。神隠しには超常現象とか異次元の穴とかいう話もあるが、実際にはやはりなんらかの原因があるのであろう。山梨のキャンプ場女児行方不明事件もそうした神かくし事件として扱ったサイトもあったのだが、事件だとしても、遺体をわざわざ時間がたってから現場周辺に戻すとは考えられず、捜索もれの可能性が高いのではないか。もう一つ、家族間の事件をあつかったものもいくつか見た。夫婦がいて、可愛い子供がいて…という幸福な家庭が長い時間をかけて変貌して事件現場になってしまうのも怖い。就職して発月給で両親にプレゼントをしていた娘が会社をやめ、ひきこもり、両親に暴力をふるうようになる。20数年耐えて、思い余って娘を殺害した親には執行猶予の判決が出たという。これなどこの間の元農水次官の事件に似ている。また、三人兄弟が親に先立たれた後も実家に住み続け、出戻りの長女も仕事をやめた長男も無職で、生活は病院事務の次女によっていたという事例で、何らかの理由で亡くなった姉の遺体が二階の部屋に二年以上放置されていたという事件である。事件にはならなくても、両親の死亡後、成人した兄弟がほとんど没交渉で暮らしている家というのは案外と多いのかもしれない。友人の家の近所にも冠木門のある立派な家があるというが、庭は荒れ放題で、洗濯の干し方も乱雑、そして夕方になると、それぞれの個室だろうけど端と端の部屋に灯りが灯るという家があるという。
2022年05月30日
コメント(0)
何年か前に非常に寒い冬の年があり、そういう年には梅前線が去らないうちに桜前線がやってくるので梅と桜が同時に咲くという。ちょうど梅の名所である偕楽園に行ったのだが、満開の梅の前を人々は通り過ぎていき、何だろうと思ったらその先の桜もちょうど満開を迎えていたのだった。やはり花の人気は圧倒的に桜ということなのだろう。梅や桃もそれぞれに美しいし、特に最近では一つの木に異なった色の花の咲く観賞用の桃もでてきているようで、華やかさでは桜を圧倒するようにも見える。それでもやはり桜が咲けばやはり桜となるのはなぜだろうか。梅や桃、それに最近増えてきている河津桜などはいずれも見上げるほどの大樹にはならない。それに比べると桜は大樹となり、満開の桜となると、その下が、大げさに言えば一種の異界となるような趣がある。上を見上げても一面の桜であり、地面には花びらが散り敷き、目の前にはゆっくりと落ちていく花びらが見える。その中で花見の宴会となるのだが、たぶんコロナ禍なので今年もそれはないだろう。それでも、東京の開花宣言もでたことであるし、満開の時期が気になる。そして今年はどこで見ようかと思うのだが、ぜひ行ってみたいのは隅田川の桜橋である。散策用の歩行者専用の橋で文字通り隅田川の桜を見るために造った橋のようだ。そしてまた、毎年たいていは行く千鳥ヶ淵の桜も良い。立ち止まって見るのは禁止のようなのだが、あの桜のトンネルは見事である。人ごみをさけるのであれば、自動車で少し郊外にでて、桜の木を探してみるのもお薦めである。東京の桜が終わった後、桜はしだいに関東平野を北上していくので、なにげないところに満開の桜が花見客もないまま咲いていることもある。
2022年03月24日
コメント(4)
河津桜を見に行った。本場の伊豆の河津や神奈川の松田山は大変な人出のようなので、行ったのは三浦半島と引地川の桜だ。そこもまた大変な賑わいで、コロナも三年目に入ると「自粛などやってられるかよ」という雰囲気になっているように思う。人生は有限だし、花が咲くのは一年に一度きり。コロナ一年目のときは、どこかのチューリップの名所では花を刈り取ったりしたし、羊山公園の芝桜やひたちなかのネモフィラは封鎖というようなことをやっていたが、今年はそうしたことはもうやらないだろう。コロナを克服したとして花火まで打ち上げて祝っていた中国でも散発的に感染が起きているようで、目指すのがゼロコロナにしろウィズコロナにしろ、まだ先はありそうだ。短距離とマラソンでは走り方が違う。なんでもかんでも自粛しろだの家にいろだのではやってられない。ただ、人出が多くなっていると言っても、それでも大型観光バスはみかけないし、公共交通機関は敬遠する人が多いせいか、道路の渋滞が酷い。そしてまた、コロナ前にはあまり見かけなかったテントもあちこちで目に付く。密をさけるレジャーとしてアウトドアの人気はたかまっているようだ。マスクや消毒液と同様、アウトドア用品もコロナ禍で売れた数少ない業種なのかもしれない。今年のように冬が厳しく、一気に暖かくなるような年は桜の開花も早いという。もうすこしすれば、花見の賑わいで全国あちこちで大変なことになるだろう。そうなると感染者数の増加が心配だが、今までほど人々は気にしないかもしれない。感染者数が増えても、死亡者がそれに比例して増えなければ死亡率は減る。恐ろしい病気はコロナだけではない、いやコロナよりも怖ろしい病気はいくらでもある。人が生きていく上に不安は常につきまとうものなのだが、不安にふりまわされるために人は生きているわけではない。用心はしなければならないにしても、そのために花を見過ごすのはごめんだ。そんな雰囲気がしだいに世の中を覆っているように見える。
2022年03月14日
コメント(9)
リアルタイムでこの歌が流行っていた時には、正直あまり知らなかったが、あらためて聴くといい歌である。昭和に流行ったグループサウンズをイメージさせる曲調で歌いやすく印象に残る。もう少しうまく売ればメガヒットにもなったかもしれない。https://www.dailymotion.com/video/xph6kwそしてそんな歌の雰囲気からくるそこはかとない郷愁が夕陽の海のイメージにぴったりである。しかしなんで九十九里浜なのだろうか。湘南の海ではなく九十九里浜。湘南がハイソなイメージなら九十九里浜は庶民的で手が届きそう。だからあの「万引き家族」も海水浴は九十九里浜?それはともかくとして、なんとなく今リメイクしても流行りそうなパワーをもった歌のように思う。ただし歌には夕陽がでてくるが、九十九里浜では刑部岬以外では夕陽はみえない…あたりまえだが。
2022年03月07日
コメント(8)
コロナはピークアウトしたようにも見えるが減少のスピードは鈍くまだまだ不安である。韓国の例では大きな波がピークアウトしたように見えたのち、さらに巨大な波がやってきている。昨年の12月下旬に5000人台の過去最大の波があり、それが今年1月に3000人ほどに終息したと思ったら急上昇して3月4日には24万人の感染者数となっている。コロナでは誰も先の予測などできず、マスクをして手洗いにつとめると言うしかないのではないか。大人世代はともかくとして、窮屈でうっとうしいマスクをし、友達との会話も控えるような生活が続く子供たちが気の毒である。2年経っても収束のめどはたたず、誰も「コロナ後」を語らなくなってきた。ついでがあったので、東京マラソンを見た。たまたま見たのは、市民ランナーでも最後の方で、4分の1くらいはほとんど歩くような速さであった。以前みたときよりも、コスプレや仮装は激減しており、ほとんどいないといってもいいくらいだ。アマビエの仮装なんかいるのかと思ったのだが、沿道での観戦も自粛を呼び掛けているような状況で、仮装は疫病退散の趣旨に反するのだろう。参加者にも仮装やコスプレの自粛をよびかけたのかもしれない。コロナは消えなくても季節は巡る。昨日は春一番が吹き、寒いと言っても真冬の寒さとはやはり違う。あちこちではいつの間にか早咲きの河津桜が咲き、春を告げている。
2022年03月06日
コメント(2)
WEB日記を書き始めた頃、プロフィールを変えて書くことを考えた。性別、年齢、設定など、変えて書くのも面白いかもしれない。WEB上でならなりたい自分を装うことはできるし、それくらいなら別にとがめられることもないだろう。実際にも、韓国で自称在外経験のある外資系社員、ハンドルネーム「ミネルヴァ」という人がいて、経済予測がよく当たるというので経済大統領の異名までついた。しかし、書いた内容が何かの法に触れたようで、正体が明るみになってみると30歳代のひきこもりで、経済も独学であった。それでもある種の異能はあったのかもしれない。そこまでいかなくとも、ちょっと背伸びしたプロフィールならできるのではないか。そうも思ったが結局はそれはやめた。長期間、別人を装って書くことは、けっこう難しい。特に性別の虚偽、いわゆるネカマやネナベは異性は騙せても同性を騙すのは難しいという。一人称小説で男性作家が女性を、女性作家が男性を主人公にすることはあるが、たしかにその傾向はある。また、文体や内容などを、もっともらしく装ってもふとした部分で嘘だと思うこともある。昔、連続幼女殺人事件の犯人が今田勇子という中年?女性を装った手紙を新聞社だか被害者だかの家に送ってきたことがあった。一か所だけ幼女の下着を「パ〇ティー」と書いてある箇所があり、こいつは幼女を性欲の対象と見る男にちがいないと思った。そういうわけで、プロフィールの虚偽は不可能だ。だから私事についてはさしさわりのない範囲で書くことにしている。
2022年02月28日
コメント(11)
日本の感染者は7万人を超え、まだピークは見えない状況が続いている。こうなるとさすがに人々の行動も変わってきたようにみえる。電車は再び座れるようになり、昼食の店も空席が目立つようになった。ここまで蔓延すると、人々は旅行や会食だけでなく、理美容、冠婚葬祭の集まり、カルチャーセンターやスポーツクラブも利用を控えるようになる。そうなればそれに関連した衣料や花などの出費も減る。感染拡大の経済に与える影響ははかり知れない。いくつも波が来ても、その波が小さくなっていくのならよい。ところが現実は逆で、次々と大きな波がやってくる。トンネルも先に光が見えればよいし、苦しい登路も頂上がみえればよい。ところが今は先が見えない状況で、誰も「コロナ後」を語らない。それに今までとけた違いの感染者数は別次元の問題を引き起こす。今までは感染予防のために施設を閉鎖したり学校を休校したりしていたのだが、蔓延が一定程度をこえるとクラスター発生により施設を閉めざるを得ないという状況がでてくる。現に消防署でクラスターが発生したという例がある。交通、警察、消防という社会のインフラが機能しなくなった事態など想像したくもない。ただ希望が持てるのは、従来に比べてコロナの毒性が低下しているのではないかという点である。新型肺炎は「肺炎」だから恐ろしいのであって、新株は肺にまで達することは従来株に比べて少ないという。感染者数の情報だけでなく、症状の程度についても気になるところである。
2022年01月27日
コメント(16)
最近は昼のランチが混んでいるという話をよく聞く。同僚も昼休みに食事をしに行ったもののどこの店も混んでいたからパンを買ってきたという。昼の外食に人が戻ってきつつある…おそらくあちこちでこうした現象が起きているのではないのだろうか。数日前、久しぶりにあった友人と会食をしたのだが、他のテーブルも満席になっていた。入り口で検温があり、マスク入れがあり、椅子の位置が対面を避けるように置かれているのがコロナ前と違うと言えば違うのであるが…。まずランチに人が戻り、次に夜の会食に人が戻り、いずれはコロナ前の生活が戻ってくるのだろうか。別に上からgotoをやらなくとも感染者数が減れば、人々は行動を変えていく。観光地も同様で、12月のオフシーズンにもかかわらず、どこも込んでいる。リベンジ消費なのか第6波が来る前の今のうち消費なのか知らないが、とにかく人が多く、大型観光バスがないのだけが依然と違う。さて、第6波であるが、オミクロン株主体の波はいずれやってくるかもしれない。ただ、世界で初のオミクロン株による死者というニュースがかけめぐったのが13日。オミクロンが発見されてからもかなりの日数がたっているし、これってジョークなのかいなと一瞬思った。もちろん人が死んでよいということは絶対ないのだが、風邪でだって世界では毎日大勢人が死んでいるだろう。人間は不老不死であるわけがないのだから。オミクロンって本当のところどれだけ怖ろしいのだろうか。感染力の強さよりも知りたいのはそこである。まあ、マスコミとかそれにのっかっている評論家とかいう人々は「さあ~大変だ~大変だ~」と言っていればよいのであるが、そうした情報の受け手たる我々はそうそう笛に合わせて踊ってばかりはいられない。
2021年12月17日
コメント(4)
コロナ禍であっても春は忘れずにやってくるし同じように花は咲く。満開宣言を迎えた東京、近場に花見に行ってきた。桜祭りはどこでも中止なので、提灯も露店もないのだが、それでも花の下には三々五々人が集まっている。ただここでも若い人が目立つのは高齢者は家に閉じこもっているからなのか。そしてまた、コロナ前ならかならずあったシートの場所取りや宴会も見かけない。別に宴会が法に触れるというわけではないのだろうけど、こうした場合の同調圧力はすごい。ごく短期間の間に人々は皆マスクをつけるようになり、店ではビニールカーテンや検温、アルコール消毒が常識になった。提灯、露天、シートなしの花見も去年よりも徹底している。こうしたものが感染拡大防止にどのくらい効果をもっているのだろうか。感染者数は下げ止まりから再拡大の様相を呈している。変異株の出現も考えると予断は許さない。いよいよ聖火リレーが始まった。聖火のニュースと並行して感染者数拡大のニュースが流れれば、五輪開催への不安はいやますばかりだろう。海外からの観客を入れないことはすでに決まったが、選手の事前合宿はそのまま行うのだろうか。事前合宿を行うホストタウンは都会に比べると医療体制が脆弱であるし、地域で感染が拡大したらとても対応できないのではないかと思う。
2021年03月25日
コメント(10)
さるネット配信で「憂国のモリアーティ」というアニメを見た。シャーロックホームズシリーズはそれほど読んでいるわけでもないし、そのモリアーティという悪役についても名前くらいしか知らない。このホームズに匹敵する頭脳を持つ数学者を主人公にして、しかも原作とは異なる若いイケメンとして登場させているのが面白い。舞台は19世紀後半のイギリス。そこでは貴族・資本家と労働者・農民というように階級がはっきりと分かれ、上級国民である貴族・資本家は下級国民を人間扱いしていない。「この国は格差がなければもっと美しいはずだ」と呟くモリアーティは犯罪コンサルタントとして、使用人の子供を見殺しにした貴族などの奢れる上級国民を成敗する…という話だ。思えば英国を発祥とする近代文明はすぐにすべての人を幸福にしたわけではなかった。労働者階級という新たな階級の出現により、持てる者と持たざる者との対立が先鋭化していった。それでもその労働者階級の不満が極限にまで達しなかったのは、植民地という形の新天地が開かれていたことと、資本主義自体が修正を加えていったことによるのだろう。アニメの中で、モブキャラでもよいのだが、英国で不況になるたびに、今度こそ革命が起きると祝杯をあげているマルクス&エンゲルスがでてきたら面白い。
2020年12月14日
コメント(0)
街はにぎわいが戻ってきているといっても、その内実は以前とは違う。あきらかに若い人が目立っているのだ。コロナ以前には、さすが日本は超高齢社会というほど、どこに行っても老人が目立ったのだが、その老人をあまり見かけなくなっている。やはり老人ほどコロナを恐れて家にひきこもっている例が多いのかもしれない。4月ごろはステイホームということが言われており、極力家にいた時期もあった。電車だけではなく、普通に街を歩くのも嫌であったし、買い物で店員さんと接触するのも嫌でできるだけセルフレジを使うようにしていた。ただそんな生活で実感したのは、やはり人間というものは外にでないとだめだということだ。高齢者の中には、あのステイホーム以来ほとんど外にでていない人々もいるという話もある。しかし、そうしたひきこもり生活は認知症を進行させたり、寝たきりにむすびついたりする場合があるのではないか。そのうち、こうした問題がきっとでてくるように思う。また、テレワークという働き方も注目を集めたが、これも、ネット上に必要な資料があって一人でもできる仕事にかぎられる。最近はカラオケルールがテレワーク用の個室に模様替えしているという例もみかけるが、これも、個室貸し出し料金を会社で負担するということでもない限り、普及は難しいように思う。テレワークを選択していた人々が、最近、通勤するようになったということもきく。単に街を歩くだけ、満員電車に乗るだけ、職場で普通に仕事をしているだけでは、それほど感染の危険は高くないと思うようになったのだろう。たしかに、狭い会議室で大声を出し合うなんてことがなければ、職場自体にはさほど危険はないように思う。
2020年12月01日
コメント(14)
1965年から1969年までの間にデュークエイセスの「日本の歌シリーズ」というものがでた。47都道府県の御当地ソングをレコーディングしたものである。昭和の時代には御当地ソングという歌謡曲のジャンルがあった。昭和といっても戦後昭和で、戦前には、「東京ラプソディ」のような東京への憧れをうたったものはあったが、御当地ソングというようなものはなかったように思う。御当地ソングには、旅行者の視点のものと住民視点のものとがある。そして観光振興という意図があるのか圧倒的に旅情をうたった旅行者視点のものが多い。だから、かのヒット曲「青葉城恋歌」が斬新に思えたのは、従来の旅情ソングとは一線を画し、住民の視点で作ってあったからであろう。ちょうど地方の時代なんて言葉が出てきたのもこの頃だった。さて、デュークエイセスの「日本の歌シリーズ」であるが、この両方がある。今でもよくうたわれる「女ひとり」と「いい湯だな」は、旅行者視点で、特に前者は市内だけにとどまっていた京都観光を大原のような京都郊外にも目を向けさせる効果があった。また、「フェニックスハネムーン」は新婚旅行に特化した旅情ソングだが、当時は宮崎が憧れの新婚旅行先であったことを思うと大時代的な歌詞や曲もほほえましい。曲名のフェニックスは南国ムードを出すために植えた樹のことであるが不死鳥の意味もこめられていたのかもしれない。一方で、このシリーズにも住民目線の歌がある。レコードの購買層として想定されている?人々の住む都県の歌である。東京の「君の故郷は」は、当時よく言われた「東京っ子には故郷がない」を地で行くような歌詞だし、埼玉の「終電車ブルース」は東京から終電車に乗って自宅に帰る歌で、哀愁はあるが、あまり地元への愛着が感じられない。そういえば、一戸建て志向は強かったが、東京都内の住宅購入は難しくなってきて、埼玉あたりからの長時間通勤者も現れてきたのもこの頃だった。
2020年11月26日
コメント(4)
今年の流行語大賞を予想してみる。やはりコロナ一択ではないか。鬼滅の刃や半沢直樹も流行ったのだが、鬼滅の刃はネット配信で第一話をみた限りではそんなにハマらなかったし、半沢直樹はそもそも見ていない。そんなわけでどうしても思いつくのはコロナばかりになる。ソーシャルディスタンス、濃厚接触、ステイホーム、クラスター、新しい生活様式、アマビエなど。そういえば、アベノマスクなんてのもあったけど、マスク確保に右往左往したのもずっと昔のような気がする。それでもコロナは収束せずにまだ続いている。上にあげたコロナ用語の中では、ポジティブな意味でアマビエがよいのではないかと思う。固有名詞なので流行語といえるかどうか微妙だが、過去にもベッカム様のような例もある。アマビエ様に疫病退散を祈願するという意味でもぜひ推したい。これから寒くなるにつれ、感染がさらに拡大していくのが不安である。コロナ禍が始まって何か月もたつが、クラスターの起きやすいところ、起きにくいところが次第にわかってきたように思う。もちろん感染経路を追えた上でのクラスターなので実際の危険とはやや違うのかもしれないが。最初にスケープゴートにされたパチンコは予想されたほどの危険はなさそうだ。対面ではなく無言で台に向かっていることが大きいのではないか。同じように対面せずに基本無言の映画館もさほど危険ではなさそうである。病院、介護施設、保育園、歯科医、美容室でもクラスターが発生しているが、これは社会生活上必要やむを得ない部分もある。こういうところに勤務している人々の検査体制の確立が急がれよう。そしてカラオケ、声を出すライブ、観劇、大声で談笑する会食、観光バスなどの危険度は高い。感染にどの程度の脅威を感じるかは人さまざまなのだろうが、不安だという人は当面はこうしたものは避けた方がよいように思う。
2020年10月31日
コメント(29)
こんなメールが来た。〇〇 に登録いただいたお客様に、〇〇アカウントの情報更新をお届けします。残念ながら、〇〇 のアカウントを更新できませんでした。今回は、カードが期限切れになってるか、請求先住所が変更されたなど、さまざまな理由でカードの情報を更新できませんでした。アカウント情報の一部が誤っている故に、お客様のアカウントを維持するため〇〇アカウントの 情報を確認する必要があります。下からアカウントをログインし、情報を更新してください。〇〇のところには有名な通販サイトの名があり、このメールのサイトも本物とそっくりにつくってある。情報の更新をすることで、氏名、住所、パスワード等を全部教えることになるので、これが噂のフィッシング詐欺というものなのだろう。こうしたもののあることが聞いているが、被害がどのくらいあり、捜査はどう行われ、実際に検挙された人がいるのかどうかという情報はあまりない。朝のテレビでは有名企業の偽サイトを使った詐欺事例が紹介されていたが、これも公的な動きとしては「消費者庁が注意をよびかけている」という報道があっただけだ。よびかけるのなら消費者庁ではなく警察庁ではないか?もしかしたら巨額の被害につながる事件かもしれないのに、警察は一体何をやっているのだろうか。そもそも動いているのだろうか。コロナ禍もあり、パソコンやスマホに慣れていない人々も通販を始めている。こうした詐欺事件はますます増えていくように思う。
2020年10月27日
コメント(2)
コロナの感染が拡大しているのに行政は動く気配がない。4月の緊急事態宣言がでるまでも、積極的な知事と消極的な国という印象であったが、今や無策の国の姿勢ばかりが目に付く。自粛要請しようにも補償する金がない…というのが真相であるにしても、自粛要請は補償がないとできないのだろうか。そんなことはないだろう。また、たとえ業者に対して自粛要請ができなくとも、顧客となる国民一人一人の側に自粛を呼びかけることはできるはずだ。問題の「夜の街」にしても、クラスターの発生した店の営業形態や具体的情報は公表すべきではないか。3月末からの感染者急増は欧州から帰国者が持ち帰ったものだという説が強い。そのときに比べれば最近の増加は海外からの持ち帰りは想像しにくい。大人数での会食やカラオケ、夜の街での接客が増えたことが原因なのではないか。そうだとしたら国民の側の自粛で十分に防げるようなものばかりだ。コロナは職場の雰囲気も変えた。昼休みになると三々五々昼食の仲間が玄関ホールで待ち合わせている光景があったものだが、それもなくなった。歓送迎会などの飲み会も皆無で、「それなくしてなんの職場生活なんだ」という人はさぞ不満なことだろう。サラリーマンだけではなく、学生も同様で、自宅でのオンライン授業が中心になったため、学生街の飲食店が倒産しているという。こうしたコロナによる「ぼっち化」は一定以上の年齢であれば、なんてこともないのだが、これから友人を作らなければならない世代、伴侶を見つけなければならない世代の人にとっては影響が大きいのではないか。
2020年06月30日
コメント(8)
あるバスに乗ったときのことである。どこでもそうだと思うのだが、バスの乗客は老人が多いし、特に沿線に大病院なんかあればますますその率は高くなる。そして当然ながら車内には咳き込む人や鼻をすする人も多い。そしてバスの前列の一番目立つところには咳エチケットとうがい、手洗いの奨励、そして最近はすっかり有名になった密集、密接、密閉を避ける旨の注意を掲載したポスターが貼ってある。しかし、よく考えてみれば、まさにこのバスこそが「密集、密接、密閉」ではないか。そのバスにこんなポスターを貼るのはブラックジョークなのだろうか。でも、密集と密接は仕方ないかもしれないが、密閉だけはなんとかなる。バスの窓は二段になっていて、下の大きな窓はガラスをはめ込んだタイプで開けることはできないが、その上の小さな窓は開閉できる構造になっている。そこで、その小さな窓を開けようとしたのだが、わざわざ開けられないように固定されている。やっぱりあのポスターはブラックジョークなんだろうと思いながら、「密集、密接、密閉」のバスに乗ってきた。知事は華やかな脚光を浴びるのは大好きそうだが、こういうバスには乗ったことなんかないのだろうな、きっと。ふと思う。コロナ対策はなんでこんなに一庶民へのお願いばかりなのだろうか。咳エチケットやうがい手洗いの励行ならともかくとして、時差通勤の奨励やテレワークの推進については、一庶民に対してというよりも、経済界に要望する話ではないか。サラリーマンは自分だけの意思で時差通勤やテレワークができるわけではない。こうしたものは国レベルで財界に対してお願いするべきものではないか。また、都市では都県境をまたいでの移動も多いのに、、「移動の自粛」を各知事毎に行っているのも変な気がする。
2020年03月30日
コメント(17)
ひさしぶりにオリオン座を見たが、赤色巨星ベテルギウスは明るさを減じ、二等星の三ツ星とほとんど変わらなくなっていた。むしろ色が赤いだけに暗いようにもみえた。オリオン座は古来、夜空でももっとも目を引く星座で、日本でも三つ星をはさんで赤いベテルギウスと白いリゲルが対峙している様子を源氏星、平家星とよんでいるところもあるという。赤い平家星がこんなに衰亡してみえたことは昔もなかったのではないか。脈動変光星という終末期の星であるベテルギウスがいよいよ超新星爆発をするのか…と期待しているのだが、星の寿命に比べると人間の生命など須臾の間だ。超新星爆発も明日見えるかもしれないし(見えたとしても実際には何百年か前の光だが)、1000年後、10000年後になるのかもしれない。
2020年02月25日
コメント(7)
今年から年賀状を出すのをやめる。少数の人に手書きで近況を知らせる賀状は出すつもりだが、印刷の紋切り型のものなどは資源の無駄だし、貰った方だってさしてうれしくはないだろう。よく年賀状は日本の伝統なんていうが、村社会の生活で完結していたような農村では年賀状なんていう風習が一般的だったとは思えない。年賀状の普及は都市に人口が集中し、サラリーマン世帯が主になった戦後の時代になってからであろう。ましてや郵便局員に年賀状の自爆営業押し付けなんていう話を聞くとますます年賀状に対するイメージが悪くなる。実際に金券ショップに大量の年賀状が持ち込まれるそうなので、そうした自爆営業が実際にあるのかもしれない。年賀状だけで何年も続いている人がいるが、たぶん親しく会う機会はもうないかもしれない。境遇が離れていけば共通の話題もなくなるし、引け目が会うのを妨げることだってある。それよりも、自分の生活圏の中で親しく付き合っている人こそが今の自分にとっては大切な付き合いなのだが、そうした人々とは会う機会もあるし、メールのやりとりもしているので、あえて賀状を出す必要もない。
2019年12月24日
コメント(15)
昭和から平成の代替わりのころにはビデオ屋さんが大変な行列になった。大葬の例、即位式典となると、テレビはワンパターンの番組しか流さなくなるので、じきにあきてしまい、仕方なくビデオを見るというわけである。ビデオが普及しだした頃は街角に小さなレンタルビデオショップがあり、それなりに繁盛していたが、やがてチェーンの大手レンタルビデオショップが現れると、町のビデオ屋はあっという間に駆逐されていった。小さな店がいくらビデオをそろえても、お目当ての映画があることは少なく、ならば大手に客がいくのは当然であった。そんなふうにいつもにぎわっていたレンタルビデオ店が閑散としはじめたのはいつからだろうか。おそらく、ネットのビデオ配信に押されていったのだろう。ネットに比べると、期限内に返さなけければならない煩わしさがある上、状態の悪いのを借りてしまうと見られないこともあった。借り放題サービスとかコミックレンタルなども始めたようなのだが、やはり厳しかったようだ。いつも利用しているレンタルビデオ店が予告なく閉店していた。韓流ドラマ「光と影」はまだ視聴途中なのに…。
2019年11月15日
コメント(2)
台風で大規模停電などの被害が起きているのに、テレビ報道は内閣改造でシンジローの会見を延々と流すのってなんかおかしくないか。こういうのって国が率先して動くもので、場合によっては内閣改造の先送りだってあったのではないか。それに成田空港では一時6800人もの人が孤立したという。途上国ならわかるけど、まともな先進国で進路の予測できる台風でこういう被害がでることはあまりない。一方では甚大な台風被害があり、一方では内閣改造があって、総理は憲法改正への意気込みを示す。しかし良い悪いは別にして、国民の間に憲法改正の機運がみなぎっているとはとても思えない。そして総理にしてからが、憲法改正をいうものの、じゃあ、今の憲法の何が問題かということをはっきりとは言っていない。「令和という新しい時代が来たから新しい憲法で…」というのは全く理由にはなっていない。マスコミも総理も、今、目を向けるべきは、シンジローでもなければ改憲でもない。台風被害の回復ではないか。
2019年09月12日
コメント(5)
五色の雲というものがある。臨終のときに阿弥陀如来が迎えに来るときに現れるという雲である。そんな五色の雲はもちろん見たことはないが、それに似たものに彩雲という。太陽の付近の雲が光の具合で緑や黄色やオレンジの色にそまる現象である。吉兆ともいわれるが、地震との関連を指摘する意見もある。吉凶はともかくとして、彩雲をみると幸せな気分になることは間違いない。そんな彩雲を箱根の展望台で観た。夕陽付近は厚い雲に覆われ、夕焼雲はあまり期待できそうにない。ただ、雲の薄くなっているところに現れた彩雲に目が行った。いつも不思議に思うのだが、自然の織り成す模様は関係のなさそうなところで妙に似ていることがある。層状の雲が夕陽にそまり朱色になった姿は縞瑪瑙にそっくりだといつも思うし、瑠璃は宇宙から見た地球の空の色によく似ている。そうしてみると、この彩雲はオパールの儚げな彩のようでもあり、ある種の方解石に見られる虹色模様のようでもある。たぶん映らないと思いつつスマホで写真をとってみると、あの色は取れなかったが、彩雲のあったあたりが、そこになにかあったというように、オレンジ色になっているのが不思議な感じだ。肉眼でみたときには、そのあたりの雲が五色に染まっているというように見えただけなのに、スマホの写真ではそこに丸い天体?があるように見える。ちょっと不思議な感じがするが、この彩雲、天からの応援メッセージと受け止めたい。
2019年06月03日
コメント(9)
最近はどこに行っても外国人の姿がめだつ。子供の頃は「わっガイジン」なんて言ってふりかえってみたこともあったが、そんな時代などは今は昔。普通にすれちがって言葉が日本語じゃなかったから外国人だと分かるなんてことはもっと多いので、実際には見かけ以上に街は国際化しているのだろう。観光地や街頭だけでなく、病院でも外国人が来ているようだ。人間ドックに行ってきたのだが、待っている間、けっこう中国語が聞こえてきた。四声の区別のある言葉は一定以上の音量がないと発音できないのか、遠慮がちに聞こえる日本語とは趣が違う。健康保険とは関係ないし、日本に滞在中に健康チェックという需要もあるのかもしれない。今のところ語学のできるスタッフはいないようだが、そのうち、胃のレントゲンの指示などは外国語テープでやるようになるかもしれない。いや、すでにそうしたものもできているのかもしれない。子供の日の記事によれば日本の15歳以下人口は急減しているという。高齢者の人口増は長生きで説明がつくが、子供人口の減少は未婚化が背景にあるのだろう。日本人が減少していくところを外国人がうめていく。100年後、200年後には国の形もずいぶん変わっているに違いない。
2019年05月16日
コメント(9)
超能力者がユリゲラーが超能力で英国のEU離脱を阻止すると宣言したらしい。これを報道したテレビ局にオウム報道で有名になったジャーナリストがかみついている。ひところテレビ局を席捲したユリゲラーの超能力ブームがオウム事件の遠因になっているのに、それを反省もせずに大真面目でこんなものをニュース枠でとりあげたのがけしからんということらしい。後半についてはもっともだと思う。たしかに報道でとりあげるものではないだろう。ただトピックとしてはどうなのだろう。ユリゲラーも宣言するほど英国のEU離脱が世界的関心事になっている、いやもしかして、ユリゲラーはどっかで英国のEU離脱はないという情報を得ているのだろうか…人によって思うことは様々だが、これも一つの情報であり、最初から「報道するな」というほどのものではないだろう。テレビを見る人々はこんな報道をみると本気で超能力を信じてしまい、その中にはまたもやカルトにひっかかる人もいるだろう…というのは己一人賢く一般大衆はバカだという悪しきジャーナリストの偏見というものにしか思えない。それにこんなものを総合ニュースでまともに扱うの?というものはNHKでこそ目に余る。国会で問題になっていることをろくに扱わず、歌舞伎役者の妻の病死やおこちゃまアイドルの人気投票、中学生棋士の食事内容とか本来ならワイドショーでやるような話を延々と流し、もっとまじめに報道に取り組めと言いたくなる。それに比べれば民放のどっかの局が一度くらいユリゲラーを流すなどかわいいものではないか。そしてまた、前半部分、ユリゲラーが中心となった超能力ブームがオウムの下地をつくったというのもどうなのだろう。子供はテレビだけを見るだけではない。ユリゲラー以前から少年少女向け雑誌で超能力は人気コンテンツだった。実話として宇都宮の超能力少年や真珠を口から出す女性の話が紹介され、また、「ミュータントサブ」のような超能力をテーマにした人気漫画もあった。そして御本尊のユリゲラーであるが、彼の目新しさは超能力者を自称しながら、それを宗教や教祖のイメージとは切り離したことではないか。元モデルというラフな服装の青年は、世の中の怨念を一身に集めたような最終解脱者とは対極であり、ユリゲラーの超能力に夢中になった人々が麻原にひきよせられたという関係はあまりないように思う。個人的には超能力というものは実在するのかもしれないと思う。もちろんユリゲラーをはじめとする自称超能力者が本物かどうかはわからない。もし、本物だとしても、それは人格や洞察力とは関係ないだろう。それはちょうど、他の人間の能力、高度な数学問題を解く能力や早く走る能力などと同じである。
2019年04月01日
コメント(2)
最近はゆるキャラだけではなく、ご当地アイドルというのがあちこちに生まれている。グループ名も多くは地域にちなんでいて、ファンからすれば手の届きそうな魅力があるのがよいのだろう。そして地域の様々な行事に出演して盛り上げている。アイドルをやりたい娘は大勢いるし、おいかけるファンもいる。実際にみた地域アイドルは美貌、歌唱力、踊り…みな相当な水準で、これとテレビで全国区で売れている娘とどこがちがうかといわれてもわからない。全国区のアイドルも仰ぎ見るような芸よりも親しみやすさをアピールしているものも多いし、その意味で、芸能人と一般人の線引きもあいまいになっている時代なのかもしれない。それに地域アイドルにしても、本格的に芸能人を目指しているという人ばかりではなく、若い時期の想いでくらいのつもりでやっている人も多いのかもしれない。地域アイドルといえば若い娘というイメージがあったのだが、中には年配の地域アイドルグループもいる。南房総のさるグループなのだが、これがなかなかよい。若い子の飛んだり跳ねたりして歌う曲は、正直あまりわからないが、このグループの演歌調の歌はしみじみと伝わるのは、こちらも年をとったからかもしれない。ふと想像する。こんなに歌のうまいおばちゃんなら、もしかしたら若い頃は芸能界入りなんて夢見たかもしれないな…と。昔は家での理由に芸能人を目指してなんてのがあった時代だ。でも、人前で歌い、喝さいをあびるというのが歌手なら、そうした歌手の夢はかなったわけだ。それにCDを発売というので、その即売会もやっていた。購入者には握手だけではなく、ハグもOKなんて言っていた。人生は長い。というよりもかつては一握りの幸運者のものであった長寿も多くの人が享受できる時代だ。定年後に夢を追うなんていうのもよいのかもしれない。地域アイドルのおばちゃんたちをみながらそんなことを思った。
2018年11月26日
コメント(20)
日本国内ではマスコミの前にでることを極端に嫌っているような大物政治家が韓国で講演を行ったそうだ。slashさんの日記で紹介していただいたニュースなのだが、外国人参政権の話とかなんか外でかってなことをいっている。だいたい外国人参政権の話など選挙前には一言もいわず、あえてマニフェストから削除したともきいている。党の幹事長という以外に公的な資格もないのに、多勢の議員をひきつれて外国を訪問し、様々な約束をするのは、選挙民に対する背信ではないか。まあ、「一度は民主党にやらせてみてもいいじゃない」、「民主党にまかせてみるのも面白い」そんなマスコミの戯言にのせられた有権者にも責任があるだろうし、国家なんてのはその国民のレベル以上の政治はもちようもないといわれてしまえばそのとおりなのだろうけど。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091212-00000050-jij-pol※※本日書きたいのはそれだけではない。この大物政治家のキリスト教、イスラム教批判発言についてである。なぜか報道ではイスラム教批判の部分がスルーされているのだが、国益等をおもんばかっているのだろうか。どっちにしても、政治家にとって宗教批判なんてのはタブー中のタブー。仏教指導者におもねったとはいえ、こんなことを言ってしまうあたりで、もう指導者としてあぶなっかしいことこのうえない。ただこの発言、日本の支配層を形成する政治家の本音がでたものとみれば、ちょっと興味深い。この政治家にかぎらず保守的論客の本(内容のわりに値段が高いのでたいていは立読みなのだが)をみると、案外日本の保守の中にはキリスト教が嫌い…という人が多いように思うからだ。もちろん、キリスト教といっても時代や文化とともに内容が違うのかもしれないけど、もともとのキリスト教というのは一種の革命思想、指導者にとって危険な思想だったのではないかという気がする。なにしろ、仏教やイスラム教と違い、キリスト教は権力や富とは遠いところにいる人々の間で起こり、ローマで最初に広まったのも奴隷達の間であった。そしてまた、聖書にある「貧しい者こそが神に近い」という言葉も、この言葉が語られたのが古代であることを考えれば画期的だ。人々の価値が身分によって格づけられ、富を持つ高い身分のものこそが神に近く、神に祝福された存在であることを誰もが疑わなかった時代に、そうした価値観をひっくりかえし、貧しく低い身分のものこそが神の前では価値があるといったのだから…。これに匹敵する価値の転換は、ずっと時代が下り、近代社会を迎えた時期に、「搾取され貧困の中で苦しんでいるプロレタリアこそが新しい時代を切り開く担い手である」としたマルキシズムくらいしか思いつかない。その後、キリスト教は権力に受け入れられてからも、常に変革を求めてやまない危険性をもちつづけたのではないか。あまりこうした分野は詳しくないのだが、近代人権思想も民主主義も淵源をたどればキリスト教にゆきつくという説もある。あの社会主義運動にさえ、初期にはキリスト教社会主義という流れもあった。そして、最近の死刑廃止論にもキリスト教の立場からのものがある。※※キリスト教については信者数を根拠に日本には受け入れられていないという説が強いのだがそれは違うのではないかと思う。人が宗教に求めるものは、大まかにいって、現世利益、死後の平安、規範の源泉…この三つがあると思うが、古来日本ではこれらを神道、仏教、儒教がうまく役割分担してきた。近代以降、儒教道徳が封建的、古いといった理由で批判されるとともに、この規範の源泉の部分をキリスト教が引き受けるようになった面もあるのではないか。キリスト教だけを信じている日本人はたしかに少数派だが、キリスト教「も」信じているという日本人は実は多い。そしてキリスト教の側もそうした人々も排除するのではなく、受け入れているようにみえる。その意味で大物政治家がいうように、キリスト教は決して排他的な宗教などではない。24日には職場近くの教会でキャンドルサービスがあるという。クリスマスイブに教会に行くのははじめてであるが、ぜひ行ってみたいと思っている。
2009年12月13日
コメント(6)
職場に不動産投資の勧誘の電話がかかってきた。マンションを購入して家賃収入を得るというもので、「大層いい話」なのだという。人口減少。経済規模縮小。それになによりも定職を有する人の減少。マンションなどだって空き部屋が増えていくのではないか。たとえ店子が入っても家賃を払えない等のトラブルは急増するのではないか。それになによりもそんなマンションを買うほどの大金はない。※マンション経営の将来性なんかで議論しても仕方ないので、「関心がない」ということでいったんお断りした。ところが翌日も、そのまた翌日も電話がかかってくる。「個人的事情もあってそういうことは無理なのですよ。」と言っても「個人的事情についておさしつかえなければ知らせてください」という。「あまりしつこい勧誘は会社のイメージも悪くなるのでは」と言うと「おっしゃることがよくわかりません」とかえしてくる。なんか変だなあ…と感じているうちにふと思った。この人は、人の立場になって考えるということを全然やっていないんだ。見ず知らずの人に個人的事情を話せなんて言われて人がどう思うか、けんか腰のような受け答えをされて人がどう思うか。そういうことを考えずに、人にものを買わせようなんて無理である。仕事は論理の世界で動くこともあるが、人が行動するのは論理だけではない。それに、たいていの人は「説得されて」行動するなんてことは実は望んでいない。いかに有利でお得かを理詰めで説得しようとするよりも、情報だけを残して適当なところで引き、なんかの拍子に気が向いたときにそういえばあの人に連絡をしてみようという好印象を遺したほうがずっとよい。最後はかなり強い調子で「迷惑ですので二度と連絡をしないで下さい」と言ったのだが、「それは話の内容のせいですかね、ボクのせいですかね」と聞くので「後者もあります。気を悪くしないで下さい」と言うと、落胆の様子が電話の向こうから伝わってきた。たぶんあんな勧誘の調子では他でも実績はなかなかあげられないのではないか。本人が問題点に気づけばよいのだが。
2009年06月25日
コメント(8)
「天使と悪魔」を見た。前作のダヴィンチコードよりもはるかに面白い。ダヴィンチコードは原作に忠実なあまり、本を読んだ後では緊迫感がさっぱり感じられなかった。かといって読む前の人には分かりにくい箇所が多かったことだろう。それに主人公と行動をともにするヒロインも人形みたいでさっぱり魅力がなかった。それに比べると、本作は原作の適度の改変が成功し、最後まで楽しく見ることが出来た。これはおそらくダヴィンチコードに比べ、天使と悪魔の方がより映画化向けということなのかもしれない。ダヴィンチコードの面白さは細部の薀蓄や推論の組み立てにある。これに対して天使と悪魔はずっとB級で荒唐無稽…そういう意味で本で読むよりも映画向けだ。ローマは行ったことがないのだが、映画で紹介される彫刻や寺院の映像を見ていると観光気分も楽しめる。映画の前にロケ地をめぐる旅行企画の広告があったが、なるほど、映画を見ると現地に行ってみたくなる。ストーリーはネタバレになるので書かないけど、結果的に主役のトムハンクスがくわれているような形になるのだが、あの展開では、それも仕方がないだろう。そして最後の宗教と科学についての「宗教も完全ではない。それは人間が完全でないから。」という言葉にも考えさせられる。そして自分なりの感想としてこんな言葉も続けてみたい。「宗教は頭では受け入れがたいものかもしれないけど(主人公もそう言っていた)、やはりこれからも存在しつづけることだろう。それは人間が完全ではないのだから」と。※映画の中で主人公が「神を信じるか」と問われて「頭では受け入れがたい」と答える場面がある。さて、自分だったら何と答えるだろうか。「神を信じない」とはたぶん言わないだろう。実は個人的体験がある。本当に物心つくかどうかの時期だったのだが、兄が二段ベッドの上で鴨居のところにさしてあった御札(家には神棚はなかった)をとって悪ふざけをしたことがあった。御札を手にしながら童謡「大黒様」の替え歌でウ○チだのなんのという言葉を入れて歌いながら笑っていたのである。もちろん自分も横で一緒に笑いこけていた。しばらくそうしてふざけていたのだが、その時、何もしないのに、部屋の電燈がいきなり落ちて、あっというまに畳の上にガラスが飛び散った。今でもあのときの恐ろしかった気持ちはよく覚えている。
2009年06月14日
コメント(6)
源氏物語にはいろいろな女人の性格が書き分けられている。素晴らしい女性として出てくる人物はほんのわずかで、多くの女人はそれぞれ長所も欠点ももった存在として描かれている。そんな登場人物たちであるが、よくみてみると性格の悪い女性というのは極めて少ない。後の物語にでてくるような意地悪な女性やうぬぼれや虚栄心が強くて鼻持ちならない女性というのもいないし、いわゆる悪女というのもあまりいない。※例えば源氏物語の中で頭の悪そうな女性といえば、たぶん末摘花、近江の君、女三の宮が思い浮かぶだろう。古風で融通がきかない、田舎者、幼稚とそのおバカぶりも三者三様なのであるが、じゃあ、彼女らは性格が悪いのかといえば決してそんなことはない。末摘花は性格は極めて善良で零落した生活の中で自分を見捨てで屋敷を離れる女房にとっておいた長い髪をかつら用にと贈ったりしている。近江の君も貴族社会での非常識な振る舞いが多いというだけで、その実態は単なる素朴で裏表のない庶民娘だ。物語の中で彼女らの描かれ方は否定的だが決して悪い女達ではない。また、下品な女性として描かれている軒端荻も性格は悪くなさそうだし、源氏の冷たい態度をみるとある意味、物語中の「被害者」ではないかという気もする。よく悪役といわれる弘毅殿の女御にしても自家の政治的な立場を守るために権謀術数を使っているわけで、性格の悪い性悪女というわけでもない。たぶんモデルは史記などにでてくる皇后だろう。葵の上にしても、源氏に対する冷たさは「にげなくはずかし」と思い込んだ上の不器用さ故だろうし、物語の中では身寄りのない女房を気にかけるなど優しい女性としての面も描かれている。じゃあ、生霊死霊となって活躍?する御息所はといえば、彼女も意識の表面では教養ある気品高い女性であるし、霊の場面も実際に見たのは光源氏だけというように、意外と合理的に描かれている。※そんなこんなで、性格の悪そうな意地悪女をしいてあげるとすれば、紫上の父である式部卿宮の北の方があたるのではないか。彼女の様々ないやがらせが紫上の実母の病気の原因になったなどということが伯父の僧都の口から語られるのをはじめ、物語の節目節目で彼女の紫上に対する反感が描かれる。特に髭黒と分かれた実娘が実家に帰ってきたときの怒り方はすさまじく、作者も「さがな者よ」と切って捨てているくらいだ。でも、脇役中の脇役だけどなんかこの式部卿宮北の方の気持ちというのはよくわかる。紫上は素晴らしい女性として描かれているのだが、実際にこんな女性がいたら嫉妬する人も多いのではないか。ましてや式部卿宮北の方からすれば、紫上は夫の愛人の娘であり、自分自身の身の回りには思うにまかせぬことも多かったとある。となるとこの北の方も、また平凡で不幸な女性だったとではないかという気もする。※もしかしたら作中で最も理想的に描かれている光源氏永遠の女性の藤壷こそが悪女なのかもしれない。なにしろ密通して不義の子を産んだ上、その子を天皇とすることに執着し、そのことにさして罪悪感をもっているようにも思えないのだから。女三宮は源氏に愛されなかった上に出家という形で自身の身を処しているのに対し、天皇の寵愛を受けながら、密通についてもなんらけじめをつけていない(桐壷帝崩御後の出家は右大臣側の報復をおそれたため)藤壷はより罪が重いのではないのだろうか。
2009年02月07日
コメント(0)
あけましておめでとうございます。底のみえない不況に雇用失業問題と2009年は大変な年になりそうだが、同時に大きな歴史的転換の年にもなりそうである。今年中には必ずある総選挙。そこで大きな国家の方向が決まっていくことだろう。※女工哀史や蟹工船の時代から数十年。大戦、そして戦後の諸改革を経て、ようやく普通の人が真面目に生きていれば幸福に暮らせる社会が実現したのが、昭和30年代のあたりではないのだろうか。「昔と違い今の日本には労働基準法もあるし憲法には生存権の規定もある。悲惨なディケンズやプロレタリア文学にあるような悲惨な労働者の話など過去のことだ。」中学や高校の頃は多くの人がそう思っていたし、教科書にもそんな記述があったように記憶している。たしかにあの頃、「進歩的文化人」が人気を博し、マルクスやレーニンの本も今よりもはるかに読まれていたけど、それでも多くの人は「今のままでも世の中はよくなっていく」と心の底では思っていた。だからこそ、大規模な学生運動やデモなどがあっても、選挙のたびに自民党は勝ち続け、政治的に安定していたのだろう。※それが今では変わった。非正規雇用者の激増は不況とともにホームレス予備軍を街にはきださせた。健康で真面目に生きているにもかかわらず、自分の生計も自分でまかなえない年収200万以下の人々も1000万人を超えている。そして一方で女工哀史のような超残業も蔓延している。貧困、搾取、こうした古い言葉が復活するとともに、数十年前の小説「蟹工船」が大ブームとなった。マスコミはことさら二大政党制や自民か民主かという選択を煽る。そしてそのマスコミは同じように福祉向上か消費税増税かの二者択一も煽る。マスコミではなく、自分で考えよう。新聞を受動的に読むのではなく、ネットで言論を探し、できれば発信していこう。大きな歴史的うねりが今年こそ起きそうな気がする。人類が何千年もの歴史の果てに獲得した政治体制である民主主義。一人一票の投票によって国家の方向が変わる制度。最良のものではないが、現実の選択肢の中で最善であることは間違いない。流血も暴力もいらない。今年中に必ずある総選挙で、一人ひとりの一票で、新しい歴史を作ることができるのだから。※本年がそんな新しい歴史の扉を開くすばらしい年となりますように。
2009年01月01日
コメント(8)
今日あたりクリスマスをやった家も多いのではないか。我が家もそうである。東半球の東端にある上、祝日は23日。日本人は世界中で最も早くクリスマスを祝う・・・といってもたぶん自慢にならないだろうけど。※それにしても、今年はクリスマスのイルミネーションが地味なような気がする。それに、家のまわりを電飾でかざるイエナリエも少ないようだし。これもやはり不況が影響しているのだろう。どういうわけかわが国では総理が率先して「100年に一度の不況だ」といいながら不況気分をあおっている。なんかこれって変な気がする。戦争のとき、隊長が率先して「わが軍は不利だ。戦況は絶望的だ。」なんていうだろうか。医者がけが人に向かって「傷は深いぞ。絶望的だ。」なんていうだろうか。総理のやっていることはそれと同じである。そしてそんな不況気分をあおりながら、いやに消費税増税にはこだわっている。不況の処方箋は内需拡大しかないのに、消費を冷え込ませ、貧富の格差を今以上に拡大する税制に固執するなんて。全く最近の総理の言動はどうもよくわからない。※今年は地味のような気がするといっても、やはりイルミネーションを見るのは楽しい。念願の六本木のイルミネーションを今年こそ見に行こう。
2008年12月23日
コメント(6)
全83件 (83件中 1-50件目)