遊心六中記

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2022.08.04
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カテゴリ: 観照 & 探訪


仏光寺通新町の四つ辻から新町通の北を見れば「船鉾」、南を見れば「岩戸山」です
まずは、少し南の 「岩戸山」から巡ります 。そこの地名は岩戸山町です。

一見、鉾と同じ姿にみえますが、 こちらは「山」 です。車輪をつけた 曳山 (ひきやま) です。
前回、長刀鉾等の 鉾では「真木」 や「天王座」という言葉をご紹介しました。 鉾には鉾柱 岩戸山は 鉾柱の代わりに 屋上に「真松」を 立てています。

天照大神が天岩戸から出現されるという日本神話 から取材し、御神体として天照大神、手力雄尊の人形が安置され、さらに屋根の上に伊弉諾尊の人形が安置されます。 そこから岩戸山の名称が由来 するそうです。

正面の下水引と前懸 です。水引は鉾と同様に3枚重ねてあります。 ​前懸は「玉取獅子図」​ (中国絨毯)です。

巡行中には、この山の躯体の基礎となる部分を縛っているこの 藁縄 は多分見過ごされることでしょう。
懸装品の華やかさや鉾や曳山のダイナミックな動き-囃子・音頭取り・曳き手など-に目が奪われるから・・・・・。


側面の下部 を観察しますと、 藁縄の縛り方がまた異なります

側面 を見上げていきます。 胴懸は唐草文様インド絨毯

下水引は「鳳凰瑞華彩雲岩に波文様紋織」 です。これは2003年に復元新調されたそうです。
その下の 2番水引は「緋羅紗地宝相華文様刺繍」、3番水引は「紺金地雲三ツ巴五瓜唐花文様綴織」 。この二つは2005年に復元新調されたそうです。
南面側から
天井は前後が格子天井で、中央部には「白茶地五彩瑞雲文様」の天井幕 が張られています。こちらは2011年に新調されたそうです。屋根を支える柱が見えます。

学生時代から延々と毎年のように祇園祭の山鉾巡りや巡行見物を続けています。なぜ見飽きないのか。その一端は毎年、少しずつ山鉾の懸装品などに新陳代謝が見られるという要因があります。復元新調されるもの。新調として新たなものが加えられること。それまでの伝統的に長らく使われてきたものが、保存されそれもまた見る機会があること。山鉾巡行の長き歴史の背景と今後の継続への意気込みが見られることが楽しいのです。勿論この雰囲気が好きなのです。






屋根を支える 四隅の柱は錺金具で覆われ ています。そして、 黒漆塗りの欄縁に施された錺金具 の意匠を見るのが楽しい。それぞれの山鉾により、様々な意匠の工夫がなされています。 

屋根の前後には 獅子口 が使われています。

 南面には梯子が掛けてありました。
その理由が後でわかりました。この日、この岩戸山と船鉾は私の訪れたタイミングの後に、 山鉾の曳き初めの行事 が行われたのです。それは、他の山をいくつか巡った後に、曳き初めの途中を見ることができたので、ナルホドと。


埒で囲っていなかったので、山のすぐ傍で 軒裏 を撮る事ができました。前後の軒裏は 中島華鳳筆「金地著彩鶺鴒図」 (昭和6年/1931年)です。

車輪
前後にだけ回転する車輪ですので、巡行では一つのパフォーマンスとしてどよめきが生まれる 「辻回し」 が必要になるわけです。これは見物 (みもの) です。学生時代に四条河原町で一通り眺めていたことがあります。今や懐かしい思い出です。

さて、 新町通を北へ 。私の好きな 「船鉾」に 参りましょう。そこは船鉾町です。
南面
船鉾の艫の方 になります。船鉾をイメージしやすいように、 舳先側からご紹介します


新町通を北から下って来ると、綾小路通を横切った先に 船鉾 が見えます。
二人の子供が教えられながら、巡行の音頭を取る真似事をしていました。この頃から身近に馴染んで行けば将来はさぞや優秀な音頭取りができるでしょうね。


​「金色の鷁 (げき) 」​ 。宝暦年間(1751~1764) 長谷川若狭の作 とのこと。
鷁は想像上の水鳥です。「水難除けに、その形を船首の飾りにする」 (『日本語大辞典』講談社) という次第。平安時代に貴族が大池に船を浮かべて遊ぶという姿が『源氏物語』にも登場します。「 龍頭鷁首 」という言葉を思い出されるかもしれません。
余談ですが、 京都の神泉苑 を探訪した時、池に「龍頭鷁首」の船が浮かべられていたと記憶しています。たぶん今もあるでしょう。 嵐山の三船祭 でも使われています。

船上には 唐破風入母屋造り屋根の屋形 が設えてあります。
この屋形の中に、 神功皇后と陪従する磯良・住吉・鹿島の三神像の人形 が巡行当日安置されます。


天水引 の一部。鷁が刺繍されています。あるいは鳳凰かも・・・・・。


側面 に回り、前後の車輪の間に見える鉾の土台部分の部材を 藁縄で縛った仕上がりの形 がきれいです。岩戸山との違いがおわかりでしょう。山鉾によってそれぞれ独自の手法・技法があるようです。
車輪
車輪の基本構造は同じですが、軸受けの金具の形状はそれぞれ意匠が微妙にことなります。
これも対比的にご覧いただくとおもしろいと思います。


艫にも独立した建屋 が設けられています。船の舵取りをする人の持ち場です。
ここの高欄の下部には、



舳先の鷁とは異なる想像上の動物 が少しずつ異なる姿で丸彫りされた彫像が取り付けられています。
「水龍」 と称されていて、螺鈿細工で描き出された 舵の水龍 と呼応しています。

艫側の水引 には金色の雲形文の間に想像上の動物 麒麟 が刺繍されています。

船尾の水引 には 瑞鳥 が刺繍されています。鳳凰でしょうか、それとも鷁でしょうか。
鷁と鳳凰の違いは何か。幾度も見ている筈なのに、今初めてひとつ、課題が残りました。


いつもなら、舵が取り付けられてその背後になるのですが、訪れた時には未だ取り付けられていなかったので 龍文様の後懸 の全体が見えました。残念なことに、透明カバーシートが被せてあったので、こんな写真に・・・・。残念ですが仕方なし。やはり興ざめですね。


艫側を正面から眺めた景色 です。巡行までは 覆屋根 が設けてあります。 右側(東)に 会所の2階との間に出入りする 階段 が設けてあります。水引の下の凹部になったところに後懸が懸けられていて、その前に舵が据えられます。

後懸の下の部分 です。後懸には数多くの飾り房が付いています。その下には水流文様の幕が張ってあります。この意匠が山鉾それぞれに異なっています。見比べていくだけでの楽しめます。

船鉾の少し北に歩み、 綾小路通を西に入り ます。

西洞院通までの手前に、 「伯牙山」 があります。山建てが終わっていました。
飾り付けはこの後か、明14日でしょうか。宵山までは最小限の懸装品や山形に提灯が並ぶはずです。
周辺はひっそりしていました。観光客からすれば、なにもないという感じかもしれませんね。

別名『琴破山』 ともいわれる。山の御神体(人形)は中国の周時代、琴の名人伯牙とその友人鍾子期との物語に取材、 伯牙が鍾子期の死を聞いてその琴の絃を断ったという故事 をあらわしている。」 (駒札より)  つまり、 山の名は琴の名人伯牙の名に由来 します。
この伯牙山が建てられるのは矢田町です。

綾小路通を西に 、新町通から一筋西側の西洞院通を横切り、先に進みます。
 見えて来るのは、 「芦刈山」 です。
ここもほぼ山建てが終わったようですが、両側にはいまだ部材が置かれていますので、最終段階なのでしょう。
西側からの眺め
「芦刈山」の櫓 やぐら 胴組・躯体 )を見て、まだ新しいなと感じたので、後で調べてみますと、2015年になんと143年ぶりに新調されたとのことです。 (資料1)

「芦刈山」は謡曲「芦刈」を題材にした山 です。そこに名称の由来があります。
芦刈山が建つところは、通りの両側が芦刈山町です。

芦刈山からさらに西に進むと、油小路通との四つ辻に至ります。
油小路通を南に入ります 。通りの両側が 「風早町」 です。

ここの山建てもほぼ最終段階でした。部材を運ぶ人を見かけました。ここは 「油天神山」 です。
古くから町内(風早町)に祀られていた天神を勧請して作られた山 だそうです。
油小路綾小路下ルにあるところから、「油天神山」と 称されるとか。また勧請の日がちょうど丑の日にあたっていたところから 「牛天神山」とも 呼ばれると言います。

油小路通を南進します。一筋南は仏光寺通です。

四つ辻の南側に、 太子山の提灯 が設置されています。
仏光寺通と一筋南の高辻通との間の油小路通の両側は 「太子山町」 です。


山の手前、通りの西側に 「秦家住宅」 があります。 京都市登録有形文化財の町家 です。
江戸時代から薬種業を営んでいた家です。二階の額縁付き 虫籠窓 (むしこまど) の中央に 屋根付き看板 が掲げてあり、「奇応丸」というこの店が生み出した薬の名前が刻されています。

この銘板が掲示されています。
当初の建物は兵火に罹災し現在の建物は、明治2年(1869)頃に再建されたものといいます。表の主屋が店舗部、その背後に玄関部でつないだ居住部が設けられた 「表屋造り」の形式の町家 です。
この町家にて、太子山の御神体、懸装品などが宵山まで展示されます

秦家住宅は、事前予約が必要ですが有料で見学できる町家です。 (資料2)


ここは、山建てがまだ続いていましたが、ほぼ最終段階に入っているようでした。


埒に近づいて櫓(躯体)を眺めますと、ここは藁縄の代わりに ロープ が使われています。

「太子山」は聖徳太子を祀る山 であることから、 この名が由来 するそうです。

ここで一区切りとします。


つづく

参照資料
​* 山鉾について ​ :「祇園祭」(祇園祭山鉾連合会)
1) ​ 新着NEWS ​ :「芦刈山」
2) ​ 見学 ​   :「京都秦家」

補遺
祇園祭・岩戸山 岩戸山保存会 ​ ホームページ
祇園祭船鉾保存会 ​  ホームページ
京都祇園祭 伯牙山 ​ 公式ホームページ
芦刈山 ​  ホームページ
祇園祭・太子山の胴懸新調 ​  YouTube
京都・秦家 ​  ホームページ
中国故事68 「伯牙絶絃」 ​  :「やけい」
演目事典 芦刈 ​   :「the 能.com」
鳳凰 ​  :ウィキペディア
​   :「コトバンク」
車折神社 三船祭 ​ :「ざ京都」
京都嵐山 平安時代の船遊び 三船祭 -後編- ​  YouTube

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Last updated  2022.08.10 18:25:33
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